Le fruit de la passion2011/07/02 11:05:41

今年も
咲いてますよん。

お、あれはなんだい?
もしかして。
なんか「実」っぽいじゃありませんか。
ををををををををををーーーーーーーーーーーっっっっっ!!!
ザ・パッション・フルーツ!!!!
初めてだよ実が生るの!
預言者さま,見てる???!!!


Il était un petit chat...2011/07/04 00:55:38

ちょうどひと月前になる。6月4日土曜日,大阪市立美術館へ『歌川国芳展』を観に行った。

最終日にしか行けないなと思っていたら仕事を入れられてしまったので、むりやり土曜日の予定をこじ開けて、朝早くから出かけたのだった。だって遠いもん。
到着した天王寺という場所は、なんでまたこんなに来訪者を拒絶するふうなんだろうと思うくらい愛想がなく殺風景だった。地下から上がってまず目に見えるものが、よく空き地を立ち入り禁止にするために立ててある、可動式フェンス。何よご挨拶だわ。そんなフェンスが続く脇を、びゅんびゅん車が爆走する車道からの排気にむせながら歩くのである。ま、そこいら中工事中と見えて、しかたないんだけど、大阪のほかの街なら、工事中でももうちょっと、たとえそれが冴えない漫才みたいにイマイチなものだったとしても、おちゃらけでもなんでも、工夫をしたんじゃないかと思われる。しばらくいくと、JRの天王子駅が見えてきて、そこらあたりはもちいとばかし駅前然としていた。私は勝手に、天王寺という街に何か風情のようなものを期待して行ったのだ、後から気づいたが。それが裏切られて非常にむかついたのだった。天王寺も、もっと見るべき場所はあるんだろう、私はいわゆる旧市街のようなところには行かず、地下鉄を乗り継ぎ美術館へ直行してまた地下へ降りて肥後橋の友達に会って帰っただけだから、天王寺の「て」の字も、いいも悪いも、申し述べる資格などないのだろう。天王寺のええとこ、たとえばうまいもん屋などご存じのかたは教えてつかあさい。行かないけど。

大阪市立美術館はこんな建物。



館内は幾度もの修復を施した、苦心の跡が窺われるが、たいへん重厚な箇所も残っていて、和洋折衷のモダン建築によくある(私のまちにもたいへん多い)、何を狙ったかどこを目指したのか判然としないがとりあえず古いことでいい味出してるという建物の典型である。

国芳展はとてもいい気分で鑑賞できた。来場者のマナーは部分的においおい、だけれど、全体的には悪くはなく、人でごった返す人気展覧会にありがちな不愉快な場面にも遭遇しなかった。

美術館は天王寺公園の一角を成していて、天王寺公園の主役はなんといっても天王寺動物園なのだ。私は動物園事情に詳しくはないが、天王寺動物園には必見の動物が幾種類かあるそうだ。娘はとても行きたがっていた。公園のエリアに入ると一気に若いファミリーが増え、カップルも増える。動物園と美術館のゲートが同じで(なんでだろう)、え、ここで美術館の切符買って動物園通って行くのか?と怪訝な気持ちになるのだが、あの—ここで買うんですか?と訊ねると美術館前でもご購入いただけます、とおっしゃる。美術館へは? そちらの道からも行けます。あ、動物園通らなくてもええのね。
美術館への道は長く、ようやく到達したと思うと、小さな切符売り小屋があって、ここで買うんですか、と聞くと美術館入り口でも買えますよ。あの—窓口はひとつにしぼってほしいんだけど(笑)。という具合にたくさんの切符売り場を通過して、けっきょく美術館の入り口でチケットを買って、入場したのだった。広い公園で、いろんなところに出入り口があって、あっちからもこっちからもアクセス可能だから、あっちにもこっちにも切符売り場があるんだろうか。でも、どの売り場にもちゃんと人がいるというのがすごい。人件費がばかにならんではないか。それでもそうする、スバラシイ大阪市。

しかし。


美術館を出て、公園を眺めながら。
やっぱしもうちょっとなんとかならんかったんけ?みたいな気になる風景であった。
三角屋根は、何なんだろう。ルーブルにガラスのピラミッドができてから、あっちこっちに類似品が建ったが、これもそうなのか? それともこっちはオリジナル? ま、どっちでもいいけど。


向こうに見えるは大阪城直方体ヴァージョン(笑)。
なんなん、あれ?


もしかして書いたことあったかもしれないが、私は動物の中でいちばん好きなのはシマウマである。アニマル柄の服の着こなしは大阪のおばちゃんたちには敵わないのでけっしてゼブラ柄の服に手を出す気はないが、ホントはゼブラ柄,大好きである。シマウマのカラダほど美しいものはないとすら思うのである。ちなみに京都市動物園のシマウマたちはそれはもう美しいのである。
だから、シマウマをこんなふうにして遊ばないでほしい。
しかも背景に直方体の大阪城。
絵にならないにもほどがある。


噴水の真ん中には「キケン!」と大きな字の看板。
とても浅いので、親がちゃんと見てれば子どもの遊び場にいいのではないかと思ったけど、「ここはプールではありません。また、この水は消毒していません。」
笑えない殺し文句だ。

Pardon, je suis fatiguée...2011/07/06 20:16:57

ちょうどいま……、疲れがカラダのバケツに収まりきらなくなってバケツからあふれ出てるけど、長期間溜まりすぎて底のほうはヘドロのような沈殿物がのべええーとへばりついていて、うわずみ液、といっても澄んではいないさもちろん、うわずみ液ばかりが後からくる疲れに押されてあふれ、どろどろと流れ出る。まとわりつく粘液に足をとられて歩けない。どべっ。あ、コケた。……という感じで起き上がれない。もうアカン。こんなに地球の重力、強かったか? いや単にあたしが重いのか? 夕べは私の座布団を占領してすやすやと眠る猫の背中に顔くっつけて、ちょっと座布団の端っこ貸してよと横になって……そこからの記憶がない。明け方、猫が私のわき腹の上をのしのしとことこと肉球で踏みつけて歩いて越えていくまで気づかなかった。横たわると寝る。だから決して横たわってはいけない。そう思って決死の思いで(大げさ!)立っていたり座っていたりするんだけど、気が緩むと床にへたり込んでいる。床にへたり込んでかろうじて上体は起こしているけれども、寝ている(笑)。

そうでなく、眠くなくて意識がはっきりしているとき、体内に妖艶な大蛇を棲まわせているごとくの重さを感じていたとしても、ふと、いっさいの曇りや濁りがとれて眼球のうしろ側の脳内がすっきりクリアになるのを自覚できるとき、思いがけないことだが私は泣いている。えへんえへんううっううっと泣くのでもしくしくずずずと泣くのでもない、ただ涙があふれて止まらない。あふれるにまかせているといつまでもいつまでも流れ続ける。単に結膜炎の悪化やないのん?と思いたいところだが、ではない。

頭の中がクリアなとき、つまり仕事のことや家のことでいろいろと算段をせず、やり繰りも検討もせずにすんでいるとき、つまり何もないとき、脳内スクリーンに浮かぶもの。

ミドリ。キンスキー。ドーニャ。ギンコ。ノブナガ。ヒデヨシ。イエヤス。
(以上、お亡くなりになった我が家の魚類両生類爬虫類)

……なんやねん、そんな話かっ  といわないでくれ。


仕掛けた毒餌を食べて果てた鼠。轢かれた鳩。轢かれた野良猫。

殺処分された牛。殺処分された豚。殺処分された鶏。

隣のおばあちゃん。向かいのおばあちゃん。路地奥のおばあちゃん。

伯母の死に顔。父の骨。呼吸していた父。目を開いていた父。起きていた父。喋っていた父。食べていた父。飲んでいた父。笑っていた父。

倒れた阪神高速。燃える長田区。崩れた住友銀行。シェイクされてぺしゃんこになった加奈子の家。倒壊した隣家に押されて半壊した桃香の家。

モスクワの劇場で死んだ男女。ベスランの小学校で殺された子。四川の小学校で瓦礫に潰され死んだ子。エレベータの中で撃たれ死んだアンナ。

そそり立つ黒い津波。濁った飛沫をあげて這うように進む津波。舟を、港を、車を、家を、町を、ごくりと呑む津波。

瓦礫。焼け野原。へばりついた泥もひからびた写真。ふやけたまま乾いた雑誌。首の取れた人形。瓦礫。瓦礫。瓦礫。

見つからないまま埋もれている人。見つかる前に腐敗した人。誰にも見えないまま流された人。そこにいるのに見つけてもらえない人。ここまで来たのに息絶えた人。

父を待つ子。母を捜す子。子を捜す母。子の写真を抱く父。

失くしたものを思うときに、心に去来する何か。形にならない、色も匂いもないその何かを脳裏に映し私の眼から涙が流れる。

Merci...2011/07/07 20:32:06

弱音を吐いたらあちこちから「しっかり」のメッセージ。
もつべきは友ね。みなさんありがとう。

友に励まされ、猫に癒され、母に頼られ、娘に笑わされ。
ひとりでなくてよかったとしみじみ思うきのうきょうあした。

癒しのおすそ分け。今夜は七夕。
写真は、去年の「京乃七夕」。旧暦の乞巧奠(きっこうてん)8月7日のイベント。今夏もやるそうだ。

願い事、しましたか。

さて。
アタシの背中(笑)。頭くしゃくしゃでごめん。キタナイ家でごめん。
でも、どこででも寝る猫は可愛い♪

今は物置になっている昔の私の部屋。解体したベッドのマットレスの上で、天井裏の鼠の音に耳を澄ます猫。高いところに登ったね(笑)。
ポスターはビリー・ジョエル(若っ)

「なんか聞こえるけど姿が見えないから打つ手なしだわ。はん」

皆さんも、癒された?

Ca fait quatre mois.2011/07/11 20:24:38

今日は11日。震災から4か月経った。4か月は長いか短いか? 長い。とても、長い。当事者でもないのにこんなこというのは不謹慎かもしれないけれど、毎日とても消耗し、疲弊している。震災のことで消耗するなら関連ニュースを見なければいいじゃないか。遠い場所に住んでんだからそれも不可能じゃないだろ? そりゃそうなんだけど、そうはいかない。直後から、地球の裏側での報道のされ方まで検証する羽目に陥ったし、より正確な記述がほしくてあっちもこっちも、昔の文献まで持ち出したりして、そんなことに大きく時間を割けるはずもないから微々たるもんなんだけど、とにかく、以来、ごくわずかなネタを当ブログでもこぼしているのでご想像いただけると思うが、よたよたへろへろ、ご覧のようなありさまで現在に至る、である。
あの日から、私の身の回りでさえ、些細なことばかりが「塵も積もれば」状態になっているだけにせよ、さまざまなことが激変している。その大きな変わりざまに、かよわいオババゴコロはついていけなくて、家や会社や友人の前で虚勢を張るのが精一杯だ。なんでもないさ、どうってことないわよねえ、だってここは無事だもの離れているものね、心配することは何もない、何もない、何もない……。

つきあいのある営業マンに津波で実家を流されてしまった青年がいるが、虚勢を張っているといえば彼のほうが私の何万倍も張っているだろうに、彼は気丈にいつもと同じ調子でお世話になりますっ次号の取材ですが次の日曜日空いてますかっ……なんて人の休みを潰すアポを入れてくれるんだけど、ダメな私は彼の弾んだ声を聴くとにわかに平常心でいられなくなる。後頭部の底のほうが疼く。といってかける言葉なんか見つからないし、その後の経過なんて尋ねられないし。ここで抱えきれないほどの得意先マターを日々捌かなくてはならない彼、被災地に縁のないほかの多数の人々と同じように振る舞うしかない彼の胸中など、私には米粒ほども解れない。ただ電話を切ったあと、ひどく動揺し心をすり減らしている自分を感じるのみである。……というような、そんなことがいくつもいくつもある。

誰ひとり、この私に、ちょっと聞いてよこんなに辛いのよ、とか、今避難所はこんな状況なんだぞどう思う、とか、何が何でも脱原発だよそう思うだろ、なんて話をする人はいない。誰も、何も、話さない。あの3月11日以降の、呑まれてしまった大地と命、崩れてしまった暮らしの礎、撒かれた毒としか形容しようのない放射能について、語らない。口に出して話すということは、それほど違うのである、ただ書くということとは。
書いている人は山のようにいる。私もそのひとりだし、表現の方法は異なれど、たぶん、書ける環境にある誰もが皆、書いてはいる。誰もが今、ぴゅっとひらめいたこと、カチンと頭にきたこと、うおおっと驚いたことを、口に出さずにツイッターとかいうやつに投稿しているようである。それならできるらしいのである。私はコピー屋のくせに短文でちゃちゃっと何も書けやしないので、ツイッターとは無縁であるが。しかし、ツイートはさんざんするけど口に出して語ることもする人は、稀である。
口に出して話すというのは、テレビかなんかの収録とか、不特定多数に呼びかける講演とかでない限り、普通、相手が居る。相手が要る。そして私が発した言葉は相手を射る。
相手をそのような言葉まみれにするのに、3月11日以降のこの国での出来事は、重すぎるのである。辛すぎるのである。私たちですらこんな体たらくなのに、当事者の方々は、その辛さを、悲しみを、寂しさを、虚脱感を、喪失感を、怒りを、どれほど「言う」「話す」ことのないままに耐えていることだろうか。語れない、吐き出せない、言葉が見つからない、励ましてくれる人、元気づけてくれる人、手伝ってくれる人たちの気持ちがありがたいゆえにぶちまけられないでいる、飲み込んでしまう本音の、いちばん重たいところにある気持ち。
とても申し訳ないけれど、あまりの惨事を経てなお、安全な場所に居る私たちは、自分が生きていることの奇跡を喜ばなくてはならない、との意を強くしている。だからこの命を大事にしよう、不条理な死で心ならずも生に終止符を打った人々の分まで生きよう。その気持ちは強くもっている。けれど、口にするとふわふわと重量感なく飛んでいってしまいそうで声に出して話すことができない。そういった肯定的なことですら、実体を伴えなくて、重みがなくて、根拠がなくて、上滑りする。何を口にしようが私たちは所詮第三者である。そのことをただ思い知らされるだけだから。

わが町には、お隣の県と合わせて合計1000人を超える人たちが、被災地から疎開してきているそうだ。それっぽっちか、と思わなくもないけれど、知らない土地で知らない人の世話になると決意するのは容易なことではない。家を失くしたから、危険だ避難しろといわれたからといって、はいはいと、気候も風土も習慣も違う街で暮らすのは簡単ではない。この滞在が一時的なものか半永久的なものになるのか、決めるのは自分たちでないもどかしさ。
地元紙に、そうした家族の暮らしざまが紹介されている。4~5月は新学期だったこともあり転入者がぐっと増えたようで、その当時は連載欄が設けられていた。いったんそれは終了し、今は、移ってきてもう長い人々を中心に、時折レポートされている。
やりきれなさ、あきらめ、寄せては返す悲しみ、悔しさ、憤り。それでも、今いる土地での暮らしになんとか希望を見出そう、手助けしてくれる人々に感謝しよう。たぶん記事は、読み手である私たちが安心するように書かれている。

兄弟で野球チームに所属していたある男の子ら。チームメイトのなかには亡くなった子もいるし、生き延びた友達とも離れ離れになってしまった。知らない土地へ来て、慣れない学校へ通うけど、相変わらずどう振る舞えばよいかもわからず笑わなくなり沈みきっていた。そんな時、兄のほうのクラスに野球少年がいて、一緒にやろうよと誘ってくれた。新しいユニフォームをもらって、一緒にプレーするうちに友達がいっぱいできた……。
福島第一原発が壊れて強制退去を命じられたある家庭の8歳の子は、テレビから「ゲンパツ」の単語が聞こえるたび反応し体が震えて涙があふれる。どうしてここに無理やり来なくてはならなかったのか、いったいいつ帰れるのか自分の家へ、友達のいるあの町へ。説明できない親に向かって言葉にならない叫びを投げては部屋の隅でうずくまって泣き喚き、やがて泣き疲れてようやく眠る。家族にとって、あまりにも辛い修羅場。ここにいたら生命は安全だとしても、こんなことでやっていけるのか。家族の暮らしは原発に狂わされてしまった……。家族それぞれがカウンセリングを受ける日々をいくつも過ごして、同じような境遇の人にも会い、親も子も、少しは心のよりどころをつかみ始めることができている。故郷へ帰りたい気持ちは今も強いけれど、少しずつ、ここでの新たな絆がかけがえのないものになっている。ここを離れるとき、また心を引きちぎられるような辛い思いをしなくてはならないのだろうか。ただ、今はそのときがくるのがちっとも見えないけれど……。

もしも私だったら? とても打開できやしない、平常心ではいられない、精神に異常をきたすか、全部諦めて投げ出してしまうかしかないだろう、そんな過酷な状況で気丈に生き延びる人たちに、かける言葉なんかあろうはずもなければ、その人たちのことを語るなんてできやしないのである。

私は、それがまるで自分に降りかかった厄災ででもあるかのように、打たれて萎えている。
私は、だけど、コピーライターで、編集者で、アートディレクターで、翻訳者で、母親で、世帯主で、少年補導委員だから、虚勢を張って背筋を伸ばしている。
私は、いつまでこんな状態を続けていくのか。

Soyez poli!2011/07/12 23:29:19


『「よそさん」にも教えたい 京都のお作法』
市田ひろみ著
NHK出版(生活人新書051)2002年

『よそさんは京都のことを勘違いしたはる』
山中恵美子著
学習研究社(2003年)


両方ともつまらない本である。なんでそんなこと、活字にするのかと思う。こういうことは言わへんほうが、書かへんほうが奥ゆかしいのに。でもきっとそう思うのは私が京都の人間だからなのだろう。「よそさん」にしたら物珍しい内容なのかも。「よそさん」にとってはじゅうぶん面白いのかも。「よそさん」にしたら非常識な話なのかも。

まずは「京都のお作法」のほうから。
《作法というのは、人に迷惑をかけない、人に不快感を与えないという無言のルールだ。》(2ページ)
《三方が山に囲まれた狭い京都盆地。代々京都で暮らしてきた人達とのつきあい。
 そこには人間関係のバランスをこわさないという不文律がある。》(3ページ)
《お客が帰ろうとする時に、
 「ゆっくりしていかはったらよろしいやないの。ぶぶ漬け(茶漬け)でもどうどす?」
 「へえおおきに、いや、また、今度」
 このやりとりは、言葉のアヤ。つまりほんの、おあいそなのだ。》(26ページ)
《京の会話は、重い意味を持たずに、あたりさわりなく運ぶ。「お茶漬けでも」とすすめられたら「おおきに、また、今度」と返すことで、お互い、貸し借りなしなのだ。
 実際、掃除もできていないかもしれないし、ごはんもないかもしれない。
 そこんとこは「へえ、今度また」でかわすのがおしゃれなのだ。》(27ページ)
《さて、京都の人は角の立つ物言いをしない。
 「あの人嫌い」などとは絶対に言わない。
 「あの人好きでない」と言うのだ。
 同じことでも角が立たず、嫌いさ加減が薄くなる。それでいて、自分の考えははっきりと主張している。》(52-53ページ)
《だから、ほんまもんを見る目はきびしい。
 さて、ほめ言葉にもいろいろあるが、京都人は微妙に使い分けている。
 見終わったあと、「御立派どすなあ」「きれいどすなあ」は、満足というところ。
 「何とも言えまへんなあ」「さすがですなあ」は、何と言っていいのかわからないくらいよかったということだろうか。
 「よろしおすなあ」は感嘆。
 京の人は、感動した時は多くを語らない。ただひと言「お見事」が最高のほめ言葉だろうか。
 「まあまあですなあ」というと東京の人は平均点と思うらしいけど、実は大したことはないということだ。
 「もうひとつですなあ」と言われたら、ひとつもよくないということだ。》(55-56ページ)
《言葉遣いひとつにしても、AもよろしおすけどBもよろしおすなあと言われると、聞いているほうはどっちが本音かよめない。だからよく、京都の人のお腹の中がよめないと言われる。
 しかし、実はAもよろしおすけどBもよろしおすなあと言いながら、「ほんまもん」であるかどうかを見きわめているのだ。》(141-142ページ)
《「いちびったらあかん」
 子供の頃、母からいちびったらあかんとよくたしなめられた。
 これは「調子に乗ったらだめ」とか「まわりのこと考えんとひとり面白がる」ということだろうか。
 いずれにしても、それ以上はしたらだめという、たしなめの言葉だ。軽々しくはしゃぐものではありませんよと、京都の親は我が子にブレーキをかけることを教えるのだ。》(145ページ)

続いて「勘違いしたはる」のほうから。
《今となっては言葉だけがひとり歩きしているような感さえある「お茶漬けでもどうどす」という言い回しは、祖母の口から何度か聞いたことがあります。
 玄関先で話し込んだあとに食事の時間が近づいてきて、お客様に「お茶漬けでも……」というのは、「あんまり長居をしてもらったら、うちもそろそろ食事のしたくをせんとあきませんし」と言いたいところを、失礼にならないよう、間接的に暗示しているのです。
 そう言われたら、相手の方も「いや、もうそんな時間になってました? もう失礼します」と言うのがふつうだと思います。これをふつうだと思うところが京都的なのかもしれませんが……。》(139ページ)
《ちなみに、京都では「お茶漬け」「何もあらしまへん」と言っても本当にお茶漬けだけをお出しすることはありません。あくまでも言葉の綾なのです。》(140ページ)
《「京都の人は、言っていることと、思っていることが違う」ということをよくいわれますが、京都の言葉は、言っていることと思っていることとが違う、というより、もっと複雑な使い分けをしているのです。
 どうおもわはってもかまへん(どう思われようとかまわない)と思いながら、押しつけがましくなく、通すべき意思は通す。特に京都人同士では、感情的になる一歩手前まで、言葉巧みなせめぎ合いが続くことがありますが、泥沼にめり込んでしまう前に、茶化したり、曖昧なことを言って、逃げるが勝ちと引いてしまいます。
 一方、よそさんに対しては、そこまで行くまでの前の段階で、なんぼいうてもわからへん(いくら言ってもどうせわからない)とあきらめてしまうか、または、もうしょうがないなあ(仕方がないな)と寛大になってしまいます。》(143ページ)
《ほめられたり、ものをいただいたときにうれしい気持ちを表現する「おおきに」は、京都でもよそでも同じですが、誘われたときの「おおきに」はちょっとニュアンスと響きが違います。
 つまり誘ったときに「おおきに」と言っても、相手は決して了解はしていないということです。誘ってくれたことに対する「おおきに」ではあっても、いつに行くとか、お断りするとかは言っていないのです。》(146ページ)


***

京都の「おおきに」は状況によって、発音の仕方(というか力の入れ具合というか)で、「こんにちは」(毎度おおきに)「さようなら」(ほな、おおきに)「そりゃどうも」(そら、おおきに)「そうかしら」(へえ、おおきに)などの意味を含ませることができる。というより、「ありがとうございます」といった謝意はほとんどない(笑)といっていい。謝意を伝えるときは手を着いて畳すれすれにまで頭を下げて「ほんまに、ほんまにおおきに」といったりするのだろう。でも、そんなことをする京都人を見たことがない(笑)。

私は言葉遣いも荒いし、およそお行儀のいい人、には程遠い。生まれてこのかた世の中は自分を中心に回っているし回っていくと思っているし、世の人間はみな自分より賢くない人ばかりだと思っている。いつからこんなもの言いが流行り始めたか知らないが、嫌いな言葉に「上から目線」がある。なぜ嫌いかと言えば、それはまさしく私の普段の振る舞いを見事に言い当てているからに他ならない。「上から目線」で何が悪いのよ。ふん。私の仕事は制作の最下流に位置しているので、上流を見上げれば直のクライアントのそのまた顧客のそのまたお客さまのそのまた神様の……とえんえんとスポンサーのピラミッドである。私は直のクライアントにだけこびへつらっていればいいわけで、たいそう気楽だが、つかう言葉が「おおきに」だろうが「ありがとうございます」だろうがそこに謝意を込めたことなんかないのである(笑)。あたしが食えるのはクライアントの支払いがあるからだけど、クライアントはあたしが書かなかったらおまんまの食い上げなのである。いつもお世話になりましてありがとうございます、といいながら、よかったな今日もアタシが元気でアンタのために仕事できてさ、と思っているのである。それって、みんな、どこの人でも、そうじゃないの?(笑)

いくら、「こいつ腹立たしい」「好かんタコ」「めっさむかつく」と思っても、ストレートな言葉に表さないだけでなく(そんなの当たり前じゃん)、むしろ慇懃に、超礼儀正しいもの言いで、相手に「あ、嫌われた」と気づかせるほうを選ぶ。たとえば、事務所にコピー機屋の営業マンが来て、試してくれだのパンフレットだけでも置かせてだの責任者の方に会わせてだのしつこく粘って帰らないときも、「ええ加減にせえよ、間に合うとるんじゃ、さっさと帰れっ」と心では思っていても決して言わない。「お引き取りください」すら言わない。「社長さんを」と頼んでも、「すぐ帰る、言うて出ましたけどまだ戻りませんので、これは間違いなくお客さんにつかまってしもて長引いてるんや思います」と、こんな手の込んだ嘘を言われた時点で引き下がらんとアホである。そやから待っても無駄でっせ、と言っているのである。アホは「せめておたくさまのお名刺を頂戴してもよろしいですか」と変な敬語で言ったりするが、「残念ですけど、今ちょうど名刺を切らしておりまして」と言われたら完全に脈なしと判断して帰ってほしい。まさかほんとに名刺切らしてるなんて思わなくていいから。しかし、名刺切らしてたらしくてもらえませんでした、なんて上司に報告して怒鳴られているに違いないけど(笑)。
気づかない鈍感な人はしかたない。あるいは、気づかないのが、ある社会ではふつうなのかもしれないが、少なくとも京都人同士の場合、そうしたうわべだけを軽く引っ掻き合うだけのような会話で、とりあえず、機嫌を損ねたか損ねずにすんだかはわかるし、場合によっては真意を測れることもある。
だが、たしかに、育った環境が違えば表現方法は異なる。コテコテキョウトで暮らしているけど、もちろん非コテコテキョウト民ももはやたくさんいる。会話のキャッチボールがしにくくて困ること多々あるが、なんの、態度は慇懃、心は「上から目線」で乗り切るのである。
ビジネスなら、誠意なんか無理に滲ませなくてもいい。気の利いた返事、洒脱な言い回し、過不足ない丁寧な振る舞い。つまり大人であれば大丈夫なのよ。

ファイトよ!

Vive le Matsuri!2011/07/14 08:16:48

祭りだ!
去年はそういえば毎日の儀式を記録していったなあ、誰にも頼まれてへんのに(笑)。
今年はやはり、なんとなく、祭りの報道にしろ、携わる人たちの動きにしろ、どことなく控えめというかおとなしい。いや、しかし、こんな時こそ祭りが必要さ。祇園祭は疫病払い厄払いの儀式だった。二度とこんな災いが人の暮らしを襲いませんように、という。
(以下,写真はすべて京都新聞サイトから。毎度おおきに!)

お千度の議

吉符入り

出囃子 四条傘鉾

鉾建て

鉾建て 函谷鉾

神輿洗い

曵き初め

社参の儀

昨日ようやく最後のヤマを越えて、とりあえず恒例の地獄ローテーションを脱した! 来月第一週くらいまでは平穏だ!
宵山を前に「山越え」を終えるなんて、なんと私はデキル人間なのだろう。これも日々行いが勝れて良いからにほかならない。エラいなあ、あたし♪ これで心置きなく祭りエンジョイできるやん♥

こっそり励ましと労いのメッセージをくださった愛するマイフレンズ、愛してるよ。祭りで皆の息災を祈るよ。きっと明日は今日よりよくなるもんね。ああ、とりあえず今日のプレゼン、うまくいきますように!

Voici le fruit, il est muré, là!2011/07/15 19:30:15

色づいてきましたの♪


けっきょく、これ1個なんだけどね。
美しいわあ。
毎朝、鳥に食われへんかと心配で見守ってきたんだけど、とりあえず今朝までは無事。
パッションフルーツって、完熟したら何色になるのかな?と思って検索してみたら、本格的に栽培されている人のページがあった(笑)。すごーい!
とても濃いえんじ色になるのね。でも例外もあるみたい。

ウチのは今のところまるで枇杷みたいな色。
(今年は、枇杷は生りませなんだ。)
収穫のタイミングが難しそうだ。


実を結んだのは彼らのおかげなのかな。

今年のアシナガバチさんたちです。
去年の巣に1匹だけ残って冬越しをしたから、また同じ巣を使うのかなあ、そんなはずないけどな、と思っていたらニューネストができあがっていた。かなり小ぶりだけど。
そしていつの間にかダーリンたちも同居(笑)。

さ、祭り気分で帰るべ。

Elles sont si belles, les lanternes allumées...2011/07/16 15:13:27

ゆうべ帰宅して、母に何か欲しいか尋ねると「たこ焼き」(笑)。
じゃ、ちょっくら買って参りましょうね。
ふらふら歩きながら、煌煌と明るい提灯を撮る。
節電のためにLEDにするとかしないとか、新聞に出ていたけど結局どうしたんだろう? LED、高いもんなあ……。
というわけで(ってどういうわけだい)、ほれ、祭りの夜でございます。












今夜も出かけるねん。
祭りと週末が重なるって、こんな幸運は一生に何度あることやら。
至福。