On est 14 juillet! Et c'est l'été!2012/07/14 22:53:38

フランスでは革命記念日であるがわがまちでは祇園祭のひとつめのクライマックスにさしかからんとする、宵宵宵山(よいよいよいやま、と読みます。山鉾巡行日の三晩前)。
7月の声を聞くと吉符入りやらくじ取り式やら神面改めやらお稚児さんたちのあれやこれやの儀式で、街も駅も店も(BGMがお囃子ばっかりになる……ちょっとげんなり)新聞も(祭スペースの大きいこと。平和なのよねなんだかんだゆってもさ)、にわかにニッポンの夏京都の夏祇園祭の夏ヴァージョンとなる。

長雨のせいで疫病が流行る。忌わしいこの時季を祓うための儀式が祇園祭の発祥と伝わる。祓っても祓っても、流行り病は人々を襲う。祭りの姿は神への叫びの大きさが高まるほどに、大層になる。まだ足りぬのかと、これでもか神さんよ病気流行らさんといてえなと派手になる。貞観の大津波の際には、当時の国の数である60基の山鉾が立ったと伝わる。都の安寧祈願が発端だった祭はやがてその対象を日本全国と広め、願い事が大きく拡大したために動く美術館と異名を取るまでに絢爛豪華となり……現在に至る。そんなこんなで21世紀の今は、地球規模の平和と安定と健康を祈願している。と言いたいが、そらちょっと、おこがましいな。祭に携わる人たちは、この伝統を維持するのにとりあえず必死で、真剣である。いっぽう、祭には鎮魂の意味もあるから、昨今続く事故や災害の犠牲者を悼むのはもちろん、どうかもうこれ以上不幸に見舞われないようにと、祭準備をしながら願わないはずはない。だが、そこまでではなかろうか。いくら山鉾が絢爛豪華でも、その懸装品の数々がペルシャ織の貴重品だったとしても、だからってアフガンやイラクやパレスチナやチェチェンやハイチの名もない命の数々までは包括してないに決まってる。してないよな、と今夜お囃子を聴いて思った。いや、別に、それでいいねん。世界に聞こえた日本の三大祭のひとつったってさ、ウチら氏子にとっては単なる鎮守のお祭りやねんさかい。

ずっと雨続きなので、レインコート着たはります。






ミニチュア山鉾、結構なお値段のものが多いようだが売れていると聞く。

私のまちでも時に大雨が降る。天候の荒れに慣れていないまちと人は結構あたふたとばたついて、要領悪くて、思わぬ被害を出したりする。けれどだいたいは、三方を山に囲まれているゆえに、強風も雨雲もその勢力をそがれるせいか、それ自体による甚大な被害というものはない。だからこのまちでの問題は、すり鉢状になった土地でその昔は排水が整っていなかったために、都のあちこちにはけない水たまりを残したことで、そのために疫病を流行らせた。

衛生が向上し医療が発達して、もう神に頼らなくても疫病の撃退には成功した。私たちは、幸い、そうしたまちに住んでいる。

だから、つい、雨は嫌いではない、なんてセリフを吐いてしまう。雨は汚れたまちと人心を洗い流してくれるから。しかし雨が凶器になる例も、私たちはいやというほど見聞きしている。

未曾有の大雨で失われた多くの命を悼みます。