C'est vraiment triste une catastrophe comme ça. Je pense à toi et prie pour le Japon.2011/03/13 01:15:15

ずっとラジオをつけっぱなしにしている。いつもインターネットで聴いているRadio France Internationaleである。15分ごとにニュースが更新されるが、必ず日本の地震と津波の最新情報を伝えてくれる。

地震が起きた時、私の町は震度3だったそうだが、私は出張先で取引先の営業さんが運転する車で移動中だったので何も感じなかった。地元に帰りJRの駅に降り立つと、新幹線乗り場方面がただならぬ人だかりで、また人々の表情は一様に険しく、なにがしかの異常事態が起きたということがわかった。間もなく駅のアナウンスが東北に地震があったために新幹線が運休となっていることを告げる。それはもう何度も繰り返されているらしいアナウンスだった。東北って、そんな遠いところの地震のために全線ストップしちゃうなんていったいどんなに大きい地震だったんだろう。とりとめもなく思い巡らしながら帰社すると、東京に家族のいる社員たちが「電話が全然つながらない」といって青い顔をしていた。

東京の混乱ぶりを把握でき、社員の家族たちの安否も確認できたが、インターネットには大津波の映像が配信されていた。それは仙台空港を飲み込む瞬間の映像だった。明らかに悪意をもった黒い泥波が、人間の築いたものを食いつくそうとするかのように、牙を剥いて襲いかかった瞬間だった。

とんでもないことが起きている。
内陸に住む私たちは、紺碧の空と海への憧れは強いがその怖さを想像することができない。波は海底の震動によって巨大になりどんな遠方からでも勢いを保ったまま陸地へ到達し道も家も人も飲み込んでしまえる、そういうものであることに、思いが行かない。

火災も発生した。
1995年の地獄絵のような映像が瞬時にして甦る。
どうか早く鎮火して! などといくら願っても祈っても届かないのだ。
気になるが、金曜は一日出張先にいて、社内での仕事が山のように残っていたので、まずはよそ見をせずに黙々と原稿を捌いていった。

帰宅してマイMacのメールを開けるとフランスからこちらの様子を心配するメッセージが届いていた。
1995年のあの日の翌日も、遠方からたくさん電話をもらった。高い電話代をものともせずに皆かけてきてくれた。数時間もの間まったく電話がつながらなかったので、私も神戸の友人につながらなかったし、私にかけようとした人たちも何度も試みたようで、ようやく私の声を聞いたとたん電話の向こうで大泣きする人もいた。
あの時も、今回も、同じだ。
私や私の町を案じてくれるその気持ちは痛いほど嬉しい。
が、私たちには何も被害がない。
「大丈夫だよ」
とのこちらの声に
「ああ、よかった!」
と心底安堵してくれるその言葉に複雑な気持ちになる。なにも、よくなんかない。問題は「ここ」ではない。何も喜べない。

自分が書くことをなりわいとしていることに、とてつもなく無力感や虚無感を覚える。ここでこうしてぐだぐだ書いていて、どうなるというのだ。誰ひとり救えはしないのである。どんな傷も癒すことはできないのである。何も、前に進められないし、何も、受けとめることができないのである。

身を挺して被災地のために働く人々に、神よ、力を!

"Don't give up, Japon!"... Mais ce n'est pas facile...2011/03/14 00:42:46

こんなのを見つけました。
応援、嬉しいことですね。
でも。
しんどいよね。
とっくに力尽きてしまっても、いる。
泣き崩れてしまいたいよね。
失ったものの大きさすら、まだ、わからない。
ただとてつもなく大きいということだけしか、わからない。

一緒になって萎えてしまいそうになる心を奮い立たせなければいけないのは私たちなのだろう。
Don't give up!
自分に言い聞かせよう。

Il faut réfléchir maintenant?2011/03/15 17:41:06

購読中のメールマガジン、チェチェンニュースからの転載。
チェチェンのことにも触れているけれど、今回は主宰者のある見解のみ抜粋。
(日時:2011年3月13日 22:51:26:JST)

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■地震と原子力災害と私たちーー原子力資料情報室の情報に注目を(大富亮/チェチェンニュース)

 東北地方の悲惨な状況にもかかわらず、私の住む神奈川県は平穏です。町は買い物客で混み合っていました。それでも、ラジオや懐中電灯、電池は品切れの張り紙。平穏なようでいて、実は不安な私たちの気持ちをよく表現しています。
 10年ほど前、仕事の必要に迫られて、原子力関係の本を読み漁っていた頃がありました。それ以来、原子力の問題はかなり批判的に考えるようになっていました。今回、枝野官房長官の会見を何度も耳にするうち、内容をそれまでの知識と突合せ、「なにかがおかしい」「本当はもっと深刻なはずだ」と思わずにいられませんでした。
 その矢先、福島第1原発の1号炉の建屋が吹き飛んだのです。いま、1号炉で漏れた放射性物質は北に150キロほどはなれた女川原発に届いているという情報もあります。
 「どうしてこんな地震のある日本に原発を作ったりしたんだろうね」という声を町で聞きました。それはきっと、あなたも、私も原発の恐ろしさうことを知ろうとせず、反対の意思表示もしなかったのだから、当然といえば当然です。私に関して言えば、例の「読書」は、頭の体操でしかなかったのです。
 震災に見舞われて、家族を海の彼方に連れ去られた人々の上に、今度は放射能が降り注ぐのでしょうか。どうか、原発で行われている必死の努力が報われますように、祈ります。
 私は今、電力の一大消費地、関東圏に住んでいます。関東地方には原発はなく、もっとも近いところでも、東海村、そして御前崎の浜岡原発です。東北の大震災によって、東海地震が引き起こされる可能性もあると思います。少なくとも、危険な断層上に立地している浜岡原発は、今すぐにでも停止しなければなりません。地震の続く新潟の柏崎刈羽原発も、危険なはずです。
 本当に原発が安全なら、東京に作るべきでした。
 しかし今は、「東京に作らなくてよかった」と思ってしまう私がいます。では、福島だったらよかったのか? よかったとすれば、私たちに、原発や死の灰が風に乗ってやってくることを想像し、恐れ、どんな風にそれを受け止めるかを、考える時間を与えられたことだと思います。
 なによりも、明日の日本を、原発のない国にするためには、どうしたらいいかを、切迫感を持って考える時ではないでしょうか。もし手遅れだとしても・・・今でなければ、いつ? ということです。
 政府からの情報は極めて限られたものです。しかし、市民団体の原子力資料情報室は、長い反原発の運動と研究を通じた蓄積をもとに、情報発信を開始しています。ぜひ、同室のサイトや、毎日行われている記者会見を、ネット上でチェックしてください。この情報を、つよくお勧めします。
 世界全体の未来を考えれば、まだ、手遅れではありません。この危機を、真剣に原子力の、核の問題を考えるきっかけにしましょう。

 http://cnic.jp/ (原子力資料情報室)
 http://www.ustream.tv/recorded/13293527
 (13日17時から開かれた記者会見の録画)

Ce n'est pas leur faute, non plus!2011/03/15 17:58:44

のほほん、としていて、私にとっては癒し系の鈴木晶さんのブログ。
http://shosbar.blog.so-net.ne.jp/

バレエの研究家なので、おのずとバレエについての言及が多い。でもここ数日はもちろん地震のことである。勝手ながら、今日のつぶやきを、たいへん共感を覚えたので、転載する。

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2011-03-15 12:40
原発

 石原慎太郎という人は、本当によく舌禍事件を起こす人だ。東北関東大震災は、我欲に走る日本人にたいする天罰だ、と発言したそうだ。日本人が我欲に走っているということについては、心から賛同する。でも被害にあった東北の人びとがとくに我欲に溺れていたはずもない。罹災者たちが彼の発言をきいたら、殺意を抱くと思う。  
 今朝(15日)の菅首相、枝野官房長官の談話にはいささかの感動を覚えた。危険を顧みずに原発の被害を最小限に食い止めようと必死に取り組んでいる、東電の人たちへの感謝の意を表明していたからである。
 東電の会見をみていると、例によって新聞記者の態度がわるい。事故があるといつでもそうだが、新聞記者はいつもの「上から目線」に加えて、にわか「正義の味方」として糾弾口調になる。
 津波は東電のせいではない。その後のトラブルも、べつに東電の管理がずさんだったせいではなかろう。福島の原発で必死に事故を食い止めようとしている人たちには心から感謝したい。大量の放射能が漏れ出したら、最初に被爆するのは彼らだ。
 私たちが今いちばん口にしてはならないのは、「それみたことか、原発は危ない。原発なんか作るべきではない」という批難だ。
 原発反対運動の人たちも、さすがに今はおとなしくしているが、事態がおさまったら、かならずや反原発運動が盛んになるだろう。そういう方々が、電気のない生活をされているなら、その言葉にも耳を傾けようではないか。
 私だって放射能はこわい。でも、原発がなかったら、今のような生活は維持できない。「電気は使いたい、でも原発はいやだ」というのは子どもがだだをこねるのも同然である。
 正直を言えば、私も原発に反対である。そのかわり、テレビ局の数がいまの半分になり、放送時間が半分になっても、なんの不満もないし、時々停電しても文句は言わない。夜の街がもっと暗くなっても不満はない。

Toutes mes félicitations !2011/03/16 01:46:47

昨日、卒業式だった。
こんなときだけれど、子どもたちには心の底からおめでとうを言ってやりたい。この日を無事に迎えることができたことを、素直に、心から、喜びたい。

式典に先立って、全員で、今回の災害で亡くなった人たちに黙祷を捧げた。
また、卒業生を代表して元生徒会長が述べた答辞では、命の尊さを肝に銘じて……と、東日本の大地震に触れていた。

わたしはといえば。
花粉の飛散がひときわ多い日でもあった。でも、晴れ着にゴーグル、マスクでは洒落にならんので、目薬を携帯し、薬も忘れずしっかり飲んで出かけた。隣でも後ろでも、凛々しい我が子の姿を見て号泣しておられたが、なんつってもまだ15歳、手も金も本格的にかかるのはこれからだぞという思いが強いわたしは、念入りにリハーサルを重ねたらしき立派な式典には感動したけれど、号泣して顔をくしゃくしゃにせずには済んだ。というよりも、着物を着ていると、(めったにないことなので)頭のてっぺんからつま先まで極度に緊張するのだろう。感動の涙も出なければ花粉による目のかゆみ、くしゃみ、鼻水も出なかった。しかし帰宅して着替えたとたん、室内にいたのに花粉症の症状が今年度最重篤状態で噴出した。ということは、つねづねいかに緊張してないか、ということだ。例年、この時期はほとんど月光仮面だけれど、そんな姿で重要人物にインタビューできない。その時間だけはプロテクター類を外すんだけど、それで困った記憶はない。やはり緊張していると症状は出にくいのだ。ずるずるくしゃくしゃこりこり、しているときは頭も神経も気持ちも緩んでいるんだわ。

花粉症ではない我が娘は、式典の前半は余裕の表情だったが、最後のほうはもう鼻も頬も真っ赤っか、涙で顔全体をぐしょぐしょにして退場していった。よかよか。今しか流せない涙だからね。

近隣に不幸があったので、我が娘はお通夜に参列し、その足でレッスンに行き、夜遅くに帰宅した。わたしは、ほぼその時間まで目と鼻の絶不調にあえいで寝転がっていたが、ようやく起き上がって一緒にニュースを見ると、静岡で地震が発生していた。
お世話になった人が住んでいるし、友人知人にはかの県出身の人もなぜか多く、たいへん気がかりだが、いまのところ大きな被害はないようだ。

気がかりと言えば原発がこの先どうなるのか、ということが恐ろしい。しかし知識もないので思考できないし、あれこれ情報が飛び交うけれど、信用するものを間違えないように慎重になるしかないだろう。

子どもたちが大人へのステップをのぼろうとするときに、こうした事態を見聞し考える機会を得ていることは、当事者の方々にはたいへん不謹慎で申し訳ないけれど、成長の糧にはなると思っている。願わくば、子どもたちが大人になり、それぞれの場所で役割をもち、社会に何らかの貢献をするときには、十代のときに自分の国を襲った未曾有の大災害にうつして、人事を尽くせる人になっていてほしいと思う。

おめでとう。この春卒業を迎える子どもたちみんなへ。
おめでとう。さなぎ。

Je ne peux pas penser à autre chose en ce moment qu'à vous et au peuple japonais. Toutes mes prières sont pour le Japon.2011/03/18 22:21:37


一日がすごく長い。
そりゃま、毎日12時間働いているから実際長いんだけど。
ずっとニュースサイトを自動更新させながら開けている。更新されるたびにチェックできるわけではないのだが、それでも最新情報はとりあえず得られる。いや、言われなくてもわかっている。最新情報を得たところで私には何もできない。ただ、ああ気の毒に、ああたいへんだ、どうか無事でいて、彼らをお助けください神様、と心の中でつぶやくだけだ。

とりあえず私たちは大丈夫。何度もそう告げてはいるけれど、報道に温度差のある海外では、ことさらに原発の状況とその影響がルポルタージュされているようで、食いもんあるか?なんて心配するメールが届く。あるよ。困ってないよ。

そんな返事を書きながら、ため息をつく。


自分の時計が被災地情報で刻まれるので、被災者の置かれている状況に変化や進展が見られないと長く感じるのである。


取引先との打ち合わせから戻った上司が言った。
「●●寺の前を通りかかったから、義援金入れてきた」
「へえ、いいことなさいましたね。でも、ホントに被災地へ届くんでしょうか」
「そこやねん、一抹の不安は。義援金入れるとこ、普通の賽銭箱やった」
「それって、お寺の収入として遣われちゃうかもですね(笑)」
「ほんまになあ……大きな寺ほど強欲やからなあ」
「こんなときこそ、だだっ広い境内や本堂や、道場とか研修場とか提供したらどうなんでしょうね。頼まれるの待ってんと、受け容れます、来てください、って言うたらエエのに」
「賛成や。けど、それはそれで社寺間の大いなる競争みたいなもんを引き起こして醜い争いになるような気がせんでもない」
「あ、そうですね。一段落した頃にウチは何人受け容れたぞみたいな坊さま談話が飛び交いそうな」
「いややなー。聞きとないなー、そんなん」

と、ことほどさように市民の信頼を得ていない我が町の裕福社寺の面々であった。が、地元紙のニュースサイトで、「仏教各派救援へ動く 施設開放も検討」という記事が配信されていたのを見た。そりゃ、そうだよね。こういうときこそ宗教者らしいことやらなきゃ、人間でもほとけでもないよといいたい。

普通に寝て起きて、洗濯して食事つくって、いつものようにコートを着込みマフラーと手袋を着け、自転車にまたがって職場へ向かう。原稿を急かすクライアントに心の中で舌打ちしながらもう少し待ってと懇願したり、今たいへん混んでましてと言い訳したり。そんな、ともすればチキショーバカヤローとわめいてばかりの日常がいかに幸せなものかを改めてかみしめては、いる。

いるが、それでも私には私の、まったくもって憂鬱にさせてくれるさまざまなモンダイが、眼前に数え切れないほど多くのハードルとなって立ちはだかってくれる。私は家も流されていないし、原発からも遠いし、現状に文句を言う筋合いは何もないかもしれないが、手に負えない、私ひとりでは解決に程遠い難題をいくつも抱えている。


通学用のスニーカーを買おうね。ハイソックスは紺でないとあかんって。お弁当箱と水筒、可愛いの見にいこうか。……


今のようにほぼ毎日10時間以上仕事に拘束され、月に7日くらいは午前様の日があり、休日の半分は潰される、というような生活をしていると、私の家庭と体は本当に崩壊してしまう。最近マジでそう思うようになってきた。


母親は目に見えて衰えてきている。病気ではないが、いろいろとよく間違えたり忘れたりすることが多くなった。このことはもう数年来起こっているのだけれど、運動能力の低下は顕著で、やはり歩けなくなると外に出るのが嫌になるし、外に出ないと刺激がないので記憶力やコーディネート力が低下する。そんなわけで任せていたいろいろなことを任せられなくなり、といって何もさせないわけにもいかないのでできることとできないことをこちらで調整してやってコントロールしながら、できることはできるだけこなしてもらわなくてはならない。そんなに複雑でも難しくもないことなんだが、いかんせん私に時間がないのでじっくり検討する機会がないのだ。てことはつまり、母が担ってくれていた家事はなし崩し的に私の役割と化しており、まったく毎日一秒だって家では座っていられない。
娘は何でもひとりでできるようになったが、とりあえずオカネのかかるヒトなので、もっと副収入が欲しいのだけれど、現状では家で一秒も空いた時間がない。これではスーパー闇仕事も請けられない。


それより、ヤツのために4月からお弁当ライフである。
これまでも年間に数日程度とはいえ、給食休みや休日練習や競技会とかなんとかいってお弁当の日はあったのだが、それはあくまで非日常的なイベントであった。これが毎日となると生活習慣を根底から考え直さねばならない。そこの奥さん、笑っているけど、アタシにはターイヘンなことなんざんす! でもでも、だんなさんの分、上の子の分、下の子の分というふうに毎日毎日複数つくって家族を送り出しているお母さんたちは実際山のように居られるのである。しかもキャラ弁なんかつくってらっしゃるのである。まるで魔法使いである。
私は魔法使いにはとうていなれない。


だから今年に入ってから実は、簡単に作れるお弁当おかず、とかお弁当にもぴったりの作り置きおかず、とかいろいろ練習してお弁当向きおかずレパートリーを増やしている。週末ごとにいろいろな惣菜をどかっと作って毎週連日試食会、って感じ。おおむね好評である。
我が家はそんなに好き嫌いはないので、食事はたいてい大雑把な支度でも何でも食べてくれるが、娘は減量期間がしょっちゅうあるし、母はものが噛めないときている。おのずと草食動物の餌みたいなおかずになってしまうが、パワーはつけないといけないので、育ち盛りの子どもじゃないけど栄養価の高い献立をこころがけている。
娘が盛んに陸上のトレーニングにいそしんでいたときはガンガン食べさせたが、結果、ものすごくウエイトアップして筋肉モリモリ(笑)。これじゃ舞台に立てませんよというくらい逞しくなっちゃったのであった。ついた筋肉はなかなかとれないが、ウエイトダウンは徐々に進み、小さくいくつも目標を置いて小刻みに達成しているようである。

食糧確保もままならない被災地の皆さんを思うと、贅沢な難題だとはわかっているが、だからといって放棄できない。はあー。と、眼前の山積み問題あるいは無数のハードルってやつのひとつふたつを披露してみた。ま、がんばるさ。とりあえず私は母親で世帯主だからさ。




La France va envoyer au Japon 130 tonnes de matériel spécialisé2011/03/19 22:47:43

パリの猫屋さんブログを読むとリベラシオン紙によると《フランスはアレヴァ・EDFなど原発企業が所有する130トンに及ぶ核対応特殊マテリアルを日本に送る予定》なのだそうだ。つまり原子力のプロたちが「これ使いな」と困ったときのお役立ちツールをくれるというのだけど、原発事故からこっち、嫌というほど感じたのは、日本ってほんとアマチュアなのね、ということだ。原発なんて、一介の電力会社がやることじゃないんだろう。発電には違いないけど、扱うものは核である。核兵器を長年研究して開発して実験して、なんてことを専門企業がやっているような国とは、その実力においてプロ野球と草野球、いや三角ベースほども差があるのだ。

フランス語でニュースを読むといったって、難しい話になると辞書を引いたってわからないし、そんな暇はないので見出しだけ見て何を報じているかだけを目で追う程度のことしかしていないが、フランスは原発大国なのでおのずとその記事が多数を占め詳細になっていることはわかる。連日リアルタイムで原発の様子をレポートし、詳しい図表をつけたりしている。国内紙の記事を読むよりよほどわかりやすかったりする。

私には、放射能のほんとうの怖さはわからないし、国内にわかっている人がいるとも思えない。私たちは被爆国の国民だけど、そのことと、原子力発電によるエネルギー生産とは次元が違うと考えてきた。みんなそうだったはずだ。
日本では、「だからいわんこっちゃない」的な論調が目立つように思うがどうだろう。「世界唯一の被爆国が原発をもつなんておかしい」とか「地震国で津波の恐れもあるのに沿岸部に原発建てて」とか「そもそも東電の隠蔽体質がこの事態を招いた」とか。いちいち正論だが、けっきょくは犯人探しにすぎない。犯人なんかいないのに。要は私たちみんな身の程知らずの未熟者だったわけだからここは大人のいうことを聞きましょう、プロの助言を容れましょう、ということを、それなりの立場にある人にいってもらいたいし、そうした発言を広く国民に知らせてほしい。伝わってくるのはメディアサイドの揚げ足取り的な詰問に対する言い訳や、重箱の隅をつつくようなあら探しや失態のリストアップ的記事ばかりである。また現在懸命に実施している作業をレポートする記事の横に必ず「遅かった」だの「最初の判断ミスが招いた現状」だの、識者のコメントがくっついている。物事、多角的に見なくちゃいけないし、賛否両論ある時はその両論とも載せるのがメディアの仕事とはいえ、あまりにも、最前線で働いている人に失礼じゃないかい、と怒れるのである。

ウチの母は平日は毎日、運動も兼ねて近所の商店街へ出かけるのだが、必ず「両手に2、3個ずつトイレットペーパー持ったはる人に会う」といっていた。今日、私は一週間ぶりに商店街に出かけたが、実際に買い占めている人には会わなかったが、なるほどスーパーの売り場の棚からトイレットペーパーが消えている。テレビのリモコン用に単3乾電池を買おうとしたが、それものこりが1パックのみになるほど買い占められていて、ほとんど商品はなかった。

被災地に限らず、物流が滞ったために店舗に商品が並ばなくなった地域で住む人に、送ろうとしているのかもしれない。何かと事情はあるだろう。だから一概に責められたもんじゃないけど、端で見ていてやはりいい気持ちはしない。もしかしたらやはり単なる我が身我が家庭可愛さ、だけかもしれない。

Quelle cauchemar...!2011/03/20 12:08:43

夕べ、ブログ書きながら眠ってしまった。ここ数か月、帰宅してからマイMacに向かおうにも目を開いていられない。もう嫌よ見たくないわ液晶モニタなんてと目が言っているようである。
それは別に夜遅かったからでなく、昼間でも、PCを見ることを目が拒否しているのがわかる。閉じよう、閉じようとするのである。要は眠いのだが。いくら眠くても、仕事に追われているとか頻繁に電話に見舞われるとか、そういう状況でいれば睡魔も逃げるんだけど、ここのところダメである。
花粉のせいもあると思う。何年か前から鼻より目と喉に強い症状が出るようになって難儀している。今年は大量飛散が早く始まったので、従来スギにはたいして反応しない私も、早くも両目両まぶたが「お岩」状態である。
寝ていろと言われたらたぶん1週間くらいノンストップで眠り続けることができそうだ。そんなことをしたら腰痛悪化で二度と起き上がれなくなってしまうかもしれないけど、それほど睡眠は不足している。PCに向かう時間は過剰である。

こんな時期なのに、リビアで戦争している。
シリアやイエメンでも人が死んでいる。
自然災害は誰も恨みようがない。だから歯を食いしばって、不平を言わず、みんな頑張っている。脱兎のごとく逃げる外国人が多い中,残って手伝ってくれている人もいる。
こんな状態の国が世界のどこかにある今だから、せめて故意に人を殺めることは今は止めておこう、という気にはならないのだろうか。……ならないんだよね、

Bon courage aux sinistrés et aux déplacés de Fukushima.2011/03/21 13:16:36



うんち・おならで例える原発解説~「おなかがいたくなった原発くん」STFR Le problème de la centrale de Fukushima expliqué avec du caca et des pets, "Nucléaire a mal au ventre" STFR

アップロードしたユーザーのコメント (klahachan) Ma famille vie se cauchemar au quotidien alors quand un petit film comme ça redonne pour un moment le sourire au mien, je peux que ravie que cet anime existe. :)

※もとの解説はここだそうです。
http://togetter.com/li/111871
リンク、利いてないのでURLをコピペしてくださいね。

Merci beaucoup, c'est si gentil!2011/03/22 12:43:46

こういうときって、必ずこんな動きがあるけれど、台湾からということに、少し感動する。



何を歌っているかわからないけど、愛情込めて励ましてくれてるのは、わかる。

フランスにいたときのクラスメートに、マリ・ルイーズという台湾の女の子がいた。マリ・ルイーズという名は、フランスでそういうふうに呼んで欲しいという本人の希望で勝手に名乗っているもので、マリ・ルイーズが欧州人の血を引くとか洗礼名を持っているとかではない。

留学先にはアジア人学生がたくさんいた。マリ・ルイーズと一緒のクラスのとき、ほかには韓国人のヤンランやスキョン(いずれも女子)、大陸中国のチャンさん(男性)がいて、マリ・ルイーズもふくめてアジアングループを作りおしゃべりに花を咲かせた。そこに別のクラスのヨンチョル(韓国男子)とかシャオメイ(大陸中国女子)とかジャン・マルクとかリシャール(いずれも台湾男子)やカトリーヌ(同女子)なんかが加わって、実にいろいろな議論をした。私たちの国の外交もこんなふうに愉快に進むといいのにね、なんてよく笑ったものである(ちなみに会話は「初級」フランス語で行っていたが、私たちがワイワイ話しているところへ、あるいはそのあとに欧米系の学生が駆け寄ってきて「ねえねえ、あなたたち何語で話してるの、中国語?日本語?」なんてよく言ってくれたもんだ。私たちの下手な会話はアジア系言語にしか聞こえなかったらしい)。

今書いたように、台湾の子だけが欧風ネームを名乗っているのが、大陸中国人たちには滑稽に映っていたようで、彼らはよくこっそりと「なんで普通に自分の名前使わないんだろ」なんて私に耳打ちしてきたものだ。

マリ・ルイーズと初めて話をしたときに、ご両親のどちらかがフランス系なの?なんて的外れな質問をした。すると彼女は違う違うと笑って否定し、自分たちの名前はヨーロッパの人には発音しづらいのでこのように別名を名乗るのが通例となっている、というようなことをいった。え、そーお? そんなこと思いもしなかった。それって、台湾の人はみんなそうするの? たぶん、とマリ・ルイーズ。大陸の人は、香港人は? するとマリ・ルイーズは「よその国の事情は知らないわ」とこともなげに、興味なさそうに答えた。

アジアングループで話をしていたとき、マリ・ルイーズではない別の台湾の女の子が、話の流れで自国のことに言い及んで、「台湾という国はね、あ、失礼、台湾って国とはいえないのよね」と発言したことがあった。するとすかさず、大陸中国のある女の子が「そんなことないわ、台湾はれっきとしたひとつの国よ」と、ぱしっと言い切った。その座にいた誰もがそうそう、そうだよと大陸チャイナガールに同意した。「大陸中国の姿勢とか国際法的にどうであれ、僕らの感覚では台湾てのはもうすでに異文化圏のよその国だよな」といったのはたしか先述のチャンさんだ。

あの頃から20年近く経っている。けれど、中台間も、日中間も、そこに積み上がる問題を何も消化できていないようである。

アジア情勢とその問題にあまり目を向けてこなかったので何も言う立場にないが、20年以上前から、国と国のお付き合いは芳しくなくても、個と個は実にうまくいっていたと、自分の経験に照らせばそういうほかはない。肌や髪や目の色素の薄い人たちの国にいると、それらが濃い人たちを見るとどこの国の誰であろうと同胞だと思えたものだ。フランスにいたとき、街でアジア系の学生に出会えば必ず互いに声を掛け合い、どこの人? やっぱり日本人!だと思ったー♪ あなた韓国でしょ、私のクラスメートと同じ喋りかただもん、なんていってすぐ仲良くなった。相手が欧風の名前を名乗れば台湾人だとすぐにわかったし、マリ・ルイーズ言うところの「通例」はなかなかお役立ちであった。

アジアングループの面々とは、語学講座の期間が終わったらもう会わなかったし、住所を交換したマリ・ルイーズとも、手紙を一度交換しただけだ。でも、中国、台湾、韓国でなにかがあると、彼らの顔を思い出す。どうか無事でいて欲しいと思う。彼らは私やあのとき輪の中にいた日本の男女のことを覚えているだろうか。