Je suis Charlie (3)2015/01/14 22:08:50

今朝の新聞の一面に、「仏『テロとの戦争』宣言」「大統領『団結を武器に』」という見出しがでかでかと載っていた。ちなみにウチの購読紙は地元の地方紙だ。切れ味はあまり鋭くないがいちおう反原発、反安倍の姿勢をちらつかせているので、ふだんは極端に不愉快にさせられることはない。しかしご想像いただけると思うが、こういう国際的な事件などの報道では「独自の論調で議論を展開」なんてされたためしはない。これは、ま、たぶんどちらの新聞さんも同じような事情なんだろう。とくに今回のような、加害者も被害者もその思想が平均的一般日本人の常識からはかけ離れたところにあり、また事件後のその他大勢の人々の反応も、これまた平均的一般日本人の常識では測れないものだったりすると、右へ倣えの記事しか構成しようがないだろう。新聞社だって、平均的一般日本人に過ぎないのだ。でもさ、各社の特派員ってこういうときのためにいるんだよね? 起きたことの事実関係を正確に伝えることが最重要だとしても、今どきインターネットでニュース見れば特派員のレポートより早く現地の事件を知ることはできるわけよ。わざわざ海外に派遣されてるってことはもっと事の深層まで切り込んでレポートすることを期待されてるんじゃないのかな。複雑に絡んだそれぞれの思惑や国際関係の裏事情や社会の病理をつねづね、そこに身を置いて肌で感じているからこそ書けること、そういうことが特派員の仕事じゃないのかな。知らないけど。「テロとの戦争」の文字の横には銃撃事件から1週間がたって殉職した警官の追悼式典が行われたことなどが短く書かれていて、同じ段に「Charlie Hebdo」の最新号の表紙画像が誤訳誤解釈とともに紹介されていた。新聞さー、ほんまにさー、速報性という点ではもうネットには勝てへんわけやから内容で勝負せなあかんやろ。共同で回ってきたもん鵜呑みにせんと「これホンマかい?」と引っかかってくれよ。ほんで尋ねたらどうなん、京都には日仏学館もあってさ、エライカシコイフランス人がうじゃうじゃ住んでんねんで。そら、ふつうは、特派員ってブン屋のエリートやからそこから来る記事が上っ面撫でただけの浅い浅い内容やとは思わへんかもしれんけど、こんだけ世の中で「風刺やユーモアや」「いや違う侮辱や差別や」「暴力はいかん」「殺されるほうにも非がある」とかなんとかかんとかやんややんやいうてんねんから、「ん、これはどう解釈したらいいのだろう」とかさ、考えて、よう吟味してから紙面つくろうよ。ホンマに滅びるよ新聞。

新聞の心配をするためのシャルリその3ではないのだ。
米国ニューヨークでの同時多発テロのときも陰謀説が賑やかだったが、今回は、陰謀説、ないのかな。
ついこないだ、どこかの国の極右傀儡政権のソーリが別に誰も頼んでないのに消費税増税を先送りの信を問うなんつー“小泉純ちゃんの劇場型に負けたくないの”自己陶酔型解散総選挙を強行したけど、それも国民の反感が増してきて支持率が低下して危機感を覚えた「側近たち」がアホソーリをけしかけたのだった。これと比較して論ずるのはあまりにフランソワ・オランドに失礼だが(失礼じゃないかもしれないけど。笑)、オランドも国際的には存在感がなく、国内的には打つ手総崩れで国民の不満が募るばかり、私的には元カノから暴露本出版されたりで踏んだり蹴ったりだった。何か劇的に大きな出来事とか社会現象が起きて突破口とならない限り支持率の回復は見込めそうになかった。
そこで。
なんか、しようや。
なんぞ、方法はないかいな。
と、いろいろ策を講じたとしても不思議ではないではないかい?

フランスは、前大統領のニコラ・サルコジがええかっこしいが過ぎてとりあえず国をくちゃくちゃにしちまったから、有権者は少しはましだろうと左の社会党を選んだんだけど、これがハズレた。ニコサル時代よりはマシ、という人も友人の中にはいるが、多くは「さらに酷くなった」という。酷くなった理由にはEUという機構が機能不全に陥っていることもある。オランドばかりが悪くないにしても期待したより彼は有能ではなかったとすでにNGスタンプが押されてしまった。したがって国民の中には政権への不信に加えてEUに対する不信、嫌厭感が募っていて、それが移民排斥感情と偏向なナショナリズムの高揚に流れがちである。中道右派も左派もダメで右翼と左翼にはろくな人材がないのなら残された極右と極左の一騎打ちしかなくなるではないか、それなら愛国心をあおる極右が過半数をとる可能性が高い、そうなったら極右不支持者にとってはまさに地獄だ。それは世界にとっても地獄絵図だ。それだけは避けなければならないが、今のまま放っておくといずれオランドにルペン(娘)が取って代わるのは時間の問題だ、何が何でも避けるのだ……と、ニコサルやオランドの失脚はどうでもいいにしても、国の将来を案じて、今、カンフル剤を打たなければ!と考えた誰かがいてもおかしくない。

テロは綿密に計画され、周到に準備され、鮮やかに演出され、遂行された。権力者たちの指示で。そう考えることもできる。シャルリエブドの風刺画をいまいましいと感じていたのは、けっしてイスラム教徒だけではない。描かれた誰もがいい気分なはずはない。シャルリエブドはあらゆる対象を風刺していた。政治的権力者、大富豪、著名人。でありながらシャルリエブドは世論を操作するような大きな影響力のある大新聞ではない。少ない発行部数、いつだって休刊、廃刊と紙一重だった。消失しても社会への影響はない。

オランドが、追悼デモ行進の日、呼び集めた各国首脳とともにはないちもんめみたいに手を組み並んでみせたのを見たとき。殉職警官の棺に花を手向けるのを見たとき。被害者遺族の肩を抱いて哀悼の意を表しているのを見たとき。こいつ、ぜったい内心シメシメ……と思とるわ、と思わずにいられなかったのである。たぶん世界中のメディアがオランドの言動をトップ扱いだ。就任以来、そんなことあったか?

Je suis Charlie (2)2015/01/12 02:53:26

「ありがとう、私は大丈夫」「重い悲しみに押し潰されそうよ」「今日の午後、友達と追悼デモに行きます。ひとりでいるより、みんなと分かち合いたいし」

パリの友人たちからぽつりぽつりと返事が来た。例外なく皆驚き、悲しみ、そして恐ろしさに怯えている。いつも冷静で皮肉屋のある友達が、いつになく取り乱していたことが伝わってくる。一人暮らしで、いかにもパリジェンヌらしい個人主義を貫いている女性が、「みんなとともに在りたいもの」なんていう。ふだんは「隣は何をする人ぞ」的なフランス人が、自由という旗印の下に連帯するとこれほどのパワーが発せられるのか、と、レピュブリック広場からの中継や、フランス全土各都市にも波及した追悼デモのレポートを目に耳にするたび感心する。群衆が集まってシュプレヒコールを挙げるフランスの様子を眺めるのは、直近では大統領選挙のときかな。その盛り上がりがうらやましいと思ったものだ。今回も、このマニフェスタシオンそのものについてだけ言えば、「国民よ結束せよ」という(支持率が激落ちしてる)大統領の呼びかけに呼応して老若男女、出自を問わず、ぐわあああっと集まるパワーは素晴しいし、やはりうらやましいと思う。

しかし、彼らがこれほどまでにパワフルなのにはわけがある。
約200年前、フランス人は血で血を洗うようにして「自由」「平等」「兄弟愛」を勝ち取ったのだ。彼らにとって「自由」は何にも代え難い、掛け値なしの、正真正銘の、「命がけで勝ち取った」「なんびとも生まれながらに保持する侵されざる権利」なのである。自由は天から降ってきて空気のように当たり前にそこに在るもの、みたいに感じている日本人とはエライ違いなのだ。
「表現の自由」の象徴たる新聞社(週刊紙)への銃撃は、まさに「自由」を踏みにじり冒涜する行為ゆえ、フランス人は立ち上がった。シャルリエブドの編集長、シャルブは「ひざまずくくらいなら立って死ぬ」と言っていた。どこからでもかかってこい、逃げも隠れもするかい、言いたいことがあれば言え、と公言していた。そして真正面から、名を呼ばれて、撃たれた。
いちいち言いたくないが、でも言うが、すでに日本の新聞は、週刊紙もテレビもラジオも、「表現の自由」の象徴などでは全然ない。ひざまずけなんて言われてないのに自らかしずいて、おいしいご褒美もらってせっせと貢いでいる。
Libertéという名のパン屋が近所にあるが(美味しいパン屋さんだけど)、訪ねるたび店名が空虚に響く。日本に、リベルテの概念は、実在しない。言葉の意味があるだけだ。あ、いや、パン屋さんに罪はありません、断じて。

フランソワ・オランドの掛け声に集結した、英独の首脳はじめアフリカや中東から首脳が集まり、みな腕を組んで横に並び、一緒に歩いている。こんな風景、初めて見る。なんだ、みんな、仲良くできるんじゃないか。せっかく集まったんだからちゃんと話し合ってよ。そして、とふと思う。アジアでのこの風景は可能か? 誰が掛け声かける? そこからもめそうだ。誰が誰の隣に並ぶかでまたもめそうだ。どこかの極右傀儡政権のソーリだと、たぶん誰も駆けつけてはくれないだろう。というより、集まってもらうような案件が起こりそうにない。攻撃してもたいしたダメージを与えられないところは、テロの標的にはならない。たとえばどこかの極右傀儡政権のソーリは「あ、沖縄ならいいですよ、いつでもドーゾ。東北でも全然オッケーよ。テロ、ウエルカム」とか言いそうだ。冗談でなく。しかしテロリストは、歓迎されるようなところは襲わないのだ。

パリ150万人、リヨン25万人、トゥールーズ15万人。ボルドーやディジョン、グルノーブル、メッツでも数万人規模、私の第二の故郷モンペリエでも7万人。
ロンドン、マドリッド、ローマ、ベルリン、コペンハーゲンなどでもデモ行進。ミュンヘンはどうなんだろうかと少し気になる。

行進する人々の様子を見ていると、家族連れ、友達どうし、カップル、さまざまに連れだって、いやひとりで参加した人も、おそらく隣り合わせた人と手を取りあって、Je suis Charlieの横断幕とともに、その言葉を大声で叫んでいる。ペンを掲げる人もいる。鉛筆のかぶりものをもってくる人や、色鉛筆を何本も手に持って両手を突き上げる人も。私はイスラム教徒だがシャルリだ。私は黒人だがシャルリだ。私はユダヤ人だがシャルリだ。そんなメッセージを書いたボードを首から下げる人、背中に貼って歩く人。
さっき、ラジオからはグランコールマラド(Grand Corps Malade、シンガー)の声が聞こえていた。歌詞に「Je suis Charlie」が組み入れてあった。

だれもが「シャルリ」を名乗った日。
Je suis Charlie.

お祭り騒ぎにまぎれて、また酷いことが起こらなければと思う。
捜査状況も報道されているが、犯人は3人とも射殺され、うち一人の内縁の妻は消息を絶っているとあって、彼らがいかにして襲撃するに至ったのか謎のままだ。その内縁の妻の身柄を捕獲しなければ、真相は闇のままだ。しかし、自死する可能性も高い。なんてことだろうと思う。恐怖は、居座り続ける。

返信メールをくれた友達の一人が、リンクを張ってくれていた。
2006年の映像だが、シャルリエブド編集部のミーティング風景だ。
http://iloveyougeorgiahubley.tumblr.com
この人たちは、もういないのだ。
ほぼみなが、銃弾に倒れた。
どれほど無念だったろうか。悔しさを感じる間もなかったかもしれないが……。
スタッフのペンからすらすらと、つぎつぎに風刺画が描かれていく。それはイマイチだよ。おおそいつはいいぞ。表情がピンと来ないよ。いっそ顔を隠せば。台詞を換えてみろ。……知性と才能にあふれた人々のつくりあげる、洗練された時間と空間がそこには在る。たしかに在る。なのに、もう二度と再現はできないのだ。映像が進みゆく。私は、泣いた。喪失の大きさに、あらためて打ちのめされて、泣いた。

Je suis Charlie2015/01/11 12:05:38

「あなたの身には何も起こっていないか」「心配している」「平穏な日常が戻りますように」

急ぎパリの友人たちにメールを送ったけれども、誰に対しても、同じような、たった3行しか書けなかった。私の友人は、幼児期に生き別れた父はアフリカ人だとか、配偶者が移民だとか、母親をチェルノブイリの影響で死なせているとか、パレスチナから留学してそのまま居着いて結婚したとか、両親はアルジェリアから引き上げたユダヤ人(仏国籍)だとか、あるいは左派の知識人だとか、そんな人が多くて、いわゆる由緒ある貴族の末裔とか財閥や世界に冠たるブランド企業の一族だとかそんな人とは縁がない。友人たちはみんなほぼ例外なく、(投票はしたけど)オランド政権に不満を持っており、人種差別を憎んでおり、ナチスを憎んでおり、ガザを攻撃するイスラエルを憎んでおり、中東を空爆する欧米の軍隊を憎んでいる。対イスラム国で正義の味方ヅラしてスクラムを組む列強にうさん臭いものを感じている。しかし、それ以上にテロを憎んでいる。だが友人たちの、ある対象への憎しみ、ある対象への共感はおそらく少しずつ温度差があるだろう。彼らそれぞれとの親密さの度合いとは別に、日本に住む日本人である私はあまりにも部外者だ。軽はずみに「Je suis aussi Charlie!」などというメッセージを送るのはためらわれた。あなたに何がわかるのよ、と言われたら何も言い返せない。何もわからない、正直。隣人がテロリストかもしれない、いつ銃撃が始まるかもしれない町に住む、その恐怖。

しかしそれでも、「Je suis Charlie」と言おう。週刊紙シャルリエブドの毎号一面を飾る強烈な風刺画は、現代の、生温い報道にしか接していない一般日本人には理解に苦しむものに映るかもしれないし、手が何本も生えたゴールキーパーの写真で放射能汚染を放置する日本政府を批判したフランスのテレビに「ひどい」「傷ついた」なんてカワイく反応する国民性だから、毒のある風刺画を「いきすぎ」という人がいたりする。だが間違えないでほしい。シャルリエブドは反イスラム主義でもなんでもない。シャルリエブドの風刺の対象は政府や権力、大国の横暴、極右など偏向思想、人種差別主義者、戦争やテロリズムだ。だからこそ、フランスじゅう挙げて誰もが「私はシャルリ」「私たちはみんなシャルリだ」「パリはシャルリだ」と叫んでいるのだ。

風刺画の役割はいくつかある。世知辛い世の中、低所得や失業に苦しむ庶民の心に一滴の潤い=笑いをもたらすためである。笑い飛ばさないとこんな世の中でやってけないぜ、そうだろ。また、平穏に見える日常に、実はいくつも問題があるよとそれぞれの足許、心の奥底で自問させるためである。モハメッドをちゃかした風刺画、ムスリムとシャルリエブドが相思相愛だと描いた絵、バイブルもコーランもトーラーもトイレットペーパーにして「流してしまえ」と揶揄した絵。これらを見て痛快な思いをするか、不愉快になるか、心がどう揺れるかで自分の深層心理がどの位置にあるかを気づかせてくれる。人は誰でも自分は差別なんかしないと思っている。だがほんとうにそうか? むしろ、大なり小なり差別感情を抱えているのがふつうの人間だ。平穏で退屈な日常に流されて本来持っている意識に自分自身で蓋をしているのだ。それは時に呼び起こされなければならない、何か起こったときに毅然とした態度を取るために。

フランス人たちは、全員が積極的にシャルリエブドの風刺を支持していたわけではないだろうし愛読者でもなかったはずだ。だが、今回の襲撃は、風刺(ユーモア)に食ってかかる大人げない行為であり、ひいては正面から正々堂々と批評するという行動への冒涜だ。シャルリエブドの風刺画家や執筆者たちは、実名を名乗り、ペン以外の武器は持っていなかったのだ。丸腰だったのだ。それを問答無用で銃撃し殺害したという行為は、なにがどうであっても許されない。

「こんな絵、描いたらあかんやろ」「そら殺されるわ」みたいな反応がナイーブな日本のお子ちゃまたちに見受けられる。日本では、形が違うだけで言論テロはすでに水面下で行われている。おそらくそんなことにも無頓着なのだろう。嘆かわしい。

Je suis Charlie.

極右政党の「国民戦線」のジャンマリ・ル=ペンは「ま、お悔やみ申し上げるが、私はシャルリじゃないよ」とはっきり言った。こいつもまったく、筋金入りの極右なわけだ。シャルリエブドにはさんざんけちょんけちょんに描かれてきたからザマアミロと思っているに違いないけど、はっきり言っちゃうところがどこかの国の極右傀儡政権のおぼっちゃまボスとは大違い。

テロリズムは許せない。10歳の女児を自爆テロさせたという報道があったが、若い命をもてあそぶ、純粋に信じるものにまっすぐ向かう若い心を手なずけて命を捨てさせる原理主義組織は断じて許せない。
しかし、である。
この殺戮の連鎖の最初の石は誰が投げたのか。
テロリストは中東への空爆をやめろというだろう。
ガザでの虐待、迫害をやめろというだろう。
お前が最初に殺したんだ。
互いにそんな台詞を投げ合っているのだ、世界は。
そのことをもう一度考えずには、何一つ解決には向かわない。

追悼集会にはイスラエルのネタニヤフも出席するという。前大統領のサルコジも(ま、こっちは当たり前だけど)。どんな顔して参加するんだ。

欧米はユダヤコネクションを憎んでいる。その根は長く、深い。
しかし、ユダヤコネクションに牛耳られてしまっていて、身動きできない。
ほんとうはユダヤ排斥を叫びたいけれど、大戦後はそんなことは露ほども言えなくなった。政治経済をがっちり支えているのはユダヤ人たちだからだ。ナチスに酷い目に遭ったのはほかでもないそのユダヤ人だからだ。イスラエルの振る舞いを見て見ぬ振りをせざるを得なくなった。その果てにイスラム教徒の反感を呼んだ。
しかし、石油権益のためにイスラム世界にもゴマを擦らなければならない。

憎悪と利権のスパイラル。出口は、ない。
このあと数十年もの間、私たちはただ、言い続けることしかできないだろう。描き続けることしかできないだろう。世界のあちこちで人々が殺し殺されていくのを横目で見ながら。

Je suis Charlie.

Penser et réfléchir. Ce sont seuls ce que je puisse faire.2014/12/17 23:57:14

相変わらず購読しているメールマガジン「チェチェンニュース」から抜粋、一部改行等編集して転載。

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差出人: チェチェンニュース編集室 mag2 0000093520 <mailmag@mag2.com>
件名: チェチェンニュース#443 最近の銃撃戦とグローズヌイ
日時: 2014年12月7日 6:09:43 JST

チェチェンニュース(転送・転載・引用歓迎)

12月4日に、チェチェンの首都グローズヌイで、ゲリラと治安部隊の戦闘がありました。日本語の報道でも流れていたので、知っている方も多いかと思います。10月にも大規模な爆破事件があり、不穏な情勢は続いています。
これらの件についてはそれ以上の情報はありませんが、最近チェチェン人から直接聞きとったインタビューをお伝えします。事件の背景や、今のグローズヌイの雰囲気が少しでも伝わるといいのですが。ご一読ください。(大富亮)

(中略)

■最近のグローズヌイ

チェチェンとヨーロッパを行き来している、ビジネスマンのチェチェン人、Dさんに話を聞きました。ちょっと尻切れトンボになってしまいましたが、情報として紹介します。

チェチェンニュース(以下CN):10月5日にも、グローズヌイで爆破事件があって警察官5人が死亡しましたが?

Dさん(以下D):その時、たまたまグローズヌイにいました。大きな爆発音が聞こえたけど、「男が外に出たら危ない、すぐ拉致される」と言われて、家の中にずっといました。
 カディロフ首長の誕生日で、いろいろな有名人を呼んでイベントをやっていました。クリミアから政治家も来ていましたね。その最中の自爆攻撃だから、カディロフはかなり恥をかかされたわけですが、「祭りは祭りだ」とか言って、続けました。その後花火の打ち上げもあったみたいだけど、さすがに警官も殺されているのに、それはないだろうと、警察関係の人たちは怒ってましたね。

CN:チェチェンでのビジネスの可能性はありますか?

D:チェチェンと今の国の間でビジネスができないかと、いつも考えながら行くんですが、人は消されたりするし、とても生活できないから難民化して出ていくし、政府の腐敗はひどい、とてもこれじゃ仕事になりそうにありません。今は、ただ家族や親戚の顔を見に行っているだけです。
 外からチェチェンに出入りしている僕みたいな人間は、いつもマークされてます。比較的カネも持っているし、カディロフにとって危険人物ではないかどうかが気になるんです。反抗しそうだったら、カネを取り上げたり、殺したりします。

CN:「イスラム国」にチェチェン人がいることが時々話題になりますが……

D:ヒゲを生やしたり、ヒジャーブを被っているだけで、イスラム過激派とみなされて逮捕されます。こんなひどい状態だから、人がどんどんトルコとかヨーロッパに逃げています。シリアでイスラム国(IS)に入っているチェチェン人は1,500人くらいいるとか。この人たちはほとんどヨーロッパ経由ですね。イスラム国の上の方の人たちが言っていることは正しいような気がするけど、実際に下の方の人がやっていることを見ると、ちょっとどう言っていいのか……。
 どちらにしても、シリアのチェチェン人たちからのビデオも結構ネット経由でチェチェンでも流通しているし、カディロフとしては、そういうところで訓練したチェチェン人がチェチェンに帰ってきて、反抗することを真剣に恐れているようです。

CN:最近、気になったことは?

D:今回、すごく面白いと思った話なんですが、リズワンなんとかさんという歴史家が、『チェチェン史』という本を書いて、出版したそうです。その本には、今のチェチェンのことも書いてあって、「今、巨額のお金をかけてスキー場などのリゾート施設や、グラウンド、音楽ホールが作られているが、この投資の本当の目的は、チェチェンのためではなく、全部揃った頃にチェチェン人を追い出して、ユダヤ人に入植させるためだ」という意味のことが書いてあったみたいなんです。
(中略)
 どちらにしても、この話は「いかにもありそう!」という感じでチェチェン人に受け止められてますよ。ユダヤ人? 昔はいましたよ。ドゥダーエフが政権を取る前は、グローズヌイの街にユダヤ人の町もあって、それが今のグローズヌイ・シティのすぐ近くです。このやり方、巧妙だと思いませんか? カディロフみたいな、バカなチェチェン人にたっぷりカネをやって、内戦で社会をめちゃくちゃにして、チェチェン人を追い出しながらも、その国自体は住みよいように改良する。時期をみて乗っ取る……。

CN:そういう公共事業もカディロフがらみですか。

D:もちろん。カディロフは相変わらずひどいですよ。ものすごいカネを持ってる。モスクワからくる復興資金の40%は、そのままモスクワに戻っていくんだけど、そこからリベートを取っていて、自分では何のビジネスも出来ないけど、金はたまる一方です。
 チェチェン中で働く人の給料からピンはねをしていて、自分の基金に入れさせます。カネをね、ルーブルとかドルじゃなくて、「トン」単位で計算して取引してる。それをドバイに空輸して、預金する。これもロシア政府が黙認しています。何にも使い道がないので、カディロフの取り巻きたちはフランスのニースに
行って超高級外車だとか、クルーザーを乗り回して遊んでます。
 チェチェンでは、カディロフツィ(カディロフ一派)が道を走るときには、何時間も前から道が塞がれています。本当に人の命が軽いから、カディロフツィの車に道を譲らなかったり、万が一かすったりしたら、すぐ銃で撃たれます。

(中略)

CN:虐待の情報はありますか?

D:拉致されると、ひどい虐待に遭います。家族を目の前でレイプすると脅されることも多いし、卑猥な言葉を浴びせられて屈服させられることを、チェチェン人は何より嫌うんです。ある知り合いは「もう何もかも嫌だ」と言って、ジャケットの下に銃を隠して歩いていました。自殺用? 違います。チェチェン人は自殺だけは絶対にしません。街でカディロフツィとトラブルになったら、それを乱射して、できるだけ相手を殺してから、自分も撃たれるつもりなんですよ。
 グローズヌイで、知り合いの2人兄弟が、家の前でちょっとカディロフツィとトラブルを起こしただけで車のトランクに押し込められて、行方不明になってしまったんです。3,4日してから、また家の前で放り出されているのが見つかったんですが、その時には大ケガをしていました。

(後略)

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チェチェンを追ってもう何年も経つ。敬愛していたアンナを殺されて、信じていい情報が何もないように感じられた時期もあったが、このメールマガジンのように、今なおチェチェンをウォッチングして伝えてくれる媒体がある。チェチェン人として誇り高く生きようとしている人びとを支援する動きは絶えない。頭が下がる。

それはそれとして、今回のDさんの談話を読んでいて、たいへん近しいものを感じたのだが……これはとてもよくない兆候だな?

私は、チェチェンでの出来事はなかなか日本人には理解しがたいものであり、ロシアという大国の底知れない不気味な力の、氷山の一角ほども実感できない現状では日本人が何をわーわー騒いでも何の力にもならないだろうと思っていたし、今でも思う。だから、アンナの本に書いてあること以上の情報を探し求めようとも思わなかった。
ふつうの人びと、町や、村で、働いて給料を得ている労働者、その家族、子どもたち、乳飲み子を抱える母親、息子や娘の世話になって余生を送る老人たち、そういう人たちが困窮して難民化し四方八方の国々へ逃げている。故郷ではもはやふつうには生きていけないのだ。いきさつはどうあれ、ふつうの人びとがそんな目に遭っているという事実だけでじゅうぶんだった。大国の利害が絡んでいるとか、スパイが暗躍しているとか、それはそうだとしても、傷つき、困窮しているのはふつうの人びとなのだ。
マララさんじゃないけど、子どもには学校が必要だ、学びの場所、子どもどうしが接触しともに育つ場所としての学校が。だからチェチェン支援活動の中でも、子どもたちの学びを支援している団体に協力するというかたちで、チェチェンとチェチェン人を見つめてきたのだった。インターネットを介して見たチェチェンのあどけない子どもたちは、無事でいればもうとっくに成人して、理不尽な場所に生をうけたことを呪っているかもしれないが、それでも顔を上げて希望を失わず、地球上のどこかに生きる甲斐を見いだして、地に足つけて生き延びているに違いない。

……と、このようなことは、地球の反対側で起こっている辛く悲しい出来事で、私たちにはなかなか、直接寄与することはできないし、また自分のこととして実感を持って見聞きし、語ることは難しいと思っていた。

だがDさんのいう「バカなカディロフ」を「アホなアベシンゾー」と置き換えたら、一気に、日本の近未来を語るインタビューに変身した。
アホなアベシンゾー政権は、まさに米国の傀儡政権なのだと言ってしまったら、話はとてもわかりやすくなる。
日本は米国に従属している、とか、日本は米国の植民地状態だ、という言いかたは、形式上はそうではないことになっている以上、ある種の人びとには腑に落ちない表現に違いない。でも、傀儡政権なら、簡単だ。辞書に載ってる意味のとおり。
そう、要は傀儡政権なのよ。今、アホのアベシンゾーが傀儡政権を始めたわけじゃない。第二次大戦後、日本はずっと米国の傀儡政権だった。でもそうじゃない振りをしてきたし、表向きはそうじゃないように振る舞うことを、米国も、日本にある意味一目置いて認めていたんだけれど、数年前から傀儡政権であることを恥だともなんとも思わない世代がボケナスジミントーに台頭してきて、いままさに傀儡政権万歳と言い兼ねない史上最低のドアホウが政権に居座っている。とそういうことである。

チェチェンの惨状は、日本の未来を映している。
バカをいいなさい、そんな、チェチェンのような小国と一緒にしてはいけないよ、日本がこんなことになるわけはないよ。だなんて、断言できるのか、この国の良心ある市民は?

「こんなこと」にならないように、できることはある。

思考し、熟考することだ。真剣に。

Idiot...2013/11/19 12:01:00

(写真は「田中龍作ジャーナル」11月18日より)


東日本大震災の混乱を収拾できないお子ちゃま内閣でおろおろしていた民主党をののしり、自民党のほうが何倍もましだと声高に発言していた人がたくさんいたが、この事態になっても、いまなお本当にそう思っているのだろうか? 民主党はほんとうにスカポンタンだったけれども、それでもジミントーの数万倍ましだった(注:野田が首相になる前まで)。混乱は続いただろうし、福島原発が危険であることは同じだろうし、列島の汚染が進むのも同じだろうし。だけど、憲法改悪や秘密保護法なんて話は出なかっただろう(わかんないけど)。お子ちゃまなりに、もうちょっとバカ正直な政治をして(わかんないけど)、おめーらあほやろーと多方面からいわれながら、でも、やってることはこっち(国民)の側からはよく見えたんじゃないか。……ま、わかんないけどね。なんたって「亜ジミントー」だからな。「自由民主党」の「自由」を取っただけの党名だもん、ジミントーのできそこないだったわけだよ、といったらジミントーのほうが「できてる」みたいにきこえるだろうけど、「悪党」より「悪党のできそこない」のほうがましだ。

反対の声を挙げなくてはいけないんだよ、アホアベのやってることすべてに。アホアベの存在自体にもNOといいたい。気持ち悪い。今、自分の人生で最悪、この国。


ではいくつか引用。

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「田中龍作ジャーナル」11月18日
http://tanakaryusaku.jp/2013/11/0008221

そして、メディアは日本を戦争に導いた
2013年11月18日 17:37

昭和の暗い時代と似てきたことに二人は警鐘を鳴らす。

「背筋が寒くなると同時にマスコミに怒り」。歴史に詳しい2人の作家(半藤一利、保阪正康両氏)が対談した『そして、メディアは日本を戦争に導いた』(東洋経済新報社刊)を読み進めるうちに、こうした思いがこみ上げてきた。

同著は半藤氏が自民党の改憲草案に愕然とするところから始まる―
表現の自由を定めた憲法21条の1項は原行憲法と何ら変わりない。だが「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」とする第2項が新設されている。
半藤氏はこれを報じた新聞をビリビリと引き裂いてしまった、という。その怒りを次のように説明する―

「公益」「公の秩序」とはいくらでも広げて解釈が可能である。要するに「権力者」の利益と同義であり、それに反するものは「認められない」。すなわち罰せられる、弾圧されることは明らかだ。昭和史が証明している。
改元から昭和20年8月15日までの昭和史において、言論と出版の自由がいかにして奪われてきたことか。それを知れば、権力を掌握するものがその権力を安泰にし強固にするために拡大解釈がいくらでも可能な条項を織り込んだ法を作り、それによって民草からさまざまな自由を奪ってきたことがイヤというほどよくわかる。権力者はいつの時代にも同じ手口を使うものなのである。
改憲草案の9条2項は「国防軍創設」を明言し、集団的自衛権の行使を可能にする。不戦の誓いである憲法9条を戦争ができる条文に変えているのが、改憲草案の真髄だ。安倍政権の真骨頂でもある。


11日、TVキャスターたちが「秘密保護法反対」の記者会見を開いた。筆者が「遅きに失したのではないか?」と質問すると、岸井成格氏(TBSに出演/毎日新聞特別編集委員)は「こんな法案がまさか通るとは思っていなかった」と説明した。
ベテラン政治記者の岸井氏が、自民党の改憲草案を読んでいないはずはない。安倍晋三首相のタカ派的性格を知らぬはずはない。

半藤氏と保阪氏はメディアの戦争責任を厳しく追及する。軍部の検閲で筆を曲げられたと捉えられているが、そうではない。新聞は売上部数を伸ばすために戦争に協力したのである。
日露戦争(1904年~)の際、「戦争反対」の新聞は部数をドンドン減らしたが、「戦争賛成」の新聞は部数をガンガン伸ばした。日露戦争開戦前と終戦後を比較すると次のようになる―

『大阪朝日新聞』11万部 → 30万部、
『東京朝日新聞』7万3,000部 → 20万部、
『大阪毎日新聞』9万2,000部 → 27万部、
『報知新聞』  8万3,000部 → 30万部
『都新聞』   4万5,000部 → 9万5,000部

いずれも2倍、3倍の伸びだ。半藤氏は「ジャーナリズムは日露戦争で、戦争が売り上げを伸ばすことを学んだ」「“戦争は商売になる”と新聞が学んだことをしっかりと覚えておかねばならない」と指摘している。

半藤氏はとりわけ朝日新聞に厳しい。満州事変が起きた昭和6年当時に触れ「朝日新聞は70年社史で“新聞社はすべて沈黙を余儀なくされた”とお書きになっているが、違いますね。商売のために軍部と一緒になって走ったんですよ」と。
『大阪朝日』は満州事変直後までは反戦で頑張っていたが、不買運動の前に白旗をあげた。役員会議で編集局長が「軍部を絶対批判せず、極力これを支持すべきこと」と発言した。発言は憲兵調書に残っている。会社の誰かが憲兵に会議の内容を渡した、ということだ。

「民主主義のために新聞・テレビが戦っている」などと ゆめゆめ 思ってはいけない。ブッシュ政権のイラク侵攻(2001年)を小泉首相が支持すると、日本のマスコミはこぞって戦争賛成に回った。
国民に消費税増税を押し付けながら、自らには軽減税率の適用を求める。これがマスコミの実態だ。彼らは部数を伸ばし視聴率を上げるためなら、国民を戦争に導くことも厭わない。

(出典:『そして、メディアは日本を戦争に導いた』より)
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下記リンクも読まれたし。

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「レイバーネット」
国会前で「秘密保護法反対」座り込み始まる~新社会党が呼びかけ
http://www.labornetjp.org/news/2013/1118shasin
「Finance GreenWatch」
スイスメディアも日本の特定秘密法案に懸念
http://financegreenwatch.org/jp/?p=38379
「かっちの言い分」
ばかな自民党の補完野党が、戦後最大の悪法制定に加担する
http://31634308.at.webry.info/201311/article_15.html
「カレイドスコープ」
秘密保護法案21日にも衆院通過か、そのとき自民党も終わる
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-2484.html



「村野瀬玲奈の秘書課広報室」11月19日
「みんなの党」が特定秘密保護法案成立に向けて自民党に協力。「みんなの党」に抗議したい。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-5024.html

(抜粋)

「みんなの党」が自民党に協力する「合意」がなされたと報道されています。みんなの党は自民党と違いはないと思っていましたからそんなに驚きはありませんが、「残念」です。それに触れたツイートで、同意できるもの、私が気づかなかったことを指摘していたものをメモ。

Pumpkin King @japanwings
みんな反対してるのに、どこらへんが「みんなの党」なのでしょうか?

はたともこ @hatatomoko
みんなの党が秘密保護法案で自公と修正合意、賛成するとの報道。首相が特定秘密の指定・基準作成など「首相が指揮監督」の修正内容。右傾化・軍国主義化の張本人・安倍総理が監督すれば、改善どころか改悪!みんなの党の山田太郎・川田龍平参院議員は反対勉強会の呼びかけ人。一体どうなっているのか。

Shoko Egawa @amneris84
この報道が事実なら、みんなの党は終わりですにゃ。官僚支配の打破を言いながら、官僚の情報支配を促進する法律に協力するとは。 →秘密保護法案:与党とみんなの党 19日大筋合意の見通し

徳永みちお @tokunagamichio
プライムNを見ていたら、みんなの党の浅尾が、特定秘密の指定を「政府」ではなく「首相」が定めるとした案を提示して特定秘密保護法案に賛同するとアホな事言ってたけど、、それって首相の胸三寸で、どんな倒閣運動も特定秘密違反ということで公安を使って阻止出来るようになるということじゃん!

ジャーナリスト 田中稔 @minorucchu
特定秘密保護法案の修正協議。けさ、NHKで安達宜正解説委員が指摘した通り、みんなの党が与党と合意する方向になった。ただ、衆議院の採決はこれから。参議院もある。反対世論を盛り上げ、廃案に。民主主義を守る戦い。

renbou-T @renbouT
秘密保護法案の「修正」協議でわかったことがある。法案を自公は胸を張って語れないのだ。だから法案成立にむけた共同戦犯が必要なのだ。国民の圧倒的な共感・支持を得られず成立させられる法律は法律と呼べるのか。与党がどんな形で法案を強行しようとも、必ず大波乱がおきる。

満田夏花 @kannamitsuta
本日、40人の市民が、みんなの党を中心に議員事務所まわりをまわり、「妥協せずに、反対を!」と訴えました。
明日(11/19)もやります!
⇒ ☆市民500人で国会に行こう!☆ STOP!! 秘密保護法 みんなのアクション

深草 徹 @tofuka01
特定秘密保護法案、自民、公明には反対を、みんな、維新、民主には部分的修正で成立させてはならないことを一人ひとりの創意と工夫で訴えましょう。この1週間、インターネットの力で生まれ変わりつつあるグラスルーツ・デモクラシーの輝かしい成果を歴史に刻みつけるべく頑張ろうではありませんか。

キレネンコ 特定秘密保護法案にNO @YumGreens
正念場です。みんなの党本部に明日の朝行ける人は行きましょう。
みんなの党は、自民の〝補完勢力〟として、秘密保護法を明日採決しようとしています。もう声を上げるのが明日しかないのです。

社民党OfficialTweet @SDPJapan
【秘密保護法案 廃案しかない】
秘密保護法案に反対する超党派国会議員の街頭宣伝が13日、東京・有楽町で行なわれ、社民、民主、共産、生活、新党大地各党の議員が参加した。
(社会新報11月20日号)


さらに重要な指摘を追加。


ののまみ 秘密保護法反対を議員に伝えよう @nonomami
フクイチ4号機燃料棒取り出し・・・わざと秘密保護法とぶつけてくる・・・同時多発で情報操作。秘密保護法のニュースが消える・・・これぞ「静かにやろうぜ」の<ナチスの手口

兵頭正俊 @hyodo_masatoshi
御用メディアの4号機の伝え方は、典型的な愚民観に基づいている。つまり取り出し作業が失敗したときに愚民どもに非難されないように、ニュースとしては流す。しかし、愚民どもがパニックに陥らないように、真実は語らない。これが、特定秘密保護法案を先取りした「公益を図る目的」の報道なのである。

FUJII Hiroyuki @fjhiro3
戦前も大政翼賛会化して民主主義が破壊されたわけだがまた繰り返すのか。「公明・維新・みんな」の罪は重い。
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数日前の、愛するウチダのツイート。

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内田樹 @levinassien
電話取材で「小泉元首相の脱原発発言をどう思うか?」アンケート。小泉さんがフィンランドに行ってそこで放射性物質処理の難しさを知って反原発に転じたというストーリーを本気にしているジャーナリストがいるとしたら、よほどナイーブな方でしょうとお答えしました。

内田樹 @levinassien
フィンランドに行くまで放射性物質の処理の技術的困難さについて「知らなかった」政治家が日本の原子力行政のトップにいたという話を信じる人がいることが僕には信じられません。彼は「複雑な問題を単純な問題に還元する」政治技術の達人です。そのことをみんなもう忘れちゃったのかな。

内田樹 @levinassien
かつては靖国神社公式参拝の有無に外交問題を縮減して「首相が靖国に行くかゆかないかを世界中が固唾を呑んで見守る」という特権的状況を作り出しました。その次は日本社会のすべてのシステム不調を「郵政民営化されていないからだ」というシングルイシューに還元して選挙に圧勝しました。

内田樹 @levinassien
複雑な政治的ファクターをわかりやすいシングルイシューにとりまとめて、それを仕上げて「すべては解決した」と言い切って、ほんとうの問題から国民の目をそらせるように仕向ける技術において、小泉さんは天才です。たいしたものです。今だってすべてのメディアが手のひらで転がされている。

内田樹 @levinassien
今の問題は「最終処理場があるのか、ないのか」だけに縮減されました。「ない」なら原発を止める、はい、おしまい。それまでの原子力行政のすべての失態と犯罪的行為についてはさらりとスルー。「処理場がある」なら原発再稼働を阻害する理由は何もない、という話になります。

内田樹 @levinassien
安倍自民党のアイディアは、小泉反原発をレバレッジにして原発問題を「ゴミ捨て場の有無」に縮減し、「捨てる場はある、だから原発再稼働に問題はない」という結論に世論を誘導することだと僕には思えます。どこにあるのかって?安倍さんが「完全にブロック」したがっているあそこですよ。

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まったく、いったいどこのどなたさんたちがジミントーを支え続け、アホアベを育てて担ぎ出し、またしてもジミントーを勝たせて、第二次大日本帝国へと突き進ませているのか。ジミントー支持者たちに唾吐きたい気分だが、その唾は私自身に跳ね返る。この事態は私たち全員の怠慢の賜物だ。だからこそ、いまはなにがなんでも反対の声を挙げなくてはならない。

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「原発隣接地帯から: 脱原発を考えるブログ」
β線汚染物質、明らかに海へ
http://fkuoka.blog.fc2.com/blog-entry-971.html

「JANJAN Blog」
子どもたちに負の遺産は残せないー熊谷あさ子さんの遺志ー
http://www.janjanblog.com/archives/103763

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下記は少し前のエントリーだが、いま一度読み返したい。

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「福島 フクシマ FUKUSHIMA」
汚染水より深刻  使用済み核燃料の取り出し ――収束作業の現場からⅡ
http://fukushima20110311.blog.fc2.com/
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今朝の新聞には燃料棒取り出し!と嬉しそうな見出しが躍っていた。なんだか「できたよママ!」みたいな。しかしとてつもなく危険なのだ。危険は危険なのである。国は知っているのだ。再度村野瀬さんち。

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「村野瀬玲奈の秘書課広報室」
関東以北への「警戒」
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-5025.html

これは一つの重大な警告。

ケイシー まつおか @Casey_Matsuoka
危機管理会社より連絡がありました。
18日から2週間、警戒レベルが上がります。
「火急の用以外の東北・関東へ渡航自粛」から
「関東以北への全面渡航自粛」に。
子供がいるアライアンス企業従業員に
家族の帰国を勧め、帰国できない場合も
すぐに出国できるよう常時準備を要請されています。
2013年11月17日 5:34 AM

ケイシー まつおか @Casey_Matsuoka
【緊急のお願い】
大地震、原発事故の被害状況は
まず在日米軍、在日公館、主要外資系企業に
伝達されます。
地震発生時は在日米軍の動きにご注目下さい。
また、外資系企業のお知り合いのご家族からも
情報を収集して下さい。
3日分の食料・飲料水・防寒具・薬品等の
ご常備もお願いします。
2013年11月17日 5:44 AM


なぜかといえば、『東電福島第一原発の燃料棒取り出し作業には人類史上最大級の危険が伴うと思った方がよいのか。 (4)』で書いたことが理由と考えられます。

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この警告を押さえつつ、騒ぎに乗じどさくさにまぎれて全部やりたい放題しようとするアホアベ一味を放置してはならない。ったく、サイテー。

C'est l'âge de plaisir, soixante-dix-sept ans!2013/11/14 22:06:00

色づく室町御池。


色づくミュンヘン。


母の誕生日。


今年の誕生日で満77歳になった私の母である。
喜寿の祝いは数えでするべきだったけれど(喜寿に限らずこういうのはなんでも数えで祝うのが日本の慣わしだが、十三詣りくらいまでは数え年で祝うのよということを覚えていても、成人式あたりから数えだろうが満だろうがどうでもよくなり、人生が下り坂になると歳をとることにそんな先取りをするのを嫌うもんであるから)、去年はそんなこと露にも思わなかった。去年の秋、母は白内障の手術を受けた。さらに、だんだん足の具合がよろしくなくなってきて介護サービスを受けるための手続きに、私たちは追われていたところだった。正確に述べると私が追われていたのは仕事に、であって、手続きに追われていたのは弟嫁である。一緒に暮らしていながら、ほんとうに私ときたら毎日のルーティンホームワークが精一杯で、プラスαには何もできなかったのであった。私はこう言ってはなんだがそのへんの中途半端なサラリーマンの半分くらいしか給料はもらっていないけれど、彼らの100倍くらい忙しいのである。ひとり娘はバレエで生きていくことをおっかなびっくりながら決意した頃で、発表会やコンクールや、毎日のひとつひとつのレッスンの準備を、私におんぶにだっこ状態からなんとかひとりでこなさなくてはと試行錯誤していた。はっきり言って、足元の覚束ない母がよく転倒していたとはいえ、生来頑健にできているのでそれまで怪我に及んだことは一度もなかったし、怪我といえばよほど娘のほうが怖いのであった。一日も休めない状況の中ではささいな負傷が致命傷にもなる。毎日、娘の食事と体調管理と、疲労回復の手助けに私の時間と精神は費やされていて、その空き時間全部会社の仕事につぎ込んで、ごく稀に空く隙間風のような数分間を、母の様子を見るのに使ったくらいであった。弟夫婦とて笛吹けどちっとも勉強しない(笑)ひとり息子に手を焼いていたし気がかりでもあったに違いないけど、それを放置して、母の健康と身の回りのもろもろをよく見てくれていた。母がひとりでいる平日の日中はどちらかが来て、母に顔を見せてくれていた。そんななかで通過儀礼のように母の76歳の誕生日があり、75歳の時には後期高齢者になっちゃったねなんて笑っていたが、76歳というのはそれに1足したくらいの感慨しかなく、たぶん本人も、喜寿の祝いはまったくと言っていいほど思いつかなかったのである。

喜寿というのは、「喜び」という字の旧字が七十七と見えることに依るのだが、「77」とアラビア数字で並べても、たいへん喜ばしいものに見えるではないか。二つ同じ数字が並ぶのは、どの数字でもぞろ目といって縁起がいいけれど、「7」だとなおさらである。これでもうひとつ7がくっついて「777」になると誇り高いパチンコ文化の国の住民としては大勝利を想像せずにはいられない。野球では7回になると表でも裏でも風船が飛ぶし、サイコロの目は表と裏を足せばどれも答えは7だし、カラスは七つの子があるから啼くのである。
関係ないが、70年代後半をティーンエイジャーとして青春を謳歌した私は、77年というとピンクレディーの曲の中でも一等好きだったカルメン77とか、ジュリーの憎みきれないろくでなしとかが口をついて出てくる。くそ読売の中でたった二人例外的に好きだった王選手(もうひとり好きだったのは高田選手)のホームラン世界記録もこの年だったはず。
でも私は、数字は7より8のほうが好きで、いちばん好きな数字はなぜか5である。さてなぜでしょうか(笑)。当てたらエラい〜


母は27歳で結婚した。父が生きていれば金婚式を祝えたのになあ(親が金婚式だあ、なんて歳月を重ねたということは、私もそういう年齢になるのである)。しかし、今となってはたぶん母ももうどうでもいいと思っているだろうが、母は父との人生、幸せに満ち満ちていたとは言い難い。そんなもん50年もべったり一緒にいたとして何の嬉しいことがあろうか。娘を助けて世話をした孫も外国に行ってしまったことだし、母は今、それなりに身軽になった日々をスルメを噛むように楽しみたいと思っているはずだ。大事にしている植木と猫の世話を以前のようにできるようになりたいし、できればもう少しひとりであちこち出歩けるようになりたいであろう。母に母らしい日常をプレゼントし、「ああいっときより少し若返ったやろか私」みたいな喜びをたとえわずかな時間であっても感じさせるために、共生する私自身も、生きかたを少し修正する時がきたと思っている。

“Il était une fois, une catastrophe…”2013/03/11 17:53:52


La chaine humaine a rassemblé 20 000 personnes selon les organisateurs, 4 000 selon la police. | AP/Remy de la Mauviniere
La chaine humaine a rassemblé 20 000 personnes selon les organisateurs, 4 000 selon la police. | AP/Remy de la Mauviniere



2年前、私は何を考えていたんだろうとふと思い、マイブログのアーカイヴから抜粋してみた。……2年前に考えていたことと、今と、突き詰めれば同じことを考えている。同じことを願っている。自分自身も、けっきょく変わっていない。だが、惨状のなか、歯を食いしばって前を見て歩けた人と、何もかも失くして絶望に打ちひしがれたまま時が止まってしまった人との、生活環境の差は開くばかりだ。
 *
2011/03/13 01:15:15
ずっとラジオをつけっぱなしにしている。いつもインターネットで聴いているRadio France Internationaleである。15分ごとにニュースが更新されるが、必ず日本の地震と津波の最新情報を伝えてくれる。
地震が起きた時、私の町は震度3だったそうだが、私は出張先で取引先の営業さんが運転する車で移動中だったので何も感じなかった。地元に帰りJRの駅に降り立つと、新幹線乗り場方面がただならぬ人だかりで、また人々の表情は一様に険しく、なにがしかの異常事態が起きたということがわかった。間もなく駅のアナウンスが東北に地震があったために新幹線が運休となっていることを告げる。それはもう何度も繰り返されているらしいアナウンスだった。東北って、そんな遠いところの地震のために全線ストップしちゃうなんていったいどんなに大きい地震だったんだろう。とりとめもなく思い巡らしながら帰社すると、東京に家族のいる社員たちが「電話が全然つながらない」といって青い顔をしていた。
東京の混乱ぶりを把握でき、社員の家族たちの安否も確認できたが、インターネットには大津波の映像が配信されていた。それは仙台空港を飲み込む瞬間の映像だった。明らかに悪意をもった黒い泥波が、人間の築いたものを食いつくそうとするかのように、牙を剥いて襲いかかった瞬間だった。
とんでもないことが起きている。
内陸に住む私たちは、紺碧の空と海への憧れは強いがその怖さを想像することができない。波は海底の震動によって巨大になりどんな遠方からでも勢いを保ったまま陸地へ到達し道も家も人も飲み込んでしまえる、そういうものであることに、思いが行かない。
火災も発生した。
1995年の地獄絵のような映像が瞬時にして甦る。
どうか早く鎮火して! などといくら願っても祈っても届かないのだ。
気になるが、金曜は一日出張先にいて、社内での仕事が山のように残っていたので、まずはよそ見をせずに黙々と原稿を捌いていった。
帰宅してマイMacのメールを開けるとフランスからこちらの様子を心配するメッセージが届いていた。
1995年のあの日の翌日も、遠方からたくさん電話をもらった。高い電話代をものともせずに皆かけてきてくれた。数時間もの間まったく電話がつながらなかったので、私も神戸の友人につながらなかったし、私にかけようとした人たちも何度も試みたようで、ようやく私の声を聞いたとたん電話の向こうで大泣きする人もいた。
あの時も、今回も、同じだ。
私や私の町を案じてくれるその気持ちは痛いほど嬉しい。
が、私たちには何も被害がない。
「大丈夫だよ」
とのこちらの声に
「ああ、よかった!」
と心底安堵してくれるその言葉に複雑な気持ちになる。なにも、よくなんかない。問題は「ここ」ではない。何も喜べない。
自分が書くことをなりわいとしていることに、とてつもなく無力感や虚無感を覚える。ここでこうしてぐだぐだ書いていて、どうなるというのだ。誰ひとり救えはしないのである。どんな傷も癒すことはできないのである。何も、前に進められないし、何も、受けとめることができないのである。
身を挺して被災地のために働く人々に、神よ、力を!

2011/03/16 01:46:47
昨日、卒業式だった。
こんなときだけれど、子どもたちには心の底からおめでとうを言ってやりたい。この日を無事に迎えることができたことを、素直に、心から、喜びたい。
式典に先立って、全員で、今回の災害で亡くなった人たちに黙祷を捧げた。
また、卒業生を代表して元生徒会長が述べた答辞では、命の尊さを肝に銘じて……と、東日本の大地震に触れていた。
(……)
子どもたちが大人へのステップをのぼろうとするときに、こうした事態を見聞し考える機会を得ていることは、当事者の方々にはたいへん不謹慎で申し訳ないけれど、成長の糧にはなると思っている。願わくば、子どもたちが大人になり、それぞれの場所で役割をもち、社会に何らかの貢献をするときには、十代のときに自分の国を襲った未曾有の大災害にうつして、人事を尽くせる人になっていてほしいと思う。
おめでとう。この春卒業を迎える子どもたちみんなへ。
おめでとう。さなぎ。

2011/03/18 22:21:37
一日がすごく長い。
(……)
自分の時計が被災地情報で刻まれるので、被災者の置かれている状況に変化や進展が見られないと長く感じるのである。
(……)
普通に寝て起きて、洗濯して食事つくって、いつものようにコートを着込みマフラーと手袋を着け、自転車にまたがって職場へ向かう。原稿を急かすクライアントに心の中で舌打ちしながらもう少し待ってと懇願したり、今たいへん混んでましてと言い訳したり。そんな、ともすればチキショーバカヤローとわめいてばかりの日常がいかに幸せなものかを改めてかみしめては、いる。
いるが、それでも私には私の、まったくもって憂鬱にさせてくれるさまざまなモンダイが、眼前に数え切れないほど多くのハードルとなって立ちはだかってくれる。私は家も流されていないし、原発からも遠いし、現状に文句を言う筋合いは何もないかもしれないが、手に負えない、私ひとりでは解決に程遠い難題をいくつも抱えている。
(……)
母親は目に見えて衰えてきている。病気ではないが、いろいろとよく間違えたり忘れたりすることが多くなった。このことはもう数年来起こっているのだけれど、運動能力の低下は顕著で、やはり歩けなくなると外に出るのが嫌になるし、外に出ないと刺激がないので記憶力やコーディネート力が低下する。そんなわけで任せていたいろいろなことを任せられなくなり、といって何もさせないわけにもいかないのでできることとできないことをこちらで調整してやってコントロールしながら、できることはできるだけこなしてもらわなくてはならない。そんなに複雑でも難しくもないことなんだが、いかんせん私に時間がないのでじっくり検討する機会がないのだ。てことはつまり、母が担ってくれていた家事はなし崩し的に私の役割と化しており、まったく毎日一秒だって家では座っていられない。
娘は何でもひとりでできるようになったが、とりあえずオカネのかかるヒトなので、もっと副収入が欲しいのだけれど、現状では家で一秒も空いた時間がない。これではスーパー闇仕事も請けられない。
(……)
食糧確保もままならない被災地の皆さんを思うと、贅沢な難題だとはわかっているが、だからといって放棄できない。はあー。と、眼前の山積み問題あるいは無数のハードルってやつのひとつふたつを披露してみた。ま、がんばるさ。とりあえず私は母親で世帯主だからさ。

2011/03/19 22:47:43
パリの猫屋さんブログを読むと、リベラシオン紙によると《フランスはアレヴァ・EDFなど原発企業が所有する130トンに及ぶ核対応特殊マテリアルを日本に送る予定》なのだそうだ。つまり原子力のプロたちが「これ使いな」と困ったときのお役立ちツールをくれるというのだけど、原発事故からこっち、嫌というほど感じたのは、日本ってほんとアマチュアなのね、ということだ。原発なんて、一介の電力会社がやることじゃないんだろう。発電には違いないけど、扱うものは核である。核兵器を長年研究して開発して実験して、なんてことを専門企業がやっているような国とは、その実力においてプロ野球と草野球、いや三角ベースほども差があるのだ。
フランス語でニュースを読むといったって、難しい話になると辞書を引いたってわからないし、そんな暇はないので見出しだけ見て何を報じているかだけを目で追う程度のことしかしていないが、フランスは原発大国なのでおのずとその記事が多数を占め詳細になっていることはわかる。連日リアルタイムで原発の様子をレポートし、詳しい図表をつけたりしている。国内紙の記事を読むよりよほどわかりやすかったりする。
私には、放射能のほんとうの怖さはわからないし、国内にわかっている人がいるとも思えない。私たちは被爆国の国民だけど、そのことと、原子力発電によるエネルギー生産とは次元が違うと考えてきた。みんなそうだったはずだ。
日本では、「だからいわんこっちゃない」的な論調が目立つように思うがどうだろう。「世界唯一の被爆国が原発をもつなんておかしい」とか「地震国で津波の恐れもあるのに沿岸部に原発建てて」とか「そもそも東電の隠蔽体質がこの事態を招いた」とか。いちいち正論だが、けっきょくは犯人探しにすぎない。犯人なんかいないのに。要は私たちみんな身の程知らずの未熟者だったわけだからここは大人のいうことを聞きましょう、プロの助言を容れましょう、ということを、それなりの立場にある人にいってもらいたいし、そうした発言を広く国民に知らせてほしい。伝わってくるのはメディアサイドの揚げ足取り的な詰問に対する言い訳や、重箱の隅をつつくようなあら探しや失態のリストアップ的記事ばかりである。また現在懸命に実施している作業をレポートする記事の横に必ず「遅かった」だの「最初の判断ミスが招いた現状」だの、識者のコメントがくっついている。物事、多角的に見なくちゃいけないし、賛否両論ある時はその両論とも載せるのがメディアの仕事とはいえ、あまりにも、最前線で働いている人に失礼じゃないかい、と怒れるのである。

2011/03/23 01:16:53
ガイガーカウンター、送ってあげようか?
そんなことを言われたけど、要らないと言った。だって、そんなこといちいちしてるほど日常に余裕ないもん。だけど、いずれ、自分で携帯するほどではないにせよ、放射線計測器がぐっと身近なものになるのだろう。今火災報知器の取り付けが義務づけられているが(ウチはまだ付けてないけど)、そのうちガイガーカウンターの取り付けとか携帯とかが義務づけられるようになるんじゃないだろうか。なんてこった。
チェルノブイリの子どもたちが描いた自画像を集めた絵本を、何年か前に娘と読んだ。自画像にはのど元に必ず甲状腺がん治療痕とわかる傷が描き込まれていた。その意味がわからない娘に原発事故のとおりいっぺんの説明をし、絵本をめくりながら、ほんとうにこの子たち可哀想ね、なんて言っていた私に、いったい何の意味がわかっていたというのか。原発は自分の国にもあって、同じことが起こる可能性はもちろんある、などと理屈では言いながら実質事故の可能性はゼロだとどこかで過信していた自分たちの浅はかさ。
新聞に、ハンナリーズ(地元のプロバスケチーム)の外国人選手が契約を解除して帰国したと書いてあった。原発事故の影響を恐れる彼を誰も責められない。誰もが、文字どおり潮が引くようにいなくなる外国人たちのことを、ちぇ、なんだよ、と心の中で舌打ちし口をとんがらして、苦渋に満ちて見送っているだろう。だけど、外国人たちの気持ちは、わかる。自分がその立場だったらきっと日本へ飛んで帰ってきたに違いない。
(……)
知らされていないこともあるだろうが、知らされたとしてもわからないことだらけなのである。不安だが、不安を消し去ってはいけないと思う。村松さんも心が大事ブログで言っている。原発事故に過剰反応する人々を嘲笑する前に、とりあえずいま喫緊の状況にはない、余裕のある者がすべきは、よく考えることじゃないのか。なぜチェルノブイリでは子どもたちばかりが甲状腺がんで死んでいったのか。それは彼らが乳児や胎児であったときに汚染食物を体内に取り込んでしまったからだ。何も知らず、わかっていなかった大人たちが、とりあえず子どもには食べさせなくちゃととった行動が数年後の悲劇を呼んだ。いま、大人がすべきは「疑わしき」をすべて子どもから遠ざけることだ。
農作物の出荷が止められたが、ちょっと放射線被っただけの食材は洗えば大人には大丈夫だ(子どもはダメ)。放射能汚染は伝染病ではないから、現場にいた人から放射線が「うつる」こともない(だから差別はナンセンス)。危ないのは土と水である。土に、汚染物質が染みていき、汚染物質を蓄えた大地から湧く水も汚染される。そこに負けじと生える植物もまた、体内に汚染物質を孕む。チェルノブイリがそうであるように、現場はゴーストタウンジャングルと化す。
福島第一原発の周囲はこの先何十年も立ち入りできない、もはやそういう場所になってしまった。そういう場所を抱えて、日本という国は、この地球上で生きていくのである。
そのことを考えていかなくてはならないのだ。
 *

(アーカイヴのコピペ ここまで)
Des milliers de manifestants ont défilé samedi à Tokyo pour exiger l'abandon rapide de l'énergie nucléaire au Japon, près de deux ans jour pour jour après le début de la catastrophe de Fukushima. | AFP/YOSHIKAZU TSUNO
Des milliers de manifestants ont défilé samedi à Tokyo pour exiger l'abandon rapide de l'énergie nucléaire au Japon, près de deux ans jour pour jour après le d'ébut de la catastrophe de Fukushima. | AFP/YOSHIKAZU TSUNO


違憲ジミントーわしらヤなこと忘れて金儲けゴーゴー政権、の「アメリカLOVE!」ぶりには今さらながら呆れる、いや、ずっとそうだったんだけれど、こうまで恥ずかしげもなく尻尾を振られたんじゃ二の句も継げないってゆーかさ。アベ極右シンゾーの、笑わせてくれた衆院選のスローガン「日本を、取り戻す」、正確に最後まで書かなきゃズルイよね。「日本を、取り戻(して米国に渡)す」。でも、どこから取り戻す気だったのかな。米国のほかに日本を占領している国、思いつかないんだけどね。

……。
……。
3月11日です。

Ils savaient tout. Mais ils n'avaient pas le dit. C'est dure. Ils sont absolument responsable, je crois.2013/03/05 13:19:19


また、3月11日がやってくる。
もう、2年も経つのですね。
生きていかなくちゃならないし、よりよく生きていきたいと誰もが思う。よりよく生きていくための道筋が幾とおりか示されて、選択の幅や余地があるなら選ぶ本人にも若干の責任はあるけれど、いまあるのは選択肢のないぎりぎりの生。「こうするしかしょうがない」という条件的に底をついたかたちでの、我慢を強いられての、生。ならば、せめて、法律をつくったり変えたりする立場、制度を整える立場にある人々が、ひとりひとりの生きにくさや生きづらさの軽減のために、もっと誠実に働いてほしいと思うのだけど。

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2013-03-05
〔イアン・アッシュさん 2011・3・15 東京 停電の暗闇の中からの映像レポート〕 3・14の記者会見で日本の放射線医学の専門家は在京に外国人に、こうアドバイスしていた、「できるなら日本から逃げたほうがいい!」
「机の上の空 大沼安史の個人新聞」より
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2013/03/post-65ee.html

動画はここです。イアンさんのサイトへのリンクもあります。
https://www.youtube.com/watch?v=S4j4C9nixic

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医師たちは最初から「やばい」とわかってたんだよね。なのに言わなかったし、今も言わない。医師としての良心がどこにあるのかって話になってきちゃう。放射線医学の分野に従事する人たちが、もっと積極的に発言してほしかったと、今でも思う。医療で放射線を扱う人たちだからこそ、その発言には説得力があったはず。高度先進医療のニーズも高まっているこのご時世、みんなが放射線を怖がったら困るとでも思ったのかな。広島、長崎の原爆被爆者や、チェルノブイリの被曝者治療にあたってきた医師たちの発言とはまるで正反対の見解しか出さなかった。その罪は重いよ。
「だいじょぶだいじょぶ、どうってことない」
それは彼ら自身の信念かもしれないけど、もし、ほんのわずかでも「危険かも」と思ったのならきちんと発言してほしかった。ガイジン向けの会見でぽそっと言うだけじゃなくて。なんでガイジンには逃げろと言って福島の人には言ってくれなかったのか。
その罪はほんとうに重いよ。

私もそうだけど、基本的に、医師の言うことは絶対であり、信じたい、みたいな「医師性善説」がこの国にはあるよね。権威に任せて好きなこと言っている某山下とかをいまだ信奉している人々もいるわけだから。でも、そのことに胡坐をかくなと言いたいよ。
まあねえ、実際、こんなことにならなかったら某山下はそれはそれは立派な大先生のまま生涯を終えることができたでしょうよ。ふん。

良心ある医師が、危険や悪影響について自身の知見をはっきり言えない事情を抱えているとしたら、その医師の問題ではなくこの国の医療界に巣食うビョーキのせいだよね。まあねーこんなこと言ったらミもフタもないけど、医療界+製薬業界+お役所+大手メディア&広告代理店っていわゆるムラだもんね。花粉症利権もしかり、だし。原子力ムラともムラどうし仲良しのはずだし。


こちらにも同感です。

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何故、医師としての被曝対応が、日本の医者はできないのか。首都圏スポーツ関係男性に相次ぐ突然死。
2013-03-05 06:43:23 

ずっと思っていたことを書きます。僕は、バンダジェフスキー博士を来日させた時も、ずっと思っていました。そこに集まる医師たちの大半はなんなんのか。彼らは何がしたくて、集っているのか。

カルディコット博士の後も感じています。

最初から、来ないタイプの医師は論外とおもっています。少なくとも、本人の知見をきちんと確認すべきなのに。

もちろん、そうして集っている医師の方が、被曝問題を認識はしています。でも、それだけです。それで、いろんなデータを探して、集めて、この問題の批評をおこないたがっている人たちが多いです。

どちらかというと、放射能の問題に関心がある医師としての立場が大切なのかという方が多いです。

批評がただ悪いとは言いません。でも、そんなことは、汚染地では二の次だろうと僕は思います。汚染地である以上、健康被害が実際におきているのかどうかを、診ていくしかありません。細かく、一人一人の患者をチェックし、チェルノブイリ後に、ヨーロッパの医療機関がとってきたような、スクリーニング感覚を現実の患者たちに対応していくしかないと思います。まず、リスクを避けるためには、それしか医療的な対応はありません。

この被曝という時代に、これは、被曝なのかどうかというご高説をのたまうよりも、被曝症状に類似する可能性がある健康症状を、被曝影響かを前提として、考え続けるしかないと思います。被曝影響という要素を加えて、患者に向き合うしかありません。そうして初めて、患者への対応がうまくいくのが、被曝後、この時代の在り形と思います。

そして、そういうふうに立ち向かっている医師が、首都圏で圧倒的に少ない現実に驚かされます。

反原発の医師の中には、被曝影響を認めない人は確実にいます。それどころか、チェルノブイリで救援的な動きをした医者の中にも、今回の被曝を軽視しようとする感覚が強い事例があります。

本来、こんな悠長なことをしている時間の余裕はありません。

まず目の前の患者を確認してください。おかしな事態が起きているのかどうかをきちんと確認してください。

診療行為の中で、患者の肉体を見続けると、思わぬひび割れが目につくのかどうかということです。悪い兆候を見落とさないで下さい。あなたたち1人1人に、そういう医療をすすめて欲しいのですが。残念ながら、日本の医師は教わっていないことに鈍感で、踏み出そうとはしません。それよりも、プライドやデータ情報が優先します。

今の日本の被ばく状態が、どうなってくるかという、現場のつきつめの方が大切なんです。二次的な情報の評価などどうでもよいです。それよりも、目の前の状況を精査できるのかどうか。その現場感覚で、考えながら診察にあたる医師がどのくらい日本に存在するのか。

僕はこれが悲観的になりがちです。ごめんなさい。
(後略)

木下黄太のブログ「福島第一原発を考えます」より
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/b938fa74a2bfec0df539b4a49fa7f35a?fm=rss

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先日、ウチの近所にも回ってきていた空き缶回収のおっちゃんが逮捕されたのよ。「空き缶回収のおっちゃん」とはつまり、ホームレスで、回収した空き缶をアルミ再生工場へ持ち込んでわずかな収入を得て生きる糧にしている人のこと。ああいうのにも「縄張り」があるみたいで、ウチの近所にはいつもおんなじおっちゃんが来てたんだよね。我がまちでは、資源ごみの回収はいくつかに日程が分かれてて、普通のプラゴミ回収の日とは別に「ペットボトル+アルミ缶+スチール缶」の日がある。その日に、各家庭からゴミが出されて回収車が来るまでの数十分のあいだに、アルミ缶だけを、出されたゴミ袋から抜き取っていく。たいへんな仕事だ(笑)。そうしないと生きていけないわけだし、またあるいは、それが彼の選択とはいえ、ね。一度その手際を見たことがあるけど、みごとなもんよ。ぐずぐずしてたら回収されちゃうしね。
でもある時京都市はそれを禁止する条例だか法律だか、とにかく規則をつくったのよ。それは京都市の環境局がやりまっさかい、一般の人は、よそんちのゴミに手え出さんといてって。一般の人って、アンタ、ホームレスさんしかしてへんねん、そんなん。つまり、ホームレスさんからわずかな生きる糧を奪った挙句、逮捕。
京都市の役人って、京都府警の警官って、そんなに偉いのかい?
正確には、規則に違反して空き缶集めてたおっちゃんに注意した役人に、おっちゃんが楯突いたので、役人が通報して、公務執行妨害とやらで逮捕されたの。
ウチの近所の人が言うには、「たしかにあのおっちゃん、ちょっと態度悪かったしな、横柄やったしな。役人から目えつけられとったで、前から」。
回収した空き缶をいっぱい荷台に積んで、さびた自転車をキーコキーコこぐおっちゃんたちの姿は、すっかりなくなった。

鴨川河川敷の整備が進んで、きれいになりつつあるけれど、橋の下のダンボールハウスで暮らしていた人たちはどこへ追われたのだろう。

ホントに、弱い立場にある人たちに冷たいよね、この国。
国民もね。

Parce que je suis ANTI-NUKE!2013/01/16 20:06:10

この前、友達と飲んだ。
ここ一年ほどだけでいえば、いまいちばん頻繁に(月イチか2か月に1回ペースかな)会って、食事や酒をともにしている。プライベートが同じようなレベルでうまくいっていない(笑)という点が共通点かな。第三者に対してもつ印象や、人との距離の取りかたに関しては、意見が合致することが多い。私が抱えているいろいろな諸問題について、けっこう鋭い指摘をしてくれるのが、正直、得難いよいことだと感じている。他愛ない世間話をしていても、気が合う。ただ、ディズニーランドが好きだとか(笑)些細だが理解に苦しむことも、実際は多々ある。ま、でも、それも面白い。

その彼が勤める会社の関係者にある政治家がいて、その人の噂になり、しぜんと話は昨年暮れの衆院選に移った。私は、仕事でなければ、相手がどういう立場だろうと先にはっきり好き勝手に発言する癖があるので(仕事の時は用心深いコウモリですのよ、ほほほ)、彼の支持政党や主張を聴く前に、嫌いなアイツやコイツの名を挙げてクソミソに言い、いまやほとんど憎しみの対象となっている安倍を筆頭にしたジミントーをクソミソに言い、「だけど小選挙区は投票できる候補者が立たへんかったわあ」と、ぶつぶつ小言をこぼした。それでひとしきり笑ったんだが、ふと彼が「ねえ、もしかして脱原発派?」と尋ねるではないか。「派」だなんて、私は人間なら「反核・反原発」が当たり前だと思っている。「派」も「主義」もない。だから彼の眼をまっすぐに見て「そんなの常識やん」と言った。賢い彼は、ここでもう「こいつとはこの話題で議論できない」と感づいたのであろう(笑)。「あ、そう」と言っただけで一瞬黙った。そのまま流せばよかったんだけど、賢い私(笑)も彼の瞳の中に「そうじゃないって言いたいんだけど」との意を汲んでしまったので、よせばいいのに彼になんとか口を開かせようと煽るようなことをいくつか口走った。

彼の勤務先は小さな町工場だ。私の勤める零細事務所に比べればはるかにましなはずだが、自転車操業には違いない。「電気」の問題は、直接彼の勤務先と彼自身の生活に降りかかる。

「経済性を考えたら、必ずしも脱原発が正解でもないやろ」
「正解なんて、ないわ。人間として、日本人として、どう行動すればいいのかそれぞれの立場で真剣に考えなあかんってことよ」
「それはそうやな」
「私は私の、君は君の立場で」
「代替エネルギーのめども立ってへんねんで」
「火力でいいやん。それで電気代が倍になっても私は呑む。手を尽くした挙句にそうならね。槍でも鉄砲でも値上げでももってこいバカヤロー関電って感じ? 火力でもたせてその間にほかの手も考えればいいやん。ホーシャノーよりシーオーツーのほうが100万倍も1億倍も、ましやろ」
「けどなあ、そんなん言うてる間に倒れるとこは倒れてしまうしな」
「そやね」
「そやろ」
「お互いキツイ会社に勤めてるもんね」
「うん」
「でも、そんなことは、はっきりいうけど、どうでもいい」
「そういうと思った」
「原発なんてやめようよっていうのは、戦争やめようよ侵略やめようよ搾取やめようよ、というのと同様に、私がずっとずっと抱いてきた切なる願いのひとつやねん。ただこれまで喫緊の問題じゃなかったのが、こんな事態になって、声を挙げているだけ。私の目の黒いうちに原発ゼロは無理かもしれんし、娘の生きてる間にも無理かもしれん。でも、ポンコツ原発しつこく動かした挙句、小さな事故やら放射能漏れをごまかし続けた挙句、あんな大事故になって、日本の北半分を汚して、日本中に汚染された食材やらなんやら拡散して、太平洋に汚染水流し続けて、空中に放射性物質撒き散らして。日本以外の地球人全員から糾弾されてもおかしくないのよ。有害物質を撒いたのよ。究極の有害物質を。それは事実なんよ。《はい、もう原発動かしませんゴメンナサイ》っていうのが当たり前の態度ちゃう? 日本人として。人間として」
「うん。まあな」
「核兵器つくりたいから核発電やめたくない、核兵器つくって戦争にスタンバイしていたい。そのために自衛隊を国防軍にしたい。そのために改憲する。そんなこと言う人が国のトップにいるなんて、この日本で、異常事態やねん。そう思わへん?」
「たしかになあ」
「ん、君は技術者やからね。言いたいことは、ちょっとわかる」
「うん」
「原子力の研究や技術を生かして、54基ぜんぶ、きれいに片づけてほしいと思うのよ、私は」
「んー、でも片づける技術は心もとないんちゃうかなー」
「はは、とりあえず廃棄物をしまう場所、ないもんね」
「うん」
「でしょ? だからよ。なのに原発続けてどうすんのよって、そう思うでしょ?」
「うーん」

でも彼は、やはり勤務先の行く末や自分も含む従業員の生活につい思いを馳せる。心優しい人ほど、その優しさが目の前の人や時間に向かう限りは、安易に原発反対は唱えられないことだろう。ためらう人に無理強いをしてはならないと思う。ただ、無理強いはしないけど、考えることをやめないでほしいと思う。友達のひとりであるこの私が、なぜこう考えるのかについて、彼には考え続けてほしい。と、心底思った。


《(前略)
 重要なのは品格のある衰退だと私は思います。ヒントは英国にあります。英国にはいろいろと問題もありますが、第2次大戦後、欧州諸国で最初に植民地を手放し、インドの独立を認めました。衰え、弱くなることを受けとめる品格を持つことで、その後もインドと良好な関係を結んでいます。フランスやポルトガルなど植民地をなかなか手放さなかった国は独立戦争で多くの死者を出し、禍根を残しました。
 品格のある衰退の先にどのような社会を描くか。私は経済成長社会から福祉成長社会への転換を本気で考えるべき時期だと思います。かつて大国だったスウェーデンがロシアとの戦争に敗れ、衰退した後、世界の福祉モデル国家になった例もあります。
 もうひとつは人間成熟社会です。命に対する畏敬の念を持ち、侵すことのできない命の尊厳を互いに認め合う。多様でありながら、対等な関係を持って、ともに生きる社会です。
 原発事故は、原発に象徴される成長主義を推し進めることで、どれだけ人間の命と尊厳が否定されるかを私たちに教えました。まず人間が自己を変革するところから始め、原発に頼らずに福祉成長社会と人間成熟社会の新しいモデル国家をつくる。それが日本だけでなく、国境を越えた市民のつながりになる。時間はかかるかもしれませんが、新たな時代の変わり目を、そういう希望を描いて生きるときだと思います。》
(京都新聞2013年1月15日付「震災後の日本の未来とは」坂本義和)

On se perd, sans le future!2012/12/28 12:49:12

12月1日の押小路通。紅葉楓(もみじばふう)がまだ葉をつけている。


《暗い時代が始まる。脱原発派と護憲派、ジェンダー平等派にとって。教育現場にとってもだ。インフレ、借金、東アジアの緊張、貧困と格差、弱者切り捨て…亡国政権の始まりだ。
 3・11以後、初の国政選挙で自民党が政権復帰。諸外国には、日本国民が原発継続を選んだ、と見えるだろう。東京電力福島原発事故に関しては、前政権の危機対応のつたなさがあげつらわれるが、もとはといえば、フクシマの事故を招く原因を長期にわたってつくったのは、元の自民党政権である。責任者をだれひとり追及せず、処罰せず、原因究明すらできていない状況で、いわば事故の「戦犯」ともいうべきひとびとを、有権者はふたたび政権の座に就けてしまった。》

昨日の地元紙の夕刊に掲載された、コラム「現代のことば」の冒頭である。この日の書き手は、ご存じ上野千鶴子。
上野はいつも正しい。いつだって正論だ。彼女の言い分が、つけ入る隙のないほど完璧に正しさの鎧をまとい、どんな尖った矢も鋭利な槍も硬い鉄砲玉も跳ね返すほど強靱であるとわかっていても、それに反論せずにいられぬ気持ちになる。というか、ちゃんと話し合うための語彙を当方持ち合わせないので、「反論せずにいられない」ったってまともに議論などとてもできやしないのである。したがってこの場合、「闇雲に逆らいたくなる」「難癖つけたくなる」「つつけるもんはないかと重箱の隅々を箸や楊枝でほじくる」(笑)とでもいったほうがよかろうか。

大学院に籍を置いていた時、社会学部の教授陣にフェミニストがちらほらいて、彼女たちの音頭取りによるジェンダー論関係の研究会や講演会がよく開催されていた。そのいくつかに出席を試みたことがある。しかし、どうにも居心地が悪かった。
必ず「非」フェミニスト系の研究者、学者(たいてい男性、そして一人だけ)が招かれて、その人による講演または報告があり、続いてフェミニストチームから同様に報告や発表が行われる。たいていは複数である。その後ディスカッションとなる。しかしディスカッションというよりも、まるで集団言論リンチ……といったら言い過ぎだろうけど、フェミニストチーム研究者がよってたかって、その招待し報告させた学者の発表内容にとどまらず(「本日のご報告内容はとうてい受け容れ難い内容でしたがこれについて問題点を列挙したいと思います」)、言葉の選びかた(「そもそもそういう言葉づかいに男尊女卑思想が表れているという自覚がないから困りますわ」)、果ては立居振舞までやり玉に挙げて(「その手の使いかた、女性をバカにしてません?」「わたくしこれ以上耐えられません」「同じ空気を吸いたくないわ」「退席します」)、一点集中の攻撃をしかけるといったぐあいだった。
私と同じように、居心地悪く感じた学生は少なくなかったと思う。男らしく・女らしくといって育てられた私たち。そのように育てられた親に育てられた世代。不平等を刷り込まれたとかそんな話ではなく、男として女として、纏う衣も違えば日々の慣わしも書く文字も異なるという文化が連綿と続く国に生まれたのである。そりゃ、誰だって、男尊女卑思想はまっぴら御免だ。しかし、オス・メスの生物学的身体能力は歴然としており、もって生まれた生殖能力の違いからくる役割分担も明快である。男女平等は当たり前だが、男女は同じ種類の生物ではない。

私は「女も学問する時代やねん」という祖母と、「ちゃんと花嫁修業しとかないかん」という母とともに暮らしてきたせいか、ずるがしこく育った。口では女性の権利や能力活用を言いながら、実際には、力仕事はもちろん重い役割やのちに責任を問われるような立場はひたすら男性に譲って生きてきた。しんどくて骨の折れそうな仕事は「わたくしでは力不足でございます」などといって逃げ、何かのプロジェクトリーダーなんぞに任命されようなものなら、そのプロジェクトの問題をあれはどうするこれはどうすると積み上げて、提案した上司に「わかったよ、なんか起きたら俺が責任をとるから」と言わせ、いかなる場合も無傷で逃げられるめどが立つまで粘った。私のこうした行動様式は一貫していて、子を産みひとりで育てている今でも変わらない。
シングルマザーをやっているのは私が選択した結果であって、なぜ選択したかというとこっちのほうが快適だと確信したからに他ならない。快適だと確信したのは、べつに殿方が嫌いだからでも(むしろ好きやん)、疎ましいからでもない。
子育てを誰にも邪魔されたくなかっただけである。私にとって子育ては、つねづね言うように、芸術作品制作に似ている。芸術は孤独な戦いだ、しかも通底する信念に基づいた。そのような創作活動と同じものを子育てに求めると、「共同制作者」だとか「コラボレーション」なんぞ不要になるのは自明である。

(ついでにいうと結婚しなかったのは姓を変えるのが嫌だったとかじゃなくて、単に縁がなかったのである。あ、聞いてないって?)

単に、プライベートにおいてそういう事情であるだけで、私はつねに殿方に助けられてきたし、殿方をおだてて木に登らせるのが得意であるし、また私と同世代の殿方は気前よく木に登ってくださるので(笑)、私はいつもズルく楽して生きてこれたのである。
中途半端なフェミニズムの風にあおられてそっちを向いてしまった若者たちは、たいへんな生きにくさを感じているであろう。この国は、まだまだ女性を虐げている。閣僚に女性を二人入れただけで「どうだ」といわんばかりに大騒ぎしている極右アベシンゾー内閣を恥ずかしいと思うのは上野千鶴子だけではない。私も恥ずかしいよ。

《今度の選挙にあたって複数の女性団体と個人(12月10日現在で賛同人24団体280人)が連携して、「ジェンダー平等政策」全政党アンケートを実施した。12政党注10政党から回答を得た結果は「市民と政治をつなぐ」P-WANサイト上にアップしてある(http://p-wan.jp/site/)。》
《各政党の回答を分析してみると脱原発を支持する政党ほど男女平等にも積極的であり、また「9条」を守る政党ほど男女平等度が高かった。おもしろいのは規制緩和と自由競争を支持する政党は、「女性の活用」には積極的なのに、「女性の権利」を守ることには積極的でない、という共通点が見られたことだ。》

「女性の活用」はしても「女性の権利」は尊重しない、それはまさに今の日本社会そのものであり、参戦と核開発にまっしぐらの新政権が是とするところに違いない。
上野が言うように、不戦と非核は男女平等の大前提だ。貧富格差のない公平な社会実現の大前提でもあるだろう。しかし、極右ジミントーは不戦や非核など「それ何ですか」とすっとぼけてうやむやにし曖昧にしたまま闇に葬り去るであろう。平等とか公平とか奴らにはどうでもよいのである。
というか、階級社会を再構築しようとしているのかもしれないわっ。くわばらくわばらっ

《「自助」の重視という名目で社会保障を抑制し、弱者切り捨て路線を採用する新政権に、女性や若者、高齢者らの社会的弱者は、自ら合意を与えたのだろうか?》

すでに論じられているように、今回の、大差のついた選挙結果は、小選挙区制という選挙制度のなせる業であって、国民の意思を正確に反映したものではない。数えれば、極右ジミントーに投じられた票数を、それ以外への投票数が上回るのであるから。しかし、いずれにせよ、そうした小選挙区制の怖さを知ることなく、投票所に足を運ばなかった人々が結果的には極右ジミントー支持に回ったのと同じことであるからして、「日本国民は、軍隊をもち積極的に戦争に加わり原子力を推進し核兵器開発に突き進むことを党是とする政党を政権に選んだ」と世界に見られても仕方ないのだ。

上野はいつも正しい。その正しさの完璧さに辟易する。正しさというのは主観が左右するから、どんな時もどこかで中庸をとり、妥協点を見出さなければ、いくら潔癖な正しさであろうと裏づけのない脆いガラスに終わってしまう。だが上野の議論はいつだって脆く砕けようとも雪の女王がカイの瞳に投げ入れた悪魔の鏡の破片のように、ともすれば人心を虜にするほどの力をもつ。正しさゆえである。その正しさゆえに、彼女の書くものを読むたび「とてもついていけんわ」感を覚えてきた。
けれども、この私が、だんだん彼女の論にそうした居心地の悪さや違和感を覚えなくなってきたのは、上野が丸くなったのか、私が上野のように尖りつつあるからなのか。後者のような気もする、だって前者はちょっと考えられないでしょ。あら、でもあたし、殿方みなさんと仲良くしたくってよ、怖がらないでこっちへいらして、ムッシュ。

《 》内は、京都新聞2012年(平成24年)12月27日木曜日付夕刊「現代のことば」上野千鶴子「女性にきびしい政権の誕生?」から部分引用。