女教師2007/07/01 03:35:55



握ったこぶしの内側がじっとり湿ってくるのを感じる。
まさか、思ってもみなかった。
胸の奥が痙攣する。怒りか、恐れか。
しかし、女教師は自身を奮い立たせるようにつぶやいた。
「確かめなくては」
学校や生徒を巻き込むわけにはいかない。

待ち合わせは駅前のカフェ、スターボックス。テラス席のいちばん端、通り沿いの席に座っています、と電話で告げておいた。はたして、相手は時間どおりに現れた。

「あの……南中の小坂先生ですか? はじめまして、東小学校の駒田です」
 駒田のスーツは地味な色だったが、明るめのボールドにアールデコ調の模様がプリントされたネクタイが効いていた。
 女教師は自己紹介もそこそこに、「さっそくなんですが」と切り出した。
「わが校には東小からの生徒も多いんですが。今中学2年生の向井君と鹿部さん、駒田先生はご存じですよね」
「ええ、ええ、よく覚えていますよ。実は、あの学年は、私が赴任して国語を受け持った最初の子どもたちでしてね。つい、力が入りましたので、ひとりひとりをよく覚えていますよ」
 それから駒田は少し目を閉じ思い出す素振りを見せ、「向井君は」という言葉と同時にポンと手を打ち、続けた。
「物事を真正面から見ないんですよ。横や、後ろ、斜めの角度から見る。そうして見えた物事を、見たまま書くのではなく、真正面から見たように書くんです。非常に面白い感性の持ち主ですね。そうそう、運動会のことを作文に書かせた時、走るのが速い生徒がいましてね、向井君はその生徒のスニーカーの気持ちを、書いたんです。誰よりも強く踏みつけられることでぼくは君の力を倍増させているとか、そんな内容でしたね。素直に、その生徒の走りをほめた作文でしたよ」
「鹿部さんは内面を書くのが上手でしたね。母の日や父の日、兄の誕生日、など家族をテーマに書かせると絶品でした」
 駒田はキャラメルマキアートをひとくちすすって「それで?」といった。
 女教師は、気づかれないようにひと呼吸つき、
「わたくし、文芸部の顧問をしておりまして、向井君も鹿部さんも部員でしてね、上級生顔負けの素晴しい作品を書くものですから、東小学校で何か特別な指導でもされていたかと興味を持ちましたの」
 駒田は、ああ、と大きくうなずき、
「前任校の臼田坂学園では大部な卒業文集をつくっていたものですから、子どもは6年生になると徹底した文章指導を受けることになっていました。短文は毎日、週に1回800字程度、月に1回は原稿用紙5枚から10枚。そのうち年に3回くらい、著名な文筆家の添削指導を受けます。これが励みになりましてね、みるみる文章力が上がっていきますよ。中高等部になると小論文対策に入りますから。臼田坂は系列の大学を持たないし、入試を勝ち抜いてもらうためにはね、文章力だというのが、当時の小学校長の信念でしたね」
 一気に喋ったあと駒田は駅前広場の青空を見上げ、「しかしね」と続け、
「臼田坂に10年いて、同じようなことしかいわない、同じように優秀な子どもしか入学してこなくなった現状に、マンネリ感を抱いていたんですよ。いや、本当は子どもはひとりひとり違うはずなんですがね、おかしいですね、親御さんの顔まで同じに見えてきまして。これは一度、仕事の環境を変えなければと思いまして、公立に移ったのです」
「そこで出会ったのが、向井君や鹿部さんの、あの学年でした。子どもたちはそれぞれみなユニークで、楽しかったです。東小と臼田坂とではもちろん教育方針が違いますが、ぼくにはノウハウがありますから、それを応用して、いろいろ書かせましたよ」
 駒田はストローをくるくるさせながら、キャラメルマキアートをなおもすすり、「そうは言っても」と、今度は腕組みをして続けた。
「あの二人は天性の才能を持っていますよ。月並みですが、作文が上手な子、というレベルではありませんでした。ぼくが手塩にかけたとか、そんなこというつもりはないですよ。これから、しっかり伸ばしてやってくださいよ」

 女教師は、両手を温めていたホットコーヒーをごくごくと飲み、駒田を見据えて、臼田坂学園の先生方とは会っていないのか、ときいた。
 駒田は、あまりもう、交流はありませんねえ、と、遠い目をして答えた。

「だけど、忘れたとは言わせませんわ」
「は?」
「私を見て、何もお感じになりませんの?」
「はあ……いや、その」

 女教師は栗色の巻き毛のウイッグを、まるで雑草を引き抜くように、髪からむしり取り、赤縁の伊達めがねを外しどちらも足元に投げ捨てた。

「駒田先生。あなたが教えた生徒のことはご安心なさいませ。私が必ず世に出してみせますわ。ですから子どもたちにことは次々にお忘れくださってけっこうです。だけど私のことを忘れたとは言わせませんわよ駒田先生。それともヒロシと呼ぼうかしら」
「お、小坂先生……」

 女教師は、初めて教育実習を履修したのが臼田坂学園だった。駒田弘はそのときの指導教員だったが、案の定、実習生に手を出した。しかし教科主任着任を目前にしていた駒田はあっさりと女を捨てた。
 捨てられた実習生は中学校教員資格に切り替え、公立中学に赴任する。何度か配置替えののち、現在の南中へ着任した。
 ずっと臼田坂でふんぞり返っていると思っていたのに、同じ街の公立小学校に転職していたなんて。
「仕事が決まるまで、本当に大変だったんですからね。何が名門臼田坂よ。何が文章指導よ。よくもまあしゃあしゃあと公立に来てくれたわね。そんなヒロシに騙された、のは私だけじゃなかったって、誰も知らないとでも思ってるの」
 立ち上がってまくしたてる女教師に驚いて、スターボックスカフェのテラス客の視線は一様に駒田に注がれる。
「あの、周りを……小坂先生」
 困ったような素振りで、駒田がいう。
 女教師は周囲の視線に気づき、思わず赤面した。表情がゆるんでいく。情けない。
「君だったんだね。やっと柔和な表情になってくれたから、思い出したよ」
 駒田はいま一度深く椅子に座り直し、女教師をこんどはそらさず見つめた。唇の両端をゆるく上げながら、白い歯をちらりと輝かせてみせた。

同級生2007/07/01 18:45:34



中学校の体育館の裏。
狭い通路に、使わなくなった平均台や棒引き競技用の棒などが無造作に置かれている。
制服姿の女生徒、チヨが平均台のひとつに腰掛けている。
もうひとり、制服姿の女生徒、ユウコがそこへ現れる。

ユウコ  よ。
チヨ   遅いよ。
ユウコ  ちょっとね。なに、話って。

チヨはすぐに答えず、上着のポケットからシガレットケースを出し、1本取り出してくわえ、火をつける。大きく煙を吐き出したあと、ユウコのほうへ顔を向ける。

チヨ   最近さ……。
ユウコ  (チヨの言葉を遮るように)やめなよ、それ。
チヨ   ポケット灰皿、もってるよ、オヤジくさいけど。
ユウコ  そういう問題じゃないでしょ。
チヨ   ほっときなよ。
ユウコ  ……もう。で、なんなのよ。
チヨ   さっきいおうと思ったのにさ、自分が邪魔したんじゃん。
ユウコ  わかったよ、ごめん。で、なに。
チヨ   あんたさ、余計なこと、男に喋っただろ。
ユウコ  男?
チヨ   あんたの男だよ、南中の。
ユウコ  栗山君?
チヨ   いちいち確認すんじゃないよ。
ユウコ  何を喋ったって?
チヨ   心当たりあるだろが。
ユウコ  ないよ。
チヨ   あるくせに。
ユウコ  ないって。
チヨ   とぼけるとひどいよ。
ユウコ  何の話かわかんねーっての。
チヨ   痛い目に遭いたいのかよ。

ユウコ、つかつかとチヨに近づき、チヨの指から煙草を取り上げ、地面に捨てて踏みつける。

チヨ   なにすんだよ。
ユウコ  はっきりいいなさいよ。チヨが怒るようなこと、いわないよ。あたし、栗山君とこっちの友達の話なんてほとんどしないよ。バスケのことばっかだよ。
チヨ   嘘だよ。あいつ、知るはずがないこと知ってたんだよ。情報源はユウコしかないだろ。
ユウコ  知るはずないって……今日のパンツの色とか?
チヨ   バカか、てめーは。
ユウコ  栗山君に何かいわれたの?

チヨ、ユウコの顔を見つめ返したまま、しばらく沈黙。

チヨ   まあな。
ユウコ  彼、なにいったの? 場合によっちゃ、文句ゆってやるよ。(思いついたように)え、でも、どこで会ったのよ?
チヨ   駅前の、スタボ。

チヨ、もう一本、煙草を取り出して火をつける。

ユウコ  スタボに彼がいた?
チヨ   じゃなくて、あたしがテラスに座ってたらやつが通りかかって、連れを待たしてこっちへきたんだ。で、「すごい趣味をもってらっしゃるんですね、でも、ぼく、そういう趣味の人は、イマイチなんで、ごめんなさい」って、そうぬかしやがったよ。
ユウコ  趣味って……。

ユウコ、突然はじかれたように笑い出す。そしてようやく合点がいったというように、ひとりで何度もうなずく。

ユウコ  ああ、そうか、そういうことか。
チヨ   なにがそういうことなんだよ。
ユウコ  チヨ、あんた、どっかで栗山君をナンパしたんでしょ。
チヨ   悪いかよ。
ユウコ  いいんだよ、それは。それをさ、渚佐君が見てたんだってさ。
チヨ   渚佐? 渚佐って、堺東中学行った、あの渚佐? なんで。
ユウコ  それは知らないよ。でも、渚佐君、そのあと栗山君に声かけて、いったんだって。「あいつ、毛虫マニアですよ」って。
チヨ   マ、マニアだとーーー?

少し時間を経過したことを示すように、二人の女生徒は並んで地べたに座っている。

ユウコ  おこんないでよね、チヨ。あたしのせいじゃ、なかったでしょ。
チヨ   毛虫フォトの収集家といってもらいたい。
ユウコ  それを、世間じゃ毛虫マニアっていうのよ。
チヨ   実物は、持ってないもん。
ユウコ  うんうん、そこは、大きく誤解されるところだよね。
チヨ   渚佐のやつ、今度会ったら半殺しだ。
ユウコ  渚佐君とチヨっておもしろい。保育園からずっと一緒だったんだよね。並んで、おむつ取り替えてもらってたんだよね。
チヨ   なんかもう、全部ばれてる、渚佐には。見透かされてる感じ。中学別れてほっとしてたのに。
ユウコ  いい子だよ、優しくて。今度はちょっとおせっかいだったけどね。
チヨ   もう、いいけど。
ユウコ  おかしいのはさ、栗山君、大の毛虫嫌いなの。
チヨ   ええっ?
ユウコ  だからどのみち、チヨとは破局だったよ。
チヨ   毛虫が嫌いだって……?
ユウコ  そう。チヨの射程距離外だよ。だからあたしに、譲んな。

チヨ、まだ信じられないという表情でユウコを見る。ユウコ、チヨに向かってうなずく。二人は互いの顔を見つめながら、おかしさをだんだんこらえきれなくなる。やがて、ふたりの並んだ肩が震え、くっくっくという声が聞こえ始める。チヨは、2本の吸い殻をポケット灰皿にしまって、ユウコにウインクをする。

※脚本ふうにしてみました。

弁当屋2007/07/02 06:00:55

銀行やオフィスビルの並ぶビジネス街。整然と街路樹の並ぶ舗道には、11時過ぎになると、そこここに、競うようにパラソルが立つ。弁当を売るのだ。それぞれに個性的で、見比べて買うのはなかなか楽しい。
このあたりを営業で回るようになってまだひと月程度だ。初めてのアポ先で打ち合わせを終えて帰るとき、ビルに入る前には何もなかった舗道に弁当屋の花が咲いているのにびっくりした。受付のきれいなお姉さんが「お弁当買うなら黄色いパラソルのとこがお勧めですよ」といったので、俺はその足で黄色いパラソルの店へ行った。
「らっしゃい」
パラソルの下では、この世にこんな無愛想な顔があるだろうかと思うほどの仏頂面と、たった一個残っていた弁当が待っていた。
たった一個。まだ12時前なのに、売り切れ寸前か。俺はその一個を買って、10分ほど歩いたところにある公園のベンチで食べた。
うまい。
すっげえ、うまい。
そりゃ、売れるわけだよ。お姉さんが勧めてくれるわけだよ。
俺は嬉しくなって、うんうんと独り言をいいながら、ついでに「よく噛みなさいよ」というおふくろの口癖まで思い出しながら、味わって、食べた。
翌日も、同じ界隈で顧客訪問が一本あった。用件を終え、俺は黄色いパラソルを迷わず目指した。
「らっしゃい」
昨日と同じ仏頂面。
「ひとつ、ください」
「はい、500円ね」
俺は財布を開けて思わずしまったと声をあげた。金が入ってない。
「すみません、すぐ向こうの銀行で金出して来るんで」
「いいっすよ、またこんどで。はい、どうぞ」
仏頂面はその表情をぴくりとも変えずに袋に入れた弁当を差し出した。悪いなと俺は思いながら、このあたりの顧客訪問スケジュールを頭の隅っこにはじき出した。
「明日かあさって、たぶん来ますんで」
弁当屋には次々客が来ていて、仏頂面は俺の相手どころでは、もうなかった。

しかし、翌日、黄色いパラソルはいなかった。その次の日も、またその次も。どうしたんだろう。
500円借りがあるのに。いや、あの弁当を、食いたいのに。
黄色いパラソルの姿が消えて、ひと月半が過ぎた。仕事をしていても張り合いのない日々が続いていた。
ある日、得意先への納品と商品の設置を終えて、思いのほか疲れてビルから出た俺の目に、とうとうあの黄色が飛び込んできた。
「あ、あ、あ、あああった!」
俺は心ならずも大声を出していた。まるではぐれた母ちゃんを見つけた幼子みたいに、飛びつかんばかりにパラソルに駆け寄った。
「らっしゃい」
「お、お、おひさしぶりです!」
「足、骨折しちまいましてね」
「そうだったんすか。ひとつください」
俺を千円札を差し出し、お釣、要らないっすよ、といった。
「前に、払ってなかったんで」
仏頂面は、ほんの一瞬考えたが、ああ、と俺の顔をまじまじ見ながらうなずいた。千円札を受け取りながらその表情は、崩れるジェンガのように、ほころんだ。

どっと2007/07/03 18:03:14

疲れましたよ。

教育委員会のいちばんエライ方の取材をしろといわれたものの日程の折り合いがつかずけっきょくいちばんエライ方ではなくたぶん三、四番手だろうな、くらいの方にお話を聞くことになって、その方には大変失礼なことに、忙しいのはその方も同じなのに時間を割いてくださったのに、原稿は教育委員会でいちばんエライ方の談話という形で掲載されることになっていまして、でもその三、四番手さんは終始にこやかに、しかも大変実のあるお話をしてくださって、原稿屋冥利に尽きるというかなんというかけっこう嬉しい気持ちで原稿はまとめたんですけれども、ゲラチェックした教育委員会サイドから「これ使って」と差し替え用原稿が送信されてきて、見ると、それは、かつて教育委員会のいちばんエライ方のお名前で、「文藝春秋」でもない、「中央公論」でもない「論座」でもない「諸君」でもない、何だったか忘れたけどそのあたりの雑誌に掲載された市の公教育の自慢話の一部を切り貼りしたような内容だったもので、だったら取材しなくていいからこれ載せろって初めからいえよってなもんですけど、さらに驚いたのは、ほんとに切って貼ったみたいに、主語と述語がつながらなかったり文章途中で切れてたり話がいきなり変わったり、てな杜撰な文章だったので(文章塾行けっていいたいよ)、こりゃあいけませんよいくらなんでもって、クライアント通して言上つかまつったんですが、ああそうですねこことそこ直してねって来た指示が、そんなとこいじくってどうすんのさみたいな情けない指示内容だったもんで、ああこの町の公教育はもうだめだと、公立しか行かせてやれない親はどどどどどどっと、疲れたんですのよ。

この草の本名は2007/07/05 15:56:25

よくそこいらで見かける、螺旋状に花をつける小さな雑草。名前知ってる人、いる?


『チェルノブイリの森――事故後20年の自然誌――』
メアリー・マイシオ著
中尾ゆかり訳
NHK出版(2007年)


この本、今日が二度目の返却期限だと気がついて、慌てている。
図書館へ行っては大量に借りてきて、読了できないで返す本の多いこと、多いこと(あ、でもこの本は読んだよ!)。読書家ぶってみようと思ったけど、早くも挫折気味。何に対する挫折かって? このブログ。

「またチェルノブイリ?」
「うん」
「きょう山田さんがさ」
「うん」
「タケシに変なこといわれて」
「うん」
「やめてっていってもタケシが続けたから」
「うん」
「筆箱からカッター出して刃をタケシに向けたんだって」
「いーっ」
「ちょっと、こわいよな、山田さん」
「うん」
「ね、それでどうなったの、チェルノブイリ?」
「うーん……」

ごくたまに早く帰宅して少し時間があると本を読む。だがごくたまに早く帰宅した私を娘はほうっておかずに、報告攻めにする。学校では実にいろんなことが起こっているようだ。だから漏らさず、聞く。そのせいで、目で追った活字は頭に入らない。書物の内容にもよるんだけど、本書のような、カタカナで書かれたなじみのない物の名前と放射性物質の用語が、普通の、たとえば「朝起きて、パンを食べた」みたいな文章に織り込まれた内容だと、よけいに頭に入らない。
娘は、自分がけっして母の読書の邪魔をしているわけではないということを確認するかのように、必ず、自分の話のあいまに本の内容について聞く。でも、頭に入ってない母はナマ返事をしたりする。

小児性甲状腺癌患者の子どもたちが描いた絵を集めた、子ども向けの画集があって、それを見ながらチェルノブイリ原発の事故について話をしたことがあった。だから、人がいなくなったこの地域に野生動物の森が展開しているという、本書のおおざっぱな内容を話すと大変びっくりしていた。
「それで、そこにいる鳥や動物は大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないのもいるみたいだけど、だいたいは大丈夫みたいよ。ただ放射能汚染はされてるから、つかまえて食べたりしないほうがいいみたい」
「ふーん」

チェルノブイリとは、ウクライナ語のチョルノブイリをロシア語ふうに変えた言葉だという。原発が建てられ、事故が起きたのはソ連時代だったので、「ロシア語チェルノブイリ」の名が全世界に広まったが、そこが当時から独立したウクライナ共和国だったらチョルノブイリと呼ばれていたのだろう。
そして、なぜ、ウクライナのこの地域にチョルノブイリという名前がついているかというと、チョルノブイリと呼ばれるたくさんの草が自生している土地だからだ。
《ポレーシェ地区にあるチョルノブイリという十二世紀の町はこの植物にちなんで命名され、この町名がやがて、およそ一二キロ離れた二十世紀の原子力発電所の名前になった。》(28ページ)
チョルノブイリはニガヨモギに大変よく似ているが、違う植物だという。

学名アルテミシア・ウルガリス=チョルノブイリ
学名アルテミシア・アブシンチウム=ポリン(ウクライナ語)=ニガヨモギ

両方とも苦く強烈な匂いの薬草で、天然の防虫剤である。とりわけポリン(本物のニガヨモギ)のほうが苦みも毒性も強いという。動物はけっしてかじらない。葉に含まれる物質が土にしみこむと、もう他の植物はけっして生えない。
だから聖書ではニガヨモギが終末の象徴の名前に使われたといい、事故当時、世界の人々はチェルノブイリ原発の名とニガヨモギをセットにして終末を迎える前兆だと騒ぎたてたそうである。知らなかったけど。
確かにソ連は終末を迎えた、と著者は記している。

さらに、黙示録に出てくる「苦よもぎ」はまた別のヨモギ属の植物を指している可能性が高いというから、話はややこしい。聖書オタクや終末論オタクに任せよう。

くだらないことに行を割いたが、本書の価値はチョルノブイリとニガヨモギの違いを解説してくれたことにあるのではなく、事故後の土地がどのように変化してきたのかを、とりわけそこに棲む野生動物やうっそうと繁る植物の姿を通して語ろうとしていることだ。

放射性核種とは放射能を持つ原子核のことだが、その種類はまたたくさんあるそうで、本書ではとりわけセシウムとストロンチウムについて詳述されている。セシウムはカリウムに、ストロンチウムはカルシウムにそれぞれなりすまして植物の体内に難なく入り込むという。そのせいで植物が奇形化するかというとそんなことはあまりなく、果実や葉に高い放射線量が確認されるだけだ。このような放射性核種はどんどん移動してあちこちの植物に、土壌に存在しているという。

放射能で汚染された土地に現れた野生の森は、けっして、安物のSFで描かれるような奇怪な生物の跋扈する世界ではなく、確かに身体は高濃度の放射線量を示すけれどいたって元気な普通の在来種が繁栄しているのである。それどころか絶滅危惧種に指定されていた鳥類や哺乳動物が半端じゃない個体数で確認されている。
科学者は、絶滅から救おうとして保護していたある種の動物をこの森に放し、数を増やそうとしている。本書では、ウクライナのあるセンターで保護してきたモウコノウマ(蒙古野馬)というウマ科の希少種をこの森に放して観察している科学者の話も出てくる。

哺乳動物と同様に、魚の変異体や奇形も見つかっていない。野生で生まれたとしても生き長らえることができずに死ぬということらしい。
《湖は放射能で汚染されている。(……)水中でくらす植物や動物はぴんぴんして生きているし、人間の邪魔が入らないぶんだけ事故が発生していなかった場合よりも数が多いかもしれない。私はベラルーシで復活した――そして放射能にたっぷり汚染された――ピート湿地を思い出した。あそこは水鳥にとって美しい、魅力的な土地になっていた。》

ソ連の当局は1986年4月26日未明の事故発生を、翌27日スウェーデンに指摘されてもしらばっくれて、ようやく28日になって公表した。現地では、全住民が一時避難といわれて退去したが、けっきょく戻ることはなかった。原発従事者のベッドタウンだったプリピヤチの町はゴーストタウンと化し、この町で結婚しあるいは離婚した夫婦の記録や生まれた子どもたちの出生届などの書類は、廃墟となった役所に今も、誰も手をつけないまま放置されている。

思い上がった人間が地球につけた取り返しのつかない深い傷。
その自惚れた人間に、自然は底知れない力を見せつける。
それが地球の大自然がもつ、本物の自浄能力だといいのにな、と思った。
人間が、傷めつけて傷めつけて、ぼろぼろにしても、おのれの力で再生する。チェルノブイリの例が、地球のそんな自己主張だといいのにと、ものを知らない少女のような考え方をしてみた。
だってむずかしかったんだもんさ。

3匹残った2007/07/12 16:22:04

我が家に金魚の赤ちゃんが生まれたことを前に書いたが。
http://midi.asablo.jp/blog/2007/06/25/1602840

次々死んじゃったけど、3匹残って、今、タニシと同じ水槽で元気に泳いでいる。体調は7ミリくらい。まだ身体は透きとおっていて、メダカみたいだ。
金魚らしい色になるには2、3か月かかるという。

大きいほうの金魚に与えている餌を細かく砕いて稚魚のいる水槽にぱらぱら落とす。するともうちゃんと「おっ飯だ」といわんばかりの勢いで水面に近づいてきて、細かいといえど自分の目玉ほどもある餌の粒をつつく。

可愛い。我が家で生まれたものはこんなにも可愛いものなのかと我ながらほんとに呆れるが、可愛い。

金魚がどんなふうに産卵するかをここで解説する気はないんだけど、一度に5000個も卵を産むらしいから、3匹残ったこの子たちの生命力というか運の強さというか、こんなにちっちゃいのに、どっかの大学受験なんかよりずっと難関コースを生き残ったのだから、すでに人生のエネルギーの大半を使い果たしてしまったのではないかと心配にもなる。

この子たちは本当に奇跡の連続で生き残ったといっていい。
我が家では金魚の産卵には興味がなかったので、春先に水草を入れてやったりとか、観察をこまめにするとか、したことがない。
ただ、水が汚いなと思って水替えをした。

・大きなバケツに水を汲み置いて一昼夜おく。
・元の水槽とバケツの水の温度が同じくらいになったことを確かめて金魚を移す。
・水槽、エアポンプを洗う。
・きれいになった水槽に水をためて一昼夜おく。
・水槽に新しく入った水と金魚のいるバケツの水の温度が同じじくらいになったことを確かめて金魚を移す。

このあと、バケツの水は用無しになるのでざばーっと流して捨てるんだけど。
今回、半分ほど水を流した時点で異変を見つけた。
バケツの底や内側面に透明のつぶつぶがはりついている!
なんだろうと3秒くらい考えた。
ゴミ? フン?
もしかして……卵?

タマゴォーーーーー????

金魚は(6匹いるうちのどいつかは知らないが)、上記の

・元の水槽とバケツの水の温度が同じくらいになったことを確かめて金魚を移す。

から

・水槽に新しく入った水と金魚のいるバケツの水の温度が同じじくらいになったことを確かめて金魚を移す。

のあいだに産卵したのだ。
金魚は産卵後片っ端から自分で卵を食うというから、バケツの中にあるのは産んだ卵すべてではない。でもざっと見ただけでも相当ある。200個、300個?

「ひゃー、みな元気に生まれたらエエのになあ」
ばあちゃん、それは無理だよ。
「全部無事かえったらどうするつもりなんさ」
娘よ、お前はいつからそんなにクールになったんだ。

やがて半数くらいの卵が黒くなる。
黒くならずに白いままだと、その卵はすでに死んでいる。

黒くなった卵は、次々に稚魚に姿を変える。
しばらくは卵としてはりついていた位置に、くっついている。
尻尾だけゆらゆらさせて。

次々と、そんなふうにして稚魚が誕生していくのを見ながら、飼い主(私)はどうしていいのかわからない。水が汚くなってもダメだけど、環境を激変させてもダメ。酸素は入れてやらないといけないけど、泡の勢いが強すぎるとショック死するんじゃないか。食べるものが必要だけど、普通の餌を砕いてもこの子らには大きすぎるし、だいいち餌だと気づいてくれないし。
そうこうしているうち、稚魚はどんどん大きくなっていくのに、次々と天に召されていった。
小さいので、死んでしまって分解しちゃうのに日数がかからない。
生き残った3匹を確認できるまでにそう時間はかからなかった。
こうして、赤ちゃんのお引越し。

我が家にあるいちばん小さな水槽に、我が家生まれのタニシと我が家生まれの金魚が同居しています。

この夏の新作2007/07/14 18:03:11

こんどはなんなんだよ、とかいわないように。
スイカだっ(笑)

コンビニで100円で買った小玉スイカの種が芽を出して、あっという間に大きな葉を伸ばした。あれよあれよというまにチョビヒゲみたいな蔓を出し、並べて置いてある苺草(実のなる苺じゃなくて、苺の形に似た花が咲く草)の苗や椿の葉に絡みつこうとするので慌てて、棒を立てたり紐を張ったり。といってる間に次々と、小学生の頃ヘチマの観察で見た黄色い花のちっちゃいヴァージョンが咲いていく。これらのどっちかが雄花でどっちかが雌花なんだ。と、区別もつかないうちに次々とそれらの花はしぼんでいく。しぼんだ花のうち、花床がプクッとふくらんでいるのが見つかり、おおおっこれだこれが雌花だこの「プクッ」がスイカになるのだあああっと大感激していたらその「プクッ」はそれ以上プックリとはならずに2、3日後、くしゅりっと黒くしぼんでしまう。よよよと嘆き悲しむ間もなく次々とまた茎は伸び葉とチョビヒゲが出て、また幾つも花が咲き、どっちが雄花だどっちが雌花だといってるうちに花はしぼみ、「プクッ」は登場するも、おおおといってる間にまたくしゅり。「人工受粉させたらええねん」。一昨年学校でツルレイシを結実させた娘がえらそうにのたまう。どっちが雄花でどっちが雌花かわかるのか、君は。「忘れた」。だと思った。もういい。お母さんは自然の偉大な力を信じるよ。「プクッ」おおおっ。くしゅりっ……「プクッ」おおおっ。くしゅりっ……「プクッ」おおおっ。くしゅりっ……というのを何度繰り返しただろうか、ある朝、前日見た「プクッ」が気のせいか少し大きくなって見える。むむむ、もしや。過度な期待はしないでおこう。翌日、さらに大きくなった。むむむ、もしや。翌々日。直径が薬指の爪くらいになった。むむむむむ、これはもしかして夢にまで見た「プックリ」か!

大きくなりはじめると早いそうである。人間の子どもみたいだ。
写真の実は親指の第一関節分くらいある。スイカの模様がちゃんとついている。どこまで大きくなれば収穫期なのか、知らないんだけど。

この夏の新作、成長中2007/07/18 09:50:31

前と同じようなアングルで撮ったつもりなんだが……。
現在、短径3cm、長径4cm強。

この夏の新作、第2子2007/07/20 08:27:39

いろんなものが交錯しているように見えてわかりにくいが、手前のプクッとしたのが第2子。育ちそうな気配である。後方に見えるのが短径5cmくらいになった第1子。

この夏の新作、順調か?2007/07/23 11:00:18

いつまでスイカの話ばっか続けるんだよっ、とかいわないように。
収穫までです(うそ)。

なんと申しましょうか、いろいろなことどもの余韻があまりに大きくて、ついでにめっちゃ忙しくて、読書記録どころではないのである。

さて、短径5cm(この写真)からちょっと成長が止まっているような気がするが、これで順調なのか? もしや収穫期が来たのか? じぇんじぇんわからん。