ハズレ、の巻2008/09/18 20:06:32

前の日、一日中高熱を出してうなっていたけど、翌朝けろり。
ちゃんと踊れてよかったね。


『いまこの国で大人になるということ』
苅谷剛彦編著
紀伊国屋書店(2006年)

「希望学」の玄田さんとか「婚活」の山田さんとか、講演の比較的上手な人(話の内容が、たまたま私の関心と合致していただけなのだが)の文章が載っている本であり、少しばかり前はメディアに出まくりだった茂木さんもいるし、何より苅谷さん編集ってことで前から読んでみたいと思っていた本であった。
ふと、図書館で玄田さんのほかの本を立ち読みしていて思い出し、予約したところすぐに連絡が来て、なかなか装丁もきれいなこの本を手にすることができた。

でも、結論から先にいうとハズレだった。
全部で16人もの識者が「いま」「この国」「大人になる」等の言葉を手がかりに持論を展開している。それらはすべて興味深い切り口の論考だが、掘り下げないまま終わってしまう。早い話が、みなさんの割り当てページが少ないので、いまからどんな議論が展開されるのか、と「ワクワク」あるいはじらされて「ジリジリ」していると次の論者に移ってしまうという次第。
編著者の刈谷さんのページなんて、いつまで前置き喋ってんだよ、と思ってたら終わってしまった。
玄田さんもほかの本に書いたことをそのまま抄録したって感じだし、山田さんも然り。茂木さんはいつかこのブログで触れた「母のひろば」に書いていた短文を長く書いたらこうなった、って感じだ。

こういう論説集はそれでいいのかもしれない。この本をきっかけに、読者が各識者の著作本にアクセスすればいいのであって、ガイド役に徹するという意味で。

しかし、要するに、みなさんのスタンスがばらばらだから、なんだかつまらない印象を与えてしまうのではなかろうか。長い論文の序章だけをだらだら書いたようなもの、過去に書いた本の一部を抜粋したようなもの、逆に本書のために全力投球したようなめいっぱいのエネルギーむんむんの文章エトセトラエトセトラ。

はっきりしているのは、いま大人である私たちが、自信もしくは確信を持って子どもたちを導いてやる術を失っているということである。そもそも、私たちが「志」をもって生きていないのだから、迷える子、迷うことすら知らない子、たちに道標を示唆できるわけがないのである。
だから本書を読んでも、大人になろうとする少年少女たちをどうすりゃいいのかは、愚かな大人たちには見えないのである。

許せないやつ 筆頭2008/09/23 17:39:35

『ロシア 闇の戦争
 ――プーチンと秘密警察の恐るべきテロ工作を暴く――』
アレクサンドル・リトヴィネンコ、ユーリー・フェリシチンスキー共著
中澤孝之監訳
光文社(2007年)


貴重な貴重な休日が仕事で潰れてしまった。非常にむかっ腹が立つ。むかっ腹が立つついでにとにかくこの世でいちばん許せない奴の話をすることにした(笑)。

ラシーヌとか、ラコレデュノールとか、リズラエールとか、レゼタズュニとか、国家そのものを解体してしまえと日頃から憎憎しく思う国は多々あるが、それらの国の国家元首たちには個人的な憎しみはほとんど持っていない(ふつう、持ちません。笑。私の場合「ほとんど」がつきますが)。だってラシーヌがラシーヌたるのはべつにコキントーのせいじゃない。彼の笑顔は気持ち悪くて好きじゃないけど、誰が主席になっても私は気持ち悪いと感ずると思うので、それはいい。ラコレデュノールの場合いまの老いぼれより悪党なのはいまだに遺体が完全保管されているというオヤジのキムイルソンだ。リズラエール、レゼタズュニについてもラシーヌに同じ。レゼタズュニったら、もうすぐ新しい大統領が決まるんだね。国民は皆わくわくしてるんだろうね。私はマケインが勝つと思う。あの国の人たちは、市長や州知事くらいならカラードや移民を選んでも、大統領には絶対選ばない。人口比で上回ることがない限り、欧州由来の白人しかトップに立てないと思う。ま、そうはいってても、カラードや移民が増えていくには違いない。そして、ある一定の場所にかたまるようになると人口分布に特徴が出て、その地域が独立を画策するかもしれない。そのときに50州をまとめる力量のある人が大統領なら何も起こらないだろうケド。
あ、わが同盟国についてはどうでもいいんだった。

ロシアという国家はどうか。逆に、私は、ロシア共和国連邦という大きな共同体じたいを憎憎しく思ってはいない。豊かな文化を湛える国家体であり、それは今も変わらない。ソ連の解体以降独立した国、できなかった国、それぞれ事情はあろうが、独立した国は国際社会の一員として振る舞えばよく、独立できなくて共同体内に残った国はロシアに助けてもらえばいいのである。

ふつうはそうするのである。会社は、結婚するとか起業するとか理由はなんであれ辞めた元社員は追わないのである。辞めた社員は新しい環境で頑張らんといかん、それだけである。辞めずに居座る社員については辞めさせたくても辞めるといわない以上保険を負担してやり給与を払わねばいかんのである。そういうもんである。

しかしプーチンは、自分のところから出て行った人間を許さないのである。どこまでも追う。抹殺するまで追う。追い続ける。ソ連から独立した国々の弱みを握り続け、命綱を制御し続け、監視下に置き続ける。ロシア共和国内残留組が独立を唱えるのは許さない。ふん、ロシアから離れたければ離れるがいい、死をもってな……というわけでチェチェンはプーチンに虐め抜かれている。

そう、今日のタイトル「許せない奴 筆頭」はウラジーミル・プーチンである。私が尊敬してやまなかったジャーナリスト、アンナを殺した。端的にいってそれだけが理由である。ロシアによるチェチェンへの侵略戦争を取材し続け、プーチンの悪行三昧を暴きつつあったアンナはいつ殺されてもおかしくなかったといっていい。しかしそれでもまだまだアンナは泳がされるだろうと私は思っていた。根拠があったわけではないが、プーチンが、陳腐な表現だが「悪の帝王」として世界に君臨したいなら、アンナに書かせるだけ書かせて、彼女が世界でより大きな発言力を持ってから叩き潰す、そうした方法をとるんじゃないかと思ったからだ。でも、そうではない。プーチンはせこい。目障りな虫を次々と指先で潰していく。自分で(たいていは指先を汚すの嫌だから)潰せないときは手下を使ってどこまでも潰しに行かせる。そして絶対に、逃がさない。アンナは、新しい記事や著作の準備をしていたが、それが世に出る前に殺された。プーチンは肝っ玉の小さい奴だ。告発を受けて立ち、戦うことなんて、できないのである。悪いことし過ぎて。

歯止めの効かなくなった悪行三昧。種を蒔いたのは、実はエリツィンである。エリツィンもロシアの大統領の名にふさわしく、せこい悪行三昧を積み上げた奴だが、彼の最大の罪は後継にプーチンを指名したことだ。どうしてもプーチンでなくてはならなかった。秘密警察出身で、エリツィンの大小さまざまな悪行についてけっして口を開かぬ人間として信用されていたのだった。

本書は、その秘密警察=FSBという組織の一員として活動していたリトヴィネンコとその友人であるフェリシチンスキーの共著である。ご存じのとおり、リトヴィネンコは英国で何者かに毒を盛られて殺された。友を亡くしたフェリシチンスキーの慟哭が序文として巻頭を飾る。
しかし、こんな本が出ても、プーチンは相変わらずだ。本書のロシア語版はロシア連邦内では発禁処分になっているので【プーチンの国民】は何も知るところがない。本書の一部はインターネットで公開されているというので、もちろん読む人だっているはずだが、またうるさい奴がなにか書いてるぜ、程度にしか認識されていないのであろう。それに、生半可な興味や好奇心から真実を追求しようとしたら最後、FSBに殺される。偽装自殺か何かで。

FSB(本書では連邦保安庁、としている)とは元KGBといわれていた組織で、名を変えながら存続している秘密警察、つまり国家上層部を守るために活動するテロ工作組織である。本書でページを割かれているのは、チェチェン戦争の大義名分を作るために、アパート連続爆破事件を工作した事実についてである。
この一連の事件は、チェチェンの独立派武装勢力によるテロ、などと報道、発表されてチェチェン人のせいにされ、ロシア国民の反チェチェン感情を煽り、チェチェン侵攻の大きな理由としてうまく働いた。
そしてエリツィンは、悪いチェチェン人を懲らしめたので大統領に再選でき、後任に推したプーチンも世論の支持を取りつけることができたのである。

なんでチェチェンに戦争を仕掛けるのかといえば、チェチェン人は独立心旺盛で反露意識が高い、という歴史的合意事項に基づいているに他ならない。
帝政の頃から、ロシアはチェチェンに攻め込んでは抵抗に遭い、撤退を余儀なくされていた。トルストイの「カフカスの虜」という話を一度読んでください。
カフカス地方はロシアにとっては手離せない地理的要衝であるから、どうにかして我がものにしたいのに、ならない。第二次大戦の頃、今度は対独協力者の汚名を着せて、チェチェンとイングーシの住民をカザフに強制移住させたりした。
しかし、それでも、チェチェンは意のままにならない。
おまけに、ロシア国民の感情としては、チェチェンって気の毒よね、という向きが多数派であった。ああ、もう、むかつくなあチェチェン、なのである、ロシアとしては。

エリツィンは、たぶん個人的にはチェチェンなんてどうでもよかったと思うが、大統領再選のために第一次チェチェン戦争が必要だったのである。とゆーか、エリツィンに戦争でもやれば? と吹きかけたのはもちろん側近たちやFSB幹部である。プーチンはエリツィンのブレーンであり、その忠実な継承者であったのだ。
皆さんよくご存じのように、いまは現大統領の後ろで院政中である。

本書は、実際にそれとは知らずにFSBのテロ工作に加担させられた人物らの証言を、裏づけを取った上で多く盛り込み、内容に説得力と信憑性を持たせている。本書を読めば、あなたも許せない奴の筆頭にプーチンを置きたくなるだろう。私自身、実はリトヴィネンコにあまり思い入れはなかった。どちらかというとアンナへの思いだけでプーチンを憎んでいたので、リトヴィネンコの事件が報じられたとき、その程度のことロシアでは珍しくもなんともないじゃんと知ったかぶりをしていた。
じっさい、日本のマスコミの論調は、遠い遠い異国で起きたミステリーまがいの不思議なお話、といったふうで、誰ひとり、気に入らない者たちを次々と殺して平気でいる悪代官プーチンがトップに居座る国と普通に国交を続けることの是非を問う者はなかった。ま、そんな国だから私も「許せない奴、プーチン」なんていえるわけですが。

であるからして、本書が出て飛びついてひと読みしたときは、おおお、アンナにも追いきれなかったプーチンの膿がいっぱいだと感動した。再読すると、志半ばで殺されたリトヴィネンコの無念が胸を突き、涙なしでは読めないのだ(私だけかもしれないが、この手の本で泣くのは)。
しかしわが国では、せっかく出版されたこの本も、よくできた諜報機関小説みたいな扱われ方をしているのか、けっこう売れている(と聞く)割には、内容について積極的に議論されているという話は聞かない。ロシアって裏で悪いことやってんだねえ、くらいなもんだろうか。

おのれに逆らった人間は要人だろうがなんだろうが容赦なく消していく。
いつまでもたてつく民族は丸ごと絶滅させてしまおうと画策する。
余計な噂話をする奴は地の果てまでも追いかけて捻り潰す。

そんな奴が統治する国と、まともな神経ではつき合えないわよね。
娘にロシア留学だけは絶対させないと、私は誓ったのであった(あ、そこへ落ちますか)。


チェチェンについては「チェチェン総合情報」で検索し、トップでヒットしたところを参照してください。けっしてWikiなんぞ参考にしてはいけません。
ちなみにここ ↓ では、チェチェン紛争の歴史について、あまり上手とはいえないが簡潔にまとめられている。
http://chechennews.org/basic/whatis.htm

関係ないが、光文社さんといえば古典新訳の誤訳が取り沙汰されている出版社である。こういうところから出ているというのが、ちょっと、ビミョーだ。あ、でも監訳者さんはロシア関係の著作、訳書のたくさんある方で、信頼が置けます。

チェチェンニュースからの転載2008/09/26 16:07:59

久しぶりに転載いたします。一部のみです。
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チェチェンニュース Vol.08 No.09 2008.09.26 
http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20080926/1222402231 (HTML版)
発行部数:1648部

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■欧州人権裁判所、ロシア政府に20万6千ドルの支払いを命令
グッドニュースです。ヨーロッパ人権裁判所が重要な判決を出しました。
報道関係の方は、ぜひ掲載をおねがいします。末尾に元記事へのリンクを置きます。
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9月4日、ヨーロッパ人権裁判所(ECHR)は、チェチェン戦争で誘拐・殺害された被害者の2家族からの訴えに関し、賠償として20万6千ドル(2千万円程)の支払いを、全判事一致の判決で命じたことが、25日になって明らかにされた。

アドナン・アフマドフの両親は、2002年に息子が誘拐された事件に、ロシア当局が関わっていると主張していた。アドナンはロシア兵士によって逮捕されたことが証言によって明らかだったためである。ロシア政府はこれを否定していたが、裁判所には認められなかった。

また、ルスラン・メジードフは、両親や兄弟姉妹が、99年のロシア軍による村への砲撃で殺害されたとして同裁判所に訴えていた。ロシア側は砲撃の結果に関して軍は責任を負わないという主張だったが、これも認められなかった。

今年初め、欧州評議会(COE)は、ロシア政府に対して、治安部隊によるチェチェンや他のコーカサス地域への人権侵害(虐待や処刑)を強く批判していた。

ヨーロッパ人権裁判所はここ10年の間に、合計して46,700件のチェチェン人からの訴状を受け取っており、そのうち正式な手続きに入っているものは2割ほどだという。(RIAノーボスチ)
http://en.rian.ru/society/20080925/117106711.html

欧州人権裁判所のプレスリリース:
http://cmiskp.echr.coe.int/tkp197/viewhbkm.asp?sessionId=14129764&skin=hudoc-pr-en&action=html&table=F69A27FD8FB86142BF01C1166DEA398649&key=72876&highlight=Chechnya
http://cmiskp.echr.coe.int/tkp197/viewhbkm.asp?sessionId=14129787&skin=hudoc-pr-en&action=html&table=F69A27FD8FB86142BF01C1166DEA398649&key=72914&highlight=Akhmadova%20

過去の関連記事: http://chechennews.org/chn/0506.htm
http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20080611/1213164486
http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20051220/1135092095
http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20050228/1116317336
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前エントリについては昨年、こんな記事を取り上げました。
http://midi.asablo.jp/blog/2007/11/22/2452329

ったく、むかつくロシア。でもキーロフバレエの『白鳥の湖』は世界一美しい。てこともぜーんぶまとめてンナローむかつくロシア(by midi)

いくつもの「さよなら」2008/09/29 17:44:02

今朝、イモリのヒデヨシの姿がなかった。
げげげげげげっ 脱走した?

昨日、水換えのために別の容器に移しておいた。イモリ避難時用としてとってある、もと高級イチゴが入っていたプラ容器。ぴちっと閉まるので重宝していた。
なのに、蓋と器の間に、いつのまにやら隙間が!

汚いガラクタだらけで足の踏み場のない我が家は、小さなイモリが隠れるところに事欠かないばかりか、そこいらじゅう穴とか隙間が空いているので通り抜けもたやすい。
家の周囲がのどかで、川や池や湿地があるならまだしも、前道は交通量が多く、隣接する住宅にも瀟洒な中庭を保つ家は皆無となって久しい。

ヒデヨシ、お前さー、棲んでた水槽がベスト環境だったんだぞ。ばかー。

行くところがなくて、室内に入ってしまったら、愛猫の餌食になるのは必然。のらくらした猫だけど、イモリよりはかなり素早いはず。

どっちへ行っても危険がいっぱいだったのに。危険をかわせたとしても、そのうち身体が乾いて、干からびて死んでしまう。

いつか書いたが、我が家にイモリが来たのは3月、小学校の教室でみんなで大量に飼っていたのを卒業するので希望者が持ち帰ることになり、娘が3匹持って帰ってきた。クワガタを飼っていたときの水槽に水道水を入れ、適当に砂利や石を入れて水場と陸地を作った。理科の先生に世話の仕方をちゃんと聞いてくる、といって聞いてきた情報に基づいたのか推測だったのか知らないが、娘が納得してつくった環境で、3匹のうち2匹が立て続けに死んだ。ノブナガ、ヒデヨシ、イエヤスと名づけたうちの、名前としてはいちばん好かんヒデヨシが残った。
その後、禁忌事項を学習した私たちのもとで、ヒデヨシは元気に水槽ライフを謳歌しているように思っていたのだが、やはり、外に出たいのね、動物って。
もともと何の囲いもない自然界に生まれたのだから、閉塞感があるのは当然だ。
カエルのミドリも、水槽の蓋を開けると気配に気づいて一目散に頭上を目指して跳躍しようとする。隙間から餌をやるときは従順に食いつくのに。
ヒデヨシも、プラ容器の隙間を目ざとく見つけて身体を滑らせたのだろう。迂闊だった。夜にもう一度点検すればよかった。昨日はずっとそのヒデヨシのそばで絵を描いていて、その絵の上をずかずかと歩いてヒデヨシを眺めに来る猫を叱りつつ、ヒデヨシの様子も窺っていたので昼間いたのは間違いないんだけど。

信じられないが、ヒデヨシはもういない。家出してしまった。

7月9日、金魚のタマちゃん逝く。
8月13日、タマちゃんの同期生、モモちゃん逝く。
8月17日、我が家生まれの稚魚の生き残り・チビタ、突然逝く。体長25mm程度にまで成長していたのに。すごく元気に泳ぎ回っていたのに。

私たちは、この夏、かけがえのない家族を立て続けに失った。けっこう堪えているんだよ、これでも。愛情は注いでいても、環境管理に不備があったのではと問われると反論できない。すべてに同じエネルギーを費やせないからつい優先順位をつくってしまう。どうしても小動物は下位に来る。
私のそんなさまにヒデヨシは見切りをつけたのだ。こんなところにいられっかよ、たくぅ、とかなんとかいって。

朝、娘は無言、半泣きで登校していった。
母ちゃんも隅から隅まで探したんだけどよぉ。
ヒデヨシ、水が恋しくなって再び帰ってこないだろうか。プラ容器は蓋を開けてそのままにして置いてある。