慕われる姉弟 ― 2007/05/29 20:19:29
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〈特集〉『鶴見和子の詩学』
何号めかからの本誌に、鶴見和子さんの歌が掲載されるようになった。私は本誌を装訂と写真が美しいというだけで購読していたが、鶴見さんの歌(と石牟礼道子さんの句)という理由が加わった。
しかし、鶴見さんは2006年7月31日、亡くなられた。享年88。95年に脳出血で左半身麻痺となり車椅子生活を余儀なくされたが、それからの短歌創作、講演・執筆活動がすさまじかった。もう余生はわずかと悟ったとき人はどのように命の炎を燃やし尽くすことができるのか、鶴見さんはそのことに挑戦されているかのようであった。
私は本誌を通じてしか鶴見さんの発言に触れていない。本誌に掲載される短歌やエッセイは堅苦しくなく、「しろうと」が味わってもニンマリできるような、アイロニーに満ちてはいても優しい眼差しに愛情を感じるような、そんなものであった。そして、これほどまでに脳みそが働いてらっしゃるなら、障害を持ったお体でもきっとまだまだお元気だろうと思っていた。
なのに、帰らぬ人となってしまった。ただただ残念で仕方がない。
この号は、藤原書店が鶴見さんの著作全集を出版していることもあり、各界の著名人からの追悼の言葉を集め、特集を組んでいる。読むにつけ、一度でもいいから肉声を聞きたかったと思った。地元での講演もあったろうに、私はいつもまた今度と先送りして後悔する。
鶴見和子と鶴見俊輔という姉弟が大好きである。二人の若い頃の業績については何も知らない。しかし、お二人とも、70年80年生きた者でなければ見えないものを見、言えないことを言い、書けないことを書かれている。今はもうないけれど、かつて俊輔氏が地元の新聞に寄せていたコラムが大好きであった。仮名の多いわかりやすい文章で、社会や政治をするりと斬る。
私と弟は、自分の年の半分にも満たないような世代から、あの姉弟好きだなあなんていわれるようになれるだろうか。
弟はイイ線いくかもしれないが、この調子だと私は、ほうっておけばイイ線いきそうな弟の前途を阻むくらいしかできそうにない。いずれそこそこの人物になった弟が、私という姉の存在を世に知られたときに「素敵なお姉さんですね」といってもらえるようにしなくては、と、鶴見和子さんの生き様を見て思うのだ。
《姉は亡くなる直前に、私に向かって、「あなたは私を一生ばかにしていたんでしょう」といいました。私は黙っていましたが、それはどの教室でも優等生にたいして劣等生がもつ気分であって、統計上の事実です。(笑)》(俊輔氏のことば、82ページ)
本特集にはいくつか鶴見さんの歌が掲載されているが、うちひとつを掲げて終わりにする。
片身麻痺の我とはなりて水俣の痛苦をわずか身に引き受くる
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