O là là!!! C'est un beau jour, le mardi 1er juillet 2014!!!2014/07/02 13:54:56

わがままおぼっちゃまがそのまま大きくなって中年になったような甲高い声。暑苦しい、じつに風刺画にしやすい顔。その垂れ下がった目尻がソフトな印象を与えると、ええように形容されてた時代もあったやろけど、こやつがちょろちょろし始めたときからとにかく気持ち悪くて仕方がなかった、アベボケカスシンゾー。昨日はこやつにとってキラキラに輝いた記念すべき美しい日だったんだろうな。地元紙の一面はでかでかとこやつのアップだった。紙面4分の1くらい? でかすぎや。ああ気持ち悪い。こんなものをそんなにでかく扱うなよ、つーの。地元紙は一貫して今回のゴリ押し閣議決定とやらに反対の立場だが、こんなにこやつのキタナイ顔 アップで扱ったらけっきょくは称賛してるのと同じになってしまうのに、そういうのを指摘する人いないのか編集部には? 新聞の一面にでかでかと掲載された自分の顔、その報道の論調なんかどうでもいいもんねボク、といわんばかりににんまり嬉しそうに各紙をスクラップさせていてるアベボケカスシンゾーぼっちゃまの顔が容易に想像できてしまって我ながら毒されていることに愕然としてがっかりする。弱小政党だろうとなんだろうと、野党というものが存在し、しぶとく反対を唱えてもいるのだから、その野党政治家、議員たちの顔もしっかり掲載しないと説得力がないのだ。いまどき、ひとびとは写真しか見ないんだから、まったく。壊れる寸前のマイガラケーがほんとに壊れると困るのでクソアベボケカスシンゾーのアップ一面は撮影しないっ。




7月1日から祇園祭なんだぞ。吉符入りなんだぞ 。神聖な日を汚しおって。許さん。
マイヒーローたちのツイートを拾ってみた。


内田樹 @levinassien
昨日(引用者注:6月30日のこと)の官邸前デモは4万人が集まったそうですね。それをニュースで報道しないメディアが存在するということに愕然とします。「政権にとって不都合な出来事は『存在しないこと』として扱う」というメディアの態度が安倍政権の暴走を可能にしています。

おはようございます。2014年7月1日は日本が自滅への道へ大きく踏み出した歴史的な日付として記憶されることになるでしょう。これから集団的自衛権発動のための法整備が始まるはずですが、国会にどこまで抵抗ができるのか。ほとんど期待できないというのが率直なところです。

法整備で興味があるのは「宣戦布告」と「軍法」についての規定をどこに入れるかです。日本は憲法上交戦権を持っていないので宣戦布告についての法規定がありません。けれども、集団的自衛権の発動に際しては宣戦布告をして「中立国ではない」ことを宣言する必要があります。

宣戦布告を法律で決めることになると、世論のナーバスな反応が予測されるので、内閣は「宣戦布告は憲法65条に規定されている内閣の行政権の範囲内の行政行為であり、政令で定めることができるので、法整備を要さない」という言い訳をしてくることでしょう(必ず、そうします)。

日本には軍法がありませんが、戦地における軍人の犯罪を制約する法的規定を持たないまま海外派兵することはできません。でも、これも「軍法」を国会で審議すると国民がナーバスな反応をするので、「戦地においても日本の刑法を準用する仕組みをつくるので、軍法は特に定めない」ことになるでしょう。

法律を作らずに、行政府が「ありものの法律の使い回し」と「ありものの法律の解釈変更」と「政令」だけで政治を行う政体のことを「独裁」と言います。日本は定義上、現在「民主制から独裁制」に移行中です。

今日本で進行しているのは「行政府が、国会を単なる諮問機関にまで格下げして、立法行政を専管するシステム」の完成です。それがメディアが煽り、有権者が待望した「ねじれのない政治」「決められる政治」の実体です。

立法府をここまで無力化できたのは、各党ともに「議席数は欲しいが、個人として政治的見識のある人物は議員にしたくない」という執行部の要求に基づいて「家業として政治家」である人たちと「テレビに出ていて知名度はあるが、最近仕事が少ない人」を集中的にリクルートし続けてきた「成果」です。

結果的に有権者のほとんどは投票行動に意味を見出せなくなった。そして、投票率が低いことを最大の政権基盤とする政権が独裁的なふるまいを自分に許している。民主制の「末期症状」に僕たちは今立ち合っているわけです。「まっとうな議員」を選び直すところからやり直すしかありません。


想田和弘 @KazuhiroSoda
振り返れば、キャッチフレーズの効果の凄まじさに驚嘆させられる。一時期やたらと耳にした「ねじれ国会」だの「決められる政治」だのを考えたのは誰だったのだろう。あれに乗せられて大量の議席を自民・公明に与えた結果、なんでもかんでも強引に「決められる政治」が本当に実現してしまった。

そうか、「決められる政治」の「られる」は「可能」の意味だと勝手に思っていたけど、あれは実は「受け身」だったのか。なんでもかんでも勝手に安倍氏と与党によって「決められる政治」。


町山智浩 @TomoMachi
現実に集団的自衛権が適用される可能性が高いのは北朝鮮が韓国を攻撃した時にアメリカと一緒に韓国を助ける場合でしょう。RT @whistleman: 報ステで集団的自衛権に賛成と言ってる人の理由が「中韓に攻められたら怖いから」ばっかり

アメリカにとって中国は最大の経済パートナーだからですよ(日本と同じくらい米国債も持ってるし)。韓国は日米の同盟国だし、集団的自衛権はその賛成派が考えているような中韓への対抗手段にはまったくならないですよ。 RT @ken6375: 何で米軍が中国軍と合同演習する?

中韓と戦うのはアメリカの意志に反してるので、中韓と戦いたいなら日米同盟を辞めるしかないですね。 RT @akitera0812: @TomoMachi @ken6375 ではどうすれば中韓の対抗手段になるのでしょう? 外交ですか? 民間レベルの活動ですか?

普通にそうでしょうね。 RT @fukuoka_t: @TomoMachi @ken6375 アメリカは、中東での尻拭いを他国に肩代わりさせたいだけでは? 

非同盟中立平和国家という選択もありますよ。@sao954

日本では立法それ自体の違憲性を争う抽象的審査は行われてないですね。今回の憲法解釈でもそれに付随する具体的な争いから違憲審査を争うという戦法が必要になるわけですね。@pastabarpiano



兵頭正俊 @hyodo_masatoshi 
山口那津男が歯止めをかけた、などうそぶいている。歯止めなど日本側にはない。世界一好戦国の米国が戦争に入れば、自動的に日本も参戦し、戦略・戦術はすべて米国任せになる。今がそうなのだから、実際の戦争で日本の意見など通る筈がない。戦死者数もおそらく隠すだろう。

山口那津男の仏心など、意外と軽いことがわかった。大臣のポストの方が、人命より重いのだ。戦後70年の平和を、たったひとつの大臣ポストのために捨てたのである。今は連立から去って、安倍を降ろし、また(そんなにポストが欲しければ)違う首相のもとで連立を組めばよかったのである。

集団的自衛権。こういうときはトップの人物に左右される。自民党も公明党も、もっと立派なトップだったら、結果は違っていた。安倍晋三も山口那津男も、あまりにも軽すぎる。思想家ではないから、言葉に責任をもたない。自分を歴史のなかにおいて見ることができない。必ず死者たちに裁かれるだろう。

公明党の山口那津男が、歯止めをかけた、と。自分に歯止めをかけられない男が、米国に歯止めなどかけられる筈がない。戦争は米国の要請で始まり、戦場では米軍が戦略と戦術を練る。自衛隊は傭兵として従うだけだ。日本政府など、ただのお飾りで、戦況の説明も形だけのものになるだろう。

集団的自衛権で、自衛隊は、「自衛」から「他(米国)衛」の傭兵になる。これから日本は、「専守防衛」から「米国防衛の戦争参加」へ向かうことになる。大切なことは、「新3要件」は解釈し直され、大きく育つということだ。歯止め、など、国民だましのペテンである。

安倍晋三の記者会見。権力と「記者クラブ」メディアとの退廃した関係を象徴する記者会見だった。質問の2番手は拉致問題で安倍にヨイショ。すべての質問に、安倍は机上の原稿を読みながら答える。まったくの出来レース。迫力のない、ジャーナリズムのない、ヨイショ質問ばかりだった。

安倍晋三の記者会見。迫力のない、およそジャーナリズムのない、ヨイショの記者質問ばかり。質問の度に、安倍は下の原稿を見て答える。完全な権力と「記者クラブ」メディアの出来レース。全体に相手の米国のことが忘れられている。米国が何をいうか。それをすべて捨象した、自己陶酔の会見だった。

官邸前。「戦争反対!」、「安倍は辞めろ!」、「ファシスト失せろ!」。安倍は人前では嘘をつく。自信がないのだ。本物の政治家は、本当のことをいい、批判には、本当のことをいって反論するものだ。安倍の世界は、その場しのぎの嘘で塗り固められている。それに電通(メディア)が協力している。

官邸前。「安倍を倒せ!」、「憲法守れ!」、「ファシズム許すな!」。安倍は記者会見で、「平和国家の歩みは変わらない」といった。これは、あなたが好きだといって、他の女性のために捨てる準備をしている男を思わせる。正面から改憲を切り出せない卑劣さが、記者会見の様々な嘘に露出していた。

官邸前。原発や特定秘密保護法反対と違って、若い人の参加が多い。集団的自衛権の正体は、「米国防衛の参戦」だから、若い人の危機感は当然。日本の若者ほど可哀想な若者たちはいない。格差社会に投げ込まれたうえに、原発収束の天文学的な費用を押し付けられ、ついに命を差し出せといわれている。

官邸前。「安倍は辞めろ!」、「安倍を倒せ!」、「憲法壊すな!」。戦争には相手がある。集団的自衛権にも相手(米国)がいる。この認識が安倍にはない。屁理屈と嘘にうっとりしている。異常な性格だ。実質的には日本参戦は米国の要請で始まる。日本のトップはポチになって参戦を決めるだけのことだ。

官邸前。「安倍は辞めろ!」、「さっさと辞めろ!」、「独裁辞めろ!」。シュプレヒコールも若い人たちの声が多い。原発と戦争の是非は、首相が無能と無責任でさえなかったら、この若者たちの前に安倍が土下座しなければならないのだが。安倍が土下座するのは、オバマの前だけだからね。

官邸前。「公明党、恥を知れ!」の声とプラカード。仏教の本義は人を殺せと見つけたり。仏教の政党が、戦争政策を練り、戦場に若者を送る。たったひとつの大臣ポスト欲しさに。米国は、常に、必ず、絶対に、正しいのか。米国の参戦要請を断る政治力など日本にあるのか。自分をだますのも、これまでだ。

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試されているのだな、私たちは。
今朝の同じ新聞に、ニコラ・サルコジ拘束される、の記事があった。フランス国民は、この恥ずべきお猿をてっぺんに戴いていた屈辱の日々を 耐えて耐えて耐え続けて、お猿が2期めを狙った大統領選でNONを突きつけた。友人たちによればオランド政権になって「よくなったことなどひとつもない」らしいが、それでもお猿に比べれば「100倍マシ」だそうだ(私の友人には左派しかいないけどね)。100倍マシになっても社会は弱者に厳しいまま。どの国も、容易ではない道を歩んでいる。だから、私たちも、けっしてひるむな歩み続けよ、と背中を押されているのだ。
そして歩み続けられるかどうか試されて いるのだ。

なにもわかっていない娘があるとき、書いてきた。「お母さんも、ドイツにおいで。ここ、なんだか安心できるよ」
苦笑。
けれども「日本のほうが安心できるよ、安全だし、食べ物美味しいし。いつでも帰っておいで」と、どんと胸を叩いていえやしないじゃないか。