ザ・トケイソーズ2007/06/01 15:18:06

ちょっと高いとこで、二つ並んで咲いてます。

赤いずきんはいつも憧れ2007/06/04 07:10:46

『つえつきばあさん』
スズキコージ 文・絵
ビリケン出版(2000年)


娘の同級生に「すずき」は二人いて、私の同級生に「こうじ」は二人いた。「すずき」も「こうじ」もありふれた名前だけど、イチローが「イチロー」と名乗る前から、スズキコージさんはスズキコージと名乗り、唯一無二のその名を出版界にとどろかせていた。
スズキコージさんの絵本も挿画の入った本ももはや膨大な数である。絶版になってしまった本もまた膨大である。私はその膨大な数の出版物のうちのほんの数冊しか持っていないから、スズキコージさんについて詳しく述べることなんてできないが、とにかく奇才である。
目についたものを素材にし、思いつく方法で絵をつくる。どんな方法でつくられた絵も「スズキコージだー」と走ってこちらに向かってくるような鬼気迫るものがある。私はこの迫力が大好きである。

本書は、まだ娘が保育園のころに、例によって図書館へ紙芝居と絵本の大量借り入れをしにいったときに、赤いずきんのおばあさんの表紙に惹かれてついでに借りたものだった。村のおばあさんたちが誘い合わせてお祭りへ出かけ、お祭りが終わって家にまた帰る、それだけのお話が、スズキコージ節(サイケな絵とサイケな文字と脱力した文)で構築されるとどうにもたまらない可笑しさをふりまくので、私も娘もくくくくけけけけとえんえんと笑い続けた。
画材は色鉛筆。うまくつかえば表現が無限大に広がる画材ではあるが、思い切りがよくないと大胆な絵にはならない。何でもそうだけど、とくに色鉛筆は繊細な表現に適していると思われがちで、使うほうもそういう先入観を持っていると面白い絵は描けない。でもそこは、さすがスズキコージさん、色鉛筆でこの世界!

たぶんスズキコージさんの本は、ご自身の創作絵本(文も絵もスズキコージさんの手になるもの)が他を圧倒して面白い。作家と画家の見事なコラボを実現している本もあるのだろうが、私はとりあえず「スズキコージ文・絵」の本こそが面白いと思っている。

ウチの母も遠出の際には杖が必要だが、この『つえつきばあさん』の域に達するには、もっと腰が曲がらないとならないだろうし、反面、脚が丈夫でないとつえつきおどりも踊れない。つえつきばあさんになるのは容易ではない。

朝摘み苺が食べたくて2007/06/05 08:58:23

我が家の収穫。うふふ。

『14ひきのあさごはん』
いわむらかずお 文・絵
童心社(初版第1刷1983年、第61刷1996年)


いわむらかずおさんの絵本の存在は全然知らなかった。14ひきのシリーズは、子どもが生まれなければ、一生手にしなかったかもしれないと思う。繊細な水彩画で、好みの絵なんだが、あくまで乳幼児への語り聞かせを意識したと思われるこのシリーズを、エエ歳した独身女がへへへふふふと眺めてニヤついているのはやはり不健康だろう。あ、失礼、もしかしてそういう女性もおられるかもしれない。妙齢のご婦人が絵本をめくりながら微笑んでおられるというのは、少し想像しにくい、と言い直しておこう。

ねずみキャラクターというのはいつの世も子どもに愛される。ミッキーマウスも、『トムとジェリー』のジェリーも、私だって大好きだ。
しかしそれとこれとは話は別なのよという事情が我が家にはあって、それは、屋根裏床下を我がもの顔で走り回り夜な夜な台所へ出てきて悪さをするネズミたちの存在だった。

とにかく、天井の板があまりいいものでないせいか、奴らが走り回るとうるさくてしょうがない。あちこちありすぎるほどある建具はきっちりと閉めているはずなのだが、みなが寝静まった頃、餌場に忍び込む。私は奴らがたてる物音に耳ざといので、夜中必ず目が覚め、奴らが走り去るのを何度も目撃した。捕獲には至らないが、ここは危険エリアだぞと威嚇すると、しばらく出てこない。
昔、我が家では大量にネズミ退治をした。電話線など何がおいしいのか全然わからないものまでかじってダメにしてくれた。地域的にもかなり問題になっていた頃だ。今、多くの民家が建て替わり、古い木造家屋の数が少なくなって、ネズミの被害を受ける家も少なくなった。我が家はその少数派のうちの一軒だ。うちがネズミに苦しんでいると、古民家の隣家もその隣も、お向かいも同様で、あれかじられた、これを食われたと被害の自慢話に花が咲く。

本屋で14ひきのシリーズを見つけたとき、我が家の伝統的天敵であるネズミをこのように美化偶像化したメルヘンチックな絵本を我が子に与えてよいものかと、おそらくは多くのお母さん方が悩まないであろう問題で私はかなり躊躇した。しかし、いや、ここに描かれているのは山のねずみだ、町のねずみじゃない、と自問自答の末納得し、買い求めた。最初に買ったのはどれだっただろうか。とりあえず、このシリーズ、10冊持っている。

14ひきのあさごはん
14ひきのぴくにっく
14ひきのせんたく
14ひきのかぼちゃ
14ひきのひっこし
14ひきのおつきみ
14ひきのあきまつり
14ひきのやまいも
14ひきのさむいふゆ
14ひきのこもりうた

持っていないのは『14ひきのとんぼいけ』だけのようである。

14ひきのねずみたちが絵本の中でやっていることで、娘とできることは全部したように思う。池でお洗濯、たんぽぽの野原でピクニック、大きな葉っぱでお面を作って秋祭り、芋ほり、そりすべりなどなど。私と娘は「ろっくんより上手かな」「さっちゃんみたいにはできないね」なんて、ねずみの家族を我が家族のように思い浮かべたものだ。

『14ひきのあさごはん』には、子ねずみたちが野いちごを摘みにいってそれを朝ごはんにするシーンがある。それを真似たくて、苺を種から育てた。以来もう足かけ十年、毎年春から夏にかけて可愛い苺を実らせて、娘を野ねずみ気分にさせてくれている。

味噌から出た男2007/06/06 08:53:48

『にせニセことわざずかん』
荒井良二 作
のら書店(2004年)


今や国語の教科書にも採用される好感度抜群画家、荒井良二さん。その世界は、わけわかんないけど、温かくて微笑ましい。いちばんの魅力は、身近な印象を与えることだろう。この人の絵には「芸術」という高位に構えたところがない。全然ない。

20年以上前の話だが、いっとき「へたうま」と称される作風が一世を風靡して、世の中で目につく絵という絵の何もかもが「へたうま」だったことがあった。で、荒井さんだが、この人の絵を見ると、世が世ならその「へたうま」に分類されてひとくくりにされてしまったかもしれないな、と思わなくもなかった、実は。しかし、荒井さんの絵は、画家の絵がみなそうであるように、画面全体でものをいう。目玉と手足のついたソフトクリームだけを見ると「子どもにも描けそう」に思わせるが、そのソフトクリームの影が長く延びてほかの影とお喋りし、その上空で背広を着た月がうたた寝をし、背景には火山どうしが相撲をしているというような絵は、なんの脈絡もなさそうで、その絵本の趣旨を表現して余りある一枚の「芸術作品」なのである。

子どもと絵本を探すようになってから、店や図書館で必ず目につくのが荒井さんの絵のついた本だった。ひょうひょうと、ユーモアをマイペースで突き進んでますよという勢いがありながら、本のテキストをもらさず説明している能弁な絵。

「へたうまイラストレーター」といわれた画家たちのその後は知らないけど、「下手に見せるテクニックをもったうまい画家」だったはずで、あんな下手な絵私にも描ける、と思わせるながら、まずそれは不可能なのである。
荒井さんの絵は、それを見た子どもが真似して描きたくなるくらい親密さにあふれつつ、親切で丁寧で、子どもの理解を助けてくれる。これって簡単な仕事ではない。荒井さんの画業については詳しくないけれど、とりあえず絵本という世界において、荒井さんの絵は、荒井さんの絵にしかできない離れ業をなしとげている。彼の仕事を真似ることは誰にもできない。

我が家にはごくわずかだが荒井さんの本がある。
『にせニセことわざずかん』は、小学校でことわざを習ったかあるいは児童館でことわざカルタで遊んだかして興味を持った娘に本屋で買って買ってえとねだられたものである。

笑える。とにかく笑える。
まず、ことわざを知らなくてはいけないが。
なので、言葉の意味に興味を持ち始めた小学生におすすめだ。

小学生だと、ことわざを会話に織り込んで使いこなすほど理解できなくても、授業の一環でことわざに触れる機会もあり、実際テストにも出るようになる。ウチの娘は、そういうとき、いろはかるたの絵札や、この『にせニセことわざずかん』の荒井さんの絵を思い出すという。まあ、そういう覚え方も、ありだな。でもさ、「にせもの」のほうのことわざ、書いちゃったりしないの? と訊くと、とりあえずにせものを書いて、それをじっと見ながらほんもののことわざは何だっけ、と思い出すの。といっておりました。そうなのか、じゃ君は《馬の耳に大仏》(11ページ)と解答欄に書いてから、その字をじーっと見て、「馬の耳に念仏」という正答を導き出すのだな。それはなかなか、遠回りなように思えるが、ま、いいか。

さてクイズ。この記事のタイトル「味噌から出た男」はにせニセことわざです。ほんもののことわざを当ててください。

世界一美しいブタさん2007/06/07 19:23:24

『ブータン』
太田大八 作
こぐま社(1995年)


太田大八さんは1918年生まれなのだそうだ。ということは来年には90歳になられる。
すごいなあ。そんなにお歳を召していて、少年の瞳にしか映らないような、太陽のひかりをいっぱい浴びたキラキラ輝く世界を描くんだ。
そういえばピカソも。きっと画家のかたがたは、瞳が老化しないのね。あるいは瞳だけが実年齢を逆行しているとか。だって、若くして老練な描写力があったからこそ絵を描いてこれたのだろうし。大人のような絵を描いていた子どもが大人になって子どものような絵を描く。そういうことなのだ。

太田さんの絵の魅力はなんといっても色づかい。
たぶんアクリルかガッシュがメイン、クレパスや色鉛筆で描き足し、ときに布や印刷物をコラージュしたりも。太田さんのタッチで好きなのは、たぶん竹ペンか硝子ペンで描いた線画に淡い色彩を置いていく描きかた。『世界でいちばん やかましい音』 でメインになっていた技法だ。
『ブータン』には、その技法は脇役にまわっているけれども。

「ブータン」はブタの名前。農家のベンさんは「やさいくらべ大会」にかぼちゃを出品し、大賞をもらった。そのごほうびにこぶたをもらった。
ベンさんは大事にこぶたを育て、大きくなったら食べようなんてことは露とも考えず、ブータンと名づけて家族のように大事に育て、世話をして、畑の仕事もさせた。
ブータンはどんどん大きくなって、馬より牛より大きくなって、村の名物ブタになり、やがて新聞に載り、テレビで紹介され……。

さらし者にされるブータンを、ベンさんは懸命に守る。
周りの人間が「豚」「豚肉」としか見ない動物は、ベンさんにとって大事な大事な宝物だから。

温厚なベンさんの表情がくもり、やがて怒りを爆発させるときがある。
村で平穏に暮らしているときの表情との対比が見事。
その横で、ブータンはいつもにこやかで安らかで、何も心配していませんことよとベンさんに微笑みかけるようでもあり、ずいぶんにぎやかですけど何かありましてと最初から何もわかっていないようでもある。

ブタを題材にした絵本は多いけれど、「ブータン」ほど美しいブタをほかには知らない。あのブタがそんなに大きくなったらさぞかし醜かろうに、目障りだろうにと思わなくもないんだけど、ブータンは物語の最初から最後まで素朴で美しい。大事にされてるので野性味はない。おとなしい毛並みのいい猫のようで、猫ほど心中に企みを持っていそうにない。純真無垢。そう、ブータンは純真無垢だ。

ベンさんはブータンのほっぺたをなでて、身体をさすってやりながら「おうちにかえるよ」と声をかける。アホかお前はといわれるかもしれないが、私はここで涙が出そうになった。
この物語は、自然の一要素として発生したに過ぎないはずの人間がいかに身勝手で驕り高ぶっているか、も描いている。私たちは、アホだ。

ところで、純真無垢って、誰かを形容するのに使ったような記憶が……。

いっそ変な子になれたら2007/06/08 23:51:20

『へんなこが きた』
木村泰子 絵と文
至光社(1977年)


繁華街にあった丸善という大きな書店では、毎年国際絵本フェア(というようなタイトルの)イベントをやっていた。そこでは外国の作家の原画の展示もあったろうか、もしかしたら他のイベントと頭の中でごちゃ混ぜになっているかもしれないが、何しろ漫画で育ち、絵描きになりたいなどと考えていた少女だったので、その手の展覧会には毎日出かけても飽きないくらいだった(毎日は行かなかったが)。

中高生時代はアルバイトをしなかった。書物は親が買ってくれた。わずかなおこづかいを何か月分かためて、ちょっと親にはねだりにくい服や小物を買ったりした。そんなことは数えるほどしかなかったが、それで十分だった。

ある年、クラスメートと例の丸善の国際絵本フェア(というようなタイトルのイベント)に出かけた。外国の薄っぺらい幼児向け絵本を見たかった。日本の作家にはない大胆な、あるいは細密な画風の絵本が、ハードカバーではないので輸入品でも安く買えると知っていた。あわよくば、買おうと思っていた。

「ねえ、これ、かわいいよ」
クラスメートが指し示した『へんなこが きた』。
私たちは丁寧にページをめくり、ページの隅々まで絵を見て、文を読んで、また絵を見て、笑った。最後のオチは見事だった。
「サイコーだね」
そこが丸善のイベント会場でなかったら、私たちは二人で仰向けになり、お腹を抱えて笑ったに違いない。
今、読み返しても、たしかに愉快で楽しい本だが、なぜあのときそうまで笑うほど可笑しかったのか、もうひとつピンと来ない。ツボにハマった、今の表現ならそういう状態か。ま、あるいはそういう年頃だった、そう思うことにしよう。

同じ作家のシリーズがたくさん展示されていた。『ぼくじゃない』『たべちゃうぞ』『だいじなものが ない』……。不思議な世界の不思議な動物たちがめぐり遇う、ごく日常的な、心温まる出来事。特別なお話でもなんでもないが、その描かれる世界の様子が大変に特別なこと(たぶん人類絶滅後の地球)が、ストーリーとの絶妙なバランスを保ってみせる。それが可笑しみを増す。

すっかり魅せられて、私はそこにあった木村泰子さんの絵本を全部買いたいと思った。しかし当然ながら予算オーバーだ。欲しいと思ってたカチューシャが買えないじゃん。長い時間考えて考えて、『へんなこが きた』と『ぼくじゃない』の2冊だけを選んだ。輸入本も買いたいし、これは日本の本だからまたいつか買える、と自分に言い聞かせ。

なぜそうまで魅せられたか。ポイントは二つある。
ひとつは、いうまでもなく、絵本の完成度が高いからだ。
もうひとつは、その絵もお話も、難しそうには見えなかったからだ。この二つめのポイントは私の人生に大きな影響を、実は与えてしまった。私は木村さんの絵本の数々を見て、「私にもできる」と思い込んだ。私は、木村さんのような絵本作家に自分も「なれる」と根拠もなしに確信した。なんと『へんなこが きた』は、私にとって目指すべき職業への(方向音痴な)道しるべになったのだった。あさはかな思春期。罪深き木村泰子さんの絵本……。

通ったデッサン教室や美大には変な奴がいっぱいいた。
美大を卒業し、ピザ屋や弁当屋や居酒屋や、ケーキ屋や看板屋や印刷屋やコピー屋になったのがわんさかいる中で、「絵を描いて」食べている奴は少ないながらも、いる。しかしやっぱしそいつらは変な奴、それぞれがまるで違うタイプの変な奴らだった。私など、まともで画一的で他と区別できないくらい普通だった。
変な子でなかったために、幸か不幸か、こうしてブログで木村さんの絵本について書いている。

あれから私は、木村さんの絵本を買い足していない。普通の書店ではお目にかかれなくて、そのまま諦めてしまっていた。木村さんは今でも描いておられるのか。ふと思いついて検索してみた。おお、『たべちゃうぞ』は入手できるようだ。買っちゃおかな?

あのときのときめきと、根拠がなくとも何やら自信めいたものが湧いて目の前に光が射したような気持ちを、私は一度も忘れたことはない。

体験学習は希望の糧?2007/06/11 06:38:27

『ぐるんぱのようちえん』
西内みなみ さく 堀内誠一 え
福音館書店(1965年初版第1刷、2000年第86刷)


「希望学」という研究に携わっているある学者さんの講演を聴く機会があった。何か月か前、その学者さんのインタビューを新聞紙上で読んでもいた。いまどき何でも学問になるもんなんだなと妙なところで感心した。あ、もちろん、講演内容にもなるほどと思うところがあった。
彼が言うには、学校で意義のある職業教育を受けた人は高校中退率が低く、正社員として雇用される率が高い。ニートやフリーターになる率が低いというわけである。また、小・中学校時代にもっていた就きたい職業への希望がそのまま叶ったという人はそれほどいないが、軌道修正しながら、どんぴしゃでなくとも遠からずの職業に就くことができた(たとえばプロスポーツ選手を夢見ていたが最終的には体育教師になった、など)、という人も、充実した職業教育を受けた経験がある。ということは、小・中・高における職業教育を充実させれば、現在問題になっている若年失業者の増加を食い止めることができるのではないか……。
「職業教育」の定義はいろいろあろうが、ここでの学者さんいうところの職業教育とは、主に職場での体験学習を指している。
小学生だと一日だけの社会見学が関の山かもしれないが、中学、高校だとある程度の日程を組み、同じ職場に連続して通わせるなどの学習を奨励している自治体もある。そういう体験学習を重ねると、社会人との接触を通じて、職業への理解や発見のきっかけになり、漠然としていた自分の将来がなんらかの像を結ぶようになることもある。夢が具体性を帯びてくることもある。
若者の希望は変わるし、揺れ動く。しかし、希望の芽を潰さないことは非常に重要である……云々。

若いゾウの「ぐるんぱ」は、ひとりぼっち。前向きに生きてこないで、寂しくて泣いてばかり。群れの大人たちは、大きくなったくせにだらだらしているぐるんぱを町へ働きに出すことにきめる。

(無理やり当てはめることもないんだけど)ここまでのぐるんぱ、まるでニートか引きこもり。

町でいろんなお店を訪ね、雇ってもらうけれども、見当違いの仕事をして叱られ、クビになってばかり。

(無理やり当てはめることもないんだけど)このあたりはダメフリーターのぐるんぱ。

くじけそうになるぐるんぱだが、たくさんの子どもたちの世話をするはめになり、やがて幼稚園を開くことを思いつく。あちこちのお店でつくってきたものを上手に使った、子どもたちの笑顔と歓声のあふれる「ぐるんぱのようちえん」。

おお、あまたの体験を生かして希望を捨てず、立派に職業人(ゾウ?)となったぐるんぱの物語である。

……・という解釈には無理があるかな? わはは。

途中、さまざまな仕事に就くくだりで、各職場の親方の態度はおもいっきりぐるんぱに冷たい。大きな体のぐるんぱが小さくなって「しょんぼり」するところ、幼児期の我が娘はあまりにも可哀想だといって大泣きした。
つらかったけど、よかったね、ぐるんぱ。
この絵本はそういうオチで、泣いた子どもも最後はにっこり、の絵本なのであるが。
どうも、この絵本を地でいっているような気がしなくもないのである、やっぱし。何がって、日本の社会が。

心の声で、会話する2007/06/12 06:26:36

『あつおのぼうけん』
作 田島征彦 吉村敬子
童心社(1983年初版第1刷、1993年第14刷)


『じごくのそうべえ』で有名な田島征彦さん。『じごくのそうべえ』も、『そうべえごくらくへゆく』も、本は持っていないけど私も娘も大好きだ。本を持ってなくて悔しいので、『そうべえすごろく』の原画展にはダッシュで行ってすごろくもその場で購入し、目の前で画家にサインしていただいた(私はしげしげと、この方のふたごの兄弟・征三さんも絵本作家さんなんだ、ふたりいるんだこういう雰囲気の人が……とお顔を眺めていた)。

『じごくのそうべえ』は持っていないけど、どういうわけかほかの本はたくさん持っている。

『ふたりはふたご』
『とんとんみーときじむなー』
『こたろう』
『島―創作民話』
『まんげつのはなし』
『みみずの かんたろう』
『うさぎのチュローチュ』
『ごちそうのでるテーブルかけ』

『こたろう』や『みみずのかんたろう』も、とてもおもしろい。でも、やはり『あつおのぼうけん』がいちばん素敵だ。「あつお」は、とてもスピリチュアルな体験をして、生きる希望を見出すのである。

脳性小児麻痺のせいで手足が思いどおりに動かず、満足に言葉を発声できないあつお。転んで車椅子から落ち、養護学校の寄宿舎の先生に助けてもらったとき、古ぼけた人形を握り締めていた。
人形に名前をつけ、呼びかけるあつお。
やがてその人形と交信するようになる。

出会った少年の表情に物怖じして声が出ないあつおに、人形は心の声で励ます。息吸い込んで、はっきり、口を動かしたら、言葉が出るよ。

四六時中、あつおと人形は会話をする。人形は心の声だがあつおのほうは実際に声が出ているようだ。友達になった少年は、「おまえ、なにぶつぶついうてんねん」とつっこむ。「けったいなやっちゃな」。漫才みたいなあつおと人形、あつおと少年の会話。読者は、あつおが重度の障害児であることを忘れて物語にのめりこんでいたことに、あるページまで来てようやく気づく。うわ、大変だぞ、あつおったら走れないんだったっけ、と。

この本は、脳性小児麻痺を患いながら、今江祥智さんに師事して創作を学んだ吉永さんが、1981年の国際障害者年を記念する本として執筆をしたものらしい。編集のバックアップをしたのは「主任手当てを京都の子どもと教育に生かす会」という団体である。そのいきさつが、最後のページにちょっと述べられている。主張はよくわかるが、正直、このあとがきが、この本を読み終えたときの素晴しい余韻を台無しにしている。おっしゃることはごもっともだ。だがそのあとがきを読めば読むほど、その主張とこの本のストーリー自体はさほど関連性を感じられなくなってくるところが、非常にもったいない。初版から15近く経つが、体裁は今でもこのままなのだろうか。

もとい、『じごくのそうべえ』などに見られる派手めの色彩でなく、少しさびれた海辺と島の風景が、穏やかな色調の型絵染でしっとりと描かれる。技法のよさが最も顕著に現れている一作としても、高く評価できると思っている。

私たちのお妃さまは?2007/06/13 20:50:49

『おきさきさまのアンナはふとっちょ』
マルク・カンタン/文 マルタン・ジャリ/絵
中井珠子/訳
BL出版(2000年)


マルク・カンタンは大好きな作家の一人である。偶然手にしたある本がきっかけですっかり気に入り、ばたばたとほかのも買い込んで読みあさり、ますます気に入って、本人のHPやブログまで行って「あたし、あなたの本大好き! いつか必ずあなたの本を翻訳するわよっ」などとファンレターならぬファンカキコしたりしている。誠実なカンタン氏は「光栄です、その節にはぜひよろしく、マダム」なんてちゃんとレスをくれる。
もうおわかりかと思うが、「翻訳するわよっ」といっといて、私は一冊も実現できてないでいる。カンタンの邦訳書は『おきさきさまのアンナはふとっちょ』だけなのだ。

ある平和な国の、美しいすらりとしたお妃さまがある頃からむくむく太り出す。国民は文句をいう。食べ過ぎじゃないのか? ドレス代だってかさむぞ。お妃さまのふとっちょ反対! しかし王様は毅然と言い放つ。「お妃は今の姿がいちばんきれいじゃ!」
お妃さまのお腹はどんどん大きくなる。王様は前からメタボリックなお腹だったので、お二人並ぶとド迫力。しかし国民は今ではそんなお二人のお姿に誇りを持つようになった。そして。

話の最初からオチの見える単純な構成。たぶん原書には、言葉遊びがてんこ盛りなのであろう。訳者の苦心が窺える。が、窺えるだけなので、やはりこの本の魅力は、愛するカンタン氏には悪いけどマルタン・ジャリの絵に尽きるのだ。

有元利夫という夭逝の画家をご存じだろうか。静かな、不思議な世界を描いた。イタリアのフレスコ画の影響を受けたらしいが、たしかに彼の絵は、イタリアの田舎町にある古びた教会の物置部屋からひょっこり出てきたように感じられる。しかし彼は1985年に38歳で亡くなった、現代の作家だ。私は亡くなって間もない頃に開催された回顧展でその作品群に出会った。静かだが、その絵を見つめていると、音が聞こえる。その音とは小鳥のさえずりとか小川のせせらぎなどではなくて、2軒向こうの家で少女が練習しているピアノの音、通りがかった建物からもれてきたヴィオラの音……。何も主張しない。たたずむ絵。絵はこちらを見もしないし、語りかけもせず、そこにあった。

ジャリの絵は有元さんを彷彿とさせた。似ているわけではない。だが、もしも有元さんが、そんな仕事はされなかったが子ども向けの絵本をつくったら、こんなふうになったのじゃないか。そんな安易な結びつけかたはどちらの画家にも失礼だけれど、私の頭の中では、ジャリの絵が有元さんの絵の記憶を呼び覚ました。ジャリの絵を見ていて聞こえてくるのは、ボリュームを抑えたフレンチポップスだけれど。

ところで、わが国のお妃さまはお元気なのだろうか。私の母は大の美智子さまファンである。テレビで何かやってると食い入るように見ている。いっぽう、どちらかというと左の私は(どちらかというと、というのがすごくずるい言い方だなと書いてから思ったが)、まったく関心がないにもかかわらず、現在の妃殿下に間違われたことが、半端な回数じゃなく、ある。御成婚前でそれなりに国民の関心が高まってた頃だ。だからさ、そんな時の人が今頃こんなとこほっつき歩いてるわけねーだろ。間違われるたびに心の中で毒づいた。今、その話をしても周囲は誰も信じてくれないが。

ところで、明日から我が地方は梅雨入りだそうである。汽車ポッポテンプレには早くも飽きてしまったので、梅雨入り記念にアンブレラテンプレに変えようかな。明日の更新時には、このブログもぴっちぴっちチャップチャップらんらんらん♪になりますのでよろしく。

君は僕より年上と♪2007/06/14 06:09:50

『ダイアナと大きなサイ』
エドワード・アーディゾーニ作 あべきみこ訳
こぐま社(2001年)


「ダイアナ」は、ケンジさんの十八番だった。バイトが終わってから行きつけのカラオケバーで一杯飲ってくのが私たちの常だったが、マスターはケンジさんの顔を見ると「ダイアナ?」と訊いた。ケンジさんはウインクで肯定する。
「君ぃは僕より年上ぇとまわりのひとはいうけれどぉ♪」
ケンジさんの歌はなかなか達者だった。ほかにもレパートリーは数え切れないくらいあって、何でも歌えた。歌い慣れていた。その頃まだカラオケボックスなんていう無粋なものはこの世になく、客はマスターやママに100円玉を渡してリクエストし、歌詞カードに目を落として歌った。でもケンジさんは歌詞カードをまるで見なかった。この世の歌という歌の文句はすべて頭に入っているようだった。
たくさんのバイト仲間と飲みにいき、飽きもせず同じ店で歌ったが、ほかの誰が何を歌ったかまったく覚えていないのに、ケンジさんの「ダイアナ」だけは極端に鮮やかに音声映像両方で心に残っている。私は「ダイアナ」という歌をそれまで知らなかったし、今日に至るまで、ケンジさん以外の人が歌うのは聞いたことがない。

不幸にも若くして亡くなったダイアナ妃という女性がいたが、その「ダイアナ」は私にとっては二つめのダイアナという名前だった。ダイアナというのは少々古めかしい名前なのかな? 生身のダイアナにはなかなか会えない。

次に出会ったダイアナは、バレエ作品『エスメラルダ』にある『ダイアナとアクティオン』という場面に出てくる登場人物名だ。「ダイアナ」役と「アクティオン」役(こちらは男性)が踊るパ・ドゥ・ドゥらしい(実は見たことがない)が、「ダイアナ」のほうは振りが美しくて個性的なので、バレエ教室の発表会などでは人気のナンバーである。
ウチの娘がまだバレエを始めて間もない頃、教室の上級生のお姉さんがこの曲をとても上手に踊ったので、娘にとっては「ダイアナ」といえば「いつか踊りたいあの曲」になった。

そして『ダイアナと大きなサイ』。動物園から抜け出て迷子になり、人家に侵入してしまった大きなサイを、その家の利口な少女ダイアナは、追跡隊を退けて自分で世話をすると宣言する。サイが何やら鳴き声をたてたとき、ダイアナの耳には「トースト」と聞こえ、暖炉の火であぶったバタートーストをせっせと食べさせる。

赤ん坊だったダイアナの弟は結婚し、ダイアナの両親はリタイア生活に入り、ダイアナ自身も中年婦人となるけれど、相変わらず家とサイを守っている。サイは近所の子どもたちのアイドルで、ときどき散歩で庭から出るふたりを、町の人は温かく見守る。
ダイアナもサイもやがて年をとり、ダイアナの髪もサイの身体も白くなる。それでもふたりは寄り添いながら、とぼとぼと、散歩をする。

なぜ、サイなんだろう。
神話や伝説で、サイの登場する話があるのだろうか。
サイは英国で何かの象徴なんだろうか。
しなサイ、くだサイ、ごめんなサイ、日本ならそんな洒落にもならないダジャレのネタにしかなりそうにないのに。

サイの前足くらいの大きさだったダイアナは、やがてサイの肩に優しく手を置ける背丈になり、狭い舗道をサイを導きつつ、自身も杖をついて、歩く。
年下の夫に寄り添う姉さん女房。人生の黄昏を穏やかに過ごす夫婦みたいだ。
アーディゾーニの絵を見ながら、「君は僕より年上と♪」と、このサイも歌ったりして、なんて考えが頭をよぎり、にわかにサイの姿になったケンジさんが瞼の裏に現れた。