Je suis Charlie2015/01/11 12:05:38

「あなたの身には何も起こっていないか」「心配している」「平穏な日常が戻りますように」

急ぎパリの友人たちにメールを送ったけれども、誰に対しても、同じような、たった3行しか書けなかった。私の友人は、幼児期に生き別れた父はアフリカ人だとか、配偶者が移民だとか、母親をチェルノブイリの影響で死なせているとか、パレスチナから留学してそのまま居着いて結婚したとか、両親はアルジェリアから引き上げたユダヤ人(仏国籍)だとか、あるいは左派の知識人だとか、そんな人が多くて、いわゆる由緒ある貴族の末裔とか財閥や世界に冠たるブランド企業の一族だとかそんな人とは縁がない。友人たちはみんなほぼ例外なく、(投票はしたけど)オランド政権に不満を持っており、人種差別を憎んでおり、ナチスを憎んでおり、ガザを攻撃するイスラエルを憎んでおり、中東を空爆する欧米の軍隊を憎んでいる。対イスラム国で正義の味方ヅラしてスクラムを組む列強にうさん臭いものを感じている。しかし、それ以上にテロを憎んでいる。だが友人たちの、ある対象への憎しみ、ある対象への共感はおそらく少しずつ温度差があるだろう。彼らそれぞれとの親密さの度合いとは別に、日本に住む日本人である私はあまりにも部外者だ。軽はずみに「Je suis aussi Charlie!」などというメッセージを送るのはためらわれた。あなたに何がわかるのよ、と言われたら何も言い返せない。何もわからない、正直。隣人がテロリストかもしれない、いつ銃撃が始まるかもしれない町に住む、その恐怖。

しかしそれでも、「Je suis Charlie」と言おう。週刊紙シャルリエブドの毎号一面を飾る強烈な風刺画は、現代の、生温い報道にしか接していない一般日本人には理解に苦しむものに映るかもしれないし、手が何本も生えたゴールキーパーの写真で放射能汚染を放置する日本政府を批判したフランスのテレビに「ひどい」「傷ついた」なんてカワイく反応する国民性だから、毒のある風刺画を「いきすぎ」という人がいたりする。だが間違えないでほしい。シャルリエブドは反イスラム主義でもなんでもない。シャルリエブドの風刺の対象は政府や権力、大国の横暴、極右など偏向思想、人種差別主義者、戦争やテロリズムだ。だからこそ、フランスじゅう挙げて誰もが「私はシャルリ」「私たちはみんなシャルリだ」「パリはシャルリだ」と叫んでいるのだ。

風刺画の役割はいくつかある。世知辛い世の中、低所得や失業に苦しむ庶民の心に一滴の潤い=笑いをもたらすためである。笑い飛ばさないとこんな世の中でやってけないぜ、そうだろ。また、平穏に見える日常に、実はいくつも問題があるよとそれぞれの足許、心の奥底で自問させるためである。モハメッドをちゃかした風刺画、ムスリムとシャルリエブドが相思相愛だと描いた絵、バイブルもコーランもトーラーもトイレットペーパーにして「流してしまえ」と揶揄した絵。これらを見て痛快な思いをするか、不愉快になるか、心がどう揺れるかで自分の深層心理がどの位置にあるかを気づかせてくれる。人は誰でも自分は差別なんかしないと思っている。だがほんとうにそうか? むしろ、大なり小なり差別感情を抱えているのがふつうの人間だ。平穏で退屈な日常に流されて本来持っている意識に自分自身で蓋をしているのだ。それは時に呼び起こされなければならない、何か起こったときに毅然とした態度を取るために。

フランス人たちは、全員が積極的にシャルリエブドの風刺を支持していたわけではないだろうし愛読者でもなかったはずだ。だが、今回の襲撃は、風刺(ユーモア)に食ってかかる大人げない行為であり、ひいては正面から正々堂々と批評するという行動への冒涜だ。シャルリエブドの風刺画家や執筆者たちは、実名を名乗り、ペン以外の武器は持っていなかったのだ。丸腰だったのだ。それを問答無用で銃撃し殺害したという行為は、なにがどうであっても許されない。

「こんな絵、描いたらあかんやろ」「そら殺されるわ」みたいな反応がナイーブな日本のお子ちゃまたちに見受けられる。日本では、形が違うだけで言論テロはすでに水面下で行われている。おそらくそんなことにも無頓着なのだろう。嘆かわしい。

Je suis Charlie.

極右政党の「国民戦線」のジャンマリ・ル=ペンは「ま、お悔やみ申し上げるが、私はシャルリじゃないよ」とはっきり言った。こいつもまったく、筋金入りの極右なわけだ。シャルリエブドにはさんざんけちょんけちょんに描かれてきたからザマアミロと思っているに違いないけど、はっきり言っちゃうところがどこかの国の極右傀儡政権のおぼっちゃまボスとは大違い。

テロリズムは許せない。10歳の女児を自爆テロさせたという報道があったが、若い命をもてあそぶ、純粋に信じるものにまっすぐ向かう若い心を手なずけて命を捨てさせる原理主義組織は断じて許せない。
しかし、である。
この殺戮の連鎖の最初の石は誰が投げたのか。
テロリストは中東への空爆をやめろというだろう。
ガザでの虐待、迫害をやめろというだろう。
お前が最初に殺したんだ。
互いにそんな台詞を投げ合っているのだ、世界は。
そのことをもう一度考えずには、何一つ解決には向かわない。

追悼集会にはイスラエルのネタニヤフも出席するという。前大統領のサルコジも(ま、こっちは当たり前だけど)。どんな顔して参加するんだ。

欧米はユダヤコネクションを憎んでいる。その根は長く、深い。
しかし、ユダヤコネクションに牛耳られてしまっていて、身動きできない。
ほんとうはユダヤ排斥を叫びたいけれど、大戦後はそんなことは露ほども言えなくなった。政治経済をがっちり支えているのはユダヤ人たちだからだ。ナチスに酷い目に遭ったのはほかでもないそのユダヤ人だからだ。イスラエルの振る舞いを見て見ぬ振りをせざるを得なくなった。その果てにイスラム教徒の反感を呼んだ。
しかし、石油権益のためにイスラム世界にもゴマを擦らなければならない。

憎悪と利権のスパイラル。出口は、ない。
このあと数十年もの間、私たちはただ、言い続けることしかできないだろう。描き続けることしかできないだろう。世界のあちこちで人々が殺し殺されていくのを横目で見ながら。

Je suis Charlie.

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