Ce que je voulais faire2014/04/18 00:29:33

今年何を手に入れたいか、何を実行したいかを、いつかブログに書き出したと記憶している。
そのうちの、「母とミュンヘンに行く」はとうてい実現不可能のようである。彼女の状態はだんだん下降している。特別機をチャーターできる身分ならともかく、搭乗手続きやら出入国管理やら、ウチを出てから目的地へ着くまでのもろもろを頭の中に箇条書きにするまでもなく、無理だ、無理。歩行困難な母には平坦なフロアでもハードルが高く、手首の壊れた私には、母を載せた車椅子と自分の荷物の両方をコントロールするのは耐えられない。そんなわけでこれは脱落。


「魔法のようにしゅるるっと抜けるワインのコルク抜き」。いろいろなお店でいろいろなワインオープナーが売られているが、いったいどれが「魔法のようにしゅるるっと」コルクを抜いてくれるのか、全然わからないのでまだ入手できないでいる。

「ミシンを修理に出す」。出したところで「夢見るお裁縫三昧の日々」には到達できないとわかっているので、今年中に実行できるか甚だ疑問。


「退職」は実現してしまった(笑)。わーいわーい。毎日が日曜日♪
と、思いきや、あれもこれもあれもこれもで「会社辞めたらこれがしたい」と思っていたことがほとんど実現していないことに、ふと、呆然としているわたくし。

勤め先の業務内容の性格上、繁忙のピーク時は寝る間も食う間も休む間もない。私の場合、いくつか抱えていた定期刊行物の制作のピークにくると日付が変わらないと帰れなかったし、ここんとこずっと母をほうっておけないからやむなく仕事を持ち帰って家で明け方までに仕上げるとか、母を寝かしつけてから職場に戻るとか、そんなことが数日続く。でも、3、4年前までは、そんな日々がローテーションで巡ってくる生活でも、一日眠りこけたら疲れがとれた。仕事が閑散とする時期もローテで巡ってくるので、その間にほげーっとすることで、また巡ってくるキツい時期を乗り越えられた。しかし、3年くらい前から疲れがとれなくなり、不眠を引きずるようになり、突然起き上がれなくなるなど普段の生活に支障が出始め、そうした支障はいろいろに工夫して一時的にはやり過ごせても、また無理が生じる。


だから、退職してやりたかったことは、とてもたくさんある。
仕事にかまけて、ほんとうに何もできない日々を過ごした。長く過ごし過ぎた。


●毎朝門掃きしたい。水を打ちたい。
●毎日家の中のどこかを掃除をしたい。2か月や3か月に一度、狂ったように大掃除するのでなく、ふだんからこまめに掃除したい。
●毎日きちんと料理したい。決まった時間に食事をしたい。
●植木の世話をきちんとしたい。放置して凄まじい形になったものとか、雑草に負けてかれたものとか、私の可愛い鉢植えたちはなかなかにソヴァージュである。


●真面目に娘のことを考え、娘の将来を考え、行動したい。
●真面目に母に向き合い、エンドレスな介護について覚悟し、行動したい。


●もっと縫いものをしたい。
●もっと編みものをしたい。
●もっと映画を観たい。
●もっと舞台を観たい。
●もっと美術館やギャラリーヘ行き絵の鑑賞をしたい。

だけどいちばんしたかったことは何かというと、「読みたい本を読みたい」。
「読みたい」と思った本だけ読む生活は、ここ数年してこなかった。ただ、読みたくなかったはずの本が、読んでいくと面白く、結果的に満足していることも多々ある。読みたくなかった本というのは、当然ながらかつての勤務先で、仕事の都合上読まざるを得なかった資料の類いだ。こんなもんふんっとページを繰り始めながら、内容の濃いものだと仕事そっちのけで没頭してしまう。そんな本はたいてい短時間で読んでしまうが、何日も頭の中を占領することがある。すると、読みたいと思って枕元に置いてある本を、思うように読めないのだ。


疲れきっているうえに、アタマの中はほかの本でいっぱい。
ベッドに乗っかったら瞬時に寝てしまう私を、その顔のすぐそばに積まれた本たちはどう思って眺めていたであろうか。


勤めという縛りから解放された私はこれらの欲望をすぐに叶えられると思ったが、今、叶っているのは料理と食事くらいだろうか。

毎日誰かが訪ねてきて、毎日誰かに会いにいく。


何も起こらず空気も動かないような日々などに興味はないが、でもやっぱしもっと本を読みたいよ。
(出演:我が家の鉢植えたち)