Super Moon2014/09/09 20:42:13

9月9日は重陽の節句。それ何?というかたはご自身でお調べくだされ。まあ旧暦での話だからほんとのところは今日がそれだと言うのはちとしんどいと思うんだな。でもそんなことゆーてたら1月1日も3月3日も5月5日も7月7日もどれも本来は旧暦での節句やのにその日にお祝いやらお祭りやらしてるしな。ま、ええねんな。

月もこのうえないほど綺麗やし。今夜8時頃の東の空。物干しから撮りましたの。
マンションと電線が忌々しいわ。この場所から、子どもの頃は大文字の送り火も眺めたザマスのよ。東山の稜線がなだらかで美しく、ときどきは早起きして、空と山を染める朝焼けを見に駆け上がったものですのよ。
あーあ。周りは小汚い四角いビルばかりになりまして候。

ぼやくのはやめて、望遠でスーパームーンに肉迫っ。
すっきり晴れた夜空に月光。夜ってそれ以上何も要らないよね。夜は暗くていい。月や星の煌めきが冴える。月光を頼りに夜道を歩いたもんなんだよかつては。
ヘンゼルとグレーテルだって、月に光る小石を頼りに、森から家に帰ったんだ。


でも、昔はこうだった、だとか、もともとこういうもんだった、だとか、そんなことあまり言いたくないもんな。時間は必ず過ぎていて、ひとは誰でも同じように年をとり、世の中は変わる。変わっては、いきなりおとずれる揺り戻しに戸惑い、どう振る舞えばいいのか迷いやためらいを見せる。その都度人びとが知恵を絞って、その時点での最適の答えを出してきた。その時点での最適の答えが、振り返ってみればまったくよくなかったということは多々ある。気づけば軌道修正をするとか、同じ轍は踏まないとか、先人の死を無駄にしないとか、道の採りかたはいろいろさまざまだろうけど、つまりノスタルジーやそもそも論で「昔はよかった」を繰り返す愚とは、歴史に学ぶとか経験知とかって対極にあるはずやん。扱う対象の存在が大きければ大きいほど、積み重ねて結集されてきた叡智に負うところ大のはずやん。育児、教育、研究。経営、行政、政治。


右翼あほぼんはアベとかアソーだけやと思てたけど、じつはぎょうさんやはるねんて! びっくり。てか、ハーケンクロイツ掲げる日本人の団体があるなんて私は全然知らなかったんだけれども、そいつらとハイポーズで満面の笑みたたえた記念写真撮るってどんな現代の政治家なん。その噂の写真、何日か前にほかのブログ経由で見て吐きそうになったけど、外国メディアにも見つかっちまったぜ。恥!


内田樹@levinassien

ネオナチとの関連性が暴露された閣僚たちは自分たちの政治的ポーズが国際世論にどのようなリアクションをもたらすかについてはまったく何も考えていなかったようです。自分たちの言動を国際的な文脈において吟味する習慣のない人間はとりあえず「グローバル」なんとかについては語る資格ないです。

任命責任として、これから安倍政権は政府発表の文章中の「グローバル」をぜんぶ「ドメスティック」に書き換えることを要求します。いや、ぜひお願いしたい。「ドメスティック人材育成戦略」とか「経済の急激なドメスティック化」というような文章を読むと、妙に説得力ありますよ。

安倍側近のふたりとネオナチとのツーショットについてAERAのエッセイを書きました。「頼まれれば誰とでも写真を撮る」ので迷惑しているというのが事務所の釈明でした。いや、問題は「そういう人」から「一緒に写真に写りたい人」だと思われているという点にあるわけでしょ。

政治家の力というのは「正味のところどういう人物であるか」によってではなく、「どういう人だとまわりから思われているか」によって決定される。だから「李下に冠を正さず」という古諺があるわけです。公人がすももの木の下で冠をいじると、自動的に「すもも泥棒」だと思われる。

「私はすももなんか盗ってない」と言ってもダメなんです。古代から「政治家はどのような行為も『最悪の意味で解釈されるリスク』を勘定に入れて行動を律せよ」という教えがあって、そんなことは彼らだって中学生のときに国語の時間に習っているはずなんですから。

ある夕刊紙から「安保理の非常任理事国入りのためにバングラディシュに6000億円送って、立候補を見合わせてもらったのって、どうですか?」という電話コメントのお求めがあったので、「浅ましいことです」とお答えしました。なぜ日本が常任理事国になれないのか。

それは去年の広島講演でオリバー・ストーンが言ったように、「日本の政治家には世界に向けて発信するメッセージが何もない」からです。国際社会において日本以外のどの国も代替し得ない役割といったら、それは「平和憲法を護って、70年どことも戦争をしていない」という事実以外にない。

現に、平和憲法のおかげで「テロのリスクがほとんどない」からこそ、福島原発が「コントロールされていない」にもかかわらず、マドリード、イスタンブールより東京が五輪開催都市に選ばれたわけです。でも、そのことを日本政府は言わない。言いたくない。

でも、その「最大のメッセージ」を捨てて、アメリカの世界戦略に追随するだけなら、どんな国も「日本が国際社会の未来についてどんなヴィジョンを持っているのか知りたい、日本の指南力に期待しよう」なんて思いませんよ。

前に常任理事国枠を増やして日本も入れて欲しいと懇願したときに拒絶された理由を覚えているはずです。「アメリカの票が一つ増えるだけだから無意味」と言われたのです。これだけ国力があって、国内統治に成功していながら日本が選ばれないのは「世界に向けて語る言葉」がないからです。

「グローバル化する経済に最適化すること」を国是にするような国に「国際社会の行く道を照らし、領導してもらおう」と思う国なんかありません。「僕の理想は『みんながしていること』の真似することだよ!」という人をリーダーに頂く集団がないのといっしょです。


日本は国連安保理常任理事国になりたくてなりたくてしょうがないんだけど、どうしても日本を常任にしたくない国が常任にいる以上ぜったいなれない。悔しいけど数年間に一度非常任理事国の椅子が回ってきた時にアジア諸国をはじめとした加盟国全体のために働くのが使命だろう。数年前はそういう議論だったんだけど、いまは、たとえ現在の5大国=常任理事国が諸手を挙げて歓迎してくれたとしても、あたしゃ絶対この国を「非」があろうがなかろうが常任理事国にしたくないよね。恥ずかしくってアンタそんな、そんなていたらくで表へ出なさんな。お天道様に恥ずかしい! お月様にも恥ずかしい! 新内閣の顔触れどれひとつとして国際社会に「我が国の閣僚です」って見せたくない。史上最悪。


月が笑う

作詞:井上陽水
作曲:井上陽水
歌:井上陽水
 
いつもの夜が窓の色を
知らぬ間に変えて
我が家に来ました
薄着の君は頬杖して
夜をはおれたら
寒くはないのに
やさしいのは誰です?
夜よりやさしいのは?
さみしいのは誰です?
僕よりさみしいのは?
指輪の跡が白くなって
月日の流れの
速さにぬかれた
形を決めて夢を作る
転がる形に
出来ればいいのに
時計はいつも通り
ボーンボーンと
この部屋の為だけに
ボーンボーンと
話は尽きて月が笑う
君と僕以外
帰り道もない