September rain2013/09/09 18:18:40

♪September rain rain 九月の雨は冷たくて♪
♪September rain rain 想い出にさえ沁みている♪
♪愛がこんなに辛いものなら私ひとりで生きてゆけない♪
♪September rain 九月の雨は冷たくて♪
(「九月の雨」 詞/松本隆 曲/筒美京平 歌/太田裕美)

よく降ったねー
洗濯物が全然乾かなくて久しぶりに「家中つりさげられるとこ全部洗濯もんだらけで視界たいへん不良(笑)」状態になった。しばらく使っていなかった除湿機を物置から引っ張り出して、浴室に折り畳み式物干しを広げて閉めきり、臨時乾燥室にして生乾きの洗濯物を閉じ込めること3時間。
よく乾くわよー
もっと早よこの手使たらよかったんやんけ、と思ったが、節電マインド旺盛な私としてはタイマーを3時間に設定してもあわよくば1時間で切りたいし、というふうにこまめに様子見をしないといかんし、そんな芸当は母にはできないし。すると除湿機は休日にしか使えない。
除湿機がお役立ちとわかって、わっはっはーえーいこんちくしょー槍でも鉄砲でも洗ろたるやんけー洗うもん全部持ってこんかいっとたんかを切ってしまったんだが、いや、たんかを切らずとも、普段から洗濯物の量はけっこう多い我が家、除湿機がお役立ちとわかっても休日オンリーでは毎日毎日降る冷たい九月の雨の前に、平日はやはり「家中つりさげられるとこ全部洗濯もんだらけで視界たいへん不良(笑)」状態に甘んじるしかないのであった。

とそんなんゆーてたら、晴れた。
ひさびさに、朝干した洗濯物を夕方娘が取り入れてくれた今日という清々しい日。

8月のある日、ブルーベリーを収穫しましたのよ。
ほんまにブルーベリーやわ。
でも、合計7粒。上出来か?
ジャムにできる分量はとてもないので、ババ母娘の3人で分けてそのままパクッといただいた。

ゆーとくけどさ。

めっさめさ……うまい!!!!!!

おいしいーーーーーほんまえ、ほんまにおいしいねんで。
来年からもっとたわわに実ってくれるのだろうか。実ってくれー

公私ごっちゃまぜで超多忙をきわめた8月だったが。
休日返上で取材先回りをしなくてはならなかったある日の午後。四条通から祇園界隈、八坂さんの向こう、高台寺御膝下あたりまで歩いてきてふとまた四条通へ戻り、路ゆく人々の幸せそうな様子を見て、なんかわけなく癒された気分になってて、ついでに郷愁がこみあげてきて、若い頃入り浸った喫茶店の扉をひさびさに押した。

喫茶ソワレ。
変わらへんわあ……。青いわあ。
東郷画伯の絵がプリントされてますねん。
BGMのいっさいかからない店内で、友達と着地点のない議論を延々と繰り返した。あまり声高にならないように心を抑制し、抑制しすぎてついひそひそ声になり、なんかよからぬ相談してるみたいやんけと、思わず大声で笑ったりしてそれまでの抑制が水の泡、みたいな。
私たちは何を話していたんだろう。グループで制作するビデオ作品のことで集まった日もあったし、ゼミの宴会の演出の相談をしたこともあったし、単なる待ち合わせの場としても、私はソワレが好きでよくソワレを使った。コーヒー1杯飲んだら場所を移すつもりでいたのにソワレで声をひそめて議論していると声の抑制とは裏腹に話の内容はエスカレートして終わりが見えなくなり、いつのまにか、音のない店内に私たちの声だけが響いていた、といったこともしばしばだった。あの頃はそんなにも話すことがあったんだ。時間も友情も永遠だった。けっしてなくなることのない、空気や水に次いで重要で当たり前にそこに在るものだった。生きていくために不可欠な、だけど若さゆえに特別な努力をしなくても手にすることのできるもの、それが時間と友情だった。まちの姿も私たちの姿も話題も(笑)変わったというのに、ソワレがこんなにも変わらないなんて、新鮮だった。学生時代の友達と会えば、親の介護と看取りの話か子育てに金のかかる話か体がいうこときかなくなった話か店をいつ畳むかといった話がぐるぐるめぐる。私たちは明らかに年をとった。でもソワレは、そんな私を、姿を変えないまま受け容れ居心地よく感じさせてくれている。奇跡。
勘定書きを持ってレジへ行くと、カウンターの向こう側の奥まったところから、すっかり白髪になった主人が座ったままおおきにおおきにありがとうございますといって、座ったまま腕を伸ばしてつり銭をくれた。



雨上がりの御苑。洗われた緑が瑞々しかったのだけれど……。写真じゃよくわからないね。


雨続きで一気に気温の下がった京都だけど、晴れるとやっぱし暑おます。

Parce que c'est l'imagination, le math!2013/09/17 19:13:31

史上最強の雑談(5)

『人間の建設』
小林秀雄、岡潔 著
新潮文庫(2010年)


「史上最強の雑談」についてのコメントを再開。購入以来何度も繰り返し読み、ブログに感想を綴り始めてからも幾度となく読了しているし、読めていないわけではないのだけど、あまりにも内容が「この国の今」への忠言めいていて、ふんふんふーんと読み流し&書きなぐるわけにはいかないという意識が強く働いてしまって、ブログに書くならきちんと書かないとな、と思って先送りばかりしているのである。やっとアップできる程度にまとまった(かな?)。

まったくもって本当に痛快、半世紀前の対談とは思えないほど、現在に通じる。

数学者の藤原正彦さんが著書『祖国とは国語』のなかでさかんに「情緒」という言葉を使っているが、数学をやる人って、数字と記号と図形とx軸・y軸しか頭の中になさそうなのに(失礼。笑)、意外とロマンチストであり芸術家肌であり、花鳥風月を愛でる人だったり、センチメンタルで涙もろくて夢追い人だったりする。

高校時代に習った数学教師は二人いて、どっちの発言だったか覚えていないが、

「平行線は永遠の彼方で交わるんだよ」

私は耳を疑ったものだ。ほんとうに交わるのかどうかはどうでもいいが、そいつ(つまりガチガチの数学教師)の口から「永遠の彼方」なんつう言葉が出てくるなんていう事実に仰天した。
私はますます数学と数学者を敬遠するようになり、美大時代は、一年次で単位取得すべき一般教養科目群に数学も並んでいたし、デザイン学部はほぼ全員が選択していたが、恐ろしくて避けたのだった。何を恐れたのだろう? 数学教師に惚れてしまうのを恐れたのである。

人は見かけによらない、とよく言う。私は「見かけによらない内面」をもつ人にてんで弱い。顔はイケてないけどハートはイケメン、ガリガリ痩せっぽちだけど力持ちで寛容。そんな人、素敵やん。私の中でステレオタイプのように在る「Aの人はア」「Bの人はイ」という図式にあてはまらない、「Aなのにイ」みたいな人に出会うとわりかし簡単にノックアウトされるのである。ま、それで失敗も多々あるけれど。
(だって往々にして「Aなのにイとみせかけてやっぱしコチコチのア」だった、ってことはよくある。笑)

数学系の人を避けて生きていたはずだけど、まさかの留学中に引っ掛かってしまった。夏季集中講座受講のために滞在したグルノーブル大学の9月期のクラスで、ドイツのカールスルーエから来たステファンに出会った。隣り合わせに座り、会話のレッスンなどで組むうち意気投合してクラスの前後にお茶したり食事したりするようになった。ソフトな外観に舌足らずなドイツ訛りのフランス語がキュートだった。一緒に街を歩くときはよく画廊を覗いた。展示作品を観て「なんだか主張が感じられないわ」「観る人に媚びてるような受け狙いの作品ね」などと私が知ったふうな口を利くと、「僕は門外漢だからわからないなあ」「きれいなものはきれいだし、やあきれいだな、ハイ終わり、でも別にいいじゃん」なんて言う。ある抽象的な立体作品についてどう思うか聞いたとき。彼は「これ、作者の恋心だな、きっと。もやもやしてて不定形だけどカラフル。恋愛ってそういう感じじゃん?」と、ドイツ人にしては気の利いたセリフを吐いた。なかなかやるなおぬし、みたいな気持ちが私の中にむくむくと起き上がりつつあった。
でも、私はモンペリエに引っ越すことが決まっていたので、あまり親しくし過ぎないようにしようと思っていた。すでにグルノーブルにたくさん友達ができていて、彼ら彼女らと別れるかと思うとけっこう辛かった。ステファンは私に何度もホントにモンペリエ行っちゃうの?と訊いた。ステファンはグルノーブルに残って正規学部生として学業を続けることになっていたのだ。

「ここで何の勉強するの? 何の専攻?」
「数学だよ」

ステファンは数学専攻の学生だったのである。なんと、まあ。どうしよ。私は、自分の気持ちが歯止めの効かないほうに移動しつつあるのをはっきりと感じていた。ヤバい。

「数学を学ぶ者にとってフランスってのは特別な国なんだ」
「どうして?」
「有名な学者はみんなフランス人で、数学者か哲学者あるいは両方だろ」
「そうなん? 私知らない。あ、パスカルとか?」
「また大人物を例に出したもんだね(笑)。もっと近いところでもたくさんいるんだよ、○○とか△△とか……」
「ふーん」
「それに、フランスで数学を学ぶことにもすごく意味があるんだよ」
「なんで?」
「だって数学はイマジネーションだからさ」


  *

「だって数学はイマジネーションだからさ」

ゆってくれるじゃないの、ステファン。このときの私に、高校時代の教師の言葉「永遠の彼方」の記憶が蘇ったわけではなかったけれど、「印象を裏切る数学者の公式」が体感としてどこかに残っていたのだろう、私は自分で「今まさに数学者にノックアウトされかかっている自分」を感じていた。

本書『人間の建設』は、私の時空を超えたアイドル小林秀雄の著書だから買い求めたのだが、上で述べたような気持ちの揺れ動きを、雑談相手の数学者・岡潔に感じている。
というより、小林が数学者と対談していることは表紙にも帯にも明記してあるのだから、私は最初からそれと知ってこの本を読み始めたのである。つまり、青春時代、数学者に覚えたときめきを追体験したかったのだろうか。あの日あの時の数学系男子を捕まえときゃ、今の体たらくはなかったかもしれないなあ。
なんて悔恨を反芻するだけはつまらないから、ここはひとつ、めいっぱい岡潔にときめいちゃうことにする。おほほほほ。



《岡 (前略)欧米人がはじめたいまの文化は、積木でいえば、一人が積木を置くと、次の人が置く、またもう一人も置くというように、どんどん積んでいきますね。そしてもう一つ載せたら危いというところにきても、倒れないようにどうにか載せます。そこで相手の人も、やむを得ずまた載せて、ついにばらばらと全体がくずれてしまう。これ以上積んだら駄目だといったって、やめないでしょうし、自分の思うとおりどんどんやっていって、最後にどうしようもなくなって、朝鮮へ出兵して、案の定やりそこなった秀吉と似ているのじゃないですか。いまの人類の文化は、そこまできているのではないかと思います。(中略)欧米の文明というものは、そういうものだと思います。
(中略)
 小林 数学の世界も、やはり積木細工みたいになっているのですか。
 岡 なっているのですね。いま私が書いているような論文の、その言葉を理解しようと思えば、始めからずっと体系をやっていかなければならぬ。
(中略)
 小林 それが数学は抽象的になったということですね。そういう抽象的な数学というものは、やはり積木細工のようなものですか。
 岡 いろいろな概念を組合わせて次の概念をつくる。そこから更に新しい概念をつくるというやり方が、幾重にも複雑になされている。(後略)》(「数学も個性を失う」29~31ページ)


原発なんか張子細工やんけと思っていたが、積木細工のほうがぴたりとくるかもな。ジェンガみたいなもんかもな。


《岡 (前略)世界の知力が低下すると暗黒時代になる。暗黒時代になると、物のほんとうのよさがわからなくなる。真善美を問題にしようとしてもできないから、すぐ実社会と結びつけて考える。それしかできないから、それをするようになる。それが功利主義だと思います。西洋の歴史だって、ローマ時代は明らかに暗黒時代であって、あのときの思想は功利主義だったと思います。人は政治を重んじ、軍事を重んじ、土木工事を求める。そういうものしか認めない。現在もそういう時代になってきています。ローマの暗黒時代そっくりそのままになってきていると思います。これは知力が下がったためで、ローマの暗黒時代は二千年続くのですが、こんどもほうっておくと、すでに水爆なんかできていますから、この調子で二千年続くとはとうてい考えられない。徳川時代はずいぶん長いと思うけれども三百年です。このままだとすると、人類が滅亡せずに続くことができるのは長くて二百年くらいじゃないかと思っているのです。世界の知力はどんどん低下している。それは音楽とか絵画とか小説とか、そんなところにいちばん敏感にあらわれているのじゃなかろうかと思うのです。音楽だって絵画だって美がわからなくなっている。(後略)》(「数学も個性を失う」33~34ページ)


現代日本はローマ時代より明らかに知力が低いから暗黒時代なんてもんじゃないよね。ずっと先の未来で、人類が今の私たちの時代を振り返ったときなんと形容するだろう? 暗黒より暗くて黒い、闇夜より泥沼より奈落の底より暗い社会。首脳の「脳」の程度が低くて、人種差別や弱い者いじめは得意な国。金儲けが下手だから余計に躍起になってカネカネカネと目を血走らせる国。そんな国に洗脳され、人と自然が共存していた本来のこの郷土の美しさを忘却の彼方へ放り投げてしまった人々。


《小林 (前略)たとえばベルグソンがアインシュタインと衝突したことがあるのですが……。
(中略)
 ベルグソンに「持続と同時性」というアインシュタイン論があるのです。アインシュタインの学説というものは、そのころフランスでも、もちろん専門的な学者だけが関心をもっていたもので、ああいう物理学的な世界のイメージがどういう意味をもつかということは、だれも考えてはいなかった。はじめてベルグソンがそれに、はっきりと目をつけたわけです。
 岡 おもしろいですね。
 小林 それで批評したのですが、誤解したのですね。物理学者としてのアインシュタインの表現を誤解した。それでこんどは逆に科学者から反対がおこりまして、ベルグソンさん、ここは違うじゃないかといわれた。ベルグソンはその本を死ぬときに絶版にしたのです。
 岡 惜しいですね。それは本質的に関係がないことではないかと思いますね。
 小林 ないのです。というのは、私の素人考えを申しますと、ベルグソンという人は、時間というものを一生懸命考えた思想家なのですよ。けっきょくベルグソンの考えていた時間は、ぼくたちが生きる時間なんです。自分が生きてわかる時間なんです。そういうものがほんとうの時間だとあの人は考えていたわけです。
 岡 当然そうですね。そうあるべきです。
 小林 アインシュタインは四次元の世界で考えていますから、時間の観念が違うでしょう。根本はその食い違いです。
 岡 ニュートン以後、物理学でいっている時間というものは、人がそれあるがゆえに生きている時間というものと違います。それは明らかに別ですね。
 小林 そこが衝突の原因なんです。
 岡 そうですか。そんなところで衝突したって。絶版にする必要がないのに。
 小林 だから、おれとおまえとは全然ちがうのだ、といってしまえばよかったのです。》(「科学的知性の限界」35~37ページ)


雲仙岳噴火から22年、奥尻島の津波から20年、阪神大震災から18年が過ぎた。新潟中越地震から9年、台風23号からも9年、東日本大震災から2年半、台風12号から2年が過ぎた。
でも、数字は物理的時間でしかない。被災した人、災害で大切な人を亡くした人、生活を根こそぎ奪われた人たちにとっては、時間のカウントなど意味をなさない。私たちはコンマ01秒単位の世界で記録に挑むアスリートの活躍に一喜一憂するが、そこでカウントするタイムと日々生きながら流れる時間とは種類が違う。


《岡 (前略)数学の体系に矛盾がないというためには、まず知的に矛盾がないということを証明し、しかしそれだけでは足りない、銘々の数学者がみなその結果に満足できるという感情的な同意を表示しなければ数学だとはいえないということがはじめてわかったのです。じっさい考えてみれば、矛盾がないというのは感情の満足ですね。人には知情意と感覚がありますけれども、感覚はしばらく省いておいて、心が納得するためには、情が承知しなければなりませんね。だから、その意味で、知とか意とかがどう主張したって、その主張に折れたって、情が同調しなかったら、人はほんとうにそうだとは思えませんね。そういう意味で私は情が中心だといったのです。そのことは、数学のような知性の最も端的なものについてだっていえることで、矛盾がないというのは、矛盾がないと感ずることですね。感情なのです。そしてその感情に満足をあたえるためには、知性がどんなにこの二つの仮定には矛盾がないと説いて聞かしたって無力なんです。(中略)矛盾がないということを説得するためには、感情が納得してくれなければだめなんで、知性が説得しても無力なんです。(中略)人というものはまったくわからぬ存在だと思いますが、ともかく知性や意志は、感情を説得する力がない。ところが、人間というものは感情が納得しなければ、ほんとうには納得しないという存在らしいのです》(「科学的知性の限界」39~40ページ)


数学の世界だけではないだろう。iPS細胞とやらについても、はたしてみんな「感情」が納得しているのか? 山中教授はとてもナイスガイなので彼の業績にケチをつける気は全然ないけれど、私は、それでいったいヒトをどうしようというの? とでもいえばいいだろうか、ある種の、釈然としない何か、腑に落ちない何かがつっかえて、素直にすごいすごいといえなかったりする。

画期的研究についてさえ、そういうケースはあるのだから、あほぼんどものやってるママゴト政治なんざ矛盾だらけであり、それを解消する知性なんざ彼らにはかけらもない。ましてや誰の「感情」も、極右あほぼんどものお遊びを受容したりするわけはないのである。ああ、もういい加減にしてくれよな。

それにしてもときめくでしょ、岡潔!

La pleine lune!2013/09/19 22:04:04


コンタクトレンズを止めてずいぶん経つ。でも、目が楽になったかというとそんなことはない。いや、老眼でコンタクトレンズが合わなくなったから眼鏡に換えただけで、目の疲労の軽減は目的ではなかった。それはわかっているけれど、このところとりあえず疲労が甚だしいのでそれで普段よりいっそう疲れ目を感じているのだろうけれど、とにかく目がしんどい。開けていられない。それ、眠たいだけちゃうのん?というなかれ。眠気はない。しかし目で何かをみているのが非常に辛いのである。
でも。


名月(の、ひと晩前。正確には)ならいくらでも見ていられる。

いや名月だけではない。三日月も、夕焼けも、入道雲も。昔から人一倍、空を見上げるのが好きだった。空は、誰に対しても等しく胸元を広げて開放する。そこに何を描こうと何を見出そうと何を貼りつけようと、どう切り取ろうと、どう汚そうと、咎めることなく包容する。空は、ほんとうはその向こうによろしくないものも美しくないものもたくさん隠しているのだけれど、そのそぶりがあまりに聡明で、そこから響く音はあまりに玲瓏で、だから空はまるで平和や安泰のシンボルのようにいわれる。たしかに、朝焼けや夕闇、宵と明けの明星、カシオペアやオリオン、白鳥座と、空にあるものをひとつひとつ思うだけで心が平穏になる。空に見えるもので私がいちばん好きなものは薄い薄い三日月と、風船のように真っ赤な太陽。幼子の頃に見た記憶をそのまま引きずっている。それを凌駕して美しいものを見る機会を持てないでいる。それにしても、ここ数日の満ちた月の華のある美しさといったら。千年前も二千年前も、月はかように輝いていたのであろうか。
月にうさぎがいるというのは日本人だけらしいが、うさぎがいたらこんなには輝かないであろう。およそ生物なんぞいないから、これほどまでに光ることができるのである。

今日はクライアント先で打ち合わせをしただけなのに、ひどく疲れて、帰社したらもう目を開いていられなかった。したがってとっとと退社した。積み残した魚は大きい。逃げてもいいぞ、さかな。

Au revoir, ma fille!2013/09/27 18:40:07

9月26日、娘がミュンヘンへ旅立ちました。

滑走路を滑走するルフトハンザ。わわわ~と胸をドキドキさせている娘の顔が可笑しいほど容易に想像できて、なんか笑えた。

離陸した、と思ったらあっというまに遠ざかり。遠いほうのポールのそばに浮いて見える小さな機体がそれです。行っちゃったー。

飛行機事故は自動車事故よりもずっと発生率が低いというけれど、いうけれどさ、これまでだって幾度も悲惨な事故はあったわけだし、あのルフトハンザがいきなり逆噴射して海上に墜落したり、大陸までたどり着いても着陸時に尻もちついたり、なんてさ、何も起こらないって断言なんて、できやしない。できやしねえぜ。

とまあ、心配し始めたらきりがないのだ。
お母さんってさ、ウチが留学してしまうの、どういう心境でいるわけ?
空港でそんな質問をしよった。前にもそんな話が出たな、そういえば。その時はクラスメートからこんなふうにわれたという話だった。「お前のオカン、何考えてんの? まだ17歳の娘ひとり外国へ行かすなんて、俺が親父やったら絶対に許さんとこや。すごい英断かもしれんけど、とんでもない間違いかもしれんやん」
なんやそれ、そんなこたあ、何十年か後にそいつが女子高生の親父になった時に考えさせろ、と笑い飛ばしたな、このときは。高3のくせに、親父臭いやつ!って。
でも改めて娘から尋ねられて、説明するほどたいそうな心境でいるわけではないことを自分でも再認識したので、それを素直に言った。つまり、目の届くところにいない時はいつだって心配なこと。歩いて5分の学校にいようと、チャリで30分の陸上競技場にいようと、電車で1時間の遊園地にいようと、地球の裏側にいようと。今のようにこうして目の前にいない時は、いつだって心配だ、だって身の危険は誰にも等しく訪れるし、手痛い目に遭うのは自分に過失があるばかりじゃない、禍いはにわか雨のように前触れなく降ってくる、帰ってくるはずなのに帰ってこなかったらどうしよう。そんな思いは君がひとり歩きをし始めてからずっと持っている。
留学はその延長線上にあるイベントに過ぎない。
けっきょくこれまでケータイ持たずにやってきたし、むしろ、遠くにいるからメールをまめにくれるようになるんじゃないの? 安否確認はこれまでより簡単かも、と思うよ。

1年間なんてあっという間に過ぎると思う。
あれもこれもやってみたかったのに、何もトライできないまま、私も帰国の日を迎えたことを思い出す。ま、娘の場合は今回学ぶ学校でメソッドの習得をするという目的があるので、来夏の一時帰国の後にも留学ストーリーは続く。習得後、もしカンパニーのオファーがあれば願ってもないことだし、渡欧したまま居つく可能性もある。
何もできなかった、と思ったら次の一年の間にトライすればいい。
私の語学留学は大人になってからの道楽だったけれど、娘は一瞬一瞬が勉強。願わくば変な男に溺れないように、地に足つけて、しっかり生き抜いてほしい。

子どもの頃の私との旅行、高校の研修旅行でのアメリカ行き、2月のベルリン遠征と、海外経験はあっても付添いなしのたった一人での旅は初めてだな。その意味で、9月26日は記念日だ。一人歩き第3コーナーを回りました、ってところだろうか。初めて伝い歩きの手を離して自分で歩けた日。送迎なしで登下校を始めた1年生の春。ひとりで電車を乗り継いで隣県でのレッスンを受講しに行った日。最終コーナーは必要な費用を全額自分で工面できるようになったら回らせてやろう(笑)。

★無事到着の一報が、留学を斡旋してくれたエージェンシーから届きました。なんとか異国での生活の第一歩を踏み出したようです。見守りください。★