スパムが多いので2008/04/05 06:36:55

我が家の鉢植えたちにも、春。

スパムコメント多発のため、コメントの即時公開をしばらくやめてみます。それから、スパムがつくのはいつも同じエントリーなので、そのエントリーを非公開にしてみます。

コメントくださるみなさん、ごめんなさいね。
それでも懲りずにお越しください。
コメント投稿の際は内容をよくご確認ください。
また火急の用件(笑)の場合はコメントでなくほかの方法で連絡くださいね。

続・スパムが多いので2008/04/07 09:54:45

コメントを即時公開にしないと何かと不便ではありますね(笑)。
ということで、「最近のコメント」を表示しないことにしました。

プロバイダさんにはスパムの撃退にもっと頑張ってほしいなあ、と思うこの頃。メールのフィルタリングも、全然効いていませんし。

メタボになるわけ2008/04/07 18:06:16


今回のこの一連の、管理画面の不具合うんぬんの騒動、4月4日まる一日出張で外を歩いていたのでPCに触らないまま夜遅くに帰宅して、なーんにも知りませんでした。ブロ友からケータイで「コメント即時公開できてないみたいよ」と知らせてもらって、翌朝見たらやっぱその通りで、危機意識ゼロの私は「ふーん、即時公開しないってのもええやん」なんて思ってそのままにしときました。

怒涛のように忙しかったここ数日を終えつつある今、ようやくぎんなんさんちを覗いて、「え、そんなことがあったんだ」状態です。

私も別にアサブロに不便は感じていないけど、有料サービスでこんなことがあるとちょっとびっくりします。私の場合ブログはともかく、ASAHIネットのメルアドに来る迷惑メールがものすごく多いのに閉口しています。で、重要なメールを勝手にスパムと判断してブロックしてくれたり(苦笑)。外国語件名の重要なメールをスパムと間違えて削除したり(それは私、笑)。
そんなんだからASAHIネットのメルアド、あまり多用できないんですよね。
他社フリーメールで4~5個持っていますが、仕事用としてよく使う1個を除けば、スパムはゼロです。

現代社会、こういうもん(PCとかケータイとかブログとかメールとか)のおかげで便利になったけど、便利になって効率化できた時間を、スパムや荒らしの処理に費やしてしまって、けっきょく有益なはずの分を吐き出してストレスばっか溜め込んでいるんですね。メタボになるわけです。

どしゃ降りの入学式でしたが2008/04/07 18:43:22

週末は晴れたので、ゴキゲンで十三詣り♪


入学式終了後まもなく、保護者は教室に閉じ込められて(笑)「学級委員に立候補お願いします」というPTA本部役員さんたちの懇願に遭ってしまった。
せっかくの入学式なのになあ。
とっとと職場に戻らなくてはいけない私は、かんべんしてくれよもう立候補するヤツなんかいるわけねーだろと心の中で悪態つき続け、即時解放せよ即時解放せよと念仏のように喉の奥で唱えながら、しらけたままのその場所の空気を、とりあえず吸っていた。呼吸しないと生きてけないし。
別の集合場所にいた新入学生たちが解散した気配が廊下に感じられたので、ようやく本部役員さんたちは諦めてお開きにしてくれた。聞けば、新入学生の役員の選出はこのやり方でたいてい立候補者をゲットでき、すんなり決まるらしい。目論見が外れて本部役員さんたちはかなりがっかりなさっていた。「今、この場で決定できれば、皆さんにお顔と名前を覚えてもらえますから」なんていってみたりもなさっていたが、べつに、もう子どもが中学生にもなれば、ママ友づくりしたい人はいないんじゃない? それに、新しいクラスメートの親たちの顔、ほとんど知ってる。ここらへんには北小と南小しか小学校はない。それぞれの校区も狭い。はっきりいって、「手を挙げたくてウズウズしてるはずの人」も「100人の土下座を前にしても首を縦に振らない人」(←アタシかも ^^;)も、見分けがついたりしちゃっているのだ。

娘が小学校4年生の時に広報委員というものの末端に加えさせていただいて、その広報委員のお仕事はミーティングも作業そのものもまったくといっていいほど大したことはなかったが、お仕事の中身云々でなく「私には時間がないのだ」ということをあらためて思い知った一年であったのだ。それでなくても抱えきれないほどの案件に毎日押し潰されているのに、さらにコミュニティをひとつ増やすというのは暴挙であった。暴挙であるのは予見できたけど、やってもみないでできませんといい続けるのも後ろめたいから、あのときは手を挙げた。で、暴挙であることを確認したのであった。
多忙を理由に、委員会メンバーに無理しないでね、と優しく言われる“もうひとつの”後ろめたさを、もう味わいたくはない。
というわけであるからして、申し訳ないがPTA学級委員には絶対にならないぞ、とどしゃ降りの雨に誓った昼下がりであった(なんじゃそら)。

個人的にも(たぶん)会社としても請けたくない大仕事を請ける羽目になってしまった。若干会社としては潤沢になるかもしれないが、そのぶんすり減らす神経、ギスギスする人間関係、数倍増する精神疲労、などなどを考え合わせるとけっして潤わない。去年、まさにそういう仕事のために振り回されたというのに、懲りないのはクライアントなの会社なの私なの?

そんなこんなで、昨年度に増してブログの更新はレアになりますが、どうぞお越しくださいね。レアでもいいので。

どしゃ降りの入学式だったので2008/04/08 18:45:26

式の後、各教室に入った生徒たちの机の上には、一年間で使用する教科書・副読本が約30cmの高さになって積み上げられていた。

小学校で遠足用に使っていたリュックサックを持っていったウチの子は、「入らない!」と私に目でサインを送る。私は防水加工をしてある大きなマチ付きお買い物手提げバッグと風呂敷をひらひらと掲げて「心配すんな!」とサインを返す。

親も子も解散となり、しつこく写真を撮ったり撮られたり、を終えてどしゃ降りの雨の中、それでも新しいクラスの雰囲気や担任の先生の話を口々にしながら、同じ方向の者どうし帰路につく。

30cmの高さにもなっていた本どもを、私と娘は半分こして持った。大きな合宿用みたいなリュックに全部詰めて背負うたくましい女の子も、もちろん男の子も、いた。
本来子どもにひとりで持ち帰らせるべきだろうが、ほうっておくとウチの子なんぞはいつまで経っても机の中につっこんだままにしかねない。配布される教科書の容量はあらかじめ〈保護者あてに〉連絡があったので〈入学式の日に持ち帰れよって話なのだろうと思って〉、二人で持ち帰ろうね、と約束してしまった。

しかし、あまりのどしゃ降りに、娘が背負ったリュックはかなりびしょ濡れになっている。私は手提げに入れる前に風呂敷で包み、その上に私物を載せ、かばんの口を閉じてしっかり抱えていたので心配なかったが、娘は風呂敷で適当にくるんでつっこんでいたからちょっとやばいなあ……と思っていたら案の定、リュックのほうの本のいくつかが濡れてしまって、一頁ごとに紙を挟んだり、ドライヤーで乾かしたりと、帰宅してからけっこうな騒動であった。それでも騒動は数分で済んだ。いちばん濡れたページが多かった英語の教科書は、一枚ずつ紙を挟んでおいたのが奏功して、翌朝きれいに乾いていた。

何人かの子どもたちが、大きなリュックでなく、私学の中高生が制鞄以外に持つサブバッグに似た紺色ナイロンの手提げかばんのようなものを持ってきて、そこに30cm分全部入れて、ひいひいいいながら持ち帰ろうとしていた。はっきり言うが大人でも一人で抱えて20分や30分歩くのは無理な重さである。
当然ながらどしゃ降りの中、ひきずるように持つそれらのかばんはとっくにびしょ濡れである。私は、帰路の途中で少し前を歩いていたゆうかちゃん(仮名)に追いつき、その荷物を一緒に持ってやったが、すでにナイロンバッグは“水も滴るいいカバン”になってしまっていて、中の教科書は悲惨なことになっているだろうと、悲しい気持ちになった。

新学期行事予定を見ると、翌日からすぐに授業が始まるわけでもない。
授業が始まっても、すぐにすべてを使用するわけでもあるまい。
たとえば初日に学校で記名を済ませ、数冊ずつ持ち帰る、ということにしたって今週末までには持ち帰れる。何も指導しなければウチの子のように何もかも机の中に入れっぱなしだったりするかもしれないが、声をかければいいのである。記名さえ済ませていれば、その教科書はどこにあってもいいのだし。
そのくらいの融通、利かせてもいいのになー。
「今日はこんな雨だから、教科書持ち帰るの明日でいいよ」と先生がひと言いってくれてもいいよなあ、と思った。
「今日はこんな雨だし、重いので、少しずつ持って帰らせてもいいですか」という親がいてもいいよなあ、と思った。

びしょびしょグシュグシュになって、いくら乾いたとしても、まっさらのぴかぴかの教科書には戻らない。
たぶん、親たちの中には「こんな雨の日に教科書持って帰らせるなんて言語道断だ、びしょ濡れになった教科書全部取り替えろー」という者が続出するであろう。
取り替えろ、くらいなら可愛い。本の破損具合にもよるが、使用に耐えないほどぐしょぐしょになったものは取り替えざるを得ないだろうし。
しかし、イマドキ、「びしょ濡れの教科書を乾かすのに何時間もドライヤーを使ったぞ、思わぬところで電気を消費したんだぞ、子どもは変わり果てた教科書にひどく傷ついたぞ、どうしてくれる、損害賠償せい」と怒鳴り込むツワモノクレイマーもいるはずだ。
いないかな?

私は教科書の中身には関心はないが、昨今こき下ろされている教科書だって、本である。本には必ずつくり手がいて、つくり手はその本の本としての姿をこよなく愛するものである。そのつくり手が真に本のつくり手であるならば、であるが。
私は、手縫いを覚えた頃から、母や祖母にもらったはぎれで教科書用のブックカバーをつくった。ブックカバーに守られていつまでも新品のよう……であるはずの教科書たちは、それでもぼろぼろになり、いつのまにかブックカバーもどこかにいってしまったりするのであるが、本とはそのように大変いとおしいものなのである、私にとって。

昨日の雨は、まったく罪作りである。

伯父2008/04/10 15:55:54

ある夜、街外れの交差点で伯父を見かけた。あてなくぶらついているというふうであった。

さほど遅い時間ではなかったが、そんな時間にそんな場所をぶらつく人ではない。同年代のオヤジたちと一緒というのならまだしも、たったひとりで、というのは考えにくい。ただ、そのときはその人がほんとうに伯父なのかどうかがわからなかった。あ、伯父さん、と思ったのに声をかけそびれたのは、目つきがなんとなく虚ろでとぼとぼ歩いている様子があまりに伯父らしくなかったからだった。背格好、服装、後頭部のはげ具合、すべて伯父を表して余りあるほどであったが、ただその覇気のなさが、まったく伯父ではなかった。

伯父夫婦は二十年以上、長男夫婦と同居していた。孫は三人を数え、それぞれ祖父母によくなついて、立派に成長した。長男とはつまり私の従兄だが、彼は、同居を続けるには使い勝手が悪くなった古い家を取り壊して三階建ての新居を建てよう、と父親に提案したそうだ。
だが伯父は反対した。
住んでいる家は、町なかでもとくに目を惹く立派な構えの日本家屋である。重要文化財に指定されてもいいくらいの重厚なつくりだと私などは思うのだが、指定なんぞされたらそれはそれで住みにくいわい、と伯父が笑っていたのはいつだったか。
文化的な値打ちなどではなく、先祖代々住み続けた家への愛着。伯父にとっては、柱も梁も、自分の代で壊すなどとうていできない相談であった。

けっきょく、父親から譲り受けた別の土地に、従兄は新居を建てて引っ越した。
これまでの家を改修するという選択肢もないではなかったが、従兄とその妻にとっては「中途半端な金の使い方」でしかなかったらしい。老夫婦との同居も可能なほど大きさも間取りも充分な新居をつくったが、伯父はもとの家を離れなかった。

私はこの春中学生になった娘を連れて、伯父と伯母を訪ねた。ふたりきりじゃ寂しいでしょう、と問う私には答えず、伯父は、真新しい制服に身を包んだ娘をまぶしそうに見つめて、そうかそうかそんな歳になったんか、そうかそうかと満面の笑みを浮かべて頷いた。こちとら耄碌するわけだと伯母と顔を見合わせては笑う伯父の表情に、あの夜の光景が私の脳裏をよぎった。やはりあれは伯父だった。確信めいたものが胸をつきあげたが、だからどうだというのだ、私にはこうしてたまに訪ねることしかできないのだし、と私もまた娘の制服姿をまぶしく感じながら、なす術がないのであった。

オサムのメグミ(4)2008/04/10 20:38:47

文藝春秋社『文学界』2008年3月号
巻頭
『あなたたちの恋愛は瀕死』川上未映子


まだしつこく「オサムのメグミ」とのたまうのですか、などとおっしゃらないでくださいまし。
わたくし、『文学界』という雑誌を生まれて初めて手にいたしましたの。
ほんとうに、触れたこともなかったんですの。
けれど、どこかで、広告かしら、

特集 小林秀雄 没後四半世紀
対談  「小林秀雄」とはなにものだったのか
橋本治
茂木健一郎

という文言を目にしまして、これは読まなくてはいけないわと、所用で足を運んだ図書館で、さっそく予約を入れましたわ。
まあ、そんな顔をなさらないでくださいまし。わたくし、雑誌だって図書館で借りることにしていますの。なぜって、わたくし、雑誌を捨てられないたちですから、でも雑誌は書架での座りが悪いので、つい平積みにしておきますもので、我が家の床という床の空いてる場所には古雑誌が積み上がってますの。ちょっと恥ずかしくて、よそさまに見せられませんわ。
ですから、もう買うまい、と決めたんですのよ、よほどお気に入りのものを除いては。
『文学界』にしても、同じような考えの方がいらっしゃるのか、けっこう順番待ちが長かったんですけど、ようやく借りてみて、あらためて思いましたけど、わたくしなどにはほんとうに読むところのない雑誌でしたわ、ほほほ。

橋本さんと茂木さんのお話は、『小林秀雄の恵み』を読んだ者にはべつに何も得るところのないお喋りで、読もうかどうか迷ってるかたには、はてさて、どう映ったのでしょうね、面白かったのでしょうか。わかりません。
ただ、ぷっと笑ってしまった箇所がありました。
それは、橋本さんがご自分の『窯変源氏物語』について話しているくだり。どなたかが『窯変―』を評して「(源氏物語って)ハーレクインだったのか、などと思った」というようなことを書いたそうなのです。
その書評を読んだ橋本さん、「じゃあ、アンタは今まで『源氏物語』がハーレクインじゃないとでも思っていたのか?」と思ったとか、そんなお話でした。
ごめんなさい、もう借りた本は返していますので、手許にないので正確な引用ができないのですけど。

奇しくも今、同志某おさっちブログで平成おばギャル版イケメン源氏とでも申し上げればよいかしら、面白い読み解きが展開していますけれど、実をいうと、なかなか、わたくしはついていけないんですの(笑)。

昔ハーレクインロマンスというシリーズが出たときに、流行に乗って何冊か読みましたけど、ナニをどう読めば面白く感じられるのかわからなくて、本を大切にいつまでも手許に置くわたくしですら、とっとと処分してしまったような記憶が。

『窯変―』よりも、本来は、原典のほうがよりハーレクインっぽいのですよね。それを気取りなくストレートに現代語に置き換えるために、橋本さんの施した工夫のおかげで、高尚な王朝絵巻にまつりあげられ手の届かない平安文学と化してしまった『源氏物語』は実はハーレクインだった、と気づいたかたが少しでもいらしてよかったわ、というふうに受け留めることにいたしましょう。

でも、このたび、「メグミ」はそれではありませんの。
巻頭に、芥川賞を受賞なさった川上さんの短編が掲載されておりました。
これが、くくくけけけと喉で笑っちゃう面白さ、なんですの。
初めて手にした『文学界』に、たぶんそこになければこれまた一生読むことのなかったであろう作家の珠玉の一編を読むことができました。これをメグミと呼ばずして何といいましょう。

文体は過去の自分を暴かれるようでなんだか好きになれないのですが、お話の展開のさせかたが、気に入りましたわ。
なんというか、とてもとても、イマの世の中、なんですわ、描かれているのが。
感心しましたの。

そうはいっても、だからって川上さんの本をこの先読むかと問われれば、まるで中学生のように「べつにい、どっちでもいいぃぃ」と、わたくしは答えるのです。

新・スパムが多いので2008/04/12 17:30:43

よくわからないのですが、スパムっていつも同じエントリに憑くんですね。(←この「憑く」を使ってみた。へん?)

私はスパムを見つけたら、管理画面でそのコメントを「spam」に状態変更しています。そうすることで、ASAHIネットさんがこの情報を利用して何らかの手を打ってくださると期待してのことです。
ですからASAHIネットさん、何か対策をお願いいたします。

スパムのよく憑くエントリ数本を、泣く泣く非公開にしています。非公開にしていたエントリを公開に復活させたとたん、すぐ憑きました。まったくキモチワルイ~。機械的にびゅんびゅんスパム飛ばしてるんですね、きっと。
なのでまた非公開に戻しました。

それから、この管理画面のセキュリティはもう大丈夫なんでしょうか?
私はMAILPIAで、マイブログの更新情報も受け取るようにしていますが、まったく触っていない過去のエントリの更新情報がメールで送られてきました。

やっぱなにか「憑いてる」んでしょうか? こわー 怪談にはまだ早いー

Les ecolieres2008/04/16 18:04:03

路地奥の長屋では、朝からジャンが大掃除に精を出していた。大掃除といっても長屋二軒分で部屋の数は四つ、各部屋とも四畳半以上の広さはない。ジャンはまず富ばあさんの部屋から始めた。富ばあさんはふだん、一階のひと間しか使っていなかったが、二階には古い書物や書簡など、本人でなければ何かわからないようなものが、とりあえずは整然と、放置されていた。ジャンはそれらをもう一度整理し直すため、いったん外へ出し点検することにした。曝書を兼ねるにはいい陽気であった。
ジャンは、これまで自分が借りていた部屋を引き払い、富ばあさんの部屋に移るつもりである。自分の蔵書は富ばあさんの遺品とともに二階に片づければいい。ジャンの持ち物といえば蔵書のほかにはわずかな衣服とノートパソコン、そして布団がひと組。ところが富ばあさんは、フランス製のコーヒーミル、伊万里や有田のうつわ類をこともなげに使い込んでいたし、清水(きよみず)の酒器や信楽の花器が床に無造作に並んだままになっていた。
ジャンはそうしたものの処分を任されていた。擦り切れた座布団や半纏は捨て、わずかに残っていた古い着物やコートは古着屋に引き取らせた。こたつは脚を外して仕舞えるタイプだったので拭き掃除をして片づけ、こたつ布団はゴミに出した。小さな住居ながら、残すもの捨てるものを仕分けしていくだけで結構な作業量だ。ジャンは知らず苦笑いをしていた。とりあえず自分がいた部屋は空っぽにしなくちゃなあ、と青空を見上げると太陽がほぼ真上にきていた。もう昼だ。
ジャンは腕を上げたり下ろしたり、背筋を伸ばしたり縮めたりしながら路地を出て道路に立った。制服姿の、学生というよりは子どもたちが連れだって帰ってくるのが見える。まだ授業は昼までなのだろう。いかにも新調したてのブレザーの中で、華奢な体躯が泳いでいる。プリーツスカートはその少女たちには不似合いな丈だが、それが初々しさを際立たせていることはジャンにもよくわかった。チヤン、レゼコリエェ、とつい口に出したジャンに少女たちは、ある者は訝しげに、ある者は愉快そうに、それぞれ視線を投げ捨てていった。
ジャンはそれらの視線に向けてボンジュー、と申しわけ程度の大きさの声で言った。きゅきゅきゅっという音に似た笑い声を立てて遠ざかる女子中学生たちを見送りながら、ジャンは富ばあさんの小説の一場面を思い浮かべていた。
川土手の道を歩く女学生は、一様にみな、分厚い本を包んだ風呂敷包みを抱え、踝まであるスカートを揺らし、上着と揃いの色のベレーを被り、なにやら楽しげに、しかし上品な笑い方で、主人公の富美子(ふみこ)の前を通り過ぎる。富美子は、自分はけっして着ることのないであろうその女学生の正装を、毎日、同じ時間に同じ場所に立ち、羨望の眼差しでみつめ続ける。
富美子の時代からこんなに世代を隔てても、女子学生の制服姿は変わらずまぶしくて、飽くことなくみつめ続ける対象としてこれに勝るものはないよ。ジャンはそういう意味のことを口の中でもごもごつぶやいたあと、「コンビニ、行きましょ」と日本語で自分に呼びかけ、ポケットの中の小銭を確かめた。

野良猫生まれた2008/04/17 19:26:13

これは去年の写真なんだけどね。


勤務先の建物の中庭で、野良猫が子どもを産んだ。全部で六匹いる。母猫もこの庭で生まれた猫で、その母親もそうだ。毎年何匹も産んで、生まれて、必ず翌年、たった一匹が「里帰り」してまた子を産む。脈々と伝わるDNAのせいか、顔だちがとてもよく似ていて、成長してこの庭を巣立ったあとも、近隣の塀づたいに散歩していたり、貸ガレージを闊歩していたりするのに出くわすと、あ、ここの猫だ、とすぐにわかる。
器量よしの猫ではないが、チビスケだったくせにでっぷり肉付きがよくなって、赤子に授乳させつつまどろんでいる様子を見ると、人も猫も同じだなあと思う。赤ちゃん猫たちはもちろん可愛くて全部持って帰りたい衝動に駆られるが、生き残って暮らしを営む母猫が大変にいとおしいのである。
住宅密集地であるので、野良猫を毛嫌いする住民もいる。私たちはけっして無責任なことはできないので、庭で猫が出ようが鼠が出ようが蜘蛛が巣を張ろうが、餌づけは絶対にせず、ただ粛々と掃除をするのみである。
だから猫たちは誰にも保護されずに、自力でこの住宅密集地で生きていこうとする。人間の中にはとっ捕まえて保健所送りにしようとする者もいる。また、近くに御苑という名の公園があって烏の格好の棲み処になっているのだが、迎賓館に賓客のあるときは烏よけの発砲が行われる。烏たちは一時的に公園を出て街路樹やビルの屋上などに避難するが、そのときたまたま美味しそうな子猫に出くわしたりする。
おととしの夏だったか、烏の群れが勤務先の上空を覆ってカアカアとうるさく、庭では赤子を守る母猫がふぎーふぎーと空に向かって威嚇していた。あのときはまったく仕事にならなかったのである。面白くて。
いまもそうだ。今、子猫たちは折り重なってくうくうと眠っている。可愛らしすぎて、目が離せなくて、仕事にならない。締め切り間近の原稿が山積みだというのに、私は子猫たちのうちのとくに可愛い「三毛模様のあの子」をどうやって持って帰ろうか、持って帰ったらばあちゃんは怒るだろうな、それに飼い猫が二匹になったらあたしの財布はいよいよドエライことになってしまう、うーんどうしよううーんうーんうーん、と思いめぐらすばかりの頭は全然仕事に向かないのである。