寄り添ってほおずりしたくなる君へ ― 2007/11/06 17:43:44

『世界音痴』
穂村 弘著
小学館(2002年)
「仕事の合間の息抜きに、ぜひ読んでほしいんです、コマンタさん」(あ、あのー単なる思いつきなのでお嫌ならいいんです……)
私は短歌や俳句を詠む人の書く文章が(一部の例外を除いて)好きである。短歌にも俳句にも詳しくないし、どのようなかたがご活躍中なのかも知らない。俵万智さんという人が一世を風靡した頃はまるで興味がなかったが、素敵だなと思える文章を書く人がたまたま歌人だ俳人だということが重なって、その後新聞や雑誌のコラムの書き手を注意して見ていると、へえと思わせる書き手はたいてい歌人か俳人なのである。
(余談だが売れっ子作家さんの書くエッセイというのは面白かったためしがない。知らない作家さん――といっても知らないのは私だけで著作もたくさんあり知名度もじゅうぶんある方々なんだが――のほうが、コラムやエッセイは面白い。私の好みがひねくれているのか?)
エッセイを読んでいて「がはははは」と爆笑することってあまりない。「くくく」ぐらいならけっこうある。しかし「がはははは」と笑わせてくれたのは私の数少ない経験では椎名誠とこの穂村弘の二人だけである。椎名誠は私の筆の師であり育児の師であり心の師であるのだが、穂村弘はどちらかというと気分的には「同期の桜」と呼んで肩を組みたい相手である。くじけそうになったときには互いに電話をかけて励ましあえる。失恋したときコイツの前でなら思う存分泣ける。忘れてたけど久しぶりに会ったら昔のままで、なんだか素直になれる話し相手……のような穂村弘と出会ったのは日経新聞紙上であった。「ほむらひろし」の名は絵本でときどき見た覚えがあったけれどコラムの書き手の肩書きは「歌人」となっていて絵本の「ほむらひろし」とは別人なんだと思っていた。で、あまりにそのコラムが抱腹絶倒、爆笑号泣の連続なのでいっぺんにファンになり調べてみたら同一人物だった。
その日経紙での連載をはじめとする2001年頃の彼のエッセイをまとめたのが本書である。私は彼の連載を欠かさず切り抜いて保管していたのだけれど、本が出たらやはり速攻で買ってしまった。当時よく一緒に遊んでいた美人の誉れ高い英日翻訳家の友人・喜代美(仮名)はいつもクールで「微笑」以上には笑わない女性だったが、「騙されたと思って読んでみな」と本書を押しつけたところ、「我慢できなくなってドトールでコーヒー吹いちゃったわよ」とうらみつらみのメールが来た(笑)。あの喜代美がコーヒー吹くなんて、と私にとっては二度「がはははは」と笑わせてもらったというおまけつき。
連載当時、彼は39歳、独身で、総務課長代理という肩書きを持つサラリーマンであったがそのかたわら歌を詠み、絵本を翻訳し、コラム執筆もこなしていた。じゅうぶんにスーパーな生活だと思うのだが、彼の書く彼の毎日は同世代人にとってあまりにリアルで自分の鏡のようでその情けなさに思わず落涙させられる。そしてその滑稽な穂村の道化ぶりを笑いながら、思わず走り寄ってその肩を抱き、ほおずりして慰めたくなる。うんうん、そうだよな。わかる、わかるよ。
同居の母親にあてがわれた菓子パンを食いながら寝てしまい、朝起きたらそのかじりかけのパンが枕元で(あるいは自分の身体の下でぺしゃんこになって)発見される。ああ、しまった、またやってしまったと思う。こんなんじゃ結婚できない、と思う。
食事どき、母親は必ず「味噌汁まだ熱いよ」という。おかずのひとつを指して「これもおいしいよ」という。僕はそのことをもう何十年もいわれて知っている、知っているのに母はいう。けれど、わかってるよっなどとはいえなくて、「んあ」なんて音とも声ともつかない返事をする。母親の前では僕はまだ5歳の子どもなのだ、と思う。
四十前のパラサイトシングル(彼はじゅうぶんに収入があるはずなのでパラサイトシングルの範疇には入らないが、たぶん精神的にパラサイト)の生活をけっして誇張することなく描き、読み手を憐みと賛同と嘲笑の坩堝に落とし込んで解放してくれない。昔の恋人の名前をネットで検索してみる。昼食代わりにサプリメントを青汁で流し込む。車の運転ができることを他人に驚かれて「なんだか傷つく」。私たちは彼を笑いながら、自分が隠し持っていた欠落感を暴かれて、彼に我が身を重ね、そして泣く。
たぶん、穂村弘が描いて見せる「穂村弘のような人間」はどこにでもいる。あるいは私たち全員がそうである。人は誰かに、あるいは何かに依存して生きている。依存は精神的寄生であるとしたら、誰もがパラサイトであるといっていい。
子育てしながら親の年金も食いつぶしているパラサイト進行形の私には、穂村の人生は本当に他人事でなく、何度抱きしめてほおずりしたい衝動にかられたか知れない。
冒頭でコマンタさんに呼びかけたのはわけがある。コマンタさんとの逢引きを終えて帰宅した10月18日の夜、目を通していなかった夕刊紙を広げて仰天した。その日は健康に関する連載コラムのある曜日だったが、「緑内障」と題されたその記事に患者として紹介されていたのが穂村弘であった。彼は『世界音痴』のヒットの後、自身の歌集も順調に売れていて、会社勤めを辞めて独立しようとした矢先に目の病が発覚したという。私には、幸せな気分で帰った夜にまるで旧い友人の訃報を聴いたようなショックだった。読み進めば、彼はめでたく結婚し(!)、失明という最悪の事態を何とか回避するため懸命な努力をしているという内容であった。ひとまず安堵したけど、もう奥さんいるけど、やっぱ駆け寄って「くじけるなよ」って抱きしめたくなったのだった。もちろんそれは叶わないので、代わりにもう一冊持っている彼の本『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』(小学館、2001年)を引っ張り出してその短歌の世界に耽った。穂村の短歌を反芻しながら、やはりコマンタさんとの短い逢瀬に思いを馳せていたのである。
穂村弘は子ども向けの短歌絵本シリーズなども出版、さまざまな雑誌にエッセイを寄稿したり著名人と対談したりして活躍中である。ぜひ、彼の世界に触れてほしい。入り口はどこでも構わない。そしてご本人には、健康に留意してこれからも活躍してほしい。今月は私の町で短歌のワークショップを開くという。短歌の詠み方ノウハウは要らないのでお顔を見にだけ行きたいが、そういうのはダメだろうなあ。