Au secour!2011/04/04 21:20:38

最近リンク張ったり引用したりしている中部大学の武田先生のサイトを毎日見ている。

「汚染・6日に日本全土に拡がる怖れ」と題してとても恐ろしいことが書いてあった。

「ドイツの気象サービス及びノルウェーの発表では、4月5日から7日にかけて、福島原発からの風が一旦、南に行き、四国・九州にまで南下し、そこからさらに偏西風で日本列島を縦断して、北海道に達すると予想されています。」
――と書き出して、ドイツ、ノルウエー製の図を貼っておられる。続きは下記で。

http://takedanet.com/2011/04/47_afa2.html

大げさなことを書いて国民の不安を煽るな、という苦情というか怒りというか脅しというか、そんなメールや電話が来るそうだ。余計なことをする暇なやつがいるもんだな、と思う。武田先生は一研究者として見解を述べているに過ぎない。その態度は誠実だと思う。武田先生が批判している他大学の大先生たち、原子力保安院のエライ人たちも、ある意味、同じである。発言する人が、国民の将来的な健康を最重要視してものを言うか、とりあえず目先の保身を第一に考えるか、などどこに力点を置くかで話しかたはずいぶん変わってくる。テレビで一過性の音声として聞くのと書かれたものを読むのとでは受け取りかたも異なる。何を、誰を信用するのかは私たちひとりひとりが判断しなくてはならない。情報過多時代においては、受け手の受信感度と知的レベルとが高くないと道を誤る。……ということはわかっているけど、原発すなわち放射能汚染の問題は、「受信感度と知的レベルと」を高くして、「私たちひとりひとりが判断」するにはあまりに重すぎる。突然突きつけられた事態を自分のこととして、身近な問題として認識するには私たちの想像力は乏しすぎる。私たちはいつだって、社会的弱者をいたわろう、差別をなくそう、ゴミを減らそう、分別収集に協力しよう、地球環境保護のためにCO2を減らそう、リサイクル、リユースしよう……と掛け声をかけあい、それはひどく遅いペースではあるけれども、日本の社会はたしかに少しずつ成熟した社会へと歩みを進めてきた。でも、壊れた原発は、そうしたひとりひとりの小さな努力や心がけの賜物を一気に無にしてしまう。放射能汚染に見舞われたら、ゴミを出す出さない以前の問題だ。無農薬野菜とか有機栽培とかも意味をなさない。農薬や化学肥料まみれの野菜だって放射線よりマシだ。そんなふうに考えて、その被曝量を検証しないで騒ぎ立てる人たちが出てくるのも目に見えている。
それに対して騒がないでと「冷静」を呼びかけることは間違いではなくて、実際、程度によっては騒ぐ必要はまったくないのである、大人は。何十年も不節制をしながら生きてきた大人は、明日癌で死ぬことになっても、その原因を、酒かタバコか脂肪の摂りすぎか、あるいは被曝か、特定しようなんて無駄な作業だからだ。
だが子どもは違う。武田先生も繰り返し述べておられるが、心配ないとされるレベルでも、10代以下の子どもたちと妊婦さんは徹底的に放射線から避難してほしい。今すぐ病気になるわけではない。5年後、10年後に、じわじわと、「あのとき放射線の影響を受けた」ことが実験結果として証明されるかのように、健康被害が顕著になってくるのだ。ドイツやノルウェーの風向き予測が当たるとしたら、あさってから3日間ほど関西にも放射性物質が飛散するわけだ。世の中、入学・入園、始業式まっさかりである。


ノンフィクションライターの久田恵さんが、根津八紘氏と野田聖子氏との共著『この国で産むということ』を評した欄で述べておられた。いまさら「少子化問題」なんて言うな、と。
ここ30~40年ほどの間、この国では女性に対しては子どもを産まないように産まないようにと仕向けてきた。産めよ増やせよとやいやいゆってたのから180度方向転換。男性には企業戦士たることをもてはやし、女性には男性同様に外に出て働くことを称揚し、なのに結婚や出産に際したら仕事を辞めなくてはならないような職場環境はそのままで、それでも生まれた子どもは各家庭で責任もって育ててねと突き放してきた。
つまり自民党政権は丹念に丹念に何十年もかけて、「少子化問題」を練り上げて完成させたのである。そんな「大作品」なんて、鳴り物みたいな付け焼き刃の「子ども手当」程度では突き崩せない。それに、ロミジュリのキャピュレット家とモンタギュ家に合併せいというが如しの「幼保一体化政策」なんて100年待って実現したところで、出生率を上昇させることはできないだろう。また、子ども手当の前にあった児童手当は、かつては(たしか)小学校3年生までしか支給されなかった。それを6年生までに延長したのは悪くはなかったけど、そんな少額を撒き散らすよりも、義務教育期間の授業料や公的施設(競技場や会館・ホールなど)使用料をいっさい無料にするなどしてくれるほうがよほどよかったし、子ども手当に関する議論でも同じことが言われている。さらに、母子家庭に支給される児童扶養手当を、自民党さんは削減することに躍起になってきた、独り者は子どもを持つなといわんばかりに。(この話を続けると論点が変わってしまうので今はしないけど)
だが、問題の本質は、子どもを一定期間入れとく器やそれにかかる費用ではない。若い人たちが、自分も成長すれば恋愛して伴侶を見つけて子どもを産み育てるのだ、という青写真を描けない、描くような教育をなされていないことが問題なのである。成長してから、社会に出ても、周囲は髪振り乱しぼさぼさ頭で残業に明け暮れる仕事魔しかいない。恋愛対象もいなければ、健全に恋愛している男女も見受けられない。
子どもが好き、だから保育士になるという若者はいても、恋人がいる、恋人がほしい、結婚願望がある、という若者たちが極端に減っている。草食とかゆってもてはやしてる場合ではない。偏向な男女平等を謳い続けてきて、異性を視る目が養われなくなったといったらそれは間違いだろうか? 最近の男子はスカートめくりをしないのである。
この現状はひとえに、この国をこんなふうに誘導してきた政治家・官僚・学者といった指導層と、それを放置してきた大人の責任である。


こんな世の中なのに。
なのに原発が壊れた。
数年後、一定の確率で、現在の子どもたちの中の何人かが癌で亡くなる。
生まれてくる子どもたちの健康にも、一定の確率で、影響がある。
現在の子どもたちが出産年齢に達したときに、一定の確率で、害が顕在化する。

ますます、子どもを持つなんて、育てるなんて考えにくくなる。
どうしよう、日本。

Il a peur des radiations, moi non, je me dis que quand c'est ton heure (de mourir), tu ne choisis pas quand cela doit arriver.2011/04/07 01:17:16

「何でもない日常を平凡に過ごすことがホントありがたいですね」
「そうですね」
「ウチは本社から米と水を(被災地に)送らしてもらいました」
「そうですか」
「私ごとを言いますと、姉が1歳の子どもを連れて里帰りしています、北関東から」
「1歳ですか、それはそのほうがいいですね」
「ダンナは逆単身赴任で気の毒ですが」
「そんな家庭、多いでしょうね」
「多いようですよ。姉のママ友さんたちも、何らかの形で子どもを連れて避難してるらしくて。残っているのは男ばかりで(笑)」
「子どもは放射能から遠ざけるに越したことはありませんからね、賢い選択です」
「いつまでいる気なんだろう、とちょっぴり思ったりしてますが(笑)」
「原発が落ち着いて、漏れるにしても微量だということが確認されればいいでしょうけどね。なんとなく、そんな時は永遠に来ないような、そんな気、しません?」
「長引きそうですよね」
「なんか、一段落して、ああ、少し安心できるかな……と思ったときにドカンとふたたび爆発起こりそうな。そんなことになったら原発を廃炉に導くまでに50年、周囲の自然環境が元に戻るまで100年」
「やめてくださいよ。姉がずっとウチに居るじゃないですか」

ある大手レストランチェーンを取材した時の、店長さんとの会話概略。茶化しておられたが、ほんとうはその1歳の姪御さんが可愛くてしょうがないのだ。「姉は小うるさいからダンナの元へ帰して、姪っ子は僕が預かってもいいかもな」とつぶやいておられた。

「歓送迎会のシーズンでしたが、まったくありません。宴会ゼロです」
「卒業式もままならない被災地を思うと、そんな浮かれた気分になれないのでしょうね」
「そういうこともあると思いますが、それより人がいないんです。ここは土地柄、自衛隊員さんにすごく贔屓にしてもらっていますが、皆さん出払ってしまって」
「あ、なるほど。そういえば不在者投票していましたね」
「宴会だけでなく、普段の寄り合いやグループでの食事にもよくご利用いただいてたんで、その方々が軒並みいらっしゃらないと大打撃です」

自衛隊駐屯地に近い、ある和食レストラン取材時の会話概略。私たちの街の自衛隊のみなさんも駆り出されているのだな。

「なんやのあんたら、なにもかも中止にしてしもて。震災に便乗してサボることばっかり考えて。あんたらはいつも楽しよ、楽しよて、そんなふうにしか考えへん」
「そんなあ。女将さん、そんなことありませんよ。やむを得ず、なんです」
「なにが、やむを得ず、よ。だいたい、昔からやる気ないわなあ」

印刷物制作屋の私はあちこち走り回って各地の「お祭り」を取り上げた。だが軒並み中止になった。それは、不特定多数の人々がぎっしり集まる場所には警察官と警備員が必要だが、みんな駆り出されて出払ってしまって、イベントじたい十分な体制を整えることができないからだ。くだんの女将さんも、いつもならイベントの恩恵にあずかるのだが…………

Parce que demain se decide aujourd'hui. ...ou demain?2011/04/08 21:04:05


今日、入学式だった。


津波に校舎ごと流されてしまった小学生たちの、また中学生や高校生の、在ったはずの未来を思った。いくら思っても全部を想像できないし、できたところでさらわれた命は還らない。子どもたちの未来はあまりに大きすぎて、明るすぎて、可能性に満ちすぎていて、あまりに多くの未来をいっぺんに喪失した事実が重すぎて、あるはずだった輝きの上限を思い定めることができない。

連日の、報道されることとされないこと。個人的に気になることや、人に指摘されて調べてみたりすること。まだ私の余裕のない頭の中では、いろいろなことが整合しないで散らばっている。遠くにいてさえこうなのだから、渦中にいる人たちはどんなにか不安で落ち着かないことだろう。

小さな遺体の入った棺を抱え、火葬場へ向かう車の中で初めて声を挙げて泣いた人(安置所では遺体を探す人に気遣って泣けないから)。
ずっと、親にも兄弟にも会えないまま、ただ「お母さんへ」で始まる手紙を毎日書き続ける子ども。
子どもの姿は携帯電話にあった粗い画像の1枚だけ、後は全部流されたという若い母親。

地元紙には被災した人びとのさまざまな姿と悲鳴が毎日レポートされる。涙なしで読めないことしばしばだけれど、必ず読む。
無力な自分がほとほと嫌になる時間である。
けれど、報じられないことのほうが、実はずっと多い。
自分自身は壊滅的な打撃は受けなかったにしても、職場が復旧しない人。
自分の被害は少ないほうかもしれないが、それでも従来どおりの日常を取り戻せない人。
大きく、長い揺れのために怪我をし、命に別条はなかったが心身の後遺症に苦しむ人。
こういう人たちの困難や不安にもっと寄り添ってあげたいと思う。被害が軽微であった、とりあえず周囲は復旧した、だとしても、目に馴染んだ風景が一変したことによるショックや、あまりの甚大、壮絶な被害に、「なのに自分は助かってしまった」という思いに苛まれ、命拾いを喜べず、「もっと辛い人がいるんだ」という気持ちから自己の悲しみ・苦しみを飲み込み、押し殺してしまい、心を病んでしまう……。そんなことにならないように、どこのどんな人の言葉にも、耳を傾けたいと思う。


よっぱさんは、かつて文章塾というところで一緒に学んだ仲間である。
よっぱさんは、とても優しい。
よっぱさんが書くのは、ストレートな恋愛物語。お洒落なハードボイルド。登場する男女はカッコよかったり、気障な台詞を吐いたり、でも素直でお茶目で、おっちょこちょいだったり。読む側がすんなり感情移入できるキャラクターを難なくこしらえて、愛を語らせた。

よっぱさんは、あるときこっそり「パッチ」を穿いていることをブログでカミングアウトされた。しかも写真つきで。よっぱさんのズボン下から見えるキュートな(?)ブルーグレーの「パッチ」はとても暖かそうだった。何を隠そう、私も数年前からお世話になっている。仕事着はいつもパンツスタイルだ。パンツの内側に何を穿こうが、顧客にも上司にも関係ないやん。だから、若い頃穿いていた派手なプリント柄のスパッツを、「ズボン下に穿くパッチ」に格下げした。20代の頃はそのスパッツにロングTシャツ、足もとはエスパドリーユというのが定番であった。いまそんな格好をしたら娘が一緒に歩いてくれない(笑)。愛着のあるスパッツだからこそ格下げは正解。綿100%でタイツやパンスト穿くよりずっと肌に心地よくて大活躍である。……というようなことを、よっぱさんのパッチフォトを見て思ったものだった。

そんな愛すべきよっぱさんのブログの更新が、いっとき途絶えたことがあった。大事無いことを祈りつつ、ご機嫌伺いの書き込みなどしたのだけれど、大丈夫、よっぱさんはつねづね多忙な人だから、余裕がなかっただけだった。ただ、余計な心配をした私へのコメントレスに、「さなぎちゃんは偉いなあ。おじさんはいつも応援してるよって伝えてください」といったような1行があって、もう、私は穴があったら入りたかった。励ますつもりが、娘を褒めてもらっちゃうなんて。いろいろなことで疲れておられるのに、応援してくれるなんて。根っから優しい人。それがよっぱさんである。


よっぱさんの住む町が、3月11日の地震で大きな被害を受けた。
よっぱさんの正確な住所は知らない。だけど、ひとつも被害がないなんてことはたぶんありえない。もしかしたら、もしかしたら、もしかしたら。
私は怖くて、しょっちゅう覗くよっぱさんのブログを、覗けないでいた。更新が止まって動かないのを見るのが、怖かった。
その私に、文章塾仲間のおさかさんが、よっぱさんの無事を知らせてくれた。


よっぱさんの部屋はめちゃくちゃになったそうだ。
ライフラインがストップし、寒いのに、暖かいものにありつけないひもじさ。自分のいる場所のごく近辺の様子しか知ることができない不安……。よっぱさんはひとりでそうしたものと戦いながら、少しずつ、被害の全貌を知り、言葉を失うほどの惨状を目の当たりにする。
いくらクリアに撮影されていても、映像やパソコンの中の写真では伝わってこないその凄まじさ、変わってしまった空気と大地の色と匂いに、愕然とする。


そして、よっぱさんは、優しいよっぱさんは、ウルトラ級の被災者の存在の前に、自分が受けた被害など小さいと、痛みや苦しみを飲み込んでしまっている(ように私には見える)。
こんなとき、被害の大小を比較するものではない。どんな被害でも、受けた人にとっては生涯でいちばんの衝撃だった。痛みだった。そしてそれは続くのである、ずっと。

傷を負った人を、周囲が気遣いいたわり、心配し、声をかけ、なんとか癒そうとするのは、当たり前のことなんだよ、よっぱさん。だから、ありがとうなんて、言わないで。

よっぱさん。
よっぱさんが「偉いなあ」と言ってくれた娘が、高校生になりました。
ありがとうをいうのは、私のほう。
よっぱさん、ありがとう。
よっぱさんの心に平穏が戻る日を、私も待っています。
それじゃ、また明日!



Alors, c'est pas ça ce qu'il faut dire maintenant...!!!2011/04/09 22:09:36

で、その入学式のあとには始業式があって、在校生たちも集結して新学期開始の儀式が執り行われたのだが、そのとき、例の内閣総理大臣と文部化学大臣による新学期を迎える中高生へのメッセージ映像が流されたそうだ。


*****
新学期を迎える中学校,高等学校段階の生徒の皆さんへ
菅内閣総理大臣・高木文部科学大臣からのメッセージ
(平成23年4月6日)

新学期を迎える皆さんへ

皆さん、入学、進級おめでとうございます。
皆さんは、この4月、希望に満ちた春を迎えるはずでした。
しかし、この春は、私たちにとって、とてもつらい春になってしまいました。
御存じのように、3月11日、あの未曾有の大地震と津波が日本を襲ったのです。
皆さんの中にも、ご家族を亡くされたり、あるいはいまも避難所から学校に通ったりしている生徒さんがいることでしょう。
避難所の中では、皆さんが率先して、お年寄りや身体の不自由な方を助け、掃除をしたり、食事の準備をしたりしてくれているという話をたくさん聞いています。皆さんがボランティアで活躍しているという知らせも、たくさん届いています。本当にありがとう。
直接被災をした皆さん。皆さんは、十代のもっとも人間が成長する時期に、この大きな試練に立ち向かわなければならなくなりました。
いま抱えているすべての悲しみや不安から、完全に逃れることはできないかもしれません。でもいつか、皆さんが、その悲しみと向き合えるようになる日まで、学業やスポーツ、芸術文化活動やボランティア活動など、何か一つでも夢中になれるものを見付けて、この苦しい時期を乗り越えていってもらえればと願います。
学校は、あらゆる面で、皆さんが、この逆境を乗り越えていくためのサポートをしていきます。
災害にあわなかった地域の生徒の皆さんにも、お願いがあります。
どうか、皆さんの学校にやってくる、避難してきた仲間たちを温かく迎えてあげてください。すぐ近くに、そういった友達がいなくても、遠く離れて不自由な生活をしている同世代の友達を、同じ仲間、友達だと思ってください。そして、被害を受けた仲間の声に耳を澄ましてください。
この大震災を通じて、日本国と日本社会は、大きな変化を余儀なくされます。この大震災からどうやって国を立て直していくのか。自然と共生して生きてきたはずの日本社会が、その本来の姿を取り戻すためには何が必要なのか。
もちろん復興の過程では、「がんばろう」という元気なかけ声が必要です。しかし、それと同時に、新しい社会、新しい人間の絆(きずな)を作っていくために、大きな声にかき消されがちになる、弱き声、小さな物音にも耳を澄ましてほしいのです。
東北が生んだ詩人宮沢賢治は、科学と宗教と芸術の力で、冷害・凶作の多かったこの東北地方の農民を、少しでも幸せにしようと考え、そのことに一生を捧げました。
どうか、他人の意見もきちんと受け止めながら、自分で合理的な判断ができる冷静な知性を身に付けてください。しかしそれだけではなく、他人のために祈り涙する、温かい心も育んでください。そして、芸術やスポーツで人生を楽しむことも忘れないでください。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』には、こんな言葉があります。
「僕、もうあんな暗(やみ)の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んでいこう」
賢治の言う「ほんとうのさいわい」とは何でしょう。この大きな災害と混乱の中で、皆さんに、このことを考えて欲しいのです。
もしも、それを皆さんが本当に真剣に考えてくれるなら、きっと皆さんは、どこまでもどこまでも、一緒に進んでいけるはずです。そしてその先には、もっともっと素晴らしい新しい日本の国の姿があるはずです。
忘れないでください。一緒に進んでいくのは、決して日本人だけではありません。今回の東日本大震災では、世界中からたくさんの支援が寄せられています。また、この非常時にあっても秩序正しく、理性を失わない日本人の姿に、世界中が驚き賞賛の声を揚げました。私たちは、世界と共にいます。
原子力発電所の事故に対して、危険をかえりみずに立ち向かう消防士や自衛官、電力会社の人たちの姿。各地の被災地で、救命救急活動にあたった警察官や医療関係者、そして何より、本当に命がけで皆さんを守ってくれた学校の先生たちの姿を忘れないでください。そして、みなさんも、もっともっと身体を鍛え、判断力を養い、優しい心を育んで、他人のために働ける人になってください。
日本の未来は、皆さんの双肩にかかっています。
あなたたちのその笑顔、ひたむきな表情が、いま家族や地域の人々を支えようと懸命にがんばっている大人たちに、勇気と希望を与えています。
私たちも、全力で、皆さんの支援に取り組みます。
本当の幸せを求めて、一緒に歩んでいきましょう。

内閣総理大臣  菅 直人
文部科学大臣  髙木義明
*****


よく考えてある文章だとは思ったが、肝腎なことを何も言っていない。原発事故に関する一連の問題と現状に対する報告と謝罪と今後の対策である。専門的なことを言わなくてもいい。安全だと思われていた原発は実はまるで張り子のトラでした、有効な手だてを講ずることができず放射能をまき散らしています、海にまで汚染水を垂れ流してしまって、日本だけの問題じゃなく全世界に迷惑をかけています、皆さんが外国へ行ったら、日本人だというだけで責められることでしょう、ほんとうにゴメンナサイ……というべきじゃないの?
と思っていたら、武田邦彦先生もおっしゃっている。


*****
原発  首相が、今、宣言すること
福島原発の処理が長引いているこの時期、私は首相が宣言することは、次のことと思う.

1.
「原発の事故を起こしてしまい諸外国にご迷惑をかけたことを謝罪する」
首相は国民にも謝罪していないが、まずは外国。
2.
「今後は、外国に迷惑をかけないようにする」
具体的には原発の横にプールを掘り、海水に放射性物質を流さない決意を示す.重機を使えば短期間に5万トンレベルのプールはできる。防水工事が間に合わなければ
「日本の大地を汚しても、海は汚さない」
という日本の決意を内外に示す.
3.
「原発付近の農作物、酪農品、海産物をすべて政府が買い上げ、さらに一次産業の活動を止める」
国民の食の安全を確保する。「風評」などと言わずに、放射性物質を含む食材は絶対に国民の口に入れないという決意を示す.輸出も同じ.
4.
「年間1ミリシーベルトを越える可能性のあるところ(1時間に0.1マイクロ以上)の児童生徒を疎開させる」
絶対に子供を被曝させないという決意を示す.すでに福島原発の近くの子供は防空が破れて爆撃を受けている状態だから、戦時体制で疎開させる。
私は是非、やってもらいたいと思う.
(平成23年4月9日 午前10時 執筆)
武田邦彦
*****


肝腎なことを言えてないことはウチのお気楽娘にだってわかる。
「地震後1週間くらいに聞いてたら、ええこと言うやん、って思ってあげられたけどなあ」
外国からの支援を生かしきれず、集まった義援金の分配もままならず。どっちを向いても問題山積で、何から手をつけろってんだよー、とわめいているナオトカン&his friendsの姿が目に浮かぶ。ぐずぐずしてるうちに原発は腐って崩れる豆腐のように墜ちていく。毎日、危険な場所で決死の作業が続けられていると信じたいが、現場の苦労を嘲笑うように、非情にも汚染物質は大地と海にすっかり広がってしまった。私たちの国土には、もう誰も近寄れない「超聖域」ができあがり、全世界の人びとに、海水浴や海の幸をたやすく楽しめない「異常な海」とつきあうことを押しつけてしまった。何百年かけて償っても償いきれない大罪だ。これは原子力の罪ではなく、原子力を甘く見たアマチュアのあまくだりちゃんたちの罪である。
……なんてことは、中高生でもちょっと意識のある子なら、知ってるんだよっっ


*****
(前略)
名越康文先生と橋口いくよさんとの鼎談のとき、いちばん感動したトピックは橋口さんが震災からあとずっと「原発に向かって祈っている」という話だった。
40年間、耐用年数を10年過ぎてまで酷使され、ろくな手当てもされず、安全管理も手抜きされ、あげくに地震と津波で機能不全に陥った原発に対して、日本中がまるで「原子怪獣」に向けるような嫌悪と恐怖のまなざしを向けている。
それでは原発が気の毒だ、と橋口さんは言った。
誰かが「40年間働いてくれて、ありがとう」と言わなければ、原発だって浮かばれない、と。
橋口さんがその「原発供養」の祈りを捧げているとブログに書いたら、テキサス在住の日本人女性からも「私も祈っています」というメールが来たそうである。
たぶん同時多発的にいま日本全国で数千人規模の人々が「原発供養」の祈りを捧げているのではないかと思う。
私はこの宗教的態度を日本人としてきわめて「伝統的」なものだと思う。
ばかばかしいと嗤う人は嗤えばいい。
けれども、触れたら穢れる汚物に触れるように原発に向かうのと、「成仏せえよ」と遙拝しながら原発に向かうのでは、現場の人々のマインドセットが違う。
「供養」しつつ廃炉の作業にかかわる方が、みんなが厭がる「汚物処理」を押し付けられて取り組むよりも、どう考えても、作業効率が高く、ミスが少なく、高いモラルが維持できるはずである。(後略)
(内田樹の研究室「原発供養」日時: 2011年04月08日 11:08)
*****

Donc, on n'a pas du tout fait des progrès, depuis.2011/04/12 21:54:02


『この国のかたち 一』
司馬遼太郎著
文春文庫(1993年、2003年25刷)


「あとがき」にある数行を抜粋する。
著者は敗戦の頃を思い出して書いている。

《(前略)
 当時の彼我の戦争の構造は、対戦というものではなく、敵による一方的な打撃だけで、もし敵の日本本土上陸作戦がはじまると、私の部隊は最初の戦闘の一時間以内に全滅することはたしかだった。死はまことに無差別で、死に良否も賢愚も美醜もないというのは、戦争の状況がそれを教えてもいた。
(中略)
 私は毎日のように町を歩いた。(中略)
 軒下などで遊んでいるこどももまことに子柄がよく、自分がこの子らの将来のために死ぬなら多少の意味があると思ったりした。
 が、ある日、そのおろかしさに気づいた。このあたりが戦場になれば、まず死ぬのは、兵士よりもこの子らなのである。
 終戦の放送をきいたあと、なんとおろかな国にうまれたことかとおもった。
(むかしは、そうではなかったのではないか)
 と、おもったりした。むかしというのは、鎌倉のころやら、室町、戦国のころのことである。
 やがて、ごくあたらしい江戸期や明治時代のことなども考えた。いくら考えても、昭和の軍人たちのように、国家そのものを賭けものにして賭場にほうりこむようなことをやったひとびとがいたようにはおもえなかった。
(後略)》

結果論でものを言ってはいけないのかもしれないが、けっきょく、原発推進なんて「国家そのものを賭けものにして賭場にほうりこむようなこと」だったんじゃないのか。
「このあたりが戦場になれば、まず死ぬのは、兵士よりもこの子らなのである。」
原発が壊れて放射能漏れが起きたら、まず死ぬのは子どもたちなのである。

「死はまことに無差別で、死に良否も賢愚も美醜もないというのは、戦争の状況がそれを教えてもいた。」
地震と津波も、それを教えている。

良否も賢愚も美醜もない。
たしかにそうだ。だが私たちは戦時下にいるのではない。平和ボケと揶揄されるほど、豊かさと安寧を享受し、死にかたや弔われかたを遺言にしたためるなど、その最期の演出すら、可能な時代を生きているはずだった。

しかし私たちの社会は、けっきょく、「一方的な打撃だけで」へなへなと崩れ折れ、応急処置も遅れ対策は後手に回り、組織は雨後の筍のごとく顔を出して誰かが引っ張ってくれるのを待っているだけ。

敗走、また敗走である。
ただ子どもたちの無邪気さと、何でも遊びに変えるパワーとエネルギーが救いである。

「このあたりが戦場になれば、まず死ぬのは、兵士よりもこの子らなのである。」

大人の勝手な理屈で押し通してつくった怪物の、犠牲になるのはこの子らなのである。

本当に私たちって、何も学んでこなかった。
あやまちは繰り返しませんからって、誰の何に対する言葉だったというのだろう。
海と大地と、生きとし生けるものたちと、国の将来を担うはずだった子どもたちに、ごめんなさい。

... Pour ne pas paniquer les populations. Pour sauver l'industrie nucléaire. Pour dormir encore quelques jours tranquilles. ... (Jacques Attali)2011/04/17 17:13:47

けさ、我が家の仏壇を拝んでくれた坊様が言うには、京都のいくつかの寺の坊様たちが組織をつくり、交替で炊き出しに行っている、とのことだ。よかったよかった。真面目に僧侶らしいことをしている坊様たちもいるということだ。ウチの坊様には跡取り息子がいるので、体力勝負の活動などはすでに息子に任せているらしい。その彼が参加したのは2000人分のぜんざいをつくって配るプロジェクトだった。被災地では十数名の僧侶のためにホテルを用意してくれたそうだ。と、ここまで聞いて、やっぱ被災地に迷惑かけに行ってるだけやん、とおもいかけたが、そのホテルは電気もガスも水も復旧していないのであった。つまり、屋根があるので、雨風はしのげるだけ。ただしそれもいつ崩れ落ちてくるかわからない。したがって、坊様チームのメンバーは全員寝袋とヘルメット持参、非常時には即脱出できるように心得よと、つまりほとんど眠れなかったらしいのだった。「こうして帰る家があり、水や電気を当たり前に使い、翌日も仕事がある。自分はなんと幸福なのかと思う」と、そんなことをしみじみと息子がいうとりました、とウチの坊様は言っていた。ほんまにわたしらのできるこというたら、お経をあげるのとささやかな義援金出すくらいのことで、無力感に苛まれますなあ。

私の仕事は広告系なので、作るものは何でも「ものを売る」ための宣伝手段である。この非常時に(今、この国って非常事態宣言下にあるよね? 違いましたっけ。違うかもしれないなあ。くだらないバラエティ、相変わらず垂れ流されているし……)こんなお気楽な原稿ばかり書いてていいのかよ、といつぞやのプロ野球選手会長君と同じような台詞を吐きたくなるくらい、いま私たちの国土を襲っている深刻な事態と私の仕事はまるで関係がない。ただ私はそれでも毎日家族を食べさせねばならず、たぶん関電の原発から供給されるエネルギーで飯を炊き、水を出し、風呂を沸かし、洗濯をし、パソコンを使い、そしてまたATMから現金を引き出して……。目の前の生活を今日も無事終えるのに精一杯だから、苦悩はあってもそれにとらわれている暇はないのだった。悲しいけれど、昨日も今日も、そして明日も来週も、これまでどおりに生きている。悲しいけれど。私の中に「悲しみ」はない。そういう感情は溜まってはいない。ただつねに胸のうちを流れゆくものがあって、それはただただ、悲しい。

野田正彰さんのコラムから。
http://mytown.asahi.com/areanews/hyogo/OSK201104150135.html

途方に暮れる人、絶望の淵から這い出せない人、あるいは決死の覚悟で再び歩み出そうとしながら挫けている人、そんな多くの、本当に気の遠くなるほど多くの人たちの気持ちをせせら笑うように、福島第一からは放射能がばんばん出ていて、確実にそれは国土と海に染みていて、人身にも蓄積せんとしている。これまた、被災地から遠く離れたところで言いたいこと言ってる人たちのあーでもないこーでもないの議論にいちいち怒ったり泣いたりしないといけない私は忙しい。

いつもの武田先生のブログ。後半を読むべし。
http://takedanet.com/2011/04/post_9464.html

とっても平和な首相官邸。
http://www.kantei.go.jp/saigai/senmonka_g3.html

たまにはまともな仕事もするのでかえって始末が悪いNHK。要は単純比較は危険ってことで。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/78493.html#more

少し古いけど(4月1日)、至極まともなアタリさんのお言葉。いろんな人があちこちで同じことを言ってたんだけどね。私も含めてね。
http://genpatsu.wordpress.com/2011/04/05/jacques-attali-slate/

こっちのほうが記事としては好きだったりする。フィリップ・ポンスさん、久しぶりにお名前拝見。
http://genpatsu.wordpress.com/2011/04/11/silence-coupable-fukushima/

どなたなのかわからないけど、書いてくれてありがとうという気持ちです。敬意を表してリンク貼ります。
http://kikko.cocolog-nifty.com/
そう、こういうことなの。子どもたちが心配なの。
それと、私は昔からナオトカンは好きじゃなかったし、今でも首相はユッキーのままだったほうがちったあマシだったんじゃないかと確信するんだけど、ナオトカンのへろへろぶりはまったくもって困ったチャンだけど、原発事故は自民党の悪行三昧の見事なまでの集大成人災だからね。今、ナオトカンの失態を攻撃している自民党の連中の厚顔無恥、なんとかならんかい。ちょっとガッキー、あんたさ、もうちょいしっかりしなさいよ。地元の恥よ、マジ。
とりあえず原発推進してきた歴代の総裁はじめ関係閣僚、当時の官僚は全員市中引き回しの上ハリツケウチクビ何とかだね。ああもおおおおっ なんとかなんないのかなあっ


とてもいい天気の一日だった。
花のある場所へは行かなかったけれど、春の陽射しのふりそそぐビル街を、何の心配もなく自転車で走っていられる幸せをかみしめた。この日向が、疎開してこの街に来ている人たちの心のなぐさめに、少しはなるといいなと思いながら。

Fukushima, l'autre Tchernobyl2011/04/24 01:45:19

武田先生が言っている。

《東電の社長が、国会で、
「津波の想定が甘かった。申し訳ない」
と発言しました。このことで多くの人は「東電はケシカラン!」言っていますが、私はまったく違います.
東電は私企業ですから、時に間違ったこと、悪いことをします。でも原子力は危険だからこそ、国に多くの役人がいて「監視」しているのです。
東電が「甘い津波予想」で原発の申請をしたとき、それをチェックするのは第一に保安院(経産省)、第二に安全委員会(内閣府)なのです。東電が甘いのは仕方が無いとしても、私たちの税金で監視している人は何もやっていないという事なのです。
そして、その人達(保安院)は謝りません。院長すら出てきません。チェックしなかったことを悪いとも思っていないのです》
http://takedanet.com/2011/04/57_00fe.html


村松さんが言っている。

《地震、津波という天災に、原発事故という人災が加わって僕らの気分は何をしていても重苦しい暗雲に蓋をされているみたいです。(……)
僕は今回の事態、とりわけ放射能が日本を中心とする大気と海洋を汚染するという危険極まりない、しかも底が見えない事態は、僕らの精神力を奪っていると考えています。(……)
もともと日本人はとても自分を責める民族なのです。凶悪事件がたくさん報道されていますが、じつは殺人の件数は増えていません。増えているのは、自殺です。(……)
原理的なことから言いますと、自分を責める性向というのは、言葉と結びついて発動するのです。
それも自分の内側から出た言葉ではなくて、外から来た言葉に結びついてしまうのです。
ここで、今の状況に対する言葉をここでは代表的な言葉を二つ例にとりましょう。
【日本人全員が責任を感じ、反省しなければいけない】
【自分は何もしていない 何もできない】
こう思っている人は多いでしょう。(……)
日本は危機にあり、僕たちは一つになって乗り越えるべきかもしれません。しかし、原発を推進してきて今も維持しようとしている勢力のかけ声で、彼らの望んでいるように一つになることはできません。彼らは放射能によって緩慢に殺人を犯しているのです。彼らに気持ち悪い猫なで声で、「頑張れ」「日本は一つだ」と言われたくありません。
僕らはまず一人一人に立ち返り、それから一つになれる場所を探し始めるのです。迂遠なようでも、本当にこの世の中をひっくり返す力が湧いてくるやり方はそれです。
事態を変えるのを難しいと思わないでください。
原発は「裸の王様」です。
現在、福島原発は非常に危険な状態にあります。
(ということは)
過去、地震以前も危険だったのです。
将来、他の原発も危険です。
過去、現在、未来に渡って危険なのです。(……)
日本人全員が「王様は裸だ」と目を覚ますまで、論点をずらしたり複雑化させてはいけません。
たとえば「今の放射能が安全か安全でないか」という議論があります。それも重要ですが、そこで論議を膠着させてはいけません。
必ず論議の相手と「原発は危険だ」という共通認識に至れるかどうか、僕たちはどのような論議をしても何度でもそこに帰ってくるのです。
さて、ここまで書けば、
【自分は何もしていない 何もできない】
という自責もまた無意味だということがある程度、おわかりだと思います。
僕たちはまず自衛しなければなりません。今の事態を受け入れ、消化し、正しく理解し、さらに今までの日常の義務も果たさなければなりません。
それで十分です。何もしていない人なんかいません。
今の事態に対応するということを誰もが自分の内側でしています。
感じる、考える、見る、読む、話す、心の中で想うことも含めて、それはすべて行為です。だから、動詞でしょう。
身体を使って人に何か物理的な影響を与えることだけが行為ではありません。僕らの心の中のアクションと具体的に目に見える行為は連続しています。
だから、自分は何もしていないなんて思う必要はありません。
僕たちはいやおうなく世界を内側に引き受け、事態を消化しようとしているのです。(……)》
http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=216

中途半端に切り貼りして、お二方への失礼をお詫びいたします。

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乾電池、乳製品、トイレットペーパー、ガスボンベ、ミネラルウォーター……
いつものスーパーでしばらくまったく品薄だったこれらの製品が、数を取り戻しているみたいだ。
今日、久しぶりにこのスーパーでヨーグルトを買った。

こうして日常が戻っていき、少しの違いには私たちの感覚が麻痺していく。

東電はたしかにスカポンタンでノータリンかもしれないが、要はあまりにもアマチュアだっただけであり、そのアマチュアを見張るはずの委員会や保安院がぐーすか寝ていたわけである。
想定外だのなんだの、想定できたはずだろなんだのって、そんなの、あの日のあの時間にあんな地震があるなんて誰ひとり予想しなかったでしょうに。
地震の予知とか予報とか、できもしないことに巨額の金をつぎ込んで「研究」させてきた。
私たちの税金で、したり顔で「研究」してきた学者どももぐーすか寝ていたってわけである。

私たちに何もできなくったって、あたりまえ。
ただ、そういって開き直るのではなく、感覚を麻痺させるのでも忘れるのでもなく、いたずらに頑張るとか希望をとか口走るのでもなく、粛々と日常を過ごす中でしっかりと災いの爪痕を見つめて、いずれ語り継げる時がくるまで胸に刻みつけておこう。

Contrairement au tsunami, qui représente encore à nos yeux un modèle de catastrophe, au point que ce terme, qui se dit "shoah" en hébreu, fut choisi pour désigner la plus grande catastrophe morale de l'histoire humaine, il n'y aura pas d'après-Fukushima, ou il n'y aura qu'un après-Fukushima, ce qui revient au même. (Frédérick Lemarchand, sociologue / Article paru dans l'édition du 19.04.11)