擦り切れてなくなりそうなわずかな望み2018/06/15 01:57:44

『四つの小さなパン切れ』
マグダ・オランデール=ラフォン著
高橋啓 訳
みすず書房(2013年)


映画館で『サラの鍵』という映画を観た。数年前の映画だが、名画リバイバル企画で1週間だけ上映された。この機会逃すまじ、の思いだった。観てよかった。満足した。
映画が評判になった前かあとかもう憶えてなくてわからないが、原作の小説は翻訳されて単行本になっていた。けっこうな長さの本だったのですぐには手が出なかったが、何年かのち、たまたま入った古書店でリーズナブルな価格になっているのを見て買ったのだった。ところが、はっきりいうが、小説はいまひとつだった。題材、素材の求めかたは素晴しく、物語の展開も申し分ないのに、表現がくどい箇所、余計な描写が多くて、げんなりさせられる。言いたいことは山ほどあって全部盛り込みたいのはわかるが、ところどころで、というか全編にわたってそのくどさがひっかかり、かえって焦点をぼやけさせてしまっている。こいつのこのセリフはなくてもよかろうに、とか、そこまで細かく言い尽くさなくてもわかるよ、とか、つい小姑みたいに小言を言いたくなる。と、いうこともあって、これが原作なら映画は少々鼻につくかも、と思われたのだが、さすがは映画だ。言葉でくどくどくどくどグダグダグダグダゆーてたところを一瞬のシーンで語ってしまう。名優の名演で示唆する。風景や音楽でにじませる。もうその削ぎ落としかたといったら素晴しいことこのうえなかった。主演女優は好きではないタイプだが、原作には合っていると思われたので、これでいいのだった。

『サラの鍵』は、ヴィシー政権下のフランスで、パリから強制連行されアウシュヴィッツ収容所へ送られたユダヤ人の悲劇を題材にした小説である。ユダヤ人たちは「ユダヤ人」と書いたワッペンを服に縫いつけさせられ、男性は強制労働に駆り出されていた。あるとき一斉に検挙され、ひとところに収容され、やがて順次収容所に送られる。パリで起こったこの強制収容は、調べによるとナチスから命令されていたわけでなく、頃合いかと考えてフランス側が「忖度」して行ったといわれている。いずれにしろ、フランス史の大きな汚点であるとされ、長年触れられずにいたのだが、シラク政権下でこの行為にかんする謝罪声明が出された。
つまりホロコーストはドイツのナチス政権だけの犯罪ではない。当時ヨーロッパ全体がユダヤ人を排斥しようとしていた。他国は、態度を明快にしたドイツに、これ幸いと便乗したのだ。
ユダヤ人たちはあらゆる場所で被害に遭い、生き残った人々も、気の遠くなるような辛酸をなめながら這いつくばって生きてきた。自分の前半生につけられた烙印を隠し通すひともいれば、積極的に訴えるひともいた。

マグダ・オランデール=ラフォン(Magda Hollander-Lafon)は、16歳の時に故郷のハンガリーからアウシュヴィッツに強制連行された。その場で家族とは引き離され、家族はすぐガス室へ送られたが、マグダは生き残った。ほかの子どもたちとともに、屈辱的な生活を強いられながら、奇跡のように、すんでのところで機転をきかせ、生き残る方向へのあたりくじをひいたのだった。保護された先で教育を受け、教養を身につけた彼女は、年をとってから体験を書き綴り、周囲を驚かせた。そんな過酷な人生を送ってきた人だとは誰も思わなかったという。マグダの収容所生活を綴ったくだりは、『サラの鍵』のサラの経験と重なる。マグダの詩や文の行間に、映画『サラの鍵』や、『サウルの息子』で観て脳裏に焼きついていた映像が、幾度も浮かんだ。
痛ましい、凄まじい、というような言葉では表現できない。想像を絶する。

原題は:

Quatre petits bouts de pain
Des ténèbres à la joie

(四つの小さなパン切れ
 暗闇から喜びへ)

収容所で、息も絶えだえになっているひとりの女性が、マグダに四つの小さなパン切れを与えてくれた。からからに乾いた、硬い小さな塊だった。マグダは、そのかびたうえにかちかちの、しかしあまりに貴重な、パン切れを食べた。パン切れは、物理的に空腹をまぎらしただけでなく、望みを捨ててはいけないことを教えてくれた。収容所での生活では、絶望しかない環境ながら、ごくごくたまに、人心に触れることがあった。それは、真っ暗闇に差すひとすじの光のような、かけがえのない、しかしすぐに消え入りそうな希望だった。マグダは、そんな擦り切れてなくなりそうなわずかな望みをもちつづけ、生き延びることができたのだった。

本書は2部構成になっている。
前半はマグダが収容所での経験を詩のように綴った「時のみちすじ」。これは1977年に一度まとめられ、 フランスで出版されたという。その反響はさざ波のように徐々にひろがり、マグダは、自分の体験を後世に語り継ぐことの重要性を痛感する。そして中高生たちと対話をするようになり、その内容をまとめたものが、後半の「闇から喜びへ」である。

よく書いてくださったと思う。
書き残すことはとても重要だ。
辛苦の記憶を書き綴ることは自分で自分を拷問するに等しいこともある。
しかし、苦しんだ人には、書いてくださいと言いたい。
(自分も、書いていこうと思っている)
(いや、たいした苦しみは経験していないのだけれども)

ナチスの蛮行はどのような理由を並べようと正当化できない。そのことは、現代人である私たちには自明のことだ。しかし、現代人である私たちは、いったい、ナチスの蛮行を、どの程度知っているだろうか?
戦後、多くの証言が掘り起こされたとはいえ、それは断片的な事柄のつぎはぎをもとにした「想像」である。その「想像」はかなりの精度でほんとうにあったことを再現しているかもしれないが、それでも、わたしたちはその実際を、ほんとうには知ることができない。それは、現在のように記録の手段が発達した時代でも、同じことだ。
だからこそ、当事者が書いて残すことの意味は、とても大きい。

日本も同じである。戦争を知る人たちの証言を可能な限り残していかなくてはならない。
そして今、現在も、あちこちで起こっている理不尽な出来事についても、すべて記録は残されなくてはならないのだ。
公文書改竄とか日報隠蔽とか、あまりに幼稚で言語道断なのである。ああ。

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