読後感は今回もすこぶる悪かった2018/05/23 01:38:52

『アイム ソーリー、ママ』
桐野夏生 著
集英社(2004年)


「いま、何が読みたいのか」
自分でわからなくなることがある。
書店へ行っても、図書館へ行っても、どれひとつ、そそらない……ということがあるのだ(逆に、目に入る本全部ほしくなる時だってあるのだが)。
何が読みたいのかわからないのにやたらと何か読みたい時。そういうときは桐野夏生に限るのである。
とにかくどれを読んでも面白い。はずれゼロ。おおげさでなく、ほんとうにそう思う。
そんなに桐野夏生ファンなのか、といわれるとちょっと困る。自分が所有している本は文庫の『錆びる心』だけだからだ。これは短編集である。何度読んだか数しれないが、何度読んでも、初めて読むときのようにワクドキしながら読む。
そして読後感はすこぶる悪い(笑)。登場人物はみな、かなりこてんぱんにされる。たいてい、救いがたい結末が待っている。その後を想像して暗澹たる気持ちになる。
それなのに、再び読むときはまた、何事もなかったかのように初々しい気持ちで扉を開く。いや、まったくそうなんだな、面白い本って、べつに桐野夏生の小説でなくても、こういうふうに、再読だろうと五度目だろうと新鮮な気持ちでページをめくることができるものなんだ。

何か読みたいなあ、と図書館の書架の前で、あれも読んだしこれも読んだし、と思いながらふと、そうだ、桐野、読もう。と借りてきたのが本書である。
途中で止めることができなくて、一気に読み切ってしまった。
とんでもない殺人鬼の話であるが、当の殺人鬼の悲惨な生い立ちにもかかわらず、キャラクター設定が功を奏してか、このヒロインの一挙手一投足はどこかコミカルで、いちいち失笑を禁じえない。悲惨で陰惨で、救いがたい物語が、随所に撒かれた笑わせる要素のおかげで、重さが和らげられ軽く転がっていく。
笑わせる要素というのはギャグや駄洒落がちりばめてあるという意味では、もちろんない。登場人物や背景の設定が、実在する著名人、著名団体を髣髴させたり、そこに込められる皮肉を感じたりして、苦く愉快なのである。
ヒロインは人生の瑕疵の何もかもを他人のせいにして恨むだけでは気が済まず殺していく。これほどあからさまな行動をとっていてつかまらないなんてあるのかという疑問は、措く(日本の警察が優秀だなどというのは妄想)。ヒロインに殺されていく人物たちは、「顔」のない人々だ。家族はもちろん知人や友人もなく、あっても結びつきは希薄で、死亡したことが大きな出来事とはならない人々。世の中からうち捨てられたヒロインが、自分と同様に人生から足を踏み外した人、こぼれ落ちた人、行き場がない人を容易(たやす)く踏みにじっていく。
ただし、最初の殺人はヒロインの積年の恨みを晴らすかたちで実行された。この成功体験を引き金にしてヒロインは簡単に殺し続けるようになる。

アイムソーリー、ママというタイトルどおり、ヒロインは母親に謝るのである。
謝らなければならないような事態を招いてしまう。
しかし、謝る対象の「母親」を、ヒロインは認めたくない。思い描いていた「母さん」が、この女であるはずがない……。
これは母親への思慕のとあるかたちを描いた物語でもある。
対象となる母親は実体のない母親であり、慕う気持ちだけが生きる原動力となっている。
それほどに「母親」は、人にとって重要な存在なのかと自問する。わたしにも母親はいたし、わたし自身も母親だ。わたしにとってわたしの母親はもちろん愛すべき存在だったが、つねにそばにいたせいであろう、渇望したり、恋い慕い抱擁したくなったり、理想化したりするような存在ではなかった。わたしの子はわたしを母親として存分に愛してくれているであろうが、今は離れて暮らしているとはいえ長らく一緒にいたし、今でも密にやり取りしているから欠乏感はないはずだ。そしてこの世のおおかたの人々にとって母親への思慕というのはそういう穏やかで起伏に乏しく、あってあたりまえな感じの、でもたしかに温かみのあるもの、年を経ればまた感じかたの変わっていくもの、そういうものであろう。
しかし『アイムソーリー、ママ』のヒロインの母親への思慕は、あまりにもまっすぐであり過ぎたゆえに大きく屈折させられ、ある意味踏みにじられ、さらに肥大化する。

この物語に登場するほかの人物たちの、「母親」のありかた、かかわりかたもヴァリエーション豊かでめまいがする。人間はこれほどまでに多様であり、そしてその出生や生きざまがどうであれ、生き延びていく権利はあるのである。
殺人鬼は、殺した人間の人生の数だけ自身も苦労し辛酸をなめ、悩み苦しみ考えに考えて考え続けて考え抜いてもがき苦しんで一生を終えさせなければ割に合わないとわたしは思う。
物語の最後にヒロイン殺人鬼の行く末が示唆されるが、冗談じゃないよそんな簡単に片づいてもらっちゃ困る、という気分である。そう、読後感は今回もすこぶる悪かったのだった。

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