家に青大将が住んでるかもって話はもう済んだけど ― 2008/11/20 20:11:40
川上弘美著
文藝春秋(文春文庫 1999年)
ある夜、娘が文庫本を開いていた。
視線は本の中身をさしている。
「何してんの」
「本、読んでんの」
あ、読んでいるんだ。眺めてるんじゃないんだ。コミック文庫とか写真文庫じゃないんだ。
「何読んでんの」
「これ」
うるさいなあ、といわんばかりに娘は表紙をかかげて見せた。
「どれどれ」
と、近寄って目を凝らす私(最近また視力が落ちた。老眼か?)。
「へびをふむ……かわかみひろみ……(沈黙。しばし。けっこう長く)……えーっえーっ」
「なんやねん」
「しょうせつっ」
「そやで」
「大人が読む普通の小説やん!!!」
「ミチル先生が面白いよって勧めてくれた」
ミチル先生というのは中学校の国語科教諭の名である。ほんとうはウエハラミチルさんだが、ほかにウエハラマサユキ先生もおられるので苗字でなくお名前で呼んでいる。ちなみにマサユキさんのほうはマサ先生と呼ばれているそうだが、娘は教わっていないので担当教科は知らない。なお、部活の顧問のヤマダカンジ先生のことはカン爺と呼んでいる。けっして爺さんではないが、ほかにヤマダケンタロウさんというフレッシュな若手教員がいるからで、こちらはケンタ君と呼ばれているらしい。
子どもというのは、まったく、親の言うことは聞かないが、好きな先生のいうことはまるで盲目的に聞くのである。担任は若い英語科教諭だが、生徒に自分のことをサリーと呼ばせるこの先生のことを娘は大好きで、「サリーが貸してくれた」などといって『ホームレス中学生』も『恋空』も、あとはなんだったか、やたら流行っていたいくつかのライトな本を借りて読んでいた。私が良かれと思って図書館で借りてきた本は10冊に1冊くらいしか娘にはヒットしないのである。
ミチル先生は、娘が言うには「いっつもシャツ・インで、めっちゃ昭和モード」のおばちゃん先生らしいが、とても生徒に慕われているらしい。娘はよくミチル先生と本の話をするそうだ。そういうわけで『蛇を踏む』。
知らない漢字も出てくるし(笑)、意味のわからないところもあるが、とても楽しんで読んでいた。まだ彼女が3ページくらいで止まっている時に、横からとってザーッと読んでしまったが、うーん。これを深く深く読んでヒワ子ちゃん(主人公)の深層心理にくらいつくには娘は若すぎるし、私は歳をとりすぎていると思う。こんなのわけわかんない、というつもりは全然ないんだけど、つまりは、あまり面白くない。こういうものを楽しむココロやアタマに育ってこなかったので、これは如何ともし難い。歳とりすぎてるからというより、たぶん若い頃にもピンとこなかったであろう、そんなタイプの物語だ。私にとっては「初」の川上さんだったが、文章の柔らかさは大変好感がもてた。かどばっていないので、ウチの子なんかにも読み進むことができたんだ。
読み終えた娘は、最後はどうしてああなるのかわかんない、といっていた。あと十年くらい歳をとったら、ヒワ子ちゃんの気持ちに近づけるかもしれないが、さらにそのあと五年くらい経ったら、蛇の意味するものが何か見えるかもしれないが、いまは物語の設定の滑稽さを楽しむのが精一杯。ま、それでよかよか。とりあえず挫折しないで読破してくれてよかった。読破っつーほど長くないんだけど(笑)ミチル先生に感謝である。
※文中の先生方のお名前はあだ名も含めてすべて仮名。