Fils unique, fille unique2013/12/19 18:11:55

近所のスーパーマーケット。



『ひとり暮らし』
谷川俊太郎著
新潮文庫(2009年)


「華の40代」(笑)が残すところあと1か月を切ってしまった。早いもんだなー。40歳になった年のあるとき、小学生の娘と地域のお料理イベントに参加した。みんな母と子の参加で、子どもに料理のイロハを体験させるイベントのはずだったが、子はほとんど遊ぶばかりで、けっきょく母親たちが切って刻んで混ぜて煮て炊いて、と全部、わいわいいいながらつくっていた。そんな母親たちを、子ども同士に飽きた子どもらが取り囲んで、俺の母ちゃんこれー、うちのお母さんこのひとー、あたしのママはこれーと口々に母紹介&母自慢。
「ひろくんのお母さん何歳? 35?」
「ゆきちゃんのお母さん何歳? 33?」
「まーくんとこは? なっちとこは? 36? 37?」
「お母さん、お母さん、勝ったで! お母さんがいちばん年上やで」
「見て見て、ウチのお母さん、もう40歳やのにこんなに元気やで!」
……以上はすべてウチのさなぎのセリフである……。(子どもの呼び名は仮名)
私の記憶が正しければ、そこに参加していた子どもたちの9割がひとりっ子だった。小学校低学年のイベントだったので、子どもたちは7〜9歳。その時点でひとりっ子だったら、その後二人めが生まれている可能性はあまり高くないだろう。当時から今に続いておつきあいのある家庭は数えるほどしかないが、見事に子どもたちはみんなひとりっ子である。
ウチの子もひとりっ子、甥っ子もひとりっ子。保育園から一緒の幼馴染みもひとりっ子。ともに陸上に打ち込んだ同級生もひとりっ子。放課後、学童保育に連れだって通った少年たちふたりも、それぞれひとりっ子。
先述したように、32歳で娘を生んだ私は、当時は年かさのほうだった。周囲はやはり20代で第一子を生んでいるひとが圧倒的に多かった。今、30代後半で初産はちっとも珍しくない。やっと赤ちゃんを授かり予定日の近づいた若い友人は、39歳だ。私の髪をいつも切ってくれる美容師は、同じ高校の3〜4年後輩なんだが、40歳で授かった娘を玉のように愛でている。
非婚が進み、晩婚が当たり前になり、それでもし、しぜんに子宝に恵まれればめっけもんだ。たいしてほしいと思わない夫婦はそのままふたりの暮らしを楽しむだろうしなんとしてもほしいカップルは不妊治療にトライする。医療も進んだし、成功率は低くないし。でも、ひとりが精一杯だろう。私の周囲に不妊治療の末の妊娠は片手を超えるが、みんなひとりっ子だ。

私が子どもの頃は、ひとりっ子は稀有な存在だった。
といっても、きょうだいの数は2人か3人、それ以上の例はなかった。
私の父は4人兄弟(ひとり夭逝)、母は8人兄弟姉妹(2人が夭逝)。

今年、なんと初めて村上春樹の小説を読んだ。初めて読んだのは『国境の南、太陽の西』で、これは「ひとりっ子」が物語を通徹していた。その後すぐに、発売されたばかりの『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を、友人から譲り受けて読んだ。そのあと短編集『東京奇譚集』だったっけ?を読んだ。思うに、主人公の男は、名前をはじめ生い立ちなど設定は少しずつ変えてあるものの、全部、けっきょく同一人物だ。水泳が趣味とか、好んで聴く音楽や好きな料理が同じだ。……というようなことは今、どうでもいいのであった。話を戻すが、最初に読んだ『国境の南、太陽の西』では、主人公の精神がひとりっ子コンプレックスに満ちていて、奇異にさえ思える。述べたように、私の世代にもひとりっ子は珍しくて、たしかにひとりっ子にはなにがしかのレッテル貼りを周囲はしたものだ。しかし、村上春樹の主人公のように、クラスで自分が唯一のひとりっ子だった、みたいなことはなかった(と思う)。親戚にも町内にも学校にも、ちょこちょことひとりっ子はいた。少数派だけど、ひとりっ子はたしかに一定数いて、ある種のプロフィールを形成していた。たぶん、こうした私の幼少の頃からひとりっ子はだんだんとその数を増やし、やがて市民権を得て(あなたもひとりっ子なのね、私もよ)、今や多数派となった(え、君ってきょうだいいるの? へーえ)のである。

村上春樹の時代に奇異で希少種だったひとりっ子は、私の父の時代にはいったいどれほど貴重な存在だったであろうか。昭和の初め、女の仕事はただ子を産むことであったのだ。

谷川俊太郎は父と同い年だ。

感性にまかせて詩を書き、要請に応じて詩を書き、ままならぬもどかしさや表現の苦しみに、ひり出すように言葉と言葉の鎖をつないで詩を書く。詩人としての生を貫いたら、結婚も離婚も3回になった。彼はひとり息子として母親に溺愛された。おそらく、方法は違っても、同じ深さでひとり息子を溺愛している。息子の賢作さんとの数々のコラボレーションの洒脱さはよく知られるところだ。

タートルネックのセーターにジーンズ。よく写真で見る谷川俊太郎のいでたちだが、父と同い年とは思えない。同じ年に生まれたというのに彼我の違いはいったいなんなんだろう?
父はいつも兄と弟に挟まれ、喧嘩もし議論もし、飲み、食い、助け合い、つねにかかわり合って生きていた。よくも悪くも血縁に依存し縛られてその生涯を終えた父。荒野にひとり、凛とたたずむひとりの男、一度手をつなぐもすぐ離し、ひょうひょうと風下へ、吹かれるように歩むひとりの男、荒野にはいつしか花が咲き始めていて、彼は空を見、花を見、詩をしたためる。谷川俊太郎。こんなイメージ、逆さにしても裏返しても父にはならないというところが、私にとっては奇跡だ。奇跡のひと、谷川俊太郎。

谷川俊太郎の詩が好きだが、それほど彼の詩集を丹念に読んでいるわけではない。幼少から私はなぜか「詩」や「ポエム」が好きだった。書く(詩などと呼べる代物ではなかったにしろ)のも、読むのも好きだった。そんな私のアンテナにかかったひとりの詩人にすぎなかった谷川俊太郎が、けっきょく私の中ではいちばん存在感をもって、詩人として在る。
詩作というのは、想像するだけなんだけど、つねに表現の限界への挑戦を強いられているような、心にある画(え)を言葉に置換し、というより言葉で描きなおしながら、しかし言葉しか解さない人に心の画を伝えるという高難度技への挑戦であるように思われる。

しかし、谷川俊太郎は舗道を歩きながら、野に出て花の香りを嗅ぎながら、しゅるしゅるっと言葉を紡ぐ(たぶん)。

その谷川俊太郎のエッセイをまとめたのが本書だ。

やはり彼は詩人であって、文章書きではないな、というのが、読後感だ。
素直すぎるのである。
飾りがなさ過ぎ。
ストレートに、吐露され過ぎ。
熱すぎない彼の表現は淡々と筆が運ばれているようでいて、実はドクドク動く生の心臓を突き出されたような、なまなましいブリュットな文章。
覆いもなく箱もない、むき出しの状態の谷川俊太郎の心が並んでいる。
それなのに、オブラートに包まれたようにしか感じられないもどかしさを強いられる。
それが本書である。
ひとりっ子の彼は、どこまでもひとりである。ほかに比較しようがないから、彼はひとりっ子を楽しみ、謳歌している。干渉もなく依存もない暮らしを貫く、孤高のひと。

と、なんだか持ち上げ過ぎたような気がするんだけど、早い話が、あまり面白くない一冊であった。言葉を使って仕事をしているひとだけど、技巧にまかせて凝った文章づくりをしているわけではない。シンプルだ。そして、意図が伝わらないわけではない。むしろ、よくわかる。でも、やはり谷川俊太郎は詩を読むに限る。彼に限らず、詩はイマジネーションをあおる。しかし谷川俊太郎の文章は、イマジネーションをあおらない。
谷川俊太郎は詩を読むに限る。