作品と作品が緩やかに呼応している2018/05/07 23:10:49

『刺繍する少女』
小川洋子
角川書店(1996年)


小川洋子の小説は、読む者をすっと異界に誘(いざな)う。読者を異界へ連れていく小説などじつはそこいらじゅうにあるのだろうし、小説というものじたいを異界であるとしたら、小説を読むことはイコール異界へ連れていかれることにほかならない。それはそうなんだが、小川洋子の紡ぐ物語の場合は、わたしたちの現実と、彼女の描く異界との境界がなく、読む者はつねに異界の入り口の前に深くあるはずの淵に立たされどぎまぎしているのに、ふと気がつくととっくに淵を飛び越えて異界に身を置いている、そんな感覚にとらわれる。

本書は小川洋子の短編集である。10作品が収録されている。

表題作で最初に収録されている「刺繍する少女」の舞台はホスピス。先の永くない母親を看取るために「僕」はここに泊まり込むことになった。そのホスピスで、幼い頃、夏休みを一緒に過ごした少女に再会する。幼い頃の面影があったわけではなく、彼女の刺繍をする姿を見て、思い出がよみがえったのだった。彼女は施設にボランティアとして通っており、毎日ベッドカバーに刺繍をしていた。刺繍する彼女と話すため、あるいはただその刺繍する姿を見るために、「僕」は毎日、母が眠ったのをみはからって彼女に会いにいく。
母が亡くなり、ホスピスを引き払う段になり、彼女の姿も消えた。「僕」はもろもろの後始末や事務的な雑用を弟に任せたまま、ただ彼女を探しまわるのだが、刺繍されたベッドカバーが空いたベッドにかけられていたのを確かめただけだった。

この刺繍する「彼女」は喘息もちである。本書の最後に収録されている「第三火曜日の発作」の「わたし」も喘息だ。発作を恐れて家に引きこもっており、月に一度、第三火曜日に通院するのが唯一の外出であり、その外出でのハプニングを描いている。
この短編集の中では、作品と作品が緩やかに呼応しているように思われる。「刺繍する少女」と「第三火曜日の発作」は共通点は女性が喘息もちだということだけで、「第三火曜日の発作」の「わたし」は刺繍している様子はない。ないのだが、勝手に想像させてもらうと、刺繍していた少女は成長して「第三火曜日の発作」の「わたし」となって、苦い経験などなどを経てまた刺繍するばかりの女となって、たまたま幼い頃の記憶を共有する「僕」と再会したが、「僕」には彼女をそこに留めおく魅力はなかった……。

2番めの「森の奥で燃えるもの」は「収容所」を舞台にしている。この「収容所」ではべつに毎日過酷な重労働にさらされているとか、殺戮が行われているということはなく、全員がなにがしかの役割は与えられているが、平穏に暮らしている。その設定そのものが不気味といえば不気味である。平穏な様子でありながら、じつは、やはり、明日自分がどうなるかはわからない。
9番めの「トランジット」で、「わたし」は空港で居合わせた外国人とおしゃべりをしながら亡くなった祖父にまつわる思い出を反芻する。「わたし」の祖父は、ナチスによって収容所に送られたユダヤ人の、生還者のひとりだった。腕には、数字の焼き印がくっきり残っていた。幼い「わたし」がこの数字はなあにと尋ねた時に祖父は、ほかの誰でもない間違いなく私である印だと言い、「もしおじいちゃんが顔を大やけどしても大丈夫。ここを見てくれさえすれば、おまえはちゃんとおじいちゃんを見つけることができる」と言って孫を安心させたのだった。

小川洋子はこの短編集の刊行の前年に、「アンネ・フランクの記憶」という旅のエッセイを発表している。アウシュヴィッツを訪ねた小川は、遺構を見て「きれいだ」と感じてしまったこと、そしてそのような感想をもつことはいけないのではないかという意識に苛まれたことを書いている。
収容所は、あの時代のナチスの叡智(などという言葉を使いたくはないけれども)を結集した大きな成果物のひとつだったことは事実だ。じつに効率よく、人びとが輸送され、集められ、ある者は強制労働、ある者はガス室にと仕分けされ、じつにてきぱきと「仕事」は進められていった。大きな事業所でもあったその場所は、計算されつくした機能美を備えていたに違いないのだ。
「森の奥で燃えるもの」は、過酷な収容所の、アンチテーゼのひとつであるともいえる。あり得ない世界だが、あり得てはならなかったある実在の収容所がなかったら、生まれなかった世界である。

と、このように、どことなく作品どうしが呼び合う短編集である。そしてどの物語もやはり、え、これで終わるの、この続きを読ませてよ、という気持ちになる。異界にぽつんと取り残されるような気持ちになる。
たったひとつ、「アリア」は、自分の近い将来のことのようでもあり、あるいは娘に待っている未来のようでもあり(いやほんとに)、はたまたつい最近会った友人の人生に似ていなくもないなと思えるなど、これだけは異界ではなく、切実に現実的な物語なのだった。山間の村に引っ込んで余生を過ごすわたしのもとに、甥っ子は、毎年誕生日祝いをしに駆けつけてくれるだろうか。……やつは、しないだろうな。というのが読後感想の一部分であったのだった。

疲れた大人が読む物語である2018/05/10 23:40:40

『エーリカ あるいは生きることの隠れた意味』
エルケ・ハイデンライヒ 作
ミヒャエル・ゾーヴァ 絵
三浦美紀子 訳
三修社(2003年)


ゾーヴァという画家をずっと前から知っていたわけではない。その名前は百貨店のホールで開催される美術展の告知で知った。その後調べてみたらすでに挿絵を担当した物語本はいくつか翻訳出版されていたし、画集も出ていた。日本では2005年と2009年に巡回展が開催されたが、わたしが娘と行った美術展は2009年のほうだったと思う。その頃から、美術展の際にショップで売られる「小物」のヴァリエーションが増え出したと記憶している(図録と絵葉書くらいしかなかったのがクリアファイルや缶ボックスやマスキングテープやマグネット等々等々)。わたしは「ちいさなちいさな王様」の缶ボックスを買いましたのよ。
そしてまたうかつなことに、映画「アメリ」で作品が使われて話題になっていたというのに、そんなこと全然知らずにいたことも、その美術展で知ったわけで、映画好きを自認しているのに時にあまりにも細部に無頓着すぎてわれながら呆れたのである。
そんなわけで、ゾーヴァの絵との出会いが出版物ではなく実物であったことは、この画家の昔からのファンの皆さんとは、多少、その作品に対する意識が異なることにつながったのではないかと思う。その絵の数々はたいへん素晴しく、迫力もあり、また物理的な「厚み」を感ずるものたちだった。そういう絵の数々にいたく感動してから既刊のゾーヴァ本を探したが、本がどれも小さくて、展覧会で観た圧倒的な迫力はどこかへもっていかれてしまっている。もちろん、挿絵にするのが前提で描かれた絵の原画は、どれもそれほど大きいものではなかっただろうと推察されるが、展覧会で大きな絵の数々を観てしまったので、本になったゾーヴァに物足りなさを感じてしまい、なかなか読む気になれなかった。

しかしながら、図書館で、目的の有る無しにかかわらず棚を眺めていると、ふとした弾みで目につき、ふとした弾みで借りてしまうことがある。このたびは、早々に目的の書籍を見つけて「ついでに何かほかに借りていこうかな」と思うやいなや目についたのであった。

ゾーヴァの挿絵が使われているが、いわゆる絵本ではなく物語の本である。物語は長くなく、クリスマスの短いお話である。しかし子どもに聴かせる話ではない。大人の読む物語である。しかも、仕事と恋と人間関係に疲れた大人が読む物語である。タイトルが示すとおりである。生きる意味を問うているならこの本を読みましょう。

物語はいきなりこう始まる。《その年はずっと、狂ったみたいに働いた。》
かつてのわたしみたいだ。《まるで生活するのを忘れてしまったかのようだった。友人にもほとんど会わず、休暇を取って旅行することもなかった。》
なかった、そんなの。仕事以外の何をしているのか毎日わたしは? ……みたいな日々だった、わたしも。《そして鉛のように重くなってべッドに倒れこんだ。》
ああ、ほんとうに、わたしのようだ。
違うのは、この主人公は「その年はずっと、」と言っているので例外的に非常識なまでに働いた年だったのだろうということだ。わたしはといえば、学校を出て働き始めてからたいていがそんな「狂ったみたいに働い」てきたような状態だ。そして主人公は離婚したシングル女性だがわたしは結婚経験のない子持ちシングルであるということ、それだけだ。それだけって、それは大きな違いではないかといわれるかもしれないが、そうでもない。主人公は疲れ果てているところにかつての夫だった男から電話を受け、クリスマスをその男の住む街で過ごさないかと誘われ、心が動く。それもいいかもしれないと、重いからだをひきずるようにして旅支度をし、彼が待つ場所まで向かおうとする。実際、もしわたしも、昔の男からひっさびさに連絡もらって会おうよなんて言われたらホイホイと、へろへろになってても、取り繕って会いにいこうとするだろう。そういう、なんつーか矜持も何もないところが主人公と自分は限りなくよく似ている。

さて主人公はクリスマス旅行の途中で買い物をし、その買い物のおかげで、道中さまざまな出来事に遭遇する。本書はその道のりにスポットを当てた物語である。若干ドタバタしていて、そんなアホな的展開といえなくもないが、しかし、いちいち奥深いのである。そして、主人公は生きることの意味を問うのである。

旅の途中、エーリカと離ればなれになった主人公は幼い頃の記憶をよみがえらせる。
《九歳だった。列車の窓のところに立って、泣いた。》
《私が泣いたのは、自分が戻ったときに果たして母親がまだうちにいるかどうかさえ、確信が持てなかったから。》
この一文に、わたしは胸の奥にすーっと刃物で細い切り傷をつけられたように気持ちになった。わたしは自分の娘にそのような思いをさせてきたに違いないと思うし、そしてまた、母の介護中には、短期宿泊施設に預ける時などに母がそのような思いをしていたかもしれないと、いまさらながら思い起こしているからだ。
上の、「私が泣いたのは」のくだりの直前には、こうある。
《泣いているのは、愛されていない子どもたちなんです。そして、子どもを四週間だけでも遠ざけることができて、母親たちがほっとしているのを感じている子どもたちだけが、泣くのです。》
こちらは愛していないはずがないじゃないかといいたいけれど、愛されたい側はそのような振る舞いでは愛していないのと同じことなのだろう。理屈ではとっくにわかっていたことだし、もち続けた「負いめ」はいつか心から相手に尽くすことでプラマイゼロにしてみせる。こちらはそう思うのだけれどマイナスが深くなるばかりで、ようし、と気合いを入れる余裕ができた頃にはとっくに手遅れなのだ。子どもは成人して独り歩きをし、老いた親は死んでしまう。Trop tard.

そして主人公は気づくのである。
《たった数時間で、エーリカは私の生活を変えてしまった。》
《人々は私をうれしそうに見つめ、私も笑い返した。》
エーリカの存在が、見えていなかったことを発見させ、忘れていたことを思い出させる。
くたびれはてて、若干自暴自棄になっていた女が、かつて愛し合った男に再会してまた心機一転生きる希望を見出して……とはならない。主人公は元夫との待ち合わせの駅までたどりつくのだが……。

「エーリカ」は、おわかりだろうが主人公の名前ではない。では誰の? うふふ。
人生に疲れていなくても、読んでください。

成長する過程で忘れ去られていくに違いない2018/05/13 23:51:32

『黙禱の時間』
ジークフリート・レンツ
松永美穂 訳
新潮社(クレスト・ブックス)2010年


レンツの作品は、ずっと前に『アルネの遺品』を図書館で借りて読んだことがあるだけだ。この『アルネの遺品』が素晴しすぎて、わたしはその後も何度か借りては読み、アルネやハンス、その親兄弟たちの心情に近づこうとした。それはなかなか容易ではないことだった。自分自身と登場人物とのあいだに生活環境やそのほかなんらかの共通項が少ないと、物語のなかの世界を生きるように読むことは難しい。とはいえ、そうして自分に引き寄せて、自分の物語として読むことが安易ではないからこそ、小説を読むことは面白いのだともいえる。『アルネの遺品』はその意味で、いくら読んでも、その悲しみをたたえた海の圧倒的な大きさに読み手は黙るばかりである。

『アルネの遺品』に比べたら、本書『黙禱の時間』は恋愛の物語でもあるので、感情移入は幾分か易しいといっていい。立場だとか身分だとか年齢だとかはまったく関係なく人は誰かに惹かれ誰かを愛してしまうものである。

『アルネの遺品』に少し似て、本作でも主人公にとって大切な存在であった人は、冒頭ですでに死んでいる。小説は、学校で行われている追悼式の模様を描写しながら始まる。誰が追悼されているのか。校長が演壇に置かれた「シュテラ」の写真に深々と頭を下げる。

《先生は、どのくらいの時間、きみの写真の前で、その姿勢のままでいただろう。シュテラ。》

「ぼく」が「きみ」「シュテラ」と呼ぶのは、校長先生が頭を下げているその写真のひとである。「ぼく」は「きみ」との思い出をたどっている。それは恋人たちの風景だ。

《ブロック先生は写真を見下ろしながら話していた。きみのことを、敬愛するシュテラ・ペーターゼン先生、と呼びながら。》

「きみ」「シュテラ」は、この学校の教師だった。「ぼく」はその「シュテラ」と恋仲だったのに、彼女は死んでしまったのだ。そして生徒のひとりとして学校で行われた追悼式に出席している。

このあと物語は「ぼく」と「きみ」との恋の始まりから不幸な事故で彼女が命を落とすまで、そしていま進行している追悼式、式のあとで「ぼく」が校長に呼び出されることなどが決まった法則もなく右へ左へと語られる。つねに「ぼく」が語り手であり、「ぼく」が初めて本気の恋を経験し大人になったことを自覚したというのにその対象は無惨に失われてしまった、その事実を受け容れられないまま、戸惑ったまま、自分はなぜ生徒のひとりとしてしか「きみ」を悼むことができないのだろうというやり場のない悲しみに、物語の最後まで「ぼく」は翻弄されている。
「ぼく」とシュテラは長い間恋愛関係にあったわけではなく、たったひと夏の恋であった。その描写からは、シュテラが「ぼく」を本気で愛していたかどうかはわからない。というか、おおいにほんの弾みでそうなっちゃった感がつよい。そのいっぽうで、「ぼく」の本気度がなかなかに高いので、「ぼく」が拙速でなくじっくりと彼女とのあいだに愛を育んでいこうとしてたなら、もしや彼女は「ぼく」を伴侶として受け容れたかもしれないとも思わせる。しかし、まあ、そればかりはわからない。わからないまま終わってしまったことが「ぼく」の未熟さを強調しているし、未熟さは純粋さでもある。高校生のそういう「青さ」を楽しむ物語でもあるが、いろいろと謎を残したまま死んでしまったシュテラは、「ぼく」の心のなかに痕跡をとどめるとしてもこの先「ぼく」が成長する過程で忘れ去られていくに違いないと思わせる点で、若さの残酷な面も言外に語っている。いまは打ち拉がれているけれど、アンタ十年後にはきっと忘れてるでしょ、と主人公に言わずにおれないのである。そして、そんなシュテラを憐れんで読んでいる自分に気づく。シュテラが「ぼく」をどう思っていようと、彼女なりの幸福を追求する時間や機会を、生きていればもっていたはずで、それをぞんぶんに駆使しないまま死んでしまうなんて。
物語はあくまでも「ぼく」の物語で、シュテラやその父親、同僚教師との関係など、その後ろ側にあるストーリーをいろいろと推測し想像をめぐらすことはできるものの、答えはまったく書かれていない。表面だけをたどったら高校生男子の、いささか辛いひと夏の恋、でしかない。だがもう少し時間をかけて読み直し、シュテラの視点で、あるいは父、あるいはほかの誰かの視点で物語全体を見つめるともっと面白いだろうと思われる。

訳者あとがきによると、レンツが82歳でこの青春物語(?)を書いたということが、ドイツでは話題になったそうだ。その頃再婚したことも。

レンツは長らくハンブルグに住んでいたそうである。
『アルネの遺品』も舞台は港町だったが、本作も同様、ヨットなど船舶の描写が多く、海や漁に知識のある人なら、事故で帆柱が折れる様子など、その臨場感は知らない者よりも真に迫って読めるのではないかと思う。海が荒れる、高波が襲う、船が岩場や港湾への入り口の壁に叩きつけられる、といった描写は、海の現実を知らない者には過去に見たことのある映画だとか、あるいは気象情報が伝える台風で荒れる海などの映像から想像するしかない。
レンツはハンブルグ住まいのあいだに、いくつものそうした海難事故を見聞したのだろう。
美しい海は、ひとつ違(たが)うとあっさりと命を奪う凶器となる。
そのことによる恐怖について、わたしはやはり知らなさすぎる。これほど水の災害の多発する列島に住んでいながら。こればかりは、なんともしようがない。

『アルネの遺品』については、ずいぶん前のことながら当ブログに書き記していたのでそのリンクを。
http://midi.asablo.jp/blog/2010/01/06/4797570

レンツは2014年に亡くなった。松永美穂さんによる翻訳にはもうひとつ『遺失物管理所』がある。それも併せてレンツをもう少し根気よく読み続けたいと思っている。

手を打たなければ、いつか誰もいなくなる2018/05/16 22:00:28

『パパにつける薬』
アクセル・ハッケ 作
ミヒャエル・ソーヴァ 絵
那須田淳、木本栄 共訳
講談社(2007年)


ドイツに長く暮らす友人(日本人女性)から聞いたことがある。「私も彼女も子どもをもつなら働かない、働くなら子どもはもたないという考えかたなの」

友人が「彼女」と呼んでいるのはその近隣に住む既婚女性で、4人の子どもを育てていた人のことだ。友人自身にも一女がいた。この話をした当時のわたしがまだ20代だったか、それとも娘を産んだあとだったか、もう憶えていない。わたしはわりと頻繁にヨーロッパを旅し、この友人宅にたびたび世話になっている。友人一家が住んでいたのはけっこうな田舎で、けっして便利とはいえないのだが、この友人は、不便な道のりを経てでも会いたい人だった。相談にのってもらいたいことがあるとかいうことはなかったが、会えば必ずなにかしら「またひとつ学んだぞ」という収穫があるのだった。つまりは、彼女の人生観に、わたしは大きく影響を受けていたのだ。本人にはそんな気はなかったと思うけれども、わたしは彼女のことを水先案内人のようにとらえていた。日本で生活した年月よりも長く濃い時間をすでにドイツで生きていた彼女は、異国での立居振舞にしろ、祖国への思いの抱きかたも、わたしにとってロールモデル以上の存在であった。

だから、冒頭に掲げたセリフを聞いたときには、いささか面食らった。
いっぱんにヨーロッパでは日本に比べて段違いに男女平等が進み、労働条件にしろ、人々の意識にしろ、職種を問わず機会均等であるというふうに思いがちだが、意外とそうではない人もいるし地域もあるということを、のちのちわたしも知ることになる。だが、このセリフは、わたしにとっては「女は家で子育て」という「旧弊」を積極的に支持する宣言にも思えたのだった。もちろん、じゅうぶんに稼ぐ夫がいるなら、という注釈がつく(友人も、近隣の女性もその夫はじゅうぶんに稼ぐ人だった)。しかし、だからといって、注釈つきにしても、それが前提となってしまうと夫が子育てを「手伝う」ことそのものが賛否の対象となる。
それじゃ、ダメじゃん。
いうまでもないが、「手伝う」のではなく、父親も子どもを「育てる」行為の主体でなければならない。

『パパにつける薬』はゾーヴァの挿絵も楽しい、パパの子育てエッセイである。
パパはフルタイムで仕事をこなしながら、休日を全面的に子育てに費やしている。喜びはもちろん大きいが、なかなかへとへとになっている様子がユーモアを交えて語られる。刊行当時は世の多くの男性の同意を得たことだろうと思われる。
ただし、いま内容を読むと、やはりそれは「手伝う」というスタンスに終始している点が「古さ」を否めなく、牧歌的である。この内容に感心したり驚いたりした時代もあったのね。

しかし、それにしても、この日本語版は2007年刊行である。
原書はまず1992年に出版されていて、2006年に更新されているらしいが、いずれにしても著者のハッケは、90年初頭に3人の子育てに奮闘していたのである。
このあと、ドイツ男性の子育て観はどのように変化していったのだろうか。
わたしの友人、そしてあの田舎町の女性たちは、いまも同じ考えでいるのだろうか。

約10年前に世に出たこの本の訳者あとがきにはこうある。
《大半のパパって、たまの休みに子どもと格闘し、へとへとになりながら、来週はなんとか逃げ出してゴルフにいくぞとひそかに画策したりしているのではないだろうか。もちろんママの疲労もわかっちゃいるのだけど……。》
10年経って、このような「大半のパパ」はせめて「一部のパパ」になっているだろうか。妻とともに日常的に家事も育児も頑張るパパが目に見えて増えてきたのは認めるが、それでもまだまだ少数派だ。相変わらず、「大半のパパ」が休日のみ手伝う、という状態のままではないだろうか?
パパの意識改革の道のりがまだまだ長いとしたら、パパをアテにはできない。働く女性が圧倒的に増えてきた昨今、社会の仕組みを多方面から根底から変えていかないと、母親はみな精根尽き果て、恐れを抱いた次世代は子をもたなくなる。いや、この状況はもうとっくに始まっている。手を打たなければ、いつか誰もいなくなる。

ま、そうなればなったでそのときにはそのときなりの、危機の乗り越えかたを全員で実行していることであろう。
でも、でも、だからといって、ぎゃんぎゃん言うのを止めてはイカンと、やっぱし思うのであった。