考えるのを止めるな12歳! ― 2007/10/09 19:13:26
後藤竜二 作 鈴木びんこ 絵
新日本出版社〈風の文学館第2期〉全5巻(2004年~)
「ウチの子のクラス、荒れちゃっててねえ」なんていつか書いてたっけ、そこのお母さん?
必読! 面白い!
大人だったら、ちょいと気合入れて読めば1冊30分くらいで読めるから、全巻読破をチョーおすすめ!
パニック学級とあだ名されるほど学級崩壊していた5年1組。お人よしのじいちゃん先生は辞めてしまい、その後誰ひとり担任として長続きしないまま、そのまま6年1組の春を迎えた。担任には新しく他校からやってきた、頼りなさそうな若い女の先生。ゴリラのぬいぐるみを持ってきたから、あだ名はゴリちゃん――。
児童ひとりひとりの一人称で物語が語られる。いじめられた子、いじめた子、学校なんてかんけーねー、と不登校になってた子。語り口がそれぞれにとても12歳らしくて、とてもリアルである。個人的には第3巻の烏丸凛(からすま・りん)ちゃんの登場がスリリングで好きである。
てんでばらばらのクラスは、まとまりそうに見えながらも、やはり筋金入りのパニック学級でなかなかまとまらない。事あるごとに問題続発。それでも、少しずつ、互いが互いの気持ちになって行動するということを考えるようになっていることが、巻を追ってわかる。12歳の思考の範囲と深さが生々しく見える。もっと考えろ!とエールを送りたくなる。
小学生の親をしているが、現実に「目に見えてひどいクラス」というものは見たことがない。娘が小学校1年生のとき、初めて行った参観で、たしかに落ち着きのない、喋ったりふざけたりする子どもの多いことに閉口した。娘が通っていたのはお寺の保育園で、座禅をはじめとする「おつとめ」や「せんせいのおはなしのじかん」というのがけっこう長時間の日課としてあったので、前で「先生」と呼ばれる人が話をしているときはどういうふうにしていなくてはならないか、は理屈でなく身に染みついている。その保育園出身者が30人のうち、5、6人いたのだが、前を向いてじっと静かに聴いているのは、見事にその子たちプラス2名ほど、だけであった(プラス2名はいずれもハイソなご家庭のハイソな幼稚園出身者だった)。あとの20名余は「何かしている」。隣の子に話しかける者、隣の子と遊ぶ者、立ったり座ったりする者、ひとりで歌を歌う者、ひとりでスーパー戦隊ごっこをしている者……。噂に聞く小1プロブレムというやつだった。周りがこれだと、お寺保育園出身組も、遠からず同類になっちゃうなあ、と暗澹たる思いだった。
ところが結局は、そうひどいことにならないうちに落ち着いてきた。担任は若い女の先生で、可もなく不可もなくという印象だったが、新卒で着任以来低学年ばかり受け持っているということだった。プロブレムだらけの「小学生という名の幼児」たちの扱いに慣れていたのかもしれない。娘は学校が大好きで、毎日運動場にお泊りしたい、家に帰る時間がもったいないとまで言っていたので、「学校嫌い、行きたくない」という子どもがいるこのご時世、なんと私はラッキーかと思って彼女の小学校生活は彼女自身に任せきりであった。
だが、やはりそうはうまくいかなかったのである。
たびたび言及しているとおり、娘の小学校は小中一貫制度なんぞを取り入れ、内外から注目されているけれども、大小高低さまざまなプレッシャーやストレスが、教師にも子どもにも親にもかかっているに違いないのである。これまでの5年半の間に、精神的な疲労によって退職した教師は5人を越える(私がガミガミ文句をいった先生たちはピンピンに元気だっ)。また、娘の学年にはないが、やはり3年、4年になっても落ち着かないざわついた雰囲気のままのクラスもあるらしい。ある教師は数名の保護者からの糾弾によって「休養」に追い込まれたという噂もある。図画工作作品が明らかに故意に壊されていたり、上靴や教科書を隠したり捨てたりなんて陰湿な嫌がらせは日常的に起こっている。あからさまに目に見えないだけに、気分はよろしくない。
ウチの子もずいぶんな被害にたびたび遭っている。考えるだけしんどいし辛いので、私たちはほとんどなかったことにして過ごしている。でも、ほんとうは徹底的に考えたいのである。ある行動を起こすときの子どもの心理、刃物でノートを切り裂いてやる、と思って実際に実行に移すときの感情、その子の脳裏に去来する黒い影の正体。いくら考えても、わかりっこないだろうが、実際には、考え抜いたことはない。
キレイごとを言うのでも、「ええかっこしい」で言うのでもなく、「そんなこと」をする子どもの心をできることなら救いたい、と思うのである。だが、日々にかまけて後回し先送りうやむやにしている。3年前、教室に畳んであった娘の衣服を鋏でずたずたに切ったるりちゃん(仮名)の心模様を追究するのも、るりちゃんとそのお母さんが大泣きに泣いて謝りに来た風景を思い出すと、できなくなる。考えるのをやめてしまう。
『12歳たちの伝説』を読んだからといって、そうした子どもたちの単純かつ複雑、浅はかかつ深遠な思考回路を理解できるわけではない。しかし、なんというのか、たとえば、いままで気にも留めなかった「物静かなあの子」や、いつも寒いギャグを飛ばしては「無視されているこいつ」の心の中を少し覗けそうな気にさせてくれるのである。
娘が、「あいつは××だから嫌い、口利かない!」なんていうとき、以前は「ああ、そんなやつほっとけえ」とろくに聞かず生返事、生相槌していたが、「ま、そういわずこの次は返事くらいしてやれよ」、などというようになった。それがいいことか悪いことかわからないが、もし、子どもの心が閉ざされているとして、それを開ける鍵はやはり毎日近くにいる子どもたちが持っているのではないか。本書を読んでその思いを強くしたのである。
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ちなみに我が家では、夏の終わりから「娘が読書に耽っている」という我が家始まって以来の珍事に騒然となっている。読んでいる本はといえば6年生のくせに低中学年向けの平易なものが中心だ。ま、何でもいいぞ、読め読め!とヨコヤリいれずにほっておいたが、私がえらい勢いで読んだ本書のシリーズにようやく手をつけて深刻な顔をして読んでいる。
よしよし。
