Il fait plus en plus l'automne, n'est-ce pas?2011/08/17 02:57:48


百貨店へ行き、買い物を済ませて普段用のないほかの売り場をうろうろしていると、どうぞどうぞお座りくださいと半ば強引に椅子に座らされマッサージ機器の試用を勧められた。あ、いえ、う、などと五十音図のア行しか口に出せないまま、そのおじさんの有無を言わせぬ様子に否応なく機器に足を突っ込んで、スイッチを入れられたとたん、おおおっ(やはりア行)。ふくらはぎから下をくまなくこれでもかとマッサージしてくれるだけでなく、床に寝転んで足を投げ出し、今ふくらはぎをあてている箇所に太腿をあてれば大腿部のリンパマッサージも可能だという。これはすごい。約10分間のマッサージで、まるで全身がほぐされたような効果がある。「肩こりにも効きますよ」「足のマッサージが?」「そおなんです!」ほほー。久々に感嘆したが、製品に値札がついていて、105,000円。そりゃそーだよなー。


すったもんだした挙げ句、何ともかっちょわるい結末に終わった五山送り火なんだけど、今日、例年のように静かに行われた。
いや、「静か」なのは先祖の霊を送る側の「気持ちだけ」なんであって、実際には見物人たちはビール片手に「おっ灯った灯ったきれいやなー」などと口々に叫ぶので騒がしいのである。

あるかたがご自身のブログに「大文字焼き」と書いておられた。こう表現する人が多いのは知っているし、だからどうだっつーことは別に何もないんだけど、今この時期にこのタイミングで著名なかたのブログに堂々とそう書かれると、「五山送り火」が「大文字焼き」という珍称でしっかり記憶されるではないか、と、郷土行事をこよなく愛する私は危機感を覚え、抗議のメールを送った。



京都市民として、今回の五山の送り火にかんして、「被災地の薪」をめぐっての顛末はただただ恥ずかしい限りです。

実は、私は被災地の松を薪にして送り火に使うという計画があったことを、「中止」(最初の)が報道されるまで知りませんでした。知って驚き、申し訳ない気持ちになりました。と同時に違和感も覚えました。

五山送り火は全国的に知られるお盆の行事かもしれませんが、当地に住むわれわれにとっては、先祖の魂を迎えてまた送るとき、天への案内をするためにまちを取り囲む五山に灯をともし、霊が迷わず帰るためのしるべにほかならず、それ以上でもそれ以下でもありません。
わずかな時間ですが、送り火の灯るあいだは亡くなった身内、ご先祖さまに思いをしばし馳せます。静かな時間です。

どなたが立てられた計画かは知りませんが、あのように未曾有の大震災で気の遠くなるほどのかたがたが亡くなられ、あるいはその生死の判明しないままの方がまだ何千人とおられる、その事実と、五山の送り火の意味は、正直申しまして少し異なるように思いました。震災で亡くなった方がたを思わないわけではけっしてなく、その魂はきっと私たちのまちをも見守ってくださっているでしょうし、われわれも、安らかに眠られんことを祈る毎日には違いないんですけど、ここ(京都のまちなか)に代々住んでいる者にとっては盂蘭盆会は、「ウチのお盆」でしかなく、五山に灯る火で浄土に帰るのはウチのじいちゃんばあちゃんたちだけなんです。排他的なことを言うのではなく、そういうもんなんです。地域の伝統行事の要素のひとつでしかないんです。

被災地の松云々は、まったくブサイクな結末というしかありませんが、そもそもいったいどなたがそんなズレたことを言い出したのだろうか、とも思いました。

で、メールを差し上げた趣旨は実はこれとは関係なく。
お盆に京都の五山に灯をともす行事は「五山の送り火」、中でも左右の大の字に特化して「大文字送り火」と申します。
「大文字焼き」ではありません。せんべいやどら焼きじゃないんですよ〜。「大文字焼き」と記載されている箇所を直していただけると一読者として望外の喜びです。



なんなんよ、「大文字焼き」のくだりは最後の数行だけじゃんか、と言われる貴兄に。ごもっとも。
そうなのよ、なんかさ、ファンメール書いてるうちに、今回の騒動っておかしくね?と思えてきてさ。で、途中でわれにかえってああそうだ用件は「大文字焼き」だったと気がついたんだけど。
ま、いいや。

こんな記事を見つけた。

http://getnews.jp/archives/135466

このページの下のほうにある参考リンクでようやく発案者のかたの名前などを知った次第。
「がれきマラソン」の顛末に通じるもんあるよね、ね、よっぱさん。



5月に同窓会があったが、同級生全員の消息を調べて現住所の名簿作成をするという作業をしていた世話役グループに、今でも仲良くしている朋美が入っていたので、進捗状況をよく教えてもらった。3月頃、私の娘の卒業祝いを手に家を訪ねてくれたが、そのとき、早くも物故者がいることを聞かされた。
ひとりは知っている。高校に進学して間もなく、心臓発作で亡くなった男の子だ。校舎内に倒れていたのを発見されたがもう手遅れだったと聞いた。とんでもない秀才だったので、日本は国の将来を担う重要な頭脳を失ったと本気で思ったものだった。
だが、私の知る限り、早世したのは彼だけだった。物故者の名前を聞いていて、ああそういえばこのひと病弱だったなと思い当たるのが約2名、え、そんな同級生いたっけ?とまことに不謹慎ながら顔を思い出せない名前がひとり。そしてもうひとりの名を聞いて驚いた。雅彦。彼とは小・中学校とも一緒で、よく遊んだしよく話した。私の当時の思い出の中で非常に多くを占める友人のひとりだった。朋美のように、卒業後も友人として会い、付き合い続ける同級生がいる一方で、雅彦のように、中学を出てぷつんと縁がなくなって疎遠になった友達もいる。中学の同級生たちはけっこうまめで、頻繁に同窓会を開催していた(らしい)が、私はほとんど行かなかったので、疎遠になっていた友達はますます疎遠になっていた。雅彦がそうした場に姿を現していたかどうかは知らない。雅彦は全然来てなかったんじゃないか、ふとそんな気がした。
朋美にとっても、雅彦の死はショックだったと思う。
「びっくりしたよ、トシちゃんから聞いて」
雅彦は三つ子のひとりなのである。瓜二つの利彦と、少し顔立ちの違った光彦。双児ですら珍しかったので、三つ子の彼らは何かと注目されていた。揃いも揃って今の言葉で言えばイケメンで、勉強もできて、運動会ではスターだった。当然女子によくモテた。草食系などでは全然なく、彼らにはいつも女の子の噂がついてまわり、実際にいろんな子とそれぞれが付き合っていた。私は、三つ子をそういう目で見たことはなかった。どっかすましている光彦とは話が合わず、プレイボーイの利彦とは接点がなかった。同じような顔をしてたのに雅彦だけは、ふざけ合いっこから真面目な話までよく言葉を交わし、時間を共有した。彼は私の好きな男の子と仲良しだったので、何かと面倒を見ようとしてくれた。その子に全然脈がないことがわかってしょぼくれる私に、別の男の子を紹介してくれたりした。わかってないヤツだったが、私は雅彦のとぼけた行動が好きだった。つい何でも頭でっかちに考えてしまう私に、ええやんけ、そんなん、みたいなひと言二言を投げて、パンパンに入った力をすっと抜いてしまうような不思議な存在でもあった。人差し指と親指でつくった鉄砲を私のこめかみにあて、「おまえ、考え過ぎ。」と言った後、「ところで桜井はやっぱあかんのけ?」と終わった話を引っ張り出して笑わせるようなやりかたで。(桜井は例の紹介された別の男子)

同窓会には、三つ子のうち利彦だけが出席だった。
「昨日,一周忌やったんや」
まだ一年しか経っていない? 雅彦が亡くなったのはそんなに最近のことだったのかと私は動揺した。いったいどうして? 訊ねた私に利彦が「いや、長患いでね」とか「交通事故でなあ」とか何でもいいからもっともらしい理由を言ってくれていたらよかったのに、利彦は「いや、その……いろいろあってな……」と含みのある言いかたをして話を止めてしまった。問い詰めてもそれ以上は何も言ってくれなかった。私ではなく、仲の良かった親友らには何か話しているのではと思って同窓会後数人と連絡を取り合って聞いたけど、利彦は雅彦の死について誰にも何も語っていなかった。

遺族が話そうとしないものを追及するわけにはいかない。

以来、雅彦が私の脳裏に、小学生や中学生の雅彦の姿で、現れては消える。屈託ない笑顔やすっとぼけた表情がフラッシュバックする。何とも落ち着かないこの状態を収拾できずに困っている。私は身内のことはそっちのけで、ただ雅彦のことだけを考えていた。そんな盆だった。

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