絵本ができたよ!2007/10/01 12:14:20

ちゃんと本になっているのよ。この厚み。わかっていただける?


手作り絵本講座、2クール(3か月×2)を終了してやっと一冊の手作り本を仕上げることができた。
ムチャ嬉しい。
とにかく嬉しい。
何かひとつやり遂げるということの達成感。幾つになっても嬉しいものである。
この際、でき映えは不問である。(ちょっと失敗した。へへへ)

街のカルチャーセンターで不規則に開かれている手作り絵本講座に、だいたい月に2回のペースで通った。たった2回である。月に。各回2時間。それなのに、この時間を確保するのにどれほど苦労を要したことか。貴重な1回の講座日に、容赦なく仕事が入る。行事も入る。もちろんそういう事態は予期して先生からいろいろと先取りして指導を受けておくのだが、家で自習する時間を捻出できない。ついこの間まで、小さな絵本ひとつ作るのに、何年かかることやらと暗澹たる気持ちであった。

この講座は絵本の「お話づくり」と「絵づくり」に主眼を置いたものだ。そういうことの下調べもせず、「本が作れるぞ!」という勢いで登録したのだが、当初はそのことを少々後悔した。
本づくりをしたかったので、とっとと手製本のテクニックを教えてほしかったからである。
しかし、かつて「絵本作家を志望して美大を受けた高校生」であった過去をもつ私には、思いのほかウキウキと楽しい時間であった。
ほんとにそんなもの志していたことあったのか?と我が学歴を疑うほどアイデアが絵にならないし、ほんとにお前コピーライターかよ?と我が職歴を疑うほど、言葉が思いつかない。本の形になる前の、お話と絵の制作の過程に、非常に時間と手間をとられることとなってしまったけれども。

できあがった絵本は、ストーリーなどと呼ばれていいものはないに等しい単純なつくりである。絵の完成度も見直せば大変に低いもので、恥ずかしいのである。
しかし、古い絵の具をしぼりだし、ひと筆ひと筆鉛筆画の上に色を置いていく作業は本当に楽しいものであった。
いつもより少しだけ早起きして絵を描く時間を作ったが、途中でやめられず、娘が起きてきても朝食の用意がまだなのよ、なんて状況もたびたび。水を得た魚のように、作業に没頭してしまうのである。(くだらない原稿を書いているときにはありえない現象である。苦笑)

「お母さんのそんな真剣な顔、見たことない」

絵コンテを吟味する私を見て娘がいった言葉だ。
娘に説教するときも、宿題を教えているときも、いろいろ真面目に取り組まないといけないことを一緒に考えているときも、私の表情は、自分で絵を描いているときほどには真剣でなかったのである。
子育てへの姿勢を問われたようで非常にズキッときたのである。

けれども、できあがった絵本を手にとって、娘は大喜びしてくれた。
題材が我が家の猫であるし、原画に採用したのは娘のいたずら描きだった、ということもあるが、誇らしげにページをめくってくれた。非常に嬉しい。

というわけで、「絵を描く自分」を再発見した。仕事の現場では書きたくないものばかりを書かされているが、ここ数か月の、この絵を描く作業がなかったら、瞼の痙攣どころか、とっくに私は潰れていたかもしれない。
絵を描くのは、それほど楽しい。
わかっている。絵を描くことを職業にすることの難しさ、厳しさを私は知らない。
↓ だからこんなお気楽なことをいってしまうが……。

文章書くのなんかやめちゃって画家に転身しちゃおかなー♪

本音である。