J'ai mal aux yeux... sacré des pollens !!!!!2012/03/30 19:42:44

……ったくもう、目が痒いったらありゃしない。
私の周囲の花粉症持ちはみな目が痒いと言っている。もちろんマスクをして言う。鼻水・くしゃみの症状もあるわけだ。が、目の痒みは年々ひどくなる一方だという。思うに、花粉症の症状は、発症後数年間は主に鼻腔に症状が出るが、だんだんと眼に移行していくのであろうか。まるで足並みを揃えるように、周囲では眼の症状を訴える人が増えてきた。
「鼻と眼は顔の奥でつながってますから、点鼻薬は眼の症状にも効果がありますよ。もちろん、眼のほうからの点眼薬も必要だけどね」と私の耳鼻咽喉科医は言う。
噴霧された点鼻薬が眼球を覆う上下まぶたにまで届くというのなら(いや、医師はそうは言ってないんだけど)、花粉に反応する受容体も鼻腔から徐々に移動するんだろうか。いやあ、まさか、そりゃ違うだろうな。まぶたはまぶたで、受容体が発生してると考えるほうが自然だな。
私の場合、眼が何かに反応してアレルギー症状を起こすのは、花粉症という言葉がこんなに流通する以前にもあった。それは、ただ私の眼が人より虚弱で敏感な上にコンタクトを装着しているからだと思っていた。この眼の症状にかんする最後の記憶は、忘れもしない、ある秋のことだった。赤子の娘を預けている保育園で保育士と交わした会話。さなぎちゃんのお母さん、眼鏡ってかけておられましたっけ? いえ、いつもはコンタクトなんですが、目が痛痒くて、腫れと目やにがすごくてコンタクトレンズはしばらく止めなさいって医者に言われたんです、時々あるんですよね、こういうことが。そうですか、お大事に、それにしても眼鏡、お似合いですよとっても。
そう、季節を問わずその症状はいきなり訪れ、どうしようもない目の痒みとともに、とてつもなく大量の目やにだとか、止まらない涙だとか、そんなものに悩まされる日々が続き、コンタクトレンズを使えないので学生時代に使っていた古い眼鏡を引っ張り出して昭和な顔になったりしたものだ。当時、花粉症じたいはすでにあったと思われるが、まだポピュラーではなかった。
いわゆる「鼻水・くしゃみの花粉症」は、娘が3、4歳の頃だろうか、遊びに行った動物園で、突然始まった。猿を見てたか象を見てたか忘れたが、止まらないくしゃみと鼻水に、いきなり、襲われた。ゴールデンウイークのさなかだった。晴れていた。暑かった。風邪などひく理由がない。

仕事の関係者にその話をした。
「ちょーこさん、それは花粉症です」
「え? だって、スギやヒノキはもう終わったでしょ? 花粉って3月から4月までじゃないんですか」
彼はふっふっふと薄笑いを浮かべ、まるで最後通牒のようにこう告げたのだ。
「イネ科は今飛んでますよ」

その年から毎年、人より少し遅れてGW前後を皮切りに、私の花粉デイズが始まることとなった。春のその症状が出始めてから、例の原因不明の眼の突発性アレルギー症状がぴたりと出なくなった。あれはいったいなんだったのだろう。起こった理由もなくなった理由も追求せずじまいである。

GWを発症時期の目安にしていたが、それをヒノキのピークである4月初めに修正するのにそう年数はかからなかった。そして、かつてとは異なる痒みや異物感を目に発症するのも、まもなくのことだった。4月・5月・6月と続く花粉デイズは、やがてスギ・ヒノキ・イネの3本立てで3月・4月・5月・6月にまたがることとなる。これってさ、1年の約3分の1だぞ。大きくないかい。

薬を飲み始めるとどうしても体がだるくなり疲労感が増すので、飲み始める時期を後ろへずらそうとつい思う。医師はそれがよくないという。早めに飲み始めるのが結局は楽に過ごすための道なんですよ。ちきしょーめ製薬会社と国の陰謀には加担しないぞ。いや、だからというわけではなく、単に時間がなかったので今年も3月下旬になってようやくかかりつけの耳鼻科へ行った。飛散量の多寡や天候は、あまり関係がないと私は思っている。わずかでも飛んでれば反応する。雨の日は、その日の花粉は水滴が落としてくれるかもしれないが、家も職場も取引先も、昨日おとといの花粉が室内に残ったままである。取り込んだ洗濯物や、同僚のコートが花粉を室内に持ち込む。昨日や今日のようによく晴れて気温も高いと当然よく開花して大量の花粉が飛散するが、明日あさってが雨だからって、インドアライフの私のまわりは花粉だらけに違いはないのである。

そして多数派のスギさんヒノキさんが終わったら、世の中は花粉シーズンも終わったよかったよかったと一気に夏のイベント宣伝へと舵を切る。ったくバカヤローだよ。私の戦いはまだまだ続くというのに。

そんなわけで、例年お岩状態と表現する私の顔だが、今年はどちらかというと、殴り合いの喧嘩をして負けたやんちゃ坊主みたいである。目の周りに丸く痣をつくった顔、あれである。
つい手で目をこすったりしないように自制するつもりで、アイメイクをしっかり施すように心がけているのだが、過剰な瞬きのせいか、夕方になるとメイクが滲んでパンダ目である。
思うに、眼の症状を訴える人が増えているから、「夕方パンダ族」はこっそり増えているはずだ。仕事の後のお出かけには入念なメイク直しが必要なことであろう。

私はといえば花粉症の薬を服用中は禁酒してるんだけど、毎夕ひどい顔になるし化粧直しのパワーもないので、どのみち飲み会なんぞへは足が向かない。まったくゼロってわけにもいかないにしても、約4か月近く外出も晩酌もしない私。これが10年以上続いていることが恐ろしい。何ゆえ私は耐えているのか。ああ、黒ビール飲みたい。

Je suis ennuyée...2012/03/13 18:34:41

Bienvenue! A l'aquarium de Kyoto!
周囲ではそれなりにいろいろなことが起こり、仕事もあるものは順風満帆(ありがたい)、ある企画は流れ(残念)、ある刊行物はクライアントの気まぐれで打ち切り(なんだよ)、通りたくないコンペティションに限ってプレゼンが評価され(世の中そんなもん)……なんて日々を、海上の嵐なんか関係ないわとゆったりゆうらり泳ぐウミガメのようにやり過ごし、何年かぶりに会ったからと言ってはしゃいで盛んに連絡してきていた友人がぱたりといきなり音沙汰なくなったり(いったいどうしちゃったんだろ)、失恋で呻いていた同僚に新しい彼氏ができたり(ほんまめでたいわ)、迷惑メールに紛れてしまっていた大切な友達からのメールを消去せずに救出できたり(ああほっとしたあ)、可愛い猫さまが全然お食べにならないので何事かと獣医に連れて行ったり(なんでもなかった、よかったあ)、お母さん、カフェやろうよと言い捨てて一人娘がアメリカへ旅立ったり(ったく思いつきでもの言うな)。

いろいろなことが起こるんだけど、退屈だ。カフェやりたいよぉウチもぉ~とつぶやいて今USAを謳歌しているあの娘がいないということがこんなにも退屈を呼ぶとは思わなかった。いや、本当は予測できたけど(笑)。ほんとに私って、ヤツがいないと三文の値打ちもない。私の人生における優先順位の第一位から最下位まで、娘が占めている。最下位のまだ下の、問題外ランキング(ごめんな)に扶養している母と猫と、肉親である弟一家や、お世話になってる地域の面々、そして親族一同が並ぶといったぐあいだ。もちろん、問題外ランキングの順位は事情によって上下するし、ときには最下位まで占める娘mattersの一角に割り込むこともある。それは臨機応変に捌くこのワタクシ。(あ、忘れていたが問題外ランキングのさらに下のほうには仕事も並ぶ)
しかし、先週の金曜日早朝、ヤツが旅立っていってから、優先順位第一位から最下位までのヌシが不在なのである。不在をいいことに金曜の晩は友人たちと飲み、土曜は美術鑑賞と久々のイタリアンディナー、震災から一年のあの日曜日には好きな映画を一日中観ていた。昨日の月曜日には水族館の内覧会に招かれイルカパフォーマンスに拍手もした。さらに明日は抜歯の予定である。いや、それは娘の不在とは関係ないが。

そんなにあれやこれやとあるのに、退屈極まりない。

アメリカでどうしてるんだろうと心配だが、とりあえずざっくりした行動報告は学校のブログがしてくれているので、それを見る限りほとんど変わったことはなく予定どおり旅程は進んでいると見える。個別に問題起きたら、またそれが命にかかわるなら、個別に連絡が来るだろうし。なーんもない。何もないことを喜ばねばならないのだが、退屈だ。親とはまこと勝手なもんである。親とはまこと子どもなしでは存在意義のないもんである。

そんなわけで、今、少し仕事もゆるいので、早く帰宅し、早く寝て、ギリギリまで寝ている。お弁当作らなくてもよいし。いや、べつに、自分だけにつくってもいいんだけど、近所によいお店がぽこぽこできているので、「偵察しといてよ」との命が下っているのだ。誰から? いわずと知れた「カフェをやりたがっている」娘である。なもので、おひるごはんはカフェ飯三昧しているこの頃。

だいたい、研修旅行委員をやればトラベルプランナーになりたいといい、和菓子屋へ体験学習へ行けば菓子職人になりたいといい、猫の具合が悪くなって獣医へ行けば動物看護師になりたいといい、接骨院で足を診てもらえば理学療法士になりたいという。こじゃれたカフェを訪れては、カフェを開きたいという。しかも、それは「お母さんやってよ」と私頼みである。自分でやりゃいいでしょうが。だってお母さんのほうがコーヒー好きやしよう知ってるやん。う。そのセリフ、けっこうツボを突いている(笑)。たしかに私の夢は、いつかクラシックな手で回すムーランナカフェ(コーヒーミルのこと)を買って、なじみの珈琲豆屋で好みの強さで煎ってもらった豆を挽き、ホーローのポットで沸かしたお湯をゆっくり注いで、私だけの一杯を淹れることなのだ。願わくばデロンギあたりの高級エスプレッソマシンも購入し、ときにはエスプレッソを淹れてフランスに思いを馳せたい。

婆さんになったら、カフェ、しよか。その頃には娘はすっかり自分の発言を忘れてどっかで羽を伸ばしているだろうから、一緒にカフェやってくれる人を募集しよう(笑)。

明日から、京都水族館がオープンします。
水と海の恐ろしさを思い知らされた私たちだけれど、海に棲むさまざまな生き物たちに罪はないから。なんだかんだ言っても、人間は水と共存するより道はないから。だから水を大切にしたい。(だから原発反対!)

退屈だけど、宣伝しておこう。
Bienvenue! A l'aquarium de Kyoto!

Salop le typhon, le pire!2011/09/05 20:22:10

睡眠不足と疲労で意識朦朧がピーク(って何書いてんだあたし)になった金曜日、職場の外へ一歩出たとたん、緊張の糸が切れて本当にそのまま路上で寝込んでしまいそうになったが、ひゅうううううううううという恐ろしげな風の音と、取引先の敏腕営業ウーマンがけたたましく鳴らしてくれたケータイの着信音のおかげで、なんとか自宅までの道のり、時間にして20分、歩き抜くことができた。私のまちでは金曜の夜の風がいちばんすごかったので、前エントリで書いたようなオバサン右折車にはねられました事件とか、まだ幼い頃に家のトタン屋根が飛ばされた記憶とか、今はもうアスファルトの下になってしまった表通りを流れていた川が豪雨のために氾濫して、おまけに川べりの柳が風でなぎ倒されて流されて、通り沿いの家は床下浸水と柳の枝葉のダブルパンチだったとか、そんな古いアルバムの断片のような絵が脳裏に浮かんでは消えた。でも、その恐ろしい風に耐えながら、夜中、帰路についているあいだじゅう、その敏腕営業ウーマンが、自分の部下のふがいなさを愚痴るのである(笑)。その彼女の部下という人物には、私も日々ほとほと手を焼いているので、敏腕営業ウーマンの愚痴は痛いほどよくわかる。私はその部下嬢から見ても下請けの業者の人間なので、部下嬢が根拠なく高飛車に出たり、根拠なく自分のミスを人のせいにしたり、根拠なくただただ締め切り間際になって人を追い立てることしかしないというのも、立場ゆえに理解できる。しかたがないのである。アホはもう直らない。直らないアホでも私の職場にとっては大顧客の担当者であるゆえ、世界中がこの部下嬢をアホだと認めても私は部下嬢に逆らえないのである。で、先の敏腕営業ウーマンは、そうした私の苛立ちをよくわかってくれる人であるので、全然仕事のできない部下のせいで、よく働く下請け三文ライターが機嫌を損ねないように配慮して、自分の部下を罵倒しているのである(笑)。気持ちはありがたいがだからって同調することは、これまた下請けの悲しさでできないのである。少しは私も部下嬢のしでかした瑕疵のもろもろを「チクル」くらいはするが、どうやら、敏腕営業ウーマンによると、彼女のところの社内では、私がこうむっている程度の「被害」では済んでいないようなのだ(笑)。そりゃそうだろなー。あの部下嬢と組んで仕事するというのは、ある意味、首輪かハーネスつけてチワワかミニチュアダックスを連れまわして仕事しろって言うようなもんだよな。どういうことが言いたいかというと、つまり部下嬢はこっちの話を理解しないのである。こっちの話とは全然別の次元の返事がくるのである。話のキャッチボールができないのである。それでいてわかった気でおられるようでどこかマイペースなのである。従順に見せて従わないのである。だったらそんなの社員として雇っておくなよといいたいが、そこは大会社の悲しさで雇ってしまったもんは無碍にクビにはできないのである。私の勤務先では経営者が「こいつ嫌い」と思ったらしゃーっと解雇される。もちろんかたちは自主退職で。件の部下嬢なんて、わが社なら雇用はありえない人材である。しかし、そのように異星人並みの「できなさ」であるからして、敏腕営業ウーマンも私も、部下嬢の「こんなに仕事できませんエピソード」を百も列挙して笑い飛ばしてストレス解消しているといえる。不健康だが、これも、歯車の、とあるひとつのかたちである。会話のかみ合わない人間が一人いるけれど、そいつのかみ合わなさを「ダシ」にして、つまりいろいろうまくいかないことの理由をそこへ全部掃き溜めて、そうしておくことでなんとかかみ合ってまわる歯車。考えてみれば、取引先だろうと部下だろうと、あまりによくできる人材がいたら、それはそれでしんどいじゃないか、だってあたしだってデキナイ子だもんさ。そんなふうにオチつけながら、暴風に耐えて帰宅した。家の中ではバリバリみしみしがたがたと家のどこの部分が音を立てているのかわからないけど、そんな音と、興奮した猫が、一晩中やかましかった。私は暴風と敏腕営業ウーマンの電話に支えられながら、少し疲労回復して、翌日、乾かないとわかっているけどせなしゃあない洗濯をして、掃除をして、合間合間にごろごろした。美容院を予約していたので重い体を引きずって行った。予約客のほとんどが台風を理由にキャンセルしたといっていた。貸し切り状態の美容室で同年代の美容師と懐メロの話題に花を咲かせては、若手美容師に知らんやろ~と自慢するけど、どうでもよさげな表情の若手美容師はヘッドから肩へのマッサージが上手なのであまりの気持ちよさにあまり昭和ネタでいじめるのはやめてあげようと思ったりするのである。軽く綺麗になった髪をなびかせといいたいが、外へ出れば超スローペースの台風はあいかわらず時に突風時に大雨を繰り返してそのあたりをうろうろしておるようなのであった。日曜は順延された高校の文化祭が開催される予定だがどうかなとちょっと心配する。でも、私たちの心配はその程度であった。私たちのまちはほんとうに被害がない。今回の12号がもたらした被害の最たるものは、二条城の壁が剥がれたってだけだった。平和だ。だがニュースを見て、近隣他県が被った容赦ない台風の爪痕に言葉もない。半年前に私たちは未曾有の大震災を経験した。私たちはつい災害をその人的被害の規模で語るが、失われた命の重さは同じだ。こんちくしょう台風め馬鹿ていねいにゆっくりゆっくり嘗め回すようにわが郷土を削りとっていきおってからに。こんなことがあると、取引先の担当者が極めつきのアホだったとしても、生きてるだけで幸せじゃないかと思わざるを得ないのである。合掌。

Vent frais, vent du matin....2011/08/31 22:42:45

夏至を過ぎれば少しずつ日が短くなり、立秋過ぎれば陽光の色が少し秋めいてくる。五山送り火を終えると吹く風の匂いも秋を帯びる。地蔵盆までは大きな入道雲が立ち上って夕立もしばしばだけど、地蔵盆も終われば空の雲のかたちも秋らしくなってくる。少ししのぎやすくなったね、なんていっていたのが、ひどいぶり返し残暑がやってきて、いつまで続くんだろうねこの暑さ、なんつーてげんなりな日々を送るのがちょうど今頃。

今日も暑かった。いちばん暑いときに外をうろうろしなくちゃなんなくて、ったくもうたいがいにしてくれよお、と何度思わず口に出したことか。社に戻ればこれまた山がいくつも。
で、またつい。ったくもうたいがいにしてくれよおおおおお



疲れた。
もう帰ろうと思うんだけど、片付かない。
ったく、仕事の山がちっとも減っていかない。

今日で8月も終わりだ。
少し前なら「夏休み最後の今日は……」なんていって、最後の行楽、最後のプール、最後の宿題、なんかやってる子どもたちの様子を報道したりしたもんだが、最近はもうとっくに学校が始まっているので8月31日は特別な日でもなんでもなくなった。
ウチの子の高校なんか実質、夏休みは8/1~18しかなかった。そんなん、あんまりちゃうん?

遊興のまったくない夏だったが、娘は初めて甲子園球場というものを体験した(笑)。高校野球観戦に出かけたのである。たまたま座った3塁側のアルプス席。そこに陣取った応援団の学校が、その日はたまたま2試合とも勝って、上機嫌な一日だった。連れてってくださった友達家族に感謝。
球場の広さと、芝生の美しさ、打撃音、歓声。
地元の小さな球場で見た予選とは桁違いのスケールに、いたく感動した娘は、その日から数日高校野球病とでも言うのか、野球なしでは夜も日も明けぬような野球馬鹿少女に変身していたのであるが。

「お母さん、ウチ、バレエも大学もアカンかったらアストロドリームズのトライアウト受けるわ。うん、それがいちばんいい方法やと思う」

アストロドリームズは女子プロ野球団である。
いちばんいい方法って……。
アンタそれ、いちばん勝ち目ない話やで。


日大三高が優勝して数日。

今は、野球?それ何ですか?といわんばかりに野球のやの字もなくただひたすら踊る毎日である。文化祭でもダンスをやるらしい。
毎晩ぺたぺたどんどん踏みしめられて、ダイニングキッチンの狭い床がもういつ抜けるかわからない(笑)
アストロドリームズのトライアウト受けなくてもいいように、なんとか頑張ってくれ。

GOMEN NASAI !2011/08/09 12:52:00

しばら~く新聞も読まずニュースもチェックせずの状態が続いていて、今朝、朝刊をめくったら、でかでかと大きな見出しでこの記事が出ていた。↓

http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20110808000131

ネットで読むとふつうの記事みたいだけど、実際の新聞紙上ではものすごーくセンセーショナルなデザインで編集されてて、黒ベタ白抜きの大きな文字が目を剥く。さらには、紙上では市民の声や識者コメントとか載っていてもっともっと賑やかなのである。
何よ何よどうしたのよ使用中止ってなんなのよ。


古紙回収箱に入れてしまった新聞をまた出してくるのは面倒なので検索。↓

http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20110806000029

放射能不安ってアンタ……検出されへんかったってゆーてるやんか。

やっぱり、知らない、わからないということほど恐ろしいことはない。体中検索窓になるかと思うほど情報を捜し続けているような人間からすると、テレビで言わないことは聞いてない、回覧板で回ってこなければ知るわけない、で日々過ごすことのできる人というのは、それはそれで平和だと思うが、言葉だけがひとり歩きしたときに根拠なく騒ぎ立てる恐れがあるのでややこしいのである。
「汚染瓦礫の焼却を受け入れる」と市が方針を出したときには、いくら私でも汚染濃度を測ってからにしてほしいと思った。かの地が大変なのはわかるけど、わざわざ汚染を拡大させる必要は全然ないもの。ま、のちにそういう方針を明言したけどね。どこまで徹底するかは知らんけど。

(話は違うけど「汚染瓦礫」ってひどい言葉だよね。「瓦礫」っていうだけでも傷つくのにね。瓦礫としか表現できない日本語って貧しいなあ)

そういう経緯があるから濃度検査したんやん。140万市民が全員反対!っていうたんならともかく、数十人の「ひやあ、かなんわあ、ほうしゃのう、ふってくるんどすか、かんにんしてえな、そんなん」という声で中止だなんて。ほんで数百の批判受けてんの。なんぼ規模の小さい話やねん。

他の新聞は?と思ったが、朝日しか見つからんかった。
最後のかたのコメントが泣ける。ごめんなさい。↓

http://www.asahi.com/national/update/0705/OSK201107040187.html

ごめんなさいごめんなさい。↓

http://www.asahi.com/national/update/0806/OSK201108060131.html

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。↓

http://www.asahi.com/national/update/0808/TKY201108080552.html

炎って尊い。
ここ数年、五山の送り火をじかに眺めたことがなかったけど(だって高いところに登らんと見えへんし)、今年は、どこか見えるところに陣取って、幾万の魂のために祈ろう。

もちろん、自分の身内や友人、大切な人にとっての大切な命のためにも、祈るさ。

Comme ça, il faut qu'on soit en colère, non?2011/07/29 01:40:27

ひとつ仕事が佳境。とにかく、なんだってコイツらこんなに仕事しないんだろう、とそのデキなさに怒りはもちろん通り越し「呆れたわ」と言うのももったいないくらい、どうしようもない得意先の担当者の面々。ああもう。デキないんだからデキないのって言ってくれりゃ代わりにやってやるのに「デキルの思うの,頑張るわ♪」なんつった挙げ句ひとーーーっつもデキてないという幼稚園児のほうが理由もなく可愛い分百万倍ましやんけ! という現状。その後始末のため必要以上にPCとにらめっこ。ああもう。

この人みたいに怒りを表明したい!
ばかやろーーーっっっ
ゼロレベルの幼児教室からやり直しておととい来やがれ!!!

Pardon, je suis fatiguée...2011/07/06 20:16:57

ちょうどいま……、疲れがカラダのバケツに収まりきらなくなってバケツからあふれ出てるけど、長期間溜まりすぎて底のほうはヘドロのような沈殿物がのべええーとへばりついていて、うわずみ液、といっても澄んではいないさもちろん、うわずみ液ばかりが後からくる疲れに押されてあふれ、どろどろと流れ出る。まとわりつく粘液に足をとられて歩けない。どべっ。あ、コケた。……という感じで起き上がれない。もうアカン。こんなに地球の重力、強かったか? いや単にあたしが重いのか? 夕べは私の座布団を占領してすやすやと眠る猫の背中に顔くっつけて、ちょっと座布団の端っこ貸してよと横になって……そこからの記憶がない。明け方、猫が私のわき腹の上をのしのしとことこと肉球で踏みつけて歩いて越えていくまで気づかなかった。横たわると寝る。だから決して横たわってはいけない。そう思って決死の思いで(大げさ!)立っていたり座っていたりするんだけど、気が緩むと床にへたり込んでいる。床にへたり込んでかろうじて上体は起こしているけれども、寝ている(笑)。

そうでなく、眠くなくて意識がはっきりしているとき、体内に妖艶な大蛇を棲まわせているごとくの重さを感じていたとしても、ふと、いっさいの曇りや濁りがとれて眼球のうしろ側の脳内がすっきりクリアになるのを自覚できるとき、思いがけないことだが私は泣いている。えへんえへんううっううっと泣くのでもしくしくずずずと泣くのでもない、ただ涙があふれて止まらない。あふれるにまかせているといつまでもいつまでも流れ続ける。単に結膜炎の悪化やないのん?と思いたいところだが、ではない。

頭の中がクリアなとき、つまり仕事のことや家のことでいろいろと算段をせず、やり繰りも検討もせずにすんでいるとき、つまり何もないとき、脳内スクリーンに浮かぶもの。

ミドリ。キンスキー。ドーニャ。ギンコ。ノブナガ。ヒデヨシ。イエヤス。
(以上、お亡くなりになった我が家の魚類両生類爬虫類)

……なんやねん、そんな話かっ  といわないでくれ。


仕掛けた毒餌を食べて果てた鼠。轢かれた鳩。轢かれた野良猫。

殺処分された牛。殺処分された豚。殺処分された鶏。

隣のおばあちゃん。向かいのおばあちゃん。路地奥のおばあちゃん。

伯母の死に顔。父の骨。呼吸していた父。目を開いていた父。起きていた父。喋っていた父。食べていた父。飲んでいた父。笑っていた父。

倒れた阪神高速。燃える長田区。崩れた住友銀行。シェイクされてぺしゃんこになった加奈子の家。倒壊した隣家に押されて半壊した桃香の家。

モスクワの劇場で死んだ男女。ベスランの小学校で殺された子。四川の小学校で瓦礫に潰され死んだ子。エレベータの中で撃たれ死んだアンナ。

そそり立つ黒い津波。濁った飛沫をあげて這うように進む津波。舟を、港を、車を、家を、町を、ごくりと呑む津波。

瓦礫。焼け野原。へばりついた泥もひからびた写真。ふやけたまま乾いた雑誌。首の取れた人形。瓦礫。瓦礫。瓦礫。

見つからないまま埋もれている人。見つかる前に腐敗した人。誰にも見えないまま流された人。そこにいるのに見つけてもらえない人。ここまで来たのに息絶えた人。

父を待つ子。母を捜す子。子を捜す母。子の写真を抱く父。

失くしたものを思うときに、心に去来する何か。形にならない、色も匂いもないその何かを脳裏に映し私の眼から涙が流れる。