わからないフォーエヴァー♪(1)2007/11/30 18:48:26

我が家のイチゴの紅葉。キレイよ♪


『「わからない」という方法』
橋本治 著
集英社(2001年)


ゆるい感じがお好きな戸川リュウジさんへ。
世の中わかんないことだらけだよっと日々嘆いている方へ。
○○についてわからないんだけどわかりたいなあ、でもなあとシンキングがネガポジを行ったり来たりしている方へ。

そのほか:
好かん上司からいわれのないイジメに遭っている人へ
「お前、変なやつだな」としょっちゅういわれる人へ。
変なやつとはいわれないけど、おれってあたしって「変な人間なんだよね」と根拠もなく自覚している人へ。
人にものを教える立場にいて、行き詰まっている人へ。
人からものを教わる立場にいて、ちっとも習得できずに悩んでいる人へ。
古典とか歴史とか嫌いやねんというすべての中高生へ。
母親の呪縛から逃れたいと思っているすべての女性へ。
脳と身体のメタボ化を防止したいすべての人へ。
将来作家になりたいなどという妄想を抱くすべての人へ。

本書はこういう方々に有効である。
しかし、最初に申し上げておくが、この本を読んでも、「何かがわかる」ということにはたどり着けない。
この本はただただ、橋本治が「私はわからないからやってみるのである」と繰り返すのにつき合わされるのみである。
それなのに最後まで読んでしまうのである。

例えば(以下、私が読んだ場合だが)、穂村弘なら「うんそうだよね、そうなんだ、うんうん」と涙ぐむ。岸本葉子なら「ぷっほんと、あるある」と頷く。最愛の内田樹なら「おおおっそのとおりだっ」と感動の嵐のうちにぽんと膝打つ。
しかし、本書にはそういう起伏や盛り上がりがない。

「ふんふん」「へ?」「それで」「だから?」「っていわれてもなあ」「あ、そうかな」「ふーん」「うーん」「でも」「それで?」「そうなん?」「ふんふん」「へ?」

という感じで最後まで読んでしまうのである。
「わからない」を方法にするというものだから、読者は自分のアタマを柔軟にしてネジを緩めてなんでも吸収してやるぞと読み進むのだが、なにも「わからない」まま、緩めたネジをきゅっと締める機会をもてないまま、最後のページまでつき合わされる。

頭が緩みっぱなしのまま読んでしまうという意味で、戸川リュウジさんはじめゆるい感じのお好きな方には一読をおすすめできる。(できないか?)

いろんな人に読む意味があると書いたけど、それでも対象は「わからない」ことを恐れない方々だけである。

最初から最後まで、橋本治はたたみかけるように「わからない」を繰り返す。呪文だと思ってはいけない。誌面の「わからない」を追いながら、読み手は自分の中にあるはずの「わからない」を追求しなくてはならない。いかに人間は何でも「わかっている」気でいることだろうか……しかしそういう自己分析をする間もなく話は次々に飛んでいく。飛んでいくのにつきあい読み進み、何もわからず何も発見できず何も反省できないで読み終える、本書はそういう本である。

以上、前振り終わり。続きはまた次回。