une bonne, heureuse et merveilleuse annee!2008/01/07 10:15:09

あけましておめでとうございます。
本年のご多幸をお祈りいたします。

もう正月も七日となりました。我が家では今朝、七草粥をいただき七草を祝いましたが、みなさまのおたくではどのように過ごされましたでしょうか。

あ、もちろん、七草粥は私の母が作りましたでございます。
ついでに申しますと、十五日にいただく予定の「小豆粥」も母が作りますです。
私の娘などは私に「おばあちゃんが元気なうちにちゃんと教わっといてよね」とことあるごと、つまり味噌汁や糟汁、佃煮の類を食するたびに、そして暮れのおせちの準備のたびに、申します。子どもは正直でございます。

しかし、ここ数年というもの、いや多分ずっと前から、我が家での私の役回りは「力仕事」なのでございます。
若い頃は、暮れは毎晩飲み歩いておりました。それを許してもらうために建具や網戸の掃除をはじめ正月準備のもろもろの買い物もすべて担いました。弟もいたのになぜ私は母を手伝わずにいたかというと、私の父は、暮れ早々に仕事じまいをすると昼間から飲み歩いて家にいないのが慣わしで、いてもほぼ泥酔状態で掃除や正月準備の担い手としては使いものにならなかったからでございます。
母は「台所はいいから煤払いしてちょうだい」と私たち姉弟を台所に寄せつけませんでした。

弟は結婚して九州に赴任し(現在は地元へ帰っています)、以来、煤払いはいよいよ私の独壇場となりました。酒量が減った父は、飲み歩いたりしなくなりましたが、力も衰えて、わずかな雑用しかできなくなっておりました。

さて歳は過ぎ。
今の勤務先が暮れぎりぎりまで営業するので、プレ煤払いと称してもう11月から少しずつこまごまと掃除をするようになりました。
しかし、2007年はそれすら叶わないほど、忙殺されました。
自身の仕事もありますが、それに加えて休日ごとに子どもの行事につきあわされたためです。
「つきあわされた」と書くと嫌々やらされたように聞こえますが、もちろんそうではなく、嬉々として子どもにつきあっているわけです。
母娘してさんざん楽しんだり喜んだり感動したりしたあとに、母はひとり「あ、しまった、今日も○○の掃除ができなかった」と悔やむのでありました。

なのでこの暮れは、渾身の大掃除をして、腰や背中が痛いのなんのって。
大晦日に終わるはずもなかったのでやり残した箇所を年越ししてしまい、もう二日から掃除の続きでしたわよっ(弟一家も泊まりに来るしさっ)

今年初ブログで私は何を書いているのでしょうか。
あ、そうそう七草粥でした。

実は、元旦から五日間はPCに向かわない、と決めていたのですがそれは、五日間もPCに向かわないという一年間で非常に例外的なこの機会にどの程度疲れ眼と肩凝りが回復するかを確かめたかったからなのです。
腰も背中も二の腕も痛いけど、肩凝りは軽減したような気がします。そういえば今年は編み物もしていないからですね、きっと。
そして瞼の「ピクピク」もなく眼の充血もなく、ひとみすこやか~を実感したのでした。

2008年は子歳(ねどし)。私の母と、娘はまわり年。
彼女たちの健康はもちろん、私の疲れ眼と肩凝りが平年並みを超えないようにと祈願しつつ、七草節句を祝いました。

おてて、つないで♪2008/01/08 20:47:07

『下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち』
内田樹著
講談社(2007年)


1月5日、娘と二人で「初図書館」した。
自転車置き場で3歳くらいの男の子が顔中涙鼻水だらけにしてわあわあ泣いていた。舗道まで出ては引き返し、自転車置き場の自転車の間をあてなく歩き、図書館入り口前でぐるりと歩いてはまた舗道に向かう。
迷子だ。お母さん、といって泣いているのだろうけれど、もはや言葉になっていない。むやみに舗道へ出ると危ないので私は駆け寄ろうとしたが、ふと足を止め、様子窺いをすることにした。
図書館からはけっこうな数の人々が頻繁に出入りしている。私が男児に声をかけようとした直前、男児の脇を中年男が「オレ関係ねえ」とばかりに知らん顔ですり抜けていった。隣接する別館から出てきた年配の婦人ふたり連れは「迷子やわあ」と眺めて通り過ぎていった。小学生たちは男児を気にして視線を投げつつ、なす術なく通過。いったいどれだけの人々が迷子の幼児を放置するだろうか、と観察する気になったのである。しかし、観察はものの数秒で終わった。迷子の男児が再び図書館入り口に向かいかけたとき、彼と同じくらいの年頃の女児の手を引いた女性が、彼に声をかけた。男児は大きな口をあけてわあわあ泣いたまま、女性の問いかけに頷いたり、かぶりを振ったりしている。女性はこっちにおいでという仕草をして、図書館内に彼を連れていった。
よかった。男児が保護されたこともだが、どこから見ても迷子にしか見えない小さな子をほうっておく人たちばかりじゃなくて、と心底思った。私はほとんど男児に駆け寄りかけていたので、どのみちそんなに「実のある」観察はできなかったと思うけれど。

件の女性が声をかけたとき、娘が「あ、あれがお母さんじゃない?」と言ったが、私は「違うよ」と訂正した。わけは、女性がまったく男児に触れようとしなかったからだ。声をかけるときも、しゃがんで男児の目線に合わせることはせず、上から見下ろすばかりで、手招きし、図書館内へ一緒に入るよう促すときも、1メートルほど先に立って歩いて、手を自分の後ろでひらひらさせただけだった。
母親なら、我が子を見つけたら(喜んで見せる親も叱りつける親もそれぞれあるだろうが)駆け寄ってまず子どもの顔の高さに自分の顔をもっていくだろうと、私は思ったのだ。思ってから、最近の母親はそうはしないかもしれないな、と「あれがお母さん」といった娘の見解に妙に得心するところがあった。

道端だろうと電車内だろうと百貨店だろうと、ひどい罵り方で子どもを叱りつける母親を星の数ほど見た。彼女らは、子どもが行儀悪いからとか、言いつけや約束を守らないからとか、そういう理由で叱っているのではなく、ただその振る舞いが、自分にとって気に入らないものだからアタマに来て罵っているのだ。私にはそんなふうに感じられるケースばかりだった。
夏に訪れた観光地でのことだ。ひとりでは靴をうまく履けないくらいの幼児が、どうにかこうにか靴を足に引っ掛けて、先にさっさと歩く母親に追従しようとするのを、母親は振り向きざまに「なんでそんな履き方しかでけへんねん!」と怒鳴りつけ、次いで「ほんまにそういうのが嫌いなんじゃ!」と言い放って舌打ちし再び背を向け歩き出した。そんな言葉を浴びせられた子どもは、だから泣きながら履き直すかといえばそうはせず、無表情で、足指の先に靴を引っ掛けたままで、母親の後をついていくのだ。
叱る、罵るケースだけではない。
自転車の往来や大きなカートを転がす旅行者も多いある大通りの舗道で、いかにも歩き始めたばかりといった可愛らしい足取りの幼児がよちよちと歩いていたが、驚いたことに母親らしき女はその2メートルもの先に背を向けて歩いているのだ。時折振り向いて、「ママここだよー早く歩こうねー」なんていう。いったのち、また背を向けて歩き出す。
別の日には、信号を待っていた家族連れらしき集団から、ひとり3、4歳くらいの男児がいきなり後ろへ(車道とは反対方向に)飛び出して、舗道をゆるゆると自転車ころがしていた私は慌てて急ブレーキをかけた。もう少しスピードを出していたらぶつかるところだった。一緒にいた親が驚いて振り向き子どもを抱き上げ「危ねえな!」と私を睨みつける、とかなら、まだいいのである。その子の父親(たぶん親だと思うのだが)は、私の自転車の急ブレーキの音には反応しなかった。ぼけえーっと私を見上げるその子に私がかけた「だいじょうぶ?」の声に「ん?」てな感じで振り向いて、「自転車、来るよ」とその子にいっただけだった。
公園で子どもを遊ばせておいて、ファミレスで子どもがそこらじゅうこぼしまくって食べてる横で、スーパーの売り場で子どもが勝手に商品をいじくっているのに目もくれず、自分はケータイの画面から眼を離さない。そんな親は毎日何人も見る。

表出の仕方はさまざまだが、みな同類だ。

なんでみんな、子どもの手をつながないんだよ?
なんで、子どもから眼を離すんだよ?

手をつないで導いてもらえない子ども。同じ目線で語りかけてもらえない子ども。ケータイを見る「ついで」にしか視線を投げてもらえない子ども。
こんなにも幼い頃から「自立」という名の「孤立」を強いられている子ども。「自己責任」のうえで、「自己決定」し、その結果について「自己評価」させられている子ども。

子どもにそんなことを強いるわけは、親がよかれと思っているからに他ならない。もう年功序列は崩壊、優良企業も倒産のおそれと背中合わせ。我が子が生きていく社会は誰も助けてくれない能力主義社会なのだから。そして、その親たちも、そのように育てられたのだから、「だから私たちはこうして自立し、自己責任において自己決定してこの社会を生き抜いている」と、自己評価しているのだ。

「その親たち」と私が呼んだ世代は、昨今「モンスター親」「クレイマー」などと揶揄される40代を中心とした親たちとは異なる。すぐにかっとなったり、あるいは冷静にしろ、問題をトコトンまで追及して責任を問う、などといった行動にはおよそ興味がない。彼らは自分にしか関心がない。関心の的は、「こんなによく働く夫をゲットした自分」「こんなに美しくお洒落な妻を手にした自分」「こんなにブランドものの服がサマになる可愛い子どもを産んだ私」であり、けっして「働く夫」「美しい妻」「可愛い子ども」そのものではないのである。また、それら《「働く夫」「美しい妻」「可愛い子ども」から見た自分》でもない。あくまで自分に見える自分。

個性の尊重と自立心の確立、そのような、よさげに聴こえる言葉を乱発して、文科省を筆頭にこの国の社会やメディアは人々を翻弄してきたが、その成果がこんな形でしっかりと現れている。もはや誰もが、本当の友達ももてず、頼れる隣人や仲間をもてず、相談できる同僚や先輩や師ももてず、よるべなき「個」として生きるしか道がなくなり、まさにそれを苦にせず生きているのである。

本書『下流志向』は、著者が2005年に行った講演がもとになっている。その講演に先立ってよりどころとされたのは、「学びから逃走する」子どもたちについての佐藤学の議論や、勉強しなくなった子どもや根拠もなく自信たっぷりでいる子どもにかんする苅谷剛彦や諏訪哲二の調査研究、希望の格差を論じた山田昌弘の著作などである。
2007年1月、本書が刊行されたが、私はタイトルと装訂デザインになんとも暗雲立ち込めたゲンナリしたものを感じたので、購入する気になれず図書館へ出向いた。そのときすでに数十人もの予約が入っていたのでいったん諦めた。数か月後再び予約しようと思ったとき、市内の十を超える公立図書館は合わせて30冊以上の『下流志向』を蔵書していた。そのとき、予約人数は200人を超えていたが、案外早く回ってくるかもという予想を裏切ることなく、ほどなくしてある秋の日、本書を読むことができた。

ただし、この話題自体はもう語りつくされた感がある。
私は、たまたま、佐藤氏をはじめとする彼らの議論にも馴染んでいたので、本書で語られる内容そのものには新鮮味を感じなかった。「学ばない子どもたち」「働かない若者たち」はもうすでに社会の多数派を形成し、この国の未来を脅かしている。脅かす、というのは失言か。彼らは彼らそれぞれ、個々にとって「快適な」場所さえあればよく、ひとりで生きていけるような社会でありさえすればオッケーなのだ。周りは、すでにそんな人々ばかりである。

私たちは、いったいどうすればいいのか。本書はその問いには直接答えてはいない。これこれをこうしたら、というような応急処置では快方に向かえないからである。
子どもたちが積極的に学びへ向かえるように、まず、仕向けるのは親の義務である。子どもがもっているのは「教育を受ける権利」であり「義務」ではない。「義務」を負うのは親のほうである。親は子どもに学ぶ喜びを味わわせなくてはならない。学ぶことが快感だ、次々と学ばずにいられない、子どもがそう在るように育てるのが親の義務だと、ウチダは言っている。まずはそこから、やり直すしかないのである。

さて、この本のブームはどうやら去ったらしい。寒くなってから以降、『下流志向』はわざわざ予約手続きを取らなくても、いつ図書館に行ってもたいてい書架にあった。私は、借り出し冊数に余裕のあるときは、既読のものでも必ずウチダの本を借りることにしているので、『下流志向』は繰り返し私の手許に来てくれ、愛するウチダの肉声がそこで響いているかのような臨場感を私に味わわせてくれている。
本書の面白いところは、講演会場のフロアからの質疑応答も収録していることだ。質問者の中には、どうしてもウチダの議論に納得できない人も見える。そうした質問者に透けて見えるココロは「そんなのそれぞれの勝手じゃないか」である。講演会場に来ていたのは社会的地位のある企業人たちだと思われるのだが、彼らですら、すでに、「自己決定/自己評価組」なのである。

我が家といえば、最近は私が身をかがめなくても、娘と目線が同じである(泣)。さてこれから彼女にどう対処していけばいいのだろう。彼女がしっかりひとりで歩いていってくれるのはもちろんだが、必要なときに手を差し伸べてくれる友人に恵まれ、彼女の意見や主張に耳を傾け、糺してくれる人々と手を携えて生きていってくれるようにするには。
愚かな親はただただ悩み迷い続けるのである。

学校へ、行こう!2008/01/22 18:10:44

センター試験のあった日に、公私立中学の大半が入試を行った。翌日は市立小6年生を対象にした持久走記録会の日だった。娘の小学校の、記録会で走る女子児童のうち半数は受験組で、全然走り込みをしていない彼女たちの記録はさんざんだった。といっても受験組じゃない児童の記録が冴えていたかというとそうでもない。娘もぜーんぜんダメだった。冷え込みがきつくなって朝練はウオームアップぐらいで時間なくなっちゃうし、放課後は卒業記念工作とか文集とか研究とかで居残りが多くて走る時間がないのである。
秋はあんなにいいタイムが出ていたのに、と肩を落とす娘にコーチは「陸上、とくに走る競技は毎日続けないとダメなんだ。走らなければその分、如実にタイムに表れるんだよ」と、だから走れ、走り続けろ、と、まるで仮面ライダーに出てくる台詞みたいに(あれは「戦え!」だったけど)いうのである。
さて、娘が今後どうするのか、とても楽しみな私。
4月から中学生、部活やお稽古を、自分で絞っていかなくてはならない。
悩め悩め~。

と、本エントリの主旨はこれではない。
娘のクラスにも隣のクラスにも、国公立大(または高校)附属中や私立中学を受験する子は少なからずいた。早いうちから受験をクラスメートに公言する子もまったく触れない子もいたが、12月頃からまったく登校しなくなった児童が目立ち始めて、我が家ではそのことがたびたび話題になった。
「F中を受ける子、何人もいるけど」
「F中ならみんな合格できるよ」
「でも、リカは全然来てない、学校。ユウカは毎日来てるけど」
「リカは学校来ないで受験勉強?」
「たぶん。塾か、家庭教師」
「ユウカって、志望校アールスター中(超難関)じゃなかった?」
「やめたーって。塾も行ってないって」

よそさまの噂をするのはあまり上品ではないけど、こんなふうに学校に来ないで受験勉強に専念(?)している子がいると、親としては、当事者の親の気持ちもわかるけど、やはりあまりその行動を肯定したくはない。
暮れから新年にかけて、学校では何かと歳時とからめたイベントもしてくれたし、なにより卒業に向けての一連の活動は子どもの気持ちをそれなりに高めてくれる。そういうときに共有できないことがあるなんて、ちょっと残念だ。

上のリカちゃんは不合格で、ショックのせいなのかまた学校に来ていない。
ユウカちゃんは合格した。ユウカちゃんという子はそもそも最初から非常に高いところに目標を置いていたのだが、バレエのお稽古のほうが重要になって塾通いをやめたのだが、それでも合格した。
だいたい、どこも私立は定員割れしている。F中なんて、附属小学校まで作って子ども確保に必死なのである。それでも出る不合格者って……。
リカちゃん家の失意を思うと胸が痛むけれど、だからこそ、学校に来ていてほしかったと思うのだ。

入試直前のある日、歯抜けのクラスを眺めた理科の教師が、欠席の理由を聞いて思わずつぶやいたそうである。
「受験勉強で休むなんて、学校をなめとんのかっ」
そんなことをつぶやける教師がまだいたんだ、と私は感無量になった。
彼の発言にクラスの児童は爆笑したそうだ。

さ、風邪やインフルエンザに気をつけて、卒業まで休まず学校へ、行こうな!

(以上、とりあえず、「わたし、生きてます」という報告代わりに更新しました)

言葉が見つからない2008/01/28 18:10:22

敬愛する友人の夫が亡くなった。

彼女にとってこの世で最愛の人であり、最も尊敬する人であった。また、夫にとっても妻は最愛にして最良の伴侶であった。つまり彼らは誰もがうらやむおしどり夫婦で、ひとり娘が成人し彼らのもとを巣立ってもなお、互いを高め合うよきパートナーであり続けた。

彼女とは仕事を通じて知り合った。シャープな仕事ぶりに、魅了された。何年かのちのある時期、同じオフィスで働いた。ある日。その日は彼女も私も出社日だったのだが、彼女は来ず、ボス宛てに辞意メールが送られてきた。そしてそれをBCCで読んだ私は驚いた。
何気なしに受けた健康診断で、夫の肺に癌が見つかり、余命半年と診断されたという内容だった。
翌日、何かの間違いじゃないのかと思いながら電話をした私に、彼女は悲痛な声で「間違いないの、もう確実なの」といった。

彼ら夫婦は私より一回りほど歳が上だ。華やかな顔立ちの彼女がいると座は花が咲いたように明るくなり、ダンディでオヤジくささのまったくない彼がいるとくだけた集まりも知的な雰囲気を帯びる。互いが互いを敬い誇りに思い愛しむ、そんなの夫婦の当たり前の姿だといわれればそれまでだが、そのうえに夫も妻もそれぞれが抜群にかっこいいなんて、そんな素敵な夫婦、現実にはそんなに、ない。

あの頃、彼女の絶望を思うと胸が張り裂けそうになり、また、私にとってもよきアドバイザーであった彼女の夫を襲った病魔が憎くてしかたがなかった。よりによってこの人たちにそんな不幸が訪れるなんて。私は、もとより信じていない神を、心の底から呪わずにいられなかった。

だがそれから数年。彼は苦しい治療に耐えて生き延びた。

お元気ですか、などと便りをするのは憚られるものの、彼の病状も彼女の看病疲れも気になった。便りをせずにはいられず、かといってどのような言葉を選んでよいかわからず、こうした事態に経験のない私は本当に困った。彼女は私の心を見透かしたように、日々の生活のありのままを告げるメールを、ときたま、くれた。
闘病生活に入ってから一度だけ、彼女と外で食事をした。いつだっただろうか。すがすがしい天気の日。彼女の着た若草色のトップスが眩しかった。その顔は晴れ晴れとしていて、とにかく全力を尽くすだけなのよ、という迷いのなさが見て取れた。夫と一秒でも長く一緒にいたい。その思いが他の一切を吹っ切れさせ、邪念なく一事に専念させていた。

昨春、彼女の家を訪れた。まったく私的な用事で訪問したのだが、たまたま在宅療養中だった夫、帰省していた娘もいて、家族の揃った穏やかな空間の中にほんのしばし身を置かせてもらい、幸せをわけてもらうとはこのことだなとしみじみ感じたものだった。事情を知らない者には、癌の闘病患者がいる家庭と思えないであろう。ずっと以前にホームパーティーに招ばれたときと同じ明るさと和みが家の中にはあったのだから。
彼は、少々むくみが顔に見えたが、元気な頃と変わらずユーモアを交えて話をしてくれた。ただ、彼女に言わせると「ああ見えて、ずいぶん苦しいのよ」。その苦しみ。もう、どんなにか長く、その苦しみの中を彼は生きてきたのか。それでもこの家族は、彼の生を望んでいる。もちろん、彼もだ。一緒にいられる幸せを思えば治療の痛苦も耐えられるのさ。彼の瞳の奥からそんな声を聴いた気がした。
もしかしたらこのあとも何年も何年も、苦痛とつきあいながら、こんなふうに過ごせるのかもしれない。そう思って私は彼女の家をあとにしたのだった。

訃報は、共通の友人を介して届いた。
詳しいことはわからない。
病気が判明してからも、夫の近況に軽く触れた年賀状は必ず来ていたが、今年は来なかった。だけど、そりゃ闘病中、看病中だもの大変さ、と気にもしなかった。暖かくなったらまた訪ねよう。そう思っていた。

彼女にかける言葉が見つからない。
訃報を聞いてからもう一週間以上経つ。手紙を書こうとしたけれど、何をどのように、言葉にしろというのだ。筆が続かずに破り捨てるばかりである。
知り合ったばかりの頃。何を語るにもさばさばした彼女が、夫を語るときはまるで恋する乙女のような甘い表情になる、それがとてもチャーミングで好感のもてたことを思い出す。

力になろうとか、支えてあげたいとか、そんな大それたことは考えていない。
どう振る舞えばいいのか。
彼女を前にして、私は。

賞味期限のごまかしを云々する前に2008/01/30 20:19:06

『普通の家族がいちばん怖い 徹底調査!破滅する日本の食卓』
アサツーディ・ケイ200Xファミリーデザイン室
岩村暢子著
新潮社(2007年)


ずいぶん前に図書館に予約リクエストを入れておいた本だけど、暮れになってようやく私の手許に来てくれた。

面白すぎる。
もう抱腹絶倒。

なぜそんなに面白いかといえば、本書はまさに「よそさまを覗き見している」気分を大いに味わえるからである。不謹慎だけれど、本来人間は覗き見が好きであるからして、よそさまの家のご様子がよくわかる本書は非常に愉快なのである。

といっても、本書はそのように不謹慎で不真面目で不遜な書物ではけっしてない。

よそさまを覗き見する気分で本書を読み進みながら、私たちは我に返る。
「え、これ、どっかで聞いた話よねえ」
「う、これ、なんだかウチとそっくりじゃん」
「げ、これ、あたしのいつもの台詞じゃん」
「ぐ、これ、もしかして……」
もしかすると、ではなく、間違いなく本書が語っているのは「私たちのこと」なのである。現代の子育て世代の食卓がいかに貧相なものであるか。各家庭の経済事情でやむなく貧相な食生活に陥っているのではなく、いかに積極的に「貧しい食」へ突き進んでいることか。自分たちの食卓がこんなにも貧しいことに、いかに無頓着でいることか。

岩村さんの前著にはすでに触れたけど。
http://midi.asablo.jp/blog/2007/12/26/2530974

前著は、私たちの母親世代のことが主に述べられていた。読み方はひとぞれぞれだけど、私の場合、「なんでウチの母ちゃんてばいつもああなんだろう」と何かにつけて感じていたことの幾つかは、謎が解けたように思えた。それは、だからといって母と娘の相互理解が進むとか、文化風俗慣習の継承を促すとか、そんなことにはけっしていきなりつながらない。母は母のまま、私は私のままだ。だけど、私の場合(なんどもいうけど)、ちょっぴり母に優しくなれそうに思った分だけ、岩村さんの本を読んだ甲斐は確かにあったのである。

で、今回の『普通の家族……』だが。
前著でおせち料理の家庭内継承について多少述べていた岩村さんは、本書では「クリスマス」と「お正月」に的を絞って現役子育て世帯を対象に実施した調査結果をレポートしている。この二大イベントは、日本の普通の家庭ではいったいどのように過ごされているか……たぶん、私と同じような世代の人たちにはだいたい想像がつくであろう。それはもちろん「クリスマス重視、お正月軽視」である。

クリスマスには、夫は戸外の電飾に励み、妻の手作りリースを玄関ドアや室内のあちこちに飾り、これまた妻の趣味であるトールペイントでこしらえたサンタやトナカイを所狭しと並べ、子どもの人数分だけ(!)ツリーを置き、子どもの人数分だけ(!)クリスマスケーキを用意し、チキン(ファストフードだったり、デパ地下だったり)料理を買ってきて、ワインとシャンメリー(子ども用)で「ムードたっぷり」に盛り上がって楽しむ。

なぜ「子どもの人数分」必要かというと、「きょうだいは平等であるべきだから」だそうだ。
ケーキは市販のスポンジを人数分買って、きょうだいそれぞれがトッピングする。
「ツリーもケーキも、子どもの作品ですから」
……その気持はわからなくもない(泣笑)。
ウチは一人っ子だ。何人もお子さんのいるご家庭、どうですかっ。きのめさん、おさかさん。

いっぽう、お正月。元旦の食卓にはカップ麺とペットボトル飲料。「お正月にはおせちというものを食べるのだということを子どもにはきちんと伝えたいから」という家庭では、小さな「おせちパック」みたいなものを買っておいて、テーブルの真ん中に「飾って眺める」。本物のおせちは夫か妻どちらかの「実家で食べる」。
でも訪問した実家では、彼らはまったく動かない。姑と義姉が忙しそうに立ち働いているのを見ると「お客様の私も手伝わないと悪いかなあ」と思うそうだ。思うけど、これ運んで、それ盛りつけて、なんて「用事をいいつけられると、何で私が、と思う」そうだ。
注連縄や鏡餅の役割を知っているかという質問には「魔除けでしょ」といい、どんな正月飾りをどこに置いているかを聞くと「ウチではそういう季節のお供えの場所は決まってる」とか「みんなの目につきやすいテレビの上」とか「いっさい飾らない」。

ことほど左様に、お正月は虐待されている。そしてクリスマスは歪んだ優遇のされ方をしている。
日本古来の伝統を何が何でも維持しなくては、などというつもりはない。
岩村さんも、そんなことは言ってない。
でも、このように、「格差」が見える二大イベントの食卓は、どちらもやはり貧相なのである。どちらも「外注」なのである。
食が貧しいと、心身の発達に影響するのだぞ。
自戒も込めて、いう。食卓を見直そうよ。
私はスローフードとかロハスとか、なんとかビオとかには興味はない。
でも、やっぱもうちょっと、立ち止まって考えて、食卓を用意したい。そう思ったのだった。

内田さんのサイトで今日、本書関連のイベントが紹介されていた。
東京方面の方、ぜひどうぞ。
http://www.shinchosha.co.jp/event/index.html#200802

賞味期限のごまかしを云々する前に(続)2008/01/31 20:38:14

前エントリの続き。

本書を読んで、「うわーこれアタシだっ」とグサグサ来たのも事実だが、やはり「うっそー」と驚いたことも少なからずある。その中の最たるものは「家族の行動がバラバラ」だということだ。家族構成員が全員大人で、それぞれが自立して各自責任をもって行動しているということでは、もちろんない。まだ幼少の子どもがいる家庭ですら、そうなのである。

前回、クリスマスツリーやケーキをきょうだいの人数分用意する家庭があることに触れたが、喧嘩にならないように用意することは、たしかに悪いことではない。だが著者が重要視しているのは、「ほかの誰かと協力して何かを作り上げる」機会を親が積極的に奪っているという事実である。

ウチの娘がまだ小学校低学年だった頃、地域のイベントとしてクリスマス会やひな祭り会があり、ケーキのトッピングは子どものたちの喜ぶメインイベントとして用意されていた。しかし、六~十人で一つの班を作って、協力して飾りつけ、出来映えを競うというものだった。大騒ぎである。喧嘩もする。クリームだらけになってワイワイ騒ぎながら、それでも自然とリーダーシップをとる子が現れ、子どもたちそれぞれの作業の得手不得手が明らかにもなる。アイデアを出し合ってきれいで美味しそうに飾ろうとする。私の覚えている限り、もんのすごおいケーキばかりだったけれど、食べたら同じさといわんばかりに、子どもたちは上機嫌でそうしたイベントを終えるのである。

だが本書によれば、親しい家庭どうしが集まって開くパーティーなどでは必ず一人に一個、トッピング用のケーキを割り当てるという。これは現在の主流なのだろうか?

そして語られている家庭の多くが、朝食も夕食もバラバラに摂っている。もちろん事情はあろう。平日はお父さんが早く、きょうだいそれぞれ学校が異なると出発時間が違うので、朝食はバラバラになる。しかし、まだ5歳や6歳の子どもたちでさえ、休日は寝ている親より早く勝手に起きて、それぞれ冷蔵庫から惣菜パックなどを出して食べたりしている、という状態を、家族のそれぞれがこうして自主性をもって一人で行動することはいいことだというふうに肯定的にとらえる傾向が強いのには閉口する。こういう家庭では、正月、クリスマスに限らず家族の誕生日など「みんなで食べる」機会にも「それぞれが好きなものを飲んで食べている」。個性や個人の趣味嗜好を重視するのはけっこうだが、何か違っているように思えてならない。
そのように幼少から「勝手に」「自由に」「一人で」振る舞うのを当然として育った子どもが大人になったとき、協調性が欠けるとか、堪え性がないとか、人の意見を聞かないとか非難されたりしても、その子のせいではない。そうしたことが原因で大きな不祥事にでもなったとき、その責任を、親は取れるか?

本書には、家族はバラバラだけど、携帯でちゃんとつながってますからといった主婦(小学生の親だったと思う)も登場する。このひと言はショッキングであった。そうか、それほどまでに携帯は重要なんだ。命綱なんだ、イマドキの家族の。
便利なツールであることは、私だって否定しない。
高校生になったら持たせてね、という我が娘や、ダメダメ選挙権と同時だよ、なんていう私自身などはすでに過去の遺物として珍重されるに違いない。

もう一つ、なるほどと思ったことは、インタビューに答える主婦たちの言葉の乱れである。それはもう、凄まじい。笑える。
若者や子どもの言葉の乱れ、国語力の低下がいわれてもう幾久しいが、私たちはたしかに、「元・言葉の乱れた若者たち」だったし。カタカナ語を連発する官僚たちはほぼ同世代だし。こんな私たちに育てられた世代がきれいな日本語を使えるはずがない。
言葉遣い(だけではないが)が、子どもじみているのである。

言葉は生きものだ。正しい日本語はこれだ、なんて範はない。そんなに肩に力入れなくても、乱れたら必ず軌道修正の動きが起こって、必ず中庸が存在するようになるものだ。そう思っていたけれど、本書を読んでいささか暗い気持ちにさせられた。言葉が死んでいるのだ。本来もっているはずの語源や意味という輝きを失っている。

子どもじみているのに、言葉はすでに死んでいるなんて。

諦めなくてはいけないのかもしれない。