猫に変身する ― 2007/04/04 19:22:03
ポール・ギャリコ著 古沢安二郎訳
新潮社(1972年)/新潮文庫(1979年)
「猫はいいなあ。○○しなくていいし」
○○には、子どもなら「宿題」「早起き」「お手伝い」、大人なら「仕事」「会議」「ごますり」「確定申告」……などが入るであろう。
確かに猫は、宿題も早起きも会議もないゆうゆうウルトラマイペースライフを送っている。犬のように「お手」といわれたら前足を出す、なんて習慣を身につけさせられることもない。
だから人間はつい猫がうらやましくなる。猫になりたいと思う。猫みたいに気ままに、昼寝とメシと排泄だけで、時間を費やしてみたくなる。
猫になりたい。猫に変身したい。
そう思ったあなた、『ジェニィ』を読みましょう。冒頭から数ページ読み進めば、あなたはきっと、手の甲をぺろぺろと舐めその甲で目元から額、後頭部まで撫でつけるしぐさを繰り返している自分を発見してうろたえるだろう。
本書は二匹の猫の、恋と友情と冒険の物語。物語は白い雄猫ピーターの一人称で進む。自分の居場所を失って戸惑うピーターを優しく包み込む、誇り高い雌猫ジェニィ・ボウルドリン。ジェニィはピーターに野良猫の心構え、掟、処世術を根気よく丁寧に教えていく。おどおどしていたピーターは、ジェニィに助けられながら、さまざまな出来事を乗り越えてたくましく成長する。二匹は船に乗って旅もするし、高い塔を登りつめもする。可愛がってくれた老人の死に遭い、昔の飼い主に再会もする。ときに大怪我をしたり、命を危険にさらすこともある。そして、ピーターは追い詰められたジェニィを守ろうとして……。
こんなふうに書いてると、猫を擬人化した物語のように見える。が、その形容は正しくない。強いていうなら人間を擬猫化している、となるだろうか。しかしそれも本当は正しくない。二匹はまぎれもなく、あますところなく猫である。次々に訪れる出来事は、猫でなければ経験できない事どもだ。私たちは二匹の体験を「猫になりきって」追体験するうちに、ほんとうに猫になる。
たとえば、二匹は猛スピードで港へ向かって走る。人間の脚の間をすり抜け、柵を跳び越え、桟橋から船に飛び移る。船乗りに見つかって海へ放り出されないために、二匹は船内のネズミをことごとく退治してみせる。
スリルやスピード感にあふれたそんな場面で、読み手は、あたかも走りながらベルトを装着し「変身!」と叫ぶライダーのように猫に変身する。目標に向かって疾走しながら。ジャンプしながら。
ジェニィはピーターに、毛づくろいすることの重要さを説く。落ち着かないとき、考えがまとまらないとき、毛づくろいをする。空腹で死にそうになっていても、毛づくろいはする。すると自然と心が休まり、希望に満たされる。他の猫に遭遇し、不利な状況になったら毛づくろいをする。猫は毛づくろい中の他の猫にちょっかいは出さない。これは猫の世界のマナーだからだ。人間の目が怖いときもひとまず毛づくろいをする。人間は毛づくろいをする猫を「可愛いな」と思うのでまずはそっとしておいてくれるからだ。
毛づくろいする我が家の愛猫を思う。おみゃーはニャんか考えてたのか? 考えがまとまらニャいのか? 我が愛猫は雨のロンドンで空腹に倒れたりしないし、揺れる船内でバランスを取りながらネズミに狙いを定めることもない。それどころか完全室内飼いだから、公園で先住猫に敬意を表する、なんてこともない。でも彼女だって、実に頻繁に、入念に毛づくろいする。私たちに対してやましいことでもあるのか。今日の午後の来客が気に入らなかったのか。最近遊んでくれないと拗ねているのか。たぶん些細なことだろうけど、我が愛猫もきっと心を落ち着かせようと毛づくろいしている。
身近に猫のいる人には、猫との「以心伝心」度がぐっと高まるのが感じられるだろう。本書は少なくとも、人を猫に近づける。
猫を愛してやまない人には、もう「たっまらな~い」物語。
猫を飼っている人には、その猫との仲がより「いい感じ」になる一冊だ。
猫は嫌い、ウチの近所野良猫多くて臭くていやよという人にも、「ああ……猫たちにも凄まじい生活があるのね、うるうる」ぐらいの感想はもってもらえるはずだ。
読む者の心を完膚なきまでに猫化してその世界に引き込みながら、最後にあっけなく人間の世界に押し返す。ああ、いやよ、戻りたくないっあたしをまだ猫のままでいさせてっ。
おそらくギャリコも猫に変身してこの物語を書き、書き上げて人間に戻ったに違いない。
彼には猫関係の著作が他にもある。小説を書くたびに、そして猫から人間に戻るたびに、ある種の切なさを感じていただろうか。彼の読者のように。
ところで、物語の結末に重なるのであまり述べたくないが、最後の最後で私はコケた。
ピーターが新しい猫と出会い、その猫を命名するシーン。
その名前が……他にいい訳語なかったのかよ、ピーターやジェニィみたいに原語をカタカナ化でいいじゃんか、ルビ振るとか意味を括弧で付けとくとか工夫すればどうにでもなっただろーに、その名前はないだろーオチにもなってないよって、最後の最後で叫んでしまったよ。
本書を原書で読まれた方、あるいは本書を読んで、最後の猫の名の原語にピンときた方がいたら、本エントリーにコメントをください。
