おはよう、ミドリ ― 2007/04/16 11:38:31
ミドリは去年の夏、突然我が家にやってきました。
小汚い狭小住宅の密集する我が家の周辺。
(↑ あ、ご近所の皆さん、ごめんなさい)
アマガエルなんていう、里山、田園、小川、池、などのネイチャー系要素がなくてはとても生息するはずのない生き物が、なぜ我が家に登場したのかは、わかりません。
代々染め職人の我が家は、父の代で作業場を機械化したのにともなって庭を潰しました。向こう三軒両隣、裏手もその向こうも、同じように家業の発展もしくは衰退、住み手の交代などにしたがって家のかたちが変わり、もともとどの家にも――どんな狭小な家にも――必ずあった中庭は姿を消しました。
私が幼い頃、よく迷いガエルを家で捕まえました。ものごころついたとき我が家にもう中庭はありませんでしたが、両隣も裏手にも、ささやかながら風趣ある庭があったので、どこかで生まれてウチへ来たんだね、このカエル、と私たちは喜んで水槽を整えてやり、朝晩、小さな虫を捕まえては餌として入れてやりました。思えば、小さな虫――クモやアリやコバエ――の確保に苦労した覚えはなく、古い家には年中、見方を変えれば不愉快きわまりない虫たちがいましたが、カエルのいるときは、虫のいる家でよかったなと親子で笑いました。
さて、どうしてアマガエルがウチへ到着したか。
考えられるケースはひとつだけ。それは、娘の小学校から娘にくっついてきた、ということです。
夏休みに入ったばかりのある日、学校のプールで水泳を楽しんだ後、娘はプールバッグを校庭の「どこか」に放り出し、級友たちとボール遊びにさんざん興じたあと、プールバッグを「どこか」から拾い上げて、級友たちとおしゃべりしながら帰宅しました。
家でおやつをバリバリ食べながらテレビをボーっと見ていた娘の前を、なにやら緑色の物体がぴょん、ぴょん、ぴょん。
仰天した娘は夕食の支度をする祖母に、
「おばあああちゃんんっっなんんかっっみどりいろのもんがぁとんんでるうっっ」
「えー?」
「ええっええっもしかしてっカエルちゃう?」
「いや、ほんま。カエル」
「おばあああちゃんんんっどうしよっ」
祖母はインスタントコーヒーの空き瓶(お徳用のでっかい瓶)を出してきました。「都会の野生児」の誉れ高い娘ではありますが、実際にネイチャー系経験はゼロに等しく、ナマの生き物に触ったことはありませんでした。しかし、祖母ではカエルの敏捷性にはとうてい勝てないので、娘は「一大決心をして」カエルの捕獲に向かい、なんとかガラス瓶におさめるところまでできました。
その間、すでに我が家へ来ていた愛猫は何をしていたかというと、この騒ぎをよそに、寝ていたそうです。
その晩、出席を要請されていた町内会の会合に、仕事のため出られない私に代わって祖母と娘が出てくれることになっていました。
「お母さん? 今から会合いってくるけど」
「ああ、悪いなあ、ご苦労さん」
「大事件やねん」
「なに?」
「カエルがな、いてん。びっくりしたー(と顛末をえんえんと語る)。ほんで今コーヒーの瓶に入ってるし、はよ帰って何とかして」
「はいはい、わかりました……(また生き物増えるんかよと途方にくれる)。あ。あのさ、ちょっとだけ水、ふりかけといたって。ほんで空気通るようにしてある? 猫が触れへんようなとこへ置いといてよ。ほんで……」
にわかに幼少時の記憶が蘇った私はケータイの向こうの(たぶん困惑顔の)娘に矢継早に指示をしたのでした。
いろいろ考えて、このカエルは小学校の池に生息していたやつが、娘のプールバッグにくっついてきたのだろうと、私たちは結論しました。娘はプールバッグを池のそばには置いていないといいましたが、かといってどこに置いたかは覚えておらず、池から離れてしまったカエルがたまたま跳びついたのが娘のバッグだったのでしょう。バッグはブルーとグリーンの水玉模様。何事にも無頓着な娘が気づくはずもなく。
娘はカエルにミドリと名前をつけました。
以前コクワガタが棲んでいた小さな水槽にひとまずミドリを移し、私は古い記憶をたどって底に土を入れ、金魚の水槽から大きめの石をひとつ取り出し置いてやりました。念のため、アマガエルの飼い方を飼育百科やインターネットで調べ、ミズゴケやポトスの鉢も入れるといいと知り、そのようにしつらえました。
我が家にすっかり虫は出なくなっていましたが、時折現れる小さなクモやカトンボを嬉々として捕まえて、私は「ごはんよ~」と声をかけながらミドリに与えます。
市内の川べりで放すことも考えましたし、学校の池に戻すという方法もあったのですが、私たちは考え抜いてミドリを家族として迎えることにしたのでした。自然に帰さない以上、何とか養わねばなりません。ペットショップでミールワームと呼ばれるなんかの幼虫みたいなミミズみたいな虫を購入しました。しかしミドリが食べているのかどうか、わかりませんでした。アマガエルの習性(を詳しく知っているわけではないのですけど)を鑑みても、飛んでいるコバエやすばやく這うクモを好むと思われました。とにかくしっかり食べておいてもらわないと、安らかな冬眠につけないということでしたので、去年の夏、私はかつてないほど、小さな虫の動きに敏感になりました。
ミドリの動きが鈍くなったのは11月頃からでしょうか。しかし、きりっとした冷えこみがまったくなかった晩秋から冬にかけて、ミドリはポトスの根元でじっとしたまま、ただ動かなくなったのでした。時折、乾燥しないように霧を噴いてやると、ピクリと反応しました。生きていることは確認できましたが、これでいいのだろうかと、私は常に不安でした。
もう春になるのかと思われるほど、気味悪く暖かかった1月と2月のあと、とんでもない冷え込みが3月にやってきました。
水槽をふと見ると、ミドリは土の中にもぐっていました。ミドリの皮膚がようやく寒い冬を感知したのでしょう。
4月に入って、からだ3分の2ほど出してはまたもぐり、を繰り返していたミドリでしたが、今朝ようやく全身を土から出して、鉢からミズゴケへ、水槽の縁へと活発な動きを見せたのです。
十分な睡眠がとれていたのかどうか。それだけが私は心配です。愚かな人間がもたらした気候の変動が、このように小さな動物の生命をも左右している。罪は生涯をかけても償えないけれど、せめてミドリだけは健やかに天寿を全うして欲しいとは、飼い主のエゴですね。
再び、小さな虫を追いかける日々が始まります。
おはよう、ミドリ。