Le monde est si claire comme ceci, je ne savais pas!2012/09/19 18:07:18

連休最後の月曜日、母が無事退院した。ちょうど1週間。さっそく猫にまとわりつかれて嬉しそうである。視力はだいたい0.8くらい、遠くがよく見えるように焦点を合わせて設定してあるそうだ。医学って進歩してるのね。

入院した翌日に右眼の手術が行われた。その日退社後病室に立ち寄ると、顔中眼帯だらけ、という形容がおかしいのはわかっているがそうとしか言いようのない状態の、母はたいへん上機嫌で、「すぐ終わったわー」と言っていた。その二日後に左眼の手術が行われたが、右眼のときより少し時間がかかったらしい。夜様子を見に行くと、同じように済むと思っていたのにずいぶん長かった――母は何か左眼によからぬことが発見されたのではと気を揉んでいた。医師は機械の調整に手間取っただけと説明したらしいがこんなことは疑いだすときりがない。翌朝の診察で問題なしといわれるまでドキドキしていたらしい。

白内障の手術では麻酔を打つのは眼球だけである。したがって意識ははっきりしているし、落ちてきたら顔がぺしゃんこになるよと思うほど(「顔の真上にな、機械がいっぱいあんねん」)顔面を機械に覆われるし、「上にあるランプを見つめていてくださいね」という医師の指示どおりにじっと上方を凝視していないといけないし、なのに眼球はいじくられているし(「なんか知らんかちゃかちゃかちゃかちゃ目のとこでしたはんねん」)、短時間とはいえその間ピクリとも動いてはいけないので手足は頑丈に縛りつけられるし、手術室は殺風景で寒々しいし(「部屋(=病室)は狭い狭いとこに6人も容れられてんのにな、手術するとこは部屋の何倍も何倍も広いねん、真ん中にベッドひとつだけあってな、その周りに大きな機械ばっかり、ぎょうさんあんねん。ひやあ、かなんわあ、こんなとこ、て思うえ。あんなとこ、誰も行かしとうないわ」)……と、病気になどかかったことがなく手術も入院も出産以外に経験のない母にはたいへんなビッグイベントであった。ま、しかし、幸い、合併症も何もなかった。追加の精密検査とか新たに疾病発見とか、手術順番待ちの3か月間はそのようなネタが心配されていたが、終わりよければすべてよしの見本のようなイベントであった。

さて、帰宅した母。家の壁や柱やガラス障子には、余白がないほど孫の写真や描いた絵や賞状や書き初めや似顔絵などが貼りつくされているのだが、大きな数字のカレンダーも含めほとんど見えていなかったそれらが今クリアに見えているそうだ。
白内障を患う前から老眼はめいっぱい進んでいたし、そもそも近眼もあったはずなので、長年視界はかなり不良だったはずである。見えてへんのんちゃう?と視力の衰えを指摘すると意地になって否定してきた(「ちゃんと見えてますっ」)母なので、実際どの程度見えていて、見えていなかったのかは、私にはわからない。いまやよおくよおく見えるようになったいろいろなものを、じーっと凝視していたりするが、孫の写真なんて、10年以上同じものが貼ってあるのだぞ。「ぽぽちゃんまできれいに見えるわー♪」という発言は、人形のぽぽちゃんをだっこした3歳のさなぎの写真がそこに貼ってあることを13年前から認識していてのものなのか、はなはだ定かではないが、もはや追及する気力は私にはないので、とりあえず、今はよく見えてよかったよかっためでたしめでたし、なのである。

それにしても、もう明日は退院という日の午後に足を運んだのだが、もう両の眼で見える状態になっていた母の、私をじろじろと見つめたあの表情は忘れられない(笑)。このお調子もん然としたオバハン誰やのん、ほんまにわたしのむすめなんかいな、と言いたげで、非常に可笑しかった。

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