Hier, c'était l'anniversaire de mon chat.2012/12/02 01:43:32

ウチの猫が生まれたのは、たぶん11月の下旬なんだが、くれた人にもわからないのでキリのいい12月1日にしちゃおうということになったのだ。

「というようなことでもいいんですかね」
「かまいませんよ、大きくずれてなければ、別に」

「猫もらったので健康診断してください」と獣医に連れていき、登録して診察券をつくってもらった際のドクターとの会話。

猫が我が家にきたのが2月初めだったので、生まれて2か月くらい。とってもとっても小さかったのだが、昨日で7歳になった。7歳というのは、健康に配慮の必要になる区切りの年である。餌などの区分も「0〜1歳」「1〜6歳」「7歳以上向け」が多い。でも近頃飼い猫はご長寿で、行きつけの獣医院には20歳、22歳、25歳なんて猫がざらにきている。化け猫である、文字どおり。だからきっと市販フードももっと様変わりするであろう。勤務先のごく近所にペットショップがあるが、すでに餌のラインナップはすごい。健康志向、ナチュラル志向がすごい。いつかドラッグストアで離乳食のラインナップに驚いたことがあるが、そんな私の記憶を(当たり前だが)はるかに凌駕する多彩さだ。

ウチでは毎年、首輪をプレゼントしている。最初につけた首輪が赤かったせいか、赤の似合う印象のある愛猫。したがっておのずと赤系のヴァリエーションが続いていたが、近年、異なる色にもチャレンジしようということで去年の誕生日には、手づくり市で見つけた浅葱色の古い帯地でリメイクされた和風な矢絣柄の首輪をプレゼント。それを一年間つけていたが、ぼろぼろになった(笑)。今年は、どれにしようかとさんざん悩んだ挙げ句、ひとつに絞りきれないで、黄色いのと、やはり王道に戻って赤いのと二つ、ペット用品のPEPPYでショッピング。

今日は、それぞれの首輪を身につけて記念写真を撮りたかったのに。そんなのどーでもいい彼女は首輪を取り替えさせてはくれたけど、あとは丸まって知らん顔。
しかたないねえ、寒いしね。テーブル下で、ホットカーペットに寝そべってばかりいるウインターシーズンの我が愛猫。
首輪が変わったというのに「見て見て素敵でしょ」と披露するでもなし、筋金入りの不愛想は年々筋金が太くなっているようだ。飼い主に似たのか?

愛猫の誕生日だというのに、私は仕事だったのだが、さらに悪いことには取材相手にドタキャンされ無駄足を踏んだ。
得意先の担当者(背が高い!)に連れられて、集合場所に到着すると先方のつなぎ役が申し訳ないですホントに、を何回も繰り返して担当者を見上げて「朝イチに御社に電話したんですけどどなたもいらっしゃらなくて……」
まあな。今日は土曜日だからな、休日だからな。って、休日なんだからケータイ教えとけよ担当者!
「ああ僕ケータイの番号渡していなかったんですか……」
って今気づいてどーすんだっ 縮こまってんじゃねーよっ
チョーマジムカツク、とひと昔前のコギャル用語をアタマの中で反芻しながら、担当者の横から私は満面のスマイルでつなぎ役女史に向かい:

「ご事情があってのことでしょうから、どうか気に病まれないようにお伝えください。それより、やはりどうしても紙面構成上必要ですのでお話をうかがいたいです。なんとかお時間つくっていただけないでしょうか。ワタクシ、いつでもどのような場所にでも参上いたしますので。そうお伝えいただいて、ご調整くださると本当に嬉しいのですけれども」

困惑・懇願・奉仕のスマイルをローテーションさせて澱みなくセリフを吐き、相手から快諾を得る。
あたしって、愛想いいよね?
営業用やん、それ。ってみなさんのお声が矢のように飛んでくる(笑)
そうね、ウチの愛猫も、ご飯ねだるときだけチョー愛想よしでチャーミング。やはり飼い主に似たのね。
よかよか。そうでなくてなんで生きていけますでしょうか。

7歳おめでとう、リーちゃん♪

Nous allons déménager à la fin de l'année.2012/12/05 00:46:36

何日か前に書いたと記憶しているが、勤務先が事務所を移転することになり、にわかにバタバタと騒がしい毎日が続いている。何しろ、それでなくても慌ただしい年の瀬、私は担当している定期刊行物が佳境となる月なので、はっきりいって古いファイルの制理とか、書架の本の仕分けとか片付けとか、んなもん、やってる暇はないのだ。だけど引っ越しにルンルンの社長は私のすぐそばでどかどかと本棚から本を降ろし片っ端からロープで括っている。あのーそれ、全部捨てちゃうんですか、それともそっちは保管分ですか、なんて訊ねるのも鬱陶しい。こっちは分刻みで取材入れられて分刻みで原稿の催促されてんのよ静かにしてよ掃除も故紙回収も三軒向こうでやってくれっなどと理に合わない文句がアタマを巡る(笑)。

でも、引っ越しとは無縁の家に育ち、居を移したといえばフランスに一年住んだことくらいしかない、そのような私にとっては移転ってとっても新鮮なのだ、実は。だから本当は社長と一緒になってルンルンしたい(笑)。

先日、まだ契約前だったが、中を見せてもらえるというので新事務所となる物件を見に連れてってもらった。

畳があげてある。茶室仕様にするそうだ。
ガラス障子の向こうは坪庭。

ハシリ(台所)の吹き抜け。ゆーときますが、新居じゃなくて新事務所。
ま、今の事務所のハシリも吹き抜けやけどな。おまけに天窓もあるけどな。
※ハシリのことを「ダイドコ」と書いてました、失礼。正確には「ダイドコ」はハシリに隣接する部屋のことで、いわば茶の間、ダイニングルームなの。12月11日訂正。

2階へ。階段、急やでえー(笑)。今の事務所もこんなんやねん。絶対落ちる社員、いる。

坪庭を見下ろす。ゆーときますがマイホームやのうてオフィスやし。
うん、今の事務所の庭には灯籠はないな。お地蔵さんがやはるけどな。お地蔵さんと別れんの、寂しいな。

キュートな欄間。これには惚れた♪


御苑のすぐ近くですねん。そういえば、昨日あたりから天皇皇后両陛下が帰ってきたはります。今日の取材帰り、地下鉄から地上へ上がったら烏丸丸太町の交差点、きれいに交通規制されてて、ほんで美智子さんに手ぇ振ってん。おばはんやわーあたし(笑)。日の丸振らへんだけマシやろ?


事務所外観。赤い車は社長のん。

引っ越しまで2週間を切ったが、いったいそれまでにどれだけ仕事が積み上がっていることか。生きて年越せることを、みんな祈ってくれよな。

Et le voilà, Père Nöel!2012/12/07 01:52:59

Centre commercial de la Part-Dieu
いつも綺麗な写真を送ってくれるリヨンの友達が、今回はショッピングモールのクリスマスデコレーションを撮って送ってくれた。
リヨンって、もう20年前になるかな、最後に行ったのは。季節がいつだったか、覚えていない。

モンペリエに留学してたとき、間借りしていた家庭のヨメさんのほうの実家がリヨンだった。ヨメさんはユダヤ系で、音楽に才のある一家だった。妹はヴィオロンセルの奏者だった。大きなヴィオロンセルを抱えての演奏旅行の合間に、姉一家をよく訪ねた。……とここまで書いて、ヴィオロンセルは日本語ではチェロというのだ、ということをいきなり思い出した。訂正するのももう面倒なのでこのままにしておこう。
私の家主はピアノの調律師だが、ピアノを調律する仕事がそんなにわるわけはなく、どこかのオーケストラや劇場に常勤でなければ生活は成り立たない。だからパートタイムでピアノの講師をしていた。カルチャーセンターみたいなところにも登録していたし、友人のつて、幼稚園のつてなどで個人レッスンもいくつか抱えていた。本当に朝から晩まで働き詰めだった。私が朝起きてのんびりと大学ヘ行く用意を始める頃、彼女はばたばたと台所でバゲットにジャムを塗りつけそれをかじりながら出て行った。昼頃帰ってきて昼食をかきこんで、また、鞄の中身を換えて飛び出していった。彼女が時間に遅れることはない。彼女の夫が朝と昼の食事は絶妙のタイミングで用意するのだ。

ひとり息子のジェレミーは当時3歳だったが、よく私に「ママがお外、パパはおうち」と言った。別にそんな話題をこちらから出したわけではない。彼は、フランス語の下手な間借り人女など相手にせず、よくひとりでしゃべっていた。幼稚園の教員たちに聞かれるのあろうか。フランスも日本に負けず劣らず「女は家」観の根強い国だが、送迎はいつもパパだったこの家庭は珍しかったのだろう。
リヨンにいるヨメの両親はその点がとても気に入らなかったらしい。ユダヤ人だから、ドイツ人への憎悪をまったくゼロにすることはできなかったにしても、見たところ、リヨンの老夫婦は、娘の連れ合いがドイツ人であることに反発やこだわりはなかった。しかし、彼が外で働かずに子どもの世話と家事に明け暮れていることはかなり許せなかったようである。娘にばかり働かせてまったくあの男は!

あるとき、ささいなことからカップルが喧嘩をし、彼が彼女にこう言った。

たとえ何年かに一度でも、樅の木を買ってきてクリスマスツリーをデコレーションしようという気は起こらないのかい? 馬車馬みたいにそんなに働いて、だったら、わずかずつでも蓄えて、今年は樅の木、今年は御馳走、今年はジェレミーにプレゼント、というふうにさ、イベントはかわりばんこでもいいから、何か楽しいことにお金を使おうという発想はないの?

ヨーロッパでは、日本人が盆と正月を大事にするのよりもずっとずっと、クリスマスを大事にする。
樅の木は、本物が山のように出回る。
でも、ヨメさんはあまりそういうものに心が動かないようだった。彼女がユダヤ系だから、あるいは働きっぱなしでそれどころじゃなかったから、それとも、何だったのだろう? ヨメさんのほうと話していると、私は日本人のメンタリティと近いなと感じたことが少なからずあった。リヨンの彼女の両親にも同じ印象を持った。だからやっぱし、民族性なのかもしれない。余裕があればクリスマスを豪華にあるいは厳かに祝うのもいいけれど、忙しいのよお金がないのよまた来年あるじゃないのどうでもいいわよ生活することのほうが重要でしょ。
彼らの喧嘩はいよいよ派手になって、その後ドイツ語へと変貌したので、いくら聞き耳立ててもどこへ着地したかはわからずじまいだったんだけど。

フランスでは年末年始は宗教行事ではないので、大都市で花火を上げる程度のほかは、あまり祝うことはしない。大晦日は騒ぐけど、翌日から日常に戻る。
だから12月に入って町や家のあちこちを飾るクリスマスデコレーションは年が暮れても明けてもずっとある。
そして次の宗教行事(復活祭?)まで、デコレーションを片づけずにおいておく。

Brrrrrrrr!!!2012/12/11 00:39:11

お嬢さんはUSJ三昧。


私はといえば、土日は、ほったらかしの家の掃除。
寒かったよ……。

月曜は北部のある自治体の取材。
寒かったよ……。

先日、河瀬直美の講演を聴いた。
面白かった。

寒くて凍えて、ダメだ。
もろもろ、後日報告ね。

Brrrrrrrr!!! (la suite, et à suivre?)2012/12/13 01:33:14

お嬢さんはUSJ三昧、その2。


若い子らもオヤジたちもさ、近頃「ガチで」っていうでしょ?
なんとなく言いたいことというかあることを強調したいからそれをくっつけて話しているんだろうということはわからないことはないんだけど、近頃の「やば」と同じで、修飾する語によって意味も微妙に変わるのかな? 金曜日夜にやっているラジオ番組にガチキンっていうのがあって、中高生リスナーに向かってパーソナリティが「ガチで来い!」なんてさ、呼びかけてんだけど、どうやって行くんだい?(笑) 数日前に引用した「誰も通らない裏道」さんのブログには、「プロレスをガチンコのスポーツだと思っている人はいないだろう」「小沢一郎だけは(中略)ガチンコの闘いを挑んでいる」などの一節があって、「ああ、ガチの語源はガチンコなのか」といきなり合点が行った私だが、ではガチンコって何? かたかたかたっと検索すると日本俗語辞典なるものがウエブ上にあるのを発見、そこにはちゃんとこう書いてあった。

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ガチ
ガチとは、「真剣勝負」または単に「真剣」のこと。
ガチとは、「頑固者」「頑固」のこと。
【年代】 意味により異なる
【種類】 若者言葉(業界用語+略語)
 
『ガチ』の解説・使用例
[1] ガチとはガチンコの略で「真剣勝負」を意味したが、『ガチに』『ガチで』といった形で単に「真剣に」「真面目に(マジで)」といった意味でも使われるようになる。現代、ガチといったら下記[2]よりもこちらの意味で使われることが多い。(ガチンコについては関連ページ参照)
[2] ガチとはガチガチの略で、大正時代から「頑固」又は「頑固な人(ガンコ親父)」という意味で使われたが、現在この意味ではあまり使われていない。
ガチの使用例
もう間に合わないぞ!ガチでやべー![1]
お前の親父さんのガチにはほんと参ったよ。[2]
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ここです。
http://zokugo-dict.com/06ka/gachi.htm


「毎日1時間ストレッチやるしな。ガチでやるし。忘れてたらゆーてな」
と娘が言うときの「ガチで」は、「本気で」と訳せるだろうか。
(本気でやるんなら忘れんなよと言いたいが)
「マジで」よりちょっぴり意志の強い感じ? 

「あの人ガチガチやわ」
と言うとき、「あの人めちゃくちゃ頑固やわ」と「あの人めちゃくちゃ緊張したはるわ」との二通りの意味が考えられ、このように文字だけ見ると判然としないが、会話であれば声の抑揚や前後の発言、話題の中身でそれは判じることができる。
ガチが二つ連なると「手がつけられん」のはほんまかもしれん。

「あの人ガチガチやねん、もう手がつけられへんわ、勘弁してほしいわ」

「ひゃあ、あの人ガチガチやん、気の毒に見てられへんわ誰か代わったげよし」

……と、このように、個人的にも世間的にもまったくどうでもいいことをつらつら書いているのは、あまりに寒いのと、あまりに忙しすぎて思考力が落ちているのと、人が真面目に真面目にそれこそ「ガチで」仕事をしているのにつまらない揚げ足取りで戦意喪失させる阿呆な経営者に腹が立ったのと、街角で二度も「ガチでなぁ」「ガチやねん」と楽しそうに話す若者たちとすれ違って耳に残っていたことによるのである。
それと、疲労がたまって、全身の、あちこちが、痛いのと。

Nuclear Free Now!2012/12/14 09:42:41

明日です。
Nuclear Free Now
Nuclear Free Now 2012.12.15-16
12月15日は、日比谷野外音楽堂に集まろう!
Nuclear Free Now さようなら原発世界大集会

↑ お近くの方はご参加くださいませ。


えー続きまして(笑)こちらのご署名、まだの方、どうぞよろしくお願いします。
子どもたちを福島原発事故による被ばくから守るため、集団疎開の即時実現を求める署名のお願い
↑ 宛名が「日本国総理大臣 野田佳彦殿」になったまま(笑)ここ数日署名数が伸びていないのはそのせいだよね、きっと。

で、今日はこれ。

『さがしています』
アーサー・ビナード文 岡倉禎志 写真
童心社(2012年)
*表紙写真:「鍵束」寄贈者・中村明夫(広島平和記念資料館所蔵)

先月かその前かにアーサー・ビナードのことを少し書いたけど、この本を入手したくて、この本の制作にまつわるエピソードとかが聞きたくて、トークに足を運んだのだった。だけど、イベントそのものは丸木位里、俊、スマの作品展であり、丸木作品との出会いについて話すのがトークショーの趣旨であったゆえ、この本は今年の新刊なのでもちろん話題には出たが、期待してたほどの裏話などはなかった。

私たちは本書を通じて、写真に撮られた「ヒロシマの遺品」に触れるわけだけれども、詩人も写真家も「実物」の「ヒロシマの遺品」にじっさいに触れているのであり、遺品から聞こえてくる声にならない声を、じかに聴いているのである。ビナードも岡倉も、印刷物となって読者が本を開くときにその声にならない声を届けようと、工夫を凝らし苦労を重ねたことが窺える。
しかし、その意図は、伝わってこない。というより、いや、違うんじゃないの、というほんの少しのズレを感じる。著者たちの意気やよし、なんだけど、ビナードの詩は胸を打つけれど、遺品の声そのものではない。写真に撮られた遺品も、その写真が遺品の姿すべてではない。そのことはどうしようもないし、それで当然なんだけど……

なんといえばいいのだろう。

ピカを体験した遺品たちは、「さがして」いるのだろうか、突然失くした日常を?
自分の持ち主だった人を、まだ待っているのだろうか?
その人の命は無残に焼き尽くされて跡かたもなくなってしまっていることを知らないまま?

本書では、この遺品たちを「カタリベ」と呼び、原爆投下から65年以上、その瞬間の姿のまま在り続けながら、昇天しない思いを語っている。
ビナードと岡倉はその代弁者であるわけだ。
書籍の帯にあるように、「未来へつづく道」を探しているのだろうか?

あの日の朝も、「おはよう」「いただきます」「いってきます」「気をつけて」と言葉を交わして一日が始まったはずだった。たしかに。
突然遮断された時間と空間を、「さがしています」と、カタリベたちは言っている。
そういうことらしいけど。

私には、尽きることのない諦念しか感じられない。もう、どうしようもなく深い、たとえば洞窟とかマンホールの底とかの、闇の中で、絶対に脱出できない状況に置かれたまま、でも死ねない。いっそ命が尽きればいいのになのになぜか生かされている、脈のある屍。その屍(脈は、ある)から蛇口からこぼれる水滴のように少しずつ落ちて、そこに溜まることなく乾いては、また滴る、諦念。

「さがしています」よりもふさわしいタイトルはたぶんこっちだ。

「あきらめました」

あきらめました、わたしを持っていた人に再会すること
あきらめました、ピカに遭う前のきれいな姿に戻ること
あきらめました、ピカを使わない世の中も
あきらめました、ピカをつくらない世の中も
あきらめました、わたしたちを忘れずにいてもらうことも


だからね、なんだかちょっと違和感はあるわけだけど、でも私はこの本を大事に大事にしている。慈しむようにページをめくっている。だってさ。
うっふっふ~~~♪

A voter!2012/12/15 13:38:58

明日投票日ですね!

田中龍作ジャーナルより引用。記事二つ紹介します!
(写真とキャプションは外しています。by midi)

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再稼働反対集会に小沢氏登場 参加者「マスコミ帰れ」の怒号
2012年12月15日 01:24

http://tanakaryusaku.jp/2012/12/0005830

 マスコミ不信が一気に噴出した夜だった。新聞・テレビのカメラマンたちに向けて「帰れコール」が飛ぶ、前代未聞の事態となったのである。
 “小沢氏が金曜恒例の再稼働反対集会に来る”―― ツイッターで昨夜から情報が流れていたため、14日の集会はマスコミのカメラマンが大挙、国会議事堂前に集結していた。カメラマンたちは少しでも高い位置から撮ろうと脚立の上に立つのが習性だ。それも最前列で。
 カメラマンたちの体で遮られて、参加者はステージが見えなくなる。さもマスコミの特権であるかのような振る舞いに、反感を抱く人は少なくない。
 それを意識してか、スピーチ台に立つ参加者の多くは、マスコミを批判した―
 「パブコメでは国民の8割もが原発ゼロを望んでいるのに、マスコミの選挙予想では原発を3年以内に再稼働させる自民党が単独過半数を取るというのは、どういうことでしょうか?」女性は声を振り絞るようにして訴えた。マスコミのカメラマンが陣取る方に顔を向けながら。
 右傾化、原発再稼働…すべてマスコミが仕組んだと決めつける男性もいた。

 小沢氏がそろそろ到着する7時20分頃だった。目の前を遮るカメラマンたちに対する参加者のイラ立ちはピークに達した。寒いなか「小沢目当て」で来ている参加者にとっては肝心の小沢氏が見えないのである。

 「テレビカメラどかせ」「マスコミ帰れ」「日本をメチャクチャにしたのはお前たちだ」参加者から怒号が飛び交い収拾がつかなくなった。

 「カメラを下げてください。(参加者の)皆さんは早くから来て待ってたんです」。主催者はカメラマンたちに命じて脚立の上から降ろさせた。マスコミの特権が崩れた瞬間だった。
 歓声に迎えられて会場に到着した小沢氏が演説した―

「総選挙に入っても脱原発の声は広がっておりません。新聞・テレビで脱原発を争点から外している。これは日本社会の歪です。マスコミがそういう中に組み込まれている。こんなことが罷り通ったら日本は真っ暗闇になる…(中略)国会で脱原発を通すなら、脱原発を唱える議員が多数を占めなければなりません…(後略)」。

 集団リンチのように小沢氏を叩き続けたのもマスコミなら、原発安全神話を振り撒き、再稼働まっしぐらの自民党を政権復帰させるべく世論操作をしているのもマスコミだ。
 明日(16日)は衆院選と東京都知事選の投票日である。マスコミによる刷り込みを撥ね除けて、有権者の大多数が自分自身の判断で投票することを願う。
《文・田中龍作 / 諏訪都》

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小沢氏、特派員協会で会見
「憲法改正、裏に政治的意図」「右傾化が心配」
2012年12月12日 20:35

http://tanakaryusaku.jp/2012/12/0005802

 日本未来の党の小沢一郎氏が12日、日本外国特派員協会(FCCJ)で記者会見した。結党以来、あまり表に出てこなかった小沢氏が選挙期間中にもかかわらず会見するというので、会場には大勢の報道陣が詰めかけた。
 小沢氏は、異例にも一時間以上も前から会場入りし、懇意の脳科学者と懇談したり、手洗いに立ったりなどし、居合わせた記者らを驚かせた。
 そうした中、北朝鮮のミサイル(弾頭を搭載していないので正確にはロケットと言える)発射を報せるニュース速報が流れた。緊迫した雰囲気の中、海外メディアの質問は選挙後の政治体制と日本の右傾化に集中した。

 冒頭、外国特派員協会のバウムガルトナー会長は小沢氏をこう紹介した。
「戦後日本を代表する政治家のひとりであり、メディアによる人物破壊(Character Assassination ※)の犠牲者である小沢一郎氏を歓迎します」。
 日本のマスコミからは徹底的に嫌われる小沢氏だが、海外メディアの評価は180度異なる。小沢氏が、メディアや官僚から集中的に人格攻撃されたことを世界は知っていた。小沢氏はこう挨拶した――

 「新党は何をめざしているのか?と皆様(海外メディア)からも聞かれた。形の上では新党だが、基本的な政治哲学や政治姿勢については、政権交代で民主党が国民に誓った「このように国を作り替えたい」ということを思い続け、今後もそれを継承して目的を達成したい」。
 「民主党に対する当時の国民の期待が大きかっただけに、その後変質した党に国民が失望してしまっているのが現状だろう。3年前国民が期待してくれたその主張を我々は貫き通そうと思っている」。

以下、一問一答――

シンガポールの記者: 自民党や維新などが憲法改正などを主張しており、海外では日本の右傾化を心配している。
小沢:自民党、維新の会、民主党幹部らも似たようなことを言っている。憲法改正、メディアもこれが争点であるかのように伝えている。憲法改正と、政治的な考え方、政策というのは基本的には別の話だ。裏にいろんな政治的意図が隠されているように思える。同意しかねる。彼らの政治的目的であるなら、はっきりと言うべきだし、メディアもそれを伝えるべきだ。

田中:マスコミはあたかも新政権は自民党中心の政権になるかのように伝えている。ところが、フリーランスや非記者クラブメディアの取材では国民の反応は必ずしもそうではない。現実との乖離についてどう思うか?
小沢:旧体制の中に既得権を持っている人からみれば、小沢はけしからんということになるだろう。メディアも戦後体制の中のひとつの大きな集団だと思う。根本的に日本の大きなしくみを変えることについては、強烈な抵抗と反撃を受ける。
 今の国民の意識は必ずしも自民党にということではないと思うが、メディアを中心としたムード作りと、もうひとつは、民主党政権が失敗した、期待はずれだったというその両方が相まって、何となく国民自身がもやもやしている。あるいは、はっきりとした選択をしづらくなっているのではないか。
 私たちも大きなメディアが報ずる以上に、「自民党政権」というよりはむしろ何か新しい仕組みを作り上げる勢力の台頭を期待していると感じるが、選挙後でなければわからない。

海外の記者(国名分からず):右傾化について詳しく。
小沢:右傾化ということについては、以前から心配していた。現時点で本当に極端な右寄りになるだろうとは思っていない。ただ、EUのように経済的な危機が世界的不況という形で襲って来た場合、中国との領土問題がこじれた場合、朝鮮半島その他に深刻な事態が生じた場合には、その傾向が非常に強くなっていくのではないかと、恐れている。
私も愛国主義や民族主義を否定するわけではなく、自分自身もその一人(愛国者)であると思っている。本当の民族主義とは相手国の(愛国主義)も認めるというものだ。民主主義の基本は自己主張、国家と国家も同じだと思う。単なるその場の情緒的雰囲気に押されての傾向が強まると、特に日本の場合はその要素が潜在的にあるので心配している。
 記者会見の直前、北朝鮮がミサイルを発射した。“国防軍”を唱える自民党の安倍晋三総裁らは大はしゃぎだ。「TPP」「原発」「消費税」という国民生活に関わる肝心のテーマはそっちのけとなりそうな雰囲気をメディアが醸成している。小沢氏が懸念する右傾化が現実味を帯びる。



※人物破壊 
「誰が小沢一郎を殺すのか?」カレル・ヴァン・ウォルフレン著で使用された用語。標的とする人物を実際に殺さないまでも、世間での評価や人物像を破壊しようとする行為のこと。

C'est pas possible qu'on déménage ce samedi!2012/12/19 21:18:31

黄色いほうの首輪をつけたりーちゃん。


どうなってしまうんだろう。
わたしにはわからない。
たぶん、たいしてどうってことないままに時間ばかりが過ぎ、極右前線の軍曹たちは、徐々に徐々になんて当たり障りのない言いかたでさまざまなことをあいまいにしたままなし崩し的にあらぬ方向へ舵を取り、彼らが見下している愚民がふと気づいた時にはすっかり、大企業たちだけが儲かり底辺の庶民はますます貧しくなり日本のすべての海岸でゲンパツ様が動き、中規模オール電化邸宅に住むような中途半端な小金持ち家庭がやはり原子力は必要ですわね家計にやさしいクリーンエネルギーですものねおほほなんてゴキゲンライフを謳歌する、そしてそれが日本のマジョリティだと大手マスゴミや企業の犬・巨大広告代理店の手によって世界に向けて発信されてしまっているのだろう。

でも、つとめて明るく振舞おう。
ペシミズムは、何も生まないもの。
悲観的になって、憂いてばかりいるのはよそう。
暗い暗い暗い将来しか待っていないかのようなここの国の人間として、まだあと80年くらい生きていかなければならない子を育てているんだもん。
猫さまが言うように、体力つけて、生き延びなきゃ。

Canada de Nihongoさんブログから。
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http://canadadenihongo.blogspot.jp/2012/12/blog-post_18.html

「未来の党」議員、山本太郎さん、宇都宮けんじさんらに感謝の手紙を!
Facebookに「おーい!止めたいママアクション」というグループのページがある。
そのグループが将来の子供達のことを思うママさんたちのかわりに原発に反対の意思を表示してくれた「未来の党」や山本太郎さん、そして、宇都宮けんじさんらに感謝の手紙を書いたらどうかと提案して下さった。

選挙の結果に落ち込むだけでなく、次のステップへの第一歩として、反原発の勇士たちに感謝の意を示すというのは、とてもすばらしいことだと思う。

私たちの感謝の言葉が、彼らが又次も闘おうという元気の源になるかもしれない。
小沢氏が悪党だというイメージを国民に刷り込んだ大手マスコミの陰謀をかわす戦略として、小沢氏を前面に出さず、嘉田由紀子氏を「未来の党」の代表にしたのは、決して間違っていなかったと思う。

もちろん、小沢ファンは、小沢氏が前面に出て闘ってくれることを望んでいただろう。しかし、もし、そうしていたら、メディアに洗脳された国民は、たとえ、原発をなくしたいと思っていても、せっかく脱原発で一つになった「未来の党」にそっぽを向いてしまっただろう。
小沢氏の戦略や「未来の党」の議員たちが訴えていたことは、全て正しかったと思う。

彼らを励ますためにも、地元の「未来の党」の議員、そして、山本太郎氏や宇都宮けんじ氏に感謝の手紙を書こうではないか。
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わたしは、手紙は書かないけど、心から叫ぶよ「アイラヴユー!」

Escape to OKINAWA!2012/12/24 11:24:55

左サイドバーにリンクを張っている「カレイドスコープ」さん、ときどきでも訪問してくださっているだろうか。

*****************************
「沖縄に逃げて!」-沖縄県庁の移住支援12月27日まで

福島の人対象です!
子供と沖縄に避難しよう!
沖縄県庁の移住支援制度で
航空券、ホテル代、2年間家賃無料!
すぐ電話!12月27日(木)メ切り!
沖縄県庁
098-866-2143
に電話して第一歩を!
電話する前に知りたい人は下のホームページへ
http://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/bosai/24203.html
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詳細はカレイドスコープさんの当該記事へ
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1736.html


こういうことを、鼻で笑ってすます人ってまだ居るんだろうか。

震災直後から逃げろ逃げろと言い続けてきたけど、夫婦仲のいい友人たちほど動こうとしない。各家庭の事情もあるだろうからもちろん私だってしつこくは言わない。でも、こっちに実家や親戚があるなら、今まで盆と正月だけだったのを少し頻度を上げて帰省したり身を寄せたりしてもいいんじゃないの、と言ってみたり、問題意識を喚起するようにしたこともあったけど、本当にいろいろな感情と事情が複雑に絡まっているのか、それともまったく何も考えないできているのか、反応は芳しくない。どのみち、そんな中途半端なこと、できやしないよね。そうなんだ、事はそんなに単純じゃないよ。わかってる……。

都知事選挙で猪瀬が400万票という圧倒的な数を集めたという報を目にして、もし、投票に行かなかった有権者が全員仮に投票したとしても、勢力図は同じことだっただろうなと思った。都民の、いや、日本人の、現状に対する認識や問題意識って、悲しいけどこうなんだ。こんなありさまなんだ。

「どうってことないのに大騒ぎしちゃって」
「平穏に暮らしてんのに煽らないでよ、縁起でもない」

私も、友達からそんなふうに思われているかもしれない。
何年も何年も経って、ホラどうってことなかったじゃないの、取り越し苦労だったわね、と笑えたらいい。ほんとにいい。そのほうが「ほら見ろ」「こんなことになっちゃったじゃないの!」「被曝が原因なのよこの子の病気は!」なんて会話だらけになるより、ずっといいに決まっているさ。

でもでも、もしも、「……かもしれない」と少しでも不安なら、不安におののきながら、むくむくとこみ上げる恐れを押さえつけながら、家族と口論しながら、あるいは言いたいこと言えずに暮らすより、いっそ思いきり空気の吸える場所へ引っ越して、危険も不安も杞憂も諍いもない毎日を過ごしたほうが母子ともに幸せだよ。

そのほうが幸せだよ、きっと……。

Joyeux Noël... oh, il est tard?2012/12/26 20:04:09

『平さんの天空の棚田―写真絵本・祝島のゆるがぬ暮らし 第1集』
那須圭子著(写真・文)
みずのわ出版(2012年)


飛びついて買った。
と、言いたいところだが、この本の情報をゲットしたときすでにそこらへんの書店には全然なく、アマゾンでも入荷未定のため取扱不可能の通知。8月発売だったみたいだが、たしか風に秋の香りを感じ始めた頃に新聞の書評欄で見つけた。近所にある最近成長イチジルシイ某大型書店には影も形もない。できるだけ路面に店舗を構えている書店で本を買おうと心がけているのだが、しかたなくアマゾンで注文を試みると先述のような通知が来て「キャンセルする?」と聞いてくる。こういうときは出版元に泣きつくに限る。というわけで書名、出版社名で検索するとあっさり出てきた。お問い合わせは「メエルください」と面白い書きかたがしてあって(笑)、メエルを送ると丁寧な返事が来て「注文を承ります」。わずか一往復半の、短いメエルのやり取りだったが、とても温かく幸せな気持ちになれた時間だった。みずのわ出版の店主は、旧仮名遣いでメエルを書いてきた。文体もどこか昭和初期の匂いがする(っても私は「昭和初期」なんて知らないんだけどさ)。丸谷才一を思わせて、にんまりしながら、その短いメッセージに愛しさを感じながら、何度も読んだ。
彼によると、そもそも本書はほとんど流通に乗っていないのだという。きちんと本の評価をしてくれて、誠実に販売してくれる店舗を探したら、全国で50店ほどしか、本書を置ける店がなかったというのだ。紙でできた本。指でページをめくることのできる本。著者の息づかいや思いにあふれる書物。その真実の価値を知り、真摯に扱ってくれる書店は年々減り続けている。みずのわ出版さんがこだわり強すぎるのかもしれないし、広い広い出版界の中にあってみずのわ出版さんは「偏屈」に分類されるのかもしれない。でも、じゃ、偏屈でない本ってどんな本だろう。時流に乗った、著名な人が書いていて、装幀デザインにも最近のテイストが効いていて、万人がこう評価する。「ちょっといい感じちゃう?」「しゃれおつ!」「表紙かわいい!」

そんなわけで、みずのわ出版さんに直接掛け合って入手した『平さんの天空の棚田』。もちろん、アマゾンの打診には謹んで「キャンセルする」をクリックした。また今度ね。

本書の主人公は、「棚田」である。平さんの祖父が、まだ幼かった平さんを連れて、山腹に築いた石垣の上。その棚田は海に望み、空と海の青を映し、ならぶ早苗が列の隙間に映る白い雲やきらめく星と絵を描き、垂れた稲穂は天空に黄金の穂先を揺らし、干された稲が崖にタピスリーのごとく重厚な模様を織りなす。棚田に立つと、遠い遠い空が少しだけ近く感じられる。棚田に立つと、きっと、棚田だけが天空に浮かんで、これから旅に出るかのような気にさせてくれる。

平さんは、節くれだった掌を著者に見せ、自分が死んだら棚田はもう終わるという。それを聞いた著者は、なんとか後継者を探そう、などと野暮なことは言わない。平さんの魂とともに棚田は山へ還るのだ。

日本には、いや日本だけでなくアジアの山岳部には美しい棚田がたくさんある。田植えの時期、インターネット上には美しい棚田の写真が争うようにアップされる。どれもこれも、失いたくない自然と人智の結晶だ。文化遺産(自然遺産か?)に指定された棚田もあると聞く。そうしたことは、私も否定しない。しないけど、おそらくちっとも絵にならない小さな島の狭い斜面の小さな田圃、著者が記録しなかったらきっと誰も振り向かなかった石垣の上の狭い棚田、それは、ほかのどの土地にあっても絵になるどころか意味をもたなかったかもしれない風景なのだ。

みずのわ出版のサイトはここ。本書の紹介文をコピペする。
http://www.mizunowa.com/

『平さんの天空の棚田―写真絵本・祝島のゆるがぬ暮らし 第1集』
A5判フランス装76頁
定価=本体2000円+税
ISBN978-4-86426-019-0 C0372
著者(写真・本文・解説)=那須圭子
装幀=林哲夫(画家/「sumus」編集人)
プリンティングディレクター=熊倉桂三(山田写真製版所)
編集=柳原一徳(みずのわ出版)
印刷=(株)山田写真製版所
製本=(株)渋谷文泉閣

●…中国電力が山口県上関町長島の田ノ浦に建設を計画する上関原子力発電所に対し、30年にわたって反対運動を続けている祝島(いわいしま)で、祖父から3代にわたる棚田を守り続ける平萬次さん(80歳)とその家族の物語。カラー写真30数点収録の写真絵本。
著者による巻末の解説(「天空に浮かぶ家族の城の物語」)では上関原発問題について簡単にふれているが、本文では原発の「げ」の字も書かれていない。連綿と営まれてきた島の日常の記録を通して「豊かさ」の本質を問い、それをもって反原発の意志を伝える試みでもある。
毎年同じ時期に繰り返される田植にみられるように、一見何ら変化のない、のんべんだらりとした日常。それは、3.11震災に伴う福島原発事故により、連綿と生活を営んできた土地から引き剥がされ、郷里を喪った人々にも、同じようにあった。際限なく膨張する都市のエゴが、田舎のゆるがぬ暮らしを奪い、後からくる子供たちの生存を危うくしている。豊饒の海と大地を、目先のカネのために売ってはいけない。

著者:那須圭子(なす・けいこ)
フォトジャーナリスト。1960年、東京生まれ。早稲田大学卒業後、結婚を機に山口県に移る。上関原発問題に出会い、報道写真家・福島菊次郎氏からバトンタッチされる形で、同原発反対運動の撮影を始める。写真集『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人(しまびと)の記録』(創史社、2007年)で「第12回日本自費出版文化賞・特別賞」を受賞。

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今、ラジオを聴きながら書いてるんだけど、アシスタントパーソナリティの女性(若手の局アナ・24歳らしい)のおしゃべりにちょっと辟易している。メインパーソナリティはベテラン男性アナ・50代、ちょっとええ声のハンサムヴォイス。彼が「レ・ミゼラブルを観たんですよ」と話題の映画に触れたとき。「へえー面白かったですか?」とお嬢さん。メイン氏が「僕はあまりミュージカル映画は好きじゃないんだけどさすがにレ・ミゼラブルだからね……知ってるでしょ、レ・ミゼラブル?」「ええ?有名なんですか?」「知らないの?」「何の名前ですか?」「え、ホントに知らないの? ああ無情って少年少女世界文学全集には絶対入ってたよ、アニメにもなってたよ」「ああ無情? それ、そのレなんとかと関係あるんですか?」「ホントに知らない? ヴィクトル・ユーゴーの」「びくとるゆうご?」「そうですかー知りませんかー……(ここで小説のあらすじを紹介、映画の見どころを解説)ジャンバルジャン役の俳優は歌がうまかったね」「ジャンバルジャンって何ですか?」「何って主人公の名前ですよ、聞いたことない?ジャンバルジャンって」「エクスオーじゃん、なら知ってます」「何それ」「韓国料理の調味料」「……」

漫才とかネタとか冗談ではなく、真面目なやり取りである。この女子アナ嬢、学生時代は海外旅行に行きまくったらしく、フランスもイタリアも「制覇」したそうだが、何を制覇したんだろう?
彼女、発音は明瞭で、声も悪くないんだけど、無知ぶりをこんなふうに披露されても不愉快だ。仏文学を勉強していなければ、知らないのは仕方がない(仏文学勉強しなくったって『ああ無情』は知ってるけどな、おっさんおばはんは)。
レ・ミゼラブルぐらい知っとけよ、とかヴィクトル・ユーゴーを知らないなんてプッ、なんていうつもりはさらさらない。知らなくても、いい。でも、たいへん高名な文学作品についてカケラも知らないことを、こんなに恥ずかしげもなく語られると、こっちが赤面してしまう。もう少し、謙虚になってほしい。