Oui, c'est chouette, finalement.2012/02/29 22:51:48



『最終講義―生き延びるための六講』
内田 樹著
技術評論社 生きる技術!叢書(2011年)


本書が出版されたばかりの頃、私はとてもじゃないがそんな心の余裕がなかった。いや、本当のことをいえば、内田樹の講演録は、対談本よりはましだと思っているが、あまり好きではない。彼は話し上手でもあると思うけれど、いつかも書いたが話をしているウチダを「読む」よりは「聴く」ほうがずっと健康にいいと思っている。健康にいいというのはこの場合変な形容かもしれないが、講演の内容が政治であれ教育であれ、彼のお喋りにはオバサン的シンパシイを感じるからに尽きるのである。私はよく学術会議や外交がテーマのシンポの取材の機会があるのだが、お喋りの上手な人は、何をもってお喋りが上手といえるのかというと、(借りてきた言葉やよその学者の引用でなく)その人自身の言葉を使い、相手も語感と意味を共有してくれるに違いない言葉――それはかなりシビアなセレクションだと想像する――を選択しつつ、そのことじたいはなんでもないことのように、井戸端での噂話をするかのように、澱みなく流麗に、(そしてこれが重要である)美しい発声で、話をする。そんな人の話を聴いて、素人聴衆は「いやあ、この人の講演は聴き応えがあるなあ」とか「ものすごわかりやすかったわあ」といった感想をもてるのである。で、たぶん、ご本人はさほど特別な努力をせずにそのイカスお喋りテクを身につけている。素晴しい論文や著作本に代表される高い業績を残す学者が、必ずしも講演(とくに一般向け)が上手でないのはよくある話だが、その方は一生上手にはなれないと思う。努力しても詮ないと思う。そっちは彼の行く道ではない。彼はひたすら研究し書けばよいのである。
話を愛するウチダに戻すと、私は彼の「書いたもの」が極端に好きである。陶酔するほどに好きである。彼は間違いなく読者に向かって「書いて」いる。その本の中で彼が論ずるテーマへの、尽きることのない愛情がほとばしって見える、それが彼の著書である。ウチダの著書には、私はいつだって心を揺さぶられるし、覚醒させられる。気分がいいとき、共鳴するときばかりではない。しかしそれすら快感である。
しかし、彼の語りをそのまま文字に置き換えた対談本や講演録はその限りではない。本になる前に内田樹自身が校正しているし、大幅加筆もしているので純然たる記録でないのは明白だけれど、文章の持つそのライヴ感が、その本の読者でなく実は共著者である対談相手、あるいは当時の聴衆に向けられていることがわかってしまっているので、興ざめである。いくら書籍という体裁のために整えられても、やはり「喋った当時の臨場感」を誌面に残そうと努力するのが、対談や講演の企画者、出版社の編集者、そして著者自身の意向であるのは普通のことである。
でも、そのことは、私にとっては書物としての魅力を半減させてしまう要素なのである。

去年の5月か6月に書店に並んだらしきこの赤い派手な本を、私は一瞥した覚えはあるのだが、いかんせん、その頃、読む本ときたら地震と津波と原発と、放射能汚染と医療と食品の関連本ばかりであり、ときどきガス抜きに子ども向けの小説を読んで頭を休めるということを繰り返していたので、いちばん好みのジャンルであるエッセイ系、批評系の書物に全然目がいかなかったのである。

ふと思い出して図書館で検索すれば、お決まりの貸し出し予約殺到状態で、相変わらず人気はあるが、予約してまで借りようとも思わなかったのはこれがやはり講演録だからである。
でも、けっきょく私はこの本を読んだ。ある晩帰宅すると、食卓の上にばさりと、娘が高校から持ち帰った文書類が無造作に置かれていた。その中に高校の図書館便りがあり、新規購入図書紹介欄に本書の題名があった。さっそくさなぎに「この内田さんの本借りてきて」と頼んだ。研修旅行委員だからいろいろな調べもののためにしょっちゅう図書館に行くくせに、ヤツときたら「ア、すっかり忘れてた」「今日はちゃんとメモ持って行ったのに自分の借りる本見つけたら忘れた」「誰の何ていうどんな本やったっけ?」とのたまうこと数か月(笑)。ようやくつい最近、私のために『最終講義』を借りてきてくれた。

読んで思ったのだが、あ、なるほどこれは高校の図書室にあってしかるべき本である、ということだった。ウチダの喋りはわかりやすい、というのはさんざんゆってるが、確かに彼は好んで高校生に向けて講演をよく行っている。収録されている講演録は高校生向けのものはないけれども、彼のお喋りは、高校生くらいが読むのにちょうどいい重要語彙出現頻度で進むのである。実際に、収録されている講演を、娘の高校の生徒たちが聴講したら、たぶん全員舟を漕ぐ(笑)。言葉は発せられて瞬時に消える。ウチダの口から発せられる言葉をあらかじめ推測し発せられた瞬間それを捉えて咀嚼し音が消えた後にもその言葉の余韻を噛み締めながら続いて発せられ続ける言葉の洪水とつないでいく――そんな、「聴きかた」をもたないと、ウチダであろうと誰であろうと、澱みなく続く他人のお喋りにうつらうつらしてしまうのはいたしかたがない。ティーンエイジャーの仕事の半分は寝ることだからな。
しかし、それが文章になると、言葉は消えずに眼下に留まり続けてくれるので、反芻しながら読むことができる。内田の話は、講演録のかたちでなら、ウチの子でも読めるわと母は思ったのである。神戸女学院大学の学生たちにこれが最後の講義ですといいながら、ウチダは、実は日本全国の小中高生に語りかけていた。彼がこれまでの著作で、ブログで、ほいでたぶんツイッターで、さんざん繰り返し述べていたことをもう一度語ったに過ぎないのかもしれないが、彼は、教員としての最後の一年間に行った講演のほぼすべてを、日本の未来を担う子どもたちに向けて発信したのである。聴衆は、神戸女学院大学の学生に留まらず、その同窓会や保護者会、他大学の学生と教職員など、ええ歳した大人ばかりである。彼らをそれなりに楽しませながら、ウチダはこれ以上ないというほどの強い思いを込めて子どもたちに向けてメッセージを発していた。
バレエの発表会が無事終わったら、娘に薦めようかと思っている。300ページを全部読めとは言わん。彼女のツボにはまりそうなトピックスが部分的にあるので、ここと、ここと、ここ読んでみ、というふうに。それらは、子どもたちが考えるきっかけ、問題の所在に気づくきっかけになるような仕掛けのある場所だ。そこに引っ掛かれば次の思考へと階段をひとつ昇れる。
本書は、ウォールクライミングの、ほら、壁に埋め込まれたカラフルな石の断片、ああいうものが各ページにちりばめられているといっていい。どの石に足を引っ掛けて登るのかは読み手に任されているが、気まぐれに、あるいは突拍子もないしかたで、思わぬところに引っ掛けて進む、そんな読みかたを、ウチダは子どもたちに期待しているのではないか。とそんなふうに思ったのである。




ほったらかしのブログに毎日たくさんのアクセス、ありがとうございます。
ようやく、仕事の出口が見えてきました。これからほんのしばし、少しは眠れる夜が続くと思います。明日、あさってが踏ん張りどころ。

気がつけば2月も終わり。今年はうるう年なんですね。この、2月のプラス1日が、世の中の仕事ニンゲンたちをどれほど救い、あるいはどれほど苦しめているか(笑)、これ考えた人は想像したんかい、おい、こら。
せっかくの2月29日なので、なんか書いとこうと思いました。

Je t'aime toujours, je te souhaite des jours prochains merveilleux...2011/12/27 22:24:19



『呪いの時代』
内田樹著
新潮社(2011年)


恋も仕事もうまくいかない。恋と仕事はまったくの別物だが、いくつものハードルを越えなきゃならないとか、ある部分、ある局面では妥協しなければ前へ進まないとか、けっこう共通点がある。自分の場合、対象をすべてどんな場合でもどんなシーンでも上から見下ろしているという点で、さらに共通している。このクセをなんとかしないといけないのだろうが、残念ながら世界で自分がいちばんエライと思ってしまっているこの人格はもはや変えようがない。私はあなたよりよくできた人間なのよ、誰ひとり私を跪かせることはできないし、私はその知性において他を凌駕しているの、だから愚かなあなたに腹も立たない代わりにあなたは私に従うしか道はないのよ。そんなこと、クライアントにも上司にも、男にも女にも、けっして、口が裂けても言わないが、持って生まれた私の本能はつねに内なる私の声で、対象たるすべての人々に向かってそう言っている。困ったものだが、私はその内なる声に抗ったりしないで、「そうよね。にっこり」てな調子で自己肯定しているものだから、幸い分裂症にもならないし自己嫌悪にも陥らない。
私が自己嫌悪に陥るのはひどく疲れた顔で男と逢っていたことが後から判明したりするときだ。あんなに作り笑顔してたつもりなのに疲れてたってばれてたなんてという敗北感と弱みを見せてしまったことで次回以降に向けて相手にアドヴァンテージを与えたことがわけもなく悔しいのである。こういうケースがままあるところが、恋と仕事との大きな違いと言えなくもないな。
弱みを見せてもいいと思える相手をやっとの思いでつかまえて、大事に大事に私への気持ちを育ててやって、ようやく自分たちの未来を考え始めたとたん、しゅっと消えてしまう。そんな恋の失いかたを、何度経れば学ぶのだろうこの私は、この「上から目線」で墓穴を掘っているに違いないということを。いや、私はとっくに学習している、「よしよしあんた可愛いわね一緒に居てあげてもいいわよ」という態度を貫く限り恋は成就しないことを。でも、やめられないんだもん、しょうがないじゃん。あなたのためなら何でもするわなんて、約束できないこと言えやしないじゃん。
私は遊びで幾人もの殿方を同時に相手にしたりはできない性質(たち)である。そんなに器用ではないのである。真面目におひとりを愛し抜くのである。だから愛情は一直線にそのかたに向かうのである。向かうけれど、向かう愛情はそのかたの身の回りの世話をするとか手料理や愛情弁当とか洗濯物を畳むとか物理的な形をともなってはけっして現れないし(だってあたし忙しいもん)、愛してるだのあなたがいちばんだのあなたのことで胸がいっぱいだの歯の浮く台詞に変身したりもしない(だってあたしはライターだけどスピーカーじゃないもん)。だけどあたしの愛情は殿方よりも一段高いところから殿方を俯瞰して愛情のシャワーを注ぐごとくのものであるから、殿方は私の愛情を全身に浴びておられるはずなのだ。はずなのだが、どうもそれではイカンようである。霧雨程度にしか感じてもらえんのだろうか。うーむ。
そんなこんなで利害をともなわない恋はひょんなことから破れたり崩れたりしてちゃんちゃん、と終わる。ここも仕事とは大きく異なるところで、利害がともなうと人間、簡単にチャラにはせず投資した分取り返そうと躍起になって働き続けるのであるが、恋はちゃっちゃと跡形もなくなる。
私はたぶん、惚れた相手を過剰に愛するので、ある時期からその容量を測れなくなってしまう。過剰な愛に対して等価といえる愛が返ってきていなくても気づかなかったりするのだ。恋が終わっても、私は相手を恨んだり罵ったりしたことがない。それに近い思いを抱いたこともない。いっそ憎めればよいのだろうが、惚れた男たちはみないつまでたっても美しく私の中で輝いている。負け惜しみや冗談でなく、私は彼らが幸せであってほしい、私が今幸せであるようにあなたも幸福に包まれていますようにと思うのである。べつにそんなことを初詣に祈願したりはしない(自分と娘のことしか祈願はしない)けれど、ご本人とそのお身内の無病息災、なにより自身が納得して生きて、その生を全うしてほしいと思うのである。
自分の意に沿わぬ行動をとる人を、それでも好ましく思い続けることは、ある人々やある年代には難しいことなのかもしれない。好意なんてもてないから無視する、無関心を装う。人目につくところではそれで済ませても、時に感情が高ぶってそれで済まなくなり、罵詈雑言を叩きつける。その格好の場がネットなのだろう。
どうでもいいことを長々と書いたが、50年近く生きてやっと隣人と地域とともに在らねばならないとの思いに到達した私は、好き勝手なことをうだうだ書き散らしてはいても、その言葉のもつ針や棘やヘドロ臭の醜さを超越して「人間」を愛している、そのことに気づいたのである。若い頃、人間ほど嫌いな動物はないと断言できた私だが、今は昔だ。
私がいつまでも内田樹を愛し続けることができるのは彼の発するさまざまな思考が、表現や言い回し、論調が変わっても、ぴたりと私のそれと波長を一致して響いてくることに、快感を得るからに他ならない。彼はいつまでも私の二、三歩先をゆく「ちょっと物知りのオバサン」である。押しつけがましくない分、つい、追随したくなる魅力をその腰つきからふりまく熟年のオバサン。そう、ウチダは私にとってどんなオバサンであるべきかを身をもって示してくれる先輩オバサンである。その思いを強くしたのは彼の講演をちょろっと聴いた経験からである。彼の著作だけを愛していたときは、いくら彼がオバハン臭い書きかたをしていてもオトコ臭かったが、彼の講演やラジオトークを聴いてからは、そのお喋りがとても女性的で井戸端臭いことがわかって、ツボにはまってしまった、というか、私のウチダ偏愛史の新たなページを開いたというか。
それをあらためて裏づけるのが本書だ。
祝福したい。あなたのこともあなたのこともあなたのことも。
地球史上最低最悪じゃないのこの男、てな男に対しても、人類史上最低最悪の社会人じゃないのこの女、てな取引先の担当者に対しても、彼らの生に幸あれと願わずにいられない。
みみずだっておけらだってあめんぼだってみんなみんな生きているんだ友達なんだ。
ウチダ自身がブログかなんかで紹介していた、茂木氏の書評をコピペする。茂木健一郎は嫌いだが、この文章はいい。こういう出来事に遇うと、えらいぞモギ、と祝福を送りたくなる。一生愛し愛され抜ける人に会うことはなかなかないのかもしれないが、人を愛することそのものはさほど難しくないと思うのである。
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波 2011年12月号より
呪いと祝福
茂木健一郎
 内田樹さんを評するのに、御自身がよく使われる言葉以上に的確な表現が見つからない。「その人が、何を教えてくれるのか判然とはしないけれども、なぜか慕われる人」。私たちにとっての「先生」とは、そんな存在だと内田さんは繰り返し書かれる。私にとって、内田樹さんとは、まさにそんな「先生」である。
 内田さんの魅力は、総合的な人格に由来する。これまで生きてこられた履歴、考えてこられたこと、感じてこられたこと、すべてが相まって、「内田樹」という書き手から、私たちに向かって流れ出してくるものがある。
 新著『呪いの時代』を興味深く読んだ。『日本辺境論』でもそうだったが、日本人の心性を腑分けする時の内田樹さんの手腕は、水際立っている。それは、技術的な例えを使えば「工数」の多い、緻密な論理構成に基づくもの。言葉の精密機械が、熱情という潤滑油によってなめらかに動いている。
 インターネット上にあふれている「呪いの言葉」。議論を先に進めようとするのではなく、むしろ相手の営為を無効化し、力を奪い、自分の優位を確認するためだけに吐かれる言葉。それは、確かに困った現象であると同時に、私たち日本人の今の「等身大」を映し出す、一つの「自画像」である。突出しようとする人がいると、平均値に引き戻そうとする同化圧力。共同体全体として発展するというよりは、むしろ「滞留」する中での「ポジション取り」に終始する。そのような空気が日本の社会にあることを、私も、自らの経験に照らして、ありありと思い出すことができる。
 「呪いの言葉」を吐く人たちは、自分たちで身体を張る必要がない。リスクを負って、発言することもない。後出しジャンケンで、「お前はこんなことを知らない」という指摘をすることは簡単である。そのような知的な負荷の低いふるまいが「賢い」のだと、日本の一部の人たちは思っている。
 どんな国、文化圏にも、固有の病理がある。日本だけが例外だとは、私は思わない。たとえば、イギリスでは、階級社会が未だにあって、人々を縛っている。アメリカ人の一部が銃器規制にあれほど慎重なのも、「自由」についての「信仰」の病理である。お隣の国中国が、「民主主義」とは異なる方向に発展しているのは、周知の通り。
 日本だけがとりわけ病的だとは思わない。それでも、日本の精神病理には、関心を払わざるを得ない。なにしろ、自分たちの国である。そして、その中で暮らすことが一体どのような体験であるかということを、私たちは熟知している。
 「呪い」が人から力を奪い、行為に投企することを妨げるとしたら、「祝福」はむしろ行為へと背中を押し出す。誰だって、失敗しようと思って何かをするわけではない。かといって、成功を保証しようとしたら、一歩さえ踏み出せない。
 幼き子が、初めて小学校に向かう日。就職が決まり、田舎を出て上京する前の晩。結婚式で、若い二人の幸せを祈るひととき。そのような時に人々が「祝福」の言葉を贈るのは、未来がまさに不確実であり、どうなるかわからず、ましてや成功など保証されていないからである。
 自らの身体をもって、何か具体的なことをやること。私たちは、今ネット上にあふれている「呪い」の言葉ではなくて、「祝福」の言葉をこそ必要としているのではないか。
 ネット上の「呪い」の言葉が、内田さんの言うように低い負荷で自分の「優位」を確保する試みだとしたら、これほど生命から遠いことはない。私たちは、そろそろ「呪い」から離れて、「祝福」の方に歩み出したらどうか。誰だって、一度きりの人生を、たっぷりと生きてみたいのだ。(もぎ・けんいちろう 脳科学者)
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年々イベントがしょぼくなる(笑)我が家のクリスマスだが、娘とチャレンジするクリスマスケーキづくりは欠かさない。今年はガトーショコラ。かなりの工程を娘が担ってくれるようになった。ただし、デコレーションは出来合いのもんだけどね。めっさうまかったでえ~~♪

で、お次は、長らく報告できていない「ある日のお弁当」。ところで我が家では12月29日までお弁当づくりが続く。なんなのよ、どういうことよ、そんな学校だったとわかってたら入学させなかったのにっ。わが母校ながらその変容ぶりに呆れる。ヤンキーの巣窟だったのにさ、ほんとにおベンキョ小僧学校になっちゃって、まあ。しゃあないから頑張れ、娘。
10月20日とりそぼろときんぴらゴボウ



毎年、12月早々にブログは年末年始休暇宣言をしていたが、この更新の停滞ぶり、何が休暇宣言じゃと我ながら思うので、ギリまで仕事の収拾がつかないのをいいことに、2011年最後の更新をいたしました。幸せのうちに今年が終わり、平和で穏やかなる来る歳を迎えられますように、心からお祈りいたします。寒いから体には気をつけてね。そしてまた笑顔でお目にかかりましょう。みんな、愛してるよ。

C'est quoi ça, ce chiffre "15"?2011/06/12 23:55:08

関電が、今夏は皆さん15%節電してね、そこんとこよろしくっなんてゆってることは皆さんよくご存じかと思う。

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関西電力:原発撤退などを株主が提案へ 29日の総会で

 関西電力が29日に大阪市内で開催予定の定時株主総会に、株主124人が原子力発電からの撤退を求める議案を提出した。別の株主36人も建設から30年以上たつ高経年化炉の廃炉を念頭に自然エネルギーへの転換を求める議案を提出した。関電が株主招集通知で明らかにした。関電の取締役会は反対を表明している。
 原発撤退の株主提案は、東京電力福島第1原発事故で放射性物質が放出されたことを受け、「放射能の処理ができない原発はやめる」よう、定款の変更を求めた。撤退まで役員報酬を支給しないことやプルサーマル計画の凍結など計7議案を提案している。取締役会は「今後も、原子力を中心とした最適な電源構成を構築し、持続可能な低炭素社会の実現を目指す」として、反対している。
 一方、自然エネルギーへの転換を求める株主提案は、「原子力発電から自然エネルギー発電への転換を宣言する」よう定款変更を求含む10議案を提案。これについても、取締役会は反対している。【横山三加子】
毎日新聞 2011年6月12日 2時30分
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まだそんなんゆーてんのぉ?という気になったのがここ。
「今後も、原子力を中心とした最適な電源構成を構築し、持続可能な低炭素社会の実現を目指す」
何ですか、その「原子力中心」てのは。
こんなに国土が放射能まみれになってんのに。

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2011.06.12
personal power plant のご提案

関西電力は10日、大企業から一般家庭まで一律に昨夏ピーク比15%の節電を求めた。
どうして、一律15%削減なのか。関電がその根拠を明示しないことに関西の自治体首長たちはいずれもつよい不快を示している。
関電の八木誠社長は会見で、節電要請は原発停止による電力の供給不足であることを強調した。
しかし、どうして首都圏と同じ15%で、時間帯も午前9時から午後8時までと長いのか。
会見では記者からの質問が相次いだが、関電から納得のいく説明はなかった。
関電は経産省からの指示で、今夏を「猛暑」と予測し、電力需要を高めに設定している。
だが、同じ西日本でも中国電力などは「猛暑」を想定していない。
また、震災で関西へ生産拠点が移転することによる電力需要増や、逆に、震災で販路を失った関西企業の生産が減少する場合の電力需要減などの増減予測については、これを示していない。
15%の積算根拠としては、猛暑時の電力不足分6・4%に「予備力」として5%、さらに3.6%の「余裕」を見込んで設定したそうである。
平年並みであれば、いずれも不要の数字である(そもそも「予備力」と「余裕」の違いが私にはわからないが)。
東電の「計画停電」と同じで、原発を止めると「こんなこと」になりますよ、と国民を脅かしつけて、原発の早期再稼働を求める世論形成をしようという経産省と財界のつよい意向を体したものだと考えるべきだろう。

「節電」というのは根本的な矛盾を含んだ要請である。
というのは、電力会社は営利企業であり、電気は彼らの売る「商品」だからである。
「節電」とは要するに「うちの商品をあまり買わないでください」と企業が懇願しているということである。
ふつうそういうことは起こらない。
そういうことを言われたら、「あ、そう」と言って、ほかの店に行って代替商品を買うに決まっているからである。
電気の場合は独占企業なので、それがむずかしい。
でも、できないわけではない。
自家発電システムに切り替えてしまえばいいのである。
大手の企業の多くは自家発電設備を備えている。ただし、ほとんどが化石燃料を使火力発電であるから、原油価格が高いと電力会社から買う方が安い。
でも、電力会社から必要量が買えなければ、自分で電気を作ることになる。
95年の「電力自由化」によって、それが可能になった。
ポテンシャルとしては、全国の認可自家発電設備は3000箇所以上あり、火力発電の総出力は5380万KW、水力が440万KW。
原発54基の総認可出力(4900万KW)を超える。
これらの発電者を「特定規模電気事業者」と法律ではいう。
英語だと簡単で、PPS:Power Producer and Supplier 「動力を作って供給するもの」。
電力会社が「うちの商品を買わないでください。お出しするものがないのです」と消費者懇願するのであれば、「よそで買ってくださるか、ご自身で調達してください」というのが筋だろう。

今問題になっている「発送電分離」というのはこの話である。
PPSは発電はできるが、送電のためのネットワークを持っていない。
送電については電力会社の送電線を借りるしかないのだが、その使用料と使用条件がきびしい。
だから、送電部門を発電部門から切り離せば、競争原理が働いて、コストも下がり、経営も透明化するだろうというのである。
むろん電力会社はほかの事業者が電力事業に参入することを喜ばない。
発送電分離についても、激しく反論している。
その論拠は理解できないわけでもない。
だが電力会社はどこかで「独占企業に消費者が依存するしかない」という制度を手放すべきではないかと思う。
その営利企業の収益への固執が、むしろエネルギー政策の新たな、大胆な展開を阻害しているように私には思われるのである。

例えば、ガス会社が開発した「エネファーム」という家庭用の発電設備がある(凱風館にはこれが装備されている)。
これはガス中の水素と酸素を反応させて発電するシステムだが、停電するとモーターが停止して、発電できなくなる。
自家発電装置が電力会社からの送電が切れると止まる・・・というのでは意味がないではないか、とお思いになるだろう(私も思う)。
でも、実際には外部電力が停止しても、自家発電できるテクノロジーをガス会社はもっている(当たり前である)。
しかし、法律上の制約があって、電力会社からの送電が止まると、自家発電装置も止まるようにメカニズムが設計されているのである。

そういう話を聞くと、電力会社の「節電のお願い」をどうしてもまじめに聴く気にはなれないのである。
電力会社がこれまで「オール電化」とかさんざん電力を浪費するライフスタイルを提唱してきた責任を感じるなら、「電気を使わないでください」というだけでなく、「電気はうちから買う以外の方法でも調達できます」という方向に消費者を案内すべきではないのか。

私自身は電力浪費型のライフスタイルよいものだと思っていないので、節電が15%でも50%でも、最終的には100%になっても「それはそれでしかたがないわ」と思うことにしている(それこそはあのフレドリック・ブラウンの『電獣ヴァヴェリ』描くところの牧歌的世界だからである)。
だから、電力会社が「これからはできるだけ電気を使わないライフスタイルに国民的規模で切り替えてゆきましょう」というご提案をされるというのなら、それには一臂の力でも六臂の力でもお貸ししたいと思っているのである。
でも、この15%節電は「そういう話」ではない。
電力依存型の都市生活の型はそのままにしておいて、15%の節電で不便な思いを強いて、「とてもこんな不便には耐えられない。こんな思いをするくらいなら、原発のリスクを引き受ける方がまだましだ(それにリスクを負うのは都市住民じゃないし)」というエゴイスティックな世論を形成しようとしているのである。

繰り返し言うが、私は節電そのものには賛成である。
電力に限らず、有限なエネルギー資源をできるだけていねいに使い延ばす工夫をすることは私たちの義務である。
そして、その工夫はそのまま社会の活性化と、人々の未来志向につながるようなものでなければならない。
70年代に、IBMの中央集権型コンピュータからアップルのパーソナル・コンピュータという概念への「コペルニクス的転回」があった。
同じように、電力についても、政官財一体となった中枢統御型の巨大パワープラントから、事業所や個人が「ありもの」の資源と手元の装置を使って、「自分が要るだけ、自分で発電する」というパーソナル・パワー・プラント(PPP)というコンセプトへの地動説的な発想の転換が必須ではないかと思うのである。
ドクター・エメット・ブラウン(in Back to the future)の考案した「ゴミ発電機」なんか、すごくいいと思う。
誰でもそう思うだろう。
でも、国民の総力をあげてPPP革命による世界のエネルギー地図の塗り替えを企てるという方向に日本が進むことで、むしろ不利益をこうむる人たちが依然としてわが国ではエネルギー政策の決定権を握っている。
それが私たちの不幸なのである。
日時: 2011年06月12日(内田樹の研究室)
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最近,あんたウチダの話あんまりしないじゃないの? といわれる向きもあろうと思うが、変わらずウチダは私にとって最愛の書き手であり、共感する同志である。言葉の師であり、仏語の師である。彼の新刊書はあまり買っていないが、これまでに買ったものを飽きもせず何度も読んでいる。変わらず私はウチダ漬けである。ツイッターに傾倒しているようなのでブログの更新が停滞気味だが、かえってじっくり読めてよい。
前から思っていることだが、いまも、ウチダと私は、生まれた年月と性別が異なるだけで実は同じ人間ではないかと、つねづね思っていて、とくに昨秋彼の講演を聴きに行ってその思いを強くし、いま日本がこうした事態になって、いろいろな事どもに対する彼の意見を読み聞きするたびに、同じジャンルの脳みそを持っていることを確認する。

喪失による絶望と慟哭を文字にするとこうなるという見本2010/05/25 21:23:40


JOURNAL DE DEUIL ;
26 octobre 1977-15 septembre 1979
Roland Barthes

『ロラン・バルト 喪の日記』
ロラン・バルト著 石川美子訳
みすず書房(2009年)

前のエントリで相撲界のディカプリオ・把瑠都関に触れたから次はロラン・バルトなんかいっというわけではけっしてない。逆にいずれロラン・バルトに触れるつもりで前振りで把瑠都ちゃんを登場させたんとちゃうのん、というわけでもけっしてない。私は現在の関取にあまり詳しくないが、美しいお相撲さんのイメージは確固ともっていて、私にとって史上最も美しいお相撲さんは横綱・北の湖関をおいてほかになく、彼の相撲美は他を圧倒して余りあると確信している。つまりは北の湖引退後の相撲界にまったく興味を失くしていた。とはいえ我が家(だけでなく一族ほぼ全員)は代々お相撲大好き一家なので、親戚が寄れば相撲の話になり、生まれた孫は関取の名前から言葉や文字を覚えるといって自慢しあうのが常であり、ウチのさなぎも例外ではない。さなぎは幕内力士について知らないことはほとんどない。ハワイアンでもモンゴリアンでも花田家でも分け隔てなくよく知っている。彼女の贔屓は千代大海だったが、彼なきあとの贔屓力士にはまだめぐり会えていないようである。ともかく、まったく興味を失くしたといってもそんな環境なので何も知らないでいられるわけがなかった。なもので把瑠都ちゃんのことは彼が19歳のときからその名前は知っていたし、ひそかに幕内上位に上がってくる日を待っていたのだ。今場所は残念だったなあ。というわけで把瑠都ちゃんの頑張り次第で再び相撲界に関心を持てるかもしれないと思う今日この頃。

……なんだが、今日は把瑠都でなくバルトの話である。

私はフランス史もフランス文学も学んでいない。が、フランス語をやっていればどうしても覚えてしまうある種の「巨人」の名前というものがある。ジャンルはバラバラだけど、たとえばドゴールとかコクトーとかサルトルとか、ヴォルテールとかボードレールとか、プルーストとかデュラスとか、ラカンとかレヴィ=ストロースとか……ロマン・ロランとかロラン・バルトとか。

(白状すると、フランス語を学ぶ前のごく若い頃には最後の二人、ロマン・ロランとロラン・バルトとの区別がついていなかった私である。)

ロラン・バルトの名前だけは早くから耳に入っていたけれども、当然のことながら、自分には用事のない著作家なので一度だって著作を開いたことはなかった。フランス語を勉強し始めて二十年以上経つけれど、私の興味を惹いたのはマグレブやアンティールなど「辺境」の人々ばかりで、映画以外のフランス文化にほとんどノータッチであった。

愛するウチダの『寝ながら学べる構造主義』を読んで、こうしたフランスの思想史を代表するアンテレクチュエルたちを読み解く面白さの一端のはしっこに触れた気になった覚えはあるのだが、それでも、論じられている当のラカンやバルトを読んでみようとはしなかった。早い話が、ウチダを読めば十分だからだ。

みすず書房から送られてくる出版ダイジェストの紙上に本書『喪の日記』の刊行予定を発見したとき、私は一も二もなく図書館に予約リクエストを入れた。なぜだったのだろう。


《最愛の母アンリエットは1977年10月25日に亡くなる。その死は、たんなる悲しみをこえた絶望的な思いをもたらし、残酷な喪のなかで、バルトはカードに日記を書きはじめた。二年近くのあいだに書かれたカードは320枚、バルト自身によって五つに分けられ『喪の日記』と名づけられた。》
出版ダイジェストにあった本書の紹介文である。

バルトは、本を書こうとしたのでもなく講義ノートをつくろうとしたのでもなく、ただ、無情に刻々と過ぎる時間の流れのなか、突き上げる思いをただカードに書きとめていったのである。

母親の死からほぼ3年後に、バルト自身、交通事故が原因で亡くなる。カードは遺族によって厳重に保管されてきたが、没後30年を前に、『喪の日記』はテキストとして整理されフランスで出版された。本書はその全訳。詳しい訳注と解説もついており、バルトって誰?という人にも、そこそこその人物像もつかめる内容となっている。

だが、私にはバルトが何者かという情報は必要なかった。
最愛の人を喪失した。その受け容れ難い事実は容赦なく自分を襲う。そうなったとき人は何を思うのか。何を見るのか。その一例がここにあるのだ。自分にとってどういうかたちで最愛であったかに関係なく、喪失は無限に慟哭を呼ぶ。したがって、そうした経験のある人であれば、あるいは「あなたを失くしたら、あたし、死んでしまうわ」というほど最愛のひとの在る人にとって、バルトの一筆一筆は真に迫る。

まず、母の死(1977年10月25日)の翌日。

《新婚初夜という。
 では、はじめての喪の夜は?》

その次の日。
《――「もうけっしてない、もうけっして」
 ――そうは言うけれど、矛盾していますよ。この「もうけっしてない」は、いつまでも続くものではありません。あなた自身もいつか死ぬのですから。
「もうけっしてない」とは、死なない人のいう言葉なのだ。》

《「あなたは女性のからだを知らないのですね?」
 「わたしは、病気の母の、そして死にゆく母のからだを知っています。」》

ぜんぜん知らなかったのだけれど、バルトは同性愛者だったそうだ。バルトにとって母親は、「唯一愛した女性」だったのである。その最愛の女が亡くなるまでの生涯の大部分を、彼女とともに暮らしたのだった。

(10月31日)
《今までにない奇妙な鋭さをもって、人々の醜さや美しさを(街路で)眺めてしまう。》
(11月11日)
《ひどい一日。ますます不幸だと感じる。泣く。》
(12月29日)
《わたしの喪を言い表せないのは、わたしがそれをヒステリックに語らないことからきている。とても特殊な、持続する不調だからである。》
(1978年5月28日)
《喪の真実は、単純そのものである。マムが死んでしまった今、わたしは死のふちに立たされているということだ(わたしを死から分かつのは、もはや時間だけである)。》


喪の悲しみ(悲しみという言葉はこうなるとあまりに平坦だけれども)がいつまでも「悲しみ」であるのは、「喪」がショッキングな出来事に起因し、日を追ってその衝撃が薄れてゆくという類いのものではなく、そこに空気のようにけっして無くならないでずっと在り続け、「喪」と決別するには自分自身も死ななければならないと思い知らされるからである。
だからこそ、我が命を全うするまで「喪」が傍にあるからこそ、人は喪の明ける日を敢えてこしらえたのだ。「喪」に区切りのあるはずがない。しかしそうでもしなければ、人類みな誰もが死ぬまで「喪」とともに在ることになってしまう。四十九日とか一周忌とか、服喪中であるなしを何かにかこつけてつくらなければ、世の中慟哭だらけになっていたであろう。人間は、賢い。

※画像はみすず書房さんのサイトから拝借いたしました。

キャー!!2009/06/15 09:59:11

愛するウチダが結婚しちゃったよ! やられた!(←ばか)

お相手にはウチの娘の必殺冗談じゃなくて上段回し蹴りをお見舞いしたいところだけれど(笑)とにもかくにも、内田樹さま、おめでとうございます(といいつつ、くっやしーい!!! 笑)。

最近の「結婚」についての論の展開ぶりになにやら怪しげな気配を察知していたのは私だけではないと思うのだけど……そーか、そうきたかー。むむむむむぐるぐるぐる……(←なんのうなり声だよ)

こんにゃろーよおっしあたしもがんばっちゃうぞーじんせいこれからだーーーい!!!

くやしーーい!!!


……取り乱してしまいました。失礼……
あらためて。内田さん、おめでとうございます。

新年度町内会役員に当たっちゃったよと愚痴るだけのつもりだったがふと職場の書架で愛するウチダを見つけましたの巻2009/03/26 20:54:23

勝利投手の表紙。ぷぷぷっ。なかなか、派手でしょ。


文藝春秋社『日本の論点2009』(2009年1月刊)470ページ所収
『家族から個人にシフトした消費のかたちが、親族の再生産を放棄させた』
内田 樹 著


町内会の役員に選出されてしまった。
選出されたというよりも、各戸回り持ちなのでとうとう順番が来た、だけの話なんだが。これまでも小さな役員、たとえば何とか委員、何とか係は毎年のように引き受け、大した仕事もなく適当に捌いていたけど、今回は副会長兼会計(なんで兼ねるんだろう)という大役なのである。これまで回避されていたのは、ひとえに、ウチの父亡き後、母は高齢、私はまだ青二才であるというだけのことであった。

ある晩、帰宅すると母が言う。
「川崎さんが引継ぎしたいし時間決めまひょ、って電話してきゃはったえ」
川崎さん(仮名)は前任の方である。
「ほんで?」
「まだ仕事から帰ってまへんて言うたら、へ、そない働いたはりまんのんか、やて」
私がどんな日常を送っているかなど、町内会のお歴々がご存じのはずがない。私は笑ったが、母は憤懣やるかたない。「あんたのことをそこらのヒマそうな奥さんやらとおんなじように思たはる」
いいよ、一度こういう忙しい人間に役員させてみるのも。滞りなく済めば今後多忙を理由に断ってきた人たちも引き受けざるを得ないだろうし、逆に全然お務め果たせなければ二度とあたしには頼みに来ないだろうし。そういう意味のことをいってはみたが、母はほとんど聞いてはいない。町内役員会といえば飲み会と同義語だったので、のんべの父は毎年何かしら役員を引き受け役員会と称しては出かけて朝まで帰らなかった。父の行状は凄まじく(いや、上には上がきっとあるだろうし、いずれにしろ今となっては単に笑い話なので内容は書かないが)、母にはそれが、今の言葉でいえばトラウマになっている。でもさ、あたしが同じ行動するわけないでしょうが。

もうひとつは、私が日中ほとんど留守にしているということはけっきょく自分が全部代理で応対しないといけないではないかという不満が母にはあるのである。ま、そりゃたしかにそうだから、申し訳ないんだけど。

「チョーちゃん、会計やで」
「お金預かるだけ?」
「だけ、やないけど、まあ、そんなもんや」
「ならいいけど。あたし、朝から晩まで家にいいひんよ」
「お母ちゃん、おるがな。まだボケたはらへんやろ」

総会での役員決定に際しての会話である(笑)。
私の母がまだボケていないということが決め手となったのである。
町内会の面々の中には町内会費をジャラジャラと小銭でひと月ごとに持参する人もあれば、一年分をまとめて封筒に収めて納入される方もいる。いちおう、「町」の下部組織として「隣組」というのがあって、組ごとに取りまとめるのが決まりだが、日中全然いない独身さんなどから徴収する手だてがないときなど、会計役がじきじきに「はよはろてや」と言いに行かなくてはならないとか、挙げだすと小雑用がやたらあるのである。
「チョーちゃんのお母ちゃん、そんなん全部やってくれはるやろ」というのが長老方の一致した意見で、だったらあたしじゃなくて母ちゃんを任命すりゃよさそうなものだが(笑)。

一緒に役員を務める面々は、一度は町内会長をもう務めた、というおっちゃんたちである。直近の会合では、「わしが会長してたとき」のエピソード披露会であった。結城さん(仮名)のおっちゃんが会長のとき、前代未聞というほどお葬式が多かった。
「あの年、ぎょうさん見送ったけど、それでも敬老会員減らへんなあ」
と誰かがいったが、他界された方々の多くはすごく高齢の、お迎えが来るべきしてきた人たちだったが、私の父もその年に亡くなった。なので、この手の話が出ると必ず「チョーちゃんのお父ちゃんが一番若うで死なはった」と誰かが言い、早すぎたと別の誰かが言い、涙ぐむおっちゃんもいたりする(笑)。オヤジは幸せなヤツだといちいち思わざるを得ない。やんちゃの限りを尽した親父の若い頃を知る人が、まだ町内に多く残っておられる。

私には配偶者がなく、したがって、新しい親族というものを生産しなかった。しかし子どもは産んだので、その子どもから「親族の再生産」がまた形成されるかもしれない。
たしかに私は親族なんてどうでもいいと思って成長した世代である。内田さんは、消費行動の活性化という「国策」のために家族の構成員は親族の再生産を放棄し、結果家族は解体し社会も解体されようとしている、ということを書いている。だからみんな結婚しろそして産めよ増やせよということを主張しているわけではない。
私のように、積極的に親族というものを無視した人間が大きな顔をして社会に胡坐をかいていられるのは、《圧倒的多数が親族制度を存続させているからである。》(471ページ)
一部の人間が、親族なんて要らないわ、という生き方ができるのは、親族という集団をモデルにしたあらゆる社会集団によって世の中が成り立っており、その制度の内部で生きているからである。親族なんて要らないといいながら、それでも人は人を愛する。大切に思う人と長い時間を共有したいと思うようになる。あるいは教え子の出来・不出来に責任を感じたり、ダメな部下を一人前にしなきゃと思ったり。訃報を聞けば葬儀に出られなくても通夜には行かなきゃとか弔電の文面はとか、思いをめぐらす。
《私たちは「扶養する」ことの有責感や「弔う」ことの重さを親族関係を通じて学ぶ。「傷つく」ことも「癒される」こともそこで学ぶ。》(473ページ)

私は身籠ったとき、家族の次には近しい親戚に打ち明けた。まず親族を味方につけなければという本能が働いたのである。盆と正月に会うか会わないかの人たちだったが、とにかく知ってもらわなければと考えた。そしてついでに使い古しのベビー用品などもゲットした(笑)。出産して退院して、腕に赤子を抱え帰宅した私に最初に遭遇したのは町内の面々であった。みんな、文字どおり開いた口がふさがらず仰天していたが、その次の瞬間には口々におめでとうを言ってくれた。私が仕事をしている間に子守りをする両親に、誰もが声をかけ、赤ん坊を一緒にあやしてくれた。

《「成熟」や「共生」(中略)といった概念はすべて親族制度の内部で発生し、経験された心の動きやふるまいを親族関係以外の関係にも比喩的に拡大したものである。(中略)「愛」や「嫉妬」といった情緒が単体で存立しているわけではない。親族制度の内部で、私たちはそのような人間的感情を学習し、それをそれ以外の場所に「応用」するのである。》(同)

とても当たり前のことなんだけれども、当たり前のことをこうして議論しなければならないところに、この国の危うさがあるのだろうと思う。私だって、子どもを通してしか、実感もできなかったし、今こうして「当たり前」だともいえなかったであろう。同様に結婚して初めてこういうことの意味がわかった人もたくさんいるはず。危ういところまできているけれど、立て直すことができるかどうかは、「結婚や子育てを通じてようやく理解した」私たちの世代が、「親族を形成すること」を次世代にいかに継承するかにかかっている。

《親族を形成することと成熟することが同義だからである。》(同)

ひとは幸せな記憶を長くはとどめておけないものだからせめて辛い記憶は埋もれたままにしておくれ2008/12/15 20:04:35

やめてほしいイベントが二つある。
「流行語大賞」と「今年の漢字」。



流行語大賞を云々するシーズンになると、流行り言葉っていったい何だ?と、まずそこから定義をし直さなきゃという面倒くさい(実に面倒くさい)気持ちになるのが、まず嫌である。
流行語って、その語の意味を共有する人々が集う場所もしくは住む地域もしくは所属共同体のなかで、その人たち誰もがつい口にして情報共有感または連帯感を確認できて、なおかつ、楽しくウキウキした気分になるとか、その語をやたらと用いることで人とかモノとか事象を揶揄したりリスペクトしたりするという気分で盛り上がれるとか、そういう類のものだと思うんだけど。
ひとつの国で「流行語大賞」というからには、【その語の意味を共有する人々が集う場所もしくは住む地域もしくは所属共同体】イコールその国、ということになる。

歴代流行語大賞については何も知らないが、毎年候補語がメディアで取り沙汰されているのを見ていると、何が面白いんだかさっぱりわからない芸人のギャグだとか、有名人がたまたま口走ったのをマスコミがやたら書き立て皆の耳に馴染んでいるというだけのフレーズだとか、そんなものばかり並んでいて、それを「流行した言葉」と位置づけてええんかい?と首をかしげてしまうのだ。

ちなみに2008年、私と娘の口にやたらのぼったのは、「いみがわからへん」。
小学校のときはやたら「いみふめー!」と叫ぶ娘(とその周囲の小学生たち)の真似をして私も「いみふめー!」を連発していたが、「いみふめー!」は、子どもの中学校入学とほぼ同時に「いみがわからへん」に変化した。

「いみがわからへん」は、娘がいうには、数学科担当教諭で部活の副顧問でもあるサブロッチ先生の口癖らしくて学校でも話題らしいんだけど、私が思うに、娘はサブロッチに会う前から「いみがわからへん」といっていたはずなのである。むしろサブロッチのほうが生徒の口真似をしていて、いつのまにか口癖と指摘されるほど頻繁に用いるようになったんだ。

実はあるとき私は、子どもみたいに「いみふめー!」というのをやめて、意味がわからないときはちゃんと「そんなの、意味がわからへんよ」、と意思表示するようにしようと心がけ始めた。それは昨年末頃のことだ。それから、しばらくして娘は「いみふめー」のかわりに「いみがわからへん」というようになった。そして、自分でも気づかないうちに、連発するようになった。

たぶん、子どもをもつ各家庭で同じようなことが起きていて、中学生になった子どもたちは「いみふめー」をやめて「いみがわからへん」というようになり、サブロッチにも波及した……のである。

どうでもいいことである(笑)。
が、私たちは、それぞれが「いみがわからへん」というとき、あるいは相手がいうのを聞いたとき、サブロッチを思ったり、数学のテストの悲惨な結果を思ったり、部活のきつさを思ったり、漢字では書けないくせに「いみふめー」といっていた頃の可愛らしさを思ったり、この言葉ですべてを片づけて逃げようとしている自分を思ったり、するのである。
なかなかこれで、いろいろな事どもを含むのである。そしてやがて使わなくなるのである。流行語ってこういうもんじゃない?



もうひとつの「今年の漢字」。
「流行語大賞」とは違ってこちらはローカルイベントである。
ご存じない方のほうが多いに決まっている。
説明するのも腹立たしいが説明すると、「その年の世相を表す漢字一字」を決めるイベントである。

この国がちっともよくならないのは、関西に元気がないことが理由のひとつだと思っている。首都圏に次ぐ経済規模のこの地域に元気がないと、例えば地方分権の議論も盛り上がらない。首都機能分散とか道州制とかにしても、関西の発言に説得力がないと進まないであろう(私は道州制なんか反対だけど)。
関西が元気かどうかは、ひとつは阪神タイガースの動向がものをいう。
もちろん、ほかにもいろいろある。ガンバ大阪も寄与してるんだろう。よく知らないけど。こういうスポーツや文化面の振興は、それを嗜好する人以外にはあまり波及しないものである。

比して、件のイベントが年中行事としてあるって、どやねん。
毎年その年を振り返って「今年の日本社会はああだったこうだった」と話すとき、「いいこと」を思い浮かべる人っている?
個人の一年間の生活を回顧するのとは違う。合格した、結婚した、子どもが、孫が生まれた、卒寿を迎えた……自分としては慶事あふれた年だったけど、世の中、社会は……。
世相を思うと、自分とは直接関係がなくても大きなニュースが頭をよぎる。そして大きなニュースとは悪いニュースのほうが圧倒的に多いのだ。

このイベントをワイドショーやラジオでやんややんやと取り上げるのは関西、あるいは京阪神だけだろうと想像する。ここの住民は、暮れになると毎年、いやでも一年を回顧し、「あれはひどかったわねえ」「お気の毒なことやったなあ」「あんな悲惨なこともう嫌やで」などとけしからん出来事や悲しい事件をいっぱい思い出す。
ああ、なんてひどい年だったんだろう……いったいいつまでこんな世の中が続くんだろう……。どんなに幸せいっぱいで過ごした人でも、そのような思いでいっぱいになってしまって、暗澹たる気持ちで一年を終えるのである。

やめてよ。まったく余計なことをしてくれる。そう思いませんか。
こんなイベントが十年以上も続いているから、われわれはいつも閉塞感に苛まれ、気持ちが晴れないまま、憂鬱なまま生かされてしまうのである。

ある年を漢字一字で表す。その試みは悪くない。各人がそれぞれの思いで一字を思い浮かべる。日本人ならではの知的遊戯だ。著名な方々がテレビなんかで「私の一年を漢字一字で書くとこれでーす」なんて遊んでいるのは罪がない。
しかしそれを人に押しつけないでほしい。考えさせないでほしい。
一年を振り返る必要のある者だけがやればいいだろ。
何もかも忘れたい人間だっているんだ。
投票なんかさせるな。学校とか公共施設とかに投票箱なんか置かせるな。
結果に影響を受け易い人間だっているんだ。

私は、このイベントが全国区になる前に消滅することを心から願う者のひとりである。
なんといっても、投票数はまだ11万程度だ。最多獲得票数は6000票ちょっと。
そんな票数で世相を表す一字と騒ぎ立てるのはとても滑稽。
日本のほとんどの人が「今年の漢字」なんか知らないし、結果に振り回されたりもしていないけれど、たぶん、私たちの地域にはつい振り回されている人々がいる。
そのせいで、関西は元気がないのだ。
「いやな一年でしたね」を合言葉に年を終わるなんて、まっぴらだ。

愛するウチダさんも言っている。
《……お正月番組の打ち合わせ。タイトルはどうしましょうかと訊かれたので、「変わるな!日本」というのをご提案する。「いいじゃん、このままで」というのが私の最近の万象についての基本姿勢なのである。》

来る歳も相変わらず幸せでありますように。