C'est beau, l'histoire des ados...!2011/11/11 20:12:31


『ライム』
長崎夏海 著
雲母書房(2006年)


学校側からいわゆる「不良」のレッテルを貼られている中学生たちの物語。
長崎夏海という作家を、不勉強でまったく知らなかったのだが、思春期の少女たちの心模様を、キリキリと錐が鈍く光るように描く作家は他に類を見ないという評判である。へえ、そうなんだ。
思春期特有の危うい友人関係や壊れやすい脆い意志、鋭利な刃物に喩えるには軽すぎて、砕けたポテトチップスなどというと叱られるくらいには強い精神性。個人差はあるが小6あたりから高1までは、ひとつ間違うと、積木くずしじゃないけど崩れるジェンガのように、その心は壊れてしまう。もう子どもじゃないから崩れた破片による衝撃も馬鹿にならないほど大きくて修復にも時間がかかる。
幸か不幸かウチの娘は「積木くずし」にも「スケ番デカ」にも「シド&ナンシー」にもならなかったが(これからなるかもしれないけど。恐)、本書のような思春期ストーリーを読むと、母親(つまり私)の態度次第で彼女の青春はいかようにも翻弄されたに違いないと思わずにいられないのである。

日向舞は中学3年生。母と姉と3人暮らし。父は月イチで帰ってくる、というか顔を出す。小学校教師をしている父は同僚の英語教師を愛人にしてそのまま家を出てしまったのである。彼らの勤務地は舞と姉が通う小学校だったから、針の筵に座らされたと、姉は父と愛人に対する憎しみを隠さない。だが舞は、実はピンと来ていない。出ていってしまってすっかりよその人になってしまった父より、一緒に暮らす母が疎ましい。


中学に入学し、新しいクラスで自己紹介するときに、舞は自分の名前をいえなかった。
「好きなものは、ライム。以上」
それしか言わなかったから舞のあだ名はその日からライムになった。
名前をいえなかったわけは、小学校5年のときに一緒に飼育当番をした女児の冷たく鋭いひと言のせいだった。あたしがきらいなのはひゅうがまい。そんなふうに言われたのは後にも先にもこのときだけだった。そしてそんなふうに言い捨てて、彼女はそれきり不登校になった。
あたしがきらいなのはひゅうがまい。それを言った当の本人と、ペットショップで再会する。そんなことを言ったくせに、彼女はとても朗らかに、懐かしそうに舞に声をかけ、今度一緒に遊ぼうと提案するのである。彼女は学校に通っている様子がない。遊び場所は「ストリート」だ。こってりメイクが目立つ彼女をストリート常連の少年たちがナンパするが、体よくかわして追い払うのもすでに堂に入っている。ストリートにたむろする若者たちは、別の世界の人間のようだが近しくも感じる。

舞の両親はようやく離婚することを決めたようである。
イケメンで知的、体格も日本人離れしたどこから見ても誰が見てもいい男である父を、自分は素直に素敵だカッコいいと感じ、とても愛していたのだと悟る舞。

高校になんて行けなくてもいいと思わなくもなかったが、大学進学を断念した姉の涙を思い出し、なんとか入れそうな商業高校に的を絞るライム。友達の周も、とんがってたくせに、ちゃんとしなきゃな、なんていって公立目指して勉強している。泉は、受験失敗したら料理人にでもなるよ、というからライムは、そんなの料理人に失礼だろと怒る。泉はやればできるんだよ、いつだってちゃんとやってきたじゃないか。ライムの言葉に泉は、久しぶりだなライムの説教、といって笑う。

ライムというあだ名がいやだったわけではない。
しかし高校に進学したら、自己紹介のときにきちんと名乗ろう、そして日向舞に戻るんだ。そんなことを思う主人公である。

長崎夏海はキャリアのある児童文学作家である。ほのぼのとした絵本の秀作が多いようだ。プロフィールを見ると50代を迎えておられる。なぜに優れた作家というものはこのようにいくつになっても若々しい筆致を保てるのだろう。
瑞々しい10代の感情の起伏を、今現在の言葉に載せ今現在の空気のなかに描いてみせるその力量に舌を巻く。
『ライム』の12年程前には『夏の鼓動』という、同じく高校受験を前にした少年少女群像を描いた作品があるそうだ。そちらも読んでみたい。

10月18日アボカドどんぶり

前にお弁当の写真をのっけたら、コマンタさんがおいしそう!とコメントをくれたので以来調子に乗って、余裕のあるときにお弁当を撮影するという癖がついた。といったが余裕のない場合がほとんどなので(「お母さん、ウチもう行くよぉお弁当まだぁ???早よしてえー」「はいはいはいはいはいはいはい」)毎日撮れてるわけではないが、それでもちょっくらたまってきたので古いものから順に披露することにする。

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