C'est le printemps.2014/03/31 23:26:56

送別会で春らしい清楚な花をいただいた。
春はほぼ一日おきのペースで菜の花を食べているが、この花束の中にも菜の花がある。ブーケを受け取って、「お。うまそう」などと脳内で叫ぶのは私ぐらいのものであろう。

ついこの前までとても寒かったのに、あちこちで桜はもう満開だ。御苑の桜もほぼ咲きそろって、まるで今日花開くと以前から知っていたかのように観光客の大群が押し寄せている京都。春と秋は美しい季節で大好きだが、ここにもごく普通の日常生活を送っている住民が大勢いるのだよということをまるで意識しないで我が物顔で国定公園でも歩くような横柄な態度で闊歩する観光客。初めて訪れるらしき「ドシロウト」な観光客も勘弁して欲しいが、住民のように振る舞うのが通なのと言わんばかりに「クロウトブリッコ」のリピーターも許せん。このまちに税金を納めているのは私たちだ。このまちの美しさや見どころをアピールしてそのよさを正しくしってもらうためのキャンペーンを展開しているのも市や府であるからして、それは私たちの税金から予算を捻出しているのである。道路標識や観光マップや案内板の設置も、私たちの納めた税金で工事を行っている。京都市は人口はそこそこだが超高齢化で納税者は非常に少ないのだ。観光客招致ばかりにでもないにしても、そこに大きな予算が割かれているのは間違いなく、超少子化対策・超高齢化対策は後手後手に回ってそのスピードに追いつかないからいくら予算を確保しても足りない。街路樹も植え直されて、交通量の多い堀川通やビジネスマンと観光客が混在してごった返す烏丸通はとてもきれいになった。四条通は車線を減らして歩行者エリアを拡張するそうだ。しかし、四条通を通れない車はどこへ行くかというと裏通りの細い道に渋滞の列を連ねるだけなのだ。小さな商店や住宅が混在する裏通りはふつうの生活圏である。そこに常時車が連なるようになるという当たり前の展開を予想していないとしたら、施政者はアホである。京都のまちなかを歩いたかたはご存じだろうが細い道にいっぱいいろいろな色で線が引いてあって(笑)車、自転車、歩行者と分けてあるのだ。道いっぱいに広がってガイドブック片手にきゃんきゃんはしゃぎながら歩く大勢の観光客に、歩行者は道の端に寄って1列に並んで歩けと、お役人さん、言ってくださいよ。そんな道だから、わずかな傾斜でも転倒しそうになるマイ母などは危なくて歩けない。手押し車を押しながらヨロヨロ歩く母のすぐ右側すぐ左側を、かすめるように人が行き交う。ときにキャリーケースを軽くぶつけながら。大きく道にはみ出た看板や、無造作に停めたバイクや車があると、それを避けて大きく道路の真ん中ヘ出て歩く。ひと昔前なら、「じゃまやっちゅーねんクソババア」とドライバーの罵声が飛んだであろう(京都は運転マナーがすこぶる悪い。全国でワーストワンをどこかと競うと思う)。しかしこの超高齢化社会のおかげで、大きなクラクションさえ聞くことがない。ほんとに時代は変わったもんだな。皆、とても優しい。高齢者に優しい。高齢者は上皇あるいは皇太后だ。通行や座席を譲ってくれる現役世代の微笑みの裏側に、微かな諦念が透けて見える。ああもう。俺急いでるけど、もうええわ。はあ。あたし疲れてるけど、もうええわ。上皇や皇太后には勝てない。戦う前から降参しなくてはならない。

どうして仕事辞めるの。
いえ、別に……春ですから。
なるほどね。新しいことを始めるにはふさわしいよな。何するの?
いえ、とくに何も……同じ会社に10年もいたなんて新記録なんですけどね、キリがいいから。
何もしないわけじゃないでしょうに。
母の介護してるんです、もうずっと前から。
あ……。ああ、そうなんだ。そりゃ……たいへんだね。そりゃしょうがない。

上皇や皇太后の介護は何にも勝るのだ。

得意先を回って、キコキコとチャリを転がして、御苑や公園のように広い場所に並んで咲く桜、学校の塀の向こうから枝を覗かせる桜、神社の社のそばで枝を垂らす桜、間口の狭い町家の奥庭から満開の花さきを路地に覗かせる桜の数々を見て、いちいち立ち止まって写真を撮る人たちのだらしない笑顔を見て、多すぎる電柱と電線と交差する裏通りの桜を見て、どうしても美しいと言わざるを得ない風景の断片とすれ違いながら、しょうがないなあお前らあたしが面倒見てやるよ、的な気持ちになるのはいったいなぜなんだろう? このまちから逃げ出したくてしょうがなかった十代の頃と、今のあたしと、40年経ったという以外に何が違うというのだろう? 

たぶんそれは、今、春だからだ。
季節が巡るからだ。
全部投げ出して逃げてもよかったのに逃げずにここにいればまた春が来るということを、10歳から数えて40回経験した。それしかないのだけれど、それは意外とかなり大きいというわけなのだ。このまちで、その時間と季節の巡りを体感し続けている。私を上回ってそれを体感し続けている高齢者を尊ばないわけにはいかないし、断片的にしか訪れない観光客や通ぶってても数回リピートしている程度の旅行者なんぞをもてなす気も媚びる気も起きないのは、至極当然ってわけさ。

先月の、二条城の梅。


先週の、ウチのすみれ。
今週はもうこの倍くらい、花がついているよ。

疲れた。なんだかすごく。ものすごく、疲れた。
しばらく私を冷凍してどっかにほりこんでおいてくれないだろうか、ねえ、誰か。