幾重にも層を重ねたような密な経験 ― 2018/06/27 01:07:55
『子どものころ戦争があった』
あかね書房編(1974年初版第1刷、1995年第12刷)
有名な本である。そのせいかいつでも頭の片隅に書名があって、それゆえついいつでも読める気になっていて、読む機会がなかった。なんということか。ぐずぐずしているあいだに、寄稿されている多くの作家が鬼籍に入られた。
収められている体験談の著者は以下のかたがたである。錚々たる顔触れ。
長新太
佐藤さとる
上野瞭
寺村輝夫
岡野薫子
田畑精一
今江祥智
大野允子
乙骨淑子
三木卓
梶山俊夫
新村徹
奥田継夫
谷真介/赤坂三好
さねとうあきら
田島征三
砂田弘
手島悠介
富盛菊枝
山下明生
どのかたのどの話がどうだということなど言えない。どれもこれも凄まじい。凄まじいがどのかたのお話もどことなくユーモアがあり、過酷な体験にもかかわらずあっけらかんと笑い飛ばせそうな雰囲気に満ちている。実体験を語られているのに、まるで彼らがつくり出す児童文学の世界にトリップしたような気にもなる。さすがは作家のみなさんというべきか、語りの力は素晴しいのであった。しみじみ思うのは、これほどまでの経験をしてきたからこその、児童文学なのである。これほどまでの経験を下敷きにしているからこそ、軽はずみな表現で命の重さや尊さを振りかざすようなことはしないのである。優しさや思いやり、痛みや苦しみといったわかりやすい言葉で説明してしまえるほど、人と人との情愛や、かかわりあうことで生まれる感情の擦れやぶつかりは単純ではない。子どもの世界だからこそ、それらには名前はまだない。子どもたちは自分たちの世界で次々に生まれでてくる好感や愛情や親しみや嫌悪や憎しみや軽蔑の思いに、自分たちなりに名前をつけ認識して心に記録を刻んでゆく。そのありようは、子どもが十人いれば十通り以上になるだろう。そうしたものに最初からラベルや札を与えてはいけないのだ。
なぜ、平和な時代ゆえにむき出しになるわがままやエゴイズムをしぜんに生き生きと描き出す力というものについて、辛酸をなめた戦争体験者である作家たちのほうが勝れているように感じられるのだろう? なぜ、現代の平和な時代の作家には描ききれないのだろう? 現代の作家たちにしか描けない要素はあるはずだ、技術はあまりに早く進歩し、時代はものすごい勢いで変化したのだから。しかし、児童文学に限って言うと、昨今流行りのニヒリズムなどを匂わせても、あるいは安易な泣かせるストーリー仕立てにしても、喜ぶのは大人ばかりで、子どもは大人を喜ばせるためにそんなものでも読むけれど、ほんとうの意味で心をとらえているようには思えない。子どもには、普遍的でありきたりな体裁をしていながら、深い物語が必要なのだろう。
深い物語は幾重にも層を重ねたような密な経験をした者でなければ、書けないのだ。
……ということは抜きにしても、戦時下の体験物語として興味深く楽しめる一冊である。子どもたちに親しめるように、ふりがなが丁寧に振ってある。絵本作家の挿絵も面白く、悲しい。
何度も読み返したい。
成長する過程で忘れ去られていくに違いない ― 2018/05/13 23:51:32
ジークフリート・レンツ
松永美穂 訳
新潮社(クレスト・ブックス)2010年
レンツの作品は、ずっと前に『アルネの遺品』を図書館で借りて読んだことがあるだけだ。この『アルネの遺品』が素晴しすぎて、わたしはその後も何度か借りては読み、アルネやハンス、その親兄弟たちの心情に近づこうとした。それはなかなか容易ではないことだった。自分自身と登場人物とのあいだに生活環境やそのほかなんらかの共通項が少ないと、物語のなかの世界を生きるように読むことは難しい。とはいえ、そうして自分に引き寄せて、自分の物語として読むことが安易ではないからこそ、小説を読むことは面白いのだともいえる。『アルネの遺品』はその意味で、いくら読んでも、その悲しみをたたえた海の圧倒的な大きさに読み手は黙るばかりである。
『アルネの遺品』に比べたら、本書『黙禱の時間』は恋愛の物語でもあるので、感情移入は幾分か易しいといっていい。立場だとか身分だとか年齢だとかはまったく関係なく人は誰かに惹かれ誰かを愛してしまうものである。
『アルネの遺品』に少し似て、本作でも主人公にとって大切な存在であった人は、冒頭ですでに死んでいる。小説は、学校で行われている追悼式の模様を描写しながら始まる。誰が追悼されているのか。校長が演壇に置かれた「シュテラ」の写真に深々と頭を下げる。
《先生は、どのくらいの時間、きみの写真の前で、その姿勢のままでいただろう。シュテラ。》
「ぼく」が「きみ」「シュテラ」と呼ぶのは、校長先生が頭を下げているその写真のひとである。「ぼく」は「きみ」との思い出をたどっている。それは恋人たちの風景だ。
《ブロック先生は写真を見下ろしながら話していた。きみのことを、敬愛するシュテラ・ペーターゼン先生、と呼びながら。》
「きみ」「シュテラ」は、この学校の教師だった。「ぼく」はその「シュテラ」と恋仲だったのに、彼女は死んでしまったのだ。そして生徒のひとりとして学校で行われた追悼式に出席している。
このあと物語は「ぼく」と「きみ」との恋の始まりから不幸な事故で彼女が命を落とすまで、そしていま進行している追悼式、式のあとで「ぼく」が校長に呼び出されることなどが決まった法則もなく右へ左へと語られる。つねに「ぼく」が語り手であり、「ぼく」が初めて本気の恋を経験し大人になったことを自覚したというのにその対象は無惨に失われてしまった、その事実を受け容れられないまま、戸惑ったまま、自分はなぜ生徒のひとりとしてしか「きみ」を悼むことができないのだろうというやり場のない悲しみに、物語の最後まで「ぼく」は翻弄されている。
「ぼく」とシュテラは長い間恋愛関係にあったわけではなく、たったひと夏の恋であった。その描写からは、シュテラが「ぼく」を本気で愛していたかどうかはわからない。というか、おおいにほんの弾みでそうなっちゃった感がつよい。そのいっぽうで、「ぼく」の本気度がなかなかに高いので、「ぼく」が拙速でなくじっくりと彼女とのあいだに愛を育んでいこうとしてたなら、もしや彼女は「ぼく」を伴侶として受け容れたかもしれないとも思わせる。しかし、まあ、そればかりはわからない。わからないまま終わってしまったことが「ぼく」の未熟さを強調しているし、未熟さは純粋さでもある。高校生のそういう「青さ」を楽しむ物語でもあるが、いろいろと謎を残したまま死んでしまったシュテラは、「ぼく」の心のなかに痕跡をとどめるとしてもこの先「ぼく」が成長する過程で忘れ去られていくに違いないと思わせる点で、若さの残酷な面も言外に語っている。いまは打ち拉がれているけれど、アンタ十年後にはきっと忘れてるでしょ、と主人公に言わずにおれないのである。そして、そんなシュテラを憐れんで読んでいる自分に気づく。シュテラが「ぼく」をどう思っていようと、彼女なりの幸福を追求する時間や機会を、生きていればもっていたはずで、それをぞんぶんに駆使しないまま死んでしまうなんて。
物語はあくまでも「ぼく」の物語で、シュテラやその父親、同僚教師との関係など、その後ろ側にあるストーリーをいろいろと推測し想像をめぐらすことはできるものの、答えはまったく書かれていない。表面だけをたどったら高校生男子の、いささか辛いひと夏の恋、でしかない。だがもう少し時間をかけて読み直し、シュテラの視点で、あるいは父、あるいはほかの誰かの視点で物語全体を見つめるともっと面白いだろうと思われる。
訳者あとがきによると、レンツが82歳でこの青春物語(?)を書いたということが、ドイツでは話題になったそうだ。その頃再婚したことも。
レンツは長らくハンブルグに住んでいたそうである。
『アルネの遺品』も舞台は港町だったが、本作も同様、ヨットなど船舶の描写が多く、海や漁に知識のある人なら、事故で帆柱が折れる様子など、その臨場感は知らない者よりも真に迫って読めるのではないかと思う。海が荒れる、高波が襲う、船が岩場や港湾への入り口の壁に叩きつけられる、といった描写は、海の現実を知らない者には過去に見たことのある映画だとか、あるいは気象情報が伝える台風で荒れる海などの映像から想像するしかない。
レンツはハンブルグ住まいのあいだに、いくつものそうした海難事故を見聞したのだろう。
美しい海は、ひとつ違(たが)うとあっさりと命を奪う凶器となる。
そのことによる恐怖について、わたしはやはり知らなさすぎる。これほど水の災害の多発する列島に住んでいながら。こればかりは、なんともしようがない。
『アルネの遺品』については、ずいぶん前のことながら当ブログに書き記していたのでそのリンクを。
http://midi.asablo.jp/blog/2010/01/06/4797570
レンツは2014年に亡くなった。松永美穂さんによる翻訳にはもうひとつ『遺失物管理所』がある。それも併せてレンツをもう少し根気よく読み続けたいと思っている。
Il neige... ― 2014/04/07 22:27:29
工藤信彦著
岩波ジュニア新書(1983年)
娘からぽつりぽつりと来るメールを読むたびに、ああほんまにお前は作文コンクールなるもので三度も賞を獲ったのか、ほんまにお前は出願時の自己PR書提出と試験日の小論文とで高校入試を突破できたのか、それって全部何かの間違いだったんじゃないのか、といちいち思う。それほどまでにヤツの文章には誤字誤変換が多く、口語と文語の区別ができてなくて、主従がねじれて、文章の主体が不明で、議論は支離滅裂である。今始まったことではないし、我が娘に限った話ではない。そんなことから、2、3年前だが、ここはひとつ青少年の未来のために小論文塾をやるぞという話が私の周囲で一度盛り上がったのだが、塾用のサイトをつくるぞ!と言っていた人の体調がすぐれず立ち消えになった。だがもし始めていたらどうだったか。どんな形で始めたにせよ、今の子どもたちの手の施しようのないほどの「書けなさ」に愕然とするばかりだったんじゃなかろうか。書けないだけではない。きちんと話せない。ひと昔前の日本人と違って今の子どもたちは人前で話すことを怖がらないが、それときれいに話せるということとは別問題である。ふだんラジオを聴いているのでよくわかる。若いアナウンサーたちは、アナウンサーを名乗るための訓練を受けている人たちである。美しい声の持ち主たちである。発音もよい。明朗である。しかし、話しかたは美しくない。ニュースを読んでいる時を除いて。はっきりと言葉を発音するが、例外なく「ら抜き」であり、必要以上に語尾が伸びる。とにかくなんでもどんな時でも最後に「で」をくっつけて、「それでぇ〜」「○○でぇ〜」「△△になったんでぇ〜」「なのでえー、それは違うということでぇー」……。
破綻しているのは娘の文章だけではない。日本全体の話し言葉と書き言葉だ。つまり日本語の遣われかたそのものが破綻している。
私たちの先行世代が育てて世に出した駆け出し社会人たちがこのていたらくであるということは、先行世代の日本語もアヤシイものであり、こうなると、私たちが育てて世に出さんとしている青少年たちはもっとアヤシく、私たち=青少年の親たちの日本語もアヤシイ。アヤシイもんたちがアヤシイもんたちを育ててアヤシさの二乗三乗にしたらアヤシイがふつうになりアヤシイのスペリオールが出現しさらにアヤシイものを求める世となってしまうだろう。アヤシイ日本語に歯止めが効かなくなる。
そんなところで、こそこそと小論文塾サイトを開いても、焼け石に水。
そうした絶望感に苛まれていたある日、仕事帰りに立ち寄った本屋で目に留まったのが本書である。
表紙がいい。
HBの鉛筆がある。万年筆もある。
著者の工藤先生は1930年生まれの国語の先生だ。
本書はとても真面目で地に足着いた、綴り方の学習書である。
日記を書くことの楽しさと、思わぬ効用を語る。
手紙を書く時の礼儀作法を説く。
感想文を書く時の、対象作品に対する心得を、丁寧に述べる。
奇をてらったテクニックや、必ず試験に出るテーマだとか、これを知っておけば試験はクリアできるとか、そんなことは1行も書いてなくて、文章を書くという行為のシンプルなよさ、楽しさを知らせたいという情熱にあふれている。
《みなさんは、文章を書くということを、どのように考えていますか。心のなかにもやもやと存在しているものを、ことばで書き表わしてみると、自分の感じたり考えたりしていることが、はっきりと見えてきて、それによって自分をあらためて見直すということがあるでしょう。文章には、心で感じたり考えたりしていることを、整理する働きがあります。
また、文章を通して自分が考えたことを相手に伝え、相手からもまた考えを示されて、お互いに心を通じあって生きてゆくことができます。これは、人生において文章のもつ重要な役割です。》(2ページ)
冒頭のこの数行で、この先生がどれほど日本語と日本語で書くことを愛しているかがわかるというものである。なんと、文章を書くということは単純で素直な営みなのであろうか。こんなに単純で素直なことならなぜに私たちは文章を書くことにこれほど四苦八苦するのか。
《ことばは心を裏切ると、よく言います。感じたことや考えたことをことばで表現してみると、どこか気持ちとくいちがってくるのです。ことばはなかなか心を正直に伝えてくれません。ことばを見出せないもどかしさがペンを止めてしまいます。》(3ページ)
「ことばを見出せないもどかしさがペンを止めてしま」うだなんて、ああ、工藤先生、あなたは詩人ね。書けずに苦しみ、んんががががコンチクショウ、と叫ぶさまを、「ことばを見出せないもどかしさがペンを止めてしま」う、とこれほどまでに美しい表現で言い放った人がいたか? しかも、べつに美辞麗句を連ねているわけではない。
しかし私たちが日常ぶち当たっているのはまさしく「ことばを見出せないもどかしさ」なのである。
感想文の章で工藤先生は三好達治の詩を引いて、こう述べる。
《詩の読み方には、その作品を読む人のさまざまな読み方があっていいでしょう。この詩で注目したいところは、〈雪ふりつむ〉という表現です。
みなさんの知っている雪はどのように降りますか。遠い異国となってしまったサハリン(旧南樺太)生まれの私の記憶の中には、雪は降らせるものではなく、降りゆくものでしかありません。(中略)雪の降り方が一様でないように、人びとの雪の感覚もまた、多彩なのです。したがって、いくつかの感じ方があるのではなく、一人の人間には一つの感じ方しかできないことを知ることが、大切なのです。》(113〜114ページ)
日本語は、雨や雪、風や陽射しなど天候や自然現象の表現に富むとはよくいわれるところだ。とはいえ、数多の表現のあることと、ある人間の感じかたのありようとはかかわりがない。降る雪をみてどう感じるかは雪を見る本人固有のものだ。
三好達治が「ふりつむ」と表現した雪は、三好が見た雪だ。三好の見た雪を想像する。もはや降る雪を三好と同じ時間空間では見られない以上、想像するしかない。ここで想像力が問われるが、「一人の人間には一つの感じ方しかできない」。とすれば、「ふりつむ」ってあんなんかな、こんなんかなと思い描くのではなくて、ただ三好が見た雪を三好になって心眼で見る。
そうすると、この詩を対象にした感想文なんぞ、シンプルにシャッと書き上がるであろう。
だが、けっして、近道をガイドする学習書ではない。そうではなくて、きちんと射るべき的を射ること、「コア」を見誤らないこと、回り道になってもたどるべき場所をたどること。それらのことは工藤先生も力説しておられる。
それにしても、工藤先生の文章は「の」がきれいだ。「の」を美しく使うこと。現在失われている用法のうち、いちばん忘れて欲しくないのが「の」である。どの「の」のことか、わかる?
Bon anniversaire ma chérie! ― 2014/02/13 22:10:07
産婦人科医院の院長は予定日を2月14日ですと言った。バレンタインデーですね、もし男の子なら、誕生日とバレンタインデーが同じというのはいいのかなよくないのかな、わっはっはなどとぬかしておった。その次の健診から院長の担当ではなくなって、週1の当番で来ている医師に代わったが、彼は、すくすく育てば予定日より早く出てきますよ、ま予定日なんてのは予定以外のなにものでもないのであってね、と言った。
サンヴァランタン(フランス語ではこう発音する)の日を待たずに陣痛が起き、娘は胎内でたいへんよく育ちすこぶる元気に産声を上げた。18年前の2月13日午後6時頃。
18歳を迎えるというとても意味のある記念すべき誕生日に、なんと娘は親から離れて異国にいる。初めて二人で過ごさない娘の誕生日。私の誕生日は、とくに近年は私の帰宅が夜中だったり、帰宅後疲労困憊してバタンキューで寝てしまったり、でまともに祝えたことはないのだけれど、娘の誕生日のほうはサンヴァランタンと準備することが微妙にかぶるので、外すことなくお菓子をつくり、そんなわけで私も贈り物の用意も怠りなく。
なのに今年の誕生日には娘がここにいないのである。
いない。
いないのだが、この大きな不在を、さして気にしていない自分がちょっと可笑しい。べつに人間の器ができているわけでもないし、親として分別臭く気取っているわけでもないし、ましてや娘のいないことが寂しくないはずがない。
けれど、なんつーか、ここに私が昨日やおとといと同じように生きているように、彼女も今日を昨日やおとといと同じように迎え、今日を無事迎えた喜びや充実感と同じ思いで明日もあさっても生きていくだろうと確信できるのである。
そのことが、娘の不在の生む空虚感や寂寥をいくぶんか和らげる。不在は不在に過ぎないのであって喪失ではないから、私はそのことを喜ばねばならない。
私の母にいたっては「今日は何の日?」の問いに「さあ?」とまるで思い出すふうでなかった。人に尋ねられれば孫がいなくて寂しいと答えるが、毎日自分の身体を動かすことだけでいっぱいいっぱいだから、はっきりいって、セントヴァレンタインズデーも孫のバースデーも、さしたる重要事項ではないのだ。だからといって孫に会いたくないはずはない。毎日無事を拝んでいるが、いくつもいくつも考えたり行動したりしていたうちの、今はほんの数パーセントしかできなくなっているような状態だから、孫の誕生日を忘れても仕方がないだろう。
だいいち先月の私の誕生日だって、見事にころりと忘れていたのだ(笑)。
身ごもった時から、どういうわけか私には確信めいたものがあったのだ。私の産む子は手段や方法はどうあれ、世界に何らか寄与する人間になる、と。そして私の産む子が、そのまた後続世代を育てることに大きな役割を果たすと。だから私は迷わずこの子を産むのだと。産むことにはっきりと反対した人も、間違っていると断言した人もいたけれど、18歳になった彼女を見ても同じことを言うだろうか。言わない。絶対。
私はこの先も、身ごもった時に覚えた確信を、たとえば彼女が20歳になった時、職業人として自立した時、伴侶を見つけた時、親になった時などに、都度都度、再確認して噛みしめるだろう。
そう願いたいし、そう在らねばならない。私の娘という稀有な存在を産み落とした親として。
誕生日おめでとう!
Oui, c'est chouette, finalement. ― 2012/02/29 22:51:48
『最終講義―生き延びるための六講』
内田 樹著
技術評論社 生きる技術!叢書(2011年)
本書が出版されたばかりの頃、私はとてもじゃないがそんな心の余裕がなかった。いや、本当のことをいえば、内田樹の講演録は、対談本よりはましだと思っているが、あまり好きではない。彼は話し上手でもあると思うけれど、いつかも書いたが話をしているウチダを「読む」よりは「聴く」ほうがずっと健康にいいと思っている。健康にいいというのはこの場合変な形容かもしれないが、講演の内容が政治であれ教育であれ、彼のお喋りにはオバサン的シンパシイを感じるからに尽きるのである。私はよく学術会議や外交がテーマのシンポの取材の機会があるのだが、お喋りの上手な人は、何をもってお喋りが上手といえるのかというと、(借りてきた言葉やよその学者の引用でなく)その人自身の言葉を使い、相手も語感と意味を共有してくれるに違いない言葉――それはかなりシビアなセレクションだと想像する――を選択しつつ、そのことじたいはなんでもないことのように、井戸端での噂話をするかのように、澱みなく流麗に、(そしてこれが重要である)美しい発声で、話をする。そんな人の話を聴いて、素人聴衆は「いやあ、この人の講演は聴き応えがあるなあ」とか「ものすごわかりやすかったわあ」といった感想をもてるのである。で、たぶん、ご本人はさほど特別な努力をせずにそのイカスお喋りテクを身につけている。素晴しい論文や著作本に代表される高い業績を残す学者が、必ずしも講演(とくに一般向け)が上手でないのはよくある話だが、その方は一生上手にはなれないと思う。努力しても詮ないと思う。そっちは彼の行く道ではない。彼はひたすら研究し書けばよいのである。
話を愛するウチダに戻すと、私は彼の「書いたもの」が極端に好きである。陶酔するほどに好きである。彼は間違いなく読者に向かって「書いて」いる。その本の中で彼が論ずるテーマへの、尽きることのない愛情がほとばしって見える、それが彼の著書である。ウチダの著書には、私はいつだって心を揺さぶられるし、覚醒させられる。気分がいいとき、共鳴するときばかりではない。しかしそれすら快感である。
しかし、彼の語りをそのまま文字に置き換えた対談本や講演録はその限りではない。本になる前に内田樹自身が校正しているし、大幅加筆もしているので純然たる記録でないのは明白だけれど、文章の持つそのライヴ感が、その本の読者でなく実は共著者である対談相手、あるいは当時の聴衆に向けられていることがわかってしまっているので、興ざめである。いくら書籍という体裁のために整えられても、やはり「喋った当時の臨場感」を誌面に残そうと努力するのが、対談や講演の企画者、出版社の編集者、そして著者自身の意向であるのは普通のことである。
でも、そのことは、私にとっては書物としての魅力を半減させてしまう要素なのである。
去年の5月か6月に書店に並んだらしきこの赤い派手な本を、私は一瞥した覚えはあるのだが、いかんせん、その頃、読む本ときたら地震と津波と原発と、放射能汚染と医療と食品の関連本ばかりであり、ときどきガス抜きに子ども向けの小説を読んで頭を休めるということを繰り返していたので、いちばん好みのジャンルであるエッセイ系、批評系の書物に全然目がいかなかったのである。
ふと思い出して図書館で検索すれば、お決まりの貸し出し予約殺到状態で、相変わらず人気はあるが、予約してまで借りようとも思わなかったのはこれがやはり講演録だからである。
でも、けっきょく私はこの本を読んだ。ある晩帰宅すると、食卓の上にばさりと、娘が高校から持ち帰った文書類が無造作に置かれていた。その中に高校の図書館便りがあり、新規購入図書紹介欄に本書の題名があった。さっそくさなぎに「この内田さんの本借りてきて」と頼んだ。研修旅行委員だからいろいろな調べもののためにしょっちゅう図書館に行くくせに、ヤツときたら「ア、すっかり忘れてた」「今日はちゃんとメモ持って行ったのに自分の借りる本見つけたら忘れた」「誰の何ていうどんな本やったっけ?」とのたまうこと数か月(笑)。ようやくつい最近、私のために『最終講義』を借りてきてくれた。
読んで思ったのだが、あ、なるほどこれは高校の図書室にあってしかるべき本である、ということだった。ウチダの喋りはわかりやすい、というのはさんざんゆってるが、確かに彼は好んで高校生に向けて講演をよく行っている。収録されている講演録は高校生向けのものはないけれども、彼のお喋りは、高校生くらいが読むのにちょうどいい重要語彙出現頻度で進むのである。実際に、収録されている講演を、娘の高校の生徒たちが聴講したら、たぶん全員舟を漕ぐ(笑)。言葉は発せられて瞬時に消える。ウチダの口から発せられる言葉をあらかじめ推測し発せられた瞬間それを捉えて咀嚼し音が消えた後にもその言葉の余韻を噛み締めながら続いて発せられ続ける言葉の洪水とつないでいく――そんな、「聴きかた」をもたないと、ウチダであろうと誰であろうと、澱みなく続く他人のお喋りにうつらうつらしてしまうのはいたしかたがない。ティーンエイジャーの仕事の半分は寝ることだからな。
しかし、それが文章になると、言葉は消えずに眼下に留まり続けてくれるので、反芻しながら読むことができる。内田の話は、講演録のかたちでなら、ウチの子でも読めるわと母は思ったのである。神戸女学院大学の学生たちにこれが最後の講義ですといいながら、ウチダは、実は日本全国の小中高生に語りかけていた。彼がこれまでの著作で、ブログで、ほいでたぶんツイッターで、さんざん繰り返し述べていたことをもう一度語ったに過ぎないのかもしれないが、彼は、教員としての最後の一年間に行った講演のほぼすべてを、日本の未来を担う子どもたちに向けて発信したのである。聴衆は、神戸女学院大学の学生に留まらず、その同窓会や保護者会、他大学の学生と教職員など、ええ歳した大人ばかりである。彼らをそれなりに楽しませながら、ウチダはこれ以上ないというほどの強い思いを込めて子どもたちに向けてメッセージを発していた。
バレエの発表会が無事終わったら、娘に薦めようかと思っている。300ページを全部読めとは言わん。彼女のツボにはまりそうなトピックスが部分的にあるので、ここと、ここと、ここ読んでみ、というふうに。それらは、子どもたちが考えるきっかけ、問題の所在に気づくきっかけになるような仕掛けのある場所だ。そこに引っ掛かれば次の思考へと階段をひとつ昇れる。
本書は、ウォールクライミングの、ほら、壁に埋め込まれたカラフルな石の断片、ああいうものが各ページにちりばめられているといっていい。どの石に足を引っ掛けて登るのかは読み手に任されているが、気まぐれに、あるいは突拍子もないしかたで、思わぬところに引っ掛けて進む、そんな読みかたを、ウチダは子どもたちに期待しているのではないか。とそんなふうに思ったのである。
*
ほったらかしのブログに毎日たくさんのアクセス、ありがとうございます。
ようやく、仕事の出口が見えてきました。これからほんのしばし、少しは眠れる夜が続くと思います。明日、あさってが踏ん張りどころ。
気がつけば2月も終わり。今年はうるう年なんですね。この、2月のプラス1日が、世の中の仕事ニンゲンたちをどれほど救い、あるいはどれほど苦しめているか(笑)、これ考えた人は想像したんかい、おい、こら。
せっかくの2月29日なので、なんか書いとこうと思いました。
Bon anniversaire ma chère!!! ― 2012/02/13 23:53:08
C'est pas facile, les histoires des ados...!!! ― 2012/01/05 19:48:04
『きみが見つける物語 ティーンエイジ・レボリューション』
アンソロジー(椰月美智子、あさのあつこ、魚住直子、角田光代、笹生陽子、森絵都 著)
角川書店(2010年)
仕事始めだった……。
ぜんぜんアタマが仕事モードにならないのなんのって……。
こんな新年は初めてだぞ。毎年、雑煮やらカルタ取りやらDVD鑑賞やら深夜映画やらでどろどろぬーぼーぐでんぐでんになったアタマも、しゃきっとするのにさ。歳かあ。ちきしょー。
若さがうらやましいなっ。
あの頃にはもう戻れないのだ。
なかなかの秀作を集めた「きみが見つける物語」シリーズ、紹介する本書は文庫じゃなくて単行本。売れっ子さんたちがずらり。きりきりきゅんきゅんの10代マインドを描いてみせる。私は魚住直子に惹かれて借りたんだけど、んー、本書への収録作品はそれほど好きではなかったな。月並みな評価かもしれないが、角田さんと森さんが突き出ているかな。で、この中でいちばん冴えないのはあさのさんだ。あさの作品はもともとあまり好きではない。何だったか超ブレイクした長編を手にとって、書き出しが違和感あってすぐ閉じたのを覚えている。もちろん、読了したのもあるが、いずれも、じゃ次行ってみよー、みたいな勢いを保てない。当分読みたくない感じ。本書収録作品はどれも短編だが、それぞれ著者の個性はよく出ている。本音を言うと森さんの作品もあまり好きではない。面白くて一気に読んでしまうのだが、的を射すぎているというと変な表現だけど、青春のツボをつかみすぎているというのか、もう少し外してくれたほうが(笑)オバサンは読みやすい。だーーーーっと読んじゃうわりに、読後感がよろしくない。そっか?そんなもんか?そう終わっていいのか?みたいな。「17レボリューション」も大変面白い。切り口も展開もさすがだ。だが最後はちんまりまとまってしまったな感が否めないのだが、それは過剰要求かもしれぬ。
「世界の果ての先」角田光代(初出:『野性時代』2005年7月号)
「薄桃色の一瞬に」あさのあつこ(初出:『野性時代』2005年7月号)
「電話かかってこないかな」笹生陽子(初出:『野性時代』2005年7月号)
「赤土を爆走」魚住直子(初出:『野性時代』2006年10月号)
「十九の頃」椰月美智子(初出:『Feel Love』2007年vol.1、「19、はたち」を改題)
「17レボリューション」森絵都(初出:『野性時代』2006年4月号)
で、何が好きだったかというと「十九の頃」なのだ。
ヒロインが十九の頃を思い出して語る。突飛なストーリーではない。物語の展開や結末も見える。だが、ヒロインの語りがどことなく舌足らずで、読み手はよそ見せずに聞き耳を立てなくてはならない。そのあたりが、タンタンターン!と展開していく森作品とちょっと(かなり)違う。
私はこういう、行間がしっとり湿っている物語が好きだ。たとえば、岩瀬成子さんの筆致がそうなのだけど、じんわりと、読み手の指先から心にかけて物語の色が染みていくような、そういう湿り気を含んだエクリチュール。
YAというジャンルに入る文学はおしなべて、本書収録の「電話かかってこないかな」「赤土を爆走」「17レボリューション」のように鋭さとテンポよさと意外性を持ち合わせていることが多く、それゆえに若者に受けているのが事実なのだろう。
本書の中では、角田さんの「世界の果ての先」が、少しだけしっとり感を醸し出している。だが、この作品のよさはそうしたしっとり感とは別のところにある。したがって、私が好きな岩瀬さん作品との共通点、といった言い草をするのは角田さんに失礼だろうな。それは椰月さんに対してもだが、この方の作品を本書で初めて読んで、他作品をまだ知らない。本作だけであれこれいえないが、本書の中では好感が持てた。
早いもので、娘の高校生活も10か月めに突入。親ばかりがあたふたしている間に気がつけば卒業、なんだろうな。高校時代、私は突然エリック・カルメンが好きだったが(そして卒業すると聴かなくなった)彼女が陶酔するのはなんだろう。何でもいいからそういう対象を持つがよろし、なんだが。
C'est rigolot, l'histoire des ados ! ― 2011/11/15 19:21:30
『空色メモリ』
越谷オサム著
東京創元社(2009年)
いたってありきたりな高校生たちの、日常のありがちなひと騒動をユーモラスに描いた学園ミステリーである。けっこう面白い。何でも読んでみるもんだなあ、とつくづく思う今日この頃。この越谷さんという書き手のことも、私はぜんぜん知らなかった。ノリのいい筆致で、とても人気があるようだ。本書も、主人公の「桶井陸」という少年が軽妙な語り口でストーリーを引っ張っていく。語りは軽妙だが、彼は90キロを超えるおデブさんで、口の悪いクラスメートからはブーちゃんと呼ばれていたぶられている。彼が自身を形容するとき、読者はたしかに暑苦しいおデブキャラを思い浮かべるのだけれど、デブを十分すぎるほど自覚し、自分のデブさのせいで他者に与える不快感を少しでも軽減しようと身だしなみを整える努力をするさまはとても微笑ましいというか涙ぐましいというかはっきり言うと滑稽であったりするのだが、自虐的なところまでいかないのが高校生らしい爽やかさを残していて好感がもてるのである。
さて、主人公の陸は、メガネをかけた勉強小僧みたいな「ハカセ」こと「河本博士」くんの「文芸部」に、正式入部しているわけではないのに入り浸っている。ハカセと仲がいいからだ。けれども、自分が来なくなると文芸部にはハカセしかいなくなるし、それではハカセも気の毒だし、自分も文芸部の部室以外に居心地のいい場所はないし、来るのやめたら放課後の時間を持て余すし、などなど、消極的な引き算の結果、陸は文芸部に顔を出しているのだ。が、ほんとうは、ここが誰にも邪魔されずに「日記」のような小説を書くことができる貴重な時間であり場所であるからなのだ。陸は日々の出来事を、文芸部のパソコンを借りて綴っていて、それを、決してパソコンのハードディスクにではなく、自分のUSBメモリに保存している。
そう、「空色メモリ」とは、「青春色した思い出」のことではなく、陸が愛用している記憶メディアの名称なのだ。
空色メモリには、陸が毎日綴ったハカセとの会話、顧問の先生の口癖、誰も来ないと思っていたのにやってきた新入部員の「野村さん」、ひょんなことから知り合った女生徒たちの印象や評価や彼女らとの会話が記録されている。絶対に他人に見られてはならない内容、それが「空色メモリ」にはぎっしり詰まっている。もし読まれでもしたら陸は破滅する。
なのに、空色メモリは人手に渡る。そして「全校生徒に公開するぞ」と、陸を苛む何者かからの脅迫メール……。
ストーリーはそれほど突飛ではなくて、もしかしてこれがこうなるんじゃないのかな?という方向にちゃんと落ちていく。だが、これが越谷氏の技なのだろう、実に上手く高校生の会話をポジショニングして、それなりにスリリングかつほのぼのとした学園ドラマに仕立てているといっていい。作家は、男子の視点で展開していくのが得手のようだ。非モテ系の主要人物「ブーちゃん」「ハカセ」にデリカシーのない体育会系のクラスメートを絡ませ、さらに超イケメンのバスケ部の新エースや遊び慣れている風の自惚れ男子生徒など、人物設定に配慮が行き届いていて(行き届きすぎの感もあるが)バランスがいいように思われる。で、「元」女子高生の視点で読むと、対して描かれる女子高生たちの会話や行動に少し無理があるような気もしないではない。派閥をつくりたがり気に入らない子を無視するような典型的な女王様タイプも登場させるが、(重要人物ではないからだろうが)イマイチ描ききれていない。ま、とはいえそうした点が物語の展開を邪魔しているわけでは、もちろんない。
オバサン視点で読んでやはり違和感を覚えるのは、ひとつ間違えれば深刻な問題に発展するはずのひとつひとつの出来事が、「おおごと」にならないまま消化され、「とりあえずこっちへ置いといて」扱いされ、笑い飛ばされている印象をついもつからだろう。高校生の親の視点で読めば、こんなことが娘にあったらあたしゃ相手の少年をただじゃ置かないわよ、と思うようなこと満載。ま、小説だからよいのである。
C'est beau, l'histoire des ados...! ― 2011/11/11 20:12:31
長崎夏海 著
雲母書房(2006年)
学校側からいわゆる「不良」のレッテルを貼られている中学生たちの物語。
長崎夏海という作家を、不勉強でまったく知らなかったのだが、思春期の少女たちの心模様を、キリキリと錐が鈍く光るように描く作家は他に類を見ないという評判である。へえ、そうなんだ。
思春期特有の危うい友人関係や壊れやすい脆い意志、鋭利な刃物に喩えるには軽すぎて、砕けたポテトチップスなどというと叱られるくらいには強い精神性。個人差はあるが小6あたりから高1までは、ひとつ間違うと、積木くずしじゃないけど崩れるジェンガのように、その心は壊れてしまう。もう子どもじゃないから崩れた破片による衝撃も馬鹿にならないほど大きくて修復にも時間がかかる。
幸か不幸かウチの娘は「積木くずし」にも「スケ番デカ」にも「シド&ナンシー」にもならなかったが(これからなるかもしれないけど。恐)、本書のような思春期ストーリーを読むと、母親(つまり私)の態度次第で彼女の青春はいかようにも翻弄されたに違いないと思わずにいられないのである。
中学に入学し、新しいクラスで自己紹介するときに、舞は自分の名前をいえなかった。
「好きなものは、ライム。以上」
それしか言わなかったから舞のあだ名はその日からライムになった。
名前をいえなかったわけは、小学校5年のときに一緒に飼育当番をした女児の冷たく鋭いひと言のせいだった。あたしがきらいなのはひゅうがまい。そんなふうに言われたのは後にも先にもこのときだけだった。そしてそんなふうに言い捨てて、彼女はそれきり不登校になった。
あたしがきらいなのはひゅうがまい。それを言った当の本人と、ペットショップで再会する。そんなことを言ったくせに、彼女はとても朗らかに、懐かしそうに舞に声をかけ、今度一緒に遊ぼうと提案するのである。彼女は学校に通っている様子がない。遊び場所は「ストリート」だ。こってりメイクが目立つ彼女をストリート常連の少年たちがナンパするが、体よくかわして追い払うのもすでに堂に入っている。ストリートにたむろする若者たちは、別の世界の人間のようだが近しくも感じる。
イケメンで知的、体格も日本人離れしたどこから見ても誰が見てもいい男である父を、自分は素直に素敵だカッコいいと感じ、とても愛していたのだと悟る舞。
しかし高校に進学したら、自己紹介のときにきちんと名乗ろう、そして日向舞に戻るんだ。そんなことを思う主人公である。
瑞々しい10代の感情の起伏を、今現在の言葉に載せ今現在の空気のなかに描いてみせるその力量に舌を巻く。
『ライム』の12年程前には『夏の鼓動』という、同じく高校受験を前にした少年少女群像を描いた作品があるそうだ。そちらも読んでみたい。
前にお弁当の写真をのっけたら、コマンタさんがおいしそう!とコメントをくれたので以来調子に乗って、余裕のあるときにお弁当を撮影するという癖がついた。といったが余裕のない場合がほとんどなので(「お母さん、ウチもう行くよぉお弁当まだぁ???早よしてえー」「はいはいはいはいはいはいはい」)毎日撮れてるわけではないが、それでもちょっくらたまってきたので古いものから順に披露することにする。
Est-ce que cela marchera? ― 2011/10/05 20:17:30
さなぎと前からランチの約束してたので店の前でヤツを待つ。ドア前のプレートに「水曜日レディースデイ!」だって! これはラッキー♪
さなぎは前期期末テスト中。午前中でその日の試験は終わるが、競技会を間近に控えた陸上部は午後練習があるのでずっと「お弁当を持っていかなあかんねん~」。が、今日はマネージャーは参加フリーのお達しが出たので「お母さん、ほら、前から目ぇつけてた、会社の近くのお店、連れてってえ」。
土砂降りだというのに傘を片手にチャリンコで来た娘。いっとき、危険だからと「片手傘乗り」を厳しく取り締まっていたけれど、やめたのかなあ? 傘差してチャリで走っているとぴぴぴっと笛鳴らされて、「傘を差すなら降りてください。でなければ傘を閉じてください」と拡声器で怒鳴られたり。人通りの多い交差点には四つ角それぞれに警官がいた。ああいうキャンペーンめいたことをするときって、暇なんだよね、きっと、警察。携帯電話で喋りながら走っている子も停められてたなあ。いっとき集中的に取締りをして、効果が現れたってことなんだろうか。でも、傘差して走ってる人なんていくらでもいるけどなあ。私も娘もやめてない、傘。私はケータイ操作もやめてない。というか、やっと、最近、片手で操作できるようになったのさ(笑)。
「テストさ、けっこうできたで」
「ほんま? そらええニュース」
「うん。運がよければ50点ある」
「それは50点満点、100点満点?」
「100点満点。へへへ」
「どっち? 数学、世界史?」
「数学」
「そら上出来。世界史は?」
「無知の知ってゆーた昔の哲学者ってソクラテスやんな?」
「えっ……お母さん、知らん、そんなん」
「たぶん、合うてんねんけど、すぐに思い出せへんかって、アから順番に探してん」
「アからって……アルキメデスとか?(笑)」
「誰それ?」
「いや、忘れてくれ」
「ア、イ、ウ……って人の名前探してて、ソまで来てソクラテス思い出してん」
「それは素晴しい快挙や。でも問題、それだけとちゃうやろ?」
「うん」
「ほかの問題はできた?」
「びみょー」
「ソクラテスだけは確実に得点できたし、けっこうできたってことになんねんな」
「うん」
最近会った、いろいろな友達の話をした。私の友達だが、さなぎが見知っている人もいる。30年ぶりに会って盛り上がる同級生とか、ネット上の活動を通じていきなり親しくなる仲間とか、私の交友の在りかたのある面は、彼女には不思議に映るようである。とくに近頃、家ではMacにはりついて友達とメールしたり、ゆうちゅうぶで古いドラマ見たり、ほしいものを検索したりして、遅ればせながらネットサーフィンの日々を楽しむ娘である。高校生の恋愛相談掲示板みたいなやつも覗いている(笑)。以前、さなぎが開けっ放しにしていた画面を見ると、「先生のこと好きになっちゃった」女子高生が書き込んでいた(笑)。
ネタは何でもいいらしいが、ネット上でのコミュニティーに興味があるらしい。誰か不特定多数と意見交換してみたいみたいなことを言う。
福島第一原発が爆発した直後、あるとても若いタレントさんが「原発反対」を自身のブログで主張して、コメントが殺到して炎上した話をした。その14、5歳の少女タレントさんは、すごい売れっ子でもなかったけど、それで一瞬有名になった(でも私は名前忘れちゃったけど)。そんなこともあって、売名行為とも言われたし、現場の労働者の苦労も知らずに勝手なことを言う小娘と罵られてもいたが、大手電力会社の顔色を窺って何もいえない腰抜けの大人どもに比べて、純粋で素直でまっすぐな意見だ君はエライ、ウチの子にも君の主張を聞かせたい、といった賛辞もあったよ。
というような話をしたり、愛するウチダのブログもかつてはコメント投稿できたけど、ネチネチと難癖つけにしか来ない奴がいて、そいつを叩くために内田シンパがまた暴言を吐くから収拾つかなくなってコメントできなくなってしまったよ、という話もした。また、私が今でも所属している翻訳クラブは会員制の閉じた世界で、志を同じくする人の集まりだからいい加減な人間はいない、とか、またかつて盛んに活動した文章塾は開かれた場だったけど、紳士淑女の集まりだった、悪い人変な人ボケた人は全然いなかった、考えてみれば奇跡だったかも、という話もした。
インターネットの大海には、本当にいろいろなものが泳いでいるし、いろいろなものが浮いている。なにもかもが素晴しいものではない。ゴミもある。ただ、ある人にはゴミに見えるものが、ある人にはガラスの空き瓶に閉じ込められた宝の地図のごとく、有益なものに見えることもある。だから鑑識眼をもたないと、ネットとのつきあいはとても疲れる。
ということをいいたかったのだが、わかってくれただろうか。
学校では、探究という科目の中で情報リテラシーについて学んでいるらしい。しょっちゅう小論文を書かされているが、テーマを出され、インターネットでの事前調査を宿題にされている。キーワードをぽいっと提示されて、そのキーワードだけ追いかけていては堂々巡りだから、「その周辺の言葉を拾って情報範囲を広げていかないとあかん、その際の言葉の拾いかたできっと差がつくんやで」というと、「お母さんはそういう言葉の拾いかた、うまいやんな」とニッと笑う。前にも書いたかもしれないけどヤツは私を辞書代わりに使うばかりでなく検索ワード抽出機としても活用しておる(笑)。最近、鼻が利くようになったのかあまり「なあなあお母さん、○○は◇◇であるということについて調べるときはなにで検索したらいいと思う?」みたいな質問をしなくなった。小論文の採点結果はすこぶるいいらしい。「お母さんに見せたら赤ペンで真っ赤に添削したヤツ、あったやろ? あれ、面倒くさいから何も直さんと出したけど、満点やったもんねー」
呆れた論文指導教師がいたもんだっ(怒)(笑)
それでふと思ったが、中高生向けに小論文塾みたいな場を設けたら流行るだろうか?
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ところで、今日は百恵ちゃんがさよならコンサートを武道館で開いた日だったって。夕刊紙の「今日は何の日」欄に書いてあった。夕刊を読むのは久しぶりだった。なぜ久しぶりに読んだかというと、弟のコラムが載る日だったからである。で、今日のはつまらなかった。というか、やっぱしヤツの文章はイマイチ独りよがりだ。学生のときからそう言ってやってるんだが、まああの頃よりはずいぶんコマシになったが、さなぎの小論文じゃないけど、アタシが事前に読んだら真っ赤にするところだ(笑)。ま、学者の書くもんなんてみんなよがってるけどな。まだヤツはひよっ子だから許されるんかも。
やっぱ小論文塾、やろか?