Et le voilà, Père Nöel!2012/12/07 01:52:59

Centre commercial de la Part-Dieu
いつも綺麗な写真を送ってくれるリヨンの友達が、今回はショッピングモールのクリスマスデコレーションを撮って送ってくれた。
リヨンって、もう20年前になるかな、最後に行ったのは。季節がいつだったか、覚えていない。

モンペリエに留学してたとき、間借りしていた家庭のヨメさんのほうの実家がリヨンだった。ヨメさんはユダヤ系で、音楽に才のある一家だった。妹はヴィオロンセルの奏者だった。大きなヴィオロンセルを抱えての演奏旅行の合間に、姉一家をよく訪ねた。……とここまで書いて、ヴィオロンセルは日本語ではチェロというのだ、ということをいきなり思い出した。訂正するのももう面倒なのでこのままにしておこう。
私の家主はピアノの調律師だが、ピアノを調律する仕事がそんなにわるわけはなく、どこかのオーケストラや劇場に常勤でなければ生活は成り立たない。だからパートタイムでピアノの講師をしていた。カルチャーセンターみたいなところにも登録していたし、友人のつて、幼稚園のつてなどで個人レッスンもいくつか抱えていた。本当に朝から晩まで働き詰めだった。私が朝起きてのんびりと大学ヘ行く用意を始める頃、彼女はばたばたと台所でバゲットにジャムを塗りつけそれをかじりながら出て行った。昼頃帰ってきて昼食をかきこんで、また、鞄の中身を換えて飛び出していった。彼女が時間に遅れることはない。彼女の夫が朝と昼の食事は絶妙のタイミングで用意するのだ。

ひとり息子のジェレミーは当時3歳だったが、よく私に「ママがお外、パパはおうち」と言った。別にそんな話題をこちらから出したわけではない。彼は、フランス語の下手な間借り人女など相手にせず、よくひとりでしゃべっていた。幼稚園の教員たちに聞かれるのあろうか。フランスも日本に負けず劣らず「女は家」観の根強い国だが、送迎はいつもパパだったこの家庭は珍しかったのだろう。
リヨンにいるヨメの両親はその点がとても気に入らなかったらしい。ユダヤ人だから、ドイツ人への憎悪をまったくゼロにすることはできなかったにしても、見たところ、リヨンの老夫婦は、娘の連れ合いがドイツ人であることに反発やこだわりはなかった。しかし、彼が外で働かずに子どもの世話と家事に明け暮れていることはかなり許せなかったようである。娘にばかり働かせてまったくあの男は!

あるとき、ささいなことからカップルが喧嘩をし、彼が彼女にこう言った。

たとえ何年かに一度でも、樅の木を買ってきてクリスマスツリーをデコレーションしようという気は起こらないのかい? 馬車馬みたいにそんなに働いて、だったら、わずかずつでも蓄えて、今年は樅の木、今年は御馳走、今年はジェレミーにプレゼント、というふうにさ、イベントはかわりばんこでもいいから、何か楽しいことにお金を使おうという発想はないの?

ヨーロッパでは、日本人が盆と正月を大事にするのよりもずっとずっと、クリスマスを大事にする。
樅の木は、本物が山のように出回る。
でも、ヨメさんはあまりそういうものに心が動かないようだった。彼女がユダヤ系だから、あるいは働きっぱなしでそれどころじゃなかったから、それとも、何だったのだろう? ヨメさんのほうと話していると、私は日本人のメンタリティと近いなと感じたことが少なからずあった。リヨンの彼女の両親にも同じ印象を持った。だからやっぱし、民族性なのかもしれない。余裕があればクリスマスを豪華にあるいは厳かに祝うのもいいけれど、忙しいのよお金がないのよまた来年あるじゃないのどうでもいいわよ生活することのほうが重要でしょ。
彼らの喧嘩はいよいよ派手になって、その後ドイツ語へと変貌したので、いくら聞き耳立ててもどこへ着地したかはわからずじまいだったんだけど。

フランスでは年末年始は宗教行事ではないので、大都市で花火を上げる程度のほかは、あまり祝うことはしない。大晦日は騒ぐけど、翌日から日常に戻る。
だから12月に入って町や家のあちこちを飾るクリスマスデコレーションは年が暮れても明けてもずっとある。
そして次の宗教行事(復活祭?)まで、デコレーションを片づけずにおいておく。