わたしたちの神さんには、名前がついてませんけれども。 ― 2010/07/01 19:08:56
「京都の夏を彩る祇園祭が1日、幕開けした。京都市東山区の八坂神社では長刀鉾(下京区)の稚児が「お千度の儀」に臨み、多くの山鉾町で神事始めとなる「吉符入り」が行われた。」(地元紙より抜粋)
当ブログで祇園祭実況中継をするつもりはありません(笑)。けれども、なんだかんだ言って、我が家も氏子だし、おらが祭りじゃって気分になるのは祇園祭が随一。7月になるとどうも精神が高揚します。例年、花粉の症状がようやっと治まるのもちょうどこの頃ですしね。今月いっぱい何かと儀式が続くんですが、覚えてたらメモ程度に書き留めますね。
寺院の数が半端じゃないので、祭りや神事は年がら年中。それぞれの地域にそれぞれの神さんがおられます。ほいで○○祭りというとその前後にぎょうさん▲▲の儀とか□□の礼とかついてくるんですね。きっちり知ろうと思うと結構面倒です。
私んちの神さんは、たまたま日本三大祭に数えられる神さんやったということ。
(けど、その神さんだけがウチの神さんというわけでもなくて、ほかにもいろんな神さんが着いててくれはります)
なんにしても、大好きな祇園祭。
梅雨真っ盛りで連日雨、というのもこの時期。ちょうど山鉾巡行(今年は土曜日ですね!)の頃に梅雨明け、というのがお決まりだったのですが、ここんとこの気候変動でそれも読めない年が続いています。
今も雷が鳴ってますが、お千度は降られずに無事すんでよかったよかった。
神さん、子どもたちをお見守りくださいね。
祇園祭実況中継をするつもりはないと言ったけど(笑) ― 2010/07/02 18:18:08
市役所で「くじ取り式」がありました。
くじ取りは、巡行順を巡り、山鉾町の争いが絶えなかったことから、1500(明応9)年に始まった。1953年7月から市議会議場で行われている。(……)
くじ取り式は門川大作市長の立ち会いで午前10時から始まった。慣例で順番が決まっている「くじ取らず」の8基を除く24基の代表が予備くじ順に登壇して、くじを引いた。
「山一番、孟宗山」と、孟宗山保存会の山下麗雄さん(68)の力強い声が響いた。孟宗山の山一番は戦後10回目で最多。山下さんは「平山郁夫さんの原画を元にした胴掛けをお披露目するので一番はありがたい」と語った。」(地元紙より抜粋)
ほしい人います? 市内でしか買えないから、他都市他府県のかたでご興味あるかたはどうぞ、ご連絡くださいな。2割増料金で承りますわ(爆)
「コラボ」って、余所ではあまり言わないでね ― 2010/07/04 13:28:50
ナチス・ドイツ兵とフランス人との間に生まれて』
ジョジアーヌ・クリュゲール著 小沢君江訳
祥伝社(2007年)
痛そうなタイトル……。
毎日蒸し暑くて、じめじめしてて、何するにしても意気上がらない日々にこんな本を読むとますます気が滅入る。といっても内容にケチをつけているわけではない。
漠然と承知していたはずの事柄だったけど、今さらな感じで事細かな明細書を突きつけられ、その悲惨項目を一つずつ確認してチェックマークつける、というか認印を捺印させられるみたいな、暗澹たる思いのまま読み終えねばならない。文章は淡々と、ああだったこうだったと事実を述べている。「あまりに淡々としていて却ってそら恐ろしい気分になる」といった類の文章ではない。淡々と書き綴ることに何の効果も求めていない。むしろ、著者はありったけの感情を込めてもいる。しかし、そこはおそらく書き手としては素人なので、表現にあまり工夫がなく、肩透かしを食らうというのか、へ、それだけ?みたいに盛り上がりに欠けたり、読者を欲求不満の溜まりに置き去りにしてさっさと次のトピックに移ってくれたりする。
この本は、読者をある種の世界に誘(いざな)うとか、読者に何がしかの分野に関心をもってほしいとか、何も要求していない。ただ、今まで黙っていたけれど語る気持ちになったから語ります。そういう姿勢だ。ナチス・ドイツ兵とフランス女性の間に生まれた「禁じられた愛の結晶」たちはフランスに20万人いるそうだ。周囲から白眼視されたまま悶々と生きていた彼らに、ようやく、戦後60年という時間が、ようやく語りたいという気持ちにさせた。著者ジョジアーヌ・クリュゲールはそのひとりなのである。
ちょっとワタクシゴトに逸れるが、留学時代、間借りしていた家はユダヤ系フランス人とドイツ人のカップルだった(破局したけど)。そのユダヤ系フランス人のジュディットは、自分の両親がパートナーのことを良く思ってくれないのは「彼がドイツ人だからというのが大前提にあるのよ……彼の責任じゃないのに」とため息をついていた。
現代の、《戦争を知らない子どもたち》の恋愛にさえ「かつてナチスが存在したこと」は暗い影を落とす。
ドイツ人であることは彼の責任じゃない。それ以上に、仏独カップルの間に生まれた子どもに、その出自に関する責任はない。子どもには出生地も親も選べない。しかし出生地や「親が何者であるか」によってその処遇が理不尽にも左右されることの、どれほど多いことだろう。そんな例は私たちの身近にも嫌というほどある。
本書は、好んでそんな境遇に生まれたわけではないのにそんな境遇のせいで人生の歯車が老いるまで噛み合わなかったある女性の半生の記録である。
著者はとかく男性とうまくいかない(誰かさんみたいだよ)。
著者の母親は戦時にドイツ兵を愛した。そのことをけっして恥じてはいない(と著者は思っている)のだが、自分の口からそのドイツ人のことはついぞ語ったことがなかった。娘にも隠し通し(隠しきれてなかったのだが)、後ろ指をさされても陰口を叩かれても、知らぬ存ぜぬを通してある意味毅然と振る舞った。そのこと自体は悪くはなかっただろうが、娘は母がどのように人を愛したか、なぜ、どんなふうに父と出会って愛するようになったかひと言も聞かされることはなかった。母親はただ黙って働き続けた。そして、ある日突然フランス人男性が現れて家に居座るようになり、あっという間にぼこぼこと、著者にとっての異父兄弟たちが生まれた。母親は、お母さんに恋人ができたのよ、とか赤ちゃんが生まれるのよとか何もいってはくれなかった。ただ事実が目の前で説明されないまま展開されていき、著者にとって非常に居心地の悪い家庭が形成されていく。
著者は14歳で家を出て働き始める。
母親が、あなたのパパは素敵だったわとか、新しいお父さんはこういう人なのとか、あるいは青春時代の異性との出会いとかについて少しでも娘に語っていれば、著者はもう少し器用に恋愛できたんじゃないかと思わなくもない。当然、著者にも恋が訪れるが、不器用すぎてどうすればよいのかわからないのである。
また、新しい伴侶との間の子どもたちと著者との関係は非常に険悪なのだが、そこは当人たちにはあまり理由も責任もなく、母親が仲介役をまったく果たさなかったせいなのだ。
帰る家もないに等しい。
著者は、アレックスという男性と出会って結婚する。だがそれも、彼が生涯の伴侶だと思ったというよりは、自分だけの家庭をもちたいという気持ちが先行したのだ。アレックスとの間に男の子が生まれるが、アレックスとは離婚に至る。そののち、マイクと出会って暮らしを共にするが、最初から負け戦、つまりいつ破局してもおかしくないような暮らしかたではあった。しかしそのマイクが力を尽くしてくれたおかげで、ドイツ兵だった父の、在ドイツの家族と連絡がとれるようになり、彼らとのかかわりが思いのほか幸福な方向へ進むのである。このことはジョジアーヌにとっては奇跡に近い福音だった。なのに、そのきっかけをつくってくれたのはマイクなのに、彼との間には子どもも生まれるのに、不幸な破局を迎えて終わってしまう。
著者は、近隣の住民から、学校の教員から、クラスメートから、ドイツ人の血を引くというだけで罵倒され蔑視される。温かい目を向ける人もいなくはないが、十分ではない。学校で一番の成績をとることができたから、それまで暴言を投げていた教師も黙るようになったりするが、とにかくいつも著者は孤独だ。
子どもに「K」で始まるカールという名前をつけたとき、看護師や周囲から名前の由来を聞かれて「私の父はドイツ人ですから」ときっぱり答えたとき、相手の目の色顔色態度が大なり小なり変わるのを目の当たりにしたが、もうその頃には、ドイツ兵が父であることのハンディキャップを自虐的に楽しむようになっていた。
著者の母親はドイツ兵と愛しあった2年間を封印し、開示することなく闇に葬り去ると同時に、自分自身も目を外へ向けようとはしなかった。戦後、長い長い時間をかけて、世の中の「常識」が変移していき、かつての偏見も少しずつ影を潜めていく。しかし、母親にとって禁じられた愛は永遠に禁じられたままであり、その結果としての娘(おそらく父親似である)の存在は、たぶん疎ましいばかりだったのであろう。彼女は何もいわないまま亡くなった。
著者のような人々にようやく光が当たるようになり、語る人々が出始め、テレビが取り上げるようになると、にわかに世界が動く。20万人の「生まれるべきではなかった」子どもたちにようやく、自身のルーツを求めてドイツを訪問したり、父親の墓参をしたりということが許されるようになった。
本書は小説ではない。事実と著者の気持ちが時系列で綴られているに過ぎない。実に正直に、飾り立てることなく語られている。物語性は考慮されていないので、物語と思って読むとつまらない。第二次大戦が仏独に遺したいくつもの大きな傷跡の、ひとつの形の、一例である。
*
街を歩いていると、「コラボ」という名のカフェがあった。「COLLABO」と綴られていた。それを見てフランス人が仰天した。日本人の私たちは長たらしい外来語をよく略したり縮めたりして用いる。コラボレーションのことをコラボというのもそのひとつだ。
「それはもちろん、わかるよ。フランス語だって同じさ。でも、ことこの言葉に関していうとさ、collabo、とだけいうと、それはナチ占領下の対独協力者の意味にしかならないんだよ。僕らのような戦後の世代だってcollaboという語を見るとぎょっとする」
「コラボ」という語は「ボッシュ」(ドイツ野郎=ナチ野郎)という語と同じく、強い敵意を含んでいるのである。
みなさん、だから、協力するという意味の言葉を外国で発言するときには略さずにcollaborationとはっきり言ってくださいね。
歌うつばめちゃんたち ― 2010/07/05 19:10:55
7月5日の祇園祭 ― 2010/07/06 19:20:13
吉符入りは各山鉾町によって行う日が異なります。また、長刀鉾だけが生き稚児を乗せるので、このように稚児舞を披露するのです。
お稚児さんやかむろに選ばれると、名誉なことですけどそのお家はたいへんです、いろんな面で。ですから、葵祭の斎王代同様、老舗や元お公家や何かの家元や大企業(ベンチャーやなり上がりは駄目)のご令息でないと務まらないので普通の人々からは選ばれないんです。
今年も、もう半分過ぎてしまったのね ― 2010/07/06 19:28:14
あ、もうひとつ、愛するドーニャというのは先日他界した金魚である(笑。何よ、文句ある?)。
新しい金魚をいただいたのである!!
Mさんから、「金魚送りましたしね」の一報を受けていたので、届くことはわかっていたが、箱の巨大さに仰天。
わくわくわく、おっかなびっくり、どきどきどき。
箱を開けると、そこにはなんと超巨大な金魚が!!!
酸素でぱんぱんに袋を膨らましてあっただけだったのだが。
それでもそのぱんぱんの袋の中に、なんと15匹もの美しい高級魚が泳いでいた。
Mさんにメール。「15匹もいました」。
Re:「えっ……」
ウチに金魚を送ってくださった金魚屋さんは、Mさんの伯父さまである。Mさんは数の指定はされなかったようである(笑)
「伯父はプロです。金魚たちもハイクォリティですよ」
プロの金魚屋……なんとかっこいい響きであろうか。
ごく一部の超愛好家または通(つう)にしか飼えないといわれるランチュウもいる。
ランチュウは背びれのないのが特徴で、ちょっぴり、ずんぐりむっくり体型。泳いでいるというよりも、提灯が横になって揺れてるといったほうがぴったりだ。
しかしその晩、私自身の帰宅が遅かったので、続きは明日、ということにした。
それがいけなかった。
いちばん小さな金魚姫が、翌朝早くも浮いてしまわれた。アーメン。
慌しい朝、雨漏り現場をバケツ節約型レイアウトに変えて、とりあえず二つに分ける。とはいっても、水は24時間汲み置かないと金魚を入れられないので、この日の朝にはまだ使えず夜まで待っててねと声をかけて出かける。エアポンプの予備がなく、キンスキーたちの水槽から一つ引っ張り出してバケツに入れておいたが、2個目のバケツはポンプなし。そのことがちょっぴり気がかりであったが。
果たして帰宅すると、ポンプを入れなかったバケツの中で、2匹の殿様がご臨終……。ナムアミダブツ。
うかつだったが、この殿様たちは例の超珍重種のランチュウさまたちであった。ランチュウなんて、こんな機会でもなかったら生涯お目にかかることはなかったであろう。たいへん惜しく、もったいないことをしてしまった。ほんとうにごめんなさい。短い間だったけど殿様たちに会えて、幸せでござった。
水槽をもう一つ買うしかないなあ。しかし12匹全員を入れられるような大型はとても置けない。置けないし、水換えのことを自分の体力に照らして考えると、大きい水槽は扱いがたいへんだ。現在ある水槽と同じ大きさのをもう一つ買おう。しかしそこにだって5~6匹が限界だろう。賭けだが、キンスキー家とタニシ家に少しずつ入っていただいた。けんかするなよ。意地悪するなよ。魚介類みな兄弟。
やっと買い物に行ける日曜日!
娘と私はホームセンターへ自転車を駆った。頃合いのお買い得な「金魚飼育セット」を発見し、迷わず購入。底砂と、エアポンプのフィルターの予備も買い、ついでに蛙のミドリの餌も買い、自転車の前籠に入りきらない水槽を手で押さえながら帰路を疾走。
しかたがないので水道水を足し、翌日午後まで待っていただく。
月曜、帰宅してすぐに水槽に移す。
我が家に到着して1週間。ようやく広いところでのびのび泳いでいただけるようになった。
ご覧あれ。新しい家族が増えた。ドーニャ、君に代わってたくさんの姫や王子が来てくれて賑やかになったよ。みんなが長生きするよう、見守っててね。
↓ この水槽はタニシ家。いちばん小さな姫君たちが3匹いらっしゃる。
↓ キンスキー家。手前に見えるビッグなワキンがキンちゃんである。ここに、中ぐらいの皇子たちが3匹おわします。
いまごろ天の川を泳いでいるかしら……(しくしく) ― 2010/07/07 22:56:04
金魚は暑さと湿気に弱いので、毎年夏場はぐたーーっとしている。その上にニューメンバーが加わるなど環境も変わったし、小さな体にはキツかったか。
このチビスケはどういうわけか、あまり育たなかった。残り3匹が大きな金魚だったので、エサ争奪戦で負けてばかりいたのか、小さい体のまま。そもそも体力不足であったのだな……。安らかに眠れよ。
といいつつ、一日を終えて帰るとこんどはニューカマーのうちの一匹が浮いてござった。
高級魚ランチュウの、残り一匹だ。
ランチュウはたいへんデリケートで弱い体質だと書いてあった。
それで、着いて早々殿様2匹も天に召されたのだが、もう1匹小さめのランチュウ王子が元気に残っていてくれたのだが。
ほんまにほんまに惜しいことをした。ごめんな。それにしても、どうしてやればよかったんだろう。わからないままだけど、ほんとうに一瞬のランチュウさまご来訪であった。
今日は七夕。
ウチのチビワキンも、ランチュウ王子も、今頃天の川を泳いでいるやもしれぬ。
よい旅をしてくれい。
ここ数年なかったことだが、今夏は金魚の埋葬ばかりしている。ドーニャを皮切りにもう6匹。落ち込むよぉ……。久々に、ほんとうに辛い夏である。娘が小さかった頃はそれこそ金魚すくいで大量にゲットしていた金魚をその夏のうちにつぎつぎ見送ったので、毎年夏は辛かったが、しばらくそういうことも経験していなかった……。
あとのみなさん、どうか暑くて不快な夏を、がんばって乗り切ってくださいよぉー
新しい家族みんなで仲良く手を取り合って生きていこうなあーー
7月7日の祇園祭 ― 2010/07/08 19:34:31
動画も見られます。
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/movie/player.php?id=20100707gion-ayakasa
(7/5の長刀鉾の吉符入りの動画や、去年の祭の動画もあるみたい)
生き稚児を乗せるのは長刀鉾だけと書いたけど、そのとおり「乗せるのは」長刀鉾だけなのです。綾傘鉾の「鉾」は「傘」だけで、巡行時は皆さん、徒歩です。だからお稚児さんも、何にも乗らずに手を引かれて歩きます。
「祇園祭で「鉾」といえば、見上げるような大きな車を指すのが通例です。しかし、綾傘鉾にはそういうものはありません。鉾は大きな傘のみです。こういう、いわゆる風流傘形式は、実は祇園祭(御霊会)の草創期からあるものですが、室町期以後山鉾が大型化しだすと、かえって異彩を放つ個性的な存在となりました。
巡行における綾傘鉾は、この大きな傘を中心に、衣装に身を包んだ稚児や棒振りと太鼓方、そして浴衣姿の囃子方などの行列によって成り立ちます。
大きな鉾の場合、お囃子はその鉾の上で演奏されますが、綾傘鉾の場合は、鉦・笛・太鼓が歩きながら奏でられます。いわゆる徒歩囃子です。巡行の間中、各楽器はずっと手持ちです。
囃子方のうち棒振りは、ほかの鉾のお囃子には無い傘鉾に特有のものです。綾傘鉾のお囃子が別 名“棒振囃子”と呼ばれるのもその故です。」(HP「綾傘鉾のすがた」さんより引用。)
綾傘鉾公式サイトはここです。
http://www.ayakasahoko.com/
いきなり理事長さんの顔が出てきますが、ひるまず(笑)いろいろなボタンを押して見てあげてください。棒振り囃子は非常に優雅かつ勇壮で、神聖な舞です。顔を隠してはるのでなおさらカッコイイのです。
皆さん、綾傘鉾をどうぞよろしく。
面白すぎる ― 2010/07/08 21:23:18
(ロシア語も再現できる素晴しいアサブロ)
Fyodor Mikhailovich Dostoyevsky
(↑ 英語ではこう綴るドスト君の名前)
Fedor Mikhaïlovitch Dostoïevski
(↑ 仏語ではこう。ファーストネームはFiodorとも)
『地下室の手記』
ドストエフスキー著 江川卓訳
新潮文庫(2002年版)
この大作家さんの作品は『罪と罰』しか読んだことがなかったが、それはすごくすごく昔の話で、何が罪で何が罰なのか内容はまるで覚えていないに等しかったので、この作品関連で仕事の話があったとき、再読しなくちゃと『罪と罰』の文庫を買い求めたが、そのとき横にあった薄い本書もついでに購入したのであった。しかしそれから長いこと触れることなく放置されていたが、こないだ再読していたサイードの『ペンと剣』を本棚に戻したときにこの本が目に入り、読んでいなかったことを思い出し、それでこれを読むことにした。なにもいま、こんなに不定愁訴でしんどいのにドスト君でもなかろうによ、と自分でも思ったが、いや、今こそ読むべきなのだ、なんて逆境に立ち向かうつもりで読むことにした、わけでは全然なく、暗くてつまんなかったらやめよう、とそのくらいの気持ちで読み始めたのである。するとどうだろう。面白すぎる。とまらない。文庫なのでバッグに入れて持ち歩き、昼休みの食前食後や、外出時の電車の中とかで読むが、焼鯖定食が目の前に置かれても、車窓から降車駅のホームが見えても、ページから目が離せなくて、本を閉じる踏ん切りがつかなくてとても困る。残り少ない時間にばくばくと食べて苦しくなったり、慌てて鞄やジャケットを抱えて駆け込み乗車ならぬ駆け出し降車なんぞする始末。
たぶん江川さんの翻訳がよいのだろう。絶妙な言葉遣いで面白さを何倍にもしていると思う。いっぱい引用したい箇所があるけれど、あまりにもいっぱいあってきりがない。毎行毎行面白いので、引用し始めたらきっと本書を丸写ししたほうが早いだろう。それに、大作家の傑作のひとつだから当ブログのレギュラーメンバー、準レギュラーメンバーの皆さんはたいていお読みであろう。
「二二が四」(2×2=4)には逆らえないとか、ぼくは虫けらにもなれないとか、現代のちゃんとした人間は臆病者で奴隷であるとか、ハイネは正確な自叙伝なんてありっこないといっているとか、女遊びにふけったとか、ぼくはやせっぽちでちんちくりんだとか……最初から3分の1くらいまでは、兄さん何言うてますねん、みたいな感じで引きこもり男の自嘲的自己弁護と思い出し笑いと嘆きが続く。具体的な登場人物の名前が出始めると、「手記」が「色」を帯びてきて、物語性が強くなってくる。
本作が画期となって、ドストさんは『罪と罰』はじめ数々の名作を、後世に残るだけでなくこれほどまでに読まれ愛され研究され議論され続ける文字どおり不朽の名作、大作として人々の記憶に刻まれるほどの力をもった書物として送り出すことになる。本作を書いたときドストさんは42歳。40歳ちょい過ぎって、やはり男性にとってはお年頃なのね。四十にして不惑というしね。ある種の転換点であったり目覚めであったりするのね。いえ、周囲にも、ドストさんのような偉大な作家とは並ばないけど、そういう例が散見するもんだからさ。
女はどうだろうか。女は子どもがいる場合は子どもの成長が節目になるし、何人もいる場合は節目だらけでややこしいから、30歳になった、40歳になったといっていちいち「よっしゃあ」とかゆってられないよね。私の場合は27歳というのが憧れの年齢だったんだけど、その次はロートレックが死んだのが37歳のときだったというので自分の中では、べつにアンリと何の約束もしてないけどさ、37歳までは死なないわ、みたいな決意があって(笑)、でも27も37もぴゅーーーっと過ぎてもう次の「●7歳」が目の前じゃん。やばっ。ウチの子も高校生になるやん(なるんか)。やばっ。あ、いや、自分のことは置いといて。
じゃ、子どもがいなかったらどうなんかな。子育てを経験していない女性の人生の画期ってどこだろう。もちろん、職業や家庭環境で一概にはいえないけれども……男性と同じように40歳というのはある意味で節目ではないかなと思う。そんなふうに言った先輩女性がいた。ちょうど私が40になろうとしたときに、「あなた今からスタートラインよ」と。
ワタクシゴトを続けさせてもらえば、40歳は別にスタートラインでもなんでもなかったし、単にいろいろな事どもが「継続中」であったが、しばらくして振り返ると、その頃から本格的に書くことが仕事になってしまったので、そういう意味ではそうだったのかも。
『地下室の手記』って、いま世に氾濫するブログみたいなもんだな。どこまで真実でどこまでホラなんだかわからないし、浮いたり沈んだり、自分や他人を褒めたり虐めたり。てことは、ブログやってる人の中から大作家が生まれるのも道理なわけで、まだその例はないかもしれないが、将来的にはあるかも、だね。みんな頑張れ!(さて誰に言っているでしょう? 笑)
もし、まだ本書を未読のかたがおられたら、これは超お勧めです。まじです。カラ何とかの兄弟とか大作長編を読む前に、お試しあれ。もちろん、江川さん訳でないとだめよ。