新しい年を、平穏に迎えた。
朝、町内会の互礼会に出席。昨日までと同じいつもの顔ぶれだけど、年が新たになったというだけで、なんだか、清々しい。兄ちゃんもおっさんもジジイも清々しい。
朝のうちはきれいに晴れていた空が、天気予報どおり昼過ぎからにわかに雪雲に覆われて、お、雪がちらついてきたな、と思うやいなや雪はどんどん落ちてきて、あっという間に道を、屋根を、街路樹を白く染めていく。
年賀状を出していなかった人から届いていたので、その返事を数枚書き、投函するために外へ出た。気温が低く、落ちてくる雪が解けずに残っていく。家からほんの数歩歩いたところで、カメラを取りに引き返した。
雪は器用に積もる。小さな場所、細いところ、積もった雪がまた雪を呼ぶ。
刷毛に水っぽい白い絵具をふくませさっと風景をなぞっただけのように、あるいは粉糖を茶こしでまだらに振った焼き菓子のように、はじめは雪景色も、ま、そんなもんでしょ程度の印象だったのだが。
その1時間後には10センチの積雪。
降り続ける雪。久しぶりに現在進行形の降雪を見ている。
スーラの絵みたいだ。
電線もゲージュツ。
我が家の物干の風景。なんだか雪国。
雪は、ほんとうに白い。そして白はこの世のあらゆる色に比して最も美しい。白さは、赤みや黄みをひざまずかせる。スカイブルーや若草色も退場させる。どんな色も太刀打ちできない。白はピュアでイノセントの象徴だ。あまりに崇高だから、白がほんのわずかでも他の色を帯びたとたん、値打ちが下がるどころか最安値底打ちである。
白い肌、なんて全然白くない。白衣、なんて天使でも何でもない。精白や漂白したものは元が白ではなかったと白状しているようなもんなのでバツである。
この世の白と言われるものは、たいていなにがしかほかの色を帯びている。ゆえに薄汚い。ゆえにサマにならない。白紙、とか。白人、とか。白票、とか。
だからといって雪の純粋さをめざすなんて愚の骨頂だ。人間に生まれたというだけで赤子ですらすでに薄汚れている。雪はすでに天上のもので我々とは無縁だ。我々は薄汚れた鉱石を磨いたりして宝石と崇めて輝いていると勘違いして飾り立てて薄汚さをごまかすくらいしか能がない。能がないけれども、そこに創造の工夫をこらしてきたことも事実だ。汚さを隠したりごまかしたり、あるいはむき出しにして欺いたりといったことに、人間は生まれながらに長けている。我々はこの能力にすがって生き延びてきたのだ。気取らず地に足つけて、汚れちまった者らしく、したたかに生きていくべし。
たいして更新していないブログで言っても説得力がないが、一年の最後のエントリが雪で、続く一年の最初のエントリも雪だということに、いつになく運命的なものを感じておるのである。
またもう一年、おつきあいくださいませ。
本年もよろしくお願い致します。
薄汚れたオヤジとしては、少しは綺麗になりたいと思うこともない事もありません(笑)