冬物語2010/01/12 19:09:56

豆腐と牛乳と(足しても豆乳にはなりません)きな粉と枝豆のパン。おいしいよぉ~~~(^0^)/
パン作りは冬のほうがうまくいきます♪


1月11日に仏映画界の巨匠(という言いかたがあまりフィットしない人なんだけれども)エリック・ロメールが亡くなった。享年八十九。つい三年前にも新作を発表したが、ほんとに力尽きて動けなくなるまで映画を撮り続けた偉大な映画人だった、というような賛辞が各メディアでなされている。ほんとに今日はどこもかもロメール一色である。

彼の映画が大いに日本でもてはやされていたのは80年代後半からだったと思うが、夢見る少女御用達マガジン『オリーブ』でも『海辺のポーリーヌ』や『緑の光線』『友達の恋人』などを「お洒落で胸キュンなフランス映画」として紹介していたように、私は記憶している。エリック・ロメールの名は、その「ろぉめえ~~~る」というおふらんすな語感(そんなものがあればの話だが)も手伝ってか、お洒落で胸キュンな恋愛映画の作り手の代名詞のようにいわれていた。私はといえば、80年代後半はどちらかというとスペインやイタリア、タイやヴェトナムの映画をよく観ていたような気がする。覚えているのは『読書する女』を観て留学先を決めたことだ。この街をミュウ=ミュウのように歩きたい!とは思わなかったが、教室のフランス人講師いわく、モンペリエは勉強するにはもってこいの町だからおすすめだ、どんな街か知りたければ『La lectrice』(=読書する女)を観なさい、であったからだ。ほかにもあの頃の映画といえば『日曜日が待ち遠しい!』『ギャルソン!』『さよなら子供たち』『人生は長く静かな河』などが思い出される。監督の名前で惹かれたのを覚えているのはクロード・ソーテやコリーヌ・セロー、御大ルイ・マルやトリュフォー、またベネックスやパトリス・ルコントらで、エリック・ロメールは関心外だった。

90年代初頭、渡仏した私は現地で「えっロメール観たことないの? もしかして、いい人かもしれない、君って」などとフランス人学生に言われた。それって意味がわからない。そんな顔をしていると相手は「つまりさ、ロメールってすごくフランス的な映画を撮るってことだよ」という。だから留学生は観賞必須ってわけ? 「語学レッスンに最適じゃない? なのに観てないなんて、君って他の人とは違うっていいたかったんだよ」
おだてられたような馬鹿にされたような、やっぱりよくわからないまま、天邪鬼な私は当時ロメールの新作としてかかった『冬物語』を観にいった。ポスターはイラストで、暗い風景の中を子連れの女が歩いている。さぶそうな悲しそうな映画に思えた。

しかし、寒くも悲しくもなかった。ヒロインのフェリシー、彼氏のロイックの二人が喋る喋る喋る喋る喋る。機関銃のような言葉の応酬、しかも早口。発展途上の仏語学習者にはまるで聴き取れない。物語じたいは複雑でないので、それにその会話じたいは(結果的に)大筋と関係がなかったので筋はわかったけれど、もし、ああいう、長いインテリじみた台詞を登場人物がまくしたてるのがロメール映画の特色なら、もう観たくない、と正直思った。
フランス人は実によく喋るから、フランス的、というのはたしかだ。そもそも論理的に会話できるような構造をもつ言語なので、きちんと習得して発言すれば子どもでも論理的な会話ができるのである。成長にしたがって語彙が豊かになっていくと自然と駆使する言葉は増える。フェリシーとロイックの会話には(ロイックがインテリという設定のせいもあるけど)哲学や聖書の引用まで出てくるのだ。もっとも、それがわかったのは帰国して字幕つきで再度観てからだったのだが(涙)。

『冬物語』は四季の物語のシリーズの一つで、他の季節、『春のソナタ』や『夏物語』を観なければ意味がない、なんてロメールびいきのある日本の友人にいわれたこともあった。相互に関連づけられ、人物の台詞にも風景の描写にも、一つが他を示唆するような要素があるのだろう。機会があればまた観てみたいが、なんというか、『冬物語』を二度観て正直ロメールに関してはお腹いっぱいだ。

私にとって、この映画の最もフランス的な箇所は、フェリシーが想い続けたシャルルと再会するシーンだ。けっきょくまた以前のような生活に戻るんだわ……と半ば諦め顔でバスに乗るフェリシー。その顔が突然薔薇色に変わるわけではけっしてなく、劇的な効果音が鳴るでもなく、日常のひとコマとしてそのシーンは描かれて、一気にラストへ収束に向かう。とても気が利いていると思った記憶がある。こうした撮りかたが若い映画人に与えた影響はとても大きいのではないかと、昨今観た幾つかの映画をおさらいしてみると、そんなふうに思えるのである。