Bravo! No Nuke!2014/05/21 15:28:24

大飯原発の再稼働差し止め判決が出たって!
なんて喜ばしい!
いやっほー!!!

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大飯原発、再稼働差し止め=福島事故後初、住民側訴え認める―福井地裁
時事通信 5月21日(水)15時11分配信
 関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の安全性が確保されていないとして、住民ら189人が関電を相手に再稼働の差し止めを求めた訴訟の判決が21日、福井地裁であった。樋口英明裁判長は住民側の訴えを認め、関電に差し止めを命じた。
 原告弁護団によると、2011年の東京電力福島第1原発事故後、各地の住民が集団で提訴した原発運転差し止め訴訟で初の判決。原発の運転差し止め訴訟で住民側が勝訴したのは、金沢地裁が2006年、運転中だった北陸電力志賀原発2号機(石川県志賀町)の差し止めを命じて以来。 
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活断層の有る無しが問題じゃないのよ。
原発の存在自体が非人道的なの。
目指せ全原発廃炉!

★追記★2014.5.22
http://www.news-pj.net/diary/1001
(判決文掲載ページへのリンク)

Bon anniversaire ma chérie!2014/02/13 22:10:07

世の中、セントヴァレンタインズデー直前とやらで賑やかだが、セントヴァレンタインズデーの前日である2月13日は私の娘の誕生日である。

産婦人科医院の院長は予定日を2月14日ですと言った。バレンタインデーですね、もし男の子なら、誕生日とバレンタインデーが同じというのはいいのかなよくないのかな、わっはっはなどとぬかしておった。その次の健診から院長の担当ではなくなって、週1の当番で来ている医師に代わったが、彼は、すくすく育てば予定日より早く出てきますよ、ま予定日なんてのは予定以外のなにものでもないのであってね、と言った。
サンヴァランタン(フランス語ではこう発音する)の日を待たずに陣痛が起き、娘は胎内でたいへんよく育ちすこぶる元気に産声を上げた。18年前の2月13日午後6時頃。
18歳を迎えるというとても意味のある記念すべき誕生日に、なんと娘は親から離れて異国にいる。初めて二人で過ごさない娘の誕生日。私の誕生日は、とくに近年は私の帰宅が夜中だったり、帰宅後疲労困憊してバタンキューで寝てしまったり、でまともに祝えたことはないのだけれど、娘の誕生日のほうはサンヴァランタンと準備することが微妙にかぶるので、外すことなくお菓子をつくり、そんなわけで私も贈り物の用意も怠りなく。
なのに今年の誕生日には娘がここにいないのである。
いない。
いないのだが、この大きな不在を、さして気にしていない自分がちょっと可笑しい。べつに人間の器ができているわけでもないし、親として分別臭く気取っているわけでもないし、ましてや娘のいないことが寂しくないはずがない。
けれど、なんつーか、ここに私が昨日やおとといと同じように生きているように、彼女も今日を昨日やおとといと同じように迎え、今日を無事迎えた喜びや充実感と同じ思いで明日もあさっても生きていくだろうと確信できるのである。
そのことが、娘の不在の生む空虚感や寂寥をいくぶんか和らげる。不在は不在に過ぎないのであって喪失ではないから、私はそのことを喜ばねばならない。
私の母にいたっては「今日は何の日?」の問いに「さあ?」とまるで思い出すふうでなかった。人に尋ねられれば孫がいなくて寂しいと答えるが、毎日自分の身体を動かすことだけでいっぱいいっぱいだから、はっきりいって、セントヴァレンタインズデーも孫のバースデーも、さしたる重要事項ではないのだ。だからといって孫に会いたくないはずはない。毎日無事を拝んでいるが、いくつもいくつも考えたり行動したりしていたうちの、今はほんの数パーセントしかできなくなっているような状態だから、孫の誕生日を忘れても仕方がないだろう。
だいいち先月の私の誕生日だって、見事にころりと忘れていたのだ(笑)。


身ごもった時から、どういうわけか私には確信めいたものがあったのだ。私の産む子は手段や方法はどうあれ、世界に何らか寄与する人間になる、と。そして私の産む子が、そのまた後続世代を育てることに大きな役割を果たすと。だから私は迷わずこの子を産むのだと。産むことにはっきりと反対した人も、間違っていると断言した人もいたけれど、18歳になった彼女を見ても同じことを言うだろうか。言わない。絶対。
私はこの先も、身ごもった時に覚えた確信を、たとえば彼女が20歳になった時、職業人として自立した時、伴侶を見つけた時、親になった時などに、都度都度、再確認して噛みしめるだろう。
そう願いたいし、そう在らねばならない。私の娘という稀有な存在を産み落とした親として。

誕生日おめでとう!

Merci!2014/01/22 18:10:53

このあいだお誕生日だったので、お花をもらった。
ちっちゃなブーケ。
真ん中の、濃いピンクの薔薇の下に見える花、これは薔薇じゃないんだって。なんとかいう今だけ手に入る珍しい花だそうで、名前聞いたのに忘れちまったい。


で、誕生日当日から三日経過して娘からバースデーカードが届いた。
可愛い~♪
表彰台に乗ったはる(笑)。かつてオリンピックを目指していた(笑)娘らしいチョイスである。しかもバレエコスチューム(笑)。

カードを開くと。
ほほほ~~力作じゃの~
これ、イラストとコラージュよ。やるなあ、毎度のことながら。
そうそう、猫はこたつで丸くなる(笑)。
今年はこたつ、出してないけどね。

ありがとね♪

外国で、母親の誕生日にカードを手づくりする17歳女子の心境……。
これで、よかったのかな、と何かにつけて思うのだけど、よかったのであろう。すでに次年度に向けた目標も立てていると見え、情報収集に余念がないみたいだし。えらいなあ、我が子ながらまったく。

わたしの17歳、18歳の頃なんて、自分以外のこと考えてなかったもんね(今もか。笑)。受験もあったけど、だから周囲が応援してくれてたはずやけど、そんなこと当たり前と思っててさ、自分がいちばん偉かったもんね(今もやな。汗)。

子どものふり見てわがふり直せ。はははっ


無事にまたひとつ歳を重ねることができました。こんなに重ねても、まだまだ成熟にほど遠く、無礼非礼を繰り返しておりますが、このだらだらブログをいじった形跡があればわたくし心身ともに健康とご承知おきくださいませ。皆様とともに五十年目のこの一年、よく視てよく聴きよく考えてまいりたいと存じます。なにとぞ今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

Au revoir, ma fille!2013/09/27 18:40:07

9月26日、娘がミュンヘンへ旅立ちました。

滑走路を滑走するルフトハンザ。わわわ~と胸をドキドキさせている娘の顔が可笑しいほど容易に想像できて、なんか笑えた。

離陸した、と思ったらあっというまに遠ざかり。遠いほうのポールのそばに浮いて見える小さな機体がそれです。行っちゃったー。

飛行機事故は自動車事故よりもずっと発生率が低いというけれど、いうけれどさ、これまでだって幾度も悲惨な事故はあったわけだし、あのルフトハンザがいきなり逆噴射して海上に墜落したり、大陸までたどり着いても着陸時に尻もちついたり、なんてさ、何も起こらないって断言なんて、できやしない。できやしねえぜ。

とまあ、心配し始めたらきりがないのだ。
お母さんってさ、ウチが留学してしまうの、どういう心境でいるわけ?
空港でそんな質問をしよった。前にもそんな話が出たな、そういえば。その時はクラスメートからこんなふうにわれたという話だった。「お前のオカン、何考えてんの? まだ17歳の娘ひとり外国へ行かすなんて、俺が親父やったら絶対に許さんとこや。すごい英断かもしれんけど、とんでもない間違いかもしれんやん」
なんやそれ、そんなこたあ、何十年か後にそいつが女子高生の親父になった時に考えさせろ、と笑い飛ばしたな、このときは。高3のくせに、親父臭いやつ!って。
でも改めて娘から尋ねられて、説明するほどたいそうな心境でいるわけではないことを自分でも再認識したので、それを素直に言った。つまり、目の届くところにいない時はいつだって心配なこと。歩いて5分の学校にいようと、チャリで30分の陸上競技場にいようと、電車で1時間の遊園地にいようと、地球の裏側にいようと。今のようにこうして目の前にいない時は、いつだって心配だ、だって身の危険は誰にも等しく訪れるし、手痛い目に遭うのは自分に過失があるばかりじゃない、禍いはにわか雨のように前触れなく降ってくる、帰ってくるはずなのに帰ってこなかったらどうしよう。そんな思いは君がひとり歩きをし始めてからずっと持っている。
留学はその延長線上にあるイベントに過ぎない。
けっきょくこれまでケータイ持たずにやってきたし、むしろ、遠くにいるからメールをまめにくれるようになるんじゃないの? 安否確認はこれまでより簡単かも、と思うよ。

1年間なんてあっという間に過ぎると思う。
あれもこれもやってみたかったのに、何もトライできないまま、私も帰国の日を迎えたことを思い出す。ま、娘の場合は今回学ぶ学校でメソッドの習得をするという目的があるので、来夏の一時帰国の後にも留学ストーリーは続く。習得後、もしカンパニーのオファーがあれば願ってもないことだし、渡欧したまま居つく可能性もある。
何もできなかった、と思ったら次の一年の間にトライすればいい。
私の語学留学は大人になってからの道楽だったけれど、娘は一瞬一瞬が勉強。願わくば変な男に溺れないように、地に足つけて、しっかり生き抜いてほしい。

子どもの頃の私との旅行、高校の研修旅行でのアメリカ行き、2月のベルリン遠征と、海外経験はあっても付添いなしのたった一人での旅は初めてだな。その意味で、9月26日は記念日だ。一人歩き第3コーナーを回りました、ってところだろうか。初めて伝い歩きの手を離して自分で歩けた日。送迎なしで登下校を始めた1年生の春。ひとりで電車を乗り継いで隣県でのレッスンを受講しに行った日。最終コーナーは必要な費用を全額自分で工面できるようになったら回らせてやろう(笑)。

★無事到着の一報が、留学を斡旋してくれたエージェンシーから届きました。なんとか異国での生活の第一歩を踏み出したようです。見守りください。★

“Il était une fois, une catastrophe…”2013/03/11 17:53:52


La chaine humaine a rassemblé 20 000 personnes selon les organisateurs, 4 000 selon la police. | AP/Remy de la Mauviniere
La chaine humaine a rassemblé 20 000 personnes selon les organisateurs, 4 000 selon la police. | AP/Remy de la Mauviniere



2年前、私は何を考えていたんだろうとふと思い、マイブログのアーカイヴから抜粋してみた。……2年前に考えていたことと、今と、突き詰めれば同じことを考えている。同じことを願っている。自分自身も、けっきょく変わっていない。だが、惨状のなか、歯を食いしばって前を見て歩けた人と、何もかも失くして絶望に打ちひしがれたまま時が止まってしまった人との、生活環境の差は開くばかりだ。
 *
2011/03/13 01:15:15
ずっとラジオをつけっぱなしにしている。いつもインターネットで聴いているRadio France Internationaleである。15分ごとにニュースが更新されるが、必ず日本の地震と津波の最新情報を伝えてくれる。
地震が起きた時、私の町は震度3だったそうだが、私は出張先で取引先の営業さんが運転する車で移動中だったので何も感じなかった。地元に帰りJRの駅に降り立つと、新幹線乗り場方面がただならぬ人だかりで、また人々の表情は一様に険しく、なにがしかの異常事態が起きたということがわかった。間もなく駅のアナウンスが東北に地震があったために新幹線が運休となっていることを告げる。それはもう何度も繰り返されているらしいアナウンスだった。東北って、そんな遠いところの地震のために全線ストップしちゃうなんていったいどんなに大きい地震だったんだろう。とりとめもなく思い巡らしながら帰社すると、東京に家族のいる社員たちが「電話が全然つながらない」といって青い顔をしていた。
東京の混乱ぶりを把握でき、社員の家族たちの安否も確認できたが、インターネットには大津波の映像が配信されていた。それは仙台空港を飲み込む瞬間の映像だった。明らかに悪意をもった黒い泥波が、人間の築いたものを食いつくそうとするかのように、牙を剥いて襲いかかった瞬間だった。
とんでもないことが起きている。
内陸に住む私たちは、紺碧の空と海への憧れは強いがその怖さを想像することができない。波は海底の震動によって巨大になりどんな遠方からでも勢いを保ったまま陸地へ到達し道も家も人も飲み込んでしまえる、そういうものであることに、思いが行かない。
火災も発生した。
1995年の地獄絵のような映像が瞬時にして甦る。
どうか早く鎮火して! などといくら願っても祈っても届かないのだ。
気になるが、金曜は一日出張先にいて、社内での仕事が山のように残っていたので、まずはよそ見をせずに黙々と原稿を捌いていった。
帰宅してマイMacのメールを開けるとフランスからこちらの様子を心配するメッセージが届いていた。
1995年のあの日の翌日も、遠方からたくさん電話をもらった。高い電話代をものともせずに皆かけてきてくれた。数時間もの間まったく電話がつながらなかったので、私も神戸の友人につながらなかったし、私にかけようとした人たちも何度も試みたようで、ようやく私の声を聞いたとたん電話の向こうで大泣きする人もいた。
あの時も、今回も、同じだ。
私や私の町を案じてくれるその気持ちは痛いほど嬉しい。
が、私たちには何も被害がない。
「大丈夫だよ」
とのこちらの声に
「ああ、よかった!」
と心底安堵してくれるその言葉に複雑な気持ちになる。なにも、よくなんかない。問題は「ここ」ではない。何も喜べない。
自分が書くことをなりわいとしていることに、とてつもなく無力感や虚無感を覚える。ここでこうしてぐだぐだ書いていて、どうなるというのだ。誰ひとり救えはしないのである。どんな傷も癒すことはできないのである。何も、前に進められないし、何も、受けとめることができないのである。
身を挺して被災地のために働く人々に、神よ、力を!

2011/03/16 01:46:47
昨日、卒業式だった。
こんなときだけれど、子どもたちには心の底からおめでとうを言ってやりたい。この日を無事に迎えることができたことを、素直に、心から、喜びたい。
式典に先立って、全員で、今回の災害で亡くなった人たちに黙祷を捧げた。
また、卒業生を代表して元生徒会長が述べた答辞では、命の尊さを肝に銘じて……と、東日本の大地震に触れていた。
(……)
子どもたちが大人へのステップをのぼろうとするときに、こうした事態を見聞し考える機会を得ていることは、当事者の方々にはたいへん不謹慎で申し訳ないけれど、成長の糧にはなると思っている。願わくば、子どもたちが大人になり、それぞれの場所で役割をもち、社会に何らかの貢献をするときには、十代のときに自分の国を襲った未曾有の大災害にうつして、人事を尽くせる人になっていてほしいと思う。
おめでとう。この春卒業を迎える子どもたちみんなへ。
おめでとう。さなぎ。

2011/03/18 22:21:37
一日がすごく長い。
(……)
自分の時計が被災地情報で刻まれるので、被災者の置かれている状況に変化や進展が見られないと長く感じるのである。
(……)
普通に寝て起きて、洗濯して食事つくって、いつものようにコートを着込みマフラーと手袋を着け、自転車にまたがって職場へ向かう。原稿を急かすクライアントに心の中で舌打ちしながらもう少し待ってと懇願したり、今たいへん混んでましてと言い訳したり。そんな、ともすればチキショーバカヤローとわめいてばかりの日常がいかに幸せなものかを改めてかみしめては、いる。
いるが、それでも私には私の、まったくもって憂鬱にさせてくれるさまざまなモンダイが、眼前に数え切れないほど多くのハードルとなって立ちはだかってくれる。私は家も流されていないし、原発からも遠いし、現状に文句を言う筋合いは何もないかもしれないが、手に負えない、私ひとりでは解決に程遠い難題をいくつも抱えている。
(……)
母親は目に見えて衰えてきている。病気ではないが、いろいろとよく間違えたり忘れたりすることが多くなった。このことはもう数年来起こっているのだけれど、運動能力の低下は顕著で、やはり歩けなくなると外に出るのが嫌になるし、外に出ないと刺激がないので記憶力やコーディネート力が低下する。そんなわけで任せていたいろいろなことを任せられなくなり、といって何もさせないわけにもいかないのでできることとできないことをこちらで調整してやってコントロールしながら、できることはできるだけこなしてもらわなくてはならない。そんなに複雑でも難しくもないことなんだが、いかんせん私に時間がないのでじっくり検討する機会がないのだ。てことはつまり、母が担ってくれていた家事はなし崩し的に私の役割と化しており、まったく毎日一秒だって家では座っていられない。
娘は何でもひとりでできるようになったが、とりあえずオカネのかかるヒトなので、もっと副収入が欲しいのだけれど、現状では家で一秒も空いた時間がない。これではスーパー闇仕事も請けられない。
(……)
食糧確保もままならない被災地の皆さんを思うと、贅沢な難題だとはわかっているが、だからといって放棄できない。はあー。と、眼前の山積み問題あるいは無数のハードルってやつのひとつふたつを披露してみた。ま、がんばるさ。とりあえず私は母親で世帯主だからさ。

2011/03/19 22:47:43
パリの猫屋さんブログを読むと、リベラシオン紙によると《フランスはアレヴァ・EDFなど原発企業が所有する130トンに及ぶ核対応特殊マテリアルを日本に送る予定》なのだそうだ。つまり原子力のプロたちが「これ使いな」と困ったときのお役立ちツールをくれるというのだけど、原発事故からこっち、嫌というほど感じたのは、日本ってほんとアマチュアなのね、ということだ。原発なんて、一介の電力会社がやることじゃないんだろう。発電には違いないけど、扱うものは核である。核兵器を長年研究して開発して実験して、なんてことを専門企業がやっているような国とは、その実力においてプロ野球と草野球、いや三角ベースほども差があるのだ。
フランス語でニュースを読むといったって、難しい話になると辞書を引いたってわからないし、そんな暇はないので見出しだけ見て何を報じているかだけを目で追う程度のことしかしていないが、フランスは原発大国なのでおのずとその記事が多数を占め詳細になっていることはわかる。連日リアルタイムで原発の様子をレポートし、詳しい図表をつけたりしている。国内紙の記事を読むよりよほどわかりやすかったりする。
私には、放射能のほんとうの怖さはわからないし、国内にわかっている人がいるとも思えない。私たちは被爆国の国民だけど、そのことと、原子力発電によるエネルギー生産とは次元が違うと考えてきた。みんなそうだったはずだ。
日本では、「だからいわんこっちゃない」的な論調が目立つように思うがどうだろう。「世界唯一の被爆国が原発をもつなんておかしい」とか「地震国で津波の恐れもあるのに沿岸部に原発建てて」とか「そもそも東電の隠蔽体質がこの事態を招いた」とか。いちいち正論だが、けっきょくは犯人探しにすぎない。犯人なんかいないのに。要は私たちみんな身の程知らずの未熟者だったわけだからここは大人のいうことを聞きましょう、プロの助言を容れましょう、ということを、それなりの立場にある人にいってもらいたいし、そうした発言を広く国民に知らせてほしい。伝わってくるのはメディアサイドの揚げ足取り的な詰問に対する言い訳や、重箱の隅をつつくようなあら探しや失態のリストアップ的記事ばかりである。また現在懸命に実施している作業をレポートする記事の横に必ず「遅かった」だの「最初の判断ミスが招いた現状」だの、識者のコメントがくっついている。物事、多角的に見なくちゃいけないし、賛否両論ある時はその両論とも載せるのがメディアの仕事とはいえ、あまりにも、最前線で働いている人に失礼じゃないかい、と怒れるのである。

2011/03/23 01:16:53
ガイガーカウンター、送ってあげようか?
そんなことを言われたけど、要らないと言った。だって、そんなこといちいちしてるほど日常に余裕ないもん。だけど、いずれ、自分で携帯するほどではないにせよ、放射線計測器がぐっと身近なものになるのだろう。今火災報知器の取り付けが義務づけられているが(ウチはまだ付けてないけど)、そのうちガイガーカウンターの取り付けとか携帯とかが義務づけられるようになるんじゃないだろうか。なんてこった。
チェルノブイリの子どもたちが描いた自画像を集めた絵本を、何年か前に娘と読んだ。自画像にはのど元に必ず甲状腺がん治療痕とわかる傷が描き込まれていた。その意味がわからない娘に原発事故のとおりいっぺんの説明をし、絵本をめくりながら、ほんとうにこの子たち可哀想ね、なんて言っていた私に、いったい何の意味がわかっていたというのか。原発は自分の国にもあって、同じことが起こる可能性はもちろんある、などと理屈では言いながら実質事故の可能性はゼロだとどこかで過信していた自分たちの浅はかさ。
新聞に、ハンナリーズ(地元のプロバスケチーム)の外国人選手が契約を解除して帰国したと書いてあった。原発事故の影響を恐れる彼を誰も責められない。誰もが、文字どおり潮が引くようにいなくなる外国人たちのことを、ちぇ、なんだよ、と心の中で舌打ちし口をとんがらして、苦渋に満ちて見送っているだろう。だけど、外国人たちの気持ちは、わかる。自分がその立場だったらきっと日本へ飛んで帰ってきたに違いない。
(……)
知らされていないこともあるだろうが、知らされたとしてもわからないことだらけなのである。不安だが、不安を消し去ってはいけないと思う。村松さんも心が大事ブログで言っている。原発事故に過剰反応する人々を嘲笑する前に、とりあえずいま喫緊の状況にはない、余裕のある者がすべきは、よく考えることじゃないのか。なぜチェルノブイリでは子どもたちばかりが甲状腺がんで死んでいったのか。それは彼らが乳児や胎児であったときに汚染食物を体内に取り込んでしまったからだ。何も知らず、わかっていなかった大人たちが、とりあえず子どもには食べさせなくちゃととった行動が数年後の悲劇を呼んだ。いま、大人がすべきは「疑わしき」をすべて子どもから遠ざけることだ。
農作物の出荷が止められたが、ちょっと放射線被っただけの食材は洗えば大人には大丈夫だ(子どもはダメ)。放射能汚染は伝染病ではないから、現場にいた人から放射線が「うつる」こともない(だから差別はナンセンス)。危ないのは土と水である。土に、汚染物質が染みていき、汚染物質を蓄えた大地から湧く水も汚染される。そこに負けじと生える植物もまた、体内に汚染物質を孕む。チェルノブイリがそうであるように、現場はゴーストタウンジャングルと化す。
福島第一原発の周囲はこの先何十年も立ち入りできない、もはやそういう場所になってしまった。そういう場所を抱えて、日本という国は、この地球上で生きていくのである。
そのことを考えていかなくてはならないのだ。
 *

(アーカイヴのコピペ ここまで)
Des milliers de manifestants ont défilé samedi à Tokyo pour exiger l'abandon rapide de l'énergie nucléaire au Japon, près de deux ans jour pour jour après le début de la catastrophe de Fukushima. | AFP/YOSHIKAZU TSUNO
Des milliers de manifestants ont défilé samedi à Tokyo pour exiger l'abandon rapide de l'énergie nucléaire au Japon, près de deux ans jour pour jour après le d'ébut de la catastrophe de Fukushima. | AFP/YOSHIKAZU TSUNO


違憲ジミントーわしらヤなこと忘れて金儲けゴーゴー政権、の「アメリカLOVE!」ぶりには今さらながら呆れる、いや、ずっとそうだったんだけれど、こうまで恥ずかしげもなく尻尾を振られたんじゃ二の句も継げないってゆーかさ。アベ極右シンゾーの、笑わせてくれた衆院選のスローガン「日本を、取り戻す」、正確に最後まで書かなきゃズルイよね。「日本を、取り戻(して米国に渡)す」。でも、どこから取り戻す気だったのかな。米国のほかに日本を占領している国、思いつかないんだけどね。

……。
……。
3月11日です。

WHITE BIRTHDAY2013/01/18 18:35:44

洗濯物を干しに上がると、屋根は雪化粧。



通勤途上、御苑を通りますが、ほれ、うっすらと。


冷え込む日もしばれる日も、針のように冷たく刺さる雨が降った日も、埃が舞う程度に雪のちらつく日も、あったけれど、こうして目に見えて風景が白くなったのは今冬初めて。
奇しくも今日は……

はっぴばーすでいとぅーみー(笑)

昨夜、愛おしい友人たちと久しぶりに会い、そしてその友人たちから魅力あふれる老紳士を紹介されて、とても満ち足りたひとときを過ごしたのだが、ちょい酒が過ぎてこりゃ翌日に差し支えるぞと危険を感じたわたくしは、帰宅して速攻で寝てしまったのである。その後の娘の帰宅も、母と娘が入浴したり就寝したりする物音や気配にも全然気づかず邪魔されず朝まで爆睡。そして今朝、けたたましい「お誕生日の歌」が鳴って起こされた(笑)

平日の我が家は朝食しか全員揃わないので、娘は朝から私のバースデイプチパーティーを企てたのだ。やるやんけ、さなぎー♪

それにしても、君はほんとうに高校生か?(笑)
ひらがなしかないやん、手書きのバースデイカード(笑)

ぐっすり寝たおかげか、昨夜のワインが極上のフランス産だったせいか(笑)、非常にすっきりと目覚めて、娘の用意したスクランブルエッグとトースト、そしてタルトショコラをいただいた! やーん、おいしいやんーおいしすぎるー Y(^0^)Y
さらに、可愛いハートのピアスをプレゼントしてくれたのよ~~~♪
やーん、嬉しいやんー嬉しすぎるーーー~~~\(^0^)/ワーイ
娘にもらったハートのピアスをつけた幸せな私に会いたい人はメールちょうだいね!

Hier, c'était l'anniversaire de mon chat.2012/12/02 01:43:32

ウチの猫が生まれたのは、たぶん11月の下旬なんだが、くれた人にもわからないのでキリのいい12月1日にしちゃおうということになったのだ。

「というようなことでもいいんですかね」
「かまいませんよ、大きくずれてなければ、別に」

「猫もらったので健康診断してください」と獣医に連れていき、登録して診察券をつくってもらった際のドクターとの会話。

猫が我が家にきたのが2月初めだったので、生まれて2か月くらい。とってもとっても小さかったのだが、昨日で7歳になった。7歳というのは、健康に配慮の必要になる区切りの年である。餌などの区分も「0〜1歳」「1〜6歳」「7歳以上向け」が多い。でも近頃飼い猫はご長寿で、行きつけの獣医院には20歳、22歳、25歳なんて猫がざらにきている。化け猫である、文字どおり。だからきっと市販フードももっと様変わりするであろう。勤務先のごく近所にペットショップがあるが、すでに餌のラインナップはすごい。健康志向、ナチュラル志向がすごい。いつかドラッグストアで離乳食のラインナップに驚いたことがあるが、そんな私の記憶を(当たり前だが)はるかに凌駕する多彩さだ。

ウチでは毎年、首輪をプレゼントしている。最初につけた首輪が赤かったせいか、赤の似合う印象のある愛猫。したがっておのずと赤系のヴァリエーションが続いていたが、近年、異なる色にもチャレンジしようということで去年の誕生日には、手づくり市で見つけた浅葱色の古い帯地でリメイクされた和風な矢絣柄の首輪をプレゼント。それを一年間つけていたが、ぼろぼろになった(笑)。今年は、どれにしようかとさんざん悩んだ挙げ句、ひとつに絞りきれないで、黄色いのと、やはり王道に戻って赤いのと二つ、ペット用品のPEPPYでショッピング。

今日は、それぞれの首輪を身につけて記念写真を撮りたかったのに。そんなのどーでもいい彼女は首輪を取り替えさせてはくれたけど、あとは丸まって知らん顔。
しかたないねえ、寒いしね。テーブル下で、ホットカーペットに寝そべってばかりいるウインターシーズンの我が愛猫。
首輪が変わったというのに「見て見て素敵でしょ」と披露するでもなし、筋金入りの不愛想は年々筋金が太くなっているようだ。飼い主に似たのか?

愛猫の誕生日だというのに、私は仕事だったのだが、さらに悪いことには取材相手にドタキャンされ無駄足を踏んだ。
得意先の担当者(背が高い!)に連れられて、集合場所に到着すると先方のつなぎ役が申し訳ないですホントに、を何回も繰り返して担当者を見上げて「朝イチに御社に電話したんですけどどなたもいらっしゃらなくて……」
まあな。今日は土曜日だからな、休日だからな。って、休日なんだからケータイ教えとけよ担当者!
「ああ僕ケータイの番号渡していなかったんですか……」
って今気づいてどーすんだっ 縮こまってんじゃねーよっ
チョーマジムカツク、とひと昔前のコギャル用語をアタマの中で反芻しながら、担当者の横から私は満面のスマイルでつなぎ役女史に向かい:

「ご事情があってのことでしょうから、どうか気に病まれないようにお伝えください。それより、やはりどうしても紙面構成上必要ですのでお話をうかがいたいです。なんとかお時間つくっていただけないでしょうか。ワタクシ、いつでもどのような場所にでも参上いたしますので。そうお伝えいただいて、ご調整くださると本当に嬉しいのですけれども」

困惑・懇願・奉仕のスマイルをローテーションさせて澱みなくセリフを吐き、相手から快諾を得る。
あたしって、愛想いいよね?
営業用やん、それ。ってみなさんのお声が矢のように飛んでくる(笑)
そうね、ウチの愛猫も、ご飯ねだるときだけチョー愛想よしでチャーミング。やはり飼い主に似たのね。
よかよか。そうでなくてなんで生きていけますでしょうか。

7歳おめでとう、リーちゃん♪

Vous savez, il y a pas mal de gens qui pensent beaucoup aux Japonais en cette période de commémoration.2012/03/11 23:59:59

今日、一日中、大量の洗濯物をいくつかに分けて何回も洗濯機を回しながら、『ニュー・シネマ・パラダイス』を観ていた。大好きな映画だ。封切りで観て以来、いったい何度観たことだろうか。何度観ても、面白いし、感動するし、胸が温かくなる。

洗濯物を干しに、何度も階上へ上がって、降りて、止めていた映像をまた再生して、コーヒー入れてマグに注いで、みたいなことを繰り返す。昼過ぎまでは天気がよかった。乾き具合がもうひとつだった昨日の洗濯物を取り込み、今日の分をまた干していく。今日は8時30分に京都マラソンの号砲が鳴ったはず。私の友人諸氏も無事スタートを切ったはず。今頃どのへん走ってるんだろう、天気よくてよかったな。ゆるい陽射しに少し気分をよくしながら、久しぶりに洗ったぬいぐるみも干していく。

好きだからという理由で同じ映画を、くりかえし見る。かつてはビデオテープ、そしてDVD、今は動画配信なんつうもんが発達したおかげで、映画は衰退したと言われて久しいが、よい映画はそうした方法で生き残り、いつまでもわれわれのような映画大好き人間を楽しませてくれる。
昔むかし観た映画も、感動するシーンは昔とは微妙にずれてきて、若い時には何とも思わなかったシーンが、今観ると妙に切なくこころにしみたり。

『ニュー・シネマ・パラダイス』のラストシーンは有名だからもうここには書かないでおこう。
アルフレードの残してくれたフィルムを観るサルヴァトーレの何ともいえない感激した表情は、最初に観た時は単に亡きアルフレードとの約束や思い出が甦ってきての表情だと思ったけれど、私も青かったな、てことだな。中年になったサルヴァトーレの胸に去来するものはシチリア時代だけではなく、故郷を後にしてからの30年間でもあっただろう。いまだに初恋の人を忘れられずにいるサルヴァトーレだけど、長いローマ生活の間におびただしい数の恋愛を経たはずで、そのひとつひとつは、女の名前は思い出せないけど唇の感触は忘れていないとか、あるいはその逆というふうに、何らかの記憶を刻んでいたことだろう。
アルフレードの形見は、古傷もいいも悪いも思い出は何もかも、過ぎてしまえば走馬燈に描かれた絵に過ぎないということを、突きつけているようだ。


生きているうちは、生き抜くしかないのである。
生きて、生きて、命ある限りは、命あることを祝福する。私たちの道はそれしかないのである。

いつまで経っても、心のうしろのほうが疼く。
居合わせた以上はこの疼きから逃れて生を終えることはできない。

たくさんの人々が私たちのために祈ってくれている。
だから私たちも、世界のために祈ろう。

Bon anniversaire ma chère!!!2012/02/13 23:53:08




『16歳 親と子のあいだには』
平田オリザ編著
岩波ジュニア新書567(2007年)


今日は私にとっていちばん特別な日である。
ひとり娘の誕生日である。
2月13日。
世界にたったひとつしかない宝石である私の娘が生まれた日。
と、いうよりも。
私が、この私が世界に二つとない宝石を産んだ日である(笑)。
つまり、私にとって空前絶後の痛みを味わった日である。
生涯、アレを超える痛みにはもう出会わないであろう。
そりゃ、あーた、痛かったのなんのって。
いま、体のあちこちガタがきていてそこらじゅうが痛いし、ちょっと飲み過ぎ食べ過ぎなんかすると途端にひどい頭痛腹痛が来るし、風呂の蓋が足指に落ちてきたときも痛かったし、階段踏み外して腰打ったときも痛かったし、スライサーで指削った時も痛かったけど、赤子の頭が産道を通ったときのあのアレはそんなもんアータよく生き延びることができたわアタシとマジで思ったんだから本当に痛かったのさ。それほどまでに痛かったんだから無事に育ってもらわんと割に合わないのさ。痛みに耐えた甲斐があったわとアタシに思わせてくれるほどピカピカきらきらに熟してもらわなきゃ困るのさ。

そんなわけで、山積みの仕事を放り出して私はバースデーカードを手づくりし、髪を束ねるためのシュシュも手づくりし、例によって、何冊かの本を贈ったのである。そのうちの一冊が本書だ。

タイトルおよび表紙イラストの出来がいい(ま、私の好みというだけだが)わりには、つまらない本である。すまん、さなぎ。

ま、そりゃそうだ。本書はさまざまな分野で活躍中の著名人が自分の16歳当時を語っているのだが、そこそこの年齢の人たちばかりだから、当然彼らの16歳の頃の社会は現在との乖離甚だしい。そして、時代がいつであれ、16歳の少年や少女とその親の間に存在する関係性というもんは、どんなに平凡な関係性であっても、各自の性格が地味であってもありきたりであっても、個別の家庭事情が異なるとかそんな次元とはまったく関係なく、それぞれに特有でたいへんに親密で、元来外に向かって語られる必要のないものである故に、本にするからといっていきなり滑らかに澱みなく語られるような性質のものではないのである。だから、人んちの押し入れの中を、「覗いていいのそれ。別に見たくもないんだけど。ま、何か面白いもん隠してあるかもしれないな、でもどうってことないに決まってるし」といった気持ちで覗き見するのに似て、期待もしなかったけどやっぱ実際読んでみるとかなりつまらない(笑)

それでも、昔の16歳って親とはこうだったのね、というようなことをちょっぴりでも感じてくれたらオンの字である。

ところで先月は私の誕生日があった。
またひとつ歳をとったわいと愚痴る私に、彼がこう言った。
「年をひとつとったことではなくて、生まれたことを祝福する日なんだよ、誕生日は」

そうだよね、そうなんだ。
私の娘も私の母も、猫も、アイツも、コイツも、弟も、その嫁も、甥っ子も、友達も、みんな、みんな、みんな、その存在は奇跡さ。私の目の前にいてくれて嬉しいよ。君が、キミタチが生まれたことを祝福したいもんだよね。

ハッピーバースデー、さなぎ。

富山の夜


Politkovskaïa : le tueur présumé arrêté, pas le commanditaire2011/06/03 21:24:30

アンナを暗殺した犯人が捕まったとの報がRue89に掲載された。

(リンク、効いてないけど)
http://www.rue89.com/retro-ina/2011/05/31/politkovskaia-assassin-presume-arrete-pas-le-commanditaire-207146

ここに貼られていたいくつかの映像を、こっそりもらってきた。
暗殺を伝えるニュース。↓



こちらは在りし日のアンナ。
フランスの討論番組に招聘され、モスクワにおける劇場占拠事件ならびに、チェチェンについて熱く語った。


って、せっかく貼ったけど、ここでは再生できないのね(苦笑)。オリジナルサイトへという表示が出るので、ご興味のある向きは飛んでください。

アンナ・ポリトコフスカヤ。ジャーナリスト。
2006年10月7日、自宅のあるアパルトマンのエレベータ内で何者かに銃殺。享年48。
以上、覚書。