人は見かけ、じゃなくて文章によらぬもの? ― 2007/03/28 19:47:15
※注 紹介順は男性のみ年功序列。
【【儚い預言者さま】】寛仁大度
最も待ち合わせ場所に近いところに住む身でありながら、いちばん最後に到着した私に、mukamuka72002さんがぱぱぱっと手早くこちら○○さんですこちら○○さんで○○さんで……と紹介してくださった。が、えっえっえっっ?と状況および人物を把握しないうちに店内へ。座席をあみだくじで決めましょうという鹿王院知子さんの提案。ある紳士が「僕はここ」とおっしゃった位置に鹿王院さんが「な」と書き込まれたので、その紳士を儚い預言者さまだとはっきり確認できた。できたが確信できなかった。もしかしてドッキリかもしれないし(んなわけねーって)。
だって、到着してからmukamuka72002さんが私を振り向くまでのほんの0.05秒くらいの間、私は「あれ?こないだあった町内会の会合の続きだったっけ?」と思ったほど、儚い預言者さまは我が町の前年度町内会長さんと雰囲気が同じだったのである。前年度町内会長にそっくりな紳士がこの場におられても不思議はないのだけれど、前年度町内会長にそっくりな紳士=儚い預言者さま、という事実はにわかに受け容れがたい事実であった。ひそかに「ひらがなの紡ぎ手、ことばの組み紐職人」とお呼びしお慕いしている儚い預言者さまである。実は我が町には組み紐職一家が住んでいて、ご当主は(中身はそんなことないんだけど)髪と髭の短い仙人、という風貌で、勝手ながら私は、儚い預言者さまのイメージをどちらかというとその組み紐仙人に重ねていたんだけれど、違ったのだった。組み紐家の向かいに住む前年度町内会長だった。
儚い預言者さまの席は、私の真向かいだった。食事と酒が進むにつれて座が和み、各々の舌が滑らかになってくる。儚い預言者さまは、誰の言葉にも耳を傾け相槌を打ち、寒い冗談も豪快に笑い飛ばす寛容を見せてくださったうえ、息子さんのスポーツマンぶりをいとおしくてたまらないといった様子で語られる「人間らしさ」もご披露くださった。
儚い預言者さま、あなたの創作への思いをもっともっと聞きたいです。口説き文句は次回にとっておいてくださいね。
【【コマンタさん】】円転滑脱
mukamuka72002さんが到着した私に「こちらがマロさんです」とおっしゃったほうを向き、ああ、このかたがつねづね私の文章に鋭い指摘をくださるマロさんねと思うと同時に、娘の通う小学校の(フェミニンでソフトな風貌ゆえにイケズな女性校長からイジメられていると評判の)PTA会長さんとビジュアルイメージが重なったこともあって、思わず「いつもお世話になっております」とお辞儀をしたらそのかたは、「いえ、僕はコマンタです」とおっしゃった。そしてやはりドッキリではなく(あたりめーだろ)本当にそのかたはコマンタさんだった。
文章塾やブログを通しての、コマンタさんの発言にはいつもいつも励まされている。ご本人はどの程度意識されているかはわからないけど、コマンタさんのひと言というのは、核心を突くこともあるし、外から薄皮を一枚めくるだけでありながらそこはいちばんめくられたくないところだったりもするのだが、目から鱗の思いをさせられたり、がーんと脳天に響く一撃だったり、心の深奥に直接届く花束だったりと、もはや私はコマンタさんという刺激なしでは生きていけない。
コマンタさんのことを「文節のソロヴァイオリニスト」と呼んだら異を唱える向きはおられるだろうか。あるいは『セロ弾きのゴーシュ』になぞらえて「文節のソロチェリスト」? 私は、彼の文章からいつも弦楽器の音を感じる。しかも重奏ではなく独奏の。
刺激をくださるお礼と文章への憧憬の気持ちを伝えたかったのに、私はどきどきしたまま、ベタな発言に終始して、何もいえなかった。
ところで、PTA会長さんは端的にいって「やさ男」に過ぎないのだが(会長、ゴメン!)、コマンタさんはやさ男などではない。知的な眼差しの奥に底知れぬ優しさが潜んでいるのはいうまでもないけれど、とても行動派で頼もしい。仕事においてもその処理能力の優れてらっしゃることは容易に察しがつく。正直、喉から出掛かっていたのである。「コマンタさん、私あなたにどこまでもついていきます」
コマンタさん、もしもう一度会えたら、たくさん本の話をしたいです。でも哲学の話は、パスね。
【【mukamuka72002さん】】当意即妙
誰も、ご本人も何もいわないのに、このかたがmukamuka72002さんだということは即わかった。名前を忘れたが高校のときのクラスメート二人の顔がすぐに思い浮かび、彼らを足して2で割ったような感じだなと、そして不思議なことにそう思うとmukamuka72002さんとの会話がとても懐かしさを帯びてくる。じっさい、mukamuka72002さんと私は同年生まれ。初対面なのに、同窓会のような雰囲気を味わった。考えてみれば、初対面だけど知らない仲じゃないのだ、この日お目にかかった男性陣とは。しかし、ほかのかたの印象がその文章とのギャップを多少楽しめたのに対し、mukamuka72002さんはそのまんまだった。私はこっそりと、「時代を間違えたクラーク・ケント」風を期待していたのだが、mukamuka72002さんは変身して空を飛んだりはしなかった。今まで彼が書いたものすべてかき集めてこねて粘土にして人形つくって命吹き込んだらこんなんできた、という形容は決して間違っていないと思う。投稿文もコメントも、彼の語り口は絶妙で的を得ていて、余計な遠慮や装飾がないのに機知に富んでいる。そしてオフ会での彼は、彼の書くものそのまんまなのだった。
mukamuka72002さん、今度会ったら結婚しようねー、てゆーか、こないだの結婚式に便乗して鐘鳴らしちゃえばよかったねー。あのカップルより私たちのほうが見栄えするよねー(と無関係な人までこき下ろす)。
【【マロさん】】温厚篤実
背の高いマロさんは、即座に私の視界には入らなくて、案内された個室に入ってジャケットをハンガーにかけたりしているとき、ようやく私は彼を見て思った。「あ、クボ君がいる」。
クボ君は大学のときの同級生で、男前で寡黙、手先が器用でいいものを造る学生だった。その時代の彼がそのままタイムスリップしてここを訪れてくれたような、マロさんはそういう若々しさにあふれた、なおかつ真面目で勤勉そうな印象の好青年という言葉は彼のためにあるような男性だった。クボ君はいい加減で頼りなかったが、一児のパパでもあるマロさんは、お父さんの頼もしさにあふれておられた。
マロさんが書かれるものはいつも痛快だ。それは決して付焼刃ではない、周到になされた取材の跡、広い視野と見聞によって積まれてきた知識の層が透けて見えるもので、毎度毎度舌を巻く。正直なところ、自分と同じか少し年長と想像していたのでその若さにちょっぴりびっくり。けれども、私などよりもずっとずっとその文章修業は長く深いはず。そういう、文章に向かう心構え、そんなことをマロさんは声高にはおっしゃらなかったが、文章についての自信、確信、信念をしっかりもっていらっしゃる。
こういうふうにいうと、お堅い人物を想起させるが、マロさんはとてもユーモリスト。mukamuka機関銃にぽつっとボケたりツッこんだりと、かなり縦横無尽。私は「ストーリーテラー・坂上田村マロ」とこっそりあだ名し、このさい坂上田村麻呂はまったく関係ないのだけど、その巧みな物語さばきとペンネームから、おっとりした公家イメージの入ったインテリ風を予想していたのだ。マロさんという名の由来は本名の一字を英訳して「マロン」、そこから「マロ」だそうだ。キャー♪なんて可愛いんでしょう、マロンちゃーん。ほおずりしたくなる自分を抑えるのはかなり大変だったのである。
マロさん、この次は仕事の愚痴もこぼしあえる仲になりたいものですわ。でもお手柔らかに。
【【鹿王院知子さん】】純情可憐
最後になったが、オフ会紅一点のろくこさん。いや、私も女性だけどかなりボーイズ入ってますから……。鹿王院知子さんはお着物だったけれど、堅苦しさや過剰な華美さがなくて、しっとりと、それでいておきゃんで、優しくて気配りができてと、がさつで粗雑な私とは対極の、可憐な立ち居振る舞いとおしゃべりで、座を和ませてくださった。抜群の書き手ながら、世のインテリさんが持ちがちな棘がないばかりか、花嫁修業中のお嬢さんといっても通るくらい可愛らしいのである。才能とは、こういう形で人に潜むものかもしれないな、と、正直彼女にはジェラシーを覚えるのである。今回の前に、彼女には一度お会いしている。二人でランチにカレーを食べたのだ。そのとき、現在携わっている仕事の辛い点を話されていた。そんなものやめてしまって執筆に専念すれば、と思わなくもないけれど、たぶんそうした、仕事を通じての理不尽な思いが、創作への起爆剤になっている。もっと大きな爆発を呼ぶためにも、もっともっと仕事で苦労しなくちゃならないかもよ。
鹿王院知子さん、創作という点では私はまだまだですから、お教えを乞いにまた参上しますから付き合ってね。
※冒頭につけた四字熟語は印象です。不本意に思われたかたも、ご容赦ください。