Il fait froid, mais très beau! On va se promener, Maman!2014/12/14 12:08:07

ほったらかしにしているブログに、それでも訪問してくださっているかたがいらっしゃると見えて、管理画面を開けると出るアクセス順位がいつも100番台である。ありがとうございます。

みなさん、ほんまにおおきに。なまけもんですんません。そやけど、なまけもんなんは、ブログだけですねん。自分のブログに触る暇、1分もあらへんの、毎日。働きまくってますねん、毎日。何の仕事か、て言うたら家事と介護ばっかしなもんで、生産性は全然あらへんの、毎日。蓄えの底の尽きる日の到来がリアルになってきて、笑てられへんけど、今の暮らし、気に入らんこともないし、けっこう穏やかな気持ちで家事と介護三昧してますの、毎日。

面白い本、連日たくさん読んでて、記録しときたいわあという気持ちはいっぱいあるねんけど、言いたいこと書きたいこと考えたいこと次から次に湧いてきて、いつもタイムリミットで「ああまた今度にしよ」とつぶやいて一日終わる。
面白いことがたくさんある。ハマってしまうと抜け出せないくらい、面白そうなことが、おいでおいでと手招きしている。誘惑に負けると容易にその世界に溺れてしまうので、ぐっと心の歯を食いしばって(リアルの歯は歯茎が不健康なので食いしばってはいけませんと歯医者にいわれている。笑)手招きに背を向ける。ああ、くやしい。試食してみたいあの世界……なんていうことがほんましょっちゅうある。

なんでこの世にはこんなに面白いことがゴロゴロ転がってんのやろ? なんで、そやのに、面白いことがみんなに行き渡らへんのやろ? お金がなくても、仕事がなくても、友達がいなくても、家族がいなくても、心の琴線に触れる何か面白いことに出会えさえすれば、自ら命を絶つなんて選択をしなくても、生き延びることができたはずなのに。

母は昔、よく「もうわたし首吊る」と口走った。本気でそんなことができるわけはないのに。でも、それほど辛かったのはたしかだ。それでも、思いとどまった、というか、実践場所がなかったというか、とりあえず「首吊る」気配はまったく見せないまま辛さをやり過ごして、その主因たる夫も見送り、現在に至る。
母は今思うように身体を動かすことができないため、私が介護しているが、ときどき、首を吊らずに生き延びてきたことを、この人はほんとうに幸いだと感じているのか、とふと思う。孫娘が送ってくれたバースデーカードには、「私の引退公演まで生きててね」と書いてあった。引退公演って、まだデビューもしてへんのになあと涙声で笑った。辛い毎日だったけれど、娘や息子の、高校合格、大学合格、就職決定、海外旅行の土産、著作の出版、結婚や孫の誕生などなど、欲張らず生きていれば訪れるささやかな出来事の喜びを積み重ねることで、自身を納得させてきたに違いないと、母を眺めていて思う。生きているせいで、こんなに世話をかけているし、こんなにお金も遣わせているし、勤めまで辞めさせてと、自分を責めることもたびたびあるだろうけれど、なんだかんだいいながら私たちはべつにさほど苦にもせず母を抱えているのである。

それはときに、子育てよりも、未来が洋々とはしていない分しんどいし、猫の世話よりも、物理的に重くて、しっかり文句を言われたりすることもある分いまいましい。だけど、たぶん、いろいろなことがあったけれども終(つい)の記憶に残るかもしれないと思うと、とっとと忘れ去られそうな子育てよりも、全然覚えてくれるわけない猫の世話よりも、気持ちを込めてできることでもあるのである。

寒いなあ。
でもとても天気がいい。どこまでも澄んだ青空のもと、散歩がてら商店街を歩きに行こう。母の身支度も、万端のようだ。昨日は事始めだったし、お正月準備の話でもしながら歩こうか。

Mon chat qui dort comme un bébé2014/11/07 21:39:38

飼い猫と同世代なう、みたいな話をしたばかりなんだけど。
でも私の猫はやはり私の娘。末娘。
いつまでたってもあかんぼのままの、ちっちゃなちっちゃな ma petite jolie fille なのだ。今日も私の膝の上で暖をとる。

幼い頃娘が(←人間のほう)愛用していた袢纏を猫の布団にしている。私の体温で温まった椅子の上に広げると、そこで丸まって眠りこける。

ペットホテルでの3泊、あまり眠れなかったのかもしれない。左のケージにぎゃんぎゃんうるさいワン公、右のケージには周囲に色気ふりまくメス猫、向かいにはブサイクで目もあてられないオス猫……たちがほんとうにいたとしても我が愛猫にはきわめてどうでもいいはずだが、我が家でのようには眠れなかっただろう。

少しの気配でもすぐに瞼を開く愛猫だが、つついても耳もとで呼んでも知らん顔で寝ること寝ること。

……可愛い。

可愛すぎる。

娘が(←人間のほう)生まれたばかりの頃、産院の個室で、そして帰宅してから寝室で、私は彼女の寝顔を撮り続けた。その頃のアルバムを見ると、ほぼ同じ写真が延々と台紙に連なっている。猿から少しばかり体毛を間引いただけのような、赤くてちっちゃい生き物。一日中ほとんど目を閉じたまま、その瞼をくっとしぼったり、ゆるめたり、口許に笑みを浮かべたり、ヘの字にしたり、すぼめたり、何かを噛むように顎を動かしたり。顔全体を延ばしたり、縮めたり、しかめたり、目尻を下げたり上げたり。私には一秒ごとにその表情が変わって見えた。そして一秒前の表情にはこの先もう二度と出会えないのだ、と追いつめられた気分になって、今しかないこの奇跡の表情を残すのだと次々とシャッターを押した。毎秒、娘は成長している。毎日体重が増え、身長が伸び、耳と鼻をはたらかせ、空気の匂いと風の音、私の匂いと声を覚えていく。私には、その成長は目を瞠る勢いに思え、一日の大半を眠って過ごす娘の寝顔にダイナミックな変化が見てとれたのであった。けれども、その頃撮ったおびただしい写真の数々は、幼い娘の安らかな寝顔のヴァリエーション、というにはあまりにも、ほとんど、同じである。題名をつけるとしたらひとつしかない。「寝る子」。

寝る子。寝子。ねこ。

私のガラケーの中には、膨大な数の、この手の愛猫の写真が納まっている。私の猫は、初めてウチにやって来た頃、私の布団の中で私の手首に小さな顎を乗せて眠った。知らない世界へ来ておびえていたが、寒さには勝てず(冬だった)温もりを求めて布団に潜り込んできた。きゅっと体を縮めて、赤ん坊のくせに、一分の隙もない様子で、しかし温もりに気をゆるして、くうくうと眠った。

あの頃に比べたら、猫は体が大きくなり、あまり遊ばなくなり、ますます寝てばかりの毎日だ。避妊手術(卵巣摘出)をしたら大人にならないから子どもっぽいままだとか聞くけれど、無邪気な赤子のような愛らしさはさすがに影を潜めた。が、寝顔は少しも変わらない。猫の寝顔を見ると、夢中で写真を撮った昔をつい思い出す。

そして今日、同じことをしている。

うるさいなあとでもいうように、前足としっぽで顔を覆う。

耳に触れると耳のてっぺんを器用に平たく倒す。
しっぽに触れるとあっち行けとでもいうように左右に振ってみせる。
額に触れるとかゆそうに手でひと掻き。手、じゃなかった、前足。
首や背中に触れても知らんぷり。あ、べつに、触っててくれていいよ、みたいな。

寝返りを打って、少しだけこっちを見たけれど

またすぐに寝た。

寝る猫とともに居るとき、おそらく私はいっさいを忘れて猫への愛に溺れている。かつて赤子の娘を見つめ続けたあの至福の瞬間の連続のように、少しの表情の変化も見逃すまいと凝視し続け、一秒ごとにその愛らしさにKOされ続け、ダウンしては起き上がり、自分の中からほとばしる愛に逆らえず、対象たるいとおしい存在をまた見つめ続ける。対象への愛に酔いしれ、この至福のときが未来永劫褪せることなく続くことをすべてに優先して願っている。この世の垢や滓、汚れた澱やはびこる愚などのいっさいを忘れて。

命が限りあるものだなんて、信じないのだ。猫はまるで生まれたばかりの赤子のように、みずみずしい生命の泉を湧き立たせ、私に幸福をくれる。ずっとずっと、永遠に、この愛に浸るのである。いつかは終わりが訪れるなんて、信じないのだ。

(BGM:「空と君のあいだに」中島みゆき)

L'âge de chat2014/11/07 01:53:55

出張から戻って、猫を引き取りにクリニックヘ行った。愛猫のかかりつけ医ではペットホテルを併設しており、2泊や3泊の短い不在のときはこれを利用している。1泊3800円ちょっとだが、高いのか安いのかよくわからない。このクリニックの患者でない動物の場合は、もう少し高くなる。

少し待合室で待った。クリニックのケージから出されて、預けてあるバスケットに入れられて連れてこられるだけで、べつに私めがけて飛びついてくるとか、すがりついて会いたかったとニャンニャン泣くとか全然するわけがないのだが、それでも再会が待ち遠しい。最初にどんな言葉をかけてやろうか、ただいま、お母さんよ、かしこうしてた? などと思い巡らす。

持ち帰り自由のフードサンプルの入ったかごのそばに、小さなフライヤーが置いてある。猫の飼い主に宛てたその内容は、猫も年をとるにつれ病気になる確率が高まりますよ健診を受けましょう、というありきたりなものだったが、猫と人間の年齢比較表がついていて、見ると愛猫と私は今ほとんど同い年なのだった。我が愛猫は来月またひとつ歳をとるが、すると私より四つも「お姉さん」になる。しかし、とりあえずそれまでは同い年なのだ。なんだか最近私たち仲良しだと思ったわ、ねえ、りーちゃん。娘がいなくなってから、じゃれる相手が猫だけになり、以前にもましていっそう私は猫といつもじゃれているのだが、猫のほうが私に対して寛容になったというか、包容力が増したというか。二年くらい前まではくっつきにいくと嫌がって逃げることのほうが多かったような記憶があるのだが、最近は、しょうがないわねはいはい一緒に居たげるわ、と受け容れてくれるのである。猫はしょっちゅう私の膝に来るけれども、私も、床や椅子に丸まって寝る猫のそばに頭を置いてしばし休憩することがある。猫は薄目を開けて私を一瞥し、ふんと鼻息をひとつたて、またくるると丸まり直して私の耳のそばで寝息を立てるのだ。

「お待たせしました」
獣医院に勤務する、獣医以外のスタッフをなんと呼称するのだろう。看護師さんでいいのかな。ともあれ看護師さんがバスケットを抱えて待合室に現れた。
「にゃー」
かごの中から愛猫のいつもの声がした。大きな安心感に満たされる。
「にゃー」
「帰ろうね」
「にゃー」

同世代の者どうしだけが共有するある種のシンパシー、たとえ知り合いや友達でなくても同い年だというだけでわかりあえるような錯覚を覚えるあの感じ。愛猫と自分の間にそんな呼吸を感じながら、曇った夜空のもと帰路につく。

Mon amour qui s'installe sur mes genoux.(2)2014/08/15 00:17:35

毎日とても暑いけれど、それでも私の膝に来る猫。

娘が幼い頃、いつも私の膝の上にいた。そこにいるのが当たり前、そここそが自分の場所とでもいうように。猫が膝に来るとそんなことを思い出すけれども。

決定的に違うのは、猫はモノを言わないということだ。

私の膝に来るときは、たいていそこでしばらくくつろぎたいときなので、ただ黙ってしっかり踏ん張って座るのである。

こんなふうに、しっか!と踏ん張って。

それにしても貫禄のある前足だ(笑)。誰に似たのか(笑)。

いっぽう、しっぽで優しく飼い主の太腿を撫でることも忘れない。

そして、私の膝に居座るにはもっと必要なものがある。けっしてどかないわよ、という強い意志である。

どかへんで、という意志の表明。

動くもんですかっ。

ここにいたいのよあたいは!

あたいに構わないでよねっ ……と主張する両の耳(可愛い〜。笑)。

娘は私の膝に来る時には、よく絵本を一つ二つ携えて「読んで」とせがんだ。何も持たずにただ自分の椅子に座るようにして私の膝に座る時には、「ひとりお話ごっこ」をえんえんと続けたり、保育園で習ってきたばかりの歌を壊れた蓄音機のように歌い続けた。壊れた蓄音機だなんてひどい言いかたかもしれないけど、だって、音程も変だしエンドレスに同じフレーズが鳴り続けるんだもんさ(笑)。
ともかくそんなふうに、私の膝の上で娘はひたすら賑やかだった。
「ここからけっしてどかないよ」という強い意志があったのはいうまでもない。

いったいいつから娘は私の膝に座らなくなっただろうか。
いつから娘と手をつないで歩くことをやめただろうか。
私たちはいまでもよく二人で出かけ、並んで座っては写真を撮り、周囲から仲良しだねと羨ましがられるけれども。
娘が膝に来なくなった日。
娘と手をつながずに歩いた日。
それが、思い出せない。まるで、覚えていない。それら瞬間はごくごくしぜんに訪れて流れていった。毎朝の挨拶のように。お弁当包みを選ぶときの心境のように。脱ぎ散らかされたままの靴を揃える時の 溜め息のように。

記憶というものは曖昧で、儚いものだ。

私の膝に飽きた猫は、もの言わずすっと降りて、もっとくつろいで眠るにふさわしい場所に移る。
そうした場所を、猫はよく知っていて、一日のうちの時間帯によって眠る場所を使い分けている。夏にはいちばん涼しい場所。冬にはいちばん暖かい場所。

一日のほとんどを、寝て過ごす(笑)。

可愛い……。ちなみに、テーブルの上なんです。ひんやりして、きもちよか。

こんどはおばあちゃんのクッションの上。

こういう 、無防備な姿を見ては、肉球をぷにぷにしたり、足をすりすりして、飼い主は猫に媚びるのだが、そのたびに嫌がられて避けられる。なによ、すぐに私の膝に来るくせに。

……そんなふうに、ずっと変わりなくこの猫が我が家で暮らしているように思っているけれど、猫はいつのまにか戸棚の上には昇らなくなった。ペットクリニックで処方された薬を飲ませるための注射器にリボンをつけた飼い主お手製おもちゃが一等のお気に入りで、来る日も来る日も、それがしまってある箱の前でにゃあにゃあ啼いて遊んでとせがんだけれど、いつのまにかそんなことももうしなくなった。
いつから遊びかたが変わっただろう。
いつから遊ばなくなったのだろう。
思い出せない。

どうでもええやん、あたいは寝る。


風化するに任せていい記憶もあれば、断じて風化させてはならない記憶もある。
風化させないというのは記憶にしがみつくという意味ではない。各々が記憶を礎に思考をけっして停止しないということだ。
数字で書けば毎年同じ日付は繰り返すけれど、去年の今日と今年の今日はもちろん同じではあり得ない。一秒として「同じ」時間は存在しない。一秒一秒が各々の心の中でそのときどきなりに意味あるものでありますように。

ほったらかしのブログに飽かずご訪問くださりありがとうございます。
少々疲れておりますけれども、臥せっているわけではなく、元気です。「ブログ更新」というものが日々の雑事の中でもその優先順位で言えばはるか下位に位置するものですから、つい、放置しております。でも、あなたのことは放置しないから。待っててね。

Mon amour qui s'installe sur mes genoux.2014/07/04 15:04:19

Mon petit chat, Lise.
Elle vient souvent s'assoir sur mes genoux. Surtout, en hiver, elle reste tout le temps ici sauf quand elle va manger. Sur mes genoux, elle ne fait rien. Elle regarde quelque chose peut-être. 

Ou elle pense à quelque chose.

Ou alors elle réfléchi. 

Elle réfléchi sur soi-même.

Des fois elle se demande pourquoi elle est là.

Mais elle ne trouve pas la réponse. Jamais. Mais ce n'est pas grave.

Après certaine réflexion, elle soigne sa tenue.  
 Ou, elle dort. 

L'air frai de la porte est passé à côté de nous.
Mon chat a arrondi le dos.

C'est pas possible qu'on déménage ce samedi!2012/12/19 21:18:31

黄色いほうの首輪をつけたりーちゃん。


どうなってしまうんだろう。
わたしにはわからない。
たぶん、たいしてどうってことないままに時間ばかりが過ぎ、極右前線の軍曹たちは、徐々に徐々になんて当たり障りのない言いかたでさまざまなことをあいまいにしたままなし崩し的にあらぬ方向へ舵を取り、彼らが見下している愚民がふと気づいた時にはすっかり、大企業たちだけが儲かり底辺の庶民はますます貧しくなり日本のすべての海岸でゲンパツ様が動き、中規模オール電化邸宅に住むような中途半端な小金持ち家庭がやはり原子力は必要ですわね家計にやさしいクリーンエネルギーですものねおほほなんてゴキゲンライフを謳歌する、そしてそれが日本のマジョリティだと大手マスゴミや企業の犬・巨大広告代理店の手によって世界に向けて発信されてしまっているのだろう。

でも、つとめて明るく振舞おう。
ペシミズムは、何も生まないもの。
悲観的になって、憂いてばかりいるのはよそう。
暗い暗い暗い将来しか待っていないかのようなここの国の人間として、まだあと80年くらい生きていかなければならない子を育てているんだもん。
猫さまが言うように、体力つけて、生き延びなきゃ。

Canada de Nihongoさんブログから。
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http://canadadenihongo.blogspot.jp/2012/12/blog-post_18.html

「未来の党」議員、山本太郎さん、宇都宮けんじさんらに感謝の手紙を!
Facebookに「おーい!止めたいママアクション」というグループのページがある。
そのグループが将来の子供達のことを思うママさんたちのかわりに原発に反対の意思を表示してくれた「未来の党」や山本太郎さん、そして、宇都宮けんじさんらに感謝の手紙を書いたらどうかと提案して下さった。

選挙の結果に落ち込むだけでなく、次のステップへの第一歩として、反原発の勇士たちに感謝の意を示すというのは、とてもすばらしいことだと思う。

私たちの感謝の言葉が、彼らが又次も闘おうという元気の源になるかもしれない。
小沢氏が悪党だというイメージを国民に刷り込んだ大手マスコミの陰謀をかわす戦略として、小沢氏を前面に出さず、嘉田由紀子氏を「未来の党」の代表にしたのは、決して間違っていなかったと思う。

もちろん、小沢ファンは、小沢氏が前面に出て闘ってくれることを望んでいただろう。しかし、もし、そうしていたら、メディアに洗脳された国民は、たとえ、原発をなくしたいと思っていても、せっかく脱原発で一つになった「未来の党」にそっぽを向いてしまっただろう。
小沢氏の戦略や「未来の党」の議員たちが訴えていたことは、全て正しかったと思う。

彼らを励ますためにも、地元の「未来の党」の議員、そして、山本太郎氏や宇都宮けんじ氏に感謝の手紙を書こうではないか。
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わたしは、手紙は書かないけど、心から叫ぶよ「アイラヴユー!」

Hier, c'était l'anniversaire de mon chat.2012/12/02 01:43:32

ウチの猫が生まれたのは、たぶん11月の下旬なんだが、くれた人にもわからないのでキリのいい12月1日にしちゃおうということになったのだ。

「というようなことでもいいんですかね」
「かまいませんよ、大きくずれてなければ、別に」

「猫もらったので健康診断してください」と獣医に連れていき、登録して診察券をつくってもらった際のドクターとの会話。

猫が我が家にきたのが2月初めだったので、生まれて2か月くらい。とってもとっても小さかったのだが、昨日で7歳になった。7歳というのは、健康に配慮の必要になる区切りの年である。餌などの区分も「0〜1歳」「1〜6歳」「7歳以上向け」が多い。でも近頃飼い猫はご長寿で、行きつけの獣医院には20歳、22歳、25歳なんて猫がざらにきている。化け猫である、文字どおり。だからきっと市販フードももっと様変わりするであろう。勤務先のごく近所にペットショップがあるが、すでに餌のラインナップはすごい。健康志向、ナチュラル志向がすごい。いつかドラッグストアで離乳食のラインナップに驚いたことがあるが、そんな私の記憶を(当たり前だが)はるかに凌駕する多彩さだ。

ウチでは毎年、首輪をプレゼントしている。最初につけた首輪が赤かったせいか、赤の似合う印象のある愛猫。したがっておのずと赤系のヴァリエーションが続いていたが、近年、異なる色にもチャレンジしようということで去年の誕生日には、手づくり市で見つけた浅葱色の古い帯地でリメイクされた和風な矢絣柄の首輪をプレゼント。それを一年間つけていたが、ぼろぼろになった(笑)。今年は、どれにしようかとさんざん悩んだ挙げ句、ひとつに絞りきれないで、黄色いのと、やはり王道に戻って赤いのと二つ、ペット用品のPEPPYでショッピング。

今日は、それぞれの首輪を身につけて記念写真を撮りたかったのに。そんなのどーでもいい彼女は首輪を取り替えさせてはくれたけど、あとは丸まって知らん顔。
しかたないねえ、寒いしね。テーブル下で、ホットカーペットに寝そべってばかりいるウインターシーズンの我が愛猫。
首輪が変わったというのに「見て見て素敵でしょ」と披露するでもなし、筋金入りの不愛想は年々筋金が太くなっているようだ。飼い主に似たのか?

愛猫の誕生日だというのに、私は仕事だったのだが、さらに悪いことには取材相手にドタキャンされ無駄足を踏んだ。
得意先の担当者(背が高い!)に連れられて、集合場所に到着すると先方のつなぎ役が申し訳ないですホントに、を何回も繰り返して担当者を見上げて「朝イチに御社に電話したんですけどどなたもいらっしゃらなくて……」
まあな。今日は土曜日だからな、休日だからな。って、休日なんだからケータイ教えとけよ担当者!
「ああ僕ケータイの番号渡していなかったんですか……」
って今気づいてどーすんだっ 縮こまってんじゃねーよっ
チョーマジムカツク、とひと昔前のコギャル用語をアタマの中で反芻しながら、担当者の横から私は満面のスマイルでつなぎ役女史に向かい:

「ご事情があってのことでしょうから、どうか気に病まれないようにお伝えください。それより、やはりどうしても紙面構成上必要ですのでお話をうかがいたいです。なんとかお時間つくっていただけないでしょうか。ワタクシ、いつでもどのような場所にでも参上いたしますので。そうお伝えいただいて、ご調整くださると本当に嬉しいのですけれども」

困惑・懇願・奉仕のスマイルをローテーションさせて澱みなくセリフを吐き、相手から快諾を得る。
あたしって、愛想いいよね?
営業用やん、それ。ってみなさんのお声が矢のように飛んでくる(笑)
そうね、ウチの愛猫も、ご飯ねだるときだけチョー愛想よしでチャーミング。やはり飼い主に似たのね。
よかよか。そうでなくてなんで生きていけますでしょうか。

7歳おめでとう、リーちゃん♪

Il a fait une averse, ensuite une autre, le temps se refroidit de plus en plus...Brrr!!!2012/11/14 18:32:21

ひと雨ごとに寒くなる。夏は冷房器具なしでやり過ごせた我が家も、冬は暖房器具を使わずして過ごせない。さわやかで心地よかった秋の空気とその匂いはあっという間に冬将軍の足音にとって代わられる。昨夜、入浴後に再び椅子に腰かけ、針と糸を手にして縫い物を始めると、テーブル下のホットカーペットに寝そべっていた猫が湯気の香りを嗅ぎつけて私の膝に乗ってくる。そのまま熟睡モード。カーペットよりも私の膝のほうが温いだろうし、私も猫が膝にいてくれたほうが、重いけど暖かい。

『現場に生きる 子ども支援・家族支援――ケースアプローチの実際と活用』
小木曽 宏著
生活書院(2007年)


児童虐待の現実や対策を取材したり、また児童、若者を受け入れる養護施設や援助ホームを訪ねたりといった仕事が、ある。多くはないが、一度経験するとそのインパクトは大きい。これこれこういう施設を訪ねます、虐待問題に詳しいホニャララ先生に話を聞きに行きます、援助ホームで社会復帰に向けて頑張る若者を取材します……というような要請が来るたび、問題の所在まで遠回りせずにたどり着くため類似文献や事例報告を下調べする。取材対象者の著作にあたる。虐待ってなんなのか、その境界線ってあるのか、あるいは境界線を引くことに意味はあるのか。疑問がいくらでも湧いてくるのだが、自分の疑問の解決に割く時間はあまりない。とにかく文献をあさって「理論武装」して、「わかったふり」をするために、にわか仕込みで「日本の児童虐待問題を追いかけてン年の凄腕ルポライター」を装う(笑)。いつまで続くかな、こんなこと。
子どもを育ててみれば、虐待してしまう親の気持ちはわからなくもない、という気がするときもある。子どもという生き物は、まぎれもなく進行形で発展途上中、急成長中である。生き物としてもうとっくに退化段階に入った大人たちみんながみんな、その成長ぶりに目を細め笑みを湛え心からの喜びに歓喜の声を上げるかと問えば、んなもん、そんな大人ばっかりじゃねえべ、って答えが返ってくるだろう。小さくても自分の意志で泣く。わめく。むずがる。悪態をつく。ったくこげな可愛げのねえもん誰がよこしたんだべえ、ここへっ。あ、あたしが産んだんや。みたいな。
しかし、「ここまでやるには相当な覚悟がいるよな、ここまで苛め抜くにはとんでもなく膨らんだ憎悪があるんだろうな」と思わずにいられないさまざまな事例のオンパレードを読むうちに、やはりとうてい理解に至れない複雑な感情が親の心に絡み、もつれていることが想像され、単純に生きてきた私は「虐待する親の気持ちがわからない」ほうへ結論がいってしまう。
だが、子ども支援、家族支援の現場は非常に理論的かつ科学的に、観察および記録、事例研究およびワークショップが重ねられ、たいへん合理的に、多くの子ども、その親、配偶者、祖父母、ひいては家族全員を、救うに至るケースがとても多いのである。ワーカーたちは誰もが「虐待する親の気持ちがわかる」わけではない。むしろ「わからない」から始まる人たちのはずなのだが、学習と実務を経てプロフェッショナルになっていく。小さな子どもの虐待死などがあると、報道はこぞって児童相談所や養護施設、福祉事務所や学校や幼稚園の側を責め立てる論調で記事を書き、読むほうは「またか」との思いを抱くのだがそれは誤りである。事なきを得て、綱渡りながらなんとか親子、家族関係の再生を果たす途上にある子どもと親のほうが圧倒的に多いのである。だが、「家族仲良く」「絆大切に」の大合唱かまびすしいこの国の社会では、うまくいって当たり前。破たんした家族の再生がどんな困難な道のりであろうと、成功事例はニュースにはならない。
本書に収められているのは成功事例ばかりではないし、出版時には成功したかに見えても後年破たんした家族もある。だが、凄まじく荒れていた生活と精神が奇跡のように落ち着きを取り戻す瞬間が見えるとき、読者は安堵を覚える。どん底へ落ちても這い上がる力があれば、引き上げる力を持つ者に出会えば救われ、道は拓かれる。

章題をいくつか並べてみる。結構エキサイティングである。
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家族援助の方法と実際
事例「誘拐されたリカちゃんのママ」――階段のない2世帯住宅のナゾ
ステップファミリー研究――「離婚」「再婚」ケースの支援と施設職員の役割
「被虐待」と「非行」問題の世代間連鎖
「放火」事例から考える
母子の「怒り」と「表出」
問題行動の「言語化過程」
児童相談所と母親支援
「不登校・引きこもり事例」と世代間連鎖
不登校の事例──摂食障害の母親と長期不登校のR子
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事例は、上記のほかにも、夫による妻へのDVとそれが引き起こす子ども虐待、また虐待の事実はないのに子どもが非行に走るケースなど、多岐にわたる。気が萎えるが、家庭ひとつひとつに対し、また家族構成員ひとりひとりに対し、きめ細かく向かい合っている様子も窺い知れる。



『施設でくらす子どもたち』
平湯 真人著
子どもの人権双書編集委員会編
明石書店(2000年)

こちらは、養護施設を舞台に子どもの側の視点で著されたもの。生まれてきたからには必ずあるはずの「家族」という器、あるいは柱、あるいは手すりなしに、独りで生きることを強いられる子どもたち。その生活の場である養護施設がどう機能しているかをレポートする。
この国ではけっこうたやすく誰もが「人権」を口にする。人権教育などと銘うって、思いやりの心大切に、なーんて、授業で教師が話す。人権って、私、思いやりとか優しさとは関係ないもんだと思うんだけど、どう?


『施設で育った子どもたちの語り』
施設で育った子どもたちの語り編集委員会編
明石書店(2012年)

壮絶なバトルの末、養護施設や里親に引き取られて成長した子どもたちの語り。彼らの多くが福祉や援助の現場で働いている。社会復帰のプロセスはさまざまだが、共通してあるのは「自分のようにあんな辛い思いを他の誰にもさせたくない」という気持ちだ。よく、大きくなってくれたね。おばちゃんは、お礼を言うよ。

下記は目次の一部、順不同。
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居場所をなくす不安と闘いながら(小林大)
夢はあきらめるものではなく、つかみ取るもの(瀬川舞佳)
俺の「ろくでもない人生」からの逆転(松本明祐)
面白くかっこええ大人を目指して(あらいちえ)
生きるために必要なことは施設で学んだ(松井啓介)
「いい経験ができた26年間」と言えるようになって(成田雄也)
世界は、愛で満ちていてほしい(鎌田成美)
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愛で満ちていてほしい。
本当にそうだね。
シャガールも言ってたさ。
すべては愛なのです。真の芸術は愛にある。愛を描かずに何を描くというのでしょう。
これも愛。たぶん愛。それも愛。きっと愛。
生きとし生けるものの在るところ、多寡はあれど愛に満ち満ちているはず。
愛を糧に、生きていくわよ。
愛のかけらもないところ、それは、言わずもがなだけど原子炉。
こんちきしょーめ。負けないわっ

Encore le typhon!2012/09/30 03:41:29

秋になったねーとご機嫌で言ったり書いたりしてたんだけど、金曜日は昼間31度まで上がったし、そのあおりであっちでもこっちでも冷房ガンガンかけてるし、あたしゃ取材で外歩きのあとそういう冷えヒエの建物の中に入らざるを得なくて、もう! 例年ならだんだん体調が快方に向かうのにガチガチだよ(泣)。周囲で風邪ひいてる人を散見する。朝夕涼しくなったせいじゃなく、関電がわーわーゆってた節電期間が終了してヘヘヘンと言わんばかりにどこかもかも冷房設定温度下げ出したんだよね。そのせいで内外の気温差に今さら体が耐えてけないってとこよね。せっかくねえ、節電期間中、多少暑いのに慣れてたとこだったのに、お気の毒。


木曜日の朝6時50分台の東の空。撮影さなぎ。早起きだなあ、偉いぞ。


同じく西の空。まっさおー♪ 秋晴れじゃのー。今日も一日しっかり勉強するぜえ〜 ……とは絶対叫んでいなかったであろう、撮影者はさなぎ。月曜日から定期考査なのでねえ、今さら後の祭りなんだけどさあ、いつも早起きだけどさらに早く起きて頑張るのはいいけど、無駄な抵抗とはこのことという見本のようなテスト勉強の日々。

気持ちいいなあ、これからはこんな日がしばらく続くんだよね〜なんて、みんなで思っていたのさ。日中暑いけど、朝晩の心地よさがそれを慰めてくれてあまりあるもの。



また写真がひっくり返ってますけどお〜、東側の窓からの朝日にひなたぼっこするリーちゃん。夜の間、寒いもんねえ、君にとってはもはや(笑)。これは私のガラケーでの写真。


毛づくろいもお日さま浴びながらだと気持ちよさ倍増よね♪(リー)


秋を満喫しようとしていたのだが、なんと台風が(知らん間にもう18号まで数えておるぞ)明日(つまり今日ね、日曜日ね)このあたりを通過するそうである。今日(つまり昨日ね、土曜日ね)は一日蒸し暑くて、たまりませんでしたわよ、あれこれ用事でそこらじゅう出かけたんだけど汗だく。でもってそこらじゅう冷房ガンガン。さむーーー寒すぎーーー(TT)

ふとしたご縁で交えたやりとりから文通状態になったり、久しぶりに来た友達からの葉書に返事を書いたり、贈呈本の礼状を書いたり、永らく借りていたことを失念してて慌てて返送する時についつい何枚もの何枚もの長い手紙になってしまったり。ここ数日、ペンを取って手紙を「打つ」ではなく「書く」ことが増えていて、なんだか嬉しい。自分の汚い字に目を覆いたくなるけど、やはり、人間、筆記具もって書かなきゃいかんぞとおのれに言いながら書く。やっぱ「打つ」より「買う」、じゃなくて「書く」ほうがエキサイティング。

あああ、我が家の建具がガタガタ鳴り始めましたよー。風が強くなってきた。台風めー悪さすんなよー。日曜の外出予定潰してくれたんは許したるから、家とばしたり土砂崩したりしんといてー。

みなさまも台風にお気をつけください。

Pour ta maman, l'opération de la cataracte, c'est assez simple et sans douleur.2012/09/11 17:23:09

母が、白内障の手術を受けるため今日から入院した。白内障の手術そのものはたいそうなものではないが、なにしろ非常に歩行困難な人なので、「通院」にひと苦労なのである。母がごくたまに眼を診察してもらっていた眼科は、白内障の手術でも評判だったが、少し離れた本院での日帰り手術しか受け付けていなかった。手術後はその本院へ毎日通院しなくてはならない。では誰かが送迎すればよいのであるが、車プラス二人がかりでないとウチの母を運ぶのはたいへんである(車の乗降に二人必要なの、立ち座りが不自由だから)。普通に自分で歩かせるのがいちばんいいのだが(シルバーカートという必殺武器を持っているのだ)、術後は若干見えづらいのでどのみち誰かが付き添わねばならない。
毎日母と眼科詣でをできる人間は、残念ながらいないのである。こういうときに身内に付き添う余裕もないなんて、理不尽な社会だが、そんなところに向かって愚痴っても仕方がなく。
専業主婦の弟嫁はヒマしてるんだが、弟嫁ひとりに母を託すのは、酷である。母は重いので、万一転倒などしたあかつきには、彼女一人では母をけっして起こせはしないのである(コツが要るのよ)。

というわけで入院させる道を選んだ。入院先の総合病院は私の勤務先の近く。ここの眼科医は白内障の権威とやらで(全然知らんかったけど)、受診して手術と入院を決めたはいいが、3か月待ち。

てなわけで、3か月前から、母は隣近所の井戸端会議仲間に白内障の手術をすることを言いふらしていて、誰もが「手術はとても簡単」「手術後は世界が変わったようによく見えるよ」と母に言うのですっかり手術を楽しいイベントとして心待ちにしていたのである。
私は隣近所や商店街を歩いて母の仲間に会うたびに、「お母さんの手術っていつやったっけ?」「こわがらんでもええのんえってゆうたげて」「よう見えるようになったら溌剌としゃはるえ」などと声をかけられた。私は家の中ではあまりしゃべらないので、おしゃべりな母はそこらじゅうを話し相手にして発散していると見える(笑)。ご近所があってよかったと思うのはこんな時である。いまや母の白内障入院は町内会はもとより学区内のお友達から商店街の面々まで皆さんがそのスケジュールをご存じである。

幸い、今ちょうど仕事がピークを迎える嵐の前で、私も少し時間に余裕があるので毎日病室を覗いて帰ることができそうである。母は入院が決まった時から(つまり3か月前から)、猫のリーちゃんの餌やりをとても心配していて、「かしこうしてへんかったら、お母さんご飯くれはんの、忘れはるえ」(忘れへんてば)「ご飯食べたらちゃんとお母さんにごちそうさまってゆうのんえ」(ゆうわけないやろ)と毎日毎日四六時中猫にそんなことを言い、私に向かっては「何時と何時にご飯やるのん、会社から早う帰ってこれるんか」「お昼ご飯やりに帰ってこれへんの」みたいなことをこれまた朝晩必ず言い続けてきたのである(なんで娘や自分ではなく猫のご飯中心に動かないかんのよ)。たぶん、病室を覗いても、話はリーちゃんの餌やりに尽きるに決まってる。はいはい。