adieu B 1/2 ― 2009/05/28 12:09:44
ボウルに賽の目になった野菜が小さな山を築いた。ふう。佐知子はこうした日常を退屈だなどと思ったことはない。といって、逆にとりわけ幸せなことだとありがたがることもなかった。夫の勤務先は海外にも工場を持つメーカーで、夫は独身時代数年の海外勤務を経験したことがある。しかし、結婚してからは転勤をともなう人事異動はない。もういい歳になってきたので遠くへ行くこともないさ、といっていたのは五年前だ。その頃佐知子はケアマネージャーの仕事が順調に動き始めていた。もしかしたら私のことを考えて、転勤の話も断っていたのかな。そんなふうに考えなくもなかったが、口にするのはやめておいた。住む場所が変わればパンや野菜も変わる。そうしたら朝食も変わる。夫はそっちを恐れているのかもしれないわ。
ケアマネの仕事をしていると、変わらない日常の貴重さと、変化の重要性の両方を感じる。あるとき担当した陰山さんという男性は家業を止めてから覇気を失くし、足が悪いこともあって自宅にこもりきりになっていた。外の空気を吸わせてあげたいが、母も歩行に難があるので父を支えながら散歩なんてできないんです、といっていたのは陰山さんの長女で、花見や川辺でのピクニックなどレクレーションの盛んなデイサービスセンターを希望した。高齢者にはもう波乱に満ちた毎日は要らない。静かな水面に、葉が一枚落ちたときのゆるやかな波紋。それぐらいの刺激があればいい。陰山さんは週に二回通所介護を受けるようになり、口数は増えないけれどその日を楽しみにしているのが表情でわかる、と長女から報告を受けて佐知子は嬉しく思ったものだ。
しかし、ある日陰山さんの訃報が入った。突然意識不明になり緊急入院して、わずかひと月余りで亡くなった。デイサービスセンターには、けっきょく八か月しか通えなかったことになる。
adieu B 2/2 ― 2009/05/28 12:10:29
ところが、もっと若いブランジュリ・カトの加藤さんが急死した。夫の落ち込みは大変なものだった。パン・ド・カンパーニュ、あれだけはヤツが焼いてたんだよ、ほかのは息子が頑張ってたけどさ、カンパーニュだけはさ。
それから何日か経ったある夜帰宅して開口一番、夫は、シンガポール支社長の椅子が回ってきたよ、と告げた。まあ。それで、受けるの? ああ。行こうよ。いいだろ、ケアマネの仕事、休眠にしても。と夫が言い終わらないうちに佐知子はええ行くわ、と答えていた。この場所から出発したい、私はたぶんそう望んでいたんだわ、と思ったのだ。
シンガポールにだってうまいパン屋、あるよな。夫は出会った頃のお茶目な表情でいった。まあ、やっぱり。やっぱりって何だよ。何でもないわ、おいしいパン屋さん、見つけましょうね。