すべての女性たちに安全で安心できる職場環境と報酬と保障がもたらされんことを2018/06/25 01:07:17

『シングル女性の貧困
——非正規職女性の仕事・暮らしと社会的支援』
小杉礼子、鈴木晶子、野依智子、(公財)横浜市男女共同参画推進協会 編著
明石書店(2017年9月)

ある分野、領域の調査結果と分析をまとめた本というのは文中に数値が多く、著者編者はわかりやすかろうと掲載しているのだろうがお世辞にもわかりやすいとはいえない表やグラフが誌面を大きく占め、そのために、タイトルに心惹かれても、ぱらぱらとめくってあ、ダメだ読めそうにないとまた書架に戻す、ということに、わたしの場合はなりがちである。ほかのみなさんはけっしてこんなふうではないのだろう。だからこの手の本はつねに存在するのだ。日頃の仕事で数字ばかり追っている人や、四角四面なお役所文書ばかりを相手にしているような人であれば、むしろ読みやすいと思うのかもしれない。

わたしがこの本をなんとかかんとか読了できたのは、「第1部 非正規職シングル女性のライフヒストリー」と題して、5人の女性へのインタビューをまとめた章があったからである。
ここには、女性たちの切実な暮らしぶりが浮き彫りにされていた。具体的で、可能な範囲で家族、私生活についても語られており、現在正規職に就けずにいること、シングルでいることが、けっして昨日今日の問題ではないことがよくわかる。
そうなのだ。これは女性だけでなく男性にもあてはまると思うけれども、何十年も経って、ひとは自分の生きざまが幼少時の「あのこと」「このこと」に根ざし左右されていることにいきなり気づく。しかし過ぎた時間は取り戻せない。幼い自分も思春期の自分も若い自分も、そしていまの自分も全部受け容れて、前を向いて生きるしかないのだ。
生きるしかない、というわけで、5人の女性たちは非正規職に甘んじながらも、「もうあと少しの」安心や安全、将来の保障を求める。まったく、そこはわたしも声を大にして言いたいところだ。

5人のライフストーリー(取材は2016年に行われた)から印象に残ったところなどを挙げる。
まず、5人は全員40代。バブルが終焉し就職氷河期を体験した世代である。
そして、経済的な豊さはかなりいろいろだが、いわゆる富裕層にあたる人はいない。両親が離婚した人、学費がなく大学進学は諦めた人、稼いで家計も助けてきた人。
さらに、全員が、派遣労働を経験している。

働く母に代わって子どもの時から家事を切り盛りしていたという女性は、幼い頃から父が酒に溺れ母を殴るのを見てきた。兄は引きこもっていて何もしなかった。女性は貸与奨学金を得て短大を卒業し、ある企業に正社員として就職。この頃両親の離婚が成立。奨学金の返済等に充てると手取り給与は雀の涙だったが、自分でなんとかやりくりできることに自信ももち始めていた。ただ、所帯をもった(家にいた時は何もしなかった)兄には、母は月々経済的援助をしていたことが少し悲しい。
最初に就職した会社に10年、リストラが激しくなり会社の業績悪化を感じて解雇される前に、と思って退職。その後派遣に登録、簿記やパソコンのスキルを磨き、時給は1450円。当時としては悪くなかったが、2004年頃から派遣という働きかたが変わってきたと感じた。
(2003年に派遣法改正がなされ、2004年から製造業にも派遣労働が解禁された)

わたしも派遣会社に登録したことはある。90年代の前半だ。当時ろくにPCも触れなかったわたしは、派遣会社のオフィスでの、登録の際の情報入力すらまともにできなかったし、スキルをテストするためにいろいろなツールを試されたが、もう惨憺たる結果だった。それでも登録できたのは、フランス語ができるというその一点だけで、そういう「スキル」はその派遣会社にあってはまことに珍しかったからにすぎない。しかしそのときわたしは、なるほどこういうものをたたたたたっと扱える人が颯爽と派遣されるわけだ、そして経理や情報管理の部門などで文字どおり「仕事だけして」、その企業の効率化に貢献するわけだ、と非常に納得したものである。とても真似できないと思ったし、真似するために身銭切ってスキルアップや資格取得に励もうとも思わなかった。

この女性が感じたように、2004年から派遣に対する風向きが変わる。誰でもできる仕事が待っている、登録の際にスキルテストなんかないという状況になった。それは人より抜きん出たスキル、といったものが尊重されなくなったことも意味する。付加価値のある人材として重宝されていたはずが、そうした捉えかたをされなくなって時給も下がる。抜きん出ていたスキルがいまやたいてい誰でも身につけている程度のものとなるのに、そう時間はかからなかった。

この女性は、派遣された企業でいわゆる「派遣いじめ」に遭っている。パワハラもセクハラもあったことだろう。正社員は同じまたはそれ未満の仕事量や成果でも待遇は上。正規で入社した新人教育も派遣や契約社員の仕事、なのに困っている若手社員にアドバイスすると他の正社員から「何様のつもり?」などと言われたという。

モラルもなにもあったもんじゃないのね。
まったく、小さな世界で立場の弱い他者を小突いてふんぞり返って悦に入るやつの気が知れない。

この女性は、過労で病気になったこともあり、復帰後も心労が重なって、インタビュー時点では失業保険を受給していた。年端もいかない頃から父親の暴力を目の当たりにし、母を助けて家事労働にいそしみ、なのにお母さんは何もしないお兄ちゃんを大事にすると感じてきた。有形無形の暴力のなかで多くの仕事をひたすら自分の役割として受けとめてきたこの女性は、大人になって理不尽な職場にあっても反論どころかささやかな意見を述べることすらせずにやり過ごしてきたのだろう。心身を深く傷つけられ、その傷痕は絶えず疼いてきたはずだけれど、それを傷だと感じなくなるほど麻痺しているのではないか。わたしには、その疼きはとうてい想像できない。


もうひとり、図書館司書として四つの図書館で働いてきた女性の例。
図書館司書というのは非常に専門性の高い資格だと思っていたが、違うのか? とこの人の例を読んで思った。
彼女は、中学3年のときに父親が勤めを辞め(理由や事情は明らかにされていない)、自分は大学進学はできないと考えて、高校卒業後保育士資格を取れる教育訓練施設に進み、修了後は東京に出て保育士として働き始めた。しかし、そこで働く母親たちの余裕のないさまに直面し、自分の今後を自問。故郷に帰り、大卒資格を通信教育で取り、さらに図書館司書の資格を取る。当時は正規の図書館司書が当然のように存在していた。採用枠は少なく、就職は難しいと覚悟していたが、その後司書の非正規化が進み、臨時職員や嘱託員というかたちで、公的施設のライブラリー職員になる。時給は1000円に満たない。

《図書館司書の資格は、簡単に取得できるが、持っているだけでは専門性があるとはいえない。(中略)地域の図書館には地域の図書館司書として長期に働いて、積み上げる専門性がある。大学の図書館も同じだ。》(29ページ)

図書館員を、図書館カードと書籍に付いたバーコードをスキャンするだけの仕事だと、勘違いしている人が、この世の中には非常に多いと思う。よくないと思う。

彼女は、とりあえずいまは健康で、ひとりで暮らすぶんにはなんとかやりくりできている。しかし、親戚の冠婚葬祭などで何も心づけができないことに心を痛める。いまは健康といっても、老後に備えてなどいないし、いきなり病気になっても治療費はない。しかし、彼女はなんとか頑張ろうとしている。

《この仕事に意義を感じている司書が、全国で苦しみながらもがんばっている。私もこれからもがんばってしまうのだろう。失職するまでは。》(同)

同じ仕事を地道に積み重ねてこそ備わる専門性というものがある。なにも難しい大学、大学院を出たから専門家になるわけじゃないのだ。ネームヴァリューのある大学を出て付された学位や、難関を突破して合格し取得した資格はもちろん価値のあるものである。しかし、そうした「手続き」なしに、ひたすら取り組み続けた蓄積で得られた専門性も、見た目にわかりやすい資格以上に、敬意を表されるべきものである。
本邦は、賞とかメダルとかの獲得者や勝者ばかりを褒め讃えまつりあげる傾向がある。地道な努力に光を当て評価するということには興味がない。こういう国は、滅びる。

また、誰もが専門性をもてるわけでもない。専門性のないことを恥じる必要もない。
わたし自身は、見事に専門性は皆無である。幼い頃の夢はもちろん、大人になってこれをやろうと思って歩み始めたはずが、いつもなんだか途中で横道に逸れた。わたしの問題は、たぶんそういうことに問題意識をもたず「なんとかならあ」とふらふら生きてきたことに尽きるのだろう。しかし、それでも生きている。幸運だったとしかいいようがない。必ず誰かに助けられてきたわけである。ありがたいことだし、それはそれで素直に喜びたいと思っている。
本書の一論考には、こうある。

《転職を何度も繰り返す貧困女性は、そうしたキャリアの一貫性を構築しにくい女性の実情を描き出しているといえる。》(97ページ)

そのとおりである。ただし、わたしが本書で調査分析対象になっている女性たちと違うのは、ほぼ一貫して正社員として就業してきたことだろう。最初に勤務した大手メーカーで、企業の正社員の堅苦しさを感じたのに、わたしはその後ふらふらするなかで、アルバイトでもいいよ、仕事一本ずつの契約でもいいよと言われても、正社員として雇用してほしいと強く希望を言って採用された。会社に保障されることの意味を思い知っていたからだ。
くたくたになるまで働き詰めだったとしても、正規雇用という立場を保障されていたことは大きい。それをもたずに、派遣だのバイトだの契約だのという不安定な状態で、いつ切られるかという崖っぷちな精神状態でいると、仮に人生を切り拓こう、次のページをめくろうという気持ちがあっても、なかなか舵を切ることはできないだろう。

非正規職が身分の安定しないままなのに、なぜかフリーランスを奨励するようなことを、本邦では行政のアタマがのたまう昨今である。労働環境はますます悪化が進むばかりだ。こういう分野に自浄作用はない。放置してもよくはならない。みんなで声を上げなくてはならないのだ。

ケーススタディとして紹介された女性たちのみならず、本書の研究対象となっているすべての女性たちに安全で安心できる職場環境と報酬と保障がもたらされんことを(ついでに、わたしにも)。
40代半ばまで、あっというまに過ぎてしまったと感じている人が多いだろう。だけど、積み上げた時間のすきまに必ず幸福の種がある。それを上手に芽吹かせて、幸せになってほしいと思う。

おびただしい兵隊がおびただしい市民を殺し続けた2018/06/21 23:01:55


『証言 沖縄戦の日本兵 ——六〇年の沈黙を超えて』
國森康弘著
岩波書店(2008年)


10年前の本だけれど、どなたであれ一読をおすすめする。
というか、日本人全員が読むべき本である。
これが刊行された当時も、その前も、そして今も、「本土」による沖縄蔑視は相変わらずである。今なお沖縄が抱える諸問題を、自分の国のこととして、自身の問題として捉えて考える人は悲しいほど少ない。文字どおり彼らの問題は対岸の火事であり、どこまでも他人事(ひとごと)なのである。
わたしたちヤマトンチューにとって沖縄は恰好のリゾート地であり、美しい海と珊瑚礁が迎えてくれる非日常の舞台であり、琉球という「異文化」に触れることのできる安上がりな旅先である。わたし自身、ハワイやグアムなんぞに行くぐらいなら沖縄のほうが何万倍もいいと思う。そう思いながらまだ沖縄本島には行ったことがないけれど。
宮古島には幼かった娘を連れて二度行った。子どもを喜ばせるというよりも自分自身の骨休めの意味合いの強い旅だったので、観光よりただ海辺で寝そべっていた時間のほうが長かった気がする。二回めは娘がもう小学生になっていたので、夏休みの宿題のネタにできそうなことはひととおりしたかな。グラスボートに乗って海の生き物を覗いたり、シュノーケリング体験をした。
このようにヤマトンチューは沖縄をリゾート地として消費している。もちろん、ここで悲惨な戦闘があり、無策で無能な日本軍のせいで死ななくてもいい多くの地元住民の命が失われたことは、史実としてみな知っている。しかし、現代のわたしたちはそれをまるで知らないかのように振る舞って沖縄で幸せなひとときを過ごすことが善であるように勘違いをしている。
沖縄を観光で訪れ、お金を落とすことは重要だ。もっとどんどんやるべきだ。だがわたしたちは琉球王国を日本に併合し、次には米国に差し出し基地の掃き溜めにしたヤマトの人間であるという自覚をつねにもっていなければならないと思う。敗戦の事実はいずれ単なる史実として歴史書に記載されるだけであるが、その敗戦に至る長い時間のなかで、おびただしい兵隊がおびただしい市民を殺し続けた。わたしたちはその兵隊たちの子孫なのだ。
第二次大戦は、人間が面と向かって人間を殺した戦争だった。
本書で著者は、多くの証人に重い口を開かせ、経験談を引き出している。ひとりひとりがその手で殺した人間の命に思いを馳せ、体験を語っている。著者の筆致は、淡々としている。そのことがいっそう、事実を重く突きつける。

読むのは辛いが、本書はコンパクトにまとめられており、重いテーマのわりにはすっすっと読み進むことができる。これがすべてではないし、ほんらいもっと多くの証言や証拠を掘り起こし記録して、映像化などによって広く周知するべきである。「日本人の必須基礎知識」のひとつである。

A lire!(suite)2012/08/24 00:09:30

『ヒマラヤを越える子供たち』
マリア・ブルーメンクロン著
堀込-ゲッテ由子訳
小学館(2012年)


このブログ、カレンダーがまだ7月だった……永らく更新してなかったんだね。前エントリで取り上げたこの本を読むのに1か月かかったわけではないのよ。むしろ、すぐに入手して、速攻で読み終えた。

冒頭から非常にテンポよく著者の語りが進む。チベットの子どもたちそれぞれが我が家を後にしヒマラヤを越えてインド側に保護されるまで、読み手はハラハラしながらその足跡を追わねばならない。幾度も憤りを感じながら、子どもの無事を祈る親のような気持ちでページをめくる。
これはドキュメンタリーであるので、書かれていることは事実であり、その壮絶さに思いを馳せれば、あまり不謹慎なことはいえないけど、読み物としてたいへん面白く、よくできていると思う。
ただし、その軽快な筆致も、本の後ろのほうになってくると迷走気味である。原作は初版から最新版までに何度も改訂されている。というのも、子どもたちは成長する。10歳やそこらでヒマラヤを越えた子どもたちは、保護されてちゃんと食べることができ、学校で教育を受け、祖国や我が家への変わらぬ思いを深く胸にしまいながらも、世界へも目が向いている。そうした成長ぶりを、著者は時折足を運んで子どもたちに再会し、その都度続編として書き足していったのであるが、そのせいで、後半は時系列的に理解しにくい箇所がちょこちょこある。また著者自身のプライベートな生活や出来事をスパイス的に随所に織り込むのはいいが、本筋とは関係ないことで読者の視線をうろうろさせ、結果的に逆効果となっていることも否めない。

著者はドキュメンタリー映像作家である。したがって、本書の名前でインターネット検索すると、DVD化されている同名の映画もヒットする。しかし、本と映像は別もんと考えたほうがよいだろう。映画は無事に保護されてからの記録だ。だから、子どもたちの村でのミゼラブルな生活の映像は、もちろん、ない。だから、これは訳者の由子さんが言ってたことだけれど、映画を観ただけでは不十分で、本を読んで初めて、この子どもたちの、幼くして波瀾万丈の成長記が、鑑賞者/読者の頭の中で像を結ぶ。
私は映画を観ていない。だが本書は「こんな逆境で、命がけで民族の尊厳を守ろうとしている子どもたちがいる」ことを明らかにするに十分な情報量と説得力を持っている。だから、本をガッツリ読めば映画は不要だと、私は思う。
しかし、さっきも触れた、最後のほうの著者の迷走気味なくだりが気に入らない場合は、DVDを見て情報を映像で補填すれば気持ちがおさまるであろう。


ヒマラヤの向こう側はあの漢民族が支配する国である。したがって、映画も本も、チベット解放を訴える政治的な主張がまったくないわけではない。そのために本書の日本での発行は、「よし、この本出そう!」と手を挙げる出版社が見つからず、難航したという。晴れて小学館から出版され、中身を読んでみれば、これが日中関係に悪影響を及ぼすとはとうてい思えないけど、ま、二の足を踏んだ出版社にはそれぞれ事情もあるだろう。中国史や日中関係の研究者は日本にも中国にもよそにも山のようにいる。ウチの弟もそのはしくれで、その弟が言っていたが、双方の学者にとってチベット問題は厄介で根が深いもん、らしい。容易に本が出せなかったり安易に言及したりもできないのだろう。でも誰かが語らなければことは明るみに出ないからねえ。

いま日本でも大合唱されている「家族の絆」なんぞ、チベット自治区では、当局によって簡単に引きちぎられてしまうという現実がある。基本的な生きる権利、ここでなければ当然享受できる教育を受ける権利、そんな諸々、ままならないことがてんこもりだ。
とはいえ、それは何も中国チベット自治区だけではない。中国内だけでもあっちにもこっちにもあるし、それは少数民族だけではない。棄民政策は共産党のお家芸だ。たとえば『中国の血』(ピエール・ アスキ著)を読まれたし。
似たような話は世界中に転がっている。
ただ、本書は、その舞台に世界最高峰のヒマラヤがそびえるだけに、ドラマチックなのだ。そのことが、この本からきな臭い政治の色を排除し、子どもの尊いひたむきさをクローズアップするのに一役買っている。

そんなわけで、話があっちこっちしたけれど、本書は冒頭からいきなりクライマックスの連続であり、冒頭からしばらくは、親子とは、家族とは、故郷とは……と自問せずにはいられず、でも答えは見つからず、ともかく面白いから読み進む。私たち読者は大いに想像力を羽ばたかせて、チベットの生活習慣を思ったり、そびえるヒマラヤの峰の険しさが思い浮かばなかったり、生き延びる子どもたちの生命力に感嘆したり、ヒマラヤへ送り出す母親の胸中に慄然としたりする。
我が身を振り返れば、問題山積の国の民ではあるんだけど、奇跡のようなラッキーの連続というべきか積み重ねというべきか、私も、娘も、親兄弟も、たいへん安穏と暮らせていることに感謝するほかはないのである。

A lire!2012/07/21 10:24:08

『ヒマラヤを越える子供たち』
マリア・ブルーメンクロン著
堀込-ゲッテ由子訳
小学館(2012年)


初めてヨーロッパを訪れた最初の一日をパリで過ごした後、私は夜行列車に乗ってミュンヘンへ向かった。その前年の中国旅行で知り合ったドイツ人を訪ねるのが目的だった。
そのドイツ人二人連れは、昆明から成都に向かう列車の中で通路に座っていた私と弟に「あっちに座席見つけたよ」と頼みもしないのに空席を確保してくれたのだった。そして弟に、「君ひとりならほっとくんだけど女の子を通路に座らせてはおけないからな」と、ラッキーだったな姉ちゃんと一緒でと言い捨てて行ったのだった。おかげで私と弟は長距離を座って過ごすことができ、また向かいの席に乗り合わせた愉快なおばちゃんたちとの会話も楽しめて(その話はまた次の機会に)、余裕を持って列車の旅を楽しんだのだった。
昆明のドミトリーで、私の弟はそのドイツ人二人にすでに会っていた。昆明に到着するやいなや弟は体調を崩して喉を腫らして熱を出してしまった。失意の弟に姉の私は「じゃ、あたしひとりで観光してくるね」と冷たくお気楽に言い放って彼をひとり宿に残してずっと出かけていたのである。ドミトリーの大部屋は男女の別なく放り込まれたのでそこには国籍はもちろん組み合わせの不明な男女がごちゃごちゃと、たしかベッド数は12だったが、泊まっていた。私たち二人も他者からみれば「不明な」男女だった。ようやく起き上がれて洗面所で顔を洗っていた弟に、くだんのドイツ人のひとりが「彼女はどこに行ったの」と声をかけた。弟はきょとんとして、ひと呼吸おいて「あ、マイシスターのこと?」と聞き返すとドイツ人はとても嬉しそうな顔で「妹さんなの?」と聞いた。「いや、姉だよ」「あ、そう!」

到着した成都に、まともなホテルは1軒しかなく、ツインを頼むと結構高い値段を吹っかけられた。昆明のドミトリーはよかったなあ、あんな宿はここにはないのだろうか。と思っていると、例のドイツ人二人がレセプションにやってきて、「僕たち友達だから一緒に泊まるよ。4人部屋はない?」と私たちに断りもせず交渉を始めた。内ひとりは片言ながら中国語を話していた。「ベッドが3つの部屋しか空き部屋は……」「そこでいいよ、ひとりは床で寝るから」「そんなわけには参りません、簡易ベッドを入れます」「俺、190cmあるけどそれに寝られるかい?」「いやその……小柄な方にお使いいただくほうが……」(と、私をチラ見するホテルマン)
なんていう会話を経て、ツインに泊まるよりはずっと割安な宿泊代が実現した。
そんなわけで、彼らとすっかり友達になり、住所の交換もした。成都からさらに西方の奥へ向かうという彼らとは成都で別れ、私たちは重慶へ向かった。その後、長い中国旅行を終えた彼らは、ひとりはドイツへ帰国し、ひとりは日本へ来た。そのとき、京都の私たちを訪ねてくれた。そしてヨーロッパへ来たらぜひミュンヘンの僕の家を訪ねてねと言い残して去ったのである。

私は翌年、東欧旅行を企てた。例外は、発着地に選んだパリと、ロートレックの故郷アルビ、憧れだったコペンハーゲン、そしてミュンヘン。西側で訪れるのはこれらの都市だけと決めて、まずはミュンヘンの例のドイツ人の家を訪ねようと、彼の書いたメモを頼りに住所を探した。そこは意外とすぐに見つかった。玄関に出てきた若い女性に、片言の英語で、そのドイツ人の名前を言った。しかし若い女性は首を傾げて、いったん引っ込んで、また出てきたと思ったらそれはさっきと背格好の全然違う若い日本人女性だった。
「日本の方? ここに何か用?」
「あ、あのー……この人、ここに住んでいますよね?」とドイツ人の手紙を見せる私。
「はーん……これはたしかにヤツの字だね。どうぞ、お入りください」
「この人、ここに住んでますよね?」
「住んでるけど、寮費も払わないで転がり込んでるだけなのよ」
「寮費?」
「ここ、大学の学生寮なの。私は学生だからここに住んでる。彼はね、私の部屋に転がり込んでいるだけなのよ」

案内されて入った部屋には、くだんのドイツ人がいた。
「ハーイ、チョーコ。やっぱり君だったんだ」
ハーイって……アンタまるで自分の持ち家の住所みたいに書いてたやんかー。そのお気楽な表情は何よ、私は旅の予定を全部書いて送っといたでしょうに。
と、思ったけどそんなことを言い募る英語力はなく。

「前にもね、旅先で彼がナンパした日本人の女の子がここまで来たのよ、彼の恋人気取りでさ。あたし、頭来ちゃって、お前誰だとっとと帰れって言って追い返したことがあるのよ。で、今日もまた日本人の女の子が来てるよって友達が知らせにくるから彼を今問い詰めてたところよ」(笑)

私がそのドイツ人彼氏となんでもないとわかると、彼女はとてもフレンドリーになり、私たちは時間を忘れて話し込んだ、ドイツ人をほったらかしにして。互いの出身や専攻のこと、ヨーロッパが好きなわけなど……。思いがけず、のちに生涯の友となる女性に出会った瞬間だった。





本書『ヒマラヤを越える子供たち』を、私はまだ読んでいない。だが中身を読まずともそのタイトルだけで、壮絶さが伝わろうというもんである。なぜ、越えなくてはならないのか。本書には、ヒマラヤ越えの苛酷さと、それでも越えなくてはならないほどかの地の理不尽な生活が、明らかにされている。

ぜひ、お買い求めください。そしてじっくりと、読んでください。私もこれから読みます。読んだらまた報告いたします。

Il faut bien garder les nœuds d'amour...2011/01/02 19:20:50

『絆つむいで 家族はかけがえがない』
京都新聞社取材班編
京都新聞出版センター(2008年)

「絆を深めよう」ってよくいうでしょ。間違いよ。「絆」はね、深まらないの、強まるもんなの。深まるのは、「溝」よ。間違えないでね。絆は「いとへん」だから、糸とか布とかに類する言葉である。だから、本書が絆を「つむいで」と題しているのは、なかなかイケている。
副題に明らかなように、本書は家族の絆のありようを追ったものである。取材された「家族」の数々は、ほとんどが家族の体をなしていない。「家族の絆」は存在していないのだ。だからその絆をゼロからつくらなければならない。あるいは、建前だけの「太い太い絆」が鉄鎖のように「家」を縛りつけている。それを断ち切らなければ生きていけないと思い込み、家族を捨てる。そんな人もまた絆はゼロからつくらなければならない。糸を紡いで縒るように、絆も「つむいで」つくるのだ。
連載は2006年から2007年にかけて35回にわたって掲載され、新聞読者の大きな反響を呼んだ。私も必ず目を通した。文体があまり、というより全然好きではなかったが、取材されて語られている「家族」の一例一例が凄まじいのと、原則地元住民から取材していたので一部の例を除きほとんど「ご近所さん」に近い人々の話だったので、たいへん身近に感じて毎回読んだものである。
ルポされるのは、虐待、不登校、引きこもり、親への反発、暴力、離婚、再婚、ひとり親、家業の断絶、闘病、介護……など、家族という形態があるばかりに引き起こされる問題ばかりである。ならば家族なんかもって生きるのを止めればいいではないかという議論にはならないのが人間の人間たるゆえんである。人間は弱い生き物であるからして、ひとりでは生きられないのである。血縁家族のない人にも疑似家族が必要なように、みな、家族を必要としているはずである。
たぶんね、「家族」という字面に人はひるむんだな。「家」も「族」も、なんか大げさやもんね。「家族」をうまく維持するには、その字面が意味するほどのタイソーなもんではない、と思うに限る。家族は重いし、ときに鬱陶しいが、なんぼのもんじゃいと思ったっていいもんである。たかが家族である。同じ家に住んでるというだけである。たまたまその腹から出てきたというだけである。家族との関係性に苦悩している人がもしいたら、そんなふうに言ってあげたいね。親のことは選べない。生まれた家も選んだわけじゃない。もうたくさんよ。そんなふうに家を、家族を捨ててしまった人がもしいたら、それでも親がなかったらあなたはいなかったんだよ、と言ってあげたいね。こういうのは理屈じゃないから、ああたしかにそのとおりねと速攻で納得する人はないけれど、理屈じゃないから、血の通った自分の手の体温を確かめるだけで、突然親の存在を思い知ることだってあると思うよ。
私自身は、本書の、取材記事の連載中、こんなにたいへんな思いをしている人がいるんだなあ、ウチなんか恵まれてるほうなんだなあ、と思うこと頻繁であったので、何にせよ、帰る家のあることと親がいることと娘がいることをありがたいと思ったもんである。だって、ひとりは寂しいもんね。若いときは一匹狼を気取ったもんだが、今は、ひとりは嫌なの。親を見送り、娘を独立させたら、誰かと絆、紡がなくっちゃ☆

可哀想な人たちに思いを馳せて自分を励ますという構図の功罪2010/07/21 21:05:58



『ラティファの告白 アフガニスタン少女の手記』
ラティファ著 松本百合子訳
角川書店(2001年)


タイトルが示しているように、本書は小説ではなくラティファというアフガニスタンの女性のアフガニスタンでの生活を綴ったものである。ラティファは二十歳になって、半ば亡命に近いかたちで渡仏した。フランスのジャーナリズムにアフガニスタンで起きていることを、とくに女性に起きていることを語るためである。本書はラティファが語った内容が仏訳されてまずフランスで出版され、それが日本でも翻訳出版されたものだ。フランスでは現在、アフガニスタン救済を呼びかけるNPO等の活動がけっこう活発なので、当時ラティファの本はかなり売れて読まれた結果ということなのだろう。

小説ではないから、過日とりあげた『ボッシュの子』と同様、物語的な盛り上がりや起伏がない。惨い現実が次々と語られていく。ひとつひとつのトピックは、あまりに惨たらしくあまりにひど過ぎて、穏やかに可もなく不可もなくのお気楽人生をすでに半世紀近く送る私にはとうてい想像つかないことばかりである。もちろん、それは著者のラティファにとっても惨たらしく耐え切れない事実なのであるが、彼女の語り口がそうなのか、仏語訳のせいなのかあるいは仏語からの和訳のせいなのか、どうもとりとめのない作文を、いや作文として読めばすこぶる優秀作品なんだけど、読まされている感じが否めない。しかし、それは言いっこなしだな。

イスラム原理主義というやつは、どうしてこれほどまでに生あるものに対し残酷になれるのだろうか。私にとって関心のあるイスラム国家といえばマグレブ三国とパレスチナで、残念ながらそれ以外の国に関する知識は非常に寒いのであるが、たとえば、アルジェリアにおける武装イスラム集団のテロは一時非常に活発だったのでいつも報道にかじりついていたが、奴らはただ殺すだけでは気が済まないようなのである。とくに女性に対してとことん残酷である。90年代によく読んだルポの内容はいまうろ覚えだが、殴りつけて息の根を止めた妊婦の腹を切り裂いて胎児を引っ張り出し切り刻んで捨て置くとか、首を絞めながら輪姦した挙句股間から真っ二つに裂いて吊るしておくとか、身体のパーツ(腕や脚はもちろん眼球とか乳房とか性器とか)をご丁寧にも全部ばらばらにして並べておくとか、とにかく、その行為にどういう意味があるんだよ20字以内で説明せよ、とか、女性性へのその憎悪の根拠は何なんだよお前たちは誰の腹から生まれてきたんだよこれについて思うところを50字程度で書け、と詰問したくなるような、えげつないにもほどがあるのだ、惨殺ぶりに。

本書にも、似たような記述は出てくる。タリバンがカブールを制圧して以来、まったく被らなくてもよかったチャドリ(顔をすっぽり覆う黒いヴェール)の着用が強要され、仕事をする自由、外出する自由を奪われるのは女性たちである。ちょっと近所へ行くだけだからと何も着けずに外へ出た7、8歳の女児たちが「強姦され、殺されて性器を引きちぎられてゴミ捨て場に捨てられていた」とか、タリバンが召集した場所で学生たちが見たものは、「観音開きの扉に全裸の女性の死体が真っ二つに裂かれて一片ずつ左右の扉に貼りつけてあった」などなど。それは見せしめであり、俺たちタリバンに逆らう者はこうなるぞと主張しているのだと著者は言う。タリバンはもちろん男性も殺す。しかし死体を弄ったりはしないのだ。女性がいなければ男性だって世に存在できないのに、女性をこの世から壊滅しようとしているようだと著者は言う。女性から自由を奪い、希望を奪い、意思を奪い、心を奪う。女性は生まれながらにして男性の奴隷でありその庇護なしには一歩も行動してはならないのだ。14、5歳で結婚させられ、子どもを生めば用無し扱いされてとっとと捨てられる(=殺される)。

地球上で最も愚かな生物は人間のオスだというのが私の持論だ。オスだけでは繁栄できないのにオスがいちばん偉いといわんばかりに振舞う。この愚かさはイスラム原理主義者だけでなくあらゆる場所に生息する人間のオスに大なり小なり共通である。
メスだってメスだけでは繁栄できない。しかしメスはそのことを自覚している(いた)。

フランツ・ファノンの本を読んだのがイスラム教のなんたるかを知った最初だったのだが、女子割礼(性器切除)の風習や、チャドリやブルカを纏うことの意味について勉強するにつれ、やっぱしオスはアホやなあ、と何につけ結論づけるのが癖になってしまったいけない私がいる。そんなアホなオスが大好きな私もここにいる。

ところで、私は昔から小説よりもノンフィクションが好きだが、ジャンルは社会的弱者のおかれている惨状をレポートしたものというのが多い。お母さんの借りてくる本って絶対ナチスとかパレスチナとかチェチェンとかチェルノブイリって書いてある、とこれはあるとき娘にいわれたことなんだけど(笑)、根性なしの私はすぐにああもうダメだ立ち直れないという精神状態にしょっちゅう陥り、そのたびに、そうした気の毒な立場にいる人たちのことを読み、その苦しみに思いを馳せ、自分のプチ逆境など逆境のうちには入らないのだわと奮い立ち持ち直す、ということを繰り返してきた。とにもかくにもこの私が、まともに生きてこれたのは、世界中で迫害され虐待され無残に殺されていった幾多の悲しい人々のおかげなのである。といえなくもないと思うとまた、私って何たるエゴイストかとずんと落ち込むのである。んでもってまた、プーチンの悪行三昧暴露本などを読んで許さん!などと独り言を言い立ち直っている(私もたいがいアホである)。この思考パターン、どうよ。あんまりよくないよね。前向きなようで、かなり後ろ向きだよね。

さてさて、本書が出版された当時、著者のラティファは21歳。だからいまはもう30歳になっている。どこでどう暮らしているのだろうか。フランスで愛する人と一緒に生きているのか。本書によればラティファと母親がパリへ着いたとほぼ同時くらいに、タリバンは彼女の生家に押し入り略奪した挙句火をつけたという。子ども時代の思い出の詰まった家がなくなり、家族は離散してしまった。それでも、ラティファは全アフガニスタン女性を代表して声を挙げるために、フランスへ来てよかったと思っているのだろうか。

断絶状態2010/01/16 21:12:52

『ハイチ 目覚めたカリブの黒人共和国』
佐藤文則著
凱風社(1999年)


RFI(ラジオフランスアンテルナショナル)によるとハイチはまったく世界から断絶された状態にあるらしい。昨今流行りのTwitterとかFacebookとかもまったく役立たずだそうだ。阪神淡路大震災の時は携帯電話と携帯ラジオが役立ったという話をけっこう耳にしたが、そういうものの基幹部分が壊滅しているようだから電波も飛ばないのだろう。ポール・オ・プランスの90%の建物が倒壊したという。なんといっても、最貧だろうが何だろうがポール・オ・プランスは首都だ。日本でいうと皇居や東京タワー、霞ヶ関や新宿の都庁、六本木ヒルズとか代名詞的ないろんなもんが瓦礫と化し、成田や羽田の滑走路が飛べない機体であふれ、港には損壊した船舶がなす術なく溜まっている、というところだ。

阪神淡路大震災のとき、嬉々としてやってきた多くの報道アナウンサーの中には高価で暖かでおっしゃれーなレザーやダウン、果ては毛皮のコートまで着ていたヤツがいたし(報道合戦でもあったからここぞとばかりめかし込みたい気持ちもわかるし、実際寒かったしなあ。毛皮着てきたんなら被災者の毛布代わりに置いてってくれたらよかったのに)、スタジオでしゃべっている女子アナには映像を観ながら「東京だと思うとぞっとしますね」と映画観賞後のコメントみたくほざいたヤツまでいた(「東京でなくて、神戸でよかったね」って言っているに等しい発言を報道を担うヤツから聴いたときから、私は本気で東京大地震が起こればいいと思うようになったよ)。テレビ局のヘリが火事場の上空を飛び、燃えさかる炎をあおるだけあおって「燃えてますー」と興奮しまくっていた(火を見て喜ぶのは類人猿までだと思っていたけどね)。
よかったな君たち、なかなか見られないもん見られてさ。
当時マスメディアだけでなく、私のごく身近にすら、被災地へおもしろ半分に見物に行くヤツがいた。
あれから15年。神戸の街は美しく復興したけれど、震災はまだ人々の心に爪痕を残したままだ。
私自身は何一つ被害はなかったけれど、地震を面白がっていたヤツらのことは一生許さないと心に決めているのである。

あの朝、地鳴りがしたかと思うと、家ごと上下に揺さぶられた。私の布団のそばには本棚があって、本だけでなく人形やがらくた置き場になっていた。大きく揺さぶられたひとつめの揺れで、そんなものが布団の上にどさどさと落ちてきた。
私は布団の中で丸くなり、掛け布団にくるまったまま本棚からできるだけ離れた。
揺れが続いた。それはすごく長く感じられたが、最初の揺れほど強くならないまま、収まった。
いろいろ落ちてきたけど、何も壊れなかったし、ぼろ家のわりには、というか最初からぼろすぎて壊れるところがもうなかったというのか、家には地震で壊れた箇所などはいっさいなかった。が、それまでに覚えのないほど大きな揺れだったことには違いない。
私は階下へ降りて両親の無事を確かめ(大きな箪笥のそばで寝ていたからね)、ラジオやテレビで震源などを伝える報道を探した……

神戸には大学時代の同窓生、仕事の関係者など、多くの友人・知人がいた。家を失った子、避難所生活が続いた子など辛い思いをした友人は多かったが、幸い犠牲者も怪我人もなかった。彼らの家族もほぼ無事であった。

地震から15時間くらい経過した頃からだろうか、国内外あちこちから電話をもらった。無事か、大丈夫かと尋ねてくれる電話だった。ニュースで見てすぐかけたのに全然つながらなかったと。
私は私で、神戸の友人知人に片っ端からかけていたので、つながらなかったのはそのせいかもしれなかったが。

あれからいろいろなものがいろいろな形に発展し、世界中コミュニケーションできないところなどなくなったかのようにいわれているけれど、地球が脇腹をちょっとかゆがった程度で、とたんに断絶されてしまう。人間のつくるものなど自然の力の前にはひとたまりもない。

佐藤さんのこの本は、ハイチの成り立ちや地理、歴史にも詳しいが、主にポール・オ・プランスのスラム街に通い詰めて撮った写真を軸にして書かれたものだ。1999年刊だが滞在はそれ以前だ。豊かな日本は大震災を経験し、官も民も何かしら学んだ(と思いたい)が、当時のハイチは無法状態で、毎日のように誰かが誰かに殺されていた。民主的に選ばれたというと聞こえはいいがあまり誰も声高にいわなかったことをわーわー叫んで人民の気持ちを高揚させただけで大統領になったアリスティドの頃である。
本書を読むと屈託ない子どもたちの黒い肌がきらきら美しいことに感動するいっぽう、いまにも崩れそうながたがたの家で頬寄せ合って暮らす子だくさん家族や、夫や親を何者かに殺されてしまい途方に暮れる家庭が密集するスラムのひどさに目を覆う。
神戸はひどい目に遭ったけれど、地球上にはとうてい回復不可能なほどに痛めつけられた生活が存在していた。痛みは慣れると無感覚になる。ハイチでは誰もが無法状態に慣れっこになっていた。

そんな街にも市は立ち、野菜や果物が並び、人は手を動かして暮らしの道具をつくる。なけなしのお金でなんとか子どもに文房具を揃えてやるのである。佐藤さんが惹かれたのは、ほんとうはけっして失われずに潜在するハイチ人の底抜けの明るさとパワー、またそれが顕著に見える音楽や信仰といった文化の底力であろう。それがある限りハイチは生き続けると。

本書は2007年に改訂新版が発行されている。その後の10年分のルポが追加されているのだろう。残念ながらハイチは何もよくなっていなかった。そして地震。佐藤さんが愛したシテソレイユ(スラム街)は跡かたもないほどに壊れてしまったのではないか。
佐藤さんは現地の誰かとの交信に成功しただろうか。

「石炭はどこにあるのですか」「地の底」2009/11/17 18:18:02

藤原書店『環』Vol.38(2009年夏号)
248ページ
〈小特集〉『「森崎和江」を読む』


昨日、こんなイベントがあったのである。
【対談 姜尚中×森崎和江】
お二人とも大好きなので、近かったら仕事ほっぽり出して駆けつけるところだ。
いいよなあ、東京は何でもあって何でも開催されてさー。
つーても、どこにいようとそんな文化的生活、謳歌できないけどなあ、今のありさまじゃ。
あーあ。でも愚痴んのやめよ。

姜尚中って誰?とおっしゃるみなさんに。『悩む力』というベストセラー本の著者である。
森崎和江って誰?と問うかたがたに。『からゆきさん』というノンフィクションの書き手である。

イベントの告知ページはここ。
http://fujiwara-shoten.co.jp/main/news/archives/cat17/

私は、『悩む力』も『からゆきさん』も読んでいない。姜さんの本はその昔論文集として出された『オリエンタリズムの彼方へ』しか読んでいない。しかも読んだとはとてもいえない。小難しくて睡眠薬にしかならなかった。『オリエンタリズム』にノックアウトされていた後だったので、サイードつながりで読んだけど、姜さんの筆致はサイードの訳書とはぜんぜん違って難解だった。森崎さんの本は一冊だけ、『まっくら』を持っている。面白い本である。私にとって森崎さんはこの『まっくら』を書いた、女性ルポライターの魁(さきがけ)みたいな人であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。『まっくら』の初版は1960年だから、時代背景からも世代からしても(森崎さんは1927年生まれ)書くことを仕事とする女性の鑑なんである。『まっくら』はすごく面白い。身につまされる。男どもに腹が立つ。女を、しかし男をも、人間を、愛しく感じるようになる。

姜さんは、院生をしていた頃に顔を見た。大学が開催したシンポに講演者・パネラーとしてやってきた。それはクレオールやディアスポラに関するシンポだったように思うが、もう忘れた。忘れたが、永遠に忘れられないと観念するほど印象に残ったのが姜さんの声だった。ええ声だった。酔いしれてしまった。姜さんはあのとき何を喋っていたのだろう。声の響きだけが記憶の奥底にへばりついていて、言葉というかたちを成して立ち上がってこない。彼が心に残らない言葉しか発しなかったわけではもちろん、ない。私のほうに、器がなかったのだ。シンポのほかの出席者の顔ぶれも覚えていないのだから、姜さんの声を美しい記憶として留めているのは奇跡なのである。

森崎さんのことは、何も知らなかった。
今年の『環』で特集が組まれなければ、何も知らずにいたかもしれない。
藤原書店では『森崎和江コレクション』という全集を出版していて、それは去年あたりから『環』誌上で宣伝されていた。それを見て、うわ、そんなに偉大な文筆家だったのだわ、とおのれの無知を恥じるのはいいけど、それと同時にてっきり「森崎和江は故人」と思い込んでしまったあわてんぼな私。

森崎さんは朝鮮半島の生まれである。17歳までその地で生き、「内地留学」で九州の学校へ渡り、敗戦を迎える。植民者二世の彼女にとって、生まれ育った半島の自然や、民族服を纏ったおおらかな人々の記憶とは、大違いの日本。「なじめない」どころではなかった。こんなところでどうやって生きていこう。本気で生きる術を探した。
……といった生い立ちについてはこの特集の冒頭を読んで知ったのである。
冒頭はご本人の筆になる。それに続いて11人もの錚々たる書き手が森崎和江を語る。だが冒頭の、森崎さんの、『森崎和江コレクション 精神史の旅』刊行の「ご挨拶代わり」の全5巻のレジュメに、まるでかなわない。いろいろな切り口から、森崎和江に絡めて時代を、半島を、戦後を、女を、炭鉱を、語っているけれども、既視感をぬぐえない。森崎さんの冒頭の短文が、すべて語りつくしてしまったのだ。あとは、コレクション全巻を読むしかないといわんばかりに。
たったひとり、三砂ちづる氏の「森崎和江――愛される強さ」はまるでアプローチが異なっていたので、楽しく読むことができた。

『まっくら』は炭鉱の町で生きる女たちの語りのかたちをとったノンフィクションである。
なぜこの本を買う気になったかというと、誰かが「枕頭の書」「いつもこの本に立ち帰る」「こういう書き手でありたい」などと新聞で語っていたのだ。その誰かについては、もう何年も前のことなのでぜんぜん覚えていない。たぶん、ジャンルはなんであれ、もの書きさんだった。まだ若い女性だった。『まっくら』刊行当時森崎さんはまだ30代だから、それに自身を重ねることのできる年頃のかただったと思う。その記事はいわゆる書評ではなく、インタビューでもなく、日替わりのショート談話みたいなものだったと思う。ただそこに示された『まっくら』というタイトルと、「炭鉱の女」という言葉が、私を惹きつけたのだった。その記事を読んでまもなく、私は書店に取り寄せを依頼し、手に入れた。

その後私は炭鉱にまつわるノンフィクションや小説を読んだことはないけれども、たとえば映画『リトル・ダンサー』や『フラガール』などを観たとき、『まっくら』の女たちや森崎和江のつぶやきを聞くような気が、少しだけしたものであった。

ウチよりいいもの食べてるかも2008/11/06 18:22:42

『TOKYO 0円ハウス 0円生活』
坂口恭平著
大和書房(2008年)


9月になってようやく私に回ってきた本書。誰かが、あまりの面白さに返却しないで止めてたのか、よくわからないがずいぶん時間がかかったものである。この本を待っていることについては5月に書いた。
http://midi.asablo.jp/blog/2008/05/28/3547303

『ホームレス中学生』は小池くんが主演で映画化されて、ウチの娘はそっちも観たくてウズウズしていたが、いっときのことで、ぱたりと言わなくなった。
この本には、主人公の父親がその後どうしているのかの記述がまったくなく、娘にはそれが腑に落ちないのである。娘の友達たち(←こういう表現って変だと思いつつ、「友人たち」と表現するにはやつらはまだ子ども過ぎる)は主人公が母親を想起するところで泣けたと言ってたというし、中学の先生の一人は人の温かさに泣けるだろうと嬉しそうに言ったという。

「泣くような話とちゃうで」
という娘の言に賛成である。

ウチの娘は圧倒的に読書量が足りないので、行間を読むとか背景を推理するとかそんな芸当はできない。書かれたものを額面どおりに受けとめるだけで精一杯だ。とすると、その程度の読解力の人間にとっては『ホームレス中学生』の文章は大変に表現力に欠け、深みが足りない。はしばしに、下手な芸人の笑えないネタそっくりの、話の流れとは関係のない落ちないオチが散見され、目障りである。(泣くような話ではないが、同時に笑える話でもないのが辛い、というのも娘の言)
著者の体験記であって小説ではないのであまり多くを求めてはいけないが、それを差し引いても読み応えがなさすぎる。
ただそれでも編集者の苦労は偲ばれ、工夫のあとは垣間見える。ご苦労さまである。こんなにヒットしたんだからおめでとうございます、である。

「泣くような話」ではない。その理由について私はそれを文章のクオリティに一因ありと思うが、娘がいいたかったのは実はそこではないだろう。
幼くして母を亡くした主人公の欠乏感、心を占めていた愛情が抜けて空いた穴の大きさ。近親者で亡くした人間は祖父のみという娘にとって、母親を亡くした場合の事態は想像できないのだ。可哀想だろうけれど感情移入まではできない。泣くにはもっと経験が要る。
もうひとつ、周囲が家をなくした彼らを支えるという親切な行為については、逆に自分の住む地域なら容易に想像ができるので、べつに失われた美習でもなんでもないだろうと思うから、そこに引っかかって泣くようなことはないわけである。

さて、『ホームレス中学生』の「罪」は、「ホームレス」という言葉に対し、何の問題提起もしなかったことである。「家」とは何なのか。家のない状態とはどういうことなのか。この国にはこの名称で十把一絡げに扱われる人々が山のようにいるはずで、行政はそういう人々を巨大ほうきで一掃することしか能がないが、そうした事実について、一度でも、『ホームレス中学生』をはやしたてるメディアが語ったことがあったのか。
ない。
この本の背景では、育ち盛りの子ども三人を抱えた父親が袋小路に追い詰められて家族を解散しなくてはならなかったのだ。日本の社会が抱える病理を、議論したり、してないだろ。

……そういうことにカリカリしている時に、本書『TOKYO 0円ハウス 0円生活』はバサッと冷水を浴びせてくれる。
前置きが長くなったが、本書は「達人ホームレスの暮らしの知恵」とか「驚きのエコアイデア、驚きの省エネ裏技紹介」、とでもキャッチをつけたくなる内容だ。
著者は、住所を持たない人々すなわちホームレスの「家」を訪ね、観察し、その優れた構造と工夫に舌を巻き、彼らの生活力に喝采を送る。
大半を占めるのは鈴木さんとみーちゃんの「家」の話である。なんと彼らは隅田川沿いに「カップルで」住んでいる。廃棄バッテリで動く廃棄家電の数々。アルミ缶収集で得た収入で、新鮮な食材と良質の調味料を調達する、銭湯にも行く。花火大会前など一斉掃射が行われるときは「家」は解体され、畳まれる。私より稼ぎはずっと少ないけれど可処分所得はずっと多いような気がするし、ずっといい食事をしているような気がする(泣)。やっぱ基本は食である。彼らは元気である。

著者は、ただただその「移動式簡易住宅」への畏敬の念が先にたっているので、取材相手のこれまでの人生や現在の状況を哀れむという視点がまったくない。そのことが、本書を読みやすくしている。この問題には社会的な数多くの懸案がてんこ盛りのはずだけど、そういうことはさておき、「家」のアイデアの素晴しさを称賛する。
建築を学んだ彼は、建てるにも壊すにも膨大な資金と労力を必要とする建築物ばかりを造るのはもういい加減に止めようよ、といっている。本当にそうだなあと思う。家は必要だが、家の在りかたを考え直してもいいんじゃないか。どんなに頑丈に建てても、贅を尽くしても、核爆弾降ってきたらひとたまりもないんだし。

ダンボールとブルーシートと建築現場からもらってきた角材だけで、自分に日常生活を営める住宅を誂えることができるかと問われれば、もちろん答えはノンだ。今、我が家はいよいよ雨漏りがひどくなり、床を踏み込むと、私の体重のせいばかりでなくてズボッとへこむ箇所がある。そんな修理すら私にはできないし、天井や床をいったん開けたら要修理箇所がゴマンと出てくるかと思うと、そしてその修理費用がとてつもないものになるだろうと思うと、なんて私って生活力ないんだろうと自己嫌悪である。
なんてことを書いてると、職場の天井裏でネズミがごそごそがりがりやってるのが聞こえる。どこでも生きていけるって、偉大なことだ。

「さまざまな過剰に対する違和感」2008/10/02 20:13:58

『働く過剰 大人のための若者読本』
玄田有史 著
NTT出版(2005年)

どっかのアホが放火殺人事件を起こしたが、私は思った。「また同世代だ……」
幼女連続殺人事件の宮崎、池田小学校殺傷事件の宅間、それにアイツもコイツも、同い年か前後二年ほどしか変わらない同世代である。
たくもう、極悪犯罪人の中に同級生の名前を見つけずに済んでいるのは奇跡じゃないか、とこのごろは思うようになってきた。

一方で、素晴しき同世代人がいるのも事実である。私自身は歳ばかりが立派な中高年で、実績も社会貢献度も収入も若輩だが、周りを見渡せば、面白い仕事やユニークな研究に取り組み素敵な成果を上げている方がたくさんいる。
玄田さんもそのおひとりである。玄田さんが取り組む「希望学」という分野が学問として今後成立していくかどうかはともかく、人間だけがもちうる感情「希望」に着眼しその有無や在りかたによってその後の人生が変わりうるかも、という仮説には思わず納得させられる。彼の講演を聞いたとき、「希望を修正する」という彼の言い方に多少違和感を感じたのは事実だが、その後いくつかの彼の著作やインタビュー記事を読んだりしていくと、「希望」という、いくとおりもの意味(ゆめ、のぞみ、ねがい)や、いくつもの混同されやすい類義語(志望、願望、切望)をもつ言葉の定義について彼自身が難儀しているさまが見て取れる。
つまるところ、希望って、どんなシチュエーションでも使われる便利ワードだ。
「晩御飯、なにがいい?」
「あたしの希望は、麻婆豆腐」
「将来、何になりたい?」
「希望は、オリンピックに出られる選手……でも無理ってわかってるから、ま、なんでもいい」

希望っていったいなんだ。という話は、だから今はやめておく。きりがない。

本書の読後感は、以前取り上げた岩村さんの食卓の本に似ている。
ある切り口から人々の生活の実態を見つめ、そこに潜む問題をあぶりだすため、きめ細かな調査によって裏づけを取り、考察を重ね、現代社会のさまをある側面から語ってゆく。読み手は、ほうそうなのか、はあなんつうことだと暗澹たる気持ちになったり、自分や家族、職場環境のことをずけずけ指摘されたような気にもなり、ときに落ち込みときに苦笑する。
そして、これも共通する読後感だ。
「著者さん、アナタはけっきょく、わたしにどうしろっていうの?」
そう、この類の本は問題意識をやたらと高ぶらせてくれるのだが、解決へ向かうための明快なみちすじが、あるようで、ない。
岩村さんの本も、もっと家庭の食卓を司る者が、自分を含む家族の一日の生活リズムを踏まえ、栄養摂取の知識を駆使して献立を考え、外食・中食の頻度を抑制するなど、食生活そのものに真剣に取り組め、といっている。それはわかるにしても、では具体的に、ウチの家庭では何を改善すればいいのか、という問いに答えてはくれない。
玄田さんによる本書は、働く人、働かない人、働けない人についてさまざまな考察を見せてくれる。実に面白い。でも現実は、問題山積の現実はだからといって解決には向かわないのである。

《いったいだれが、グローバル化社会のなかでの人材戦略とは、即戦力人材の活用であると言い出したのだろうか?(……)あまりにもナイーブな結論にすぎる。(……)業績の悪化した企業にかぎって、最初に削減するのが教育であり、人材としては即戦力を謳うようになる。(……)即戦力人材は、一般にどの会社でも通用するスキルを持つものだ。しかし、それは言い換えれば、どの会社でも汎用性のあるスキルでしかないということである。》(8~9ページ/第一章 即戦力という幻想)

ウチの会社でも経営陣は「即戦力しか必要としていない」「じっくり育てている暇はない」という。ウチの会社は実際凄腕ばかりである。でも給与水準はここに書くのも恥ずかしいほど、低い。私の手取りは、20年前、最初に勤めた会社を5年で辞めたときの基本給程度である。

経営陣は、いわゆる団塊世代である。彼らのために言うが話のわかる人たちであり、団塊と呼ばれる自分たち世代にいわれる問題点もそこそこ自覚しており、また後続世代に理解もある。しかし自分たちがかなり特殊で特異で突出して特徴のある世代だとは思っていない。

《(……)数値からは、長期雇用に関する重要な事実が浮かび上がってくる。ひとつの会社に勤め続ける傾向が最も強い世代とは、1940年代半ばから50年代前半に生まれた世代なのである。そして、そのほぼ真ん中に位置するのが、1947年から1979年に生まれて、人口規模が700万人弱にものぼる、いわゆる「団塊の世代」である。(……)抜きん出てひとつの会社に勤め続ける傾向が強かったのだ。(……)日本の労働者史上、長期雇用とそのもとでの年功賃金の恩恵を一番に受けた世代であり、そして最後の世代になるだろう。(……)長期雇用そのものが、戦後の日本の高度成長とその後の低成長によって一時的に生み出された現象と考えるほうが妥当なのだ。》(54~56ページ/第二章 データでみる働く若者の実情)

私は、「石の上にも三年」という言い回しが好きである。なにごとも、そのくらい取り組んでみなければ成果どころか自分なりに納得することもできやしない。しかし、三年同じ環境に居続けることは、現代の社会では至難の業である。ずっと居ればだんだん給料が上がっていく、それはもう御伽噺である。ずっと居れば給料は上がらなくとも人間関係に慣れて少しはストレスも減少する、得意先から認められて褒め言葉ももらえる、というのも幻想である。同僚も辞めていく、取引先の担当者もころころ変わる。自分の仕事を継続して見てその進歩のさまを確かめてくれる人などいないのだ。私の勤務先も、経営陣自身が担当業務を抱えフル回転しているので、雇っているスタッフがどんなに頑張っているかサボっているか、じっさいわかってない。ただ、成果物だけが評価の対象である。
だから私たちは「いいもの」を創るために懸命になる。必死になる。あくなき追求をする。その結果、長時間労働に従事することになるが、もちろん、残業手当という語はもはや死語である。

《「深夜0時に退社して翌朝9時半に出社すると、メールがもう40通くらい来てることもあった(……)」》(68ページ/第三章 長時間労働と本当の弊害)
《不要な業務を整理できていない上司は「とりあえず両方やっておいて」と指示にならない指示を出し、負担だけが部下に降りかかる。部下は「どうせ読まれない」資料を深夜まで作り続けることになる。》(70ページ/同上)

上の、「上司」を「クライアント」に、「部下」を「下請」に換えればそのままそっくり私の居る世界の話になる。想像もできず、判断もできず、必要と不要の区別のつかないクライアントの担当者は平気で言う。「とりあえず2案提出してください」。2案出すと「A案のアレンジ版としてA’、B案のカラー違い案としてB’、つくってください」としゃあしゃあと言い、(けっきょくこれで4案である)翌日には「もっと違うのも見てみたいので、全然テイストの異なるものを2案(以下同文、繰り返し)」とのたまう。無料配布のぺらぺら冊子の表紙デザイン制作の話である。
私たちは修正指示に従うし、顧客の希望にできるだけ沿いたいと考えている。だから顧客の側も、私たちからベスト成果物を引き出すためにはどうしたらよいのかを考えてほしいし、考える能力のある人を担当者に据えてほしいのである。能力がないなら育ててから前面に出してほしいのである。

《過度な長時間労働は、誰も幸福にしていない。》(94ページ/同上)

いま、少なくとも、私の担当業務の周囲では、アホなクライアントも含めて誰も幸せではない。それでもクライアントは5時きっかりにどんな案件を抱えていようと退社するので私よりは少しだけ幸せなはずである。

自分たちのことばかりぐだぐだ書いているようで、申し訳ない。
本書の第四章、「仕事に希望は必要か」の内容は、玄田さんの中学生向けの著作『14歳からの仕事道』を読むほうがわかりやすい。表現を変えてほぼ同じことが書いてある。(『14歳からの仕事道』はたいへん面白い。しかし、中学生にとっても面白いかどうかは微妙なところだと思った。中高生の親が読むのにちょうどいい。)

本書は「ニート」について多くを割いている。ニート論であるといってよく、ニートについて先入観をもっている人の目から鱗が落ちること間違いなしである。私なら本書のタイトルを『ニートの正体』とするところだ。それほど、「ニートとはいったい何者か」という問いにしっかり答えてくれている(私にどうしろって言うのよ、という問いには答えてないけど)。
ただ、玄田さんにはすでに『ニート』という著作がすでにあり、本書はニート以外にも言及しているので、ニートという言葉をタイトルには持ってこなかったのだろう。

《メディアがニートを就業意欲に欠けた、働かない若者たちと表現した瞬間、読者や視聴者の多くは、それを怠惰な若者、甘えた若者、親のスネかじりを厭わない若者と、ほとんど自動的に認識することとなる。(……)ニートは(……)できれば働きたいと思っている。むしろ働くことの意味を考えすぎるあまり、立ち止まっている(……)ニートが増えたのには、個性発揮や専門性重視を過度に求めすぎた時代背景がある。(……)ナンバーワンになるのも難しいが、オンリーワンになるのだって簡単ではないのだ。(……)現実の中で、やりたいことがないので働けないと考え、自己実現の幻想の前に立ち止まってしまった(……)「今やりたいことなんてなくても大丈夫」とはっきり伝えたい。「やりたいことは、働くなかでほとんど偶然のように、みつかるものだ。(……)この仕事でもやってよかったなあと思うときはちゃんとあるんだ。たとえば……」と、大人がそれぞれの経験の中で実感してきた働く真実を伝えていくべきなのだ。》(124~132ページ/第五章 ニート、フリーターは何が問題か)

というふうに、著者は、まず親が子に、そして教師や周囲の大人が生徒や若者に、自分の携わる仕事について誇りをもって語ることが大切だとしめくくろうとする。が、そのことが口でいうほど簡単でないことについても言う。社会階層、経済格差、教育格差を論じた章を経て、第十章の「親と子どものあいだには」では、親子関係の適度な距離について語る。つまり過保護、過干渉はもってのほかだが、過度に期待するのもNG、過度の放任もNG。子どもと大人が適度な距離感を保つことは奇跡かもしれないという。親と子は相性がよいはずだというプレッシャーから解放されたほうがいい親子、もっと寄り添って心を量りあうほうがよい親子、いろいろある……。

本書のタイトルは、著者の感じた「さまざまな過剰に対する違和感」を表現したものだそうだ。
何にせよ、過ぎたるは及ばざるが如し。それはたしかだ。
慎むべきは自身の過剰な労働、子への過剰な期待。排除すべきはアホなクライアントの過剰な要求、過剰な自信(しかも根拠ゼロの)。
こういうふうに、過剰に長い文章をブログにアップするのも控えなくちゃね。