C'est vraiment pas possible...!!!2011/09/29 22:19:05

私はグリーンピースとか実は大嫌いなんだけど、あ、豆の話じゃなくてNGOのほうですけど、嫌いな相手からも学ぶことは多々あるわけである。嫌いな相手が必ずしも自分にはない斬新なアイデアを持っているから学べるということばかりでなく、やっぱりスカポンタンなことしか言わないぜだから嫌いなんだよ、という場合でも考え方の一つとして学ぶところはあるのである。だからあっちの立場もこっちの立場も向こうの立場も自分の立場でさえも、何回も往復巡回して確かめる。そんなこと必要ないケースのほうが多いけど、そうしたほうがいい稀なケースにそういう手間を惜しんではいけないのである。

そんなわけで、グリーンピースさんのスタッフさんが日本縦断講演会をするそうなので、関心のあるかたは下記をクリックされるがよろし。

http://www.greenpeace.org/japan/ja/campaign/energy/etour/

私は自然エネルギーなんか「けっ」という立場なので、脱原発派だけど、自然(再生)エネ派ではないという意味で、このドイツ人さんが主張されるであろうことには「けっ」としか思わないであろうと想像されるが、それでも傾聴すべきなんだろなと思う。でも10/12(水)なんて絶対行けねーもんな。もしどなたか行かれたら感想を述べられたし。



これまでいろいろとあっちを読みこっちを読み、考えてきた(まだまだ考え足りないが)。
私は自分で自分のことを決して特異だとは思っていないし、といって決してほめられた常識人でもない、とも自覚しているんだけど、そんな私がどう考えても、真っ当に考えれば考えるほど、出てくる結論は「原発やめるしかないやん」なんだが。至って平静に、そう思えるのだが。
なのに、美味し国「うつくしまふくしま」をあんなにしてしまったのに、それでもやめないってへーきで言う人がかなりいるということに唖然とする。

『夕凪の街・桜の国』で、ヒロインが「死んでもいいって思われたんだ、私たち」とつぶやく場面があったように思うんだけど、震度6程度で壊れて放射性物質を漏らしちゃうかもしれない施設をつくって老朽化しても放置してたってことは、周辺の住民のことなんか「死んでもいい」と思ってたに等しい。都市部から離れた過疎地だし、何か起こって死傷者が出ても大した数にはならないし、と、要は見通しが甘かった。ええ、たしかに見通しは甘かった。でもさ、いわば見通しが甘かっただけじゃん。「だけ」じゃん。と、そう言っているのだ。これって、水俣でチッソがやらかしたことと同じで「僕らのせいじゃないよ、だってわざとじゃないもん、だってそんなことになるとは思ってなかったもん」という理屈である。ただただ、逃げるのである。悪質な轢き逃げとおんなじ。あれ、なんか撥ねちゃった? やばいかも? でも見えなかったんだもんしょうがないよな、しーらない、とりあえず逃げよ。

ある人間のことが憎くて憎くて仕方がない。
だから殺そうと決意した。
入念に準備をした。計画した。抜かりのないように手はずを整えて、殺した。

殺した人間はひどい奴である。なんでまたそんなに憎む羽目になったか、時間をかけて計画練って、そうしている間にもぴくりとも揺るがなかった殺意、そんなもの、人として到底容認はできない。人類史最大の悲劇といわれる、アドルフ・ヒトラーによるホロコーストは、こっちの類である。んなもん、許せるはずはない。
ないんだが。

軽い気持ちで酒を飲み、深夜だから車も人も少ないと思ってスピードをガンガン出し、よく前を見ないで走って挙げ句に人を撥ね、引き摺って、わざとじゃないもんねーとただひたすら逃げる。

私はこの後者のほうがさらにいっそう悪質だと考える。誰がなんと言おうと絶対に許すことはできない。
水俣病の発生も原発事故による放射能汚染も、こっちに似ている。
人間のすることだもん、過ちも手違いも見込み違いもあるよ、では済まされないことをしでかしているのに、その自覚がない。ぜんぜんない。あんびりーばぼー。



べつに、こんな事態になったから脱原発だあ、とわめいているのでもない。そうでしょ? みんな昔から、心のどこかでは脱原発派だった。そうじゃなかった?

私は、日本人は全員、「しかたなく」原子力発電を受け入れていると思っていた。本当は一基だってつくってほしくはないけれど、火力発電や水力発電だけでは限界があるだろうから、そうだな全体の3割くらいまでなら、しょうがないだろ。広島や長崎、ビキニのようなことは起こるまいさ。だって核爆弾つくってんじゃないんだから。そう自分自身に、大なり小なり言い聞かせて。「しょうがないだろ」とは思うことのできない一握りの人たちが、活発に脱原発を唱えている。「しょうがないだろ」「しょうがないとは思うけど、やはりなんとかしてほしい」「しょうがないではダメだ!」というふうに温度差はずいぶんあるけれど、それでも、基本はみんな「反原発」だと思っていた。

チェルノブイリの事故のほんのひと月前までヨーロッパにいたので、私はあの事故には本当にぞっとした。社会人デビューしたとこだったから正直言ってこの件は「人任せ」にしていたけれど、この事故によって飛び出した放射性物質は日本にも到達したし、あの頃、けっこうな騒ぎになっていた。原発反対を唱える人の声は、たしかにあのとき一気に大きくなり、歳月を追って徐々にではあるけどやはり大きくなっている。拡大している。

だから今、脱原発の議論がことさらに高まっているとは思えず、みんなの意識の根底にあったことを、それぞれが、それぞれの表象のしかたで述べているんだと、そう思っていたんだけど。原発施設に従事している人、原子力や放射線の研究をしている人イコール推進派ではない。むしろ逆が多いもん。声高に脱原発を言えずにいた人たちが言うようになったとしたらそれはそれでいいことだし、つまり、私は基本的に、被爆国の日本人は、全員がそういう共通のメンタリティを持っていると思っていた。

でもそうじゃないのね。マジでガンガン増やしてガンガン稼動させんでどうすんのさと思っている人、いるのね。原発万歳! 原発なくして日本に未来はない! と考える人たちが相当数いるということが明らかになって、いささかビビっている。こわい。

今日、広々とした田んぼを見た。
その美しかったこと。
私たちにとって本当に大切なものってなんなのか。
もっともっと、考えたい。

出会えてよかった本だってちゃんとあります2010/05/29 23:24:11

『士魂商才』
武田泰淳著
岩波現代文庫(文芸18/2000年)


手当り次第に本を漁っていると時々思いがけない大きな拾いものをすることがある。服のバーゲンなんかと同じで、Tシャツのいいのがあれば買うのもありかな程度の気持ちでセール会場へ行きワゴンをひっくり返す勢いで漁っているとTシャツではなくて洒落たチュニックが出てきておおおこりゃあよかよかと買ってしまう、というのに似て(違うかな)、たとえばある作家の短編集の内の一編が非常に評判だがきっと大したことないさ、でも読んでみようか気になるし、くらいで繙いて、当の一遍はやはり大したことないけど他の短編はすこぶる良い出来である、みたいなパターンがけっこうある。これって、期待して読んだ本が期待どおりに面白くてためになったというケースよりも何倍も実は嬉しい。

本書もそういう類いの一つで、なんだって武田泰淳を今読んでんのと訝るかたは多かろうと思われるが、それもこれも水俣のおかげなのである。

水俣病のことを追いかけていると、関連文献のひとつとして必ずどこかで目にするのが『鶴のドン・キホーテ』という小説の題名だ。
「ドン・キホーテ」だなんて、文学作品のタイトルというよりはもはや激安の殿堂としてのほうが今の日本では通りがいいだろう。「鶴」にいたっては説明など不要であろうし、つまりは珍しくも何ともない鳥の名と限りなく普通名詞化した固有名詞がくっついて、こんなに据わりの悪い、はっきり言ってダサイ題名ができ上がっている。
いったいこれがなんだって水俣と関係あるというのか。
……という疑問が生じたのでこれは読まねばならぬと決めて、探したのだった。

『鶴のドン・キホーテ』は武田泰淳という作家の『士魂商才』という短編集に収められているというので、『士魂商才』を借りた。

本書のなかで私が最も「これはいい!」と思ったのは著者のあとがきである。ちょっとそこの人、コケないでください。本編よりまえがき、あとがきのほうが面白いというのは批評文やエッセイ、学術書にはよくある話だが、純然たる小説本では珍しい。つーか、あまりないほうがよい話ではある。あとがきがいちばん面白いなんてゆってしまったけれども、それは私の受けとめかたにすぎないので話半分と思ってもらいたい。まさか、あとがきが優れているという理由だけで、「本書との出会いが嬉しい」などとはけっしていわない。もちろん、小説も、短編だがそれぞれがたいへんよいのである。

借りてすぐ、『鶴のドン・キホーテ』をまず読む。う。なんだこれ。

武田泰淳は、なぜ日本の小説には産業人を描いたものがないのだろうと自問してこの『士魂商才』を書き上げるに至ったという。であるからして、ここに収められている短編はどれもがある企業の創業者や経営陣を背景に、現実に今うごめいている人々の姿を描いている。短編なので、いずれもコンパクトで無駄がない。一企業の偉大な創業物語なんてジャンルにはとかく辟易するが、本書の短編はある一面を切り取ったり、意外な角度から照らしたりしてあるので、面白い。外国人女性の描写などは時代がかっていてべつの意味でユーモラスだ。

しかし、『鶴ドン』はちょっとおもむきが異なる。うまく表現できないが、産業人を描いた話ではない。戦争の傷をそれなりに負った主役級3人の人間模様である。
この3人が、戦後再会するのが「M市」すなわち水俣市である。

この短編集は1958年に文藝春秋から発行されたものだそうだ。
1958年といえば水俣病患者がぽつぽつと公になっていた頃だ。
まさか武田泰淳は、水俣病がこんなに問題を長引かせるとは思っていなかったであろうけれど、『鶴ドン』には、水俣の海辺の部落で突然踊り死にする猫が見られるようになったと思ったら人間にも同じように手足が利かなくなって奇声を上げて死ぬ者が出たらしい、といった記述が出てくるし、チッソ創業者にあたる「N」野口遵を称えるくだりもある。いずれにしてもまだ状況は「その程度」だった頃の水俣市を描いて生々しい。主役級3人のうちのひとりが、どえらい形相で「T社」(チッソね)に怒鳴り込むが変人としか看做されてなかったりする。

ただ、なんで「鶴」で、「ドン・キホーテ」なのかが、教養のない私にはわからなかった。小説にはちゃんと書かれているのだけれど、それが「鶴」であり「ドン・キホーテ」である必要性がよくわからない。
で、え、そうなの?みたいな締まりのない終わりかたをする(水俣病とはまったく関係がない)ので、これをどう捉えたらいいのかがわからないのであった。

『鶴ドン』以外の短編はさくさくしてて、古い文章が好きなかたにはうってつけ。昨今のじれったい、「どやねん」的文章にうんざりしているかたには清涼剤になってくれるであろう。
以上、中身がどんなんなのかはさっぱりおわかりいただけなかったと思うが、もうとっくに読んで返してしまった本なので何ひとつ引用もできなくてわかりにくくてゴメンナサイ。

(追記)
ひとつ思い出しました。巻末に、著者あとがきに続いて丸山眞男のインタビュー解説があります。さらに奥村という人の解説も。

四角い言葉と丸い言葉 ――水俣(3)2010/05/04 19:47:21

新緑の通天橋。
美しい自然はいっぱいあるんだけどいちいち「入場料」が要るってのが困るよね。


藤原書店『環』Vol.2(2000年夏号)
42ページ
〈特集〉『日本の自然と美』より
対談『魂と「日本」の美ーー水俣から学ぶ』
鶴見和子(社会学者)
石牟礼道子(作家)


季刊誌『環』のこの号が、私と「水俣病」との再会であった。
とうの昔に風化した過去の事件のように、この三字熟語が想起させるある種の事実の上澄みは頭の片隅にはあったけれど、「それ」が「何」なのかはもちろん知らなかったし、わかろうという意思も持ち合わせていなかった。私はべつに、どのような事件であれ被害者救済の会といった類いの活動に関心はなかったし、公害病の研究者でもなければ環境破壊防止や動物愛護を訴える(胡散臭い)活動家とも縁がない。ただ、水俣病にかんして言えば幼少の頃にやたらと耳について離れないほど報道が盛んにされていた記憶があって、もっとのちにチェルノブイリとか世界ではいろいろと起こるわけだけれども、そうした、大人になってから見聞した「許せないいろいろな事ども」 とは少し異なった色を帯びて私の中にあったのは確かだった。

42ページから63ページまで、この対談は、いささか冗長に続く。正直に申し上げるが、この対談記事、何をくっちゃべってらっしゃるのか、最初は全然わからなかったのである。なんといっても憧れの鶴見和子なので、私はなんとか理解したかったのだが、対談記事なので言葉は非常に平易なのだが、ふたりの口にのぼる話題の要素(エレメンツ)にかんする知識がない。(※この号に限らず『環』が自宅に届くたび、そして記事を読むたび同じ思いをするんだけど)

ふたりは水俣について語り合っている。
石牟礼道子はその当の土地の人間であり、水俣病を題材に小説を書いている作家である。対して鶴見和子はまったくの外様であり、「東京からの研究者」として同僚とともに水俣入りした経験をもつ。その際に石牟礼に会った。石牟礼は、現地の被害者、患者たちと鶴見ら研究者一団の仲介役をした。そのときから25年程度経って、当時の経験を振り返り、水俣の過去と現在と未来について、「日本の美」という観点から思いつくままをあーだわねこーだわねそうよそうよそうだったわよきっとそうなるわよ、と語り合っておられる。

この中で、鶴見が柳田國男から助言を得たというエピソードを明かしている。この助言がなかったら、自分は、水俣だろうとどこだろうと社会学者として訪ねる資格をもち得なかっただろうという重要なアドバイスだ。

《柳田先生がこう言われたの。「外国からいろんな学者が来ます。だけど日本には二つの違う種類の人間がいるんですよ。一つは四角い言葉を使う人種、もう一つは丸い言葉を使う人種がいるんです。外国の学者はみんな四角い言葉を使う人にだけ話を聞いて帰るから、日本のことはさっぱりわからない。だからあなたはほんとに日本社会のことが知りたいなら、丸い言葉を使う人の話をお聞きなさい」って。もう私はそばで聞いててびっくりしたの。》(50ページ)

正確には鶴見へのアドバイスではなく、鶴見が柳田のもとへ案内した外国人研究者に対して柳田が発した言葉であったのだが、鶴見には、このとき以前に生活言語にかんするフィールドワークを通して得たある見解があったので、柳田の言葉が文字どおり腑に落ちたのである。それを経て、水俣へ行った。水俣へ行くと、丸い言葉はさらに輪をいくつも重ねた二重丸三重丸の言葉となる。ここではいわば四角い言葉の側の人間である自分は、石牟礼道子という四角と丸のあいだを行き来するシャーマンがいなければ、水俣の人々のどんな言葉も理解し得なかったであろう。と、そのようなことをおっしゃっている。

私は、その二重丸三重丸の言葉ってどんな言葉なのかと素直に疑問に思い、素直に水俣という土地に興味を惹かれたのであった。

※私はもともと方言の姿というものに関心があって、フランスにいるときもいわゆるパリジャンのフランス語には興味がなく、滞在していた南の方言(オック語やプロヴァンサル)や訛り(アクサン・ミディ)を真似しながら、カタルーニャ語やイタリア語との類似性はいかに、みたいなことを論ずる授業を受けたりしていた。

対談記事の次には、水俣病患者のひとりで旧水俣病認定申請協会長を務められた緒方正人さんの講演録が掲載されている。こちらは、チッソが垂れ流し続けた水銀に身も心も故郷も引き裂かれた当事者として、同様に平易な言葉ながら、ひと言ひと言がやたらと心に突き刺さる。ただし、それでも、知識のない者にはピンと来ない。水俣病の被害はあまりに大きすぎ、傷はあまりに深すぎて、その傷痕からはまだまだ膿みが出て尽きることがないようなのだが、その厳しい現実が私たち門外漢にはわからない。だから、この特集(は、水俣の特集ではない。日本の自然と美の特集である。このあとに自然美としては沖縄も瀬戸内海も出てくるし、生活や芸事における日本の美しさも論じられているのである)を、鶴見×石牟礼対談と緒方氏講演録をどちらを先にどう読んでも水俣のことも丸い言葉のありようもわからない。べつに、わからなくってもよかったんだけど、わからないままにしておくのは何となくキモチ悪かったので、読破できる自信はなかったが、その昔気まぐれに古書店で(たぶん)買った石牟礼の『苦海浄土』を読み始めたのだった。

購入当時の私の頭はこういった書き物をまったく受けつけなかったのか、叙情あふれ不知火海への愛に満ちた石牟礼の筆致を理解するキャパがなかったのか、とにかく私はほとんど読めた記憶がなかったのだが、歳はとるものである。何十年も生きているということが役に立つってこういうときだよね、としみじみ思う。『苦海浄土』についてはまた今度。

単なるニュースの写しですみません 水俣(2)2010/04/16 18:22:53

ニュースのコピペです。
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水俣病救済方針を閣議決定=未認定患者3万人超対象-全面解決目指す
4月16日9時8分配信(時事通信)

 政府は16日、水俣病救済特別措置法に基づき、水俣病未認定患者の「救済方針」を閣議決定した。一時金を1人当たり210万円とするなど、先月の熊本地裁での和解と同等の条件とした。対象者は3万人を超える見通しで、政府はこれにより、水俣病問題の全面解決を目指す。
 方針によると、新たに救済対象となる患者には、一時金のほか、医療費の自己負担分、月額1万2900~1万7700円の療養手当を支給する。患者団体に対しては、団体活動に必要な加算金も給付する。
 熊本、鹿児島両県の水俣湾沿岸や新潟県阿賀野川周辺に長期間居住した経験がなくても、この地域の魚介類を多く摂取して症状のある患者も申請対象にする。判定は、関係各県が指定する病院で検診を受けた上で、各県の判定検討会が行う。
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……と、淡々と書いてありますがなかなか簡単には進まないでしょうね。「全面解決」には何十年もかかると思います。本当に「解決」しようとすれば。

で、関連記事のコピペです。
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水俣病:和解へ…闘いに苦渋の決着(毎日新聞)
2010年3月28日23時37分 更新:3月29日1時49分

 水俣病未認定患者団体「水俣病不知火(しらぬい)患者会」が28日の原告団総会で熊本地裁の和解案受け入れを決め、3万人以上に上るとみられる未認定患者の救済問題は決着へ向かうことになった。ただ、「ノーモア・ミナマタ」を掲げて4年半にわたる裁判を闘った原告らは、和解案受け入れの決断に複雑な思いもにじませた。【西貴晴、結城かほる】

◇国は真に謝っていない/生きているうちの救済を

 「反対の方は挙手を」。総会が開かれた熊本県水俣市総合体育館。原告1050人の中で、第1陣原告の男性(83)だけが手を挙げた。「原因企業のチッソや国が、真に患者に謝っているとは思えなかった」からだ。
 男性は戦前に水俣に移り住み、旧国鉄水俣駅で働いて定年を迎えた。手足の感覚障害や耳鳴りはあったが、検診を受けそれが水俣病の代表的症状と知ったのは提訴直前。症状が明確だったこともあり、第1陣に入った。
 「チッソと、被害拡大を防がなかった国や熊本県に心から謝ってほしい」。男性が裁判にかけた思いだ。しかし今回の救済策は「水俣病問題の最終解決」を掲げ、男性には一時金などで過ちにふたをしようとしているようにも映った。「被害者の命が軽んじられていることが悔しい」。総会後、男性は語った。
 水俣市の南アユ子さん(66)は採決を棄権した。国は当初、チッソが水銀排出を止めた1968年までに救済対象を限った。2月の和解協議で子どもが母胎内にあった期間を考慮し「69年11月生まれ」まで延ばすことになり69年6月生まれの次女(40)は救済対象になった。
 だが、出生年で救済から漏れる可能性のある原告はまだ12人いる。「裁判を闘ってきたのは全員救済を求めるため。子供たちの代がすべて救われないのでは支援者にも申し訳なく、賛成できなかった」
 一方、別の第1陣原告の男性(75)は賛成に手を挙げた。患者会の原告2123人中、既に55人が亡くなった。「和解を拒否して判決を待てば、亡くなる会員も増える」と。
 前回95年の政治決着時、男性は水俣市内にあるチッソの取引先会社に勤めていた。救済対象者を判定する検診当日、会社に「検診に行く」と言い出せなかった。悔しさが募り、不知火患者会の提訴を聞いて自ら加わった。
 何度も法廷に出て、解決を訴えるビラ配りもした。今回の救済内容に、完全に納得しているわけではない。しかし「ようやく和解にこぎ着けた。判決を待てば、私も生きているか分からない。ここで決着するしかない」。苦渋の決断を語った。

◇「まだ油断できない」…関西の原告ら思い複雑

 今回の和解案受け入れについて、大阪地裁に同様の訴訟を提訴している「水俣病不知火患者会」近畿支部の浦田建国(たてくに)支部長(69)=大阪府岬町=は「和解案受け入れは評価したい。しかし大阪地裁ではまだ和解勧告が出ておらず、国が相手なので油断できない」と話した。
 一方、現在も行政上の患者認定を求めて熊本地裁で係争中の川上敏行・水俣病関西訴訟原告団長(85)=東大阪市=は「最高裁判決では患者と認められたが、行政は40年間も放置した。患者と認めてほしいという訴訟を起こした意味を考えると、今回の金銭での和解には割り切れない思いもある」と語った。【日野行介】
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命は、単に各個別の体に宿るものであるというだけではなく、連綿と受け継がれているもの……。そんなこと、理屈でなくわかっていたはずなんですけどね、人は。

これも同じ時期の関連記事です。
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水俣病訴訟和解も…全面解決なお遠く(産経新聞)
3月30日10時44分配信

 最大の患者団体「水俣病不知火患者会」と国や熊本県などとの和解協議の基本合意が成立した。昨年成立した未認定患者救済の特措法での救済を合わせると3万5千人以上が対象になるが、患者には「今回の政治解決でもれる人がいる」という不安感は強い。
 熊本地裁が示した和解所見によると、対象外の地域に住んでいた場合は、水俣湾や周辺の魚介類を多く食べたと認められなければならない。昭和44年12月以降生まれの原告は水銀値が高濃度だったことを示すデータが必要とされ、被害者が生まれた年代などで「線引き」は生まれる。「今回を逃せば救済されずにもれてしまうのではないか」。患者の一人はこう不安げに話す。
 公式確認から半世紀余り。水俣病はこうした「線引き」とそれによる地域の亀裂をうんできた。偏見を恐れて患者として手をあげられなかった人たちもいる。
 別の被害者団体「水俣病被害者互助会」は「全面解決にはほど遠い」として裁判での闘争を続ける方針だ。特措法は救済のための資金を確保するため、現在のチッソを患者補償会社と事業会社に分けることを認めており「チッソが逃げてしまう」という反発も強い。
 国は「水俣病問題の全面解決に向けて確かな糸口が開かれた」(小沢鋭仁環境相)としており、5月1日には救済をスタートさせるとしているが、全面解決までの課題は大きい。
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補償額が膨らんで経営が危うくなったとき、今から三、四十年くらい前のことですけど、「いっそ倒産してしまって新会社になってしまおう、そうすればもう責任取らなくて済む」という声がチッソさん内部にはあったんですが、そこで地元や県、国がチッソを逃がしてはイカンと頑張って生き延びさせたんですね、投資して。英断でしたね。だって、そうでしょ。薬害エイズのミドリ十字とか、今、影も形もないように見えて実は生き延びているんですが、もう「ミドリ十字」として糾弾されることはないんですもん。

現在のチッソさんの超繁栄振りには、複雑な気分にならずにいられませんけどね。

「和解」? 喜ぶべきことなのか 水俣(1)2010/03/29 18:26:59

報道でご存じの方も多いだろうが、水俣病訴訟における和解が初めて成立した。わたしは裁判ごとに疎いので、「和解」と「妥協」と「譲歩」の違いがわからない。原告の患者会の主張が大きく認められての和解なら喜ぶべきなのだろうが。

藤原書店の『環』という季刊誌を創刊からずっと購読してきたが、この冬号で40号に達した。つまり10年購読してきたことになる。これを機に、更新をやめた。理由は、ちまちまといろいろあるが、大きな理由の一つは、自分の中でひと通り水俣病に関するおさらいが済んだような気になったからである。『環』の購読はいわば、わたしにとっては水俣病との偶然の再会だった。『環』には創刊号から石牟礼道子の句が掲載されていて、忘れてしまっていたこの公害という名の社会犯罪についての再勉強へとわたしを駆り立てたのだ。ウチには石牟礼道子の文庫本『苦海浄土』があった。根気がなくて読まずに放置していたその本を再読し(とはいえ、ちっとも前に進めなかったが)、関連図書を少しずつ渉猟(図書館で、だけど)しながら、わずかずつでも水俣病にかんする知識をもう少し深めようと努めてきた。
わたしにとって水俣病は遠い地で起こった可哀想な出来事だった。自分の住む街は自然には乏しいが、その一方で公害とも無縁だった。幼少の頃は水俣病という言葉が連日ブラウン管や新聞紙上を賑わしてもいたし、小学校の社会科の授業にも用語として出てきたように記憶している。ただ、わたしたちは、事実の重大さは何もわかっていなかった。チッソという会社が毒を海に流したせいで奇形児がたくさん生まれた、という程度のもので、無遠慮で礼儀知らずで口の悪い小学生は、級友と悪口の応酬をする際に「チッソ」などという言葉を使って相手を罵ったりした。しかし、そんな「流行」はすぐに廃れる。報道されなければ、水俣病は、遠方にいる者にとっては、たんなる時事用語、歴史用語でしかなかった。

『環』における石牟礼道子の句はいつも水俣を詠んでいる。毎号、鶴見和子の短歌と石牟礼道子の句が掲載されたが、どちらかというと政治に斬り込むタイプの鶴見和子の歌のほうがわたしは好きであった。というよりも、石牟礼道子の句は、その5・7・5が背負わされているものが大き過ぎるように思えて、正視できなかったといっていい。

『環』を定期購読して五年くらい経った頃、水俣病認定50周年とやらで大特集が組まれた。この年、同様に50年を記念した多くの図書が刊行されたようだ。それらを一望して見えたのは「終わっていない」という事実だった。

水俣病は「問題」や「訴訟」といった熟語とくっつけて呼称される以前に、チッソという一企業が起こした犯罪であり、県や国はその共犯なのである。50年以上経ってしまって、このことを当事者も傍観者もみな、忘れてしまっている。


《水俣病問題への取り組みについて
水俣病問題は、当社が起こしました極めて残念な、不本意な事件であり、これにより認定患者の方々はもとより、地域社会に対しましても大変なご迷惑をおかけしており、衷心よりお詫び申し上げます。》

「お詫び」しているように見えて、実は、「認定患者」以外は患者とは認めないし、補償の対象でもないし、詫びる必要はないとの思惑が見える。

《当社は、これまで認定患者の方々に対しましては、1973年の協定により継続的に補償を実行しており、非認定者の方々(公的機関により水俣病患者ではないとされた方及び審査の結論が出ていない方)に対しましては、1996年の全面解決策による和解にて解決を図りました。しかし、その後2004年10月の関西訴訟最高裁判決の後、新たな訴訟や認定申請者が急増するなど水俣病紛争が再燃し、混迷の度を深めております。》

「水俣病紛争が再燃」だなんて、まるでよそごとみたいな口ぶりだ。誰かさんが責任をいつまで経っても認めてこなかったから水俣と社会が「混迷の度を深めて」いるのに、自分たちばかりが困っているような書きかたである。

《2007年には、この紛争の解決を図るため、与党水俣病問題に関するプロジェクトチームによる新たな救済案(以下PT案と称します)が示され、本年3月に到り、「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法案」が衆議院に提出され、7月8日に国会で成立しました。》

「紛争の解決」だなんて、……(以下同文!!!)

《当社といたしましては、これまでも自らその責任を重く受け止め、被害者の方への補償と地域貢献を会社の最重要課題として取組んでまいりました。今後もこの方針は変わりません。》

よくゆーよ。

《水俣病問題をご理解いただくために、これまで当社が、患者補償にいかに真剣に取組んで来たかについてのご説明をさせていただきます。》

だから「水俣病問題」じゃなくて「当社の犯罪」でしょ?

以上はチッソのウエブサイトからのコピペである。
このあと、補償協定の成立とか、融資の開始とか項目が並び、これみよがしな金額が並べられている。
それらは「あたしたちさあ、こんなに身銭切ってんのよ、ちょっとは憐れんでくれたらどうなのよ」みたいな、万引きや喫煙を見咎められ開き直った不良少女の言い訳じみたものを感じる。

《この頃には、認定患者は、出尽くした状勢となり、残された会社の責任は、生存者に対する継続補償と公的融資の返済に絞られる筈でした。しかしながら、当社には、第三次訴訟という大きな問題が残されていました。》

「出尽くした状勢」だなんて、言葉に気をつけなさいよアンタ。
このあと第三次訴訟について、まるで社会科の副読本のような第三者視点の記述が続く。

《水俣病に係わる紛争を将来に向かって全面的に解決しようという潮流が生まれました。》

チッソさん、お宅の犯罪なんだけど?

《当社としましては、因果関係が立証されていない、しかも、どれ程多数に上るかわからない対象者に対する支払いを約束することは、本来できるものではないと考えていましたが、もし、この機会に水俣病補償の問題が本当に全面的に解決するならば、それは何よりも有難いことであり、この機を逸しては再びチャンスが訪れるかどうかわからないと考え、思い切ってこの解決案を受入れる決断をしました。》

ほんとにえらかったね。なでなで。
と、こんなふうに一語一句噛みつくように読むなんてわたしくらいのもんだろうなと思っていたが、ウィキペディアにもこんな注釈が示されていた。

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チッソ株式会社は同社ウェブサイトの「水俣病問題への取り組みについて」と題するページにおいて、新救済策受入拒否の理由を説明していた。「1.これまでの経緯について 1)補償協定の成立」の項では、1973年7月に患者各派との間に締結された協定について「その成立過程においては、一部の派との間に極めて苛烈な交渉が行われました。それは、多数の暴力的支援者の座り込みによる会場封鎖の下で、威圧的言動や行動により応諾を迫られ、果ては社長以下の会社代表が88時間にわたり監禁状態に置かれるなど、交渉と言うにはほど遠いものでありました。そればかりか、多くの社員が警備中や出勤途上でしばしば暴行を受け、けが人が絶えない有様でした。」と述べるなど、これまでの補償すら同社にとっては不当あるいは過大なものであったかのような説明となっていた。なお上記の記述は、2010年3月現在「この補償協定の成立過程におきましては、大半の会派とは話し合いでの決着を図りましたが、一部の派との交渉は、多数の過激な支援者の座り込みのもとで、威圧的言動や行動により応諾を迫られ、一時は社長以下の会社代表が88時間にわたり監禁状態に置かれるなど、極めて苛烈なものとなり、さらには従業員が暴行を受けることもありました。」と変更されている。
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ハンナ・アーレントがナチスを「悪の陳腐さ」と形容したが、チッソの企業意識も思考回路も躯体構造にもこの言葉がぴったりだ。ナチスはそのトップに殺意と目的があったが、チッソにはなかった。だから「わざとじゃないもんね、だから悪くないもんね」といっている。相変わらずいっている。シラを切りとおして半世紀。ナチスより劣悪である。

「和解」は喜ぶべきことなのか?