4月11日に思ったこと ― 2007/04/12 17:28:08
その家には、娘の同級生を長女に3人の子どもがあった。
お母さんは昨年度のPTAクラス委員に就いてらしたので電話で話したこともお顔を見かけたこともあったが、あまり親しくはなかった。
だから細かなことは推測するしかないんだけれども、たぶん40歳前後という若さで、お父さんは亡くなってしまったのだ。
銀行にお勤めだったらしい。仕事中に突然倒れたという。すぐに救急車で運ばれて即入院。ずっと意識不明だったのか、それとも家族と言葉を交わすことができたのか、知らない。話によれば倒れたのは先週の金曜日、我々が訃報を耳にしたのは4月11日の朝。
娘のクラスでとくにその子と仲のよかった子の話によれば、9日、10日に彼女は学校へ来ていたが、「病院にお父さんをお見舞いに行くんだ」といって、授業が終わると飛ぶように帰っていたという。
妻と、3人の子どもを残して突然死んでしまうなんて。
どんなにか心残りだっただろうか。言葉もない。
2年前、近所に住む幼馴染みの夫が急死した。
幼馴染みは再婚、夫は初婚だったらしいが、二人の間にやっと生まれた子どもが2歳か3歳になったところだった。幼馴染みの胸中、私などには到底測れない。
「お父さんが死んじゃうって、大変なことだね」と娘。
「そうだねえ」と私。
娘の同級生宅と、私の幼馴染み宅の両方に思いを馳せつぶやきながら、娘は何をイメージしているのだろうかと考えた。娘には初めから、父親がない。幼児がおもちゃを欲しがるように、お父さんというものを欲しがったこともあったけれど、今はむしろ私に「変な男と付き合うな」という。おそらく、最初から存在のないものに対して執着を覚えないのだ。我が家はまったく豊かではないが、とりあえず食うに困っていないので、父親のいないことによる欠乏感は、娘にはないと思う。しかし一般常識としていわれる父親の存在の大きさや、大黒柱というたとえなど、お父さんのいる家庭ではお父さんって大きいものらしいことは、知っている。こういうときに、娘の小さな胸には何が去来するのか。
なんだかんだいっても、こうして側にいて娘を思える私は幸せ者だ。
死んでしまったら、何もできない。何ひとつ、できなくなるのだ。