断片のきらめきに目が眩む2007/05/15 18:18:04

『さまざまな生の断片 ―ソ連強制収容所の20年―』
ジャック・ロッシ著 外川継男訳 内村剛介解題
成文社(1996年)


ずいぶん前になるが、書店で平積みになっていた『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(辺見じゅん著)という本を、何の気なしに買った。
もうあまり覚えていないが、国の外にばかり目がいく傾向があった自分を押しとどめようとしていた時期に、この本は出版されたように思う。思い出しても可笑しいのだが、まともな日本人であるためには日本文化について語れなくちゃな、なんて、俄仕込みでは何の意味もないのに、古典を読み漁り、古い歌のおさらいをし、ベーシックな折り紙をマスターし、きものの着付けや作法を(さらっと)習ったり。留学前夜、私は西欧・アフリカへ逸る気持ちを抑えて「日本」に向き合おうともがいていた。で、ご想像を裏切ることはないと思うが、俄仕込みカルチャーはひとつとして血肉とはならぬまま忘却の彼方、もはや青春のひとコマよりも色褪せている。
たったひとつ、この『収容所から来た遺書』だけが、抜くことのできない杭を私の心に打ち込んだ。

私は、幸い(というべきなのだろう、本当に)、身内に戦争体験者がいない。家の男性たちは、戦争に駆り出される世代からちょうど外れていたのだろう。祖父は、もう少しいたずらに戦争が長引いていたら、この国が若者を使い果たした後に召集を受けたかもしれないが、その前に戦争は終わった。伯父はもうあと1、2年早く生まれていたら特攻で散っていたかもしれないが、終戦時に16歳だった。三つ下の父は、玉音放送を聴いて「なんやわからんかったけどなんか知らん悔しかったさかい、歯ぁくいしばって、声出さんように泣いた」そうだ。
他方、母は、近所に纏足の中国婦人が何人も住んでいたのを覚えているが、幼心に「〈けったいな足やなあ〉と思った」以外、戦争にまつわる具体的で象徴的な記憶はない。

だから、学校の授業や社会見学、あるいは映画やテレビ番組などで戦争についての知識を重ねていくようにはなるけれども、どちらかというと兵士たちではなく、一般人がどんな目に遭ったかという視点で語られるものばかりを、またあまり問題意識も持たずに吸収していたように思う。広島、長崎、沖縄、南京、シンガポール。戦争の名のもとに幾万もの命が痕跡を留めぬほどに踏み潰された場所は数え切れない……ということは知るけれども、では兵隊さんたちは、どんなふうに死んでいったのか、どんなふうに生きながらえたのか。いわゆる美談も真実味のある話も、米国との関わりの中で伝えられることが多かった。
シベリア抑留については、よほど関心を持って知ろうとしない限り、情報のほうからやってくることはなかったように思う。

生き残った男たちの口から引き出した収容所の生活と、死んでいった者たちの思いを、大げさでなく淡々とした文体で綴る。それがかえって胸を打つ。私はもともとノンフィクションばかりを、面白がって読むほうだが、事実の積み重ねだけでこれほど心を揺さぶられたことはなかった。感涙、などという安っぽいものがこみ上げる余裕を与えてくれないのだ。読む者の心に。

図書館のフランス文学書架に『さまざまな生の断片』のタイトルを見たとき、おお、なんとカッコいいタイトルかと思ってすぐに手を伸ばした。だがその下に小さな字で記されたサブタイトルにソ連強制収容所の文字を見たとき、件の辺見さんの著書が思い浮かんで一瞬躊躇した……んだけれども。

著者のジャック・ロッシは1909年生まれのフランス人。早くに父を亡くし、母はポーランド高官と再婚する。義父の転任でヨーロッパ各地に滞在、やがて一家はポーランドへ。ジャックは16歳のとき、ポーランド共産党に入党し、ビラ配りをしていて逮捕される。釈放後も党の指示で行動するようになり、チェコやハンガリー、ドイツで学んだあと、パリの美術大学などでも学ぶが、20歳のとき党の命令でソ連へ向かう。
1937年、スペイン内乱で召喚され、コミンテルン(共産主義インターナショナル)に精を出していたジャックはモスクワに帰され、直ちに逮捕された。容疑は「フランスとポーランドのために行ったスパイ活動」。もちろん濡れ衣なんだが。
一時的に釈放されるが再逮捕。実に28年間、ソ連各地の収容所(ラーゲリ)生活を余儀なくされ、ようやく1961年に釈放。ただし出国は許されず、ポーランドへの帰国が許されたのは3年後、祖国フランスの地を踏めたのは1985年のことだった。

表紙デザインに施された線画のイラストはジャック自身のスケッチである。この美しい装訂だけでも気が滅入る。いったい中にはどのような事実が記述されているのか。
それでも私が読む気持ちになったのは、本を開いてすぐの、「日本語版への序文」で著者が、強制連行されていた日本の兵士たちに言及していたからだった。
《……虚偽によって個人の廉潔をうち砕き、それをごみと化し、魂を汚すために考え出されたこの世界で、……日本人に出会ったことは私にとって、まさにさわやかな一陣の風であった。……これら満州の旧軍隊の将校たちは、この汚い水溜まりのなかでも汚されることがなかった。……清廉潔白で、団結していられたのだ。……私はそれをけっして忘れないだろう》
ラーゲリから帰還した人たち自身がもし読んだら、この本をどのような気持ちで受けとめるだろうか。

ジャック・ロッシは、ラーゲリで出会ったあらゆる民族出自の人々、あらゆる職業、階層の人々と交わした言葉の数々、その眼で見た幾シーンもの惨い光景を脳裏に刻み込み、長い時間をかけて書き綴った。
『さまざまな生の断片』という題名が示すとおり、本書はいくつもの断片的なエピソードが書き連ねられているにすぎない。当局への批判めいた文言がないばかりか、囚人が受けた拷問の描写などにも誇張がなく、ただ著者が見たこと、聞いたことが、順不同に並んでいる。「贅肉をすべて削ぎとった簡潔な文体、動詞の現在形といくつかの過去形の使い分けの妙」(訳者あとがき)によって、たしかに存在していた「生」の証拠を、読者に重くつきつける。
ジャック・ロッシは2004年、94歳で亡くなった。彼の著作は他に、『ラーゲリ註解事典』(だったと思う)がある。

『さまざまな生の断片』は、これまでに何度か借り出して読み返している。
ところどころの挿画は実に巧みで気が利いている。そんな本だから、深刻に考えず、思考をあまり飛躍させずにさらっと読み通すこともできる。そういうふうに読むこともあるし、人物ひとりひとりについて、証言ひとつひとつについて考え始めて眠れなくなることもある。

実は、買ってすぐに貪り読んだとき以来、『収容所から来た遺書』を読み返せないでいる。
『さまざまな生の断片』を、あと何度読んだら、日本人のラーゲリと再び向き合えるのだろうかと、なかなか意外なところでひ弱な自分の読書マインドに、いささか暗澹たる思いなのであった。