La Petite Bijou2015/03/26 17:59:55


『さびしい宝石』
パトリック・モディアノ著 白井成雄訳
作品社(2004年)


20年ちょっと前のこと、雑誌をつくっているフランス人のグループに加わり、彼らの仕事を手伝うことになった。それはスタッフたちとのちょっとした関わりがきっかけだったが、はっきりいって、当時けっこう捨て鉢な気分で生きていたので、居場所があればどこでもよかった。わずかでも小遣いになるなら、どんな仕事でもよかった。覚えたてのフランス語を使えてそれなりのバイト料ももらえるのだから申し分なかった。雑誌に掲載する記事のほとんどはフランス人による寄稿で、翻訳は仏文学科の大先生たちが格安で引き受けてくれていた。私の役目は事務所の留守番や郵便物の管理だった。
まもなく、ある映画祭のため来日するフランス人ゲストを取材することになった。パトリス・ルコント。私は浮き足立った。ルコントは当時私にとって最大級の賛辞を贈っていい映画監督のひとりだった。『仕立て屋の恋』と『髪結いの亭主』の2作品によって私は完全にノックアウトされており、『タンゴ』を見逃していただけにその次の新作を映画祭でいち早く観られるだけでもめっけもんどころではなかった。監督その人に会えるなんて。
「ルコントに何を訊きたい?」
「まなざし、の意味かな……」
「まなざし?」
「ルコントの映画の人物って、やたら人を見つめるんだよね、じーっとね。じーっと視線を送るの、日本人はあまりしないし」
「ふむ、なるほど。いいところに目をつけたな。それ、ちゃんと質問しろよ」
「え? あたし、ついていくだけでいいんでしょ」
「いちおうさ、ウチの雑誌、日仏の文化的架け橋になるとかなんとかお題目つけてんだよ。そこで仕事してるんだしさ、もうちょっとコミットしろよ」
「ぐ」
「せっかくしゃべれんのに、フランス語」
「がが……」

というような会話を会場へ行く電車の中でするもんだから、編集長、そんなの言うの遅いよと抵抗してみたがダメだった。取材を全部やれとは言ってない、でもその「まなざし」の話はお前が口火を切れといわれ、ポケット仏和−和仏辞書を繰って頭の中で質問文をつくった。
懐かしい思い出だ。
私たちはほんの数分しか時間をもらえなかったが、インタビューはすこぶるスムーズに進み、有意義な時間を得た。売れっ子監督でもあったルコントは、どのような問いにもあらかじめすべて用意してあったようにするすると答えた。とても論理的で(フランス人はたいていそうなんだけど)、口を開くたび、起承転結の完全な小話を聞くようでもあった。

私たちは彼の新作を映画祭の会場で観賞した。映画を観たのが取材より先だったか後だったかを思い出せない。たぶん、取材の後だっただろうと思う。ルコント本人に会う前に観ていたら、ずいぶんと気の持ちかたが違っていたはずだからだ。
新作は、『イヴォンヌの香り』だった。
私はこの作品にとてもがっかりしたのだった。
男ふたりに女ひとりの三角関係なので、そこは女に魅力がないと成立しない話のはずなのに、この女優が全然ダメだった。フランス人好み(たぶん)の整った小づくりな顔立ちで、美人なんだろうけど、なんといえばいいのだろう、しっかり肌を露出しているのに色気がない、ベッドシーンもあるのに色気がない。全然色気がない。艶(つや)とか、艶(なまめ)かしさとか、じわっとにじみ出るような潤いがなくて、かすかすな感じ。言葉がきたなくて申し訳ないが「しょんべんくさい」のだ。しょんべんくさいが悪ければ「ちちくさい」といおうか。「未熟」とか「稚拙」とかはあたらない。まだ若いから、芸歴がないから、といった素人くささやキャリア不足ではない。この女優はたぶん10年経ってもこんな感じのままに違いない、と思わせるほど、どうしようもないほどの「およびでない」度満開の、魅力のなさ。
なぜこの女に老いも若きも振り回されねばならないのか。……この問いは物語に感情移入して発するのではない。この女優の存在のつまらなさのせいで、映画全体が退屈なものになってしまっている。戦争が背景にあり、かつてのフランス社会に厳然とあった階級制度の名残りがちらつく。よく準備された申し分ない設定のはずの映画で、つまらぬ自問を発するしか感想のもちようがないなんて。
時代や身分がどうであろうと所詮男と女がからみ合うのよ、といったふうのいかにもなフランス映画といってしまえばそれまでで、ルコントの映画はつまりそんなのばっかりなんだけど、でも彼は俳優にその力を最大限に発揮させて従来の何倍も魅力あふれる人物に仕立て、台詞と、構成と、カメラワークと、編集の才で、ありふれたメロドラマを極上の映画に仕上げるシネアストなのだ。
なのに、これ。『イヴォンヌの香り』。

『イヴォンヌの香り』の原作はパトリック・モディアノの『Villa triste』である。パトリス・ルコントは作家モディアノを非常に敬愛し、愛読していると取材時にも話していた。もちろん私は、モディアノの名前を聞いても「誰それ、何それ?」状態であったが、のちに映画のクレジットをチラシで見て、その名前を確認はした。パトリック・モディアノ。ところが不幸なことに、『イヴォンヌの香り』に幻滅するあまり、その幻滅に原作者の名前も巻き込んでしまった。1994年。せっかくパトリック・モディアノと出会いかけたのに、顔も見ないで私は席を立ってしまったのだった。

ずっと後になって、図書館のフランス文学の書架にモディアノの名前を見つけたとき、どうしても読む気が起こらなかったのだが、そのときなぜ読む気になれないのかがわからなかった。『イヴォンヌの香り』の原作者であることなど、とうに忘却の彼方なのだった。なんだかわからないけど「お前なんかに読んでもらわんでええ」と本の背に言われているような気がして、私はモディアノを手に取らずにいた。

ところがある日、モディアノとの再会は強引に訪れた。『さびしい宝石』と書かれた本の背に、原題とおぼしき「La Petite Bijou」という文字もデザインされていた。おおお、ぷちっとびじゅー、と私は思わず口走っていた。というのも、私は娘が生まれてから3年ほどのあいだ、ハードカバーのノートに子育て日記をつけていたが、そのタイトルを「Ma petite bijou」にしていたのだ。私の可愛い宝石ちゃん、くらいの意味だが、「ビジュ」の語感がいかにもベビーにぴったりで、我ながら気に入っていたのだった。これを読まないでどうする。私は小説家の名前も見ないでこの本を借りて読んだ。

19歳のテレーズは幼い頃母親と生き別れ、母親の女友達の家に預けられて育つ。母親は彼女を「La petite bijou(可愛い宝石)」と呼んでいた。いまテレーズはパリでなんとかひとり暮らしを始めようとしている。ある日混み合う地下鉄の駅で母親に似た人を見かけ、その後をつけていくが……。

パリの雑踏、夜の舗道の暗さ、親切な人、得体の知れない人、自分の中で交錯するいくつもの記憶、自分でもとらえきれない、母親にもつ感情。

当時娘は小学生で、私は仕事も忙しく、娘の学校行事やお稽古ごとなど校外活動など、かかわることも増えてきりきり舞いしていた。そんなときに、親にも社会にも見捨てられてその日を生きるのが精一杯の少女の、非行に走るでもなく男を手玉に取るでもなく人を殺すでもない、誰も知らないところでただもがくだけの毎日を描写するこの小説を、ぞんぶんに味わって読めるはずもなかった。親に捨てられ、ろくに学校にも行けず、都会に放り出された19歳。足許のおぼつかない、いつ道を踏み外してもおかしくないような状況で、それでも善悪は心得ていて、妙にお行儀がいい。もって生まれた性格なのか、それが幸いして少女は人の親切を得てかろうじて立っている。その、紙一重の危うさを生きる心象風景を描いた小説の世界に入っていけるわけもなかった。私には、この本の中の「ビジュ」のような19歳に我が娘がならないようにせんといかん、という程度の読後感しかなかった。というより、19歳なんて、想像の域を超えていた。それに、テレーズは、私の19歳の頃とはまるで似つかぬ生活をしていた。そして娘もいつか19歳になるのだけれども、想像するその姿とテレーズとは、まるで重なるところがなかった。
私はモディアノを、その素性も知らず強引に自分に引き寄せてみたけれども、何の手応えをも感じないですっと手を離してしまった。このときも、『イヴォンヌの香り』の原作者だとは気づいていないのである。

先月、娘が19歳になった。
だからといって、テレーズを思い出したわけではない。
遡って、昨年のノーベル文学賞に、パトリック・モディアノが選ばれた。村上春樹が有力視されていたらしいので、「期待に反し受賞は仏作家モディアノ」という見出しが新聞を飾った。
聞いたことのある作家だなあ。
それ以上の感想はもたなかった。
しかし、ふだんあまり小説を読まないので、ノーベル賞受賞作家は、短いものでもいいからひとつくらいは読むようにしている。で、例外なくノーベル賞受賞作家の作品は、なかなかに奥が深くて面白いのである。さすがなのである。

資料を借りにいった図書館で、ついでに何か読もうかなと仏文学の書架を眺めていると、「パトリック・モディアノ」の名前が目に入り、そしてすぐに『さびしい宝石』が目に入った。
おおおおお、Ma petite bijou!!!
モディアノだったのか!
その並びに、『イヴォンヌの香り』も収まっているのに気づいた。
うわああああ、イヴォンヌ!
そうだ、モディアノだ、モディアノだったぞ原作者!

と、バラバラだった記憶がひとつにつながったのだった。
私は見覚えのある『さびしい宝石』の表紙をめくり、カバー見返しに「なにがほしいのか、わからない。なぜ生きるのか、わからない。孤独でこわがりの、19才のテレーズ——」というキャッチコピーを見つけ、迷わず再読を決め、借りたのだった。

10年ほど前におおざっぱな読みかたしかしなかった作品は、いまははっきりとリアルにメッセージを投げているように感じる。それは、いまのこの私に対して、という意味だ。19歳の娘がいま異国で、わくわくしながら暮らすいっぽうで不安におののき、愉快な友達に囲まれながらもホームシックに苛まれ、自分がとる進路はこれでいいのか、自分も含め誰も明快な答えを出せない中でそれでも歩かなくてはならない得体の知れない圧迫感に息が詰まりそうになっている。テレーズと何も変わらないじゃないか。そうだ、同じことだ、私にしても。19歳の頃、何かに追い立てられるようにして、誰もが向かっている方向へ一緒になって歩きながら、心の奥のほうで、違うこっちじゃないと、気持ちだけが引き返していた。引き返したけれどそっちに目的地があるわけでもなかった。道しるべはない。道しるべは自分で立てていくものなのだ。でもそんなこと、わかるはずもなかった。だからもがいていた。なぜここでこうして生きているのか、なぜ生まれてきたのかわからないまま。テレーズと、そっくりだ。

テレーズのもつ、生き別れた母に対する複雑な思いは重層的で解き明かし難い。母の存在はとっくにない。実体として掴もうと欲しても叶わない。だが母は弱々しい糸のような頼りない記憶の連鎖としてテレーズの脳裏に在って、テレーズをしばっていた。自分の中で記憶を断ち切るしか、解放はされない。解放されなければ、テレーズが自分の生を取り戻すことはできない。
といって、テレーズがはっきりそんな目的意識をもって邁進しているわけではない。どうすればいいのか。どうもしなくていいのか。そもそもなにをしたかったのだろう?

《もう何年も前から、わたしは誰にも何ひとつ打ち明けたことがなかった。すべてを自分ひとりで背負い込んできたのだ。
「お話しするには、複雑すぎて」と、わたしは答えた。
「どうして? 複雑なことなんて、なにもないわ……」。
 わたしは泣きくずれた。涙を流すなんてことは、あの犬が死んでからはじめてだった。もう十二年くらい前のことだけれど。》(『さびしい宝石』80ページ)

読み終えて、というよりページをめくるたびに、私は娘を抱きしめたくなった。1行ごとに、娘の顔を見たくなった。テレーズが息をつき、言葉を口にするたびに、娘の住む町へ飛んでいきたくなった。

Quel début d'année atroce...2015/02/28 16:17:34

『みみをすます』
谷川俊太郎 著 柳生弦一郎 絵・装本
福音館書店(2007年33刷/初版1982年)


今日で2月も終わりである。雪の多い正月を過ごし、雪の話ばかりしていたのに、めまぐるしく日々が過ぎていき、明日から3月。
ほんとうに、なんということだろうと思う。何が何でも、12月の選挙でひっくり返さなければならなかった。幼稚で狡猾な独裁志向のただのわがまま坊主には退場してもらわねばならなかった。ほんとうに、この国の大人たちの危機感のなさ、視野の狭さ、その「自分のことで精一杯」ぶり、もとよりこれは自戒を込めて言うんだけど、あまりのことに呆れ果てただ悲しい。
悲しいときに、よく私はこの本を開く。この本にはただひらがなの言葉がつらつらと並び、ときおり、子どものいたずら描きのような、それでいて味のある、人物の肖像が挟まれる。そうしたひらがなの文字を目で追い、目で追うほどに言葉になるのを追い、言葉が連なるままに詩篇となるのをただ吸収する。息を吸うように読み、息を吐くようにページをめくる。
そうするだけで、いつのまにか心が落ち着きを取り戻すのを感じる。こんなに毎日惨いことが起こる世の現実に私の精神はひどく安定を欠いているのだが、一時的にせよ、いやまったく一時的に、なのだが、穏やかになれる、心底。安定を欠いていると言ったが、なにも朝から晩まで不安に苛まれ泣いているわけでも、ホゲーとしているわけでも、どうすればわからなくなってうろうろしているのでも、ラリっているわけでもない。平静を装い、毎朝同じ時間に起き、いつもと同じ一日が始まると自分にも娘にも母にも猫にもいい、三度の食事を支度し食べ、洗濯や掃除などハウスキーピングにいそしみ、商店街で野菜の値段を見比べ、大人用紙パンツのセールに目を光らせる。そんな合間に、依頼された原稿を整理したり、自分の書いたものの焼き直しをしたり、面白そうな仏語本を渉猟する。娘のメールを読み、返信をする。優先順位の高いことというのは、たしかに、何よりもこうした自分と自分の身近な者たちのことばかりであって、そしてほんらいそれでよいのである。家のそと、町のそと、地域のそとは、私なんかが心を砕かなくても万事順風満帆に事は運び憂いは流れ、いいとこ取りをされて均されて、治まるというふうに、かつては決まっていたのであった。いや、かつてもこの世には恐ろしいことや許されないことや悲しいことがたしかに次々起こっていたのだけれども、そのたび、そのときも私の心はおろおろしていたのだけれども、世の中には必ず賢明な知見が在るべきところに在り、どこかで防波堤となっていたのであった。
いまはその防波堤が見当たらない。どこにも。あかんわ、もう。あかん。

『みみをすます』を開く。ひらがな長詩が六編収められている。ひらがなだけど、これらの詩は子ども向けではない。この本を買ったのは、自分のためだった。谷川俊太郎の「生きる」が小学校の教科書に掲載されてたか授業で取り上げられたかなにかで、娘が暗誦していたときに、その「生きる」よりもいい詩が俊太郎にはあるんだよ、と「みみをすます」のことを言いたかったんだけど、詩篇は手もとになく、ネット検索で見つけた詩篇のすべてをダウンロードしたかコピペしたかの手段でテキストとしていただき、ワープロソフトに貼って、きれいなフォントで組んで、A3用紙にプリントして、壁に貼った。とっくに貼ってあった「生きる」の横に、「生きる」よりはるかに長い「みみをすます」はとても暗誦できるものではなかったが、断片的に拾うだけでも意味があると思って、「みみをすます」を貼った。娘は「みみをすます」も声を出して読んでいたが、語られていることはまだまだ幼かった彼女の想像を超える深淵さで、圧倒されてつまらなかったに違いない、そのうち熱心には読まなくなった。

「みみをすます」は次の4行で始まる。

みみをすます
きのうの
あまだれに
みみをすます

生活音を想像できるのは以上の4行のみで、次のパラグラフからは壮大な人類の歴史に思いを馳せていくことになる。《いつから/つづいてきたともしれぬ/ひとびとの/あしおとに/みみをすます》。

ハイヒールのこつこつ
ながぐつのどたどた

これくらいはわかりやすいけど、《ほうばのからんころん/あみあげのざっくざっく》や《モカシンのすたすた》など、現代小学生に自明ではない言葉が出てくる。すると、現代っ子の悪い癖で思考を停止させ、調べもせず、考えるのは停止して語の上っ面だけを撫でていく。長じて、知らない言葉をすっ飛ばしてテキストを読む癖がつき、小説だろうと論評だろうと漫画だろうと、そうした読みかたでイケイケどんどんと読み進み、読めていないのに読んだ気になる。
ま、いまさら仕方ない。

はだしのひたひた……
にまじる
へびのするする
このはのかさこそ
きえかかる
ひのくすぶり
くらやみのおくの
みみなり

ここから詩は古代史をたどる。恐竜や樹木や海流やプランクトンが幾重にも生まれ滅んで、そして一気に自分の誕生の瞬間を迎える。《じぶんの/うぶごえに/みみをすます》《みみをすます/こだまする/おかあさんの/こもりうたに》

谷川俊太郎は、私の亡くなった父と同じ生まれ年である。昭和20年は13、4歳だった。敗戦時に何歳でどういう社会に身を置いていたかでその後のメンタリティは大きく変わるので、父と同じように少年時代の俊太郎を見るのは失礼きわまりないのだけれど、戦争はそれなりに当時の少年の心を大きく占める関心事であったに違いなく、そしてそれが無惨な終わりかたをしたこと、そして周囲の大人たちが思想的に豹変を見せたりしたことはショッキングな事態だったと思われる。父は、玉音放送に涙を抑えきれず、でも泣いているのを母親や兄弟に見られたくなくて部屋の隅っこで壁に向かって、声を立てないように気をつけて泣いたと言っていた。しかし、俊太郎の両親や親戚はいわゆる賢明で動じない人びとだったのであろうか、戦時は時勢にしたがい行動し、やがて粛々と敗戦を受け容れ時代の変化になじんでいったようである。母親に溺愛され、自らも母に深い思慕を抱いていた俊太郎は、一体になりたいとまで欲した母に代わる存在がやがて現れることを恋と呼ぶというようなことを、エッセイを集めた『ひとり暮らし』(新潮文庫)の中で述べている。家族愛に守られ成長した俊太郎は、戦前、戦中、戦後を、あからさまではなく静かに、詩の中に書き記していくのだ。

うったえるこえ
おしえるこえ
めいれいするこえ
こばむこえ
あざけるこえ
ねこなでごえ
ときのこえ
そして
おし
……

みみをすます

うまのいななきと
ゆみのつるおと
やりがよろいを
つらぬくおと
みみもとにうなる
たまおと
ひきずられるくさり
ふりおろされるむち
ののしりと
のろい
くびつりだい
きのこぐも
つきることのない
あらそいの
かんだかい
ものおとにまじる
たかいいびきと
やがて
すずめのさえずり
かわらぬあさの
しずけさに
みみをすます

(ひとつのおとに
ひとつのこえに
みみをすますことが
もうひとつのおとに
もうひとつのこえに
みみをふさぐことに
ならないように)

いま引用したくだりは、「みみをすます」のなかでも最も好んで反芻する箇所である。ヒトは自分の耳に心地いいものしか聴こうとしない生物である。でも人であるからこそ、聴きにくい音や聴きづらい声も傾聴できるのだ。
このあと「みみをすます」は十年前のすすり泣きや、百年前のしゃっくりや、百万年前のシダのそよぎや一億年前の星のささやきにも「みみをすます」。
でも、そんなふうに壮大な物語に思いを馳せつつも、《かすかにうなる/コンピューターに》《くちごもる/となりのひとに》「みみをすます」。
最後の一行まで読めば、気持ちが未来へ向くように、とてもよくできている。それでも時は流れ、風は吹き、水も流れ、命が生まれるのだと、そこには少し諦念を含みつつ、安寧に満ちた気持ちになる。

つづく「えをかく」という詩も、「みみをすます」に似ている。耳を澄まして聴く行為が絵に描くという行為に交替していると言ってもいい。自分を描いたり、草木を描いたり、家族を描いたり、自動車を描いたりしていきながら、《しにかけた/おとこ/もぎとられた/うで》を描く。《あれはてた/たんぼをかく/しわくちゃの/おばあさんをかく》。

「ぼく」という詩がつづき、「あなた」という詩があり、「そのおとこ」「じゅうにつき」とつづく。

いま、いちばん人の心を裂くように食い入って響くのは、「そのおとこ」かもしれない。男でも女でも、「そのおとこ」でありうる。私たちはそれぞれが奇跡の巡り合わせで生きている。今月19歳になった私の娘が、過激派組織に参加するために家出したロンドンの17歳の少女であるわけがないと、どうして言えるだろう。たったひとつのボタンの掛け違いが、人の歩くみちを簡単に遠ざける。いつもビデオカメラを抱えて旅をしていた私の友人が、あの殺されたジャーナリストにはなり得なかったとは言えないのだ。利発でやんちゃな隣の男の子が、河川敷で血まみれになっていた少年であるはずないなどとは、とうてい言えやしないのだ。彼我を分けるのは紙一重のいたずらに過ぎない。

うまれたときは
そのおとこも
あかんぼだった

こんな当たり前のことを、誰もが忘れている。

もしじぶんに
なまえがあるなら
おとこにも
なまえがある

こんな当たり前のことを、みんな忘れようとしている。

だから、『みみをすます』を開いても、心穏やかにはなれない自分に、やり場のない憤りを感じ、悲しみがこみ上げる。どうすればいいのだろう、こんなに惨い始まりかたをしたこの年を、どんな顔をして、どんなふうにふるまいながら、近しい人びとを励まし元気づけ食べさせながら、自分も凛として生きていくために、どうすれば、ほんの少しだけ転がる石ころやゴミに気をつけるだけでとりあえず歩くに支障のない道を歩くように、暮らしていくことができるのだろう。幾度も幾度も開いては、心を潤してくれていたこの本が、いまは傷口に塩を塗るように、心の壁を逆撫でする。

On a toujours une conscience tourmentée, cela ne dépends pas du tout de l'âge.2014/04/25 00:16:56

焼きたてのパンと一緒に♪
『55歳からのハローライフ』
村上龍著
幻冬舎文庫(2014年4月)


行きつけの書店(けっしていちばん好きな書店ではないが)で前にもらった金券100円分があったので、文庫本でも買おうと立ち寄った。その書店のレイアウトは、会社勤めの若い男女を意識しているということのよく伝わる、わかりやすい配架になっている。こっち向いたら政治経済社会、そっち向いたら京都本著名人本スピリチュアル系心に残る言葉系。私はいつも、出入り口付近のその「参道」はすっと抜けて、実用書(旅行、料理、手芸)の壁または思想・哲学・文学系書架を眺める。買うことはほとんどない。誰が、どんなことを、どんな装幀の本の中で述べているのか、その概略をつまめたらそれでいい。いや、ほんとうは買いたいのだ、目についた本を全部。でも、我が家は私の蔵書のせいで敷居も鴨居もしなって傾き建具を引くことができないありさまゆえ、これ以上本を増やすわけにはいかない。と、けなげにもいつも諦めているのである。涙をのんでいるのである。……というのは、ほとんど嘘である。たしかに欲しい本全部は買っていない。全部は買っていないが、さんざん吟味した挙句、これだけ買うわごめんね我が家、とつぶやきながら究極の一冊を手に、それでも書架の前にしばし立ちすくみさんざん逡巡する。いったいどのくらい時間を費やすつもりなんだ早く決心してレジへ行け、と己に言い聞かせてやっとキャッシャーに足が向く。……というのはごく稀なケースである。私はたいてい時間に追われているので、そんなに贅沢に時間を費やして本を買うかどうかを迷い悩み続ける余裕はないのだ。したがって、どうしよっかなエエイ買うてまえ〜と2、3冊つかんでちゃっちゃとレジに並んでいる、というのがほとんどのケースなのである。これ以上本を増やすわけにいかないと自分に言い聞かせるようになってからもう幾年も経っている。その間、言い聞かせているのはいったい誰なのよと自問するのも時間の無駄とばかりにおおおっこれはっよし買うでえっと衝動買いに近いというか衝動買いばかりで本を買うので、本は増える。衝動買いするのは装幀の美しい本が多い。そして中身はチョー軽薄orチョー冗長orチョー説教臭いというわけで結論チョー期待外れ、だったりするので、男とおんなじだ、なんてあたしは本を見る目がないのだろう、と打ちひしがれたりする間もなく増えた本に唖然として溜め息をついている。ここ何年もの間にたしかに少なくない本を古本屋に売ったけれども、やっぱ本は増えている。私はけっして蔵書家などではない。でも我が家のキャパは超えている。しかしそうした厳しい現実から逃避するのは大得意である。で、今回のように、よく空が晴れて陽光麗しく、財布の中には金券、なんて日は、我が家の実情を忘れてルンルンと本屋へ向かうのだ。

最近の文庫は漫画単行本(コミックス)みたいな表紙が増えて、子ども向けアニメのノベライズなのかライトノベルなのかエロ漫画なのか、いや文学賞受賞作家のシリアスな小説だった、みたいなケースが多々ある。紛らわしい……。いくら文庫でももうちょっと装幀、真面目に考えようよ。そんなわけで、私は文庫に限っていえば衝動買いはしない。美しい装幀なんかないからだ。文庫の場合は、図書館で読んだ単行本にいたく感動して忘れられず、どうしても欲しいけどあの分厚い単行本は高いよな……と思っていたら文庫になっていた!よしゴーバイ!!みたいな時に限るのである。……というのは今回の場合まったく当てはまらなかった。文庫の書架の前へ来て、ケバい表紙たちに辟易しながら、なんやこれ、なんやこれ、もうちょっとさ、しゅっとして気の利いた表紙はないのんかい、持ち歩けへんやんこんなん、と心の中で悪態をつきながら、やっぱやめとこと通過しかけて、ある本に目が釘付けになった。それが本書だ。

55歳のハローワークやて、ぷぷぷっ、今のあたしにぴったりやん(私は目下プー子〈失業女〉であるから)、さすがはリュウね♪、あら、これ小林薫ちゃう? そうちゃう? そうやん、小林薫でドラマ化って帯ついてるやん、そうなんふーんテレビは見いひんけど小林薫やて、ええわあ、と、私はそのまま考えを反芻することなく、平積みになっていた本書をガッとつかんで、文庫を生まれて初めてと言っていいだろう、衝動買いした。
表紙はイラストで、熟年男女が手をつないでいる後ろ姿だが、斜め後ろから見える男の目元が小林薫だった。私は小林薫を激しく好きである。状況劇場に所属していた頃からのファンである。おっさんになってもほんまにええ男である。

平日の昼間のせいかレジカウンターにはキャッシャーがあまりいなくて、しばし列の後ろで待った。そのあいだに、表紙、そして帯をよく眺めると、55歳のハローワークじゃなくて『55歳からのハローライフ』なのだった。ワークじゃなくてライフ(笑)。ワイフでもなくてライフ。なんやねん、それ。あ、そうか。再就職の話ではなくて、人生の再出発の話なのだ。
子どもが成人して一段落した時にふと配偶者を眺め、「嫌」だという思いが募って離婚に踏み切る。定年前に会社をリストラされるが再就職の望みは薄い。早期退職して夫婦で旅行したかったのに妻は乗り気でなく。ある日ふと出会った女、熟年を迎えて生まれて初めて女にときめいたのに。とか、どれもこれも、身につまされる(笑)。
中編小説が5編収録されていて、どれも、読ませる。さすがはリュウね。本書には、いつもうじゃうじゃ出てくる変態オヤジは出てこないが(ひとりだけ出てくるが主要人物でない)、そのぶん、まともでまっとうな一小市民の人生にこれほどまでに苦悩と困難があるのか、でも、そうだよな、みんなそうだよなと、うんうんわかるわかると読み進むのである。読み進むが、結末まで来て、なんだか説教臭い終わりかたに、釈然としない。村上龍は述べている。この小説の主題は、中高年にエールを送ることだ。しょぼくれてないで、顔をあげて前を向いて、まだまだ続く未来への道を歩こう。そう元気づけるために書いたという。主人公たちはみな作家と同世代で、作家は非常なシンパシイを感じつつ書き進み、読者がよしオレもアタシも頑張ろっと前向きになってくれたらいいと願った、みたいなことを述べている。

ま、それはいいけど。
最後の5行くらいで、妙に主人公が希望に満ちたり、再出発を誓ったり。つまりは、いい方向へ向かって終わるのだが、中編小説集でどれもそういうふうに終わられると、ちょっとつまらない。この中編小説集の趣旨が最初から55歳へのエールだからしょうがないと言えばしょうがないのだけど、救いようのない話がひとつぐらいあってもいいのに(笑)と思うのは私だけだろうか。

思えば村上龍の作品は、変態オヤジがよく出てくるとはいえ、どちらかというと未来に希望のもてる終わりかたをするものが、もともと多いかもしれない。ここで引き合いに出すのはあまりに唐突だが、村上春樹はラストで読者を突き放して置いてきぼりにするのが常套手段だ。けったいな話が、それで妙にリアリティに満ちる。
本書の物語はいずれもたいへんよくある話で、自分の身に起こってもおかしくはなく、だからそれだけに、さまざまなエピソードののちに、主人公がわかったふうなことをつぶやいて終わるかたちをとっていることで、リアリティが減じている。残念。物語の起伏や挿話の運ばれかたも隙がなく、とても面白い。小説ってこう書くのね、の見本みたいである。でも、ひとつぐらいは主人公とその相方が奈落の底に落ちる話でもよかったのに(しつこい?)。

《うんと遠くにいる相手のところまで行って大切な何かを伝えるって、それだけですごい価値がある気がする。》(63ページ「結婚相談所」)

Peu m'importe si tu m'aimes2013/12/31 23:27:38

『ひとり暮らし』
谷川俊太郎著
新潮文庫(2009年)


石川さゆりが『津軽海峡冬景色』を歌っている。ああ、やっとまともな歌が聞こえてきた(笑)。おお、続いて我が美輪明宏だ。今年もナイス選曲。
もう少しで年が明けてしまうのだな。

さて。
少し前、上掲の本について書いた。

谷川俊太郎を原野にたたずむ孤高の詩人、などと勝手なイメージでまつりあげておいて、でもエッセイは面白くないなんてこれまた手前勝手な印象だけで書き捨ててしまったが、面白くないということは、彼が意味のないくだらないことを書いているということとは違う。むしろその逆で、まことにそのとおりである、と泣きたくなるほど核心を突き、それ以上語りようがないほどに、まっすぐで、真実で、虚飾がなく正直なのである。人間とか自然とか生と死とか営みとかの本質に迫り、というより本質を匙のようなものでくるりと掬い、紙の上にとんとんと落として文字、文章にしたような、そんな生々しさを感じて居心地が悪いのである。彼の詩は、そういう生々しさはない。オブラートに包むのではなく、彼の詩の場合、きちんと舞台用の衣装を着ているということだ。心の叫びがそのままではなく、ちゃんと居住まいを正し、その場所にふさわしいなんらかの羽織りものを着たり、その舞台(詩集)のための飾りをつけて、つくり手(谷川俊太郎)の意図したように読み手に伝わるように小道具も持たされて、そこに在る、というのが谷川俊太郎の詩だ。それは、選び抜かれて、練られて、咀嚼されたり調味料足されたりした作品としての言葉の羅列である。それに比べたら、エッセイや日記やコラムの文章はどれも「そのまんま」なのである。

《食物をもとめて氷原を移動していていよいよ食料が尽きたとき、エスキモーの老人はみずからその場に座り込み、他の人々もまた老人を残して移動をつづけるという。ゆとりという言葉の入りこむ隙もない老人のそういう生きかた、あるいは死にかたに、かえってゆとりが感じられるのは何故だろう。》(18ページ「ゆとり」)

《私のからだが母親のからだから出たように、私の心も母親の心から別れ始める。そして私は母親の代わる存在を求める。
 恋とは私のからだが、もうひとつのからだに出会うことに他ならない。自然と違って人間はからだだけではないから、からだと言うとき、そのからだの宿している心を無視できないのは勿論だが、心とからだはただことばの上で区別されるだけで、本来はひとつのものだ。しかしまたひとりひとりの独自な心は、人間特有のものであり、その心を支配し、それに支配される万人に共通なからだは、人間を超えた自然に属している。その矛盾を生きるのが人間であるとも言えよう。》(22ページ「恋は大袈裟」)

《すべての絵かきがそうだとは思わないが、自意識などという余計なものに邪魔されずに、自分で自分をリアルにみつめる目は、どうももの書きより絵かきのほうがもち易いような気がする。》(52ページ「じゃがいもを見るのと同じ目で」)

《勝新太郎さんがどこかでこんなことを言っていた。おれっていう人間とつきあうのは、おれだって大変だよ。でも、おれがつきあいやすい人間になっちゃったら、まずおれがつまらない。私はすっかり感心した。自分とつきあうのが大変だなんて考えたことがなかったからだ。(中略)
 ほんとは誰でも自分とつきあうのは大変なんじゃないか。ただ大変なのを自分じゃなく、他人のせいにしてるだけじゃないか。大変な自分と出会うまでは、ほんとに自分と出会ったことにならないんじゃないか。上手に自分と出会うのを避けていくのも、ひとつの生きかたかもしれないけれど。》(57ページ「自分と出会う」)

《死ぬってことは、辞世の句とも遺言とも、葬式とも関係ないなあと私は思い、どんな死にかたをしたって、死の本質に変わりはないという感慨にとらえられた。》(72ページ「単純なこと複雑なこと」)

《それなのに何故私はいまも書き続けているのだろうか。書くことしか自分に能がないからか。長い間書いてきてそれが習慣のようになっているからか。いずれにしろいますぐ書くことを止めてもいいのに、それが出来ないのはどうしてなのか。》(81ページ「とりとめなく」)

《昔からスポーツもやらないし大酒も飲まず徹夜もほとんどしなかったから、若いころに比べて体力が落ちたという嘆きはないが、四十代から老眼、乱視だし、歯も惨憺たる有り様だ。老眼鏡や入れ歯を受け入れることにまったく抵抗がなかったと言えば嘘になるが、私には老いにあらがう気持ちは薄い。老いには老いの面白味があって、それを可能な限り楽しみたいという気持ちの方が強い。だが老いを楽しみ面白がるのはもちろん、からだのほうではなくこころのほうである。》(107ページ「からだに従う」)

私たちふつうの人々が日々の雑多に紛らして言わずに済ませていることを、あるいは言い表しかたの術や言葉そのものを忘れてしまったり、見失ってしまったりいることどもを、するするっと、しれっと、たりらりとぅるとぅると書いてしまって読者を突き放す。

彼のいうとおり、「心とからだはただことばの上で区別されるだけで、本来はひとつのものだ」。だけど、老いてくると心と体の遊離が始まり、本人も気づかぬうちに少しずつ進む。苦しいと感じるひともあるだろうが楽しんだほうが得策だ。「老いを楽しみ面白がるのはもちろん、からだのほうではなくこころのほうである」から、楽しんだからといって若返ったり、分離しかけたからだと心が同一になるわけではない。とはいっても、「どんな死にかたをしたって、死の本質に変わりはない」ならば、きっと、老いて心と体のアンバランスに悩まされたとしても、それも、これも、わたしなのであり、その終焉のときにはつじつまが合うのだろう。

あなたは、あなたの一年でしたか。
わたしは、わたしの一年をたっぷり生きました。
誰のものでもない、このカラダにいるこのココロをわたしと呼ぶわたし自身の、時間。
誰かのために知恵をしぼり、力をふりしぼり、心をしぼりきって費やしたとしても、あなたがあなたでいる限りそれはあなたが生きた時間。
……というようなベタなことをつい書く気にさせる、谷川俊太郎の『ひとり暮らし』。


空が落ちてこようと大地が裂けようと
それがなんなの あなたを愛してるわ

美輪明宏には来年の紅白でぜひこの曲を!(笑)

HYMNE A L'AMOUR

Edith Piaf

Le ciel bleu sur nous peut s'effondrer
Et la terre peut bien s'écrouler
Peu m'importe si tu m'aimes
Je me fous du monde entier
Tant qu'l'amour inond'ra mes matins
Tant que mon corps frémira sous tes mains
Peu m'importe les problèmes
Mon amour puisque tu m'aimes

J'irais jusqu'au bout du monde
Je me ferais teindre en blonde
Si tu me le demandais
J'irais décrocher la lune
J'irais voler la fortune
Si tu me le demandais
Je renierais ma patrie

Je renierais mes amis
Si tu me le demandais
On peut bien rire de moi
Je ferais n'importe quoi
Si tu me le demandais

Si un jour la vie t'arrache à moi
Si tu meurs que tu sois loin de moi
Peu m'importe si tu m'aimes
Car moi je mourrais aussi
Nous aurons pour nous l'éternité
Dans le bleu de toute l'immensité
Dans le ciel plus de problèmes
Mon amour crois-tu qu'on s'aime
Dieu réunit ceux qui s'aiment



意図不明の当ブログに今年もお越しくださり、ありがとうございました。世界が少しでも幸福に向かうよう、来年も考え続けます。みなさま、佳いお歳をお迎えください。

Fils unique, fille unique2013/12/19 18:11:55

近所のスーパーマーケット。



『ひとり暮らし』
谷川俊太郎著
新潮文庫(2009年)


「華の40代」(笑)が残すところあと1か月を切ってしまった。早いもんだなー。40歳になった年のあるとき、小学生の娘と地域のお料理イベントに参加した。みんな母と子の参加で、子どもに料理のイロハを体験させるイベントのはずだったが、子はほとんど遊ぶばかりで、けっきょく母親たちが切って刻んで混ぜて煮て炊いて、と全部、わいわいいいながらつくっていた。そんな母親たちを、子ども同士に飽きた子どもらが取り囲んで、俺の母ちゃんこれー、うちのお母さんこのひとー、あたしのママはこれーと口々に母紹介&母自慢。
「ひろくんのお母さん何歳? 35?」
「ゆきちゃんのお母さん何歳? 33?」
「まーくんとこは? なっちとこは? 36? 37?」
「お母さん、お母さん、勝ったで! お母さんがいちばん年上やで」
「見て見て、ウチのお母さん、もう40歳やのにこんなに元気やで!」
……以上はすべてウチのさなぎのセリフである……。(子どもの呼び名は仮名)
私の記憶が正しければ、そこに参加していた子どもたちの9割がひとりっ子だった。小学校低学年のイベントだったので、子どもたちは7〜9歳。その時点でひとりっ子だったら、その後二人めが生まれている可能性はあまり高くないだろう。当時から今に続いておつきあいのある家庭は数えるほどしかないが、見事に子どもたちはみんなひとりっ子である。
ウチの子もひとりっ子、甥っ子もひとりっ子。保育園から一緒の幼馴染みもひとりっ子。ともに陸上に打ち込んだ同級生もひとりっ子。放課後、学童保育に連れだって通った少年たちふたりも、それぞれひとりっ子。
先述したように、32歳で娘を生んだ私は、当時は年かさのほうだった。周囲はやはり20代で第一子を生んでいるひとが圧倒的に多かった。今、30代後半で初産はちっとも珍しくない。やっと赤ちゃんを授かり予定日の近づいた若い友人は、39歳だ。私の髪をいつも切ってくれる美容師は、同じ高校の3〜4年後輩なんだが、40歳で授かった娘を玉のように愛でている。
非婚が進み、晩婚が当たり前になり、それでもし、しぜんに子宝に恵まれればめっけもんだ。たいしてほしいと思わない夫婦はそのままふたりの暮らしを楽しむだろうしなんとしてもほしいカップルは不妊治療にトライする。医療も進んだし、成功率は低くないし。でも、ひとりが精一杯だろう。私の周囲に不妊治療の末の妊娠は片手を超えるが、みんなひとりっ子だ。

私が子どもの頃は、ひとりっ子は稀有な存在だった。
といっても、きょうだいの数は2人か3人、それ以上の例はなかった。
私の父は4人兄弟(ひとり夭逝)、母は8人兄弟姉妹(2人が夭逝)。

今年、なんと初めて村上春樹の小説を読んだ。初めて読んだのは『国境の南、太陽の西』で、これは「ひとりっ子」が物語を通徹していた。その後すぐに、発売されたばかりの『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を、友人から譲り受けて読んだ。そのあと短編集『東京奇譚集』だったっけ?を読んだ。思うに、主人公の男は、名前をはじめ生い立ちなど設定は少しずつ変えてあるものの、全部、けっきょく同一人物だ。水泳が趣味とか、好んで聴く音楽や好きな料理が同じだ。……というようなことは今、どうでもいいのであった。話を戻すが、最初に読んだ『国境の南、太陽の西』では、主人公の精神がひとりっ子コンプレックスに満ちていて、奇異にさえ思える。述べたように、私の世代にもひとりっ子は珍しくて、たしかにひとりっ子にはなにがしかのレッテル貼りを周囲はしたものだ。しかし、村上春樹の主人公のように、クラスで自分が唯一のひとりっ子だった、みたいなことはなかった(と思う)。親戚にも町内にも学校にも、ちょこちょことひとりっ子はいた。少数派だけど、ひとりっ子はたしかに一定数いて、ある種のプロフィールを形成していた。たぶん、こうした私の幼少の頃からひとりっ子はだんだんとその数を増やし、やがて市民権を得て(あなたもひとりっ子なのね、私もよ)、今や多数派となった(え、君ってきょうだいいるの? へーえ)のである。

村上春樹の時代に奇異で希少種だったひとりっ子は、私の父の時代にはいったいどれほど貴重な存在だったであろうか。昭和の初め、女の仕事はただ子を産むことであったのだ。

谷川俊太郎は父と同い年だ。

感性にまかせて詩を書き、要請に応じて詩を書き、ままならぬもどかしさや表現の苦しみに、ひり出すように言葉と言葉の鎖をつないで詩を書く。詩人としての生を貫いたら、結婚も離婚も3回になった。彼はひとり息子として母親に溺愛された。おそらく、方法は違っても、同じ深さでひとり息子を溺愛している。息子の賢作さんとの数々のコラボレーションの洒脱さはよく知られるところだ。

タートルネックのセーターにジーンズ。よく写真で見る谷川俊太郎のいでたちだが、父と同い年とは思えない。同じ年に生まれたというのに彼我の違いはいったいなんなんだろう?
父はいつも兄と弟に挟まれ、喧嘩もし議論もし、飲み、食い、助け合い、つねにかかわり合って生きていた。よくも悪くも血縁に依存し縛られてその生涯を終えた父。荒野にひとり、凛とたたずむひとりの男、一度手をつなぐもすぐ離し、ひょうひょうと風下へ、吹かれるように歩むひとりの男、荒野にはいつしか花が咲き始めていて、彼は空を見、花を見、詩をしたためる。谷川俊太郎。こんなイメージ、逆さにしても裏返しても父にはならないというところが、私にとっては奇跡だ。奇跡のひと、谷川俊太郎。

谷川俊太郎の詩が好きだが、それほど彼の詩集を丹念に読んでいるわけではない。幼少から私はなぜか「詩」や「ポエム」が好きだった。書く(詩などと呼べる代物ではなかったにしろ)のも、読むのも好きだった。そんな私のアンテナにかかったひとりの詩人にすぎなかった谷川俊太郎が、けっきょく私の中ではいちばん存在感をもって、詩人として在る。
詩作というのは、想像するだけなんだけど、つねに表現の限界への挑戦を強いられているような、心にある画(え)を言葉に置換し、というより言葉で描きなおしながら、しかし言葉しか解さない人に心の画を伝えるという高難度技への挑戦であるように思われる。

しかし、谷川俊太郎は舗道を歩きながら、野に出て花の香りを嗅ぎながら、しゅるしゅるっと言葉を紡ぐ(たぶん)。

その谷川俊太郎のエッセイをまとめたのが本書だ。

やはり彼は詩人であって、文章書きではないな、というのが、読後感だ。
素直すぎるのである。
飾りがなさ過ぎ。
ストレートに、吐露され過ぎ。
熱すぎない彼の表現は淡々と筆が運ばれているようでいて、実はドクドク動く生の心臓を突き出されたような、なまなましいブリュットな文章。
覆いもなく箱もない、むき出しの状態の谷川俊太郎の心が並んでいる。
それなのに、オブラートに包まれたようにしか感じられないもどかしさを強いられる。
それが本書である。
ひとりっ子の彼は、どこまでもひとりである。ほかに比較しようがないから、彼はひとりっ子を楽しみ、謳歌している。干渉もなく依存もない暮らしを貫く、孤高のひと。

と、なんだか持ち上げ過ぎたような気がするんだけど、早い話が、あまり面白くない一冊であった。言葉を使って仕事をしているひとだけど、技巧にまかせて凝った文章づくりをしているわけではない。シンプルだ。そして、意図が伝わらないわけではない。むしろ、よくわかる。でも、やはり谷川俊太郎は詩を読むに限る。彼に限らず、詩はイマジネーションをあおる。しかし谷川俊太郎の文章は、イマジネーションをあおらない。
谷川俊太郎は詩を読むに限る。

C'est l'automne...2013/10/06 12:45:02

空の真ん中に白いすじ。いったいどこから飛んだ飛行機がそんな飛びかたをしたのか。はたまた、落ちたのか? ちなみにこれは東の空。


『辰巳芳子のひとこと集
   お役にたつかしら』
辰巳芳子著
文藝春秋 (2013年)


辰巳芳子さんを尊敬したり敬愛したり、ヅカファンのように盲信的に愛したり、ストーカーみたく追っかけしたり、ただひたすらその料理指南書を学んだり、とにかく辰巳センセはスンバラシイ!と崇拝する人は今や山のようにいると思うが、私も、いや私は盲信してないし追っかけてないしそんなに料理を研究してもいないけど、私もその山のような人々のひとりである。

本書は、ここでも何度か取り上げたことがある、辰巳さんの「鋭いひと言」をかき集めた本である。なんでまたそんな本つくるねん、と思った。たしかに辰巳さんの言葉は重いし忘れがたいけど、それは料理をはじめとする、食を中心にした生活のありさま、季節の移ろい、そうしたものとともに綴られるから意味をもち、色みを帯び、重さを増すのであって、言葉だけを切り取って、そんなアータ、世界の格言名言集やないねんから、逆効果やないやろか〜と思ったんである。

私は、実はそれほど辰巳さんの本を読んでいない。日本の食文化に警鐘を鳴らした2、3冊の単行本と、いつかマイブログで紹介した小振りなスープのレシピ本だけである。オフィシャルブログにリンクを張っているけれど、正直、ときどきクリックして穏やかなご尊顔を拝するだけである。
そして、この人のお母様には、芳子さんがいたけれども、この人には、この人の料理を継承する人がいるのだろうかと、ちょっと心が曇る。
こんなに本をバンバン出して、映画もつくって、お弟子さんもぎょうさんいるみたいやし、レシピの継承は誰かが(というかみんなが)するとは思われるが、私は「辰巳芳子」をそんなに普遍的な、シンボライズしたものにしてよいのか、という疑問が少しある。
ボキューズとか、リュカ・カルトンとか、デュカスとか、レストラン経営の多国籍企業の「顔」ならいいんだけど、辰巳さんのメッセージって、つまるところ「おうちでご飯つくりなさいよ、家庭の味を大切にしなさいよ」ということだと思っている。味覚は人それぞれ固有にもつものだし、それに左右される家庭料理は間違いなく、家庭の構成員の好みや賛否に揺れながら、何らかの形、何らかの味つけを構築されて、その家の真ん中を流れる大河、というか地下水脈、つーか動脈のように、生命線のごとく流れて維持されて受け継がれていくものだろう。たいそうな表現をしたが、早い話、おうちでご飯つくりましょう、なのである。ならば、なんというのか、「辰巳芳子語録」というのはもしそれが彼女のいう「おうちでご飯つくりなさい」を幹にした枝葉のひとえだ、ひと葉、なのだとしたら、いわば「辰巳家」固有の、ごくプライベートな言葉としてそっと仕舞われて、しかるべきところにだけ開陳されていればよいはずである。

でも、もはや「辰巳芳子」は辰巳さんひとりのものでなくなっている。そんなの、とっくにご本人は自覚なさっていることだろう。なさっているだろうけれど、こうしてさまざまな出版物や映像で広く行き渡らせることは、けっして彼女が受け継いだ辰巳浜子の味や心を、誰かに遺伝することにはならないのである。そう思うと、やはり心が曇る。

本書には、私ごときの半端な辰巳ファンにも目に覚えのある辰巳語録が満載である。そして、お母様/辰巳浜子さんのことだけでなく、半端なファンである私はあまり知らなかったお父様のことも書かれている。辰巳さんは父も母もたいへん愛しておられた。戦争、高度成長、公害、バブル、震災、原発汚染。父と母への、そのまた父たち、母たちへの、揺るぎない愛と信頼なしには生き抜いてこれなかったかもしれない。本書の価値は、たぶん私ごときにそのように思わせた一点に尽きるかもしれない。

辰巳さんだけではない、1920年代生まれの、90歳を超えた、あるいは超えようとする人々の言葉は、もっともっと聞かれ、書かれ、伝承されなくてはならないはずだ。お元気でご長寿、いいですねえ、なんていっている場合ではない。このかたがたのほんの2、30年あとの世代にはどこかのソーリ大臣みたいに、戦争知らないから戦争やりたくってしょうがないのボク、みたいな極右アホぼん目白押しなのである。アホぼんどもにいいようにされないためには、さらに後続の私たちが、先人の言葉と知恵と行動に学ばなければならないのだ。

秋である。読書の、にしたい秋である。

A la recherche du nippon perdu2013/01/31 19:29:37




『美しき日本の残像』
アレックス・カー著
朝日文庫(2000年)
※単行本は1993年に新潮社より刊行、翌1994年第七回新潮学芸賞を受賞している。



毎朝、御苑の西側を走る。
全国都道府県対抗女子駅伝の、中学生区間になる道だ。
何年か前、とびきり速い中学生二人がこの区間を走り、ほかの区間を走った高校・大学生選手、実業団選手がピリッとしなかったにもかかわらず、京都が楽勝したことがあった。3区で走った子が先行ランナーを軽く抜き去り、6区で走った子は後続をぶっちぎった。当時はまだ使えていた我が家のアナログテレビで私はこの駅伝の実況を見ていた。高橋尚子か、増田明美か、誰か忘れたが解説をしていた元ランナー女史が、「あ、いまギアが入りましたね」と言った。その言葉どおり、まるでトップギアに入れたかのように中学生は速度をぐんぐん上げて前のランナーを捉えたかと思うと抜き去り大きく差を広げた。まったく、胸のすくような走りだった。痩せていて小柄で、素人目にもフォームはでたらめだ。しかしパワーに満ちていた。現在は大学生になったこれらとびきり速い元中学生たちの、あまり華やかな活躍は聞こえてこないが、つぶれることなくいつか本格的に開花してほしいと思う。ランナーとしてトップに君臨できる期間はとても短い。いきなり日本一、世界一になんてならなくていいから、無理なく成長し続けて、どこかで栄冠を手にできれば素晴らしいけどな。同世代の女子中学生陸上選手たちが、どれほど彼女たちに憧れ、その走りに励まされたことだろう。ウチの娘もその陸部仲間もみんな、彼女たちを見て「ウチらも頑張る」と、進む道は変わっても、心の糧にしたのだった。親として、彼女たちに感謝しないわけにはいかないのである。応援しないわけにはいかないのである。

……というようなことを、毎朝御苑の西側を走るほんの数分の間に考える。走るったって、あたしはチャリです。ええ、毎朝の通勤の話です。事務所が引っ越して御苑の東側まで行かなきゃいけないんだけどさ、ま、碁盤の目の京都、通勤路はどうでもとれるんだけど、西から東へ御苑内を突っ切って行きたいので、いちばん北の乾御門(いぬいごもん)まで西側の烏丸通の車道をぎゅいーんと走る。速度を上げるとき、先述の女子駅伝を思い出す。「あ、いまギアが入りましたね」。私も「キャー遅刻しそおおーー」と心中で叫びながらペダルをぐるぐるこぎまくる(笑)。

しかし、乾御門に到達する頃にはもう息が切れてて、御苑に入った途端、散歩モードに切り替わる。季節柄まだ木々の姿は寂しいが、それでもさまざまな鳥たちが、何をついばんでいるのか砂利道に覆いかぶさる枝の下に集まっている。ランニングする市民や学生の姿はいつもある。私のようにここを通学路、通勤路にしている人が徒歩や自転車で行き交う。ときどき猫も歩いている。カラスの群れで道が市松模様に見えることもある。右手に迎賓館の壁が続く。何にもないただの庭園のようで、実は厳戒警備エリアなのである。古びた東側の石薬師御門を抜けるとき、またつまらない憂鬱な一日の始まりを覚悟するとき、落ち葉を踏みしめながら、それでも私は日本人でよかったと実感する。なぜだか、わからない。市民が憩う庭園は、フランスはじめ異国でたくさん見たし、生活するうち、しぜんとその地に馴染んでいる自分を素直に受け容れることができたし、好きだったし、離れ難かったし、骨をうずめたいとも思ったし……。でも、けっきょくそうはせずに私は自分の生まれ故郷で子を育て、この地に根を下ろして生き抜こうとしている。面倒くさがっているだけかもしれないし、運命かもしれない。もしかしたらまた異国での暮らしを唐突に始めるかもしれない。でもきっと、またここに帰ってくるような、予感がある。御苑内をとぼとぼと散歩する老婆の姿に、簡単に自分を重ねることができる。年老いた私には、モンペリエではなく京都が似合うだろう。ともに古い歴史都市であり古い大学があって学生にあふれる街だけれど、すっかり腰と背中の曲がってしまった母が、30年後の私の姿だとしたら、やはり京都が似合うだろう。歩行器を押し歩く小さな老婆も、和服姿の凛とした粋な老婦人も、ともに偉そうに闊歩するのが京都である。

今週月曜夜、図書館からの帰り道。8時頃かな。月がすごく綺麗だったので思わず。ガラケーの写真はダメだな。


何年も前の話だが、東京から帰省した知人が、実に20年ぶりなんです帰ってくるの、京都ってこんなに夜が夜らしいまちでしたっけ、と言ったことがある。私たちはとあるビルの中庭に面したレストランで食事をしていたが、そのビルは繁華街のど真ん中にあり、私はつねづね、この煌々とした明るすぎる街灯、看板の照明、道を埋め尽くす自動車の上向いたヘッドライトに辟易し、星の見えない夜空にうんざりしていたので彼女の言葉に驚いた。東京は隅から隅まで不夜城のようです、どの店も24時間照明は消さないし、というか、営業しているし。そう、京都はずいぶんましなのね、私はそう言ったけど、もちろんだからって納得はしていない。歓楽街のけばけばしいネオンというのはそれじたいある種の文化かもしれないので、そういうもんには寛容な私であるが、普通の道、普通の住宅街に、不要な光が多すぎる。事故や不審者出没を防ぐためにもある程度の光は必要だが、それにしても灯りの明るすぎる道の多いこと。光源が明るすぎると、かえって陰影に潜むものが見えないこともあるしさ、危ないんだよ。
……その点、たしかに御苑内は、夜は真っ暗である。漆黒の闇である。さすがに、嬉しがって通る気になれない。厳重警戒エリアだから、安心して通れるはずなんだけど、恐怖が先に立つ(笑)。

アレックスは日本の美しさと醜さを率直に綴っている。最初の執筆がもう1990年のことだというから、当時のことを書き記したといってももうかなり古い話だ。バブルの絶頂で、そろそろ危なくなって下り坂にさしかかった頃の日本。カネにもの言わせた派手な醜い箱が全国に、いくつも建った。歴史を湛える有形無形の文化遺産を潰して「更地」にした。したところでちょうど泡がはじけてなくなって、ゴルフ場のバンカーのように、悩める思春期の子の円形脱毛のように、えぐられたままの地面が裸体のまま各地に残った。けっきょく、引き続き醜悪なものが建つか、コインパーキングになるか、そのまま裸をさらすか、している。

途上国を訪問したある人に、以前と今と状況はどうですかと尋ねたら、事態はますます悪化しているようですと顔を曇らせた。このケースは深刻だ。人命と国の行く末にかかわるからな、もちろん。


日曜日には、上賀茂手づくり市へ行った。とてもニッポンな風景。

こちらもニッポンな園部(そのべ)の風景。取材しに行ったはいいけど、えらい雪に遭った。12月の初めだったかな。



アレックスに、京都は、日本は以前と比べてどうですかと尋ねてもきっと、やっぱり「事態はますます悪化していますね」と言うだろう。この「悪化」には緊急性もなければ人の生死とのかかわりもない。ないけど、ある豊かな文化がちりちりと、剃刀で削り取るように、彫刻刀で切り抜くように失われてゆくというのは、確実に、安心して大きく深呼吸したり、大の字になって寝転んだり、日がな一日読書に耽ったりという、暮らしの「無駄」な「遊び」の部分を奪ってゆく。のほほんと、警戒心なく、環境に身を委ねることをいつのまにか不可能にしてしまう。いずれ、ここは、人の住める場所ではなくなってしまう。そのことは、生存率も識字率も低く当たり前の生活も保障されない途上国と比べても、かなり深刻である。いっとくが、今、放射性物質による汚染は考慮していない。


あけぼの。電線もべつに、嫌いじゃない。


電線を地中に埋めるのはたいへんな工事だ。ないと空はすっきりするだろうけど、代わりに醜悪な看板や外壁が目についたのでは元も子もない。見上げた時に電線しか見えないなら、まだましだ。めっきり減ったが、スズメもとまるし。それよりも、守るものが星の数ほどある。もちろん、改めるもの、除くものも、山のようにある、電線より先に。

Les jours heureux2012/09/04 19:12:25


『ハッピーデイズ』
ロラン・グラフ著 工藤妙子訳
角川書店(2008年)


原題の「Les jours heureux」は「幸せな日々」という意味で、したがって「ハッピーデイズ」というのはそのまんま英訳カタカナにしたものである。
「Les jours heureux」は、この小説の舞台となっている老人ホームの名称でもある。
翻訳作業なんぞをしていると、外国語をわが母語に置き換える困難さに辟易すると同時に、日本語という言語の便利さと融通無碍さに救われる。この小説において、主要な舞台である施設名は小説の題名であり、テーマであり、キーワードでもある。「幸せな日々」では明瞭すぎて何も語らなさすぎる。では原題の発音をカタカナに置き換えたら? 「レジュールゾロー」。意味不明(笑)。

で、「ハッピーデイズ」だなんて。なんと。「ハッピー」も「デイズ」もその意味を知らん日本人が存在するだろうか? なんと行き届いたこの国の英語教育。文部科学省万歳。このように、わが母語には普通名詞の顔をした英カタカナ単語が実に生き生きと存在し使用されておるゆえ、原書が仏語だからといって「それ」を利用せずにすます手はないのだ。シャワーだってキッチンだってスパークリングワインだってオレンジジュースだって、いちいち仏語カタカナになんかしないのだ。(ドゥーシュ、キュイジーヌ、ヴァンムース、ジュドロンジュ。意味不明)

というわけで、ハッピーデイズ。ハッピーデイズと書かれた表紙の下にきれいにペイントされたこぢんまりした建物と老人二人の写真。これだけだが、余生の幸福がテーマの話だとわからない日本人がいないわけがなかろう?

だけど、もし私がこの本にタイトルをつけたなら、ハッピーデイズとはせずに、主人公のアントワーヌを前に出しただろう。「僕は十八で墓を買った」とか「老人ホームで暮らすわけ」とか。あるいは「ミレイユ」。ミレイユは入居者の一人で末期がん患者、アントワーヌと心を通わせる老女だ。
出版に至るまでに、こうした案も含め、小説のタイトルにはきっと相当な議論がなされたに違いない。どんな小説でも映画でも、タイトルは生命線だ。その本を書架から、あるいは平積みワゴンから手に取る理由は、申し訳ないが店員の手書きポップではなく、「タイトルに惹かれたから」に尽きる。購買行動を喚起する第一のアイキャッチ。

そういうことから考えると、ハッピーデイズという語は、シンプルすぎて、優しすぎて、目に留めた人の心をわしづかみにするほどのパワーを持たない。持たないからこそ惹かれる人もあるだろうが、一般的にいえばやはりちょっと弱いように思われる。
ただ、何だろ?と思って読みさえすれば、「ハッピーデイズ」の語が幾重にも意味を含み、読者にとってのハッピーデイズの何たるかを問いかけすらしていることがわかって、読後は「ハッピーデイズ」の語が単に優しいだけの小説の題名を超え、心にどすんとのしかかるのを感じる。
ということを考えると、「僕は十八で墓を買った」じゃなくて「ハッピーデイズ」でよかったな、小説よ、と言いたくなる(笑)。

ただし、以上は、かなり好意的にこの小説を読んだ場合である。

正直いうと、違和感を拭えないまま読み進んで読み終えてしまった。奥歯になんか挟まったまんまよ、てところか。

主人公のアントワーヌは18歳にして人生のすべてをもう経験し終えたと悟りこの上は死ぬ準備をするだけだという境地に至る。で、親が貯めてくれた貯金をすべてはたいて墓を買う。
私のような醒めたオバハンは、こういう人物設定に共感したりしないのである。アホかクソ餓鬼と吐き捨てるのである。で、このクソ餓鬼、あとは死ぬのを待つばかりと覚悟を決めたんなら可愛いが、やっぱし恋のひとつも情事のひとつも結婚のひとつも味わってみたくて、素直そうな少女をナンパして恋仲になり結婚し子どもをもうける。全然、人生終わってへんやないのアンタ。子ども産ませたんなら育てなさいよ。と、たしかにアントワーヌは育児に興味を示し、一生懸命になろうとするのだが、要は、このクソ餓鬼、単に飽きっぽいのだ。子どもはけっして親の鏡でも縮小コピーでもなく自分で生きる力があり人生をデザインし切り拓く力のある生き物だとわかると途端に興味を失うのである。おめでたいクソ餓鬼である。そんな折、アントワーヌの名付け親が彼に巨額の遺産を残して死ぬ。一生遊んで暮らせる財産を手にしたアントワーヌは、妻子に別れを宣言し、老人ホーム入居を決める。このとき35歳。老人ホームの名は「ハッピーデイズ」。
小説は、この施設におけるアントワーヌと老人たちの生活を切り取って描写したものである。


ませたクソ餓鬼は、老人ホームの変なオッサンとなって、入居者の老人老女はもちろん、所長はじめ職員、出入り業者、近隣の住民ともうまく折り合いながら、長すぎる余生を幸せに生きている。このように、いっさい生産活動を行わず、社会に何も寄与しないで、ただもらったもんを食いつぶしていくだけで一生を終える輩が欧米にはいまだ少なからずいる。長らく続いた貴族制度やその時代に対する偏愛とノスタルジーは健在だ。そしてそんな人間を主人公にした人間ドラマが成立するのも洋の西ならではだ。

私は、労働こそ崇高なものだなんてこれっぽっちも思っていない。物はすべて配給制で平等に分配されるべきなんて気持ち悪い思想をもったこともない。私は働くことの大嫌いな怠け者だし、熱しやすく冷めやすいし惚れっぽくて飽きっぽいし、つまり、アントワーヌと一緒やん、である。ただ、アントワーヌのこの物語は彼の勤勉な両親が築いたひとまとまりのお金と、たまたま子孫のない紳士が名づけた子に残した莫大な遺産とがなかったら「無い話」だ。彼の「飽食」も、誰かの「勤勉」や「蓄財」や「敏腕」のたまものだ。私とアントワーヌの差は、「ひとまとまりのお金」と「莫大な遺産」の有無だけだ。なのに彼は「生かされている」とはけっして思わず自分独りで生きているつもりでいる。

老人ホームという共同生活の場所を舞台にしてはいるが、ここでは、人は独りで生き、独りで死にゆくものであるということが前提にされている。まったく面白くもなんともない小説だ、とは言わないが、この大前提、というか発想の中核になっているものが私の中にあるものと決定的に異なるせいで、永遠なる相容れなさを感じ、読んでいる間も気持ち悪さがつきまとう。

私が、あなたが、独りで生きてゆけるのは、誰かの努力、誰かの制度設計、誰かの書類手続き、誰かが造った道、誰かが造った橋、誰かが実らせた果実、そして誰かの命があってのものだという視点が、ない。独りで生きてゆけているように見えて、けっして独りはあり得ないという視点が、ない。それは私などの感覚からすれば人生観の違いというよりは欠落だ。ミレイユの死に際してアントワーヌはたしかに生命のありさまを感じ取ったようだけれど、でも、ミレイユの息子に会って、命の連鎖を感じただろうか? そうは描かれていない。

皮肉と風刺が売りもののフランス小説に、もはや手垢にまみれて中途半端な流行語と化してしまった「絆」だとか「つながり」だとか、そんな日本語の意味を求める気はさらさらない。本書はこれでいいのである。ただ、フランスのひとというのはどこまでも「個」であり「弧」であるのだ、それを再認識させられた。ほどほどのところで妥協の手を打たないと、知れば知るほど互いが居心地悪い場所になるのだ。ああ。


私は本書を図書館で借りて読んだ。「フランス文学」の書架に「ハッピーデイズ」という英語カタカナのタイトルは、非常に異質に見えた。「英米文学」の書架にはどんなカタカナが並んでいてもピシッと決まる。『ホテル・ニューハンプシャー』『サイダーハウス・ルール』『ダヴィンチ・コード』『トラベリング・パンツ』……でも、仏、独、西、露などの書架にはカタカナのタイトルはほとんどない。ましてや英カタカナ語を冠した小説本なんて皆無だ。だから『ハッピーデイズ』は異彩を放って見えた。これが大型書店の新刊書コーナーにあっても、ひっそり目立つことなく、そしてやがては片づけられてしまったであろう。たまたま、私のような者が書架を眺めた日にそこにあったおかげで、また、たまたま私が分厚い長編小説を読む体力がまったくない時期だったから、薄っぺらい『ハッピーデイズ』は晴れて私に読まれることになったのである。
いつだったか『かげろう』というタイトルの、これも薄っぺらい短編を取り上げたが、タイトルだけを問題にするなら『ハッピーデイズ』のほうが『かげろう』の数倍気が利いているように思う。だってあれ、全然「かげろう」じゃなかったもん。でも物語の中身は『かげろう』のほうが面白かったけど。

Angelina...2012/06/08 18:22:42



アンジェリーナのショコラ・ショー(=ホットチョコレート=ココア)
ワインを買うつもりで入ったスーパーの、甘いもん売場で偶然見つけて買った。どこだったかな、あれ。オペラ座の近くだったか? けっこう中心部だったと記憶しているが……。でも、「リヴォリ通りのサロン・ドゥ・テ」なんかには行かなかったよ。
それにしても本格的で濃厚な甘さ。濃厚すぎるので淹れかたの説明にあるよりも濃さをゆるめて飲んでいる(でももうすぐなくなるので娘が悲しんでいる。笑)。


『優雅なハリネズミ』
ミュリエル・バルベリ著 河村真紀子訳
早川書房(2008年)


《(前略)わたしはママにアジア風のお店で睡眠薬用に黒い漆塗りの小さなケースを買いました。三十ユーロでした。それで十分だと思ったのですが、エレーヌは、それだけじゃさびしいから何かほかにもあげたら、と言いました。エレーヌのご主人は消化器系の専門医です。お医者さんのなかでも消化器系の医師はかなりお金持ちなのでしょう。でもわたしはエレーヌとクロードが好きです。だって……、何て言うか……完全だからです。人生に満足していて、あるがままの自分でいるかんじがするのです。それにソフィがいます。いとこのソフィはダウン症です。(中略)ソフィを見ているとむしろつらくなります。よだれをたらすし、叫ぶし、拗ねるし、わがままだし、何も理解できないからです。エレーヌとクロードを否定しているのではありません。彼ら自身、ソフィは気難しいし、ダウン症の娘を持つことはまるで牢獄だと言っていますが、それでもソフィを愛しているし、よく面倒を見ています。ソフィのことがあるから、より一層人間として強くなり、だからこそ私はふたりが好きなのです。(中略)リヴォリ通りにあるティーサロン、アンジェリーナに行って、ケーキを食べココアを飲みました。車を燃やす郊外の若者とは最も縁遠い場所だと思われるでしょうか。いいえ、ちがいます! アンジェリーナで、またひとつ判ったことがあるのです。わたしたちの隣のテーブルに、アジア系の男の赤ちゃんを連れた白人カップルがすわっていました。男の子はテオという名前でした。エレーヌが彼らと仲良くなって、しばらく話していました。ふつうとちがう子どもを持つ親どうし、きっと何か通じるものがあったのでしょう。お互いにそうとわかって話しはじめたのです。テオは養子で、タイから連れて来たときは一歳三カ月だったということでした。津波で両親を亡くし、兄弟姉妹も失ったそうです。わたしはまわりを見わたし、これから彼はどうやって生きていくのだろうと思いました。わたしたちがいたのはアンジェリーナです。みんなきちんとした服装で、高いケーキを気取って食べ、そこにいたのはつまり……、つまりそこは、ある一定の社会層の人たちのもので、それなりの信仰や規範、思惑、歴史があるのです。象徴的なのです、アンジェリーナでお茶をするということは、フランスにいて、裕福で、階層化された、合理的で、デカルト的で、開化した社会にいるということです。幼いテオはどうなるのでしょう。生後数カ月はタイの漁村で暮らしたのです。そこは独特の価値観と感情に支配された東洋的な世界で、その象徴はたとえば雨の神様を敬う村祭りで、それを通して子どもたちは神秘的な慣習に浸るのです。それがこんなふうに、フランスの、パリの、アンジェリーナの、文化がまるっきり違った世界に、つまりアジアからヨーロッパへ、途上国から先進国へいきなり移されたのです。
 だからふと、テオはいつか車を燃やしたくなるだろうと思ったのです。だってそれは怒りと不満からくる行為で、おそらくいちばん大きな怒りや不満は失業や貧困ではなく、未来がないことでもなく、異なる文化や相容れない象徴に引き裂かれ、自らの文化を持たないという感情にあるからです。象徴に引き裂かれ、自らの文化を持たないという感情にあるからです。どこにいるかがわからなくて、どうやって生きていられますか? タイの漁民文化とパリの有産階級文化を同時に受け入れなければならないの?(後略)》(288~289ページ)


すでに一度言及した小説だが、じつは最も共感し、印象深かったのが上記に引用した部分だった。本書のもうひとりの主人公、12歳の天才少女・パロマのある日の日記のくだりだ。あまりに私の気持ちとぴったりなので、ここだけ、別れ難くて、図書返却前にテキスト入力して保存しておいたのだった。

上でパロマが言っている「車を燃やす郊外の若者」というのは数年前にパリで頻発した事件のことを指している。パリの郊外には低所得者向けの集合住宅(HLM)が林立しており、そこには、なかには生粋のフランス人もいるだろうけど、大方の住民が移民系で、子どもの就学率も低いし、学校ヘ行っていても学歴は最小限だし、そんなこんなで若者の就業率も低い。失業率は慢性的に高いフランスだが、若年層の失業率が顕著に高くなっており(どこもいっしょやね)、数年前には、その多くは郊外に住む低所得家庭の子どもたちだった。ただし今は、仕事に就けない若者は移民の子孫に限らないし、大学まで出ていてもすんなりと職は見つからない(どこもいっしょやね)。話を戻すが、先頃退陣なさった元大統領閣下のニコラ・サルコジは移民排斥の傾向の強い人で、ぺーぺーの議員時代から問題発言を繰り返していた。彼が、郊外の若者たちを「社会のクズ」呼ばわりしたことが、騒動を拡大・長期化させた。最初は、職質した警官にたてついた少年が、警官の発砲によって死亡したために、少年の仲間が「報復」として駐車中の車に火をつけた。これが始まりで、同じような動きが広がり、やがて先のニコラ発言になり、それがまた火に油を注いだ。


私が思ったことは、あのハイチ大地震の際に、おびただしい数の孤児をフランスの多くの家庭が養子縁組にした「美談」である。フランスのメディアはこぞって、基本的にフランス人がその志の根底にノブレス・オブリージュを持っているといって称えた。またハイチから孤児の団体がエールフランスで到着すると、「子どもたちは一様に安堵の表情を見せた」などと、これまた誰の差し金かはわからないけど、一連のフランス人の行動を称える内容であふれかえっている。でも、そのことに誰も異議は唱えないんだろうか。私はそう思っていた。あまり隅々まで報道を読むフランス語力はないので大新聞の見出ししか追いかけていなかったのだけれど、養子縁組ラッシュに批判的な文言は見られなかった。

本書のこのくだりを読んだとき、少なくともこの作家(とたぶんその夫)は、貧しい国から孤児を養子にすることが100%善行のように語られる風潮に対して、眉間に皺を寄せているのだということがわかったのでちょっぴりほっとした。
養子縁組を否定するつもりはまったくない。私だって裕福であればそのような色気は出したであろう。ウチはムスメがひとりだから、男の子の子育てやってみたいもん(笑)。
でも、人の命って単体じゃない。つながってつながってつながって、ほんの偶然でいま生を受けてこの時代に躍動しているというだけだ。ルワンダにはルワンダの、タイにはタイの、ハイチにはハイチの、東北には東北の、大地から生まれた命の連鎖があり、互いに見ているのはその鎖のひとつにすぎない。


前にも書いたが、本書刊行後、作家夫妻は京都に移住したようだがその後東日本の震災もあり、何もかもが変わらないままというこはあり得なくなった。人々のメンタリティーは大きく変わった。脱原発を叫んでいた人が熟慮深慮の末やっぱ再稼働に賛成といっても、私は怒らない。何を根拠にして考え、何を信じて主張すればいいのか、まだわからないという人も大勢いる。私だってその類いだ。昨日ソーダと思ったことに今日バカヤローと毒づいたって、誰がそのことを責められる? 野田ソーリは、やーな役目だよなオレ〜と思って会見したかもしれないし、使命感に燃えて言明したのかもしれないけど、問題は彼がどう思っているのか本当のところはどうなんだ、ということなどでは全然ない。日本ってあくまで社会経済優先なのね、人の命が危険に晒されるかもしれないとかそういうことは二の次なのね、というふうに国民が思うことも織り込み済みだ。電気が不足すると困るとか企業の流出はよくないとかそんなこともどうでもよいはず。単に、既得権益を離したくないムラの人々の力が大きい。これはいかんともしがたい。世界中がそうなのである。

Le garçon aux yeux gris2012/05/30 02:14:06


帰国して一週間が経過したがいまなお時差ボケから回復せず頭も体もぼおおおーーーっとしている。




『かげろう』
ジル・ペロー著 菊地よしみ訳
早川書房(2003年)


久しぶりにフランス小説らしい小説を読んだ気がする。これはいつか書いた『優雅なハリネズミ』と一緒に借りたんだが、『優雅なハリネズミ』を読むのに思いのほか時間がかかったのに比べてこちらはあっという間に一気読み。そもそも短編(中編? ここらへんの定義はとんとわからん)をむりやりその一編だけで単行本にしたような装幀ではある。
なぜ読む気になったかというと、原題が『灰色の目の少年(Le garçon aux yeux gris)』なのになんで邦題が『かげろう』なんだろうと思ったのと、第二次大戦下の物語であることがカバー見返しを読んでわかったからである。ちょうど無料映像配信で『戦場のピアニスト』を観たのが記憶に新しく、気が滅入るとわかっていても、戦時ものを観たり読んだりしたくなるアブナイ枯渇期というものが定期的に訪れる私である。
私はジル・ペローという作家について何も知らなかったが、たいへんな大著作家であるようだ。解説によると、フランスでは「あの」ジル・ペローがこんな小説を書くのかという好意的な驚きで迎えられたらしい。そういう先入観を少しももたないで読むと、なかなかええとこ突くやんかジル君、ぽんぽん、と肩を叩きたくなるほど、小粋な逸品ぶりに嘆息である。
淡々とした文体だが、いたずらにアップテンポであるとかスピード感があるとかでなく、しっとりとした仏文学らしい湿気を帯びているのが、訳文にもにじみでていて秀逸である。湿り気を帯びながら、それでいて心理的な乾きを感じさせる描写は作家の力量によるところ大であろうが、それを日本語で再現している訳者の力量も相当である。原文と訳文の力関係がバランスを保っているとき、和文を読んでいても仏文が透けて見えるような感じを覚えることがある。今回は、どの箇所かは忘れたが、語り手でもあるヒロイン(若く美しいと思われる人妻)のモノローグに、仏語が透けて見えてなおかつ違和感を覚えた表現が数箇所あった。なんといえばよいのか、全体にフランス小説らしさに満ちながら、細部にフランスらしさを突き放したような表現が織り込んであり、それは原作云々ではなく訳者のスタイルなのであろう。

かげろうは「陽炎」? それとも「蜉蝣」? はたまた「蜻蛉」?
「蜻蛉」といえば優柔不断な薫君が浮舟をうじうじ思う一帖のタイトルである。
いうまでもないだろうがもちろん、本書『かげろう』は宇治十帖とは似ても似つかない。
しかし、とらえどころのない愛する対象のことを、日本語版編集チームがかげろうと表現したとしたら、この「かげろう」は「灰色の目をした少年」のことであるにちがいなく、それなら、束の間の情事の代名詞のような浮舟と灰色の目の少年には通ずるものがあると思えるのである。まさかジル・ペローも源氏物語と比べられるとは思っていなかったに違いないけど。
でも、残念ながら、小説からは「かげろう」という単語を想起し難かった。

もしかして原書をきちんと読めば、訳者や編集者がこの小説にかげろうという邦題をつけたくなった理由がわかるかもと思い、また、久しぶりにじっくりと文学作品を読みたくなったこともあり、渡仏の際にはこの原書を買ってこようと思った私であったが、さらには書店フェチを自認する私のはずだったが、パリでとある大型書店に入ったとたん目眩を覚えたのであった。フランス語のタイトルがぎっしりと並び積み上がり、ふと、それが、自分に向かって崩れ落ちてきそうな幻想に苛まれ、そう思うと書物を手に取るどころか、表紙の仏語を見ただけで過剰な満腹感に襲われて、うううもう二度とフランス語なんか見たくねえ、みたいな気になり、実際に一度も書店らしい書店に入らずパリ滞在を終えてしまった。もったいないことをした。でも、それどころじゃなかったんだもん、しょうがねえよな。

ツーリストにあふれ返る街を眺めながら、ここもナチスの爆撃に遭い、ズタズタにされた無辜の民らの死骸が散らばっていたなんて想像できないなあと漠然と思った。私のまちは戦火に遭わずに済み、おそらくそれゆえに、まちの活力といった類いのエネルギーを再構築するチャンスを逸したために、なし崩しに伝統だの歴史だの景観だのが失われていくのを、もはや誰も止めることができないのだ。

えーと、そんなことはともかく。
とあるエリート軍人の妻はその留守宅を預かっていたが、いよいよナチスの爆撃が居住地にも迫ってきて、幼い二人の子どもを抱えて戦火を逃れるためパリ市街地を他の市民とともに逃げ惑う。目と鼻の先で人々が体を撃ち飛ばされて倒れていく。体を伏せては走り、を繰り返しながら力尽きる寸前、敏捷な動きをする灰色の目をした少年が彼女ら三人をみちびき、母子は九死に一生を得る。足の感覚がなくなるほど歩いたのち、4人は空き家を見つけて隠れ住む……。
得体の知れない不思議な少年はときどき外出してはどこからか衣服や食糧を調達してくる。母子三人はいつの間にか少年に頼り切っている。突然フランス兵の訪問に遭い、無防備に対応した主人公を危機一髪で助けたのも、少年である。主人公は無性に彼がいとおしくなるのである。
というのがだいたいのあらすじ。このあとの展開は想像いただけるであろう。ね、とってもフランスチックでしょ。しかしなかなか重層的で奥が深いのだよ。本書は映画化されているが、映画の情報を見る限り、本書を原作としていながらかなりの変更が加えられており、今言った「重層的」な部分なんぞはきれいに省略されているようなので、まったくべつもんと思ってよさそうである。
べつもんだが、それはそれで映画としても結構秀作らしい。『かげろう』というタイトルでDVDになってます。