Septembre, le typhon, la lune, le chat2011/09/03 01:37:32

暑いとか涼しいとかよく降るとか節電節電と大騒ぎした割には電気も足りてるやん、だいいちウチはとっくの昔から超節電状態やねんこれ以上どこで搾れっつーのよとかいろいろ、実りのない世迷い言だけがアタマの前のほうを駆け巡っているのを感じながら、ああ、もっと、アタマの後ろを深ーい思考で満たしたいよなあなどと無理な願いを見えない星にかけたりしているうちに9月になった。

9月の声を聞いたとたん台風である。
およそ、地球が地球であるがゆえに引き起こされる人間にとって手に負えない巨大な規模の自然現象のうちのほとんどが、日本には起こる。地震、津波,台風、豪雨、火山の噴火、洪水、土砂崩れ。よく北米大陸に起こる竜巻は、地形のせいか日本ではほとんど発生しないみたいだ。『オズの魔法使い』のように飛ばされた家の中から外の風景を見るなんてことに憧れた時代はあったが(笑)、風は、怖い。数年前のある日、台風が上陸して各地で警報が出されていたが、だからって経済活動を止めない日本人のひとりであるわたくしは、風にあおられてクチャクチャになった百均アンブレラを閉じ、雨に濡れながらとある交差点に差し掛かったところ、私の少し前を歩いていたご婦人が、横断歩道の真ん中あたりまで到達したとき、彼女が通り過ぎるのを待って動き始めた右折車が、彼女をはねたのである。
ご婦人は気丈にも傘をさしたまま歩いていた。その傘が風にあおられ、いきおいで、傘を離さなかった彼女の体は横断歩道を逆進して右折車の前にいきなり出てしまったのだ。

はねたと言っても車のスピードは落ちていたから、だいじにはいたらなかったようだが。

もろに目撃した私は、以来、風が怖い。

いまも、ひゅうーという恐ろしげな音と、我がぼろ家があちこちでみしみしカタカタ音を立て、明日までこの家保つだろうかと本気で心配になるほど、危なっかしい(笑)。

今日はとくに、猫の様子がおかしい。動物のもつ本能で、危険を予知しているかもしれない。にゃあにゃあとずっと啼いていて、うろうろとあちこち移動しては何が聞こえるのやら聞き耳を立ててじっとしたりする。かと思えば取り憑かれたように何かを追いかける。

私たちの住むまちは、大きな自然災害とは無縁である。影響を受けて、たとえば明日は暴風雨の予想だし、どこどこの神社のご神木が台風でなぎ倒されるとかそんな話は毎年ある。あるが、その程度である。北部ではゲリラ豪雨で川が氾濫して車が流されたとかそういう話は山のようにある。しかし、阪神淡路大震災のときも半端じゃないほど揺れたけど、揺れただけだった。

地球の自然現象は月との引っ張り合いで起こる(と思っている)。猫のひげやしっぽが、大きな自然災害の接近を予知する力があるとしたら、それは、つきつめれば月の引力をも感じるスグレモノのアンテナであるから、ということになるんだろう。悲しいかな、人間はその猫の察知したなにものかを解釈する能力は皆無なのである。

Salop le typhon, le pire!2011/09/05 20:22:10

睡眠不足と疲労で意識朦朧がピーク(って何書いてんだあたし)になった金曜日、職場の外へ一歩出たとたん、緊張の糸が切れて本当にそのまま路上で寝込んでしまいそうになったが、ひゅうううううううううという恐ろしげな風の音と、取引先の敏腕営業ウーマンがけたたましく鳴らしてくれたケータイの着信音のおかげで、なんとか自宅までの道のり、時間にして20分、歩き抜くことができた。私のまちでは金曜の夜の風がいちばんすごかったので、前エントリで書いたようなオバサン右折車にはねられました事件とか、まだ幼い頃に家のトタン屋根が飛ばされた記憶とか、今はもうアスファルトの下になってしまった表通りを流れていた川が豪雨のために氾濫して、おまけに川べりの柳が風でなぎ倒されて流されて、通り沿いの家は床下浸水と柳の枝葉のダブルパンチだったとか、そんな古いアルバムの断片のような絵が脳裏に浮かんでは消えた。でも、その恐ろしい風に耐えながら、夜中、帰路についているあいだじゅう、その敏腕営業ウーマンが、自分の部下のふがいなさを愚痴るのである(笑)。その彼女の部下という人物には、私も日々ほとほと手を焼いているので、敏腕営業ウーマンの愚痴は痛いほどよくわかる。私はその部下嬢から見ても下請けの業者の人間なので、部下嬢が根拠なく高飛車に出たり、根拠なく自分のミスを人のせいにしたり、根拠なくただただ締め切り間際になって人を追い立てることしかしないというのも、立場ゆえに理解できる。しかたがないのである。アホはもう直らない。直らないアホでも私の職場にとっては大顧客の担当者であるゆえ、世界中がこの部下嬢をアホだと認めても私は部下嬢に逆らえないのである。で、先の敏腕営業ウーマンは、そうした私の苛立ちをよくわかってくれる人であるので、全然仕事のできない部下のせいで、よく働く下請け三文ライターが機嫌を損ねないように配慮して、自分の部下を罵倒しているのである(笑)。気持ちはありがたいがだからって同調することは、これまた下請けの悲しさでできないのである。少しは私も部下嬢のしでかした瑕疵のもろもろを「チクル」くらいはするが、どうやら、敏腕営業ウーマンによると、彼女のところの社内では、私がこうむっている程度の「被害」では済んでいないようなのだ(笑)。そりゃそうだろなー。あの部下嬢と組んで仕事するというのは、ある意味、首輪かハーネスつけてチワワかミニチュアダックスを連れまわして仕事しろって言うようなもんだよな。どういうことが言いたいかというと、つまり部下嬢はこっちの話を理解しないのである。こっちの話とは全然別の次元の返事がくるのである。話のキャッチボールができないのである。それでいてわかった気でおられるようでどこかマイペースなのである。従順に見せて従わないのである。だったらそんなの社員として雇っておくなよといいたいが、そこは大会社の悲しさで雇ってしまったもんは無碍にクビにはできないのである。私の勤務先では経営者が「こいつ嫌い」と思ったらしゃーっと解雇される。もちろんかたちは自主退職で。件の部下嬢なんて、わが社なら雇用はありえない人材である。しかし、そのように異星人並みの「できなさ」であるからして、敏腕営業ウーマンも私も、部下嬢の「こんなに仕事できませんエピソード」を百も列挙して笑い飛ばしてストレス解消しているといえる。不健康だが、これも、歯車の、とあるひとつのかたちである。会話のかみ合わない人間が一人いるけれど、そいつのかみ合わなさを「ダシ」にして、つまりいろいろうまくいかないことの理由をそこへ全部掃き溜めて、そうしておくことでなんとかかみ合ってまわる歯車。考えてみれば、取引先だろうと部下だろうと、あまりによくできる人材がいたら、それはそれでしんどいじゃないか、だってあたしだってデキナイ子だもんさ。そんなふうにオチつけながら、暴風に耐えて帰宅した。家の中ではバリバリみしみしがたがたと家のどこの部分が音を立てているのかわからないけど、そんな音と、興奮した猫が、一晩中やかましかった。私は暴風と敏腕営業ウーマンの電話に支えられながら、少し疲労回復して、翌日、乾かないとわかっているけどせなしゃあない洗濯をして、掃除をして、合間合間にごろごろした。美容院を予約していたので重い体を引きずって行った。予約客のほとんどが台風を理由にキャンセルしたといっていた。貸し切り状態の美容室で同年代の美容師と懐メロの話題に花を咲かせては、若手美容師に知らんやろ~と自慢するけど、どうでもよさげな表情の若手美容師はヘッドから肩へのマッサージが上手なのであまりの気持ちよさにあまり昭和ネタでいじめるのはやめてあげようと思ったりするのである。軽く綺麗になった髪をなびかせといいたいが、外へ出れば超スローペースの台風はあいかわらず時に突風時に大雨を繰り返してそのあたりをうろうろしておるようなのであった。日曜は順延された高校の文化祭が開催される予定だがどうかなとちょっと心配する。でも、私たちの心配はその程度であった。私たちのまちはほんとうに被害がない。今回の12号がもたらした被害の最たるものは、二条城の壁が剥がれたってだけだった。平和だ。だがニュースを見て、近隣他県が被った容赦ない台風の爪痕に言葉もない。半年前に私たちは未曾有の大震災を経験した。私たちはつい災害をその人的被害の規模で語るが、失われた命の重さは同じだ。こんちくしょう台風め馬鹿ていねいにゆっくりゆっくり嘗め回すようにわが郷土を削りとっていきおってからに。こんなことがあると、取引先の担当者が極めつきのアホだったとしても、生きてるだけで幸せじゃないかと思わざるを得ないのである。合掌。

Bravo Monsieur Maja Josida!2011/09/07 19:03:47

ボーっとニュースを眺めていたらこんな記事が目に入った。

《(前略……)吉田は2日の北朝鮮戦でロスタイムに決勝点を決めて一躍ヒーローとなった。しかし、FIFA(国際サッカー連盟)は公式HPで得点者を「Michihiro YASUDA(安田理大)」と表記。吉田は主役の座を安田に奪われ、自身のブログで、「俺Maya Yoshida!!!!!!!!どうしてくれるんだよ、俺の手柄!泣」と悔やんでいた。
 そしてウズベキスタン戦でもスタメン出場した吉田だったが、同サイトのメンバー表には、「Maja JOSIDA」と表記されてしまった。2試合連続で誤って伝えられてしまった吉田を含めて守備陣は安定感を欠き先制点を献上。同点に追いついたものの、吉田にとっては踏んだり蹴ったりの結果となっている。なお、吉田以外の選手名の表記に間違いはなかった。》(SOCCER KING 9月7日(水)15時33分配信、「FIFA公式HP、「決勝点YASUDA」に続き吉田を「Maja JOSIDA」と紹介」より)

「Maja JOSIDA」と書いて、ラテン系言語では「マヤ・ヨシダ」と読む。小泉純一郎「Junichiro KOIZUMI」をフランスのラジオニュースでは「ユニシロ・コイズュミ」と呼んで彼の退任まで改めることがなかった。私たちが「ヨルダン」と呼ぶ国は国際的に「Jordan」(じょーだん、じゃないのよ)と表記する。ただしフランス語では「Jordanie」と書いて「ジョルダニ」と発音する。何でこのときは「ジ」音になるのか、私は知らない。南アフリカ共和国の首都「ヨハネスブルグ」は「Johannesburg」である。英語などアングロサクソン系は「ジョハネスバーグ」と呼んでいる(はず)。フランス語はどうか、というといつも聴くラジオでこの都市の名を呼ばれるのを聴いた記憶がないので知らない。知らないことが多くて申し訳ない。留学時代のクラスメートのひとりヨアンはスウェーデン人でその名を「Johan」と書いたが、周囲から「ジョアン」と呼ばれるのをいつも「僕はヨアンだ」と訂正していた。だから、というか、しかし、でもないな、つまり世界はそういう事情であるからして吉田選手が自分の名を「Maja JOSIDA」と表記されたといって嘆く必要はないということが言いたかったのである。「Maja JOSIDA」と書いた人は「マヤ・ヨシダ」と書いたつもりだったのだから、絶対。

余談だが。
ジョージ君はGeorge、同じ綴りでドイツ語だとゲオルグ君、フランス語だとジョルジュ君になるが、カスティーヤ語(マドリッド首都圏のスペイン語)ではJorgeと綴り、ジョージでもジョルジュでもなく「ホルヘ」と発音する。有名なところではホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge Luis Borges、本名はもっと長いのよ)がいる。
カスティーヤ語では「J」音を「ハヒフヘホ」としか発音しないので、吉田選手の名が「Maja JOSIDA」と表記されていたらマドリッドっ子は「マハ・ホシダ」と呼んだであろう。たしかに、それは吉田君にとって由々しき問題だな。

カスティーヤ語、というのも「Castilla」と書いて「カスティーリャ、カスティージャ、カスティーヤ」と三とおりの発音がスペイン国内にはある。「L」(エル)が二つ連なるとラ行音でなくヤ行音になることが仏語にはあるので、私はついカスティーヤとゆってしまうが、マドリッド首都圏で話される本場の(?)カスティーヤ語では「カスティージャ」が優勢らしい。かの国の有名な観光地は「マヨルカ島」と私は決めつけていたが、「Mallorca」と書くので現地では「マジョルカ」だったり「マヨルカ」だったり「マリョルカ」だったりするわけだ。で、調べてみるとフランス語ではMajorque(マジョルク)なんだって(英語ではMajorca=マジョーカ)。規則性に富んでいるようでないようでいるようである。


「J」音にまつわる話で忘れられないのは、もう数年前だが、自宅の最寄りのバス停から堀川通を北上する市バスに乗ったときのことである。若いフランス娘のグループがすでに乗っていて、ベチャベチャブチョブチョ騒いでいた。
(ちなみに、日本の若い女の子が騒ぐことを「キャーキャー」と表現したりするのはわりかし音声面で的を射ていると思うのであるが、それに鑑みて、とてもフランスコギャルの騒ぎかたを「キャーキャー」と表記はできない私である。彼女らのお喋りは粘着系のヴィジョヴィジョブジュブジュベチャベチャ~~~という感じである。あんまり綺麗じゃなさそうだが、フランス人みんなが上流貴族階級ではないし、フランス人みんながアカデミーフランセーズに従順なわけでもない。経験から申し上げるが、庶民の話すフランス語は、耳にしても美しくはない。件の若いフランス娘のグループも見た目、お嬢様たちではなかったが、ということは一般フランス女性なのである)

バスが二条城に近づいたとき、城を「二条城/NIJOJO」と指し示す標識を見て娘のひとりが「オー! ニ・ホ・ホ!!!」と嬉しそうに叫んだのである。ニホホ、ニホホ。よほど語感がよいのか(笑)何度も何度も口にして、バス停「二条城前」を通り過ぎるまで「ニホホ、ニホホ」とまるで歌っているようであった。
自国の近隣地域には「J」音を「ハヒフヘホ」と発音するところもある、という知識は、もっていたわけである。

Ca ne finit toujours pas...2011/09/09 19:19:08

『兵士ピースフル』
マイケル・モーパーゴ著、佐藤見果夢訳
評論社(2007年)


痛い小説だ。
第一次世界大戦のさなかに起こった本当にあったいくつかのエピソードを基にして書かれた物語。年端も行かない少年が、戦地に駆り出され、上官からは嫌がらせや拷問を受け、前線では苛酷な戦況に足を竦ませ……
第一次大戦は1914~1918年間続き、他の戦争の例に漏れず、人の心と大地を荒廃させた。舞台である英国は階級社会で、軍人や地主が大威張りで使用人をこき使い、胸三寸で解雇も配置換えもしたような時代。それでも戦争の影がまだ色濃くないうちは、そんないけすかない雇い主や、四角いアタマの教師、頑固で古臭いジイサンバアサン連中を、庶民や子どもはうまく出し抜いたりやり込めたりして、貧しくても知恵を使い、厚みのある暮らしをしていたのだった。
冒頭で主人公が、残された時間を、世界にひとつしかない宝石を握り締めるようにいとおしんでつぶやく。この冒頭で、まだ18歳にもならないこの少年を見舞う苛酷な運命を、読者はなんとなく想像することができる。そして、1行空けて、主人公の少年は、辛いことも悲しいことも驚いたこともあったけれど、キラキラと輝きに満ちていた幼少時代を少しずつ回想していく。文体は、本書が児童文学として分類されていることからもわかるが平易である。情景描写は童話的で、豊かな森林や、古い聖堂の威容など、絵画のように読者の目に立ち上がる。時間の流れもゆったりしていて、登場する子どもたちは無邪気で生意気である。
 父親が死に、主人公はその死の原因が自分にあると自己を苛んでいる。その心の底の、彼にとっては小さくないこぶが、母や、兄や、兄の恋人との関係に少し影を落としたりもする。
 母子家庭となった家では生活に困窮し、兄弟は領主の敷地で魚や農作物を盗んだりもする。それでこっぴどく罰せられる。だがそうした、そのときはえげつないように見えるひとつひとつの事件が、少年たちのハートをけっきょくは打たれ強い頑健なものにしていった。彼らの強さが家にささやかな幸福をもたらすかに見えたのだが。
 ドイツ軍が侵攻し、若い兵士たちが次々と駆り出されていく。十分な訓練を受けていないまだ子どものような兵士たち。彼らの敵はドイツ兵よりもまず自分の恐怖心だ。臆病風に吹かれて逃げ出したが最後、そんな兵士は必ず捕らえられて自国の軍事裁判にかけられ有無を言わさず銃殺刑に処せられる。
 主人公兄弟の上官は狂気に走った軍曹で、作戦も何もなく闇雲な突撃を命令する。ただそこにいるだけで必ず殺されるのに……。
 物語の最後のほうで、主人公は父の死にかんする心の傷を兄に打ち明ける。だが兄は笑って、母さんも俺も知ってたよという。でもお前のせいじゃないよ、断じて違うよと。

第一次大戦のとき、300人近くのイギリス兵士が脱走ないし臆病行為により銃殺刑に処せられた。そのうちの2人は見張り番をしていて居眠りしていたことが理由だったという。
本書はそうした臆病行為の罪で銃殺刑になった若いイギリス兵の実話を基に、書かれた。けっきょくこの戦争では数百万人の戦死者が出たのだが、その一人一人にどのような人生の物語があったのか、それを掘り出して語り継ぐ試みは、日本と同様、英国でも遅々として進んではいないようである。

心臓をわしづかみにされ、捻り潰されるかと思うほど、痛い小説だ。中高生に読んでほしい。

Merci mille fois à tous!!!!2011/09/12 11:15:54

昨夜、バレエ教室の秋の発表会が無事終わりました。
幅は広いし丈は長いし膨らみすぎるし、と、なんだかんだと裁縫係(あたしよ)手を煩わせた貸衣装も、本番がすんだら、さようならです。楽屋で回収して出演者全員のをまとめて衣装アトリエさんに返却します。娘の通う教室では、レンタル料込みのクリーニング代を各自が負担することになっています。

貸衣装って、同じものを着ることって絶対にないんですよね。発表会ごとに2着、年に2回だから4着、もう10年やってるから実に40着もの衣装をお借りして、裁縫係(あたしよ)はそのたびに奮闘してきましたが、これまで「あ、これ前に着たのと同じだよね」ということは皆無です。演目も違うし役も違うしサイズも違うし(成長するしね)、あたりまえっちゃあたりまえ、なんだけど、もうこれっきりなのね、と思うといとおしいもんですね。

娘を応援してくださった皆さん、観に来てくださった皆さん、本当にありがとうございました。
おかげで、たいへんよくできました花丸、の舞台でした。
お花もたくさんいただきまして。





他にもお菓子やら小物やらメッセージやら……心から感謝申し上げます。
舞台人にとって、何よりの励みは「観客の目」です。客席の皆さんからいただく拍手こそ、舞台人へのご褒美であり叱咤激励であり、ビタミンでありパワーの源です。
お客様から拍手をいただけることほど名誉なことはなく、そのためだけに日々精進する意味があります。
昨日いただいた拍手を糧に、またさらに頑張るでありましょう。
どうもありがとうございました。

Je suis sûre que, si c’était moi qui avais aimé cet homme-là, la fin de cette histoire avait été si différente…2011/09/14 18:58:20

『ツ、イ、ラ、ク』
姫野カオルコ著
角川書店(角川グループパブリッシング/2003年)


本書が発売されたときに、書評を何かで読み、すごく読みたくなった。これは読まなければ。非常に強くそう思ったのを覚えている。ちなみに私は姫野の作品を一つも読んだことがなかったし、評判を聞いたこともなかったし、若いのかそうでないのか、作家としてのキャリアもまるで知らなかったし、今も知らない。『ツ、イ、ラ、ク』を読みたくなったといって、いきなり姫野カオルコとは誰ぞやと調べてみることもしなかった。
本書は人気作品なのか、図書館ではいつも貸し出し中だった。何が何でもどうしても読みたい本、読まなければならない本は予約を入れるが、本書についてはそれをしなかったので、たぶん当時の私には、いくら読みたいという気持ちがあっても予約するというアクションを起こすほどの熱意をこの小説にもつことはなかったのだろう。しかし私だって小説の書架を眺めるときはあるので、書架の「作家名ハ行」の棚に姫野カオルコの名を見つけると、『ツ、イ、ラ、ク』を思い出した。しかし『ツ、イ、ラ、ク』はいつも、なかった。しょうがない、他の作品を読むかな。……と、思ったことは一度もない。姫野カオルコという作家に関心があったわけではなかったから。

そのうち、私は『ツ、イ、ラ、ク』を忘れてしまっていた。書架に姫野の名を見つけても、(例によって『ツ、イ、ラ、ク』はなかったから)『ツ、イ、ラ、ク』を思い出すこともしなくなっていた。なぜあれほど読みたいと思ったのだろう。新刊書の書評なんてものは、あらすじを語っていてもネタばれするわけにはいかないし、作品にかんしてたいした情報を提供してくれるものではないのに。

ところが、最近になってようやく、我が図書館の常連組がようやく手放す気になったのか(笑)、『ツ、イ、ラ、ク』が書架にあったのである!
実は他の作家の名前と作品を探して「作家名ハ行」の棚を見ていたのだが、なんとそこに、しれっと、本書が並んでいたのである。あ、あったあーーーついらくーーーーーーっと(小さくだけど)叫んでいた私。

ためらうことなく貸出し手続きを済ませて家に持ち帰り、ずいぶん分厚い本だから長編小説なんだけど、がーーーーっと一気に読んでしまった。これがこの人の書きかたなのかどうか知らないが、語りの主体がコロコロ変わって見えるし、ところどころノンフィクション系筆致になるし、記号など駆使して字面をややこしくするし、正直いって、読んでいて、あまり快適さを感じる文章ではない。そんな回りくどい言いかたしなくても。そこでその説明必要なのか? それは説明しているようで実はしてないぞ。……などなど、はしたないけど心中で「ちっ」と舌打ちしたくなる箇所があまりにも多い。ところが、ヒロインの隼子というキャラクターがあまりに凛と立っていて、この子をめぐるさまざまなことが、次の展開をいい意味で予測させいい意味で裏切らないので、次はどうなる、やっぱそうなる、なるほどそう来たか、思ったとおりだ、てな具合に非常にテンポよく読まされてしまう。

私はなぜ、この小説を読みたいと思ったのか、それはけっきょくわからずじまいであった。8年前、本書の新刊当時、私はまだギリギリ(笑)30代だったが、ヒロインとその同級生たちは物語の終わりで34歳になっている。同級生たちはそれぞれに中学校時代を振り返ったりする。あんなにどうでもいいことに必死だった、夢中だった、些細なことに感動し、些細なことが許せなかった。そんな中学生の頃。読者は同じように郷愁を覚え、胸キュンとなる。作家の狙いはそこか? もし私がすんなりと30代の終わりにこれを読んでいたとしても、中学校時代に思いを馳せ胸キュンなんて、絶対ありえなかったと思う。私はその頃忙しすぎて(今もだけど)目の前の雑多な事どもに追われて雑多な事どもを追いかけて(今もだけど)、転職したり失恋したり(もうしてないよ)、同級生なんて眼中になかったし(もうそんなことないよ)。
私の中学校時代には、教師と恋に落ちるやつもいなかった(いたかもしれないけど若い教師がいなかったし)。ひどい噂を立ててポルノの切り抜きを黒板に貼るような奴もいなかった。中途半端な都会の中学校は色恋沙汰も非行も喧嘩も勉強も、イマイチぱっとしない集団だった。だけど私たちには私たちの青春がたしかにそこにはあったわけで、この5月に何年ぶりかの同窓会を経験した私は、亡くなった雅彦や、ちょっとおかしくなったという噂の慶子のことを抜きにしても、『ツ、イ、ラ、ク』を読んで、ああ、そうだったよね中学時代……と懐かしい心地よさに満たされたことは白状する。

でも、この小説のツボはそこではない。登場人物たちの、実に小学校2年生から中学校卒業までのストーリーが長編のほとんどを占める小説でありながら、これは読者を郷愁に誘う物語ではない。読者が本気で人を愛した記憶があるなら、この小説によってその記憶は呼び覚まされ体の中で脈打つはずだ。幾つのときかは関係がない。『ツ、イ、ラ、ク』は女子中学生と大学出たての教師との恋が描かれているのだが、中学時代に恋に落ちた経験がなければ感動する資格がない、のではない。恋に落ちる瞬間はいつでも誰にでも訪れる。その意外なきっかけ、意外なシチュエーション、お決まりの展開、お決まりの睦みごと、それは百人百様の色彩であるいはモノクロームで記憶に残っているものだが、それを見事に甦らせてくれるのが本書だ。

あのとき、たしかに私は墜落した。そう、あれから始まったんだ。
そんなことをつい、読みながらつぶやくのである。

De retour de Fukushima, où le silence et les mensonges tuent2011/09/15 18:39:47

武田邦彦さんのHPから拝借した福島第一原発3号機爆発の写真。



下の記事はサイト「Genpatsu」から転載。
元記事はRue89、大新聞に迎合しない記事が売りのニュース・論評サイト。Rue89には著作家、識者のブログ転載ページがある。コリーヌ・ルパージュはそのひとり。

ルパージュは東日本大震災および福島第一原発の故障と爆発を受けて、「原発大国」フランスの、嘘で固めた原子力政策の内実を暴く著作『核に関する真実』をアルバン・ミッシェル社から出版したばかりだ。あらすじはフランスねこさんとこで把握済みだけど、読みたい〜。
http://www.albin-michel.fr/La-Verite-sur-le-nucleaire-EAN=9782226230676



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「福島では沈黙と嘘が住民を圧殺している」
Rue89 9/2付記事 全訳
投稿日: 9月13日 2011 作成者: genpatsu

出典:
http://www.rue89.com/corinne-lepage/2011/09/02/de-retour-de-fukushima-ou-le-silence-et-les-mensonges-tuent-220331


福島の事故がニュースの一面から消えてすでに数週間が経ちます。大方の人にとっては、すでに終わったことですし、東電や汚染水処理に携わるアレバ社は、当然状況をコントロールしているということになっています。

避難が必要な人はすでに避難しており、放射線量も下がってきている。フランスからみた日本は、原発再稼働の用意が整ったように見えます。そのうえ、メディアはフランスの原子力圧力団体から情報を入手しては定期的に、ここそこの原発が再稼働すると報道しています。

こうしたことは、深刻かつ悲劇的な、偽りなのです。


数百万立方メートルの汚染水


まず申し上げたいことは、環境省政務官、環境省副大臣、福島県副知事とお会いしましたが、日本政府は、事故は進行中であり、何も解決していないという認識を持っています。これは貴重な情報です。

日本政府は、3つの原子炉の炉心が溶解し、容器を貫いたことを認めていますが、現在何が起きているのか、特に、核燃料含有物質が貫通したのかどうか、は把握していません。貫通した場合、地下水が取り返しのつかない汚染にさらされることは言うまでもありません。

水処理についてですが、グリーンピースでは、まだ着手したばかりだという見解を持っています。もちろんだれも触れたくない問題ではありますが、日本政府も放射性汚泥の堆積や数百万立方メートルの汚染水についても、認識はしています。


空港でとめられている線量計


二つ目、これも重要なことですが、福島県で暮らす家族の人たちは文字通り、非常に悲劇的な状況にあります。数百の家族と連携している団体があり、断固たる決意を固めた女性たちが音頭を取っているのですが、その団体とほぼ2時間話してきました。

彼女たちのことはよく理解できます。彼女らに降りかかったことは、私たちがチェルノブイリ事故で体験したことに非常に近いですし、いろいろなことの進行の仕方を見ていると、過去の体験を思い出します。

地震と津波が一度に襲ってきたために、状況が相当混乱していたことはわかりますが、気象庁が、福島原発事故の時に風向きの地図を提供できなかったというのも、おかしな話です。住民は、風がどこから吹いてくるのか知るすべが全くありませんでした。

いかなる情報も提供されず、ヨウ素安定剤も配布されませんでした。彼らは、一か月以上たって初めて、汚染レベルについての公の情報を入手できたのです。現在、東京の空港では、4万個の線量計が政府の指示によりとめられています。(訳注:福島の)家族は、自分たちの生活している場所の放射線レベルがどれくらいかわからないままでいます。


子どもを心配するママたち


食品についてですが、測定はされていますが、結果が出てくるのは、食品が市場に出て消費された後です。母親にとって一番大事なのは、もちろん子どもたちのことです。

すべてのIAEA加盟国同様、日本でも一般人の年間放射線許容量は1ミリシーベルト、放射線従事者で20ミリシーベルトです。現在、この人たちが住んでいる福島県の地域では、5ミリシーベルトを完全に超えていて、20ミリシーベルトに達するところもあります。

こうした母親たちは、自分たちや、子どもたちが1ミリシーベルト環境で暮らす権利を主張しています。問題は、彼女らの問いかけに、はい、と言えるだけの手段がどこにもないことです。


もっと広範囲な避難が必要です


2つの解決策が考えられます。除染または、話題にされることの多い避難、です。幾つかの校庭が除染対象になったようです。除染は表土を50〜60cm取り除くのですが、いったいそれがどこに保管されるのかはわかりません。

除染によって、汚染レベルをさげることができます。これは局地的には可能ですし、結果検証もしたほうがいいでしょう。しかし、明らかに、県レベルでは不可能です。

したがって、検討の必要なのは2つ目の解決策ということになります。当然、希望者が出ていくことができるようにする、ということです。しかし、出ていくことができるようにするためには、他のところで生活していけるようにしなければならないということです。

悲劇的なことですが、日本政府はある一定の範囲内でできることをしている、というのが現実です。しかし、情報が抑えられているために、一般の人が実際の状況を知る術がないのです。


補償なしの農家


意思決定の改善が必要な個所では、農業もご他聞にもれず、政府の機能不全の犠牲者です。

福島県は、福島県産の農作物をアピールし、風評被害を訴えています。私も、立派な桃の入ったかごをいただきました。しかし、当然ながら、この地域の生産物のほとんどは、摂取すべきではないというのが現実です。しかしそのためには、農家が補償を受けて生活していかなければなりません。しかし、実際にはそうはなっていません。

日本はこうした非情な状況に置かれているわけですが、これは工業化されたこの国全体に当てはまることです。同じリスクがおそらく同じ結果を生む。だからこそ、日本が沈黙におおわれているのです。


連携ネットワークを立ち上げる医師たち


医師たちはもはや発言の権利もなく、発言しようとしなくなっています。小児科のネットワークがたちあがったり、特に農村部で医師たちが段取りをつけて、住民がより自己防護し、医療体制が整うようにしている、と聞いています。

しかし、こういったことはすべて市民レベル、草の根、内密といってもいいような動きです。明らかに、原子力当局は、この事故の疫学的影響の詳細で正確なデータを取らないことに決めたのです。

私たちは皆、この沈黙の壁に立ち向かわねばならないと思います。なぜなら、これは子どもに関わる問題であり、福島の子どもがフッセンハイムや、ビジェイ、ブライエの子どもにもなりうるのです。話し合い、行動し、現場で大きな苦難と戦っている団体を助けていくのが私たちの責任なのです。


ほら、日本は脱原発します


反面、日本政府はおそらく自分たちの限界を知りつつも公にはできないのでしょうが、脱原発という本物の決断をしたように見受けられます。

実際、この情報は用心深くフランスでは隠されていますが―理由は各々がお分かりでしょう―、福島の事故以降、日本は電力を28%、東京地域では40%近く削減しました。57基ある原子炉のうち、今日稼働しているのは14基のみです。

数々の対策がこの大がかりな節電を可能にしました。例えば、日中は役所の照明を消す、クーラーをつけない(数日前には京都で38度であったにもかかわらずです)、東京で夜間の大広告を消す、産業では生産システムを再編して、輪番制で稼働して、大きな成果をあげました。

ですから、ヨーロッパで2020年までに20%の電力削減ができるかどうかという問いには、私たちの友人である日本人から多くのことを学べます。新首相も、選挙戦でこのことを明言しています。日本はもはや新規の原発を建設しないということを表明しており、これはつまり脱原発の動きに他なりません。

それでは「いつからか?」ということですが、もちろん、実施されるストレステストや現在メンテナンスで2012年3月まで稼働していない原発を再稼働するかどうか、ということにかかっているでしょう。


筆者:コリーヌ・ルパージュ
1995-1997環境大臣.現在は弁護士、Cap21とCRII-GENの理事長、そして2009年より欧州議会の議員を務めています。

※Genpatsuさんの訳文に手は加えていませんが、読みやすくするために少しだけ整えた箇所、変換ミスを訂正した箇所があることを追記しておきます(midi)

Qu'est-ce que c'est le terrorisme?2011/09/16 21:28:45

『13歳からのテロ問題――リアルな「正義論」の話』
加藤 朗著
かもがわ出版(2011年9月11日)



表紙の装幀はいかにもツインビルを髣髴させるオブジェの写真なのだが、編集段階ではいくつか案があって迷っていたようだ。どこかのブログに書いてあった。

そのブログに載せてあった別の案は、「テロ問題」というテーマを踏まえた場合、いずれも説得力のないように思えた。このテーマと関わりないデザインだとしても、13歳あるいは中学生の関心を惹く表紙になってはいなかった。さらに、頭が固くなって想像力の働かない大人には、どの案でもテロを思い浮かべるのは無理だろう。最終的に決まった表紙の写真は、あたかも破壊された二つのビルを象徴しているように私には思えたが、全然連想できない人もいるだろう。タイトルと、目次などに目を通して初めて、あ、あのテロねと気づく。そういう人が多数派かもしれない。

本書の中で中学生たちが素直に吐露しているが、「テロといわれてもピンと来ない」、それがふつうの日本人の感覚だ。テロというとき、現在の日本人が真っ先に思うのはグラウンド・ゼロ、すなわち同盟国である我らが友人アメリカ合衆国様が多大なる被害を受けた「あの」同時多発テロであろう。その次には、いわゆるパレスチナ問題に思いのいく人が多いのではないか。自爆テロといえばそれはパレスチナ人がイスラエル人を道連れにして殺す手段の代名詞である。

本書ではこのほかにアフガニスタンのタリバンによるテロなどが例示される。古くはたった一人を狙った暗殺もテロだった。テロは体制に反感をもつ者が自己主張をするための暴力的手段である。時代を経てそれは大掛かりになり、本当に殺したい個人を狙うのではなく、国家や政府が対象となるために「暗殺」では追いつかないから、何のかかわりもない無辜の市民をいわば人質にして、多数巻き添えにして命を奪うというパターンになって幾久しい。

本書の中では、テロという行為にある二面性について真剣に議論されている。ビンラディンの主張の正当性は、米国から見れば極端な原理主義による狂気に過ぎず、米国が振りかざす正義や民主主義は、ビンラディンあるいはアルカイダあるいは一般のイスラム教徒たちにとって権力者の寝言にしか聞こえない。双方が自身を正義もしくは神の意思の遂行者と信じている。それによる行動をテロと呼ぶとき、テロは誰による、誰にとってのテロ(恐怖)なのか。オバマ政権があっさり有無を言わせずビンラディンを銃殺してしまったが、この行為も向こう側(パキスタン、イスラム教徒)から見ればテロである。

表と裏にはそれぞれ言い分がある。

神の名のもとに、悪者を成敗したのだ。

どっちも、そう言う。

愛する者を殺され、許せないから復讐した。

どっちも、本音だろう。

神の名のもと、正義の名のもとであれば武力に訴え人を殺してよいのか。
中学生たちに答えは出せない。
もちろん加藤氏にも、出せない。

本書の企画のために、実際に、加藤氏が中学3年生を相手にテロをテーマに授業をしたそうだ。丁寧に編集されているのを感じるが、また、中学生も先生も非常によく考え抜いたようすが窺えるのだが、どうもその臨場感がいまひとつ伝わってこない。思いのほかいいことを言う中学生たちであるし、また素直に考え抜いて発言している。わからないことはわからないと言う。わからないままにせず必死で考えてもいるようだ。それは透けて見えなくもないが、たぶん現場を共有した加藤さんほどには、読者は議論の内容に共鳴できない。それは、この問題が考えれば考えるほど堂々巡りになり永遠に答えなど出せそうもないということが早くに露呈してしまっていることにも原因はあろう。だが、もう少し誌面のつくりや編集方法に工夫がされていたら、とくに中学生くらいの読者は出席者に共感を覚えつつ読み進むことができるのではないだろうか。
各章のあとに「大人のための補習授業」と題して、大人向けのちょっぴり難易度の高いヴォキャブラリーを用いた解説ページを設けてある。大人の読者にはそれがありがたいかというと、そうでもない。その内容はすでに中学生と先生が議論したじゃないのさ、それを少し書き直しただけのことじゃないのさ、という感じだ。同じようなことを二度読まされるのは、まったく同じではないにしても、ちと、しんどい。

と、ここまで読まれて皆さんはどう思われるだろうか。本書は、たしかに、テロ問題の権威が中学生と行った議論を採録する形で書き下ろした、テロについて考える本である。
「だけどなんだかつまらなそう」
そういうふうにお感じではないか。
テロに関する本が愉快なわけはない。
でも、そうじゃなくて、つまんなーい、のだ。教室で先生と一緒に考えて発言をひねり出している中学生、それを受け止める先生、双方ともにエキサイティングな時間だっただろう。しかしそれをいわば見物している形の読者には、さんまや紳助がイマイチなタレントや芸人をずらっと並べて喋らせて揚げ足とっていたぶり、それを見た収録スタジオ見学者の笑う様子をテレビ越しに見て「ちっ……くだらねえ」と舌打ちする気分に似ている。あんたたちは楽しそうだけどこっちは全然よ。

そして、もう一つ原因がわかった。これは私だけの印象である。時間と紙幅の関係から昨今起きたすべてのテロについて解説し考察するわけにはいかない。だからしゃあないけど、チェチェンのことにぜーんぜん触れていないのが悔しい(笑)。
ロシア側はチェチェン独立派によるテロという表現をするが、チェチェンから見れば先にテロ行為を国家規模で先に働いたのはロシアなのである。
チェチェンをネタにすれば事はまたしても複雑になる。中学生にとってかの国そして旧ソ連組は理解を超えて超えて超えすぎる。
わかっちゃいるが、チェチェンのチェの字もなかったことはやっぱ悔しい(笑)。ふん。

《それは、今までに経験したことのないような至福の時間であった。(中略)私が授業をして生徒の発言を引き出しているのではない。生徒たちの発言が私に授業をさせているのだ。教えるなどと不遜な気持ちは抱きようもなかった。教育ではない。まさに「共育」。生徒も教師も授業を通じて共に育っていくことが教育の本質だと実感した。》(159ページ、あとがきより)

というわけで、加藤先生も中学生たちも至福の時を過ごされたようなのでめでたしめでたし、なのである。

今日、ニュースが、大阪の府教委の委員が橋下知事率いる「維新の会」が制定しようとしている「条例」にいっせいに反発していると伝えていた。国旗掲揚国歌斉唱の強制も然りだが、国の名のもとに「教えさせてやっているのだ」といわんばかりに役人が教師を顎で使い、教育の名のもとに「教えてやっているのだ」と教師が子どもを上から抑えつけ、権利の名のもとに「来てやっているのだ」と学ぶことを放棄した餓鬼が集まる場所、それが学校である。それが日本の現状である。それぞれがそれぞれのやりかたで、他方ばかりか自身の首をも真綿で締めつけるように、崩壊の一途を辿っている。それが日本の教育現場である。陰湿さが売り物の、これこそ日本流のテロリズムに他ならないと思ったりもするのだが、どうであろうか。

Soyez sage, soyez intelligent...!2011/09/17 15:05:35


娘を6時に送り出してからがーがー寝てしまった。
洗濯、掃除、半分終わり。



愛読している3サイトから適当なつまみ載せ。
勝手にはしょったり詰めたりしてごめんなさい。

***

2011/09/10(Sat)
(記事タイトル)
草食系記者の女々しい報道がまた日本をダメにしている。

(前略)
「死の町のようだった」という鉢呂経済産業大臣の発言。
この言葉のどこがおかしい。
ありのままだ。
死という言葉が福島県民の神経をさかなでするという、差別用語過敏症の時代が当たり前の言葉も排除するということだろう。
それから「防護服をなすりつけた」という報道は一体どこから出たのか。
あまりにいい加減な報道である。
確かに放射能がうつるぞ、というのは冗談にならないが、そういった記者との瑣末なやり取りに聞き耳を立てていちいち重箱の隅をつつくように記事にする記者の神経は尋常ではない。
最近草食系といわれる若い者が記者にも大変増えていて、神経過敏症のようにくだらないことを針小棒大に扱う傾向にある。
まるで小学校の反省会で「あの人はこういいました」と言いつけるようなものである。

松本元復興相のケースと非常によく似ている。
宮城取材では地元では松本元復興相の評判は大変よく、はじめて真剣に立ち向かう人が中央からやって来たという話をよく聞いた。
南相馬市役所の役員もそう言っていた。
三春町の僧侶作家玄侑宗久さんも松本元復興相のことを大変評価していた。

くだらない揚げ足取りで有能な人材が消え、次にやって来る人が可もなく不可もなくというケースが良くあるが、今回の鉢呂さんが能力のある人かどうかはわからないが、こういった小学校の反省会のような報道で未知数の者がたちどころに消えるというのは末期症状以外のなにものでもない。
(Shinya talk)

2011.09.16
(記事タイトル)
情報リテラシーについて

朝日新聞の「紙面批評」に書いたものを再録する。
長すぎたので、本紙では数行削られているが、これがオリジナル。

「情報格差社会」

 情報格差が拡大している。一方に良質の情報を選択的に豊かに享受している「情報貴族」階層がおり、他方に良質な情報とジャンクな情報が区別できない「情報難民」階層がいる。その格差は急速に拡大しつつあり、悪くするとある種の「情報の無政府状態」が出現しかねないという予感がする。このような事態が出来した理由について考えたい。
(中略)
「情報平等主義」がいま崩れようとしている。理由の一つはインターネットの出現による「情報のビッグバン」であり、一つは新聞情報の相対的な劣化である。人々はもう「情報のプラットホーム」を共有していない。私はそれを危険なことだと思っている。
私が小学生の頃、親は朝日新聞と週刊朝日と文藝春秋を定期購読していた。私は(暇だったので)寝転んでそれらを熟読した。それだけの情報摂取で、世の中で起きていることについて(政治経済からファッションや芸能まで)小学生でさえ「市民として知っておくべきこと」はだいたいカバーできた。
(中略)
インターネット・ユーザーとして実感することは、「クオリティの高い情報の発信者」や「情報価値を適切に判定できる人」のところに良質な情報が排他的に集積する傾向があるということである。そのようなユーザーは情報の「ハブ」になる。そこに良質の情報を求める人々がリンクを張る。逆に、情報の良否を判断できないユーザーのところには、ジャンク情報が排他的に蓄積される傾向がある。
「情報の良否が判断できないユーザー」の特徴は、話を単純にしたがること、それゆえ最も知的負荷の少ない世界解釈法である「陰謀史観」に飛びつくことである。ネット上には、世の中のすべての不幸は「それによって受益している悪の張本人(マニピュレイター)」のしわざであるという「インサイダー情報」が溢れかえっている。「陰謀史観」は、この解釈を採用する人々に「私は他の人たちが知らない世の中の成り立ちについての“秘密”を知っている」という全能感を与えてしまう。そして、ひとたびこの全能感になじんだ人々はもう以後それ以外の解釈可能性を認めなくなる。彼らは朝から晩までディスプレイにしがみついている自分を「例外的な情報通」だと信じているので、マスメディアからの情報を世論を操作するための「嘘」だと退ける。こうやって「情報難民」が発生する。彼らの不幸は自分が「難民」だということを知らないという点にある。
情報の二極化がいま進行している。この格差はそのまま権力・財貨・文化資本の分配比率に反映するだろう。私は階層社会の出現を望まない。もう一度「情報平等社会」に航路を戻さなければならないと思っている。そして、その責務は新聞が担う他ない。
その具体策について述べる紙数が尽きた。

というのが原稿。
その続きを書き足しておく。
本稿では「情報の階層化」について書いたが、実際に起きているのは、「階層化」というよりはむしろ「原子化」である。
人々は今では個人単位で情報を収集し、「自分が知っている情報の価値、自分が知らない情報の価値」についての中立的なメタ認知能力を失いつつある。
「自分が知っている情報の価値、自分が知らない情報の価値についての中立的なメタ認知能力」のことをここでとりあえず「情報リテラシー」を名付けることにする。
情報リテラシーとは一言で言えば「情報についての情報」である。
「自分が知っていることについて、何を知っているか」というメタレベルの情報のことである。
例えば、「この情報をあるメディアは伝えているが、違うメディアは伝えていない」という情報の「分布」についての情報。
「この情報には信頼性の高いデータによる裏付けが示されているか、いないか」という情報の「信頼性」についての情報。
「この情報はこれまで何度も意匠を変えて登場してきたある種のデマゴギーと構造的に同一か、先例の見いだしがたい特異性を示しているか」という情報の「回帰性」についての情報。
などなど。
私たちは一般的傾向として、自分が知っている情報の価値を過大評価し、自分が知らない情報の価値を過小評価する。
「私が知っていること」は「誰でもが当然知らなければならないこと」であり、「私が知らないこと」は「知るに値しないこと」である。
そういうふうに考える人間がいれば(アカデミズムの世界にもけっこうたくさんいるが)、その人の情報リテラシーは低いと判断してよい。
情報リテラシーが高いというのは、自分がどういう情報に優先的な関心を向け、どういう情報から組織的に目を逸らしているのかをとりあえず意識化できる知性のことである。
(中略)
「私の眼に世界はこのように見える」という言明と、「私の世界経験には主観的なバイアスがかかっており、かつ限定的であるので、私の見ているものが『世界そのもの』であり、『世界の全容』であるということは私にはできない」という言明はレベルが違う。
「レベルが違う」ということは「問題なく共存できる」ということである。
私たちの世界経験はつねに限定的である。
フッサールの「他我」の例で繰り返し引用したが、私が一軒の家の前に立っているとき、私にはその前面しか見えない。家の側面や裏面や屋根の上や床下はさしあたり非主題的なものにとどまっている。
しかし、今、家の前面を見ている私は、この家に側面や裏面があることを「知っている」。
知っていなければ、そもそも私は自分の見ているものが「一軒の家の前面である」と言うことさえできないはずだからである。
私は家の前から横に回り込めば側面が見え、さらに進めば裏面が見えることを確信している。
そう確信できるのは、「家の側面を見ている想像上の私」「家の裏面を見ている想像上の私」たちが「家の前面を見ている現実の私」の経験の真正性を担保してくれているからである。
この「今、ここにいる、この私」の経験の真正性を担保してくれている「想像上の私」たちのことをフッサールは「他我」と呼んだ。
「今、ここ、私」という直接性は、これら無数の「他我」たちとの協働作業抜きには存立し得ない。
それゆえ、「主観性とはそのつどすでに間主観性である」と現象学は教えるのである。
情報リテラシーというのは、自分が受信している情報をつねに「疑え」ということではない。
どのような情報も(嘘もデマゴギーもプロパガンダも妄想も夢も)、紛う方なくこの世界の真正な一部であり、その限りでは、世界と人間の成り立ちについて程度の差はあれ有益な知見を含んでいる。
情報リテラシーとは、それらがどのような間主観的構造によって「私の世界経験」に関与しているかを知ろうとすることである。
私たちはある種の情報の組織的な欠如や歪曲からも「ほんとうは何が起きているのか」を推理することができる。
嘘をついている人間についても「この人は嘘をつくことによって、何を達成しようとしているのか?」を問うことができる。
情報リテラシーとは、一般に信じられているように、「精度の高い情報と、そうでない情報を見分ける力」のことではない。
それはリテラシーのほんの第一歩というにすぎない。
精度の低い情報や、虚偽の情報からでさえ、私たちは「精度の低い情報を発信せざるを得ない必然性」や「虚偽の情報を宣布することで達成しようとしている功利的目標」を確定することができる。
「主観的な情報操作や歪曲はそのつど間主観的に構造化されている」がゆえに、それらもまた「きわめて重要な情報」であることに変わりはない。
そして、私自身による情報の選好や操作もまたまたそのつど間主観的に構造化されているがゆえに、その検討を通じて、私たちは「私自身の知がどのように構造化されているか」を知ることができるのである。
情報リテラシーとはそのことである。
「情報についての情報」とは「おのれの知についての知」のことである。

というところまでは「よくある話」である。
問題はこの先。
では、この「おのれの知についての知」を私たちは単独で構成しうるか?
できない、と私は思う。
メタ認知とは、コンテンツの問題ではなく、主体の問題だからである。
メタ認知の認知主体は集合的であり、単独ではない。
(中略)
情報リテラシーとは個人の知的能力のことではない。「公共的な言論の場」を立ち上げ、そこに理非の判定能力を託すことである。
情報の階層化とは、そのことである。
私が「情報貴族」と呼んだのは、「自分たちが所有している情報についての情報」を集合的なかたちで形成できる集団のことである。
「情報難民」と呼んだのは、原子化されたせいで、自分が所有している情報を吟味する「公共的な言論の場」から切り離されてしまった人々のことである。
もちろん、「情報難民」たちもネット上に「広場」のようなものをつくって、そこに情報を集約することはできる。けれども、彼らがそこに集まるのは、「自分に同調する人間がたくさんいることを確認するため」であって、「自分の情報の不正確さや欠落について吟味を請うため」ではない。
情報リテラシー問題は実は「情報の精度」にかかわる知力のレベルの問題ではなく、「情報についての情報を生み出す『集団知』に帰属しているか、していないか」というすぐれて「政治的な問題」なのである。
政治的な問題である以上、それは政治的なしかたで解決するしかない。
具体策について書く前にまた紙数が尽きてしまった。
続きはまた今度。
(内田樹の研究室)


(記事タイトル)
巨悪は問われず??・・・判断力のないのは日本社会かマスコミ報道か?

鉢呂前経産大臣が記者会見とオフレコの場で新聞記者に不適切な発言があったとして辞任した。確かに大臣としては不適切な発言といえないわけでもないが、問題となった「死の町」という表現は地元の人が「ゴーストタウン」と言ったことを私も聞いていて、それを日本語で言っただけという感じもする。
良い言葉でなかったかも知れないが、その発言によって国民が直接的に被害を受けたというものではなく、この時期にもう少し言葉を選べばという注意を促す程度の失言だったように思う。特に大臣が「死の町」と表現することによって、できるだけ早く改善したいと思っていればむしろ被災者にとっては良いことかも知れない。
それに比べると、鉢呂さんの代わりに経産大臣になった枝野さんは官房長官時代、記者会見などで繰り返し「(被曝しても)直ちに健康に影響はない」と繰り返したし、保安院が「基準値の3355倍でも直ちに健康に影響はない」と繰り返したことにも注意をしなかった。メルトダウンの件でも誠実ではなかった。
当時の内閣の説明の方は、ずいぶん多くの被害者を出した。政府が安全だというので、そのまま飼料をやって汚染された牛肉ができたり、野菜もそのまま放置して栽培したのでこれもかなり汚染された野菜が発生した。原発に近い地域の人たちに健康被害がでる可能性が高く、少なくとも法律や国際勧告に大きく違反した。
鉢呂さんと枝野さんの人事、それに対するマスコミ報道の態度を見ると、鉢呂さんの発言の原因を作った人が新任大臣になるのだから、日本社会が普通にものごとを考えることすらできなくなったように見える。
また、これは小さいことだが「放射能をつける」という発言があったとされるオフレコの場面では、もともと大臣が言った内容すらハッキリしない。発言の場所から遠くにいた記者は聞こえなかったのではないかとも言われている。

・・・・・・・・・
小さな食品会社が実質的には害を及ぼさない程度のヘマをしてもマスコミ報道は徹底的に叩き、時にはつぶれてしまったり、一人の人生をダメにしてしまう。それに比べて、原発事故ではマスコミ報道が極端に東電に甘い。
「なにが不適切か?」という判断でも、「弱い者の発言は不適切」、「広告などでお金を貰ったら不適切でも問題にしない」というのでは、存在価値そのものがないのではないか。残念なことだが、もし日本がこれまでの文化「誠実、清貧、正直、判官贔屓」などを捨てざるを得ないとしたら、ギスギスした「契約社会」に屈服しなければならないだろう。
(平成23年9月17日)
武田邦彦

***

ほんとにさ、東電の幹部とか原発担当者って、今何やってんの?
地元紙には毎日「被災地の今日」を伝える誌面が1ページ以上ある。世界の原発事情を伝える連載もしていた。京都に避難している家族や子どもたちの日常もレポートされる。しかし、東京電力さまの本日のご様子については(大きな動きがなければ)なにも伝えない。いや、別に社長が誰と会ったとか何時にコーヒー飲んだとか、そういうことを知りたいのではない。おそらく東電には何万という抗議の電話やメールが殺到していることと思う。それらへの対応は、実際に対応している人たちのご苦労は想像はするが、いったいどのように対応しているのか、「いったいどうしてくれるのよ私たちの暮らしを」「私の仕事を、農場を、家畜を返せ」「こんなにひどい結果を招いてまだ原発を稼働させたいの」(以上すべて私の想像ですけど)といったような罪のない人々の声に対して東電はどう答えているのか、その一言一句を知りたいと思ったりするのだ。
「いや、わたくしにおっしゃられましても……すみません」
「返せとおっしゃってもわたくしが盗ったわけでもありませんし……すみません」
「そうおっしゃられましてもわたくしたち社員も食べていかなければいけないので……すみません」

***

想像たくましくばかりしてないで情報リテラシーを鍛えることにしよう(笑)。

Rappelles-toi, Barbara...!2011/09/18 10:25:56

Paroles
Jacques Prévert
Folio (1991)


私がたった一冊持っているジャック・プレヴェールの詩集だ。彼の名を知るきっかけになった作品「Déjeuner du matin」と、彼の詩をさらに愛するきっかけとなった作品「Barbara」が所収されている。「Déjeuner du matin」はたいへん簡単なフレーズで成り立っていて、仏語学習初級者にも解る。そう、何を隠そう、この詩を読んだのは通っていた大阪の仏語学校で使用していた教材の中でだった。フランス人講師は、この詩は複合過去形だけでできてるから簡単さ、同様にカミュの『異邦人』は現在形と複合過去形でできてるからこれも簡単、初めて読む仏語小説にはぴったりだよ。と言っていた。私は、美大生の頃にロートレックの小さな画集を買った、フランスものを多く扱う古書店へ行き、カミュとプレヴェールを探したが、そこではプレヴェールが見つからず、しかしカミュの『Etranger』は見つけて買うことができた。フォリオの文庫だったけど、とてもダサイイラストの表紙だった。フォリオの文庫の表紙はその後何回もデザイン替えされている。いまの表紙はけっこうイケてるはず。話をプレヴェールに戻すが、その後私は、フランス語学校で中級に進んだので、使用する教材が変わり、ぱらぱらとめくると、今度は「Barbara」なる詩が掲載されていた。その教材は、家庭学習用のカセットテープが販売されていたので迷わず買い、とぅるるるるるるーと早送りして「Barbara」のページを再生した。プレヴェールの詩「Barbara」を、たいへんええ声の男性が朗読していた。Rappelles-toi, Barbara... この詩に惚れたというよりも「ええ声」に惚れたのではないかという指摘は、たぶん外れていない。私は、そのカセットテープはとっくに失くしてしまったが、Rappelles-toi, Barbara...と聴く者に呼びかけるあの声をまざまざと思い出すことができるのだ。やがて渡仏し、さっそくまちの本屋で本を探すことを覚えた私は、ジャンフィリップ・トゥサンの『浴室』ほか一連の原書と、プレヴェールの詩集Parolesを買った。プレヴェールの詩集はいくつかあったが、鍵を握る(何のだ、笑)2作品が両方とも収録されている詩集ということでこれにした。たくさんの作品があるんだけど、当然読んで理解することができるほどには、まだ仏語が上達していなかった。とりあえず、日本にいた時にさんざん読んだ2作品を繰り返し読むことに留まっていた。
私はフランス歌謡なんぞには興味がなかったので、仏語教室の私より年長の学友たちが「これ、いいわよ」といって餞別にくださったカセットテープの内のひとつの背に、コラ・ヴォケールの名前があったけど、だからって何の感動も覚えなかった。ジョルジュ・ムスタキやイヴ・モンタンなどもいただいたが、ふうん、と思っただけだった。そのうちに、彼らが歌うシャンソンの詩がプレヴェールによるものであることが多々あるということを知る。「Barbara」はピアフが歌っていたし、もらったイヴ・モンタンのカセットには「枯葉」が収録されていた。「枯葉」ってマイルスのトランペットのレパートリーだと思っていたから歌詞があるなんて知らなかったさ。
昨日、9月17日、コラ・ヴォケールが亡くなったというニュースを読んだ。93歳だったって。失礼ながらまだご存命とは思っていなかったので二重の意味でびっくりした。彼女はモンタンより先に「枯葉」を歌った人である。ニュースサイトから動画を探したが、「枯葉」はなかった。



Démons et merveilles 投稿者 mouche45


Les Feuilles Mortes 投稿者 ingi-agzennay


最後に初級レベルの例の詩を試訳する。
簡単だけど、悲しいのよ。


Déjeuner du matin

Il a mis le café
Dans la tasse
Il a mis le lait
Dans la tasse de café
Il a mis le sucre
Dans le café au lait
Avec la petite cuiller
Il a tourné
Il a bu le café au lait
Et il a reposé la tasse
Sans me parler
Il a allumé
Une cigarette
Il a fait des ronds
Avec la fumée
Il a mis les cendres
Dans le cendrier
Sans me parler
Sans me regarder
Il s'est levé
Il a mis
Son chapeau sur sa tête
Il a mis son manteau de pluie
Parce qu'il pleuvait
Et il est parti
Sous la pluie
Sans une parole
Sans me regarder
Et moi j'ai pris
Ma tête dans ma main
Et j'ai pleuré



朝の食事

彼はコーヒーを注いだ
カップに
彼はミルクを注いだ
コーヒーカップに
彼は砂糖を加えた
カフェオレの中に
小さなスプーンで
彼はかきまぜた
彼はカフェオレを飲むと
カップを置いた
私には何も言わずに
彼は火を点けた
煙草に
彼は輪っかをつくった
煙で
彼は灰を落とした
灰皿に
私には何も言わずに
私を見もせずに
彼は立ち上がり
載せた
自分の帽子を自分の頭に
彼は着た
レインコートを
雨が降っていたから
そして彼は出て行った
雨の降る中を
ひと言も口にせずに
私を見もせずに
そして私、私は抱えた
両の手で自分の頭を
そして私は泣いた。