朝から晩までジャイケルマクソン(笑)2009/07/05 16:38:56

葬儀の日時と会場が決まったりして、お兄ちゃんが記者会見したり、ジャネットの談話が報道されたりして、やっぱマジでマイケルは死んじゃったのかあと、影武者説(「説」ってゆーなってか)を唱える私は誰もそのようなことをいわないのでちょっぴり面白くないのである。

永遠の名作「スリラー」のプロモビデオを最後に、私はマイケルに興味をなくしたので、そのあとのBADやデンジャラスなんつうアルバムの楽曲を——もちろん巷では鳴りまくっていたので耳に憶えはあるし懐かしさ半分ではあるけど——けっこう新鮮な気持ちで聴いている。三つ年下の同僚はBADのツアーで来日したマイケルのコンサートに行ったといった。ふうん。私は駆け出しの社会人で、仕事に必死、同時に残業後にキタやミナミのライヴハウスでインディーなというのかマイナーなというのか、あまり出どころのわからないミュージシャンを聴きにいくのに必死だった(マイケルだけでなくメジャーシーンにまったく関心をなくしていたのだった)。その同僚は、BADのアルバムのなんとかって曲は今聴いても素敵、などという。たしかに、聞こえてくる歌がどれなのかはわからないけれど、古くささは感じない。今どれを聴いてもマイケルの歌声だとわかるし、プロモ映像の画面も何となく想像がつく。不良少年や衣装を揃えたダンサーをバックに引き連れて集団でしゃきしゃき踊っている図だ(笑)。マイケルは声域が高いというのだろうか、バラードを歌うと女の子の声みたいに透明感があってうっとりさせられたものだ。Heal the worldなんかが出た当時、あの作為的なビデオは好きじゃないがほんとに歌声には悔しいけど惚れぼれした。
しかしやはりマイケルのプロモビデオはビリージーンがいっとうお気に入りである。不思議な人物Billie Jeanに扮したマイケルは透明人間にはなっても集団で踊ったりしていないのである。ピンクのシャツに彼の黒い肌がとても似合って、白い靴下に黒い靴でつま先立ちするのも、可愛くてかっちょよかったのである。

毎朝フランスのラジオRFIを聴いてるけど、ちょうど朝食〜娘がウチを出る時間に、必ずマイケルジャクソンコーナーが設けられていて(笑。もちろん、亡くなってからです)、3〜4曲かかって、ニュースを挟んでまた3〜4曲かかる。さあ踊ろうぜぃマアイケルジャクソオンだぜえいえーいみたいなノリである(笑)。向こうは真夜中だからなあ……。マイケルジャクソンの声、覚えちゃったよとは娘の弁(笑)。必ずビリージーンが2回くらいかかるのが嬉しかったりする。(余談だが今朝のこのコーナーの最後の曲はHeal the worldで、さあ彼氏彼女としっとり踊ろーぜ、みんないい夜を!なんてMCが入っていたけど、うーん……苦笑)
で、私は出勤するとPCを立ち上げ、最初に現れるポータルサイトのニュース欄に必ずマイケルネタが現れる(遺族が司法解剖を希望とか、秘密の恋人の存在とか、前妻親権を主張とか)のでそれを無視できずクリックすると関連ページのリストが出て、そこにオールタイムマイケルジャクソンなんつう項目があって、アクセスすると勝手にマイケルの楽曲をシャッフルして次々流してくれる。私のPCの小さなスピーカーから、こうしてほぼ一日中マイケルの歌声が流れる。帰宅すると、娘がクラスメートの噂をする。マイケルジャクソンのDVD買ってもらったんだって。なんでまた? ムーンウォーク覚えたいんだって。ははは。動く歩道みたいなんだって? 動く歩道って……阪急梅田駅じゃあるまいしアンタ。とよくわかっていない娘のためにムーンウォークの画像を検索してみせる私。彼女は一度見ればそれでいいのだが、ムーンウォークはビリージーンのステージアクションなので私はまたこれをリピートして聴いてしまうのである。
かくして朝から晩までマイケルジャクソン状態。いつまで続くやら。

朝から晩までジャイケルマクソン(笑)その22009/07/10 07:55:35

CNNがサイトにアップしていた映像をずっと一日中再生していたというのは私だけではないはずだ。って、その、マイケルの追悼式の話。

ブルックシールズが二の腕の立派なおばさんになっていたのが妙に感動的だった(笑)

何を言っているのかわからないので(英語だから)、きっとマイケルに対して賛辞と愛情こもった葬送の辞を述べていたのだろうと想像するだけなのだが、みんな冷静できちんと役割こなしてるんだなあという印象だった。もっと取り乱す人とかいるかと思っていたけど。

座席にはきちんとプログラムまで置かれていた。前から周到に用意されたショーのように。大変だっただろうな、と印刷業界に住む私は末端のスタッフの苦労に思いを馳せる(笑)

そんなこんなしていても、赤い花の飾られたピカピカの棺がギイと開いて、マイケルがにっと笑みを浮かべて起き上がり、ここぞとばかりにジャクソンファミリー全員でスリラーを歌い踊る、というビッグサプライズを期待してたのは私だけではないはずだ(私だけか?)

若い同僚は、保育園児だった頃に、両親に連れられて行った飲食店のテレビ画面でスリラーのPVを観たらしい。以来、それがトラウマになり(笑)ずっと「マイケルジャクソン」には接近できなかったという。ごめんね、横の席でずっとマイケル流してて。

今日の深夜、テレビで特集があるらしい。睡魔に負けず起きていられるか自信がないけど、久しぶりにテレビ、見ようかなという気になっている。その同僚も、観ておこうかなせっかくだし、といっていた。そう、トラウマは克服せにゃいかんよ。 

ユーチューブにあったなかでいちばんお気に入りのBillie Jean。
可愛いよ♪
http://www.youtube.com/watch?v=o7mEQVWQgRA&feature=related

朝から晩までジャイケルマクソン(笑)その32009/07/11 03:23:28

しつこい?(笑)

観ましたよ、NHKの深夜のテレビ。マイケル特集。
でも、最初の15分間、見逃しちゃった。テレビつけたらスリラーだった。ちきしょーきっとビリージーン済んじゃったぞ(号泣)

金曜の晩はくたくたなので、いつにもまして寝るのが早くなる。
この春、娘はスマイルというマツジュンとガッキーと中井貴一のドラマを必死で観たが(私もおつきあいして何回か観た。笑)放映の終了時刻の夜11時まで瞼がもつわけない。ので、いつも録画予約したものだ。したがって今夜も、
「お母さん、ビデオ予約すれば?」
「……やめとく」
「ぜったい朝まで寝てしまうよ」
ま、その危険性はかなり高かったんだけど、それより、録画しちゃうとそれを保管したくなるではないか。ウチの録画機器はまだVHS用だし、もはやビデオカセットテープで映像を保管する気はさらさらないので、娘の観たいドラマ録画用のカセット一本のみを重ね録りしまくりで使い回しているのである。当然画質はサイテーだけど、娘はそういうことにはまったく無頓着である。
でも、私は無頓着ではない。今ウチにはそのすり切れそうなカセットしかないのでそんなのでマイケルを保管したくないのである(笑)。それにそれをマイケルに使っちゃうとまた買ってこないといけないのはメンドっちい。

そんなわけで、寝てしまう危険性もあったけど、いつものとおり娘に読み聞かせをする。娘は5分もせずに寝入るのでそのあと自分は起きればいいんだけど、実はそれができない。読んでるうちに自分も眠くなる。本は偉大だ(笑)。しおりを挟んでパタンと閉じるやいなやごーごー爆睡してしまうのが常である。

で、今夜もごーごー寝てしまって。
足にふわっとした柔らかいものを感じたのでなんだあ?と思って起きてみたら愛猫が私の布団で寝ていた。
というのは毎晩のことである。
「あ、ごめん、また蹴った?」
とつぶやいてまた寝るんだけど、今夜はなんか心に引っかかるものがあって3秒ほど体を起こしたまま考えた。あ、マイケル。
AM1:26。あいたた。

でもまあなんとか起きたので、いまこうして更新しているのでありました(笑)
そのマイケルの番組が終わったあとの、カーペンターズの特集まで観ちゃったよ。マイケルのあとに観るとなんと穏やかでシンプルなこと(笑)。お兄さんのリチャードが素敵な中年になっていたので目がハートになってしまった。
カーペンターズっていうのは私たちの世代が最初に知った外タレではなかろうか。彼らの音楽はテレビでも街でもいたるところで流れていた。When I was young...で始まるイエスタデイワンスモアの歌詞は英語教材にもあったぞ、中学生の頃。もちろん、当時夢中になっていたフォークギターの教本にもカーペンターズは載っていて、文化祭なんかでは必ず弾いて歌う先輩がいた。ああ、古い記憶だ。ヴォーカルのカレンさんも早世したんでした、そういえば。

話をマイケル特集に戻すけど、Say, Say, SayのPVに涙した人、いるんじゃないっすかあ? ああ、懐かしさに胸が震えました。そのあと紹介されたのは、マーティンスコセッシが監督したというBADのフルヴァージョン。初めて観た。字幕には「俺はワル、本物のワル 誰が本物のワルか決着つけよう」とかなんとか書いてあったよ、おさかさん。ま、ワルでもサイコーでもどっちでもいいんだけど、ストーリー部分と歌&ダンスのシーンがフィットしてないなあと思った。休暇を終えてまた学校に戻るところまでやってほしかったなー。

さて、これはさんざん放映されてたけど、亡くなる直前のリハーサル映像。
http://www.youtube.com/watch?v=YRQrmOc-Tts

で、こっちは↑の歌のPVのほう。敬愛する猫屋さんブログで見つけた。なかなかよいです。
http://www.dailymotion.com/video/x26tma_mickael-jackson-they-dont-care-abou_fun

それにしても、こんなに白くなったんだあ、とあらためて感心するほど、マイケルは白い。痛々しいくらいだ。こりゃ長生きできないよねと思わせてしまう皮膚の色である。悲しい。

彼の死をきっかけに、ここ数日、頭の中が1980年代初頭にワープしている。いろいろなことが思い出されて本当に懐かしい。あれから30年近く。鹿王院さんじゃないけど、私はいったい何をしていたのか(笑)
そんな思考に私を陥れるなんて、マイケル、君はなぜ、今、この時期に旅立ったのか。なぜ今、昨日とか、今日とか、おとといとか、古いアルバムの断片が風に吹かれて飛んでくるように、記憶が瞬間的な映像となって瞼の裏に立ち現れては消えることの繰り返しである。そんなことをしている場合ではないのに(笑)、である。

時はめぐりー♪また夏が来てー♪あの日と同じ流れの岸ー♪瀬音ゆかしき 杜の都~♪あの人は もういない……2009/07/17 17:37:46

今日、祇園祭の山鉾巡行でした。わがまち最大のお祭りのクライマックス・デーです。わがまち最大のお祭りであると同時に、わが国最大のお祭りでもあるのではなかろうか、なんてふと思うのですが、それは規模の大きい祭りを抱えるまちの住民の奢りというものであって、お祭りというものは、祈りや祓いのための儀式であり宴であるのだから、ふるさとの、子どもの頃の記憶にあるお祭りが、その人にとって最大で最適のお祭りであるのだろうと思います。

年中行事というものは、いいものです。めぐる季節は気候の変化で嫌でも体が知りますが、寒暖の訪れと前後して、あちこちで何とか祭りやホニャララまいりとか、なにがし祭、ぺけぺけの儀などと、なにかしら節目があります。この時期になれば決まって聞こえてくる音やざわめきがあり、誰に言われるまでもなくいそいそと準備する。申し合わせたように雨が降り、梅雨が明け、葉が色づき、雪が降る。

去年は宵山の夜を、お稽古帰りの娘と歩きました。中学生になってレッスンが長いので、9時半以降にしか帰宅できない娘は、友達と出かけるのもままなりませんが、人一倍祭り好きですから、とりあえず贔屓にしている山鉾めぐりと屋台の冷やかしをしないことには夏が始まらないといった感じです。

昨年暮れ、草間時彦のこの句に胸が震えました。

息子が押す正月二日の車椅子

私の母の、十五も歳の離れた姉である伯母は、孫たちの世話をさんざんして、長女ののぶちゃん(私の従姉)と気ままな二人暮しをしていました。けれどここ二、三年、めっきり体力も衰えて、軽い脳梗塞を起こしたこともあり、部分的に体の自由が利かなくなって、車椅子を利用するようになっていました。ピアノ教師ののぶちゃんはレッスンの合間を縫って伯母の車椅子を押し、きょうだいや親戚や友達の家を訪ね歩きました。
伯母はいつも朗らかで、たとえば入学や卒業や合格など、自分の孫ばかりでなく甥や姪の子どもたちの節目にも必ず祝いを届けてくれました。私の父が亡くなったときは、末妹である母を頻繁に訪ねて(まだ自分の足で歩けていましたので)、自身も早くに夫を亡くしていたこともあり、残された者の寂しさを慰めてくれたものです。

しかし昨年暮れに、急に容態が悪くなりました。そのひと月ほど前にまた小さな脳梗塞が起きて、言葉がうまく話せなくなっていました。しかし体全体は心配するほどのことはないと聞いていたので皆楽観していたのでしたが、危ないとの報が入り、母は息子(私の弟)を伴って駆けつけました。
命は取りとめ、峠も越えたとやらで、一同安堵したものの、やはりまったく会話はできなくなり、自分の力でものを噛んだりできなくなりました。点滴や管で流し込む食事になるとけっきょく寝たきり、ということになります。長男のカズちゃんは穏やかに最期を迎えられる施設を、といったそうですが、長女ののぶちゃんは在宅介護にこだわりました。車椅子になってからもずっと一緒に暮らしていましたから、多少のことなら私が面倒見てみせる。そんな気持ちだったようです。カズちゃんの奥さんのゆみこさんも、のぶちゃんに賛成して手伝ったそうです。遠くへ嫁いだ次女のふみちゃんも時間の許す限り旦那さんと一緒に会いに帰りました。一番下で次男のユウちゃん夫婦もなんとか時間を作ってのぶちゃんに協力しました。
こうして、伯母の介護はのぶちゃんを中心にうまく回転し、半年を経過していたのです。

でも、7月12日の日曜日の朝。美術展を観にいこうとだらだら着替えやら化粧やらしている私と娘に、母が「ちゃっちゃと行って昼までに帰っといで、冷麺しといたげるし」などと言ってますと、突然電話が鳴りました。
受話器を取った母の顔色が変わります。「えっ……わかった、すぐ行くわ」
電話の主は、母の一番上の兄嫁でした。母にはきょうだいがたくさんいるのでややこしいのですが、実家の跡を継いだのは二番目の兄で、一番上の兄はよその町で教職を全うした人です。姉は、今話題にしている一番上の姉を筆頭に三人います。二番目の姉は認知症のためグループホームの世話になっており、私の従姉たちが交替で様子を見てくれています。母といちばん歳の近い姉はとても元気で、夫を亡くしたあと、息子も遅まきながら結婚したので一人暮らしを謳歌しています。そのすぐ上の姉に、母は電話しました。
「さよ姉ちゃん、いよいよあかんらしいて、今あや子姉さんから電話あったんや」
すぐ上の姉・じゅん子伯母のところにもすでに連絡はあったらしく、二人で待ち合わせて運び込まれたという病院に行くことに決めました。
私と娘はとりあえず予定どおり美術展へ出かけ、予定どおり昼頃帰宅しました。すると待っていたように家の電話が鳴りました。母でした。伯母は亡くなりました。

六曜の関係で火曜日に通夜を営みました。
火曜日は祇園祭の宵宵宵山。私の娘はお稽古を終えたあと「教室の友達と歩いて見物してくる」予定でしたが、お稽古も休み、約束もキャンセルすると自分で決めました。

娘には、さよ伯母について大きな思い出も会話の記憶もありません。ただ、やたらたくさんいる大伯父大伯母大叔父大叔母のなかで、さよ伯母は、自分の祖母にいちばん顔立ちが似た人だったので、姿はよく覚えていたのです。
そうなのでした。きょうだいの中で一番上のさよ伯母と、末っ子の私の母は、瓜二つといっていいほど似ていたのでした。
さよ伯母は親戚の間でもたいへん慕われていたので皆悲しみましたが、誰もが口にしたのが次のようなフレーズでした。「まあ、しゃあないわ、歳も歳やったし。それにみっちゃんおるがな。同じ顔やがな」
みっちゃんは私の母です(笑)。
たくさんのきょうだいと、その息子、娘、またその子どもたちが大勢集まった通夜となり、賑やかさに伯母も喜んでいたに違いありません。

伯母を見送った日の夜、私と娘は、ほんの小一時間ほどですが祭りの夜を歩きました。
天寿を全うした伯母は、もうとうに極楽の、雲のじゅうたんの上か蓮の葉の上にでも寝そべって、下界の祇園囃子の音に耳を傾けていることでしょう。

伯母ちゃん、バイバイ。

光っているのは夜空の星のことだったんだということがなかなかわからなかったの巻2009/07/21 05:38:40

『きらきらひかる』
江國香織著
新潮社(1991年)


自分が心の拠りどころにできる小説を書く作家。そういう存在がほしくて、今いろいろ読んでいる。

愛するウチダは村上春樹を非常に買っている。その理由はさまざまあって、ウチダに語らせるとどれもがフンフンなるほどねと思えてしまうのが実は厄介なんだが、それでも私は村上春樹を読む気が起こらない(その理由は最後に書く)のでとりあえず今のところ一作も読んでいない。けれど、ウチダや加藤典洋とかが村上春樹を好きなのは、とゆーか高く評価するのは、まずは自分たちの心の代弁者であるということが大きいのではないか。彼の書く小説の登場人物が、というよりは、それを描く村上自身が、読む側にとって自分の一部のようにあるいは分身のように感じさせる何かをもっているということではないかと。
そんなふうに思える作家がいるというのは、幸せだろなあ、と思うのである。

少し前、愛するウチダが自身のブログで、村上春樹は掃除とご飯を作ることを小説世界に描いてみせた初めての作家だというようなことをいっていた。それがどのような描写なのか読んでいないのでわからないけれど、小説という、虚構を描くモノはいわば夢物語を描くモノであって、すなわち非日常世界を展開しなければならないのに掃除やご飯ごしらえをこと細かく書いていたのでは話が進まないのでふつうの小説家はそんな描写に行は割かないのだ、しかし村上はそれをやった、それが素晴しいというのがウチダの論だったように覚えている。
ふうん。
それは、まずは、ウチダがそういう感想をもったのは彼が男手ひとつで子育てしていたことと密接に関わっていると思う。いっぽう読者が家事にまったく縁がない生活をしていたとしても、女性の場合はなんとなく自身に引き寄せて家事の描写を感じることができるであろうけれど、男(とくに今50〜60代ね)の場合はまったく家事のありようを想像することすらできないと思われる。村上に相対的に女性ファンが最初多かった(と誰かが言っていた)のもそういうことなのかもしれない。

もうひとつは村上に戦争経験をもつ父親がいたということだ。しかも戦死せず帰還した。そのように、戦争に出て死ねずに帰った男を父(あるいは伯父とか叔父とか近所のおいちゃんとか)にもつ世代は確かにあり、彼らは、私などがとてもイメージできないほどに、その父の背中から父の重荷の中身を見よう、知ろうとしたであろう。そしてたいていそれは果たせなかったであろう。そうしたことにシンパシーを感じることの、読書嗜好に与える影響は大きいと思う。
だから、村上の場合、彼と年齢の近い読者をとくに惹きつけていると思われるが、違うだろうか。

昔つきあっていた慎吾(仮名ですよん)も村上に年齢が近かった。『ノルウェイの森』で彼はノックアウトされていた。読め読めと耳にタコができるほどいわれたが、たしか、赤か緑か忘れたが、表紙を開けて最初の数ページでなんとなく拒絶反応を起した記憶がある(笑)。

前置きがあまりに長くなって本題を忘れかけていたが、今回何をまず言いたかったかというと、いいなと思える作家になかなか出会えない私も、もしかして同世代の作家の中にその作品に共感できるものがあるかもしれないと思ったのであった。ウチダにとっての村上のような。

であるからして1960年代前半生まれの作家探しをしながら、いろいろ読んでいる。もうすでにいろいろ読んだけど、もしかして、不作かなのか?この世代!なんて思ったりもしている(笑)

(同世代の作家のイチオシってったらそりゃmukaさんろくおーいんさんおさっちぃだろーがって私の中の私が叫ぶんだけどさ、インディーズじゃなくて(インディーズって。笑)、いちおうメジャーデビューしてる人の中から探そうとしてるのだよ)

はい、とゆーことで江國香織さん登場。
きれいな透明感のある文章を書くということで大変評価の高い人である。本書『きらきらひかる』を評して本当にきらきらした文章だといった人が昔近くにいたような気がする。本書が発売されたのはもう20年近く前なんだ。若いときからきらめく宝石のような文章を書き、そしてちゃんと人に見出されて、次々と書き続けることができて文壇を駆け登った彼女には、ある意味天賦の才があるのだろう。

『きらきらひかる』の単行本を借りてきた。好みの装幀がなされていて、印象は悪くない。というか、さすが人気者の江國さん、書架にほとんど本がないのである、ほとんど借り出されていて。これのほかには『号泣する準備はできていた』というやつしかその日は残っていなかった。

去年、娘が国語の授業で『竹取物語』を習っていたときに、お子様向けの絵本の『かぐや姫』ではない、『竹取物語』全編のダイジェスト版みたいなのってないのかなあというので図書館に出かけたら偶然古典フェアをやっていて、そこに『竹取物語』江國香織文/立原位貫画、という一冊を見つけた。画家の名は「たちはらいぬき」といい、著名な木版画家だそうである。たっぷりと大きな面積で美しい版画がいくつも掲載されている。たいへんよい。
ところが江國さんの文章は、私にはなんだか「カツカツしている」ように感じた。わかりやすい文章ではあったが、私は理屈でなく本能で「これは竹取物語ではない」と感じたのだった。私たち日本人にとって「かぐやひめ」は日本の物語に登場する正真正銘のおひめさまである。「しらゆきひめ」や「いばらひめ」「しんでれら」に匹敵する姫君である。幼少の頃から紙芝居や絵本で、あるいは物語本で、十二単に長い黒髪をなびかせ月へ帰る姫の姿を幾度思い描いたことだろう。その延長線上に、中学や高校で習う古典『竹取物語』があった。私たちはかぐや姫を熟知しているので、『竹取物語』を現代語に訳す作業でもつい絵本のような文体になりがちなところを、もう少し高尚に、平安の香りが醸し出されるようになどと教師がいったかどうか、ちょっと気取った文体を目指した記憶がある。
しかし、この『竹取物語』の江國さんの文章は、ちょっと気取った、というのとは違う。「カツカツしている」というのは、柔らかく流れるはずの物語の文章の中に、プラスチックの破片が混ざったような異質な単語が混じる様子をいったつもりである。着物の裾を安物のサンダルに引っかけてほつれさせるような、場違いで品のない振る舞いを見たときの違和感。つまり、情緒的な和語の連なりの中に突然現れる無機質かつ事務的な企業社会的日常語が現れるのだ。(だからこのサンダルはお洒落なハイヒールなどではない)
この表現はないだろうに。と、ページをめくりながら何度思ったことやら。文章が下手なわけではないのに、やたら小骨がひっかかり、しかもその小骨は化学物質でできてる……という感じ。(一年以上前の記憶なので具体例を挙げられませんが、すみません)

だから、前から興味なかったけど、この『竹取物語』があったのでなおさら江國さんには近づくまいとしていたわけだ。しかしこの方が1964年生まれであることにいきなり気づいたのである。そういうわけで私は食わず嫌いをしないで代表作をまず読まにゃあいかんと自分に言い聞かせた。だって古典文学の現代語訳だけで人気のある現代小説家にダメ出ししたって誰も聞く耳持たないよね。

同性愛の男と情緒不安定もしくは統合失調症の女が結婚する。世間体のためである。とはいえ、互いにたいへん好意はもっている。二人で夜空の星を見るときが幸せなのである。

小説家なら誰でも思いつきそうな設定だし、現実によくあるケースじゃないかと思われるが、そこはきらきら光る透明で清新な文章を誇る江國さんなので、どろどろした人間模様をまんま描くのではなく、精神というあやういガラスの上を割らないように、時々亀裂を入れてしまいつつも歩く二人……という感じできれいに描いている。なるほど、ファンが多いのはうなずけないことはない。でもそれだけに、人物の心の底が見えない。わかりあっていて、たがいを大事に思う二人であることは描かれているのに、実際、ほんとのところこいつら何考えてんだというところが、残念ながら私には読めない。夫婦生活のない二人だから仮面夫婦なのだろうが、読者に対しても仮面をかぶり通している。その仮面を引っぱがした気分にさせてくれないと、面白くないのに、と思う。単に私が読めてないだけかもしれないが。

また、女と男の、それぞれ一人称の語りが章ごとに交互に現れる構成だ。こういうの、最近の小説によくあるという気がするが、誰が始めたんだろう。あるいは1991年当時は斬新な手法だったのか? こういうふうに章ごとに視点を変えるのって、確かに人物を理解する助けにはなる、読者にとって。
でも、本書の場合、この構成がとくに効果を発揮しているとは言いがたい。ずっと女の視点で通したほうがよかったような気がする。江國さんは女なのだから、そのほうが味のある小説世界に仕上がったと思う。なんといっても、同性愛の男の考えていることなんて異性愛の女には一生理解できない(江國さんが異性愛かどうか知らないけど)。いや、そうではなくて、たぶん「考えそうなこと」ならわかるけど、そのエクスタシーのありようが想像できないのだ。異性愛のありかたと同じといわれるかもしれないが、ほんとにそうか? 違うと思う。ぜったい。
だからどんなに描いても、この、夫である睦月(むつき)くんの深層心理を描き切るなんて、よほど綿密な取材をするか、自身も同じ嗜好であるかどちらかでないと、達成できない。
『きらきらひかる』を書いたときの江國さんはまだ若かった。だから感性だけで書いちゃった。しゃあない、のだろう。でも、肝腎なところが描かれずに終わった、という感想をもちましたよ。きっと今の江國さんならもっと厚みのある深いものを書いたであろう、同じ題材でも。それがいいかどうかわからないけど。

ただし、許し難いことがひとつ。物語終盤に近いところで、睦月が妻の親友にある企てを依頼する。が、親友は自分でやればいいじゃないか、という。その親友に対する睦月の台詞に、
「だめなんです。僕じゃ役不足なんです。僕じゃだめなんです(……)」
みたいなのがあった。

江國先生、「役不足」の使い方が違います(笑)。
文庫では改訂されてるのかな?
あるいは睦月が言葉知らずという設定なのかな?(※睦月は医者なんですけど。爆)

これ、紫式部文学賞とかとってんですけど? ……勘弁してよ。
どうなってんのよ。こういうの、お勧め図書とかに入れないでよね、中学校!

***

さて、なぜ村上春樹を読む気が起こらないか。
このブログをたびたび覗いてくださる方ならお察しいただけるはず。
顔が嫌いなのである。

以上。

ムチャ暑い2009/07/23 10:57:16

いきなり日差し強すぎ。
ちょっと飽きたのでテンプレート変えてみようといろいろやってみたけどあんまりしっくりこないのである。トマトをマスカットに替えただけになりましたが、みためちょっと涼しいね。

このテンプレにするとMuscat de Lunelが呑みたくなるばかりなもんで避けてたんだけどね♪

気合入れなおしっ(独り言です)

でも、朝夕涼しい2009/07/24 06:05:18

炎天下歩いて取材先回ったけど、帰社する頃には涼しくなって、帰宅する頃にはもっと涼しくなって。今朝もほっと涼しくて、寝覚めがいい。なんか嬉しい♪

どうも飛蚊症みたいで鬱陶しい。いつからこんなゴミが目の中にあるんだろう。今春の花粉症がひどくてコンタクトなしの状態で数か月暮らしてて気がついた。打ち出した自分の原稿とか、白場の多い校正紙、白い曇り空とか、娘の部屋の白い壁とかを見たときに、そこに糸くずがいっぱいあるように見える。そのうちのひとつが大きい固まりで、飛蚊というよりは手の中でパンと潰した蚊みたいで、いちいちちょっと切ないのである(笑)。

さ、洗濯っ

雨が降ったり止んだりして、暑いしうっとうしいし、仕事も捗らないと、古い記憶が鮮明に蘇るモンなんだねという話(上)2009/07/27 20:13:20

YMOってもう聴いた?
リカコちゃんに、私は尋ねた。
リカコちゃんはふん、と鼻で笑って「あんなの、つまんない」といった。
なにがイエローマジックオーケストラよ。オーケストラなら、ELOが先なんだからね。
リカコちゃんは、理解不可能な言葉を並べ立てた。いーえるおー?
そう、ELOのほうがずっといかしてんのよ。
いーえるおー?
「エレクトリック・ライト・オーケストラ」



小学生のとき、リカコちゃんとは仲が悪かった。
私は、二年生のときに仲良しだった由美っぺと、三年生になってクラスが分かれてしまった。それは仕方がないことだから、お習字と算盤という共通のお稽古ごとがあったので、私たち二人はそこで互いのクラスの情報を交換した。私は新しいクラスで加奈ちゃんという友達ができて、加奈ちゃんと話したあんなことこんなことを由美っぺに「報告」した。由美っぺにも同じように親しい友達ができて、まあちゃん、さっちゃん、りかちゃん、という名前が彼女の口から頻繁に飛び出すようになった。
ある日、いつも一緒に帰る加奈ちゃんが休みだったので、私はひとりで帰路につこうとした。すると由美っぺが「ちょーちゃあーん、一緒に帰ろー」と後ろから走ってきた。
そのまた後ろに、リカコちゃんがいた。
私たちは三人で帰ることになった。一緒に帰るといっても、由美っぺの家は学校のすぐ近くで、しかも私の家とは方向が微妙に違う。けれど、親には内緒にしていたが、二年生のとき私は遠回りをして由美っぺの家の前まで一緒に帰ってから自分の家へ向かった。そうしたところでほんの二、三分の差しかなかったからだ。でも本当は由美っぺの家の前で長々と立ち話をしたんだけど。
久し振りに、由美っぺ家経由で帰ろうと思って、校門を出て由美っぺとともに道を曲がろうとすると、リカコちゃんが鋭い口調で言った。
「ちょーちゃん、家あっちでしょ」

なんなんだよ、こいつ。ざけんじゃねーよ。
私は、いまの言葉遣いでいえばこんなふうな感情にとらわれ、引き下がってたまるかと意地になり、由美っぺと一緒に帰るときはいつもこっちから行くんだよ、と言い返した。
するとリカコちゃんは、由美っぺと組んだ腕をさらにぎゅっときつく締めて、今度はあきれたような口調で言った。
「やだあ、ちょーちゃん、由美ちゃんのこと由美っぺだってえ。ぺ、なんて由美ちゃんかわいそう。やめてよねー」

ムカツクゥ~このやろテメエ、歯へし折られたいのかよっ
というような激しい怒りを覚えた私は、かといってここで爆発したところであるいは泣いて見せたところで得るものは何もないと思い直した。あんた何とか言いなさいよ一緒に帰ろうって声かけたのはあんたでしょーが、と由美っぺにいっても仕方がないし。現に由美っぺはたいへん困惑した表情で私とリカコちゃんの顔を見比べていた。私は由美っぺがとても好きだったので彼女を困らせたくはなかった。

リカコちゃんの評判はよくなかった。何かとひそひそ話が多くて、ねえねえ何話してるの?とほかの子が寄って行くと、内緒、といって口をつぐんでしまう、といったふうなのだ。由美っぺによると大した話ではなくて、だから由美っぺはほかの子に「事後説明」したりしていた。
けれどもリカコちゃんを仲間はずれにしようとか無視しようとかいじめようとかという動きは起こらなかった。リカコちゃんはどこか飄々としていて、由美っぺとべたべたくっつきたがる一方で、クラスのほかの子とは等間隔を保ち、行事や活動にも我関せずといったふうで、でも協力しないわけでもないから、誰も文句をつけられなかった。

私は、一緒に帰り損ねた日から、リカコちゃんには近づかないようにしていた。ただ、由美っぺを取られてしまわないように、お習字と算盤では必要以上に由美っぺとおしゃべりをした。

五年生になって、リカコちゃんと由美っぺと私は同じクラスになった。

私は決意していた。絶対負けるもんか。由美っぺをあたしだけのものにしてみせる、あたしたちは親友なんだ。三、四年生のときにつるんでいた加奈ちゃんのことは結局あまり好きになれなかったので、私は、五年生でクラスの分かれた加奈ちゃんとはきっぱり手を切り、由美っぺとの友情を確固たるものにしようと誓ったのだった。
具体的に何をしたかというと、「一緒に帰る」ための「由美っぺ争奪戦」に勝つ、そのために終業のチャイムが鳴ったら速攻で由美っぺに歩み寄る。ただそれだけだったが、私はリカコちゃんに対し、たしかに敵意を丸出しにしていた。

(どうでもいい話なんだが、つづく)

雨が降ったり止んだりして、暑いしうっとうしいし、仕事も捗らないと、古い記憶が鮮明に蘇るモンなんだねという話(下)2009/07/28 17:07:24

傍で見ていた(見ていたら、の話だけど)クラスメートたちはどう思っただろう。チャイムが鳴ったとたん、
さささっ「由美っぺ!」
たたたっ「由美ちゃん!」
と、ふたりが由美っぺの机にダッシュする。
何より、由美っぺは本当に困っていたことだろう。
頻繁に班替えや席替えがあるので、由美っぺの席から遠くなると不利になる。また、終業のチャイムが鳴っても、担任に呼ばれたりする(おい、あとで職員室にノート取りに来い、とか、学級日誌書き直せ、とか)と、アウトだ。劣勢に甘んじる日々が続くと、辛い。

しかし、そんなことは長く続かなかった。
というのも、私は放課後遊びに興じるようになったからである。
四年生の終わり頃から私は、それまでのデブでノロマで無口なキャラから、体育会系のオネエへと知らずイメチェンを遂げていて、ボール遊びやどろじゅん(団体鬼ごっこ)やろーぜと男子から誘われることが多くなり、リカコちゃんと由美っぺの取り合いするよりはそっちのほうがはるかに面白いということに気づいてしまったのである。
男子七、八人と私ひとり、というメンバー構成だった放課後遊びチームはそのうち女子がひとり増えふたり増え、やがて総勢二十人をゆうに超え(学年の総児童数は五十人余であった)、六年生に進級してからは五年生も混じるようになった。遊びはドッジボールやどろじゅんでは飽き足らず、ボールゲームや鬼ごっこのヴァリエーションはもちろん、騎馬戦までやった。私は背が伸びつつあり、もともとガタイがいいのでいつも小柄な誰かを背負い、十歳を過ぎた頃からいきなり足が速くなっていたので動きも素早く、早い話が騎馬戦では無敵だった。

そんな放課後遊びメンバーに、いつのまにか由美っぺもリカコちゃんもいた。
由美っぺはおとなしい女の子だった。体育が苦手なわけではなかったが、パンツが見えるのもお構いなしにボールを蹴り上げたり、男子の前で鉄棒の前回り・逆上がりをしたりするような女の子ではなかった。リカコちゃんは、はっきりいって動きの鈍い子だった。口はあんなに立つ癖に、けっ、と私は当初何度も内心毒づいた。
けれど、彼女たちも含め外遊び苦手組の子らもいつのまにか参加して、狭い校庭を下校時間まで走り回るようになっていた。騎馬戦では幾度も由美っぺやリカコちゃんを背負った。背負った子の手の温みを肩に感じたり、手つなぎ鬼ではしゃぎ過ぎて手をつないだまま転んで折り重なったときの友達の重み。そんなことを、いまでもかすかに覚えている。

であるからしていつのまにか、由美っぺ争奪戦なんてなくなってしまったばかりでなく、私はリカコちゃんと二人で話すことが多くなっていた。話してみるとリカコちゃんは私よりずっと「大人」だった。彼女には少し歳の離れたお兄ちゃんがいて、その影響をものすごく受けていた。

いつか書いたが、私は六年生になってデヴィッド・ボウイと衝撃の出会いを果たしている。しかし、私はボウイ以外の海外ミュージシャンへのアクセスはできないでいた。その私の前に道筋をつけてくれたのが、リカコちゃんだった。リカコちゃんは、おにいちゃんのレコードだから気をつけてね、といいつつ、私にビリー・ジョエルの新譜を貸してくれた。生涯最高のマイ・ミュージシャンとの運命の出会いは、なんと、一時は天敵とさえみなしたイケスカナイ女の子、のはずの、リカコちゃんによってもたらされたのだった。私はビリー・ジョエルの『ストレンジャー』に脳天をかち割られたような衝撃を受け、心の底から感動した。
すごくよかったよありがとう、といってそのレコードを丁重に返すと、気をよくしたリカコちゃんは次から次へと、英米の名だたるミュージシャンのレコードを貸してくれたのである。

リカコちゃんとは、中学校まで一緒で、高校では離れ離れになった。
しかし、どういうわけか、元天敵の私たちは学校が離れても時々会い、自分のもつ音楽情報を交換したりした。
リカコちゃんのお兄さんは日本のミュージシャンなんかミュージシャンじゃないと言い切っていたそうで、リカコ家では日本の歌手のレコードを買うなんて論外なのだった。じっさい、リカコちゃんも日本人をバカにしていた。

そこで(上)の冒頭の会話である。

でも、私は知っていた。いわゆる「ニューミュージック」系の幾人かのミュージシャンに対して、リカコちゃんが関心をもっていたのを。
私はそれとなくいった。「山下達郎の『FOR YOU』、買ったよ」
リカコちゃんは間髪いれずにいった。「貸して」
そしてこう付け加えた。「ELO、貸したげるからさ」



なぜ、こんなことを思い出したかというと。
私は、いっときほどではないけど相変わらずマイケルの楽曲をたまにPCで鳴らしている。今日も、いつかリンク貼ったこれを聴きたくなって。↓

http://www.dailymotion.com/video/x26tma_mickael-jackson-they-dont-care-abou_fun

で、マイケルを聴き終わってぼーっとDailyMotionの画面見てると、懐かしいタイトルが目に入った。↓

http://www.dailymotion.com/video/x21d8b_elo-dont-bring-me-down_music?from=rss&hmz=706c61796572

ムチャ、古い(笑)
リカコちゃんはけっきょく、私に三枚のELOを貸してくれた。その内の一枚が『ディスカヴァリー』(この↑曲の収録アルバム)だったことは覚えている。もう一枚は『タイム』。なんとこれはまだ我が家にある。あと一枚がなんだったか思い出せない。
私の貸した、山下達郎の『FOR YOU』は、リカコちゃんが持ったままだ。

リカコちゃんは高校卒業と前後して、なんと、エホバだったかモルモンだったかなんだか忘れたけどへんなのにひっかかっちゃって、洗脳されてしまったのである。
「活動」のために遠くの町へ行ってしまい、志を同じくする人とその町で結婚した。避妊とか中絶とか一切許されないそうで、したがって七人か八人の(!)子のお母さんになっていると聞いた。

こうして、リカコちゃんはある日突然いなくなり、私はELOのレコードを返しそびれたのだった。そして山下達郎返して、という機会をも、逸してしまった。
由美っぺは、リカコちゃんと音信を交わしていて、その出奔のいきさつやだんなさんとの馴れ初めとか種々のエピソードを私に教えてくれた。結婚式には出てないけど、その数日後のお披露目には招ばれたそうだし、子連れになったリカコちゃんとも会ったそうだ。数年前には、生まれた故郷のこの町に移ってきたリカコちゃん一家の新居も訪ねたという。

小さな頃に仲の悪かった私とリカコちゃんだが、十代の数年間、ミュージシャンの話を通じてかなり親密につきあっていたつもりでいたのだけど、彼女はけっきょく私には一度も近況を知らせてくれることがなかった。このELOのアルバムに関するやりとりが、ふたりだけで交わした会話の最後の記憶だ。

(どうでもいい話で失礼。完)

家事も子育ても、ついでにゆーと仕事も日常的過ぎる。やっぱり村上春樹は偉大なんかいなと考え込んだの巻2009/07/30 16:58:10

『みんな一緒にバギーに乗って』
川端 裕人 著
光文社(2005年)

『てのひらの中の宇宙』
川端 裕人 著
角川書店(2006年)

『桜川ピクニック』
川端 裕人 著
文藝春秋(2007年)


まとめちゃってごめんなさい、川端さん(笑)

さなぎの友達で頑張る中学生の鏡・さくらちゃんにプレゼントした『14歳の本棚 部活学園編』の中にあった『決戦は金曜日』を書いた川西蘭が気に入って、図書館書架の「か」を探したが川西蘭は見事に一冊もなくて、代わりに、こういう言い方しちゃあ、なんだけど、やたらとあったのが「川端裕人」。

本の作者プロフィールを読むと、お、1964年生まれとある。川西蘭を探すのは次の機会にすることにして、表紙が可愛かった『みんな一緒にバギーに乗って』をまず借りる。

若手男性保育士の話である。悩みながら奮闘する。男性保育士に対する母親たちの目は冷たい。それでも頑張る保育士・竜太。なぜ君は保育士になったんだ。あるとき担当クラスの女児の父親に問い詰められる。「子どもが好きだから、ではだめですか」

竜太はなかなか好感度の高い登場人物である。読んでいてエールを送りたくなる。
竜太と一緒に同年度に着任した同期の新人保育士がほかにもいる。体育会系の竜太に比べ、クールでそつなく仕事をこなす(ように見える)頭脳派の秋月。短大卒の、たいして考えもせず資格をとって保育士になった(ように見える)ルミ。
ほかには先輩保育士(女性)の大沢せんせい、男性保育士の大先輩、元気せんせい。
竜太がいちおう主人公だけど、章によって秋月やルミ、そして大沢せんせいの視点で物語が語られる。こうすることで、保育園というものの現状を広く深く読者に知らしめようとしている。とくにこの舞台は公立保育園なので、規制緩和や一部民営化、延長保育自由化などの波にさらされる姿にリアリティを感じる。私がさなぎを預けていた保育園は民間保育園だったが、自治体の助成を受けていて、保護者の所得によって保育料が変わるという点では公立と同じだし、設立から半世紀近く経っているのでそんなに事情は変わらない。
さなぎが就学するころになってからだけど、男性保育士も登場したし。

若い新米保育士の目、ベテラン保育士の目それぞれの保育園と保育、子どもと保護者の姿がまんべんなく描かれる。私は保育士ではなく保護者としてしか保育園と関わっていないけれど、たいへんリアルによく書けてると思った。それだけに、小説っぽいわくわくどきどき感に欠けるという印象を否めない。ノンフィクションとして出したほうがよかったんじゃないの? と思った。

もう少し川端さんという作家を知りたくなり、『てのひらの中の宇宙』を借りる。2、3日ずれて『桜川ピクニック』も借りた。
『みんな一緒にバギーに乗って』には、さまざまな保護者(と子ども)が登場する。『てのひらの中の宇宙』も、『桜川ピクニック』も、その保護者(と子ども)たちが今度はメインになって再登場しているのではないか、と思わせるくらい、なんというか、作品の距離が近い。『てのひらの中の宇宙』は二人の子どもを育てる「ぼく」が主人公。五章立てで、四章めだけが「ぼく」の妻の「今日子」の一人称で語られる。「今日子」は病気で入退院と手術を繰り返している。「ぼく」の母である「たーちゃん」が保育園の送迎や食事の支度を時々手伝っている。『桜川ピクニック』は、短編集のかたちをとっている。いずれも幼い子どもをもつ父親の日常を切り取った物語。短編集のかたちをとりつつ、それぞれは互いにリンクしている。これらの父親たちにはとある保育園に子どもを預けているという共通項がある。保育園に子どもを預けているということは母親、つまりこの男たちの妻たちもみなバリバリ働いている女性であり、それぞれの物語では、家庭内における妻との家事役割分担の話、保育園の園長や保育士との関わりの話、大人から見た子どもの面白さ、尊さの話、自分の職場、仕事の話、そして保護者どうし、すなわちパパ仲間との交流の話、が展開する。

『桜川ピクニック』に登場するいくつかの家庭のうちのひとつをクローズアップしたのが『てのひらの中の宇宙』、ではないのだけれども、そのように読めてしまう。『桜川ピクニック』に登場する保護者らの交流点である保育園を舞台にしたのが『みんな一緒にバギーに乗って』、ではないのだけれども、そのように読めてしまう。小さな子どもを抱える家庭。ふたりとも働く夫婦。そうしたカテゴリーに入る世帯というのはだいたい状況が似通ってくるということなのだろうか。個別事情はもちろん異なるし、川端さんがそれらを細かく描写して「まったく同じ状況の家庭なんてありえない」ことを描き出していることも事実ではある。だが個別のケースに配慮する(?)あまり、なのかどうかわからないが、フィクション性が失われているように思えてならない。子育て経験者には「うんうん、こういうことあるある」とうなずく場面ばかりが出てくる。つまり、ノンフィクションを読んでいるような錯覚にとらわれるのだが、ノンフィクションとして読むにはセンセーショナルでなさすぎるし、小説として読むにはありきたりな日常に終始しすぎる。

しかし、(ここが重要だと思うけれど)結婚未経験者、子育て未経験者にはかなり面白いのではなかろうか。若干「描きすぎ」のきらいもあるけど、川端さんの人物描写、情景描写は確かだ。とくに「夫予備軍」「父親予備軍」の皆さんには予習を兼ねた楽しい読書になるんじゃないか(と、これはかなり無責任な発言なんだが)。

川端さんはもともとノンフィクションから出発した人のようである。そしてどちらかというとネイチャー系、サイエンス系の記述が得意なかたのようである。そういう人が父親になり、作家という職業柄在宅していることが多いため、奥さんよりも子育てに、保育園やPTAとのかかわりに自分の時間を費やすことになリ、子育てパパ系の小説を連発した、ということなのだろう。

この三冊の中では最も小説っぽいといっていい『てのひらの中の宇宙』には、川端さんの得意分野が盛り込まれている。もしかしたらどの家庭の父と息子もこんな会話をしているのかもしれないけど、「ぼく」とその長男「ミライ」の会話は生物学や天文学といった分野におよぶ(亀とか火星とか素粒子とか)。川端さん自身が(たぶん)小さな息子さんに自然科学の面白さを伝えようとしている姿も髣髴させる。
そして「ミライ」が時々つぶやく不思議なことばの謎が物語を最後まで引っ張るのだが、残念なことに引っ張る力が弱い……。またいっぽう、「今日子」の容態がひとつの大きな柱だが、実はそれも、弱い。
素材は十分揃っているのになぜ弱いのか。
たぶん、揃いすぎているのだ。
病魔と闘う妻、母の不在にもけなげな子どもたち、自分がかつて遊んだ里山、幼い頃見上げたプラネタリウム。加えて、随所に出てくるとても現実的な日常の描写……。
読んでいるうちに、誰に寄り添えばいいのかわからなくなる。どちらを向いて、読者としての感情をコントロールしていいのかわからなくなる。これがノンフィクションであったら、読み手はおのずと事実関係を確認しようとしながら読み進むので、こうした不安に苛まれることはおそらく、ない。

いろいろな登場人物があって、誰に感情移入しても面白い。小説ってそういうものだと思うし、そういう読みかたをしてきたけれど、川端さんのこの三冊は、それとはちょっと違う。よく書け過ぎていて面白くない、なんて感想をもつことはあまり経験がない。
同い年の人間として、その眼差しに共感する。その観察力と描写力に敬意を表する。が、もっと面白いものが書ける人のはず、とも思う。全作品を読んでいないのにそんなこと言う資格はないけど。最近始められたというニュージーランド暮らしを経て、作家としてひと皮もふた皮も向けてほしいと思う。